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Zero-Alpha/永澤 護のブログ
A.2
で、いよいよですね、パーソナル・アイデンティティの代替物として、がむしゃらに働くことも否定され、ナショナル・アイデンティティに単純に帰属することも否定される。で、じゃあ何なんだ、というところについて、「グローバル化」という・・・(司会から巻きが入る)・・・すみません、時間がおしてきてしまったので端折って言いますと、濱口恵俊の整理(注・『「間の文化」と「独の文化」』/知泉書館、2003)が、日本人論の集大成としてよく整理されていますので、これを参考に考えたいのですが、私のペーパーだと十二ページのところをお願いします。
濱口によると、日本は集団主義の国であるという定義がされています。で、「集団主義」とは何かというと、三つの属性が挙げられています。「相互依存主義」であり、「相互信頼主義」であり、「対人関係の本質視」ですね。逆に「個人主義」というのは、「自我中心主義」で、「自己依拠主義」、かつ「対人関係の手段視」であると定義されています。
濱口論文では、これを統計的な手段によって、本当に日本人は集団主義なのか、本当に欧米の国は個人主義なのか、ということを統計的な調査で確認しています。どんな統計かというと、十四ページの上に引用してありますが、例えば、「自分というものをしっかり持たなければ世渡りはできない YES/NO」、とか、「何事によらず、自分のことは自分自身の力でやるべきだ YES/NO」、という形で四十八の項目を作って、YES/NO、或いは、「ほぼそう思う」、「ややそう思わない」、などの五択ですね。このようにマーケティングのような手法を使って調査をしています。その結果、実はアメリカには意外と集団主義の人間も多い、日本には意外と個人主義の人間も多い、ということがレポートされています。
ただ、この題材の捉え方でも分かるように、濱口論文の「集団主義者」とか「個人主義者」とかっていうのは、実は行動分析の結果であって、状況によって変わり得るものです。で、状況に左右されない「個人主義」というものを、ここで定義しますが、十四ページの真中ですが、「パーソナル・アイデンティティを集団のアイデンティティに優先させること」を「個人主義」、「パーソナル・アイデンティティを集団アイデンティティに合わせて形成すること」を「集団主義」とすると、「個人主義的な行動を取る集団主義者」、「集団主義的な行動を取る個人主義者」、というものが、理屈の上ではあり得ることになります。それが十五ページの真中の図なんですけれども、実際にそういう人は、本当にいるのかどうか、ということを見ていったものが、十六ページですが・・・時間大丈夫ですか・・・、そういう人があり得る、と。
で結局、集団主義の国日本と呼ばれていたのは、集団主義者であることが良かれとされた、集団主義者を規範化した社会であって、また、個人主義の国アメリカっていうのは、個人主義者というものが規範としてあって、そこに漏れた人たちは努力が足りない人、或いは無視される存在になってしまう。こういうことが分かってきますので、これから、「グローバル化」に対応するにはどうしたら良いか、ということなんですけれども、先程の、真中の絵の、すべてのタイプの人たちが正当に評価されるような仕組み、というものを具体的に作っていき、また、それぞれのタイプ間に全然交流がありませんから、インターフェイスを社会の中に装置として作っていく努力が必要になってくる、というところが解になります。で、拙論の後半には具体的にはどうすればいいかが書いてありまして、是非ともお話ししたいところですが、少し長過ぎましたので、ここで終わりにします。
武者小路:ありがとうございました。休憩ということになっておりますが、その前に、二、三分だけ私が話をすることをご承知ください。これからも、議論の成果をだんだん蓄積していくために、発言させてもらいたいと思います。今のおふた方の話を、無理に矛盾的自己同一に関係づけることになるかもしれませんが、同じ問題を、全く違う方向から見ていらっしゃるところが、少なくとも一つあると思います。矛盾とまでは行きませんがその同一化がかなり議論を深めることになると思います。それで、森さんの方の要約の中で、グローバル化によって色んな問題が出ているみたいだけれども、それはいずれも実際には、近代化の過程で、初めから生じていた、アイデンティティ・クライシスの問題だというご指摘がありました。それに対して、邑中さんの分析では、都市化ということが出て参りました。そのことで、私が思い出したことがあります。
都市化ということのひとつの典型は、日本の敗戦後、中学生が、東京に集団就職したことではないかとおもいました。列車に乗って、仕事を見つけに大勢東京など大都会にでてきて、とても不安な経験をした。それまで住んでいた村共同体が安全な、安心してくらせるところから、いきなり不安全で不安に満ちた大都会に出てくるという経験をした。これが都市化の経験だった。この都市化にともなってでてきたのが、都市化のひとつのイデオロギーでした。この言葉は、おそらく皆さんご存知ないと思いますが、「ニャンワニズム」というイデオロギーです。ニャンワニズムという言葉は、新渡戸稲造先生の造語で、猫がニャンというと、犬がワンと応じて喧嘩ばかりする。要するに、猫と犬が争うような社会が、大都会にできていて、不安全でしょうがないということが、大都会にでてきた中学生はじめ、今東京など日本の大都会にすんでいる市民の原体験だったと思います。村では皆、柔らかにつきあって、お互い安心して生きていたのが、いったん街へ出ると大変な世間のなかにほうりだされるという実感が、都市化による新しい仲間を求める心情をつくりだした。そういう意味で、都市化は、ニャンワニズムが出てきたことであり、今もそのニャンワニズムは続いている。それに対する、怒りもたまりにたまったし、その都会の中で安心して生きたいという強い願望がおこった。大都会で、市民たちが、村共同体のように相寄り相関わるということがないこと、むしろ一人一人が他を蹴落として生き残るような世の中は本当に不愉快だということを、村から出てきた人たちが、大正期にも思ったでしょうし、実は今も、思い続けてていると思っています。
この問題を解決しようとすると、どうしても、アカの他人と個人主義に徹してつきあおうという、西欧型の個人主義にはつながらない。むしろ、同じ神秘的な他者とつながっていることによって、現世的には実現できない仲間、たがいに安心して付き合える仲間をつくるという営みが出てきたんじゃないか、という風に思います。垂直的な信仰の形成と、都市化にともなう水平の人間の間のつながりの崩壊とを繋げて考えることが大事ではないかと思います。それで、これからこの繋がりの問題について議論をしていただければと思います。
邑中さんの話の、色んな繋げ方の中には、宗教は入ってないかもしれませんが、或いは宗教も入るのかもしれません。そこのところに、問題があり、私が「和」ということを言っているのと同じ問題がそこにある。国際化の時代には、宗教的な意味を持った「和」ということも必要になってくるんじゃないでしょうか。そのことを、後で大いに議論していただければと思います。ということで、ご報告を強引に繋げてしまったんですが、ここで十分間、休憩を入れるということにさせていただければと思います。
==== 休憩 ====
武者小路:それでは、また議論を再開いたします。では、佐藤さんからお願いします。
佐藤壮広:まず、お手元の資料をご覧ください。発表要旨と、事例でとりあげる観光施設の冊子のコピー(「まるかじり奄美体験 ばしゃ山村」)です。さきほどの武者小路先生のまとめにも関連させながら、今後の課題が見えるような形で報告したいと思います。主題は「グローバル化のなかの地域おこしと癒し」です。以下、要旨を読みながら述べます。
グローバル化とは、「統合と反統合のせめぎあい」(宮永國子)です。このせめぎあいの状況のなかで、個々人は、自分が何者であるかを模索し、確認し続けます。また地域共同体は、そこが「どこ」なのか、どういった場所であるかを模索し、確認し続けます。これがいわゆる、個と集団あるいは個のアイデンティティ探求の基本的構図です。この探求の過程を、観光の仕組みとしてつくりあげている事例を紹介し、グローバル化の状況における地域興しと、地域住民と来訪客との相互交流によってもたらされる癒しの一つのかたちを考えてみます。
奄美大島笠利町には、「ばしゃ山村」という観光施設(民宿、レストラン、物産店、ダイビング教室、民芸教室など)があります。経営者は奥篤次さん(1947年生)という男性です。彼が現在建設している「奄美民俗村」は、奥氏自身のアイデンティティ探求の場(とその場を創出する試み)であると同時に、周辺の住民にとっても同様の場になるよう構想されています。島育ちの彼は、海や山を駆け回り大きくなりましたが、1953年の奄美群島日本本土復帰を境に、周りの環境が変化し出したといいます。一番大きかったのは、家庭内で標準語が使われ、学校の科目の勉強が学びの中心となったことだそうです。
同時にこの頃から本土の文化が称揚され、シマの文化は軽視されたといいます。1954年には奄美群島復興特別措置法が発布され、シマに投入される復興資金によって島内の道路や建物や生活習慣が変化しました。その後彼は、親のすすめで東京都内の高校を卒業し、名瀬市内の観光ホテルに勤務。1972年には独立して「ばしゃ山村」を設立しました。
「ばしゃ山村」で体験できることが、お手元の資料に書いてあります。例えば「奄美の文化ふれあい体験」のコーナーでは、しゃみ(三味線)と太鼓で奄美の島唄を演奏することや、「八月踊り」という祭祀の体験ができると述べられています。どれも、地元の人々との交わりを前提としたものです。「ばしゃ山村」の設立モットーには、「心のふるさとづくり」が掲げられています。来訪客と住民がともに参加する「アクションプレイ観光」というものを目指しています。その構想の具体化が、「奄美民俗村」の建設です。施設内には、水田やきび畑、旧式家屋、焼き物の窯などが作られ、地域住民が来訪客とともに農作業を行ない、ことばや郷土の食べ物を教えられるようになっています。
奥氏によれば、自身が構想する「出会い型観光」の目的は、かつてのシマの生活文化を自分たちが実践しつつ来訪者にも体験してもらうことだといいます。ここには、地域文化を観光という形をとりながら復興させ、それによって自分自身がシマの人間であることを確認するという仕組みがあります。シマのなかにいるだけでは自分が何者なのかという問いの前に立つことは少ないけれども、外から人が訪れることで、あらためてそうした場に置かれる機会が出てきます。経済的な利益をあげることだけが、施設建設の目的にはなっていないといえます。
「癒し」という言葉を使えば、来訪する観光客は、南島の生活を擬似的に体験することで癒され、同時に、観光客を迎え入れる側も「民俗村」という場での活動を通して、自分たちがシマの人間であることを確認できるというわけです。これは、他者との出会いの契機を確保しつつ、ローカルな場での自己実現を目指した試みだといえます。そして、こうした仕組みをつくりあげることが、グローバル化におけるアイデンティティ探求、地域おこしと癒しの要件だと考えられます。
武者小路:各ご報告とのつながりを考えながら、コメントさせていただきます。観光にも2種類あるという見方ができます。沖縄本島で開催されたサミットの折に、各国首脳を前にして沖縄の音楽と舞踊が披露されました。そうした伝統芸能を観た先進工業諸国の首脳たちの側が、どのようなまなざしだったかと考えると、私はどうもそこにエキゾチズムがあると思うわけです。つまり、観る側は自分たちとは違う「珍しいもの」をそこにみていたわけです。
同じ時期に、いろんな民族が集まって音楽を演奏するイベントを、沖縄の音楽家・喜納昌吉さんがやっていました。そこでは、エキゾチズムなど全くありませんでした。参加者は、お互いに全然違う音楽に、それぞれ感情移入して、皆で聞き入り、皆で楽しみました。同じ観光とか同じフィッシングをやっても、その態度には、異国情緒的な珍しいものを少し上から見るという立場と、そのなかに入って一緒に楽しむという立場と、全くことなった姿勢が、2種類あります。「奄美民俗村」は、いっしょに楽しむ観光を目指したものだと思います。お話をききながら、そうしたことを痛感しました。
先ほどの、方言と標準語や個人と集団との折り合いがどのようにつくかという邑中さんの問題提起とも、この佐藤さんの報告は関係してくるのではないでしょうか。つまり、多様な人たちが訪れ、その人たちがそこで共通の場をもつことによってつながることに、都市化の不安に対するひとつの答えという意味があります。
それから、もうひとつ考えたことを申します。お話は柳田国男が主張し鶴見和子さんが展開している「漂泊と定住」に関係していると思います。つまり、漂泊と定住のぶつかり合いから新しいものが出てくるということです。まさにこの「奄美の文化ふれあい体験」では、シマの人びとは定住、観光客は漂泊という関係になっているのではないかと思われます。また、森さんの報告との関連で言えば、土着的なものをどのように活かすかというときに、地縁によるつながりと、金光大神の縁によるつながりという違いはあります。しかし、違いが同じという側面もある。この違いと共通性はどこにあるのかと考えると、金光教のほうが普遍的だといえる。信仰を持てば日本のどこにいても土着的なものに安住するような安心の境地が得られるといえます。そこのところの関係がどうなっているかがはっきり分かればいいなと思います。
島添:佐藤さんの報告を補足するような形で、また武者小路先生の疑問にお答えするような形でコメントさせていただきます。奄美では、東南アジアのように、観光施設が伝統的な集落から少し離れたところに建設されます。シマの人たちからみると、土地の人が住めないような浜に、観光施設をつくりそこに観光客を呼び込むのです。こうして、伝統的な社会空間に観光客が入りにくいようにして、シマと観光が共存しています。だからこそ、午前の問題提起の際に私が指摘したように、シマ社会の伝統が続いてきたのではないかと思います。
この「ばしゃ山村」の経営者の方は、1947年生まれということですね。私が知っている範囲で申し上げますと、この世代は、小さい頃にはシマの生活文化にどっぷり漬かっているものの、大人になって、シマの文化を十分に体得し受け継ぐ前に、出稼ぎや進学で、シマの外へ出て行ってしまう方々が多くいます。歌を例にしますと、シマウタは大人の歌なので子どもは歌いません。この世代の人たちは、大人になって歌を歌う時期になると、島外あるいは都市へ出稼ぎに行ってしまいます。そのため、彼らの歌体験は、カセットやレコードを通したものです。とはいえ、この世代は、方言は使えないけれども聞いてわかりますし、標準語が使えます。だからシマへ帰ってくると、標準語を使って本土の観光客を相手にすることで、観光客とシマの人たちの架け橋としての役割を担うわけです。
このように言ってしまうと語弊がありますが、彼らは、そういう立場に追い込まれ、そういう形でしか生きていけないのではないかと思います。歌えないし踊れないということで、彼らはシマの社会には溶け込むことができません。そうすると、シマの伝統の担い手にもなれません。シマの伝統の担い手は、シマのなかにずっと居る人たちです。もちろん、シマのなかに居る人も、シマの外を知らないというコンプレックスは抱えています。しかし、シマのなかに居てお年寄りたちから伝統を受け継いだ人たちに比べると、シマから出てシマの伝統の担い手とはならなかった人々は、シマのなかには居づらい。そうすると、奄美の都市部で生活し、シマに居る親にはしょっちゅう会いに行くけれども、シマには戻らない。彼らは奄美にいながらも、自分の生まれジマから程よく離れた空間に、自分たちの生きる場所を見出しているのではないかと思うのです。
武者小路:今の奄美の状況とタイの仏教の状況とは、かなり違うと思いますし、金光教とタイの上座部仏教はだいぶ異なるとも思いますが、矢野さんが研究なさっているタイの仏教運動は、村おこしのような仏教というよりも、近代化したセクターのための宗教運動でしょうか。今までの話との関連で言えば、自分の名前やほかの人の名前を仏像に入れられるというのは、どちらかと言えばそれは上座部仏教というよりは、お互いの功徳を共有していく大乗仏教に近い信仰の仕方が入ってきていると思われるのですが、いかがでしょうか。
矢野:私が研究しているタイの仏教運動は、上座仏教の経典的な解釈から読んだら分からないと考えています。むしろこれは、上座仏教圏のなかで実践されている民衆の仏教の一形態だと考えた方が分かりやすいと思います。そうすると、近代合理主義との接合ということがあまり重要にはなってきません。教理上の問題ではないわけです。むしろ、民衆の信仰のなかでは、村の人間関係や人との付き合い自体が信仰の儀礼と一体化しています。村が解体すれば、信仰も解体する。信仰を再構築するということは、人間関係の再構築でもあります。ただ、そこに村はもうありません。
「漂泊と定住」という先ほどのお話で言えば、そこに居るのは漂泊の人です。私もおそらく、漂泊の人だと思います。私は東京生まれで、田舎がありません。また、地方の言葉も持っていません。土地に対する愛着心が全然ないわけです。邑中さんのご発表で示された地域や地方のリアリティは、私が持っているリアリティとは全く違います。私がここで問題にしたのは、漂泊の人です。その人にとっては、まず土地がない。仕事場や地域社会が、バラバラのルールで動いている。彼らは、その一つ一つの所で、自己形成をしていかなければなりません。金光教の話に絡めて言えば、信仰共同体をつくるといった場合、そこに信仰を共有していない人びとがいて、その人びととの関わりのなかで自己形成をしていかなければならないわけです。
昔の村では、そうしたことはあり得ません。村で人間付き合いすること自体が、人間的にも信仰的にも自分をつくることでした。現在は、そうした場が分担されてしまっています。邑中さんと佐藤さんの発表にも関連しますが、漂泊と定住という問題では、私がお話ししたのは漂泊の問題だと思います。タイの中でも、定住している村の問題を解決しようとして、NGOや日本からも宗教系のボランティア団体がやってきて活動しています。村おこしもしているし、地元の人たちもそのなかでアイデンティティを見出そうとしています。ただ、それを見ていて思うことがあります。お互いに学びあって関わっているけれど、乗り越えていない点が一つあるのです。つまりそこには、漂泊者と定住者がいるのではなく、漂泊と定住のどちらかを選べる人と、選べない人がいるということです。
私的な話で恐縮ですが、私の妻はタイ人です。彼女は貧しい村で育ちました。とても海外へ行ける環境にはありませんでした。たまたま、彼女は大学まで進学しました。彼女の家族は、小学校までしか出ていない。外国へ行きたいとしても、行けません。一方で私には、日本だけでなくタイに住むというチョイスもあります。向こうの人が受け入れてくれるか、くれないかということもありますが、私にはチョイスがあります。向こうの人は、受け入れるということの中でしかチャンスを見出せません。動こうとしたら、それは非合法の動きになります。この非合法の動きの人が、東京にもたくさんいて、私の妻のところにも連絡してきます。しかし、会えないのです。彼女たちはビザを持っていない。私の妻は持っている。彼女らから見れば、妻は、漂泊ができる地位に着いたわけです。彼女たちは、日中には外に出たくないと言うそうです。不法滞在で捕まるからです。そうすると、人間関係をつくるにも作れないし、タイの同じ村からやって来ている人がいても、会うチャンスがありません。非合法で漂泊で東京に来た人は、昼間は定住するしかないという状況に追い込まれています。
武者小路:今朝の発題で言わなかったことを今のお話につなげて申します。私は漂泊の漂泊で、ベルギー生まれの四分の一フランスの血がはいった混血です。どこにも故郷がないわけです。しかし、私が今一番関心を持っているのは、日本が単一の民族で単一の文化で単一の言語で…といわれる一方で、日本にたくさんの外国人の方々が入ってきているということです。グローバル化のなかでとても大事だと思うことは、このように大量の移住者が外国に定住していく、いわゆる「ディアスポラ」(ユダヤの民が散り散りばらばらになったことを示すギリシャ語に由来)の問題です。
第一のディアスポラは、ユダヤの民。次のディアスポラは、アフリカ系の人びとが奴隷となって方々へ散らばったということです。日本の中でもディアスポラとして、在日韓国朝鮮人の方々や、中国系の方もおられます。その人々は、純潔・純粋な日本民族だけで一丸となって国を起こし、そのなかで安心してくらしてきた日本の均質性に基づく『和』をやぶるものとして、石原都知事などに毛嫌いにされている。しかし、聖徳太子の時代の日本は、定住をしている縄文人のほかに、朝鮮、中国、薩摩隼人、隼人はマリオポリネシアで、いろいろなところの人が混ざっている漂泊列島だったと思います。大袈裟に言うと、日本列島が多民族間の抗争の地だったからこそ、聖徳太子は「和」が大事だと言ったわけです。
ところが十七世紀の西欧からの植民地圧力のもとで鎖国をした時、日本はみな同じだから「和」が大事だという逆の意味になってしまいました。ところが、今の日本はまた漂泊の人たちがたくさん入ってきています。そこで素晴らしい多文化が生まれる可能性が生まれている。そこは、たとえば実は新宿の歌舞伎町です。但しその多文化の花は、すさまじい暴力のもとで人身売買に遭い、奴隷働きさせられたりしている人びと、特に女性や子どもたちの強制された多文化共生社会になっています。これは残念なことです。歌舞伎町は、警察側から見れば無法地帯ですが、無法地帯にしては町の中の犯罪発生は、以前よりは増えたとはいえ、かなり少ないのです。
ディアスポラの女性たちは、それを取り仕切る日本人や中国人、中国の朝鮮自治区などから来ている国際犯罪組織やヤクザたちに、ひどく搾取されてはいますが、なんとか我慢して折り合いをつけています。もちろん、ヤクザ同士の殺し合いもあります。しかしとにかく折り合いを皆つけてはいるのです。警察が共通の敵だとする点で、みんなが団結しているところがあるわけです。これはいいことではないけれども、共生と強制とが共存している一つの形だと思います。暴力があり、ジェンダー的にも人種的にも、ひどい条件のもとでではありますが、そこで生活する女性たちはきれいな心を保っている。先ほどのお話にもありましたが、タイの女性たちが一番苦労をしています。
フィリピンの女性の多くは、ママさんの了解のもとで、教会へ行くことができます。教会へ行けば、集った人たちと交流が出来ます。タイの女性たちはそうではありません。したがって、民族や出身国によって差が出てきます。歌舞伎町に対して、「多文化探検隊」というNGO団体は、日本が単一民族などというつまらない国ではなく、多文化のすばらしい国になりかけていることを、みんなで探検し、実際に触れてみて、一緒に考えていこうと活動しています。この団体は九月一日には、歌舞伎町で防災訓練をやっています。フィリピン人でタガログ語しか話せない人たちにも、その他、ラテンアメリカや東欧からきていて日本語を解さないセックスワーカーたちに、どこどこへ逃げろという避難のアナウンスを理解可能な形で伝え、怪我をしてどこが痛いのかを医者や看護婦に通訳するために、タイ語やタガログ語などいろいろな地域の言葉を話すボランティアを集めて、防災訓練をやっています。
石原都知事の東京都でも、防災訓練はやりますが、地震になれば三国人とか不良外国人が暴動を起こすなどと言って、戦車を繰り入れて歌舞伎町の悪い奴らを制圧するための予行演習をしています。この二つの立場がありますが、どちらかと言えば、私は石原さんの方は好きではなくて、「多文化探検隊」の方がいいと思います。私など、人身売買で連れてこられた人たちの人権ということで彼らのことを考えてきましたけれども、人権というだけではなく、その人たちが日本を豊かにしていて、そこに新しい対話の可能性が生まれているのだという多文化探検隊の考え方を、私たちはもっともっと学ぶべきではないかと考えるようになっています。定住と漂白との相互交流の大切さは、日本人市民と歌舞伎町などの人身売買被害者のあいだにもある。私の今朝の話の裏には以上の問題関心があるということを、ここで申し上げておきたいと思います。
品川:先ほどの定住と漂泊に関連しますが、グローバル化のひとつの特徴として、地理的なこと、つまり具体的なスペースから離れるということがあります。都内の歌舞伎町や大久保のタイ人コミュニティーがあるとすれば、タイから離れた場所ではあっても、そこはタイではないかという問題があります。タイ文化から離れてしまったということではなく、ただ単にタイという地理から離れたものだと考えるのですが、いかがでしょうか。
武者小路:日本のタイ人コミュニティーとタイのコミュニティーとは、つながっているのかという問いですね。どうでしょうか。
矢野:そうしたつながりは、ないと思います。
島添:奄美・沖縄出身者たちの場合、都市部に彼らの居住区があります。居住区が出来れば、その中で、出身者たちは結束します。しかし、それは、自分たちの故郷であるシマとは別の空間です。シマと居住区とのやりとりはもちろんありますが、この二つの空間は一線を画しています。その一線をどのように説明するかは、いろいろあるのですが… 。
佐藤壮広:ごく単純に言えば、居住地区で、果たしてシマと同じランドスケープが描けるかということになるかと思います。故郷から食材を送ってもらい、食生活はシマと同じにすることはできても、見える風景がシマ(あるいは故郷)とは徹底的に違います。この点で、居住地区とシマ(あるいは故郷)は一線を画すのではないでしょうか。青森から都内へ出てきた僕にとって、八王子や高尾は、ある感情をわき揚がらせる場所でした。大学二年の夏、八王子の友人宅へ遊びに行ったときのことです。京王線特急電車が多摩川を越え、遠くに山が見えたとき、とても懐かしいという気持ちになりました。いわゆる、癒されたという感覚になりました。都市での生活に少し息苦しさを感じていたからでもありましたが、僕はそこで、山が見えるだけでホッとする感覚が自分にもあると気づいたわけです。その感覚を今はこうして対象化して話すことができますが、当時は、なんだろうなこの気持ちはという感覚だけで、言葉になりませんでした。
武者小路:奄美・沖縄出身者の居住地区など、ある程度の人数が集まっている所ならそうだと思いますが、大久保のフィリピンの方たちが住んでいるところでは、フィリピンの物を売る店があります。そこには、山は見えないけれども縮小した擬似的なランドスケープがあります。神島ニ郎さんが言っていることですが、擬似的な村、県人会などを作らないと生きられないということもあります。また一方で、ランドスケープが多様化していることが、アイデンティティの問題にどう関係するでしょうか。
品川:先ほども触れましたが、「伝統」と「自分たちのコンセンサスとしての伝統」は違うと思います。日本のタイ人コミュニティーや沖縄・奄美出身者の居住地区などに住むいわゆる中間的な人たちも、伝統というものをある程度再構築しています。元だと見られている本当の村でも、近代化によって伝統は変化していて、伝統だと思われているものも再構築されています。そうすると、どちらかと言えば、これが本当の伝統、これがにせの伝統、といった区別よりは、程度の違いとしてそれらを捉えたほうがいいのではないかと思います。伝統というものはコンセンサスである、と捉えたほうが、アイデンティティの問題を扱うときにはわかり易いのではないでしょうか。
武者小路:タイ東北部のメイサイというところに四年前にいったことがありますが、その近くの村で興味深かったことは、そこに伝統的な村落があり、貧しい村々ばかりが並んでいるかと思ったら、貧しい村のすぐ隣には新しく出来た村がありました。そこは、都会に勤めに行く人たちが作っている村で、新しい「むら」コミュニティでした。そこでは、ミニスカートをはいた女性がオートバイに乗っている。すぐ隣に、全然違う伝統文化がある。しかし、両方とも形こそ違っても、同じタイの文化だと思います。奄美・沖縄でも、シマといっても生活習慣などはかなり多様化しているのではないでしょうか。
島添:そう思います。例えば、奄美大島には、都市部とその周辺地区があり、生活習慣なども、本土化という形で、多様化していると言えます。徳之島やそのほかの群島でも同じです。それに、シマの若者たちの多くは、本土や沖縄、さらには海外へ移住していきます。お年寄りであれば、本土に移住した子どものもとに移住し、そこで一生を終えるということもあります。そうした意味で、シマの人々の生活は多様化していると言えます。
ただし、シマの伝統は、それでも保たれていると思います。ホブズボウムは、創られた伝統もあるけれども純粋な伝統もあると言っています。両者の違いは、そのカスタムが続いているか続いていないかだというのです。私の例で申しあげれば、シマの伝統において、対話はカスタムであり、その対話が続いている限り、シマの伝統は保たれていると言えるのではないかと思います。
武者小路:そこでひとつお聞きしたいのは、奄美の音楽がワールドミュージックとして世界的に注目されることは、伝統ではないということでしょうか。
島添:奄美のシマウタがワールドミュージックとなったとき、歌の対話の部分以外は引き継げたのですが、対話の部分が抜けてしまいました。対話はシマの歌では本質的な部分です。ところが、音楽が芸術であることを考えれば、生半可な芸術では人の心を打つことはできないと思います。やはり、欠けてしまったものを補う核心を創らなければ、あるいは創ってこそ、それがワールドミュージックになるのだと思います。シマウタがワールドミュージックとなったとき、対話の代わりに核心に組み込まれたのは「癒し」だと、私は考えています。
武者小路:ああ、なるほど。
森:癒しということについて、ちょっと伺いたいのですが。これは、佐藤さんの発表のキーワードにもなっていましたが、癒しと対話は、同じものなのでしょうか。癒しとはむしろ、「そのままでいいよ、変わらなくていいよ」と言われるから癒されるのだと思います。先ほどの、人の住めないところに「奄美民俗村」というテーマパークを作るということですが、そこに行く人は漂泊を選べる人で、そこに何かを体験しに行くわけですよね。そこで、「そのままでいいんだよ」と言われて、楽しい思いをして、何も変わらずに、また普段生活している所へ帰って行くことが多いのではないでしょうか。そのテーマパークで対話があった上で、何かが共有されたり、交わされたりした上で帰っていくのでしょうか。癒しと言った場合、どういう意味で癒しなのか、お聞きしたいのですが。
矢野:今の質問に便乗しての発言なのですが、私も、癒しって何なのだろうと考えました。以前、佐藤さんとも同じようなことを話したことがあります。そこでの私の仮説なのですが、「甘え」という人間関係がポイントだと思うのです。甘えが人間関係を語るキーワードだった時代には、癒しという言葉はあまり必要なかったという気がします。甘えは、特定の社会内での人間関係における個あるいは主体のあり方と言っていい。それが、現在では壊れてきているのかもしれません。そうした時に、サービスやモノとのつながりの中で、ある種の甘えを構築していく。そこに、癒しという言葉が生まれるのではないでしょうか。そうすれば、テーマパークにおける癒しということも理解できるようになると思います。生身の人間が介在しなくても、甘え関係が成り立つということです。
佐藤壮広:しかも、擬似的であれ、そこに対話的関係が成立していれば、甘えの舞台設定としてはそれらしく見えるということですね。そうした商品としてのテーマパークの構造は、確かに矢野さんの指摘の通りだと思います。先ほど用いた癒しという言葉は、半ば意図的に使いました。昨年のワークショップの折に、武者小路先生から「グローバル化における癒しとはどのようなものか」という質問とコメントをいただきましたので、今回はそれを受けて自分なりに考えてみました。さて、「それでいいんだよ」と受容されて癒される個々人のあり方は、確かにあると思います。ただ、そのときの場所の設定はどうなのだろうというのが、今回の発表での問題意識でした。たとえ作られたものであれ、テーマパークにはそうした癒しの可能性があるのではないかと思ったわけです。
「それでいいんだよ」と言う側と、言われる側。双方の「それ」が指すものは、必ずしも一致するとは言えず、たえず対話の中で構築されては壊され、生成し続けるものだと思います。そうした、肯定的な対話や受容という形だけでなく、よりポジティブに獲得される癒し、創り出される癒しを考えることが出来るのではないかと思うのです。癒しという言葉で、何でもかんでも事柄がまとめられる傾向がありますが、そこにいくつかの位相があるということを、テーマパークの事例を通して考えてみた次第です。
癒しが時代のキーワードになってだいぶ経ちます。最近は、どの都道府県でも「癒しの森へようこそ」「癒しの宿」「癒しの里の四季」等々と、癒しという言葉を冠して観光地の宣伝をしています。日本全国どこでも、癒しの場として売り出しているのです。Googleという検索エンジンで、インターネット上の癒しと地域のページを検索すればわかるのですが、四十七都道府県のどの地域も、癒しをキーワードに売り出しています。ちなみに、癒しと○○(都道府県の名称)というふたつの語句で検索をすると、件数が多いのは沖縄や北海道、そして東京です。逆に少ないのは、例えば九州では佐賀県です。七月五日の時点で、沖縄が約12,000件ヒットするところを、佐賀では約5,000件という状況です。件数だけの単純比較なので、これ以上は何も言えません。ただ、沖縄や奄美などの南の島だけを癒しの場所として特化して位置付けることは、現状にそぐわないだろうと思います。ともかく、いたるところで癒しのスポットが開拓され、また売り出そうとしています。列島がそれぞれの地域で、癒しを求めているということだと思います。だから、その場所でどのようなことが試みられているのかを考える必要があると思ったわけです。
武者小路:そろそろ休憩の時間です。癒しの問題は休憩後にすることにいたしまして、駄洒落をひとつだけ。癒しには、卑しい癒しもあります。それと卑しくない癒しとの違いを、今後考えていく必要があるでしょう。
===休憩===
武者小路:癒しの問題について皆さんに質問したいと思います。再帰性というか、自分で反省して何かを考えると、かえって癒されない気持ちになることが多いのではないのか、むしろ何も言わない方が癒されるのではないのだろうか、という問題です。又、その裏として、金光教のことも含めてですが、新興宗教の中で、わたくしが関心ありましたのは、かなり癒しというよりも怒りというか、今の世の中が我慢できないという気持ち、批判と抵抗の心があるのではないか。世の中を批判して反省して再帰的になるという、そういう筋道もありうる。つまり癒しでないほうが再帰的になるのではないか、という点について皆さんのお考えを伺いたいと思います。いかがでしょう。
実は中部大学で学部の卒論の指導をしておりまして、面白い卒論がありました。それは文部科学省の心の教育についてですが、「心の教育」というのは、今家庭がめちゃくちゃになって、子ども達が犯罪に走って困るというので心の教育が大事になってきているということなのですが、その論文は、この点と「癒し」についてのアメリカのフェミニストの本を読み、癒しが大事だという事と、心の教育を結びつけています。とても面白い癒しなのですが、どう見ても、文部科学省のねらっている「心の教育」とはちがっている。文部科学省の心の教育というのは、子どもの権利などひとつも考えていない、例えば子どもの権利条約とは相反する発想にたっている。昔と同じ様にしつけてあげれば子どもは犯罪をしないで親が癒されると、そういう発想です。それとアメリカのフェミニズムの癒しとはかなり違うのだけど、違いを意識しないで結び付けてしまえる、という側面もある。だからもしかしたら昔の伝統的な家父長的な倫理に基づく「癒し」というのが、文部科学省の専門家たちの意見の根底になっているのではないか。そんなわけで、「癒し」というものは、再帰的でない、昔のものはよかった、という事につながると、とんでもない人権無視になる恐れがある気がするのです。金光教の場合はどうなのですか。癒しと世直しというか…。
森:世直しという考えは、あまり無いんですね。むしろ、先ず個人の心が良くなればきっと世の中が良くなる、という考え方です。他の民衆宗教と比べても、その意味で独自性があると思います。自分の心から直していくという点が。そのために対話を行うということです。ただ癒される、というのは、私は再帰的ではないと思います。
武者小路:では対話をする、という事で再帰的なのですね。
森:そうだと思います。野口さん、アメリカを研究していらっしゃる立場からいかがですか。
野口:アメリカ人って、まず癒されたいと思うのでしょうかね。まず競争主義の原理がありますからね。ただ面白い事に、日系人のコミュニティってありますよね。あそこはなかなか大変な問題を抱えていて、一世、二世、三世と世代ごとに切れてしまうんですね。そこでどうコミュニティを形成していくか、どう対話的な空間を作れるかということを考えていくのです。日本でいわれている癒しは、原点に戻ろう、みたいなものがありますね、甘えとか癒しとか。ただ、それを過度に求めすぎるのはどうかと思います。癒す人がいるから癒されるわけです。癒す人を究極的に求めすぎると、それこそ現人神みたいになっちゃうんですよね。癒してくれるから自分も癒す、という、総合的に癒さないと…。
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