このページは「k.t1579の雑記帳」です

24.いわゆる「ニート」について(18.2.7)


そうした一連の「負の連鎖」の上に「ニート」というコトバも成立している。
ひとつの統計的な対象として把握される「ニート」集団は日本では18~35歳の年齢層である。この点では英国で云う10代後半の若者達を指して用いる呼称とは、だいぶ異なる。しかも、「家事手伝い」も「ニート」に含まれる。
この辺りから日本での一般的な「ニート」像に次の様な条件づけを考えられるのではないか。一つは、家庭的に「ニート」を養える状況にあること。次に、
「ニート」本人に自己の意思を積極的な行動として表現する意欲がないこと。
この二つの条件が単純に重なる訳でもないだろう。けれども少なくとも、この二つの条件から「ニート」は生まれて来ていると考える。そして基本的な彼らのスタンスは「積極的な社会からの乖離」である。これは生存環境を現実的に侵害されないと云う特殊な環境でないと実現できないことである。パラサイト
であり、なおかつ積極的に家庭の庇護を受けている状況、とでも云えようか。彼らの多くは「自信のなさ」を自らの「ニート」選択理由として挙げるのだが
私には背景として親が「頑張ることを求めない」のではないかと思っている。
それは親が養える力を持っているから維持できる状況なのである。もし維持ができなければ巷のニュースを賑わす様な子による親殺し等の悲惨な状況が展開されることだろう。いわば「ニート」の立場を付与できる親による庇護により
「ニート」は自ら「ニート」の地位を得る。それは待婚者が「家事手伝い」としての地位を獲得することと大きな違いはない。むしろ深刻なことは統計的に把握される35歳を超えた世代の状況である。もはや、親の代からの経済的な庇護を享受するには限界に達しつつある彼らの世代にあっても「ニート」生活を維持できるのであろうか。その綻びが最近あちこちで悲惨な事件として起きている、と見ることも穿った見方ではないであろう。実際、自分の年に近い、30代の世代には、途中で定職から離れて「ニート」化した人間が多く居る。
どうしても彼らを見ているとキツイ仕事ではあっても「果たして一度リタイアしたら社会復帰できるのだろうか」と不安に思うものである。その辺りでの、心理的なプレッシャーは「ニート」も非「ニート」も両刃の剣みたいなもので
等しいものがある。その内心には「自信のなさ」という一抹の不安があるのだから。


© Rakuten Group, Inc.
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: