ライバルが主人公の物語には、しばしばこんなフレーズを見かける。「家康が最も恐れた男」。だが、これがひとりやふたりではない。家康ビビリ過ぎ−−こんな声が聞こえてきそうだ。
独眼竜政宗に直江兼続、「震え上がらせた男」も登場
「徳川家康が最も恐れた男って、いったい何人いるんだ」。
インターネット上では、今まで何度か「議論」されてきた話題だ。確かに歴史小説で「家康が恐れた」との「枕詞」を使っているものは、
「伊達政宗 秀吉・家康が一番恐れた男」(星亮一著、さくら舎)
「家康が最も恐れた男 直江兼続」(加来耕三著、グラフ社)
「真田一族−家康が恐れた最強軍団」(相川司著、新紀元社)
と割と簡単に見つかる。東北の雄「独眼竜政宗」、上杉家の家老で、関ヶ原の戦いでは家康に対抗して西軍についた兼続、家康と渡り合った真田昌幸に、その子で大坂夏の陣では家康をあと一歩まで追いつめた真田幸村。いずれも強敵だったことは間違いない。真田昌幸の場合は単独で、「家康が怖れた機略縦横の智将」(竜崎攻著、PHP文庫)とも紹介されていた。
検索すると、ほかにも出てくる。「江戸三〇〇年 大名たちの興亡」(江宮隆之著、学研M文庫)では、目次で、家康の重臣だった大久保長安を「家康が恐れた異能の出頭人」と取り上げている。さらに上智大学が運営するキリシタン文庫の定期刊行物「キリシタン研究,・第 17 巻」には、「関ヶ原」で家康に味方し、後に安芸(広島)を治めた福島正則を「日本の諸大名の中で、(豊臣)秀頼が最も希望をかけ、一方、家康が最も恐れていた」としている。少し表現が異なるが、「戦国闘将伝 慈悲深き鬼 島津義弘」(戦国歴史研究会著、PHP研究所)の表紙には、「家康を震え上がらせた男」の記述が見られる。
確かにこうして見る限り、敵だけでなく味方や重臣まで周りには「恐れた男」だらけとなる。
寺尾聰さんは「タヌキの皮をかぶったオオカミ」と評す
広く知られているように、家康は順調に天下人への階段を上ったわけではない。三方ヶ原の戦いでは武田信玄の軍勢に叩きのめされ、命からがら居城に逃げ帰った。織田信長亡き後、天下統一を果たしたのは豊臣秀吉だった。信玄や信長、秀吉も家康が「恐れた男たち」だったに違いない。
裏を返せば、ひとつ判断を間違えれば一瞬で脱落しかねない天下取りレースの中で、「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」に象徴されるような忍耐強さと慎重さを忘れず、敵味方を問わずに冷静に人物評価できていたからこそ、好機を逃さずに最後に勝利を収められたとも考えられる。「恐れた」は、単に強敵におびえていたというよりも、大物武将たちに対して決して油断せず、同時に畏敬の念を忘れなかったと解することもできそうだ。
NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」で家康役を演じている俳優の寺尾聰さんは、番組の公式サイトの中で、家康を「タヌキの皮をかぶったオオカミ」と評し、こう続けた。
「寡黙でじっくり状況を見据えて、一瞬の隙をついて獲物に飛びかかるような人だと思う」。
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