私の目標達成体験談(受験編)


 ここで僕が自分の経験を話すのは自分の浪人時代を振り返ると偶然にも目標(志望校)を周りに公言し脳に刻み込んで目標を達成するという方法をとっていたからです。
 私の高校時代の偏差値は総合で40前半だったと思います。私の高校少し特殊な学校で受験教育はほぼ皆無でした。
例えばミッション系の学校だったので「聖書の時間が英語の授業すうより多い」「労働作業(農業とか)が英語の授業すうより多い」という学校でした。
 こんな環境では大学にいくのはやはり難しく4年生の大学に進学するものは全体の2割程度、推薦入試でまずまずの大学に入る人はいましたが一般入試でレベルの高い大学に入れる生徒は現役では僕の知る限りいませんでした。
 私も当然ご多分に漏れず現役では全敗。浪人が決定した訳です。ここまでは別に予想通りで「浪人して頑張れば良い大学に入れるかも」、くらいに思ってたのですがここで 予想外 のことが起こりました。
母親が私の浪人に反対したのです! 母親は僕にアメリカの大学に留学させたがっていました。詳しい理由はここでは関係ないので省きますが母親は 予備校の費用を払うことを拒否し、大学も早、慶、上智のいずれかしか許可しない 、ということを通告してきました。
 当時の私の偏差値を考えると30近い開きがあります。予備校にも行かせてもらえません。最初は正直厳しいな、と思いましたが。しばらくすると逆に 「自宅浪人でで早稲田、慶応に受かったら東京に出て行って予備校に通って合格するよりもすごいな」 という想いが湧いてきました。

 母親は相変わらず非協力的で「絶対受かるわけがない」とか「無駄だから止めろ」的なことを言っていましたが そのつど私は「絶対受かる」、「絶対3つのうちのどこかに合格してみせる」と言い続け、自分のクラスメートにも「自分は予備校には行かせてもらえないけど早、慶、上智のどこかに受かって見せる」ということを公言し勝手に悲劇のヒーローを気取ってました。」

 はっきり言って模試の成績を見る限りでは僕の合格可能性は低かったと思います。模試が帰ってくるたびに母親と 「これでは無理!」「いや、模試と本番は違う!絶対受かる」 という言い争いを続けていました。

 自分としては英語と社会は合格ラインに近いと踏んでいました(センター模試などではかなり良い点もとっていた)。ただ過去問はまずまず解けていたのですがそ早、慶模試とかになると今ひとつの結果しか出ていませんでした。問題は古文と漢文でした。実は僕は高校でもまともに古文を習ったことがなかったので(受験レベルで)これがネックでした。

 結局勝負は英語と社会で古文、漢文の分を補えるかどうかでした。客観的に見ると厳しかったと思うのですが自分では「どこかに受かる」という自信はありました。結局学部の併願などをして1勝9敗(補欠失格1校含む)でした。実力的にはやはり自分はレベルに達していなかったかもしれません。しかし受験は運も実力のうちなのです。と言うのも私が合格した時のテストはネックの古文が現代文、古文の融合問題と言ってそれ程古文の知識がなくても解ける問題だったのです。とは言え 「絶対に受かる!」という強い気持ちがなければ受かることはなかったんじゃないかと思います。」

 ちなみに私は1勝しかしませんでしたがこの1勝は最初に受けた大学で2校目以降は少しモチベーションが下がっていたとは思います。未練がましい気がしますが実は補欠で落ちたところが本命で後は特にどこでも良かったんですよ(言い訳)。

 この中では母親がちょっと私の本意ではない形で描かれていますが(事実だけど)母親の反対がなければ自分は受からなかったかもしれないと思っています。母親が反対したから自分のなかで「受かりたい!」という気持ちが芽生え結果的に頑張ったのだと思います(だからと言って母親がそれを見越して反対したというのはないと思うけど)。




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