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2022.01.03
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テーマ: 読書(8628)
カテゴリ: 本日読了
2021/12/31/金曜日/寒く風花舞う日

〈DATA〉
里文出版/益井邦夫
1992年5月25日

〈私的読書メーター〉
〈隅田川沿い長命寺裏の案内板。それにある洒脱な都鳥デザインは三浦乾也作。陶工でありながら長崎研修わずか半年で得た知識で日本初の蒸気船を仙台藩下造船。江戸湾まで航海、船長も彼自身という。黒船を見て蒸気の仕組みに気づき独学でモデル作りするなど開明奇才の人物だ。幕府に海防造船を建じ得たのも乾也とその養父が一流の陶工で将軍前立ての腕があった事が大と思う。本書は乾也を中心に鎖国から開国へ至る日本美術の血脈を風雲急を告げる時代背景の中、足で得た資料を元に描き、乾也の反骨風狂振りが克明。黒船や遊女も愛した乾也玉。〉

乾也は薩長を嫌ったという。まあ代々幕府御家人の倅で銀座生まれであるのだから左様だ。江戸っ子に田舎侍は嫌われ会津藩士は同情含めて愛された。そんな所以の輪王寺宮の反錦の御旗なのだろう。

さて乾也の父親清七は笛の名手で舞台に出、芸名構えていたようだから、侍とはいえ扶持薄くもっぱら芸能活動で糊口を凌ぐ有様、乾也は生まれてすぐ里子に出されている。或いは母の産後の肥立ちが思わしくなかったか。

そんな乾也を清七の実姉夫婦が引き取り、乾也は江戸に暮らす。養父井田吉六は陶工として初めて将軍家斉の柳営で席焼を行った名工だ。その手ほどきを12歳で受け、15歳で生涯の師、五世乾山西村ニュウアンと出会う。



若き改革者、老中阿部正弘がもう少し長生きすれば、乾也の力量はその後の幕府の運命さえ左右したかもしれない、日本人による初めての蒸気船造船を成したのだ。

その後もこの国は乾也を用いるには余りにも保守的泥縄的近視眼的だった。時代がこれだけの人材を用意しながら残念なことだ。弟子や養子に慕われながらもその才は明治22年68歳で閉じた。

乾也は蒸気船ばかりか国産の碍子一号を工場生産させ、当時国産が無く大変高価な煉瓦を自前で作り、ガス燈の必要性を訴え、 復活させた 伝統窯も多々である。殖産によって富国強兵を成し遂げ、進んだ文化を取り入れつつ幕末から明治へ、日本を対等な独立国とすべく乾也は東奔西走した。

江戸っ子らしい短気直情と諧謔、弱い者への温かい思い遣り。乾也の焼いた言問団子の都鳥の絵や乾也玉のアクセサリーに、私はその性質を見るのである。





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最終更新日  2022.01.04 09:17:35
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