きっかけとなったのは、地域系サイト「Jタウンネット」の記事だ。ツイッター、フェイスブックなどでは、地元出身者を中心に「ウチは湘南だ」「あそこは湘南じゃない」などとさまざまな声が出ている。そこから見えてきた、現代の「湘南」の範囲とは。
「相模湾沿い全部湘南!」に「広すぎ!」
「湘南ボーイ」という言葉も今や死語だが、古くは石原慎太郎氏の小説や映画「若大将」シリーズ、最近でもサザンオールスターズや湘南乃風の楽曲の舞台として、きらめく太陽、輝く海のイメージとともに、今なお「湘南」という地名はちょっとしたブランドだ。
にもかかわらず、湘南の範囲には定説がない。たとえば平凡社の『世界大百科事典』では、
「神奈川県中部、相模湾岸一帯の地域名」
としつつ、「範囲は一定していない」として断定を避けている。
ところが最近、神奈川県の進める観光プロジェクト「かながわシープロジェクト Feel SHONAN」では、
「湯河原から三浦までの相模湾沿岸を『湘南』と呼びます!」
と宣言してしまった。要するに小田原や横須賀なども含めた神奈川県の相模湾沿いすべてが「湘南」だというのだ。
Jタウンネットが2014年10月7日、この事実を取り上げたところ、地元在住者を中心に、ツイッターやフェイスブックでたちまち議論が沸騰した。圧倒的に多かったのは、
「いくらなんでも広すぎるだろ!」
という声だ。
調査では「茅ヶ崎〜葉山」が最多
Jタウンネットでは、「湘南の範囲はどこまでだと思いますか?」と題したウェブアンケートを行った。16日までに3074の応募があったが、県が宣言した「湯河原〜三浦」を支持したのはわずかに4%。「三浦が湘南のわけないだろ」「いやー、小田原は湘南じゃないっしょ」と反応は厳しい。一応、小田原は自動車も「湘南ナンバー」なのだが......。
対して最も支持を集めたのは、茅ヶ崎から藤沢、鎌倉、逗子、葉山の範囲を湘南とする「茅ヶ崎〜葉山」の35%だ。これに西側の平塚、大磯を加えた「大磯〜葉山」が26%で続く。
中でも、茅ヶ崎・藤沢エリアは、投票者中92%が「湘南」と認めた。「湘南は逗子、葉山、鎌倉まででしょう。某グループが湘南と言い張っていますが、茅ヶ崎は湘南じゃないでしょう」と言い張る反対派もいるが、ここをひとまず湘南のコアとしていいだろう。
平塚、大磯あたりに来ると、湘南としての認知率は半数を割って48%まで落ちる。特に平塚は、「平塚はなんちゃって湘南」「平塚は微妙なところ」などとひどい言われようだ。なお、大磯など相模湾沿い西部には「西湘」という呼び方もあり、「西湘ブランドで推せば良い」との声も目立つ。
逗子・葉山は66%。明治時代には「湘南」といえば逗子あたりを指したが、その中心は藤沢・茅ヶ崎に移ったようだ。また逗子は湘南と認めるにしても、「葉山は海あるけどサーファーがいるぞくるぞって感じではあまりない」ので湘南ではない、との説もあった。
湘南ナンバーでも大激論
また「内陸部は湘南じゃないだろ」という主張も強い。慶応大学湘南藤沢キャンパスなどがある湘南台(藤沢市)や、東海大学湘南キャンパス(平塚市)が好例だ。
「そこを湘南と呼ぶのは詐欺だと思った。『〜台』って言うんだから海じゃないよね」
「東海大学の湘南校舎はあまりにも内陸なので、学内の他校舎の学生からは『丹沢校舎』と呼ばれている...」
思えば湘南の範囲をめぐる話題は今に始まった話ではなく、1990年代前半の「湘南ナンバー」誕生時にはその適用範囲をめぐって自治体が綱引きを繰り広げるちょっとした騒動となった。平塚市が音頭を取った「湘南市」構想も一時盛り上がったが、結局とん挫している。
どこからどこまでが湘南か。この問題をめぐる波風は、そう簡単には収まりそうもない。
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