純ちゃん’s House

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抗がん剤開始そして退院そして再発


10月21日。告知の翌日。
いつものように病室に顔を出すと姑がいきなり私に
「ねえ、このように書いてあるということは私はあと2年しか生きられないということなの?」としつもんされた。
えらく戸惑った。
「そうです。」ともいえないし・・・
何とかなだめる方法がないものかと考えた挙句に私が出した答えは「これはあくまでも統計上のことであって抗がん剤がうまく効けば3年4年と生きられることもありえるしまたは1,2年で・・・となってしまうかもしれないのでこればかりはわかりません」と・・・言うしかなかった。
でも姑にはかえってがんばって直そうという前向きな気持ちになったみたい。
抗がん剤は10月27日からということになった。
1日2回(朝、晩)3カプセルずつ。

胃を全摘した姑にとっては一度に飲み込むことが大変だった。
ましてや空腹状態では服用不可なので、何かしらか食べなければならない。

そしてうれしい話として11月1日退院の許可が主治医から出た。

11月1日。
朝早く行って姑の退院にあたり、荷物の整理と会計を済ませ、退院後初の外来が1週間後となってるので1週間分の薬をもらって病院を後にする。
退院後いきなり家の仕事をするのはもちろん体力が落ちてる姑にとってはとても酷なので社会復帰がある程度できるようにわが家で同居することになった。
大体1ヶ月ちょい。
やっぱりいろいろ気を使います。ここだけの話1週間でギブアップ。
でもそれはいえないので我慢我慢。
もちろんある程度は姑にも手伝ってもらいながら家のことはやってました。
でもそんな中遠くから姑のお姉さんが10日くらい手伝いに来てくれて一時自宅に戻ってた日もありましたが・・・
そんな日が続き12月の頭の外来時に自宅へ帰り、自分でやってみるというので同居生活は終了。

師走がすぎ、お正月。
みんなで主人の祖母の家に集まり法事とお料理を食べたのだがここで事件がおきた。姑が嘔吐してしまった。
根っからの早食いなので同居時からゆっくりかんで食べるようにと何度言ってもだめだったのよ。
たとえ自分ではゆっくりかんでるつもりなんでしょうが・・・
このときの私の予感は食べすぎて嘔吐しただけとしか感じてなかった。
でも後に姑から話を聞くとそのとき胃の縫合した辺りが詰まるといってた。
お腹の縫合したところもしこりを感じるといってた。

それから姑の家にずっと遊びにいけず電話ばかりで済ませていた私。
調子はまあまあといってた。
それを鵜呑みにしてましたが・・・
2月の半ばあたりからずっとあまり食べられない状態に。
食べても少しばかりですぐ嘔吐してしまう。
寝てるときも普通の背もたれだとやはり嘔吐してしまうので座布団などで高さをつける羽目に。
2月の中旬の外来で先生に症状を話しCT検査。
ずっと状態が改善されるということはなかった。

運命の3月1日
外来で再発を本人に直接告知される。
あわせて余命も10ヶ月くらいという話をされた。
本来は治療を受けたこの病院で再入院し、治療をしたいのだがあいにく満床で一刻も早く治療開始が必要なため提携を結んでるK病院へ入院ということになった。



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