このページは「k.t1579の雑記帳」です

06.偽の蔓延について(17.11.16)


 社会の与信力が脆弱となった昨今において至極、象徴的な出来事である。
 ペイオフを馬鹿みたいに杓子定規に運用しようと云う国務大臣の居る、この国ではコピーの様な「まがい物」でも何でも通用してしまうから皮肉だ。
 カラーコピーでも自販機で買い物出来るなんて考えるだけでも愉快な話だ。
 まさに悪貨は良貨を駆逐する。
 何でも足りてしまうなら世の中すべて足りてしまうだけの水準に留まる。
 そのことを考えると偽造が蔓延する、ということは、世の中の模倣が極地に達してしまった飽和状態、すなわち厭世的な愉快犯の出現を示している。
【17.6.25】
「偽」と「嘘」あるいは「虚」との間には何が横たわっているのだろうか。
 むしろ「疑」に近いニュアンスが感じられる。「偽」の対としての「疑」。
 つまり「偽」の蔓延には、それに対応する数だけの「疑」が存在するのだ。
 こんな言葉遊びの様な思索の中に、むしろ本質的な理解を求めたい気分だ。
(17.11.16)
 つい、さっきまで「嘘」と「偽」と「虚」との間をとり結ぶ媒介項はないかなどと下らない思索に耽っていた。警察庁の報道発表にも個人情報保護の名目で自己規制という聞こえの良い情報統制というか情報隠蔽が罷り通ろうとしているらしい。何でも警察発表の事件報道について被害者を匿名報道し、被害者住所なども、市区町村名くらいで詳細を伏せてしまおうと考えているらしい。
これでは「嘘」の事件を「偽」って、「虚」構を作り出すことも可能になる。
さすがにマスコミも、これには反発したらしいが。果たして今後どうなるのか
とても気懸りな動きではある。


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