義祖母が18日に亡くなり
御通夜、葬式と忙しく過ごしておりましたが
今朝になり、ようやく落ち着いて過ごすことができる状態になりました
義祖母とは、わりと近いところで関係があったので
私的、立場において普通よりも忙しい状態だったわけです
そんなこんなで、睡眠不足と疲れでグダグダです
3日間ほどパソコンも触っておらず
スマホさえも触っていた時間はわずか
さて、ここ数年の間は礼服を着ないで済む年はない
毎年、誰かが亡くなっております
昨年は、4回も礼服を着ることとなりました
しかも一ケ月の間に3回も・・・
正直、人が亡くなること自体に不自然さを感じることはないです
生きた時間は、人それぞれ違っていることも当然のことですし
この世を去ることもあたり前の出来事だと思っています
ただ、どんな関係であったにせよ
やはり、側に居た者が、この世を去るということに寂しさを感じます
ごくあたり前のことと分かっていても
いつか、自分自身も同じである
確実に死という現実を受け止めなければいけない時が来る
そうした時に、自分自身の人生がどうであったか
残していく者達に対して悔いはないだろうか?
おそらく、そうしたことを考えるのではないかと思っています
私自身が、あとどれぐらい生きていられるのか
自分では、さっぱり不明であって
明日と言う日を生きていられる保証なんてないんです
だから、今日という日を大切にしたい
敬愛すべく我が友が
タイムリミットが近づいてることを自覚しながらも
希望を捨てることはなかった
そうした現実を、私自身の事の様に感じながら最後を看取った
命が消える瞬間
その全てが、本人の意志で無いことを深く感じました
生きたい!
どんなに強く望んだとしても
その想い、意志、希望は
去る瞬間において何の意味もなさないことだと
だから、いまを大切にしたい
明日という日を生きていられる保証がない以上は
今日を一生懸命に生きたい・・・
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