SEKAI NO OWARI (セカオワ)などと言うバンドがあらわれてみたり、「光」、「救世主来たれ」などと軽々しく宣伝で使われたりと、いろいろと騒がしくなっている。
そのようなことについて、実はイェシュアが神の真理を求めている人々に残している指示がある。
その様な時代にあって、イェシュアは以下の様に話している。
宮が素晴らしい石や奉納物で飾ってあると話していた人々があった。するとイェシュアはこう言われた。
「あなた方の見ているこれらの物について言えば、石が崩されずに積まれたまま残ることのない日がやって来ます。」
彼らは、イェシュアに質問して言った。「先生。それでは、これらのことは、いつ起こるのでしょう。これらのことが起こるときは、どんな前兆があるのでしょう。」
イェシュアは言われた。「 惑わされないように気をつけなさい。私の名を名乗る者が大勢現れ、『私がそれだ。』とか『時は近づいた。』とか言います。そんな人々の後について行ってはなりません。 戦争や暴動のことを聞いても、怖がってはいけません。それは、初めに必ず起こることです。 だが、終わりはすぐには来ません。 」
それから、イエスは彼らに言われた。「しかし、これらの全ての事の前に、人々はあなた方を捕らえて迫害し、会堂や牢に引き渡し、私の名のために、あなた方を王たちや総督たちの前に引き出すでしょう。それはあなたがたの証しをする機会となります。それで、どう弁明するかは、あらかじめ考えないことに、心を定めておきなさい。どんな反対者も、反論もできず、反証もできないような言葉と知恵を、私があなた方に与えます。しかしあなた方は、両親、兄弟、親族、友人たちにまで裏切られます。中には殺されるものもあり、私の名のために、皆の者に憎まれます。しかし、あなた方の髪の毛一筋も失われることはありません。
あなた方は、忍耐によって自分の命を勝ち取ることができます。 しかし、エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、その時には、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。 その時、ユダヤにいる人々は、そこから立ち退きなさい。田舎にいる者たちは、都に入ってはいけません。 これは、書かれている全ての事が成就する報復の日だからです。
その日、悲惨なのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。この地に大きな苦難が臨み、この民に御怒りが臨むからです。
人々は、剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ、異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。
そして、日と月と星には、前兆が現れ、地上では、諸国の民が、海と波が荒れどよめくために不安に陥って悩み、人々は、その住む全ての所を襲おうとしている事を予想して、恐ろしさのあまり気を失います。天の万象が揺り動かされるからです。
その時、人々は、人の子が力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗ってくるのを見るのです。 これらのことが起こり始めたなら、体をまっすぐにし、頭を上にあげなさい。贖いが近づいたのです。 」(ルカによる福音書21章5〜28節)
世が混沌とする時には、人は救いを求めて様々な人や物にすがろうとする。「溺れる者は藁をも掴む」という諺どおりである。歴史を振り返ってみても、「敵国が攻めてくる気配がある」という恐怖に駆られると、人は「強い指導者」や、「偉大な宗教家」などといった人間や、「金」や「武力」といった物に縋るのである。石油ショックのころ、「トイレットペーパーがなくなる」といった噂を鵜呑みにして、トイレットペーパーが買い占められ店頭から姿を消したという史実がある。よくよく考えれば洗えば済むはずなのが、パニック状態になり思考停止に陥って、トイレットペーパーを買い占めたのである。そんな紙に頼るのではなく、生ける神とその独り子である救世主イェシュアにより頼む方が確実であるにもかかわらず、だ。
これは危機的な状態に陥ってパニック状態になった時、人は普段の行動を基に行動するか、最も早く安全な場所に行きたがる傾向があるという事の証明でもある。これは、以下の調査やその他の研究文献からも明らかである。
「住民の水害時避難選択に関する研究」
http://www.arch.kobe-u.ac.jp/~a7o/activity/theses-data/gra-mas/h19_m_kikuchi.pdf#search='%E3%81%84%E3%81%A4%E3%82%82%E9%80%9A%E3%82%8B+%E5%82%BE%E5%90%91+%E9%81%BF%E9%9B%A3%E6%99%82'
の4ページ目の避難経路の選択で、「避難場所までの最短距離」「いつも通る道だから」が最も多い回答であることに留意してほしい。
イェシュアは、この時にどうすべきか明らかに述べている。「エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、その時には、その滅亡が近づいたことを悟り」、「その時、ユダヤにいる人々は、そこから立ち退きなさい。田舎にいる者たちは、都に入らず」、「これらのことが起こり始めたなら、体をまっすぐにし、頭を上にあげなさい。」と言っているのである。そして、その様な光景に直面しても恐れず、かえって忍耐によって自分の命を勝ち取ることができる。と言っているのである。
ところが、普段からイェシュアの言う事に聞き随っているのでなければ、その様な現実に直面した時にはパニックに陥り、これまで通りのやり方である「最短」で「慣れ親しんだ」滅びへの道をためらわずに突き進むことになるのである。
イェシュアはこの後で、以下のように述べている。
「イチジクの木や、全ての木を見なさい。木の芽が出ると、それを見て夏の近いことが判ります。そのように、これらの事が起こるのを見たら、神の国は近いと知りなさい。
真に、あなた方に告げます。全ての事が起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。この天地は滅びます。しかし、私の言葉は決して滅びることがありません。
あなた方の心が、放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んでいるところに、その日が罠のように、突然あなた方に臨むことのないように、よく気を付けていなさい。
その日は、全地の表に住むすべての人に臨むからです。
しかし、あなた方は、やがて起ころうとしているこれら全ての事から逃れ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。」
イェシュアに学んだ者は、このことを知っている。だから、いつも油を絶やさず、(油断せず)主に祈るのだ。その日が具体的に何月何日なのかは判らずとも、その日が近いことを知っているがゆえに、慌てることなく平安のうちにその日を迎えることができるのだ。主イェシュアにおける信仰があるからこそ、何があっても平常心でいられるのだ。信仰の力はここにある。
この後数回にわたり、時が近いのはなぜ判るのか、そして何をすればよいのかについて書き進めてみようと思う。
タグ: セカオワ 世の終わり 終末
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