のぞたんにっき

のぞたんにっき

とても感動した作文


 ある日の市の広報にのっていた作文。
何気なく読んでいくうちに思わず引き込まれ、涙がとまりませんでした。
とっても感動しました。
 さっそく市の教育委員会に連絡をとり、教育委員会経由で中学校の担任の先生、
ご本人、そしてお母様に許可をいただき、ここに掲載させていただきました。
 ぜひ、ひとりでも多くの人にこの作文を読んでいただけたらなぁと思います。
                                                  ゆかぽん

          「僕と弟」

                             富士中学校3年 石田 周平さん


 僕の弟は今年、中学校に入学した。僕の弟は先天性の重度の自閉症である。
本で調べてみると、「自閉症児は、周囲に対して無関心であり、同年齢の子供はもとより、
親をはじめ人とのコミュニケーションが困難である。また、常同的で反復的な異常行為を示し、
言語面ではオウム返しのことば等が特徴である。
その半面、自分が興味をもった対象にはことのいかんを問わずに固執したり熱中する。
脳機能障害、特に認知機能障害を基盤にもち、コミュニケーションの障害を主とする
発達障害と考えられている」というようなことが書かれている。確かに、そのとおりだっ
たが、弟を表す言葉としては、もの足りない。さらにひとこと付け加えなければならない。
「とてもかわいい」と。

 今年の前半、弟は一時的にブームに乗った。テレビドラマ「光とともに」がヒットした
からだ。ただ、僕はあまりこのドラマを見なかった。何か弟と関わるヒントがあるかもし
れないから見ようと思い、何度かチャンネルを合わせたのだが、自閉症児役の子供が不自
然で、「?」という気持ちが我慢できなかったし、ちょうどたまたま見たときに、母親役の
人が、
「この子は世間にお世話にならなければ、一人では生きて行けない子なんです。だから
私は出来る限り長生きをしなければいけないんです」
と言っていたので、その後すっかり見る気がなくなってしまった。弟もこれから先、どれ
くらい成長するか分からない。もしかしたら(いや多分)、一生ひとりで何もできないに等
しいままかもしれない。だが、「だから親が長生きして、一生めんどうをみなければいけな
い」というのは僕にはとても納得できない。それは障害児を「生んでしまった」罰なのか?

なぜこの母親はそんなふうに、人ひとりの全人生を自分で背負っていこうとしているん
だろう。だれも他の人の代わりにはなれないのと同じで、ほかの人の人生の責任を
背負うことはできない。たとえそれが母親でも。「障害児だからと思ってナメてるんと
ちがうか、この母親」とさえ思ってしまったセリフだった。

 弟にはほかの人には絶対にマネできない特技がある。それはたとえば「僕をとても幸せ
な気分にしてくれる」ということだったりする。いやなことがあった時でも、弟の笑顔に
出会うと、僕も自然に笑顔になってしまう。僕が宿題の提出期限が迫ってあせっていても、
弟はかまわず僕をTVゲームに誘う。ムカついて、つい怒ってしまっても、弟は何が悪いの
か分からなくてぼう然としている。それでも弟は僕を嫌いにならない。ほんとうは宿題な
んかより、一緒に遊びたいんだよ。

 「光とともに」の母親が何を望んでいるのか、僕にはわかる気がする。あの人は、スタ
ンダードな子供を生みたかったんだと思う。光が自分の望んだ通りに生まれなかったから
なんとか近づけようと悪戦苦闘してしまったのだろう。その姿は、音楽の才能がない子供
を優秀なピアニストにしようとして、有名な先生を訪ね歩く母親のようだ。子供をピアニ
ストにしようとする母親は、非難されたり笑われたりするだろうに、光をスタンダードな
子供にしようとする母親は、なぜドラマを見たみんなに応援されたのだろう。僕の母は、
僕をピアニストにしようとも、弟をスタンダードにしようともしなかった。だから僕たち
はとても助かった。時々は僕に英語の問題集をさせようとするし、TVゲームをしたがる弟
を買い物に連れて行くが、それは許容範囲内だろう。

 誰もが特長をもっていて、それは最大限に認められ、ほめられるべきだ。弟が独特の
性格でも、ほかのものにすりかえようしてはいけないと思う。もちろん、弟は日々、こつ
こつと努力を重ねさせられ、徐々にではあるがコミュニケーション能力もつき、お気に入
りの友達ができるほどに、周囲に関心がもてるようになった。だが人格は変わってはいな
い。僕は一度も「弟がほかの子だったらいいのに」と思ったことがない。
一緒に野球ができなくても、テレビを見て笑い合えなくても、別にかまわない。障害児教
室にいるのが僕の弟だということを確認しに来る人もいるが、恥ずかしいとは思わない。
というか、「かわいいな」と言ってくれる人のほうが多いので、ちょっとうれしい。

 いつか、僕も弟も大人になる。「かわいい」だけではすまされない時が、弟に訪れたとき、
僕がどんな気持ちになるのか、今の僕には想像できない。その時が来ても、弟はきっと
僕を好きでいてくれる。それだけは断言できる。そして、それは僕にとって何よりの宝
になるに違いない。

(第24回全国中学生人権作文コンテスト兵庫県大会最優秀賞)


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