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Zero-Alpha/永澤 護のブログ
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樫村:それでは次にいきますか。事例が多いので永澤さんに述べて頂いて、それから篠田さんにコメントを頂きたいと思います。
永澤:そうですね、例えば以前興味があったのはテロップ(Television opaque projector)なんです。やたらにテレビの画面に出てくるあれです。そのテロップへの興味と、ワープロが出てきたときに、自分が心に思っている(はずの)ことが、キーを叩くと同時にリアルタイムでディスプレイ上の文字になってしまうし、また直ちにプリントアウトまでできてしまうといったことへの興味、それと現在では音声と動画が同時にやりとりできますが、チャットへの興味があります。話し言葉と書き言葉が相互にスムーズに移行できるようになってしまっている現代の状況に注目しています。
テロップというのは編集とかプロデュースによって、我々の笑いを先行的に規定して、またただ規定しているだけではなく、それを循環的に取り込むのですが、それがある時期からダウンタウンの番組などで使われるようになり、今はさまざまな番組で普通に使われるようになっています。我々はそうした番組をいつも見ているわけです。
先ほどの話に戻りますと、他者との出会いで一対一で向き合うということは、陳腐に見えるのですが、去勢ということにとって必要である、ということなんですね。去勢というのは、自分が万能ではなく、どこかで自分の可能性の何か一つを選択して他のものを断念しなくてはいけないわけです。通常はそれで自分の仕事を選びとっていく、ということなのですが、例えばひきこもりになってしまう人というのは、その去勢に失敗している、またはそれを回避しているということがあるわけです。その場合には職業選択もできないし、自分が何をやりたいのかも分からない。それは、自分は万能ではなく、何かを選びとって他の全てを断念しなくてはいけないという去勢を回避しているということがあって、現代のさまざまな要因からいって、回避できる状況にあるわけです。
その一つの局面として、先ほどデータベースということを言っていまして、データベースというのは、それを我々人間の幻想というレベル、しかし我々の<現実>を構成するようなレベルで言うと、ゼロから無限大まで、我々の生存そのものを無限の階層序列に振り分けるものなんですね。どれだけ行っても上があるし、下もある。たださっきのスマップの話のように、自分自身はただ個別的に受容してもらいたい、というところに留まればよいのだけど、そうではなくて優れた存在として他者に承認されたい、という欲望があるわけです。そのデータベースのレベルでは、承認への欲望は万能感につながってしまうのですが、歯止めがなくなると思うのです。つまり自分の有限性というところに留まることができず、生活レベルから何から何まで、上には上がいるという、IQやいわゆるEQテストや成績もそうだし、どこに住んでいるかもそうだし、そういった評価された、あるいは評価可能なデータを共有できるようになった状況はメリットも多々あると思うのですが、そのために去勢ができない状況になっている。データベースの蔓延がひとつの関連する要因として挙げられるだろうということです。
例えば、遺伝子情報などではこうした問題が見られるわけです。つまり我々が遺伝子レベルで一人一人違うということが明らかになってきている。「遺伝子」というのも結局は幻想なのですが、スニップ(SNP(スニップ):1塩基変異多型)といわれるものがあります。個人によって異なるDNA塩基配列の多様性の一種で、特定の場所の塩基1個のみが個人によって異なる状態のことです。およそ1000塩基に1個の割合でヒトゲノム全域にわたって分布していると考えられています。簡単にいうと、我々のゲノムには一人一人違う部分があるということを意味しています。それは抽出できて、一人一人の遺伝子情報の差異を、篠田さんがまさに研究なさっていることですが、DNAの違いをマイクロチップに定着することができるわけです。それをDNAマイクロアレイ(DNAチップ)と言うのですが、つまり個人個人がどのような遺伝的な病気等の素因をもっているか、生活習慣病から何からその確率の高さを全部振り分けて、幻想なのでどういう階層序列のシステムにするかというのは、結局はどういう評価スケールによってでもよいのですけど、データベース化できるし、実際にそれをやっているわけです。それをセレラ・ジェノミクスという、ヒトゲノム計画で日米欧合同の計画を断突で抜き去って、少なくても三百台のスーパーコンピューターでヒトなどのあらゆるゲノムを解析している企業が行っています。この企業のトップのベンターという人は、セレラ社を設立する前は米国立保健研究所(NIH)の研究者でした。ベンター等が熾烈な競争のもとで今やっていることは、よく引用される比喩で言えば、人間の共通の地図というものは分かった、ただ我々は、その意味をまだ読み取れないシェイクスピアの本、つまりどこにどのような文字が書かれているかが分かっただけで、実際どのようなことが書かれているのかまだよく分かっていない本の読み取り作業を行っているというわけです。この読み取りの段階でそれぞれの遺伝子の機能を、癌の発現機構とかそうしたことを全て明らかにするということが第二段階なんですね。その次に同時平行的に、一人一人の遺伝子にそれぞれの機能があるのかないのか、ということを今やっていて、セレラ・ジェノミクスがやっていることはその情報を売る、ということです。つまりそれはビジネスなので個人個人のオーダーメイド治療などに使うために、インターネット上のデータベースにしておいて個人個人のオーダーによってそれを販売する、ということなんです。このような段階にすでに入っているわけです。そうなると、究極的には自分で操作して自分の遺伝子を改造できるというふうになりますので、またまた去勢ということが遠い夢のようになる現実が、すでに起きてきているわけですね。これ以上はあまり詳しくは言いませんが、まず、テクノロジーの基盤となるミューチップという極小ICチップがすでにできてしまったということ。これは日立製作所が開発した0.4ミリ角の極小ICチップで、すでに増産体制に入っています。また同社は、0.3ミリ角の世界最小チップ開発にも成功しています。「ユビキタス社会」と呼ばれるネットワーク時代の実現をどの国がどれだけ早く達成するかという競争の時代に入っていて、国・企業によるそういった流れの構築がすでに慌しく始まってしまっているということがあります。
それからもう一つ、私の引用資料の7番を御覧頂きたいと思います。ちょっと読みますが、「生活保護の適正な実施」による受給申請拒否問題という事例が、今年の二月十九日の朝日新聞に出ています。これは北九州の歴史的に特別な事情もあると思いますが、厚生労働省によるやたらに生活保護を申請許可しないようにという通達があって、そのために激しくやっている北九州市の事例なのですが、ちょっと読みます。これも今の話です。
「妻(60)の入院費が払えず、生活保護を申請した男性(60)。昨年9月、保護を認められると同時に、書類に「12月をもって生活保護を辞退します」と書くように職員に言われたという」。ここがポイントですね。「「三か月後も妻の病気が治っていないかもしれない。書きたくない」と答えると、「保護を受けられるか、わからないよ」「まだ悪かったら、そのときに追加すればいい」と迫られた。男性は、リウマチの持病があって十分働けず、知人から10万円ほど借金があった。「書けば返せる」と思い、仕方なく書いた。妻は11月に退院。交渉して1月まで延ばしてもらって、打ち切られた。今はリウマチで痛い手をかばいながら土木現場で働く。妻と自分の医療費が月に1万5千円ほど。「もちろん保護を受けて助かりました。けれど、今の土木現場はあと1か月で終わり。その後はどうなるか・・」
これが第一の事例で、次の事例も続けて書かれていて、問題は共通しているのですが、これも読みます。
「言葉に障害がある1人暮らしの女性(63)は今月初め、福祉事務所の面接室でファイルに挟まれた見本を見せられた。「この通りに『辞退します』と書いてくれ」と紙とボールペンを渡され、生活保護の辞退を迫られたという。まだ、仕事も見つかっていない。「2、3日考えさせて」と言って紙を持って帰った。自分が悪いことをしているような気持ちになった」。
これについてのコメントなのですが、文中の職員は自分の頭で問題発見して、解決方法を考えるというわけではなくて、ただ「この通りに書いてくれと」いうかたちで予め決まった答、書かれたもの、マニュアルに従って相談者を管理しているだけなんですね。また相談者の「2、3日考えさせて」という言葉は、相互的で対等なコミュニケーションを試みる呼びかけなのですが、これには一切応答する姿勢がなく、この試みは挫折しているわけです。そして挫折した結果、外傷、つまりトラウマが生じてしまうわけですが、これは無意識レベルで沈澱していきます。意識レベルでは、何となく「自分が悪いことをしているような気持ちになった」というふうになってしまっているわけです。ここで生じている事態というのは、我々の言語と情動そのものが、「この通りに書いてくれ」というデータベースの指令に応じて予めコントロールされている、ということなのです。「2、3日考えさせて」、という相互的で対等なコミュニケーションの試みというのは、当然のように失敗、挫折しているわけで、これが無意識において反復される外傷になってしまうということです。
要するに、去勢が失敗させられるか、あるいは回避させられてしまうということと、相互的で対等なコミュニケーションの試みがこのように予めコントロールされ、挫折させられてしまうというところに、私は問題を見ているわけなのです。これはさきほどのテロップなどで、もっと日常的に、笑って欲しいところがその直前、直後にテロップとして挿入されることで、それを我々が見て笑うというところにすでに生じている事態です。以前やたらとテロップが出てきたときに、生活保護に関して述べたことと同じようなコントロールの仕組みというものを感じたことがあるのです。日本の場合は、後ほど樫村さんが話すこともあると思うのですけど、笑いというレベルで非常に制御されているのですが、それはやはり言語的なレベルで統御されていると思います。つまり単に笑うという情動を統御されているように見えるのですが、それ以前に笑うべきセリフ、言語がどういうものであるかということを提示されることによる制御です。その言語というのは、私はフーコーの『知の考古学』を参照して「言表」と呼ぶのですが、予めすでにどこかに書かれている、我々の<現実>を構成するものです。この「予めすでにどこかに書かれているもの」こそが、データベース上に用意されているマニュアル(みたいなもの)として機能するのです。ここでの福祉職員の対応というのはいつも我々が見ているようなものですよね。ここにあるのは、我々の生存を構成する、日常の<風景>そのものなのです。笑いにおいても、瞬間芸であるのですが、それに留まらず予め用意されている言語的なレベルでの統御というものがあって、それがテロップという仕組みに潜在しているのではないかと思います。
後はもう私の話は比較的シンプルで、転移というものを利用して、基本的に一対一の関係をユニットにして、その関係が成立しうる場というものをコミュニティー的に作っていくと、一対一の関係はどんどん増えていって、同じ場でその多くの一対一の関係がつながっていけばいいわけなんですけど、ただ一対一で顔を向き合わせるということにこだわる理由は、顔を向き合わせなければ、匿名の世界で、先ほどのデータベース的な機能がどうしても働いてしまうということがあるからです。もちろん、先にも断っておきましたが、匿名の機能のメリットも多々あることを承認した上のことなのですが。それとこれは私の専門ではないので樫村さんにお聞きしたいのですが、はたして相手の顔と向き合うことなしに、去勢が可能なのか。一対一の関係ということを条件とせずに、本当に去勢は可能なのか、ということを後でお聞きしたいと思います。
ちょっとこの辺でやめておきますけれど、篠田先生はまさに最先端の研究をなさっているわけですよね。極小LSIという。
篠田:最後の生活保護のことでちょっと気になって、私の身近な実例を申し上げます。重度障害者の生活保護のケースです。
永澤:それは成人の方ですか。
篠田:はい、成人の方です。その人の父親は死んで、母親はまだ生きているのですが、連続的に入院を続けていれば、生活に必要な給付金を生涯受けられることになっていたそうです。とこらが、その母が危篤状態に陥ったとき、一旦病院を退院して一週間ほど、彼は母親の家に滞在したのです。そうしたら、入院が連続していないということで、生活保護のための給付金が打ち切られてしまったわけです。私の友人の弁理士が生活保護打ち切りの法的根拠を示せと異議申し立てを行いましたが、決定は変わりませんでした。そこで、友人の弁理士が行政不服審判法による審判にかけると行政に掛け合いましたら、一か月ほど経ってから、生活保護を継続するという全く逆の判断を行政は下しました。
今の社会構造は、日本の地域行政機関は市民に訴えられることを行政のミスと考え、審判で争うことを極端に嫌っています。ですから、極めて常識的な法律というものが日本にもあるわけですが、市民が、それを行使できないようなシステムになっています。それを使えるような社会に変えていくということが、市民にとって重要じゃないかと思います。
永澤:そうですね、それに関して一言だけいいますと、2000年に成立・施行された社会福祉法で「地域福祉権利擁護事業」というのがありまして、それと民法上の「成年後見制度」があるのですが、両者が実際上の話なかなか噛み合わないことがあるのです。それをどういうふうにやるかということをNPOでやったりしています。そういう場所でやり始められていることもあります。
樫村:ではもう時間が来てしまっているようなので、篠田さんには休憩の後で発表頂きたいと思います。私の発表もその後で行いたいと思います。それと辰田さんからの問題提起もさっきの語りときにお話を聞けなかったので、お願いしたいと思います。先ほど時間がなくて切れてしまったのですが、小井さんのお話も全体の議論の中で、もう一度議論したいと思います。それではここで一旦休憩に入りたいと思います。
==== 休 憩 ====
樫村:では、第二部は篠田先生から続きをお願いします。
篠田:グローバル化を、研究開発と結びあわせてお話したいと思います。本来科学はグローバルでオープンなものですが、最近は科学と技術の関係性が強くなってきました。科学は真理の探究を目指すのに対して技術は具体的なモノやコトを実現することを目的とします。だから、科学と技術の関係性が強くなるとそれぞれの価値観が変わってくる訳です。最近のノーベル賞を見ても、今回、田中耕一さんが、企業の一技術者として技術開発中偶然の発見した蛋白分子の質量分析手法が、今や科学研究の最重要テーマの一つである「プロテオーム」研究の中核技術の先駆けと認められノーベル賞を受賞されたわけです。最近の先端科学技術の研究開発状況をみますと、新しい技術の開発が科学の新分野を拓き、反対に科学的発見が新技術を実現していることがわかります。研究が、産業競争力という国の競争力と密接に関わることになってきているのです。それは、先ほど永澤さんが説明されたDNAチップやミューチップもそうで、いかに国の競争力を高めるかグローバルな競争が行われています。
そのため、本来ならばオープンにされるべき科学の知的資産が、いろいろな米国企業で特許などを独占されるようになり、社会的な混乱を引き起こしています。先ほど話に出たセレラ・ジェノミクスの技術は特許化され独占されています。日本の製薬会社は、そのような技術に特許使用料を払うかクロス・ライセンスできる特許をもたないとこれから仕事が出来ないという段階です。このように、情報が価値をもつようになり、価値の独占が始まっています。これは1980年代に始まる米国のプロパテント政策によるものです。一番厄介なのはビジネスモデル特許です。ワンクリックで何かが出来るとか、ネットでオークションができるなどというビジネス形態にパテントが与えられ、20年間は独占できるようになっています。
情報価値の取り扱いも難しい問題です。畑に植えた遺伝子組み替えの大豆が、なぜか自然のいたずらで隣の畑で収穫されてしまった場合、結果的には特許を侵害した大豆が出来てしまいます。その権利と審判はどうなるのか、この遺伝子組み替えの大豆に利権はどのように関わるのか。偶然の流出は許されるのか。このような難しい問題に、はっきりした決まり事がありません。
また、私は日米両国で研究所をマネジメントしたことがあります。日米両国での研究風土の大きなちがいが二つありました。
まず、どちらの国でも課題は、研究所の成果がビジネスとしてグローバルに貢献できるか否かです。米国の研究者はグローバルに勝つ、ということを本当に最優先します。西洋の社会では昔から個人間のネットワークが密にあるせいでもありますが、研究者が優れたアイデアを生み出したとき、どこの誰と組めばグローバルに勝てるという戦略が立てられます。一方、日本では優れたアイデアほどグループ外秘となってしまい、外には秘密にして、グループ内部でなんとか必要な技術をまかなおうとします。そのため、開発のスピードが著しく限定され勝てるチャンスを失います。研究所のマネジメントで大事な仕事の一つはクリエイティブな優れた人材をいかにリクルートするかです。米国では、例えば、遺伝子工学の新人ドクターで誰が優れているかは、調べればすぐに上位10人位まで分かるようになっています。しかし日本では新人ドクターのランク付けはなど到底出来ません。学生や教師・研究者の流動性が少なく、情報ネットワークもないからです。
次に、最先端の技術力について日・米・欧の比較評価を行うと、外部の客観的な評価と内部の日本人グループによる評価で大きな差がありました。米・欧の優れた分野は、基礎研究分野です。これは、バックグラウンドのちがう人々が議論することによって、新しい価値が学際的、業際的に創生されるからではないでしょうか。日本でもその重要性は理解されていますが、しかし、実際どのような場をつくっていけるか考えると日本は非常にまずい立場にあると思います。日本優位の技術分野は応用分野です。
我々がいま問題意識として持っている技術の問題は次のことです。技術はふつう、あるところからS字型に発達してきて、ピークに来るとパラダイムシフトを起こしますが、そのスピードがどんどん早くなってきて、先が読みにくいという段階にまで達していることです。小さいロボットなどを作るマイクロエレクトロニクスやマイクロメカニクス技術が、最近はナノエレクトロニクスといわれています。本当に小さな、吹けば飛ぶようなチップに情報を組み込むことが可能になりました。通信機能までそこにつけることが出来ます。ユビキタス社会ではこれを体に付けて移動することだって出来ます。そういう小さなものにどれだけ価値を持たせるかで、日本の産業競争力を高めようという動きになってきています。
このようなユビキタス社会の先にどういう問題点があるのか。シンギュラリティ研究の立場から、異常性を問題にする人もいますが、明解な解はありません。競争はますます激しくなり、それを止めるものはないでしょう。近代西洋社会の問題意識は皆さん持っているのでしょうが、それへの対策は未だ模索中なのではないでしょうか。それは先ほど樫村先生が問題提起の中で言われた「もうひとつのグローバリゼーション」という視点から重要なことなのではないかと思います。私は、社会学は全くの素人ですが、このような問題意識を持っています。
具体的なことを更に言いますと、いまの超LSIというのは親指の爪ぐらいの大きさのところに1億個くらいのいろいろな機能をこなせるトランジスタとそれらを動かす33キロメートル近い配線が張り巡らされて出来ています。今はそんな時代なのです。このような技術が船舶、航空機、ロボットなどのキーコンポーネントとなり、これからの国の産業競争力を支えとなっていくのです。このようなニューチップに関連していま日本で力を入れているのは情報家電です。冷蔵庫の在庫量、その在庫の調理法などの情報が外部的に処理されるチップや、家人が屋内のどこにいてもセキュリティを守る情報装置などで、日本は勝負しようとしています。
樫村:今の具体的なお話で、現在いかに高速・高密度で情報が処理されるようになっているかがよく分かりました。先ほどの語りの発表に関連づけて言えば、超高速の情報処理のなかで、語り手にある曖昧さや非構造性がなくなってしまうことで、先ほど永澤さんがおっしゃっていたマニュアル化や語りの排除が起きてしまっているのではないかと思います。しかし、価値や規範、意味付けはデータベース自体ではなく、その使用において問題になるのではないでしょうか。永澤さんの言う情報の階層化とは、この場合どうなりますか。使い方によっては、そこに自由性があるのでは。むしろ日本では科学や技術に対して倫理規制がないことが、このようなデータベース技術の開発を促進しているように見えます。
永澤:その点については、オープンな可能性と我々が客体になってしまう可能性の両方がずっと続くのではないかと思います。(データベースが)あった方がいいということは、否定できないですよ。例えば、訪問看護派遣で現在最も質の高いサービスを提供するセコムは、良質の人材を抱えているばかりでなく、彼らを動かす正確な情報を持っていると思われます。データベースがあった方が個別的で正確な対応が出来るのは間違いない。このデータベースの有効性は会社の利潤に直結するため、会社の所有となり、基本的にはクローズドな状態におかれます。我々外部の人間がフリーにアクセスすることは出来ません。私は、そのような、いっさいの組織・事業体が持つ、利潤につながる情報の総体を仮想的な全体として見てデータベースと言っています。そして、普通の人たちが、どこかにそのようなランク付けされた情報がある筈だと思い込んでいる、その、精神分析的に言えば幻想としての効果を問題にしています。
樫村:ああ、なるほど。
永澤:それは、私が知り得なくても、すべての問いにはどこかにその答、データがある筈だ、と思う意識です。実際に、生保や預金残高に関してはそういうものがあります。そう思えるようになったのは、インターネットなど巨大で進化したデータベースに普通の庶民がある程度自由にアクセスできるようになったからで、これはごく最近のことです。「検索さえできればたいていのことは分かる」という意識が生まれたのは、ほんのここ数年の話です。これが、私が読解するところの<帝国>というネットワーク権力の核心です。ネグリ/ハートはそうは、あからさまには言っていないかもしれませんが。バイオパワー、生権力というのはそういうものだと思います。
他方、庶民はそのような企業ネットワークには入り込めませんが、自発的なデータベースを構築することはできます。それを例えば東浩紀氏はタコ壺という訳ですが、しかし、それぞれの人がタコ壺に入ったままでいられるのも、いつでもそのネットワークに繋がれるという安心感から来ているように思います。ですから、その二つの面をどちらも守り続けるというのが大事だと思います。具体的に両者がどのように拮抗しているかはまだ十分には分かりませんが。
私はデータベースの、この幻想的な効果に注目しているのです。
樫村:幻想的な効果、とはネグリ/ハートがそう言っているのではなく、永澤さんがそのように読んでいる、ということですね。
永澤:そうです。『グローバル化とアイデンティティ・クライシス』でも触れましたが、我々の日常の一挙手一投足が、想像的なレベルでなんらかのデータとして先取りされているのではないか、というのが私の考えです。これは実際、私の子供などを見ていてもそうです。小さい頃から、好奇心の対象が情報だというのは無意識的に決まっていて、テレビや本になければ、あるいはそれ以前にインターネットで検索すればいい、とすぐにパソコンに向かうわけです。このような習慣化された動作のうちに、知りたいことはなんでもデータベース化されているという幻想の、まあ、これは「事実」でもあるのでしょうけれど、無意識の効果は表れていると思います。
樫村:実際ヤフーなどを見ていても、自分の検索回数から読書ジャンルまで、自分にとっては無意識的で整理されていない行動を構造化してくれるところまでデータベースの編集能力が進化してしまっているというのは感じます。
永澤:東氏は『不過視なものの世界』で、自分の何年も前の考えに対する批判が、もう自分の考えは変わっているのに、今でもネットの掲示板に載ったりしているのがすごく厭だ、と言っていたと思います。そのようなトラウマ的な効果というのはあると思います。データベースの編集機能は実に進化していて、データの蓄積からこちらの嗜好性など打ち出してくるのですが、それは合っているんですね(笑)。ずれてない。批判的な意識がないところに、先にそれを提出されると、それはもう人工的な無意識として出てくるんではないかと思います。
樫村:慣れると惑わされなくなるかもしれないと思いますが。
永澤:取り込まれないことも大事ですが、私自身は、自由な反省が出来るという意味で恩恵を受けるところもあると思っています。
能勢:日本人や語り的な思考をする人たちにとって、情報の位置づけというのは特別なものではないかと思います。西洋的な思考では、情報は情報であって、意思決定はそれらと断絶して行われますが、語り的な思考をする人にとっては、情報や経緯はそのまま行為を規定するので、それらを持っていることがとても重要になるからです。情報によって意思決定をひるがえすことも出来ます。そういう意味で、語りというのは、フェアでない。そういう時に、語りがグローバルな中でどうやっていくのか、語りが作る関係にフェアさを与えることは一つの課題ではあると思いました。
篠田:データベースの技術というのはいま猛烈に進んで来ています。これからもますます進んでいくでしょう。それをいかにうまく活用して価値を得るか、企業がどのような検索エンジンを持っているか、は完全に秘密にされています。それが公開される時には、彼らはもう先にいっているわけです。
永澤:そうです。ポイントは、階層化されている部分には、関係者以外誰も近付けないということです。利潤を出すために情報は階層化され、データは構築されていくわけです。
篠田:それを一元的な価値基準だけでされてはたまったものではないですね。
樫村:では議論に関して私のほうから一言。永沢さんのお話から、いまの社会がどのように去勢を否認しているかという問題ですが…お配りした資料の五ページ目を御覧下さい。上から三段落目、「資本主義文化そのものがフェティシズムであり」という部分です。商品の全能性に依存しながら商品を消費して、商品が変わって行くことで問題を先送りしながら、自分の全能感を維持しているという意味で資本主義自体が去勢の否認の文化だ、と私は書いています。フェティシズムというのは倒錯と呼ばれる精神分析が示す主体の構造の一つなのですが、これ以外にもサディズムやマゾヒズムなどある種暴力的な行為への性向もそうです。これは皆退行で、SMというのは最初の非対称的な母親との関係で、自分が受動的で暴力を受ける立場になったり、またそれが逆転して自分が攻撃する立場になったりするわけです。フェティシズムというのは女の人の足等に興味があるような性向で、お母さんに性器がないということを隠すために靴などがクローズアップされるものです。今普通の人に倒錯的行為が増えているということがフランスで報告されており、日本でも宮台真司さんがスワッピングの研究などをされています。性だけでなく倫理的な規範のレベルでも倒錯が増えているというのがリアリティーショー番組の隆盛に見られるのではないかと思います。日本では失敗しているので言いにくいのですがアメリカではいまプライムタイムに一、二本くらいは高視聴率を稼いでいるリアリティーショー番組がありますし、フランスでも最初は新聞の一面を飾るほど問題になったのに、いまどんどんリアリティーショー番組が出てきています。リアリティーショーとは視聴者参加実験番組です。無人島に十六人の人が来て、最後に一千万、アメリカだと一億円くらいの賞金がもらえる勝ち抜き合戦をします。アメリカではどれくらい非倫理的で倒錯的なショーになっているかというと、例えば恋人たちを無人島に連れて行ってそれぞれ島の反対側に引き離し、両者を誘惑にさらすわけです。それから「バチェラー」というショーだと、独身の男性に対して結婚候補者の女性がどんどんデートしていくとかですね。「バチェラー」はそうでもありませんが、「誘惑の島:テンプテーションアイランズ」という番組は、かなり問題になって放送中止になったりしました。これらの現象が意味している事は何かと言うと、いま恋人を裏切る、裏切らないという選択は、個人化されているので共同体から非難されないのです。傷を受けた人は自分で克服します。外傷を個人で受けて、それこそ精神分析に行くしかない。もしかしたら友達に聞いてもらえるかもしれませんが、本当によい友達でなければ、それはあなたの個人的な問題でしょ、で片付けれられてしまうかもしれない。恋人にも裏切られるし、先ほどの無人島の番組ですと、友達だと思って共に策略を練っていた人が、別の人と組んでいて裏切られたりします。投票で一人一人消していく人間を決めなければならず、仲良くする一方で相手を裏切らなければならないという非常に非倫理的なものです。恋人も友人も裏切るかもしれないというのは日常的な不安であり、そういう不安をむしろ先取りして先に演劇的に行っているのがリアリティーショーだと思います。裏切りがあるかもしれないということを演劇的に上演することで、自分が裏切られるかもしれない現実を回避している。そういう風に去勢を受容しないでいると、こういう風に倒錯的な状況になりますし、パニックなどの病的な社会結合性が出てきます。
ポジティブではない指摘に終わってしまいましたが、さて、次に、先ほど永沢さんからでたface to faceが必要かと言うお話について一言申しあげます。インターネット精神分析などもありますが、ふつう有効な精神分析はface to faceです。というのは、顔の表情から無意識が読み取れるので情報量がちがうのです。インターネットでも絵文字など使えますが、身体性もあるface to faceに比べると、ずっと情報量が落ちます。しかし、文字による精神分析もまったく否定することは出来ません。先ほど出てきた、インターネットレベルでの語りというものがあるように、まったくないとはいえないし、こういう時代であればそういう局面的な形でしか繋がれないこともありますので局所的には有効だと思います。私からは以上です。
永澤さんは、先ほど辰田さんが言われた「オンリーワンだけど優れている」ということに関してひっかかっていらしたようですけど、何かありますでしょうか。
能勢:そういった競争から撤退しているような歌でもありますね。
永澤:撤退しても生きていこう、みたいなね。でもそうではないと辰田さんはおっしゃったのでおもしろかったのです。
樫村:では、その他、話し残されたことなど何かありますでしょうか。
辰田:樫村先生のお話をもう少し聞きたいのですが。
樫村:先ほど辰田さんが言われた、ストーリーテリングはアイデンティティの安定に関わるが、それをしたとしても色々に解釈されてしまう、という問題について、でしょうか。
辰田:特に私の関心に触れて下さらなくてもかまいません。せっかく作って下さったわけですから、先生のレジュメに沿って…。
永澤:では、レジュメ中「生活世界の外部としての死;外傷を通して結合するのである」とある、その死、外傷というのをもう少し説明して頂けませんでしょうか。
樫村:この点については『グローバル化とアイデンティティ・クライシス』の中でも書かせていただいていますが、去勢を否認するとは、自分の全能性を否定する死が排除されていることでもあります。アメリカなどでは死や汚いもの、障害や加齢などは皆ネガティブなことになっています。そういう所では癌患者というのは恐れられる存在なので、患者は受容されません。アメリカの「若くてきれい」という生の文化では受容されないので、彼らは自分たちのローカルなカルチャーを作らざるを得ない。それは生活世界の外部なわけです。しかし、外部というのは革命を起こしユートピアに向かうというものではありません。ユートピア思想もまた、死を排除し、どこかに全能性が開花するのではないかと思っています。そうではなく、自分が死ぬと言うことを認め、一人で認めるのは辛いので、転移の話もでてきましたが、何人も同じような境遇の人たちがいるということで乗り越えます。他者がいれば人間は苦痛を乗り越えることが出来るので。
さらに、「陰謀理論」について触れさせていただきます。先ほど永澤さんがおっしゃった幻想的効果という話なのですが、私はデータベースにうといのか、まだあまり自分が管理されているなどと思わないのですが、そういうのは実はハリウッド映画のテーマとしてよく出てきます。自分が監視されていて、いつか落とし込められるのではないか、というものですね。それを陰謀文化とか陰謀理論という訳ですが、それ自体も病的だけれども、全体性というものがない時代においては、それはジェイムソンという人が、「貧しい人々の保障的な認知のマッピングだ」、と言っています。それだけを見ると病的なのですが、むしろそこに全体性を考えることで、世界が統合されているということを見るため、感じるための方法だと思うのです。パニックもそうで、投機熱が上がっている時には市場が群衆に変化し、皆がこのまま豊かになれるだろうという幻想の中にいるのですが、どこかで絶対破綻するのは分かっていて、構造上は何も変わらないのに、ある日カタンと株価が落ちた時にその幻想がパニックに変わるのです。そのように、自我理想みたいなものがなくなった時にパニックになるのですが、パニックの時にも皆が同じ方向に向かいます。それぞれの成員の間に伝染性があって、そこには社会性が存在しているのです。皆が完全にばらばらにならないための病的な社会性が顕現する現象なのではないかと私は思っています。いまポストモダニズムの中で社会的に混乱状態や無秩序だと思われている現象が、すべて実は病的だけれども保障的な社会性の顕現ではないかという風に思うのです。
能勢:それに関連して、樫村先生のお配りになったレジュメ四頁目の頭に「カーニバルは統制された状況でのパニックの表現である」「カーニバルが社会制度を融解し、社会全体を解体的に顕現しうる」とある、これはまさに弁証法ではないかと思います。諸価値は融和して、再構築に向かうという、そういう意味では語りともすごく近いと思いました。相反するものが同時進行している状態です。
樫村:そうですね、デュルケムはそれを見落としているのですが、「社会全体が解体していって個人性の極限に行く時に、実は社会が沸騰する」と彼は言っています。ポストモダニズム社会というのは役割、中間集団、規制、規範などが解体するので社会性が純粋な形で顕現しやすく、市場が群衆になったりパニックになったりしやすくなっているとは思います。先ほどの話でいえば、語りの耕造化は実は難しくなっていて、非構造化しやすくなっているのではないかと思います。ひょっとするとですけどね。
永澤:陰謀という幻想のイメージの一番典型的な例というのは、電子メールなどの情報が実はすべて誰かに読まれているとか、実際のところ「エシュロン」等に関してアメリカの公聴会で問題になるというああいう話ですよね。あれは本当のところは一般市民には分からないことなのですけれど、確かにここにある陰謀のイメージの例ですよね。
伏木:それを知ったときにパニックにおちいるかどうかは別として、そのような行為は情報構造的、システム的には可能なわけで、当然あり得ることです。
永澤:だから皆大体あると思っていますし、驚かないというか、昔のSF小説の内容が現実にあったとしても、そんなものじゃないかと思える、そのこと自体は新しいかもしれないですね。むしろ全部読まれていることを前提にして気にしないで行動した方がいいわけで、そこのところは個人の問題じゃないか、と。
樫村:リアリティーショーに関しても、見られないと承認されないのでむしろ見られることを欲望するということはあります。この意識がリアリティーショーを支えている、特に若者たちの意識だと言われています。さきほどの女性週刊誌の話とも絡むかもしれないのですが、リアリティーショーを研究しているフランスの研究者などは、社会結合をなしていた社会制度が解体したので、メディアが社会結合を担うようになったと言っています。例えばゲイの人が、家族に直接は言えないけれどもテレビ番組にでて告白することで家族に認めてもらうとか。自分が一人で悩んでいたと虐待経験などをその人がいうことで、ほかにも仲間がいて一人の問題ではなかったと分かったりとか、そういういくつかの機能を指摘しているのです。つまり、メディアがそういう社会を結合/媒介する機能を果たしてきている。
永澤:それは日本でもそうなってきているんじゃないかな。最近の番組の傾向としてあります。
樫村:フランスでは福祉番組という、福祉制度が機能していないために出てきた犠牲者たちに弁護士やソーシャルワーカーが出てきて助けるというようなお助け番組があります。日本でも、最近だとNHKが引きこもり支援をしたり、ボランティアネットワークをやったりしているので、ますますメディアがそういう機能を果たすようになってきていると思います。これまでは意志決定とか価値とかいうものと、ニュートラルなメディアは分離していたのに、今では融合してきているというところはあるのじゃないかなと思いますけれど。共同性が奪われてしまっているので、メディアに能動的に参加することでしかつながる機能はなくて、メディアと言うものがニュートラルでなくなってきていると思います。
永澤:そうですね、そっちの方が完全にメインになってしまっている。例えば、年に一、二回あるテレビ番組に出るためにほかの日はずっとトレーニングしているおじさんなどがその例です。
樫村:理性的構造的な文化を持つフランスではリアリティーショーが出てきたときに大きな批判がありました。スキャンダラスだとか公的な領域にこのような私的なものが出てきてはいけない、だとか。しかし、実は公私の境目が曖昧になってきている。先ほど語りがフェアでないとかいう話をされていましたが、フェア自体が解体しはじめているので、そのような二項対立的な議論ができにくくなってきている、と思います。
篠田:混乱がますます激しくなっていくのでしょうかね。
永澤:どういうレベルで混乱といえます?
樫村:旧秩序の側にいる人はパニックに陥って、陰謀だと言ってみたり、全体性を見つけたりするのではいでしょうか。
永澤:我々にとってどういうレベルの混乱がありうるでしょうかね。
樫村:でも、やはり、おたくの人はちょっと分からないとかあるでしょう。若い人たちを見ていると。
永澤:それは、ひきこもりと区別された意味での狭い意味でのおたくですか。
樫村:でもいまは皆おたくだから、おたくも恐くないかもしれないですけど。
能勢:昔はジェネレーションギャップといっていたものが全体に広がっている感じはしますね。例えばいまのギャルと話が通じないとか、ギャルはフェアを問題にしない、など問題自体が消滅している場合には確かに二項対立は難しいかもしれません。
樫村:混乱の速度がはやくなりますよね。若い人たちだけだったのが、全世代に進んで行くでしょうし。
永澤:おたくが職業選択できない、とか自分がどう生きていくか選べないというのは確かに広がっているし、これが普通の状況になっているわけです。リストラなども進んでいくなかで、いまさら父親が子供にとって職業選択のモデルにはなれません。混乱というか、それが普遍的に蔓延してしまっている状況かもしれませんね。だからこそ、わざわざコミュニティーのレベルなどを構成して、職業的なことをイベントなどでやってみるというコミュニティワーク的なものが必要になってきているというのが、私が先ほど言ったことなのです。だから、家庭でいっさい出来なくなっているわけでしょう。親自身だって仕事の内容はどんどん変わるし高度になっていくし、いつ首を切られるかわからないし、という状況になっていますから、子供に伝承できないですよね。
篠田:最後に、日本の官僚機構というのは旧体制に間違いないんだけれど、いつまでも壊れそうにならないですね。どっからぶちこわそうかといつも考えているのですが。
永澤:まあ官僚機構はそれこそデータベースそのものでしょう。ぜんぶ前例で出して、法に基づいて適用して行くわけですから。あとは通達とか。もちろん、通達も全部データ化されているわけです。しかし、篠田さんはいつも体制をぶちこわそうとか考えられている訳ですか。すごいですね。何かアイデアがおありなのですか。
篠田:いや、あれはぶちこわさないと駄目だろうと思いますけどね。日本になかなかそれを壊すだけのエネルギーを感じませんね。
永澤:まったくないですね。
篠田:そのエネルギーをどういう風に得るか。まあいっぺんには無理なので、どうやって個々の人のエネルギーを溜め込んでいくかなんですが。
永澤:具体的にはどういう弊害があるとお考えですか。
篠田:それは、文部科学省一つとってもひどいですよ。ひどい事実がたくさんあります。予算の配分や、データベースの弊害そのものであるような問題、そして人間の価値評価など…。
小井:それではそろそろお時間になりましたので。
樫村:閉会とさせて頂きます。どうもありがとうございました。
一同:ありがとうございました。
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