国分寺で太宰を読む会

国分寺で太宰を読む会

東郷克美 「津軽」2



それは、中心という考え方と、周縁という考え方だ。

中心周縁理論だ。

我々を取り囲んでいる空間を創造していただければ良いと思うのだが

中心といえば 町でいえばお城があるところが中心。

その周りに 周縁部分がある。たとえば、城下町を創造してもらうと(東京でもいいのだが)

そこには、権力があり、文化があり、秩序がある。

そこは、整理されていて得体のしれないものはない。

ところが、周縁に行くと 遊郭があったり、お寺、墓地、芝居小屋がある

中心の秩序文化と反対のもの、そういうものは大体周縁部分に追いやられる。

それを文化人類学の中心周縁理論というのだが。

得体の知れない混沌、カオス的な世界がある。

東京でいうと差別的になるかもしれないが、川向うには吉原があったり、芝居小屋があったり

文化人類学は、この周縁を高く評価する。

中央は、いつも物事を固定化、硬直化するが周縁は、そのような制度や秩序にとらわれないので、こここには河原乞食もいたり。

中心は、その周縁のエネルギーによって変わってゆく。

太宰は 今までは、中心思考、東京思考ということだったのだが、今度の旅は、「東京」という中心的な世界から、「津軽」という周縁的な世界に旅立った。

そういう旅で、周縁の旅で、自分の出自を発見した。

さらに、今度は津軽をみると

彼の生まれたところの、金木は中心であり、彼は、この金木と弘前と青森と浅虫、大鰐温泉しか知らなかった。

そこで中心理論をあてはめてゆくと、この「津軽」の旅というのは、「東京」という中心から「津軽」という周縁、辺境への旅である。「津軽」の旅は、今までは、金木、兄を中心にしていたが、今回、初めて蟹田という辺境の地へと向かう。

ここを通って三厩、龍飛へゆく、そのあと金木に行くが、どうも金木はしっくりゆかない。

小泊が終点であるのだが。






結論を先に言う。

この「津軽」の旅も、今までのような「中心」への旅ではなく

今度 初めて津軽の「周縁」を廻ったのだ。

最期は、遡って、十三湖、小泊でタケさんに再開してクライマックスになる。

要するに、「津軽の旅」で、東京という「中心」から「周縁」への旅をした。

蟹田でまっさきにNさんに会い、龍飛という「果て」に行く 旅から始めた。

この旅も「周縁的な世界」の発見なのだ。

人間を周縁的な世界に例えれば、無名の津軽の人たち、つまりは、周縁的な人間に会う。

そして、これが自分の『育ちの本質』だということを発見する。

最後にタケさんにあい、この人が、自分の育ての親なのである。

そうか、だから自分には、こんなガサツな所があるんだ、という自己発見をする。

「津軽」は、そういう旅だった、と私は考えている。

蟹田での面白いところは、彼は行く先々で必ず飲み会をする。

この「宴」は、「祭り」と同じだと言える。

「祭り」というのは、何か?と言うと、日常的なものをぶっ壊すものだ。

日常的な労働とかそのようなものを、バーンとぶっ壊すことだ。

社会的秩序も、年齢的な秩序もないような場所で、そして暴れまくる。

それは、つまり「周縁的」なものと似ている。

彼は、至るところでこの「宴」をやるのだ。

蟹田でSさんのところに行っても

そして、彼は、終始津軽の「オズカス」として接した。

意識して純粋な津軽弁を使うように努めた。

しかし、これは、小説では標準語で書かれている。

これが、この小説の問題点なのでもあるが。

要するに、標準語と方言を比較すると、これは中心周縁とも関係してくるが

標準語はいわば、中心で作られた言語で、方言というのは周縁の言語で

まさに母語なのである。

津軽弁で書いても分からない部分、Sさんが言う部分もある。

これを 実際に、先日の弘前大の講義で 学生に「読んでみてくれ。」と言ったところ、それは急には出来ないといわれ

「雀こ」を やってもらったら、これが、ほとんどフランス語のようであった。

さて、このSさんが、「それ!シュベルトをやれ!」とか

立て続けにサービスしようとする、ここには洗練された客の接待なんかはない。

疾風怒涛のごとくの接待だ、といっている、こういう愛情の表現は、関東関西では暴力的に思われる。

このSさんを見て、「津軽人の宿命」を感じる、そして最後のタケさんのところで

非常に無愛想な出会いがある。

純粋な津軽人だから、このようなことになる。

これは、あとで問題にする。

途中から 自然描写が変わってくるところがある。

二時間ぐらい歩いてから、急に風景が変わってくるところがある。

それは、もはや、風景ではない。

点景人物の存在を許さない、京都や奈良のような人間によって出来あがった風景ではない。

ここを通過することによって、制度的なものが解体させられるようなそんなものがある。

これは、あと十三湖の辺りでもある。

ここにも、人間の存在を許さない荒涼としていた風景がある。

そこを通過して、また「宴」をやる。

さらに、美しい少女にも出会う。

芦野公園で切符を切ってもらう少女、あとタケサンの娘にあう。

可憐な少女に出会う。

津軽平野では、お兄さんに会いに帰ってくる。

しかし、上品なピクニックをする。姪っ子の旦那さんにあう。

ここでは、文化的な話題をする。

修練農場で、アヤと話をする。

その時は、まるで、大家のおぼちゃまになる。

津軽富士の描写が、外側の先ほどまでの描写とは、全く違う。

「十二単衣の美女」とあるように、と表現までもが、中心的な形容になる。

お兄さんさんのいる前では、彼は思考も中心的になる。

西海岸をさかのぼり、、最後の目的のタケさんに会う。

ここで、自分が身につけた中心的なものを一旦解体する。

祭りは、運動会。

ここで、タケさんをやっと見つけて出会う。

不思議な安堵感を感じ、自分の解放された、心のわだかまり、ストレスから解放される。

言葉はいらない、人間が解放されたときには、本当に言葉はいらない、となる。

つまり 言葉のいらないユートピアを夢みるようになってゆく。

戦後のアナーキズムの自給自足を夢見て行くが、しかし、それが破られてゆく。

「冬の花火」であったり。

それらの作品は、ある「女人」に見守られているところが共通している。

「浦島さん」、「舌切雀」、「津軽」も。

ところが、戦後の太宰の作品は、その「女性」が、病み、怪我したり、死んでゆく世界が描かれてゆく。

「斜陽」でも母が死んでゆく。

「人間失格」の一番の問題点は、「母の死に絶えた世界」を書いている、ということだと、私は思う。






















以下 かけ足で東郷克美講座の完結編です。 



ここで 私は文化人類学的な枠組みを使いたいと思うのだが

それは、中心という考え方と、周縁という考え方だ。

中心周縁理論だ。

我々を取り囲んでいる空間を創造していただければ良いと思うのだが

中心といえば 町でいえばお城があるところが中心。

その周りに 周縁部分がある。たとえば、城下町を創造してもらうと(東京でもいいのだが)

そこには、権力があり、文化があり、秩序がある。

そこは、整理されていて得体のしれないものはない。

ところが、周縁に行くと 遊郭があったり、お寺、墓地、芝居小屋がある

中心の秩序文化と反対のもの、そういうものは大体周縁部分に追いやられる。

それを文化人類学の中心周縁理論というのだが。

得体の知れない混沌、カオス的な世界がある。

東京でいうと差別的になるかもしれないが、川向うには吉原があったり、芝居小屋があったり

文化人類学は、この周縁を高く評価する。

中央は、いつも物事を固定化、硬直化するが周縁は、そのような制度や秩序にとらわれないので、こここには河原乞食もいたり。

中心は、その周縁のエネルギーによって変わってゆく。

太宰は 今までは、中心思考、東京思考ということだったのだが、今度の旅は、「東京」という中心的な世界から、「津軽」という周縁的な世界に旅立った。

そういう旅で、周縁の旅で、自分の出自を発見した。

さらに、今度は津軽をみると

彼の生まれたところの、金木は中心であり、彼は、この金木と弘前と青森と浅虫、大鰐温泉しか知らなかった。

そこで中心理論をあてはめてゆくと、この「津軽」の旅というのは、「東京」という中心から「津軽」という周縁、辺境への旅である。「津軽」の旅は、今までは、金木、兄を中心にしていたが、今回、初めて蟹田という辺境の地へと向かう。

ここを通って三厩、龍飛へゆく、そのあと金木に行くが、どうも金木はしっくりゆかない。

小泊が終点であるのだが。






結論を先に言う。

この「津軽」の旅も、今までのような「中心」への旅ではなく

今度 初めて津軽の「周縁」を廻ったのだ。

最期は、遡って、十三湖、小泊でタケさんに再開してクライマックスになる。

要するに、「津軽の旅」で、東京という「中心」から「周縁」への旅をした。

蟹田でまっさきにNさんに会い、龍飛という「果て」に行く 旅から始めた。

この旅も「周縁的な世界」の発見なのだ。

人間を周縁的な世界に例えれば、無名の津軽の人たち、つまりは、周縁的な人間に会う。

そして、これが自分の『育ちの本質』だということを発見する。

最後にタケさんにあい、この人が、自分の育ての親なのである。

そうか、だから自分には、こんなガサツな所があるんだ、という自己発見をする。

「津軽」は、そういう旅だった、と私は考えている。

蟹田での面白いところは、彼は行く先々で必ず飲み会をする。

この「宴」は、「祭り」と同じだと言える。

「祭り」というのは、何か?と言うと、日常的なものをぶっ壊すものだ。

日常的な労働とかそのようなものを、バーンとぶっ壊すことだ。

社会的秩序も、年齢的な秩序もないような場所で、そして暴れまくる。

それは、つまり「周縁的」なものと似ている。

彼は、至るところでこの「宴」をやるのだ。

蟹田でSさんのところに行っても

そして、彼は、終始津軽の「オズカス」として接した。

意識して純粋な津軽弁を使うように努めた。

しかし、これは、小説では標準語で書かれている。

これが、この小説の問題点なのでもあるが。

要するに、標準語と方言を比較すると、これは中心周縁とも関係してくるが

標準語はいわば、中心で作られた言語で、方言というのは周縁の言語で

まさに母語なのである。

津軽弁で書いても分からない部分、Sさんが言う部分もある。

これを 実際に、先日の弘前大の講義で 学生に「読んでみてくれ。」と言ったところ、それは急には出来ないといわれ

「雀っ子」を やってもらったら、これが、ほとんどフランス語のようであった。

さて、このSさんが、「それ!シュベルトをやれ!」とか

立て続けにサービスしようとする、ここには洗練された客の接待なんかはない。

疾風怒涛のごとくの接待だ、といっている、こういう愛情の表現は、関東関西では暴力的に思われる。

このSさんを見て、「津軽人の宿命」を感じる、そして最後のタケさんのところで

非常に無愛想な出会いがある。

純粋な津軽人だから、このようなことになる。

これは、あとで問題にする。

途中から 自然描写が変わってくるところがある。

二時間ぐらい歩いてから、急に風景が変わってくるところがある。

それは、もはや、風景ではない。

点景人物の存在を許さない、京都や奈良のような人間によって出来あがった風景ではない。

ここを通過することによって、制度的なものが解体させられるようなそんなものがある。

これは、あと十三湖の辺りでもある。

ここにも、人間の存在を許さない荒涼としていた風景がある。

そこを通過して、また「宴」をやる。

さらに、美しい少女にも出会う。

芦野公園で切符を切ってもらう少女、あとタケサンの娘にあう。

可憐な少女に出会う。

津軽平野では、お兄さんに会いに帰ってくる。

しかし、上品なピクニックをする。姪っ子の旦那さんにあう。

ここでは、文化的な話題をする。

修練農場で、アヤと話をする。

その時は、まるで、大家のおぼちゃまになる。

津軽富士の描写が、外側の先ほどまでの描写とは、全く違う。

「十二単衣の美女」とあるように、と表現までもが、中心的な形容になる。

お兄さんさんのいる前では、彼は思考も中心的になる。

西海岸をさかのぼり、、最後の目的のタケさんに会う。

ここで、自分が身につけた中心的なものを一旦解体する。

祭りは、運動会。

ここで、タケさんをやっと見つけて出会う。

不思議な安堵感を感じ、自分の解放された、心のわだかまり、ストレスから解放される。

言葉はいらない、人間が解放されたときには、本当に言葉はいらない、となる。

つまり 言葉のいらないユートピアを夢みるようになってゆく。

戦後のアナーキズムの自給自足を夢見て行くが、しかし、それが破られてゆく。

「冬の花火」であったり。

それらの作品は、ある「女人」に見守られているところが共通している。

「浦島太郎」、「舌切り雀」、「津軽」も。

ところが、戦後の太宰の作品は、その「女性」が、病み、怪我したり、死んでゆく世界が描かれてゆく。

「斜陽」でも母が死んでゆく。

「人間失格」の一番の問題点は、「母の死に絶えた世界」を書いている、ということだと、私は思う。

























© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: