Horse Rainbow 09


Horse Rainbow Vol.09 
「Forever Jun-ichiro~岡潤一郎物語~
あれから10年 あの日止まった時計が また動き出す」



2003年2月14日の東京中日スポーツの競馬面に、こんな記事が書いてあるのを見ました。
「岡潤一郎騎手の墓前に後継者 川島信二騎手の報告を・・・」
そんな新聞記事を見ながら、10年以上前、中学・高校生のよしきが見ていた競馬。
そこには、ある1人のジョッキーがいました。
その騎手は、「ジュンペー」といわれ、慕われていた若手騎手。
そう、今回の物語は、よしきが一番好きな騎手を取り上げます。
ちなみに、今でも競馬の騎手のゲームがあると、必ずこの騎手の名前をつけることにしてます。
その騎手の名前は、「岡潤一郎」。


岡潤一郎騎手は、昭和43年12月7日、北海道に生まれました。
北海道出身とはいっても、全然馬関係ではなかったらしいです。
でも、そのジュンペー(ニックネーム)が騎手になったのは、何かの願いがあったからなのだろうか。
さて、騎手デビューしたのが昭和63年。
確か、千田騎手や岸騎手が同期のはずだ。
この年、新人賞を獲得。(確か、44勝したはずである)
で、2年目のジュンペーには、とてつもない記録が待っていた。
今でも破られていない記録だ。
「5連続騎乗・5連続勝利」
確か、平成元年6月18日。
ジュンペーは札幌競馬の4~8Rを全部勝ってしまったのだ。
昨年、武豊騎手が5連続騎乗・5連続勝利のタイ記録を作ったが、6連続の新記録は達成できなかった。
そんなジュンペーが初めて重賞を勝ったのが、平成2年。
ユートジョージでのNHK杯(GⅡ)だった。
あ、補足説明。
昔は、NHK杯は、ダービートライアルとして行われてました。
しかし、ここで勝つと、ダービーでは連対できないというジンクスがあったのは、有名な話です。
そして、この年、ノーザンドライバーでデイリー杯3歳Sも快勝。
なかなか、関西若手のホープとして、全国で騒がれ出した頃でした。

ただ、この年、平成2年はジュンペーにとって、初めて超一流馬に乗った時でもありました。
そう、宝塚記念のオグリキャップへの騎乗。
最近は、過去10年のデータにも乗ってこなくなったので、覚えてない人も多いでしょうが。
確か、2着でした。1着は丸山騎手鞍上のオサイチジョージ。
この時、「岡部ならなぁ。絶対勝ってた。」
っていう、マスコミの悲しい袋叩きに逢ったのが印象でした。
でも、よしきは、そんなジュンペーを応援するために、こんな事を言ってました。
「多分、ジュンペーは来年GⅠを勝つよ!」

そう、その言葉が現実となったのが、平成4年。
あの、リンデンリリーでのエリザベス女王杯制覇でした。
この時は、正直言って嬉しかった。
あまり騎手を追っかけることがなかったよしきにとって、初めての経験だったかな。
ちなみに、平成4年には、ヤングジョッキーズS(今はもうないですが)を制覇。
弥生賞の時に、WSJSの若手版みたいにやってたんです。昔は。

そして、24にもなり、そろそろ一流ジョッキーへの階段を登り始めた途端、悪夢が起こりました。
そう、平成5年1月30日。確か、京都7R。
サンテレビで、岡騎手落馬という話だけは知っていたよしき。
ただ、実際にレースを見た時、こんな一言を言ってたそうです。
「おいおい!頭踏まれてるやん!」
そう、この落馬で、岡潤一郎騎手は、同じ年の2月16日、ターフの永遠の星として、亡くなられました。
この時は、正直言って、新聞での扱いが凄かった。
関西では、ずっとこの記事が1面を飾っていた時もありました。
だからこそ、今でも記憶に残っている騎手の1人なんだって思ってます。
もちろん、一番好きな騎手なんですけどね。


あれから8年。
新規騎手の依頼を断り続けてきた安藤正敏調教師の厩舎に、1人の新人騎手が入ってきました。
その名前は、川島信二騎手。
その川島騎手が、岡騎手の形見のステッキを手に、デビュー週に初勝利を挙げました。
誰もが無理だと思った後方待機から、一気の末脚で。
この日以降、川島騎手が競馬場に行く時は、必ずこの岡騎手のステッキを持って行くそうです。

で、川島騎手にとって3年目の冬の小倉。
平成15年2月9日。小倉大賞典(GⅢ)。
マイネルブラウに騎乗した川島騎手は、4コーナーで先頭に立ち、そのまま押し切って初重賞制覇を達成しました。


(ここからは、東京中日スポーツの新聞記事になります)
「感極まって声が出なかったよ。」
先週の小倉大賞典で、川島騎手の初重賞制覇を見た安藤調教師は笑顔を見せながら、こう話しました。
「川島が重賞を、それも自分のところの馬で勝ってくれた事が、ホントに嬉しかったよ。」
手塩にかけて育てた騎手、岡騎手が落馬事故によって他界してから、今月16日でちょうど10年になります。
思えば、岡騎手の初重賞制覇も、安藤調教師の所属馬、ユートジョージでした。
「あの子の意思を継げる乗り役を育てるのが、あの子への一番の供養」
と、安藤調教師は2001年に川島騎手を預かりました。
クラブ活動で鍛えた下半身、並外れた持久力に素直な性格。
何もかも”あの子”岡騎手に似ていたのです。
「川島も、あの子のビデオを繰り返して見てるせいか、最近は騎乗フォームまで似てきたね。
時々、生まれ変わりじゃないかって思うくらいで。」
と、目を丸くする安藤調教師。
「この重賞勝ちで自信がついたはずだから、これからが楽しみだよ。
偉大な先輩に追いつけ、追い越せだよ。」と、相好を崩す。
(以上、ここまでが新聞記事です)


2003年2月15日の中山、バレンタインS。
岡騎手と同期の菊澤隆徳騎手の手綱で、安藤調教師の所属馬、オースミエルストが出走します。
安藤調教師は、オースミエルストに関して、こんなコメントをしてました。
「今回は、川島が京都で乗るので菊澤隆徳君にお願いすることにした。
でも、次からは川島に乗ってもらうよ。
ここを勝って、阪急杯(GⅢ)・高松宮記念(GⅠ)と一気にいきたいね。」
そう、師弟コンビでGⅠを制覇して、立派な後継者ができた事を墓前に報告したい。
それが、ジュンペーが一番喜ぶことですからね。


なお、今回の物語はFLASH映像でも見ることが出来るみたいです。
前編 後編   となってます。
正直言って、この映像を見て、よしきはホントに大泣きしました。
競馬を全く知らない人でも、きっといい物語だと思えると思います。
是非、見てくださいね。


© Rakuten Group, Inc.
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: