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今回は懺悔という価値観
ただし ワンコ編
話はさかのぼること数ヶ月。
先代犬がいましたが、今に思えば とても可哀想
な事をしました。
親ばか ramuまま ではなく、普通の ラムの飼い主 でした。
不思議に思った方いませんでした?どうして ramuまま
なのか?
そうなんです
先代犬の名前なのです。
今でも思い出すと涙が出てしまいますが、
そして、こうしてブログに載せている最中でも涙が止まりません。
でも、自分への反省と戒めのためにも
一度書いておこうと思いました。
そして、ワンコへの親ばかを
精一杯満喫出来る様に。
ワンコ大好きの方々には申し訳ないほどの話ですので、
お付き合いいただける方のみの閲覧でかまいません
ワンコの年表から
1996年 ポメラニアンの男の子誕生
後にジュンと名づけられて1歳すぎまで前飼い主に育てられました。
1997年 たまたまめぐり合いramuまま宅へ
そして夢が来る。で来夢(ラム)なんて名前負けになりそうな名前が
付けられ家族となりました。
2006年 不妊症に悩むブリーダーのプードルを預かります。
2007年 ラム他界
預かり犬、無事2度の出産
2008年 シルバープードルのエンピが家族になる。
本題へ
我が家へやって来たラムはけっして幸せでは無かったと思います。
そして生まれてきたこと自体も・・・。
飼い主の都合で飼い主が変わって、次の飼い主である我が家では、・・・
虐待とは言いませんが、
トイレの躾で、どれだけ叱られたか、そして叩かれることも。
前の飼い主さんがお庭での、躾がされていたため、
室内でのトイレが出来ませんでした。が
賃貸住まいだった我が家では、散歩か、室内でしか、用を足すことが出来ません。
仕方なくトイレシーツでの躾、開始です。でも1歳半にもなろうか、
という子に今更、です。
ゲージに入れておけば、トイレぎりぎりの見えないところへ・・・。
すごいんですよ、見えないところへ上手に・・・でも、臭うんです。
自由にすればあまり人の行かない部屋でうんP。
呆れるぐらい隙を見て。
やはり外で用を足すのは、快感?らしく玄関の土間もトイレになってしまって。
ある時期諦めて玄関にトイレを持って行った事も。
でも横でするんですね~。
イタチごっこで・・・叱られるから、隠す。
逆に言うととても賢かったんです。
でも飼い主は認めるよりも叱るばかり。
まだ若い頃、2回、家出ならぬ、行方不明に・・・。
必死で探しましたが見つからず、
正直2回とも ramuまま は諦めました。
と言うより我が家に居るよりも、もっと幸せになれるところへ行った方がいいと思いまし た。
ところが2回とも主人が見つけてくるんです。
私が諦めているのに。
必死に探してくるんです。よく見つかった、というところから。
でも、その主人が一番厳しいんです。怖いんです。
見てられませんでした。可哀想で・・・
なのに見つけてくるんです。見つかってしまうんです。
そんなこんなで、ラムは我が家にいるしか無い運命なのだろうと、
密かに諦めました。
でも本当に偉い子、賢い子だったんです。
12年弱我が家にいましたが、お金のかからない子でした。
いえ、違います。
お金をかけなかった子
です。
言い訳でしかありませんが・・・。
12年弱でかかったお金。
散歩中側溝のふたの穴にはまり、打撲(よく骨折しなかったです)で病院へ
予防接種 1回・・・信じれますか1回ですよ~、ひどい飼い主でしょ、
知識不足にも ほどがあります。
フィラリアの薬 1回・半年分・・・同じくひどすぎます。
トリミング 3~4回 適当に自宅シャンプーに自宅カット
老犬になってから 口臭がひどいため、病院へ、
食事はもちろんディスカウントでメーカー品のならば。・・・当たり前でした。
その上ひどいんですよ、ずーと缶詰ばかり食べさせていたのに、
歯がぼろぼろになってきてから、慌ててカリカリに。
老人に老人食から普通食で
食べろと言っているのも同じです。
ひどすぎますよね、
あまりの知識のなさ、
勝手な思いつきだけで判断して、
その上、最後まで病院へ連れて行かなかった。
食事も食べられなくなり、みるみる衰えて行くにも関わらず
たとえ車がどんなに嫌いでも無理してでも連れて行けば・・・。
車が嫌い=可哀想=苦しむ
そんなの勝手な判断だったのでは?
未だに自問自答しています。
そして最後の時、やっと病院探し・・・ 遅すぎ
電話帳片手にあたふたしていると、主人の呼ぶ声。
主人に抱かれて虫の息で頑張っているラム
何度も何度も頑張るラム。
そして終わりの時が・・・
やはり最後は主人の腕の中で・・・
そうなんです。主人は一番、真剣なのに表現が出来ないのです。
誰よりも心配して、行動するのに。
それからは、淡々と作業していく ramuまま。
終わりを告げたラムを1時間以上見つめた息子達。
あまりにも色々なことを学ばされ、考えさせてくれたラムでした。