NO29. 欠けていること・補うこと



どんなことでも選ばれるということは喜ぶべきことですが、
娘の場合「人前で何かを発表する」とか「自分を主張する」ということで選ばれたという事実に、親の私としては格別の思いがありました。


私は娘が保育園の頃の姿を思い返すと、今でも何だか胸が痛みます。
私の言いつけを守って、甘ったれないきちんとした子だったけれど、
石のようにかたくなで、よそではほとんどしゃべらない子でした。
保育園の3年間、先生はほとんど娘の声を聞いたことがなく、なかなかあいさつもできなくて、
朝登園して先生に会う時間は私にとっても緊張するつらい時間でした。

家では普通にしゃべってはいたけれど、何か緊張する場面があると貝のようになってしまって、自分から殻を開いてくれるまでにずいぶん時間がかかりました。
実家の家族や近所の人たちにもなかなかしゃべらず、心の病気じゃないかと真剣に姉に相談したこともあります。


小学校に入ってから1年1年少しずつ自分を開いて明るくなっていったのですが、
いまだに「もうちょっと愛想よくしたら…」ということはたくさんあります。


でも、この13年間娘を見てきて、
私の中にはこの子はゆっくりゆっくり進んでいくけれど、基本的に安定したバランス感覚のある子だ、という信頼感がうまれてきています。

特別すばらしいことやひいでたことがなくても、
十分に生活を楽しむことができる娘に、私は一人の人として魅力を感じるのです。

今の娘もあの頃の娘も、同じ一人の人間で、
今の明るさや伸びやかさはあの頃も娘のどこかに眠っていたのでしょう。
その自分が自分として本当に花開くのには多かれ少なかれ時間がかかるのだと思います。

どんな花が咲くのかもわからないのに、その時が来るのを手をこまねいて待っているということは親にはとても難しいものです。

でも、娘の貝のふたが決してこじ開けられなかったように、
子どもの中で「その時」が来ないと花は開かないということ。
そしてどんな花かはわからないけれど、その子なりに花開く時はきっと来る、ということを私は信じています。  

そして今の娘の何よりの強みは自分をよく知っていること。
自分のペース、自分の好み、自分の限界…。
それは幸か不幸か娘が自分を出していくのにとても時間がかかったから、十分に知ることのできたことだと思うのです。


実はこの「私の主張大会」には息子も学校から選ばれて審査にあがっていたのです。
息子は人より秀でていたい、立派でありたいという思いの強い人で、
清書をしながら “自分はぜひ選ばれたい。どんな風に書いたら選ばれるだろうか” と言っていたのです。

私はどんな作品が選ばれやすいか、正直に情報をあげました。
結果的に、絶対選ばれたくないと言っていた娘は選ばれ、選ばれたかった息子は選に漏れました。
でも私は、あのカッコマンの息子が“僕は選ばれたい!”と正直に言ったこと。選ばれなかったにもかかわらず、一緒に娘の発表を聞きに言ったことがとてもうれしかった。
全く違う二人だけれど、それぞれが自分のことを知っていて、自分らしい花を咲かせようとすること、それを私は心から応援したいと思っています。


私は当日初めて娘の文章を聞いたのですが、
あの子らしい説教がましくない内容を、あの子らしく淡々と地味に発表していました。
晴れがましい場でどんな顔をしていいかわからず、怒ったような顔をしていた娘のことが、
またいつか懐かしい思い出話となるのでしょうね。


何だかただの親ばか話のようで失礼しました。
 おあとがよろしいようで…。


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