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夏目漱石の小説にある「・・・情に棹させば流される・・」この意味は「流れにのる」で「追い風にのる」と一緒の意味ですが、間違って「流れに逆らう」ととらえている人のほうが多いことばらしいです。平成14年の調査で正しく理解しているのは12.4%、間違って覚えている人は63.6%とか。 私の電子辞書の広辞苑には「時流に逆らう意に誤用することがある」と親切にかいてあります。誤用の方が多くなると、こちらが正しいとなるのでしょうか?それともあくまでも正しいのは「時流にのる」なのでしょうか。多数決で決めることではないですが。とにかく正しい意味で使った人は、多くの人に通じず、間違って使った人が多くの人に通じるということですね。こんなことを知ってしまった私は通じる人が多いほうで使うべきか、通じないかも知れないと思いつつ、あくまで正しい意味で使うべきか、悩みます。こうして言葉は死語になった行くのでしょうか。それも淋しいですね。
2004年03月30日
今日はある聞こえない人の家で、もう一人の聞こえない人と私の3人で食事しながら、おしゃべり。この3人ですと私は声を出す必要が無い。しかしずっと声なしで口だけ動かして(口は日本語、手は手話)話すのは、とても疲れます。でも聞こえない人は口の動きからも話の内容が分るので、口は動かさなければならないのです。声は必要ないと知りつつ、やはり声を出した方が疲れません。しかし目だけは自分が話しているときも、相手が話しているときも、聞こえない人同士が話しているときも、常に下を向いたりできないので、疲れました。家に戻って、疲れたので目を閉じてテレビの音だけを聞いていました。耳が聞こえることに改めて感謝です。聞こえない人が、手話を見続けても、目が疲れたということは少ないのです。手話修行が足らないかな?否、手話を見続けるのは2時間ぐらいが限度です、私は。
2004年03月29日
学校の先生からの投書に、みんなと掃除をしない生徒の母親に注意するように言ったら、「掃除しないのは自分の子供の個性」で「無理強いするのは、人権侵害」という言葉で返ってきたと嘆いていらっしゃいました。こんな親の親の顔が見たい! 登校しない生徒の家を訪問し、母親からいろいろ言われ、訪問しなくなっている間に、子供は虐待をうけ、死亡という事件もありました。 国際障害者年がスタートした(1981年)頃から「障害も個性」という考え方の人も出てきました。人それぞれの「個性」の使い方はあります。この場合はともかく、人は言葉を自分勝手に解釈してつかうものだと思う場合がよくあります。しかしこの母親の場合は「勝手に解釈」以前の問題です。先生もこれ以上言っても仕方ないと諦めたのでしょうが、トゲだらけのことばの花束を贈られ、否、投げつけられても、先生がんばって戦ってください。子供のためにも日本の未来のためにも!
2004年03月28日
こんなベビーギャングのお父さん、お母さんは大変ですね。とても可愛い盛りで、自己主張ができるようになって、赤ちゃん時代から成長してきたと感じる頃です。この頃は自分の思いをまだ言葉で表現できないので、子供自身もイライラしているのです。こんな時周りの人がその子の気持ちを言葉にして代弁してあげると、それは理解できて落ち着きます。でも他人の思いまで理解することはできないので、けんかも多いのです。相手の気持ちが理解できない同士が、オモチャの取り合いなどでけんかが始まると一苦労ですね。周りの人は叱る役ではなく、行司役として見守ることが一番です。今の社会にこの「魔の2歳」を卒業してない人が沢山います。虐待する親もそうなのでしょうか。
2004年03月26日
話す速度を自由に変えることができる技術のことです。手話を教えている時、日本語をテープなどに入れて、聞きながら手話に変えていくのですが、手話の技術がまだまだの人には、テープの速度を遅くするのですが、私の声がおじさんの声に変わってしまったりします。音質が変わってしまうのです。でも今回開発されたのは音質を変えずに、速度を自由にかえることができるのです。高齢者がゆっくりニュースを聞きたい時は遅いスピードで、視覚障害者が斜め聞きをしたい時には高速でと、使い道はいろいろあるらしいです。本当に日本の技術は素晴らしいですね。時間を有効に使えそうですが、追い立てられているようにも感じてしまいそうです。
2004年03月25日
算数の学力を向上させるには日本語力を向上させることが必要といわれています。まず自分が考えたことを文章にします。そのためには考えたことを整理しなければなりません。それによって順序だてて考える力がつき、算数や数学に必要な論理的思考が出来るようになります。このことは自分の考えを相手に伝えることも上手になっていきます。反復ドリルなどで書く力、読む力を向上させるだけでなく、相手に伝えるというコミュニケーションの力を向上させることが、ひいては国語や算数の学力向上につながっていきます。お母さんの考えを子供に伝えるだけでなく、たまには子供とゆっくり向き合って、こんな方法で子供の考えを引き出してみてはどうでしょうか。
2004年03月24日
テレビアニメの「サザエさん」は大家族で昔の日本のいいところが残っている番組ですね。アグネス・チャンさんは日本に来て、歌がすぐにヒットしたけれど、日本語はまったく分らず状態だったとか。たしか16歳だったと思いますが、自分なりの学習方法を考えて「サザエさん」を見て言葉を覚えていったとのことです。その理由の一つに丁寧な挨拶の言葉がたくさん聞けることだったそうです。「おはようございます」から「どういたしまして」まで。核家族になっていった頃から、家族の中での挨拶も簡単になり、友達のような夫婦では尊敬語も使われることもなくなっていきました。子供たちはそれらの言葉を身近な人から聞いて自然に覚えることが少なくなってしまいました。大家族は大変だとは思いますが、コミュニケーション力はアップすること間違いなしですね。
2004年03月23日
「親子のコミュニケーションこそ学力の土台」と脳科学者で東北大教授の川島隆太氏が述べられています。子供の脳に多くの言葉を入れ、情報を入れることは、考える力を伸ばすことになります。最近、保育園にリタイアした後のおじいさんが保育に入ったり、国立大学の授業に社会人が入って、学生と席を共にすることで、大学の中にいて学生が社会人とコミュニケーションが取れるように、大学側が配慮しているところができたり(社会人は無料です)と大人になるまでに、出来るだけ多くの人間と関わりを持てるように周りが考え出しています。 子供には「親子」だけでなく、祖父母、おじさん、おばさん、近所の人など多くの人と関われる環境を用意してあげることが、いろいろな知識を得ることになるでしょう。小さな子へ贈ることばの花束にはいろいろな種類のいろいろな色の花を選びましょう。
2004年03月19日
どうして自分の小さな子供の身体に、たばこの火を126箇所にも押し付けることができるのでしょうか?聞いただけでも、読んだだけでも私自身の全身に痛みが走ります。この親は自分の体に1箇所でも、押し付けたことは無いだろうが、どんな痛みかを考えることもないのでしょうか。もし自分の子供を育てられないなら、人の多いところへ置いていってほしい。でも昔は経済的に育てられないと捨て子にしたものですが、虐待は育てられないという理由ではないので、どうすれば無くなるのでしょうか。抵抗できない幼い子供には暴力で、大きくなった子供には餓死に追い込む。こんな痛ましい事件が次々起こる日本って、寂しい国としか思えないとても淋しいこの頃です。
2004年03月18日
赤ちゃんがやっと眠った時、電話が鳴ると「目を覚まさないように!」と祈る気持ちになったものです。今はケータイのメールでやりとりすれば、そんな心配はなく便利ですね。私は耳の聞こえない人とのやりとりが多く、メールは当たり前の生活です。やりとりに時間がかかりますが、すぐに返事しなくても、手が空いた時に返信できるので便利です。今日気になる記事を読みました。若いお母さんは当然メールでの会話が多いでしょうが、「メールで頻繁に話をするのに、会うとメールほど話が弾まない」とあったのです。人の気持ちは、作った絵文字でなく、実際に会って顔を見て話してこそ、本当の相手の気持ちが分ると思います。今日も虐待のニュース。赤ちゃんの顔の表情すら見ようとしないのでしょうか。表情を見て相手の思いを読み取る力がないのでしょうか。メールも便利ですが、顔を見ての会話も大切にしてください。
2004年03月16日
パリの街の中にある広告が増え続け、外観を悪くしていると聞きました。パリに行ったことのない私はこの街は広告の看板などほとんど無いように思っていました。(映画からですが)日本では空いているところがあれば、全て広告で埋め尽くされそうな感じです。地下鉄の電車の広告が、時々一つの会社のもので埋め尽くされているのをみます。電車の外も中も赤だったり、黄色だったり。過日電車の中の手すりを持ったら、目線のところに電池のラベルがぐるっと巻いてあり、まるでそこに電池がはめ込んであるように見え、こんな所までと、アイデアに感心するやら、ここまでするの?と商魂に呆れるやらでした。街の広告があふれんばかりのところが多くなり、やはり目も頭も疲れてしまいます。現代人はストレスが・・・と言われますが、こんなことも一因では?と思ってしまいます。色とりどりの花束より、一色でまとめた花束の方が私は好きです。
2004年03月15日
口のまわりの筋肉の動きを読み取って自動的に音声化したり、文字にしたりするシステムが開発されているという記事を読みました。声を出せない場所で「通話」するのに使うらしい。口の動きで相手が何を言っているかを読み取る方法は、現在ろう学校で取り入れているものです。耳の聞こえない子供たちは、先生の口の動きを読み取ってコミュニケーションしています。ただ日本語の同音異義語(雨と飴)や口の形が似ている(たまごとたばこ)などきちんと区別できるまで開発が進めば、聞こえない人にとっても便利なものですね。ろう学校の先生がこれを使って指導すれば、生徒は文字を見ればいいのですから。問題はその日本語をいかに聞こえない子供に習得させるかです。やはり音声が入らない子供には手話を使いながら、日本語を習得していく方が早く、楽だと思いますが。
2004年03月13日
乳児期の精神分析の専門家の実験です。サルの赤ちゃんに授乳する母親を布と針金で模型を作り、実験しました。模型の母サルの胸に哺乳瓶をくっつけて。母親に寄り添っている時間を授乳時間以外ではかったら、布製の母親にくっついている時間の方が圧倒的に多かったと書いてありました。熊のおもちゃで驚かすと、ほとんどが布製の母親に逃げ込んだとのこと。「赤ちゃんは触ってもらうことを本能的に求めている証しであり、優しく触ってもらいたいのです」とあった。赤ちゃんへのスキンシップの大切さと触ることによるお母さんの心の落ち着きを書いてありました。それにしても研究者は「針金のお母さん」なんてかなり残酷な発想で実験するのですね。赤ちゃんはやわらかいタッチも好きですが、丸みのある顔も好きだそうです。目を吊り上げたりせず、目も口元も顔も丸くなるように笑顔で接しましょう。
2004年03月12日
昨日の続きの斉藤孝氏の本からです。赤ちゃんの時、触れられて育つということは大切だとは分っていても、それは何故必要なのか、どんな効果があるのかと考えてしまいます。「親から切り離されて育った子は、触れる感覚を知らないために、精神的に不安定になり易い」また「赤ちゃんがずっと触れられているという感覚は、心に安心感と優しさを生んでいた。キレない子供の土台はこういったところにあったかも知れない」と書いてあります。現在女性の社会進出が増え、必ずしも赤ちゃんは両親と一日一緒ではなくなっています。この場合は保育の方々に、気をつけてもらうのか、それとも時間は短くてもかまわないから、両親が・・なのかは、答えがありませんでした。ただこの安心感を得るのは、触れられている赤ちゃんだけでなく、触れている人にも得ることができるそうです。赤ちゃんを寝かせようと添い寝して赤ちゃんをさすっているうちにお母さんが眠ってしまうのは、このことでしょうか?
2004年03月11日
生後1ヶ月の赤ちゃんが泣き止まないからと父親が殴って、死亡させたという記事が一昨日ありました。一ヶ月の赤ちゃんが泣くのは、自分で身体を動かすことがまだ出来ないため、泣くことで身体を鍛える体操みたいなものです。そんなことを知らない人が親になっているのかと思うと、赤ちゃんが可哀想でなりません。タイトルの方法は「お母さんが赤ちゃんの息に同調させること」だそうです。(斉藤孝著「呼吸入門」より)泣いている赤ちゃんの背中や胸に手をおくと、赤ちゃんの呼吸がわかります。赤ちゃんが吸う時は自分も吸う、吐く時は自分も吐いて、最初は赤ちゃんの呼吸に合わせます。しばらくすると、呼吸のリズムが共有されます。その後は、お母さんがリードします。ゆったりとした深い呼吸にしていくと、赤ちゃんも同じ呼吸になり、泣き止み、時には眠っていきます。「人は自分の呼吸が他と共有された時に心が安らぎます」と書いてありました。最も基本で最も大切なコミュニケーションですね。是非試してみてください。
2004年03月10日
ある小学校の先生が、理科の実験を工夫して、子供が理科を好きになるように努力しているとの報道を今朝見ました。こんな当たり前のことを努力しない先生が居るのでしょうか?居るとニュースになる世の中なのでしょうか。子供に限らず大人でも好きなこと、興味があることには努力を惜しまないものです。企業は1円でも多く収益が上がるように努力、工夫し、その収めた税金を、議員も警察も1円でも多く自分のために使う努力、工夫しているのが今の日本です。子供には理数より、もっとうまく世の中を生きる方法を教えてくださいと言いたくなる昨今です。先生方、生徒にどんな花束を選びますか?
2004年03月08日
これは外山滋比古氏の新しい本の題名です。こんなことばを見ると内容が気になってしまいます。そして、子育て中の親は不安になるのではないでしょうか。今、日本語というより、ことばの大切さが言われています。そして言葉を使ったコミュニケーションの大切さも。「言葉はコミュニケーションの道具」であるのですが、同時に「認識、思考の道具」でもあります。私は手話も出来ますが考える時は日本語です。日本語の方が第一言語で、手話より豊かなのです。英語で考える人も居るでしょうし、聞こえない人の中には手話で考える人もいます。この「認識、思考の道具」である言葉が沢山あると、このレベルも高いことは、実感しています。しかし実感したのは手話に関わってからで、自分の子育ての時は知りませんでした。というより考えたことも無かったのです。今子育て中の方は、ぜひ「認識、思考の道具」となる第一言語を豊かにしてあげてください。
2004年03月07日
子供のための計算などのドリル学習の会社が、今度脳を鍛える大人の計算ドリルと音読ドリルを売り出し、90万部売れているという。前頭葉を鍛えてボケ防止らしい。否、脳の退化防止でしょうか。90万人の高齢者がドリルを前にがんばっている図を想像したら、怖くなってきました。また、日本ってまだまだ平和だなと納得。子供が小さい頃我が家もこのドリル学習をさせていた。しかしある程度進んだとき、子供が文章問題を解くとき、考えもせず、ひたすら数字をたしたり、掛けたりしていて、これを続けると考えない子になる恐れありとみて、すぐにやめさせました。もちろん良い成果のあった人もいると思いますが、私の周りには同じように考えた親が結構いました。是非今、子供にやらしていることが本当に子供にとって効果があるかどうか、親はいつもチェックする必要があります。
2004年03月05日
聴覚障害者ボランティアに関わって長い私には、今日はおひな祭りであるけれど、耳の日の方が最近は印象が強くなっています。この日の新聞には必ず補聴器の会社が広告をだしていますよ。いつも耳の大切さを感じてはいますが、さて耳を大事にするということは、どうすることなのか?と考えてしまいます。目を大事にする方法は、いっぱい言われていますが、耳の方は、あまり聞いたことがありませんね。でもケレン・ケラー女史は「耳と目とどちらか障害がなくなるとしたら?」との問いに「見えるより、聞こえるようになりたい」といわれたのです。そして「見えないことは物を遠ざける。聞こえないことは人を遠ざける」と言われました。耳を大事にするために気をつけることを考えてみる日にしましょう。
2004年03月03日
確定申告に行ってきました。昨日申告書を書くためにマニュアルと格闘しました。毎年同じことなのですが、一年に一回のことでまた忘れていることが多いのです。「タッチパネル」という言葉を聞いていましたが、最初から自分で入れていくものと思って、間違っては後ろの人に迷惑だしと思い、例年のように手書きしたものを持って行きました。ところがこの「タッチパネル」は私が勝手に想像していたものとは大違い。収入などの数字を記入して持っていけば、税務署の人が、全てやってくれて、計算は入力してあるソフトで瞬時に出てきて、申告書にプリントしてくれるのです。昨日の悪戦苦闘はなんだったのか・・・税務署の人に聞いてみました「こんな方法で、できることを説明書のどこかに明記してあったのですか?」答えは「ない」 きっと書いてあれば自分で計算しないで、みんな持っていくだろうから、税務署の人は大変、だから書かないのだと納得。お役所と市民の間のコミュニケーションっていつもこんなのですね。昨日の疲れがどっと出てきました。
2004年03月02日
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