なぜ「やりたいことが見つからない」と悩むのか
やりたいことがないといけないと定義されてしまっている
しかし、最終的に何を良しと定義するかは自由
特別にやりたいことがなければむしりして探す必要はない
何かをやるから価値が生じるのではなく、すでに価値があるから次の行動(ステージ)に更なる価値が生まれる。
『自分』というオリジナル価値
「自分」の経験・体感に基づいた独自の意見と見識
特別をも目指して、特別なことをやろうとしていないか
本当にやりたいことというのは、「理由」がなく自然発生するもの
「やりたい」と「やらなきゃ」は別次元
・「やりたいこと」に手本はいらない
→ 不安や焦りが少ない
他人と自分をあまり比べない
やっているだけで楽しく、その行為そのものが報酬なような状態
※ これらを一言で言うと「楽しさ」の比重が大きい
・世間にやらされていないか
「やらなきゃ」でも無理くりひねり出すと、初めは新鮮さからそれなりに楽しく感じる
でも
次第につまらなくなる
「やらなきゃ」という言葉の発生は
いまのままではダメだ、足りないという考えが根底にあることに起因している
不快感があると常に満たされていないので、常に何かを求める
私たちは常にいつも「無いという事実」ばかり興味を持っている
→逆にすればいい
「やりたいことを探さなきゃ」
と考えているときの感情は気持ちいいか?
気持ち悪いか苦しいのならば、それは不要
最も効率よく幸せを得るには、往復な時間を意図的に多くすることが近道
前に読んだ”「やりたいこと」の見つけ方”とは逆のタイトルだったので、気になったので読んでみた。
なぜ、やりたいことなんて要らないのかと思ったけど、はじめにを読んでただの言葉のあやであった。
「やりたいこと」は自然とやっているものが「やりたいこと」となっているだけで、やりたいころを探すことに集中して「やらなきゃ」になっている場合は必要ないということだと思う。
私は「やりたいことがないといけない」と思い、「やりたいこと」探しをスタートしてしまっているので考え方を変えるチャンスだと思う。
「幸福な時間を意図的に多くする」
”やりたいことの見つけ方”の本にもあったが、私が今やっていて楽しく感じている事。
「やらなきゃ」ではなく、自然とできて楽しいものをしっかりと楽しんでいこうと思う。
ちなみに新しい知識を得ることは凄く楽しい。
「やらなきゃ」から始めているので、もしかしたら違うかもしれないけれど
今は楽しいので続けていきたいと思う。
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