写真を含む、ここに記す一切は北澤聡明氏の謹書の写しです。
入村して行く。
当時、山奥の無医村の悲哀の一つに、
死亡する前に村から医者のいる町まで運ばなければ、
死亡診断書を書いてもらえなかった。
10人掛かりで戸板に載せて運んだと記録にある。
曽祖父の入村で随分助かったと思われる。
ただ、人口密集地でない山間地の開業医であるから、
経済的に裕福とは言えない、そんな暮らしだった。
曽祖父の子らは、官職の一人が村に残っただけで、
他は村外で生計を立てている。
無理もないですよ。
私の父親も生まれるのだが、やはり出ている。
しばらくは、林業が盛んだったが、人口が増えるかと言うと、
期待できるほどではなかったと思われる。
坂ばかりの傾斜地に家が点在している。
平らな場所は河川の脇になる。
だが、災害の恐れを考慮しないと家は建てられない。
山奥過ぎるのだ。
今この村は、リニアのトンネルの掘削口がある。
この残土排出のための道の整備や置き場が必要になり、
大分整備された。
オマケの整備もされている。
国道152号線秋葉街道の整備だ。
分杭峠から大鹿村までの間は、今まで1車線だった。
それが、倍の道幅に拡幅している。
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