心の病気ではなく
様々なシステムにより生み出された障害
そんな障害により、私たちの無関心は出来上がっている
例えば
公共の場での広告
物凄く便利で、欲しいもの得たいものがわかりやすく・かつ派手に街中やテレビ番組なのではとりあげられる
しかし、大切であってもお金にならなければ、一瞬のいい話だね・いいことだね
で終わってしまう。つまりお金にならないものは日に目を見ないものが多い。
続いて政治
とても重要な話で、私たちの未来を決めることなのに
「一人が意見を言っても無駄」
「どうせ賛成しても反対意見につぶされる」
様々な雑誌でも政策も粗探しをするだけで、その真意になると問い合わせ先や追加情報などもない。
あったとしても探しにくいか、結局はたった一つの事例を取り上げたい著者のみの意見だけだったりする
これがお金になるものであれば、追加情報や問い合わせ先など、探さなくても目に入る
そして、最後にヒーローによるリーダーシップだ
ヒーローについて悪いことなんてないんじゃないか
そんな風に考える方は多いと思う
けれど、ヒーローについては、リーダーシップについて間違っているメッセージを出している
それは「外的要因によってリーダーとなる」としていること。
神のおつげや力は誰かに言われて手に入れられるものと…
つまり誰もがヒーローとしてなりうるのに、ギフトをもらえたから!!としている
そうやって私は違う、お金にならないから、何言ってもかわらないから
と無関心にさせられているのだ
つまり、無関心は心の病気ではなく
世間に張り巡らせられた参加を拒む障害の事である。
しかし変化というものは、人から言われてはじめるものではない
自分から始めるもの
無関心という障害を取り除いてしまえば、私たちはなんだってできる
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