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私は小中学生のころ、毎年夏休みと冬休みは兵庫にあるこの祖母の家で過ごしていた。
東京で共働きだった私の両親にとっては、学校が休みの間、子どもを見ていられないので田舎に預かってもらっていただけかもしれない。
ただ、私にとっては東京や親元を離れた田舎での日々は、毎年の楽しみそのものであった。
いつも「よ~きた、よ~きた」「おおきゅうなったな~」と目を細めて迎えてくれ、日に何度も「おかげさんで」「ありがたいこっちゃ」と手を合わせていた祖母。
先月、享年97歳、子や孫に見守られての大往生だったという。
年明けには祖母の家は取り壊されるというので、見納めにと、家の中を見させてもらった。
蚊帳をつるして姉と寝ていた仏間、入るのが怖かった「ボットン便所」、みんなで餅つきをしていた裏庭、採れたての夏野菜を食べて甲子園を見ていた居間、来るたびに背の高さを刻んできた柱などなど。
今は使われなくなり物置のようになっている一つ一つの空間に、かけがえのない思い出が詰まっていた。
こんなにも小さく狭い空間の中で、あんなにも鮮やかで生き生きとした時間が生まれていたのかと、驚いた。
私にとっての田舎の原体験、大げさにいえば、私にとっての日本の原風景はここにあったのではないかとさえ感じられた。
東京で生まれ育っても都会よりもなぜか田舎が好きで、東京を離れ山陰で暮らしているのも、中高生世代の地域留学や地域体験などに取り組んでいるのも、幼少期の田舎での体験が影響しているのではないかと思う。
今、東京では夏休みなどを祖父母の田舎で過ごす子どもが減ってきているという。
自分にとっての「いなか」を持てなくなった都会の子どもたちに、田舎で過ごす機会をもっと増やす取り組みを行ってもよいのではないか。
長い夏休みの間、学童保育や都会の狭い建物の中に長時間子どもを預けておくよりも、田舎が子どもたちを預かり、子どもたちがのびのびと過ごせるようにするほうが、子どもだけでなく、喜ぶ親も多いのではないだろうか。
実際、私たちが今年始めた都会の中学生を対象にした夏休みの地域体験企画には、興味関心があるという親子1200人以上が登録し、全ての回が満員。参加したくても参加できないという状態になっている。
こうした都市と田舎の越境や交流を進めていくことは、子どもの教育という文脈にとどまらず、地方創生や子育て支援、少子化対策にもつながりうる。
都会と田舎の固定化された二項対立は、お互いにとって苦しい共倒れの未来に向かっていくだろう。
もっと柔軟に往来可能な仕組みをつくり、都会と田舎それぞれの良さを生かし、ないものを補い合い、「おかげさま」「ありがたい」と 思い合える未来を、次世代につないでいきたい。