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Zero-Alpha/永澤 護のブログ
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個の可能性研究会分科会B
2005.1.16.(永澤 護質疑応答分)
永澤:ちょっと補足しますと、樫村さんの出していた例では、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』におけるウェーバーが言う、そういった倫理自体が、資本主義という非常に大きな流れが成立していく上での一番大きな移行対象であるというのが1つと、もともとウィニコットなどによってよく使われるのは、いわゆるおしゃぶりみたいな、子どもが親から分離する移行過程における代替対象としての口にくわえるようなもの、そういったものが一般に指示されるということがあります。私の質問は、一枚目の「制度的な揺らぎ」、それから「技術の質の変化に伴う環境危機など」というのを<safety>というコンセプトで説明しているところで、もう少し具体的にお聞きしたいのですけど、この「制度」というものの具体例と、「制度的な揺らぎ」というものの具体例は、ヤップにおいてはどういうものですか。
永澤:ということは、そういう制度が安定しているということが、ここで言う<safety>ということでしょうか。
永澤:わかりました。以上です。
永澤:いいでしょうか、要するに今かみ合ってない理由は・・。
永澤:かみ合ってない理由は、思いきり単純化すると、受け入れる側、主観的な尺度と、それから、外部からのたとえば研究者とか観察者が、それを速いとか遅いとか記述する際の客観的な尺度の二つを、区別してそのどちらをお使いになってるのかとか、たとえばそういうような質問で、それは受け入れる側じゃないですかと聞いたにもかかわらず、最初から一貫して萩原さんは、その二つを同時に、しかも区別せずに使ってらっしゃるので、私にとってもわからないのです。つまり、客観的な尺度ではないように思えるということで、ここでの文脈では、移行対象が機能していないというような、結果としてアイデンティティ・クライシスが起きて、しかもそれを窺わせるような状況から見て、結果的にレトロスペクティブに、そういう状況では、ああ、これまでよりも移行対象の機能が弱まっているという意味でハイスピードなんだなって言えるような、たとえばですよ、そういうようなものとしてならわかるんですけど、そういうようなものとしては定義されてないし、かといってそういう強度とか頻度なのか、という、まあ強度は客観的には規定できないですけど、頻度ということなのかとか、どういう意味で使っているのかわからないということなんですよ。
永澤:ちょっと今のは、厳密というか、シビアすぎるんですけど。
永澤:多分そういうことですよね。
永澤:今のに関係して、さっきの質問にも関係するんですけど、<safety>と<security>の区別というのは、まず一番身近な典拠というか、それをまず教えていただきたいということと、それを萩原さんが自分なりに何か組み替えたり、本質的に変えているところが無いのかあるのか、つまりこういう二分法ですよね。で、今の話も全部この二分法にも関係していると思うんですよ。いわゆるその主観的な「強度」といった言い方と、ある程度その回数として測れる頻度といったその区別が二重になっているということで。それで私はその<safety>と<security>というものの典拠を聞きたいのですが。
永澤:いや、要するに本ですね。口頭で聞いたとか、研究発表でもいいんですけど、基本的にパブリッシュされているもの。誰々の、こういう本の、この概念から来ているという。それを具体的に聞いてもいいんですけど。
永澤:著者名というのは・・・。
永澤:要するにお聞きしたいのは、この定義が、萩原さんが考えたものなのか、それとも、もともとパブリッシュされたもので、それをそのまま持ってきてそれで変更ないのかということと、科学技術論の現在のトレンドにおいて、ほぼ確立されているコンセプトなのかということです。
永澤:じゃあ、それは今のでお答えがあったと思うんですけれども、それは、それをそのまま使っていて、二分法として使われているということですね。つまりそのふたつは一応明確に区別されているということですね、こういう形で。わかりました。
永澤:でもセキュリティは辞書的な意味においては、こういう主観的な意味に限定されているわけじゃないですよね。
永澤:わかりました。
永澤:素晴らしい・・・。
永澤:インフラっていう非常に素晴らしい表現が出たので、<safety>の方、主に制度や技術に関する安全性ですよね、そこでこの制度というのは、インフラストラクチャーというさっきの言葉と、かなり置き換えられる、というか接点が強いので、もうちょっと押さえられると思うんですよ。これは要するに、送電線も含むし、それからもっと生の、植物とかそういった木材とか自然の素材を使った、ヤップならヤップという別の世界のカルチャーの基盤となるようなインフラも、両方を含めることが出来るような意味での、まあ制度ですよね。生活空間の骨格みたいな。そこで、<security>というのは、そういった、カルチャーの基盤となるような素材がたとえば光ファイバーとかそこまで行かなくても、スチールとか送電線とかの形に置き換えられてしまうことで、要するに伝承されたヘリテージがそういうふうに置き換えられてしまうことで、人々のSAFETYに関わる精神的なものにおいて、非常に不安感が高まってしまうとか、つまりSAFETYの危機が起こるというようなことが、実際に起きてくるかもしれない、と。そこで、少年たちはそういったことを漠然と、この二つを区別した上でそういうふうな相関を認識してるわけではないという意味で、自己批判力とか、ひょっとして去勢として定義されたものも不十分というふうに一応理解できるんですけど、村の中の一部の、ある意味で一定の認識力のある人達は、先ほどからおっしゃってるので萩原さんが相手をするというか議論をするという先ほどの人達かもしれませんけど、一応この萩原さんとほぼ同じ枠組みで<safety>と<security>というコンセプトを分けて頭の中に入れた上で、さっき私が言ったような相関ですよね。今までこういうような素材を使っていたのが、この送電線とかに置き換えられてしまうと、たとえば村の少年たちは非常に不安が高まってしまって、いろんな問題が生じているかもしれないと。そういった認識まで到達している人が、ここで言われている、自己批判力があるというか、そういった人なのかなというふうに私は一応考えた上で、ようやくある程度、この二分法、この二つを分けた意味というのが、村中さんの先ほどのと絡めて見えてきたんですけど。たとえばそういう見方はどうでしょうかね。
永澤:いや、それで少しはわかってきたっていう・・・。
永澤:今の質問とまったく同じ確認なんですけれど、「止揚の契機を欠いた」というここの部分は、二元論の本質的な定義なのか、それとも止揚の契機を持っている二元論を想定してるのかということで、どちらかというと、どっちなのかということと、それから二元論を「恣意的な選択、解釈によって固定化し」と書いているところも同じ問題だと思うんですが、固定化される以前の二元論というものがあって、それは止揚の契機を持っているというような全体の一貫性を持っているのかどうかという定義の問題なんですけれど。
永澤:その場合に、高森さんは、個を確立してるのかということと・・・。
永澤:ファンダメンタリストの高森さんみたいな人は、個を確立してるのかということと、まあそれを鵜呑みにしてる人は確立してないっていうことなんでしょうけど(一同笑)高森さんはどうなんですか。
永澤:いいですか。永澤なんですけど、どこまでも相手を読み続けるためには、もちろん頭が柔らかい、もう一番柔らかいっていうことで、ここで書いているようなファンダメンタリストでは、無理ですよね、まず。そこで、犯罪者で、今一番強力だと思われているのは、たとえばビン=ラディンですよね。で、ビン=ラディンという人は、我々には全くどういう人かわからない未知のエックスなんですけど、一応仮定の話として、彼はファンダメンタリストなのかどうかっていうことですよね。つまり、彼は、本当に本気に、アメリカ的な価値観と、西洋的な価値観と、イスラム的な価値観という、そういう意味でのここでの二元論的なファンダメンタリズムに基づいてやっているのか、それとも、究極的には自分の利益というか、そういうのもまあ、ブッシュと裏取引とか色々な話がありますけど、どこまでも柔軟であり続ける、究極的に個が確立した人なのかというのは、ひとつあると思うんですよ。で、結局討論になったことというのは、個の確立と言ってもビン=ラディンみたいに究極的に柔軟なファンダメンタリストみたいな個の確立をする人もいて、たとえばそういったあり方とそうではないあり方、その区別、境界線の問題ですね、どっちなのかとか、そもそもクリアな境界線などあり得るのかとか、そういうふうに思う人もいると思うんですよ。宮永先生に質問なんですけれども、どうでしょうか、今のテーマは。テーマが、ちょっと見えなくなっているというような気もするのですけれど、どうなんでしょう。
永澤:この事例のテーマでの個の確立というので、皆さんが色々な、今いったいどういう意味で個の確立と言っているのかという話に限定していると思います。
永澤:池松さんの発表と今の小井さんの発表を、二つ共通にまとめられるかなと思って、中抜き問題ということで、ネットワーク化というのが日本人である私たちにまだよくわかってないのは、中抜き問題の処理というのをどうするかということだと思うんですけれども、この小井さんの非常に普遍的な、本当にどの親子関係、上司と部下との関係にも、本当に共通する核みたいなものが、取り出されているというのに感心したんですね。つまり、親子関係で、特に思春期の子どもとか、あるいはある程度までの子どもだと思うんですけれども、まだ親が自分の子供だっていうように思っている場合ですよね。親子関係で接しているときに、必ず陥るトラブルのパターンは、まず要するに、自分はもう、仕事は決まったっていうふうに親の意見を聞かずに、まあ本人は自立してるって思ってるし、俺もいっぱしだって思ってるから言っちゃう訳ですよね。つまりこの場合、仕事は決まったのかっていう場面で、親の意見を聞かずに、こういう仕事だって、俺が決めたっていうふうに言う訳ですよ。その場合親っていうのは、絶対に100パーセントそれをそのまま認めないですよ。(一同笑)つまり、中抜きされたと思ってる訳ですよ。で、何の中抜きかというと、自分が体現しているものです。つまり、子どもで小さいお前よりも、自分は社会の常識を身に付けてるんだ、と。で俺は、親として、社会常識というものの代理人として、子どもに対してるんだって、殆どの親はそういうふうになりますよね。で、それを体現している俺に相談せずに、つまり中抜きしていきなり決めるというのは何事だというのは、これは殆どのパターンだと思って、で、それを見事に実体験として抽出して、こうしている、と。だから、今度親と向き合うときに、自分は何々したいが、お父さんやお母さんはどう思うかっていうのは正にかっこよ過ぎるんですけれど、本当にできるかどうかは別として、一つの可能な答というのは、中抜きをしないということで、こうなるんじゃないかなと思いました。そういうことで、自分の意思と相手の意思が両方見えていないというところで中抜きされていたのが、こういうふうに独立した意思というものを自分と相手に認めるという意味で、原理になっていると思うんですよ、これは。その意味で、かなり抽象化された原理の抽出がなされたのは、素晴らしかったと思います。
永澤:私は、皆さんもそうかもしれないんですけれども、宮永先生がおっしゃっていることを学びたいと思っている訳ですね、そのネットワーク化というのを。それは、要するに中抜き問題をどういうふうに処理するかということです。それをどう上手く、合理的に、効率的にやっていくのかということは重要だと思うんですね。現段階ではそれ以上はわかりませんけど。
永澤:樫村さんからのご連絡、私に直接というよりも、宮永先生から声をかけていただけ
ますか。樫村さんとの通信が最近無いので、打ち合わせをしてないんですよ。
永澤:樫村さんが出席できる場合には、最初の発表をセッティングするのをお願いしたい
んですけど。
Copyright(C) 2005.1-,Kuniko.Miyanaga & Nagasawa Mamoru(永澤 護)
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