"Speaking in Tongues"は1983年6月にリリースされました。前作" Remain In Light(邦題: リメイン・イン・ライト)"はBillboard200アルバムチャートで初めてTop20入りを果たし(19位)、RIAAでのゴールド・ディスクに認定されました。この頃のトーキング・ヘッズは、ライブハウス"CBGB"で活動していたデビュー時の荒削りなパンク・サウンドはすでに消え失せ、ファンクやアフロ・ミュージックを大胆に取り入れたエスニック・サウンドと、これらを音だけでなく、身振り手振りや顔つきなどい全身で表現する中心人物の David Byrne( デヴィッド・バーン。vo,gtr)の個性あるキャラクターで、異彩を放ったニュー・ウェイヴ・バンドとして評価されはじめておりました。特に"Remain In Light"の" Crosseyed and Painless"は完全なファンクで、プロモーション・ビデオも黒人ダンサーが踊りまくり、" Once in a Lifetime"ではアート感漂うポップ・ソングで、ビデオもデヴィッド・バーンの奇想天外なダンスで注目が集まりました。これらはプロデューサーとソングライティングに関わった Brian Eno( ブライアン・イーノ)のボーダーレスな音感覚の影響もさることながら、イーノがトーキング・ヘッズの持つグルーヴ感を引き出せたことも大きな要素でありました。
"Remain In Light"の後、メンバーの Chris Frantz(クリス・フランツ。drms)と Tina Weymouth(ティナ・ウェイマス。bs)夫妻によるプロジェクト" Tom Tom Club( トムトムクラブ)"の活動や、 Jerry Harrison( ジェリー・ハリスン。gtr,key)のソロアルバム" The Red and the Black(邦題: 赤と黒)"の発表があるなどして次の"Speaking in Tongues"の発表までおよそ2年半のインターバルができました。
" Speaking in Tongues"ではブライアン・イーノとは別れを告げ、トーキング・ヘッズのセルフ・プロデュースとなりました。独特のアート感やファンキーなサウンドは前作同様でしたが、これにアメリカナイズされたポップな作風が加わり、シングルカットされた" Burning Down the House"も非常にポップで、前作の"Crosseyed and Painless"や"Once in a Lifetime"とは一線を画したナンバーでした。"Burning Down the House"のプロモーション・ビデオも、メンバーの形態模写が登場したり、バーンの顔が夜の路上に浮遊しながら映し出される印象的なシーンなど、グループのユーモア感たっぷりに仕上がっています。
陽の当たった1983年7月23日、Top Rock Tracksチャートに8位にエントリーした"Burning Down the House"は、翌週は39位に急降下しました。しかし次には13位と盛り返し(当時のロック・チャートにはこうしたチャートアクションはよくありました)、8月13日付で8位とトップ10入りを果たします。そして10位にダウンするも8月27日付で6位に上昇し、この日が最高位となりました。その後は下降し、結果19週チャートインしました。Top Rock Tracksに初めて顔を出したトーキング・ヘッズの摩訶不思議なチャート・アクションでした。
一方、Billboard HOT100シングルチャートでの"Burning Down the House"は、セカンド・アルバム" More Songs About Buildings and Food(邦題: モア・ソングス)"収録で、ソウル・ミュージシャンのAl Green(アル・グリーン)のカヴァー、" Take Me to the River(邦題: テイク・ミー・トゥ・ザ・リバー。26位)"以来のTop40入りを果たしたどころか、1983年10月22日に 第9位を記録、トーキング・ヘッズ唯一のトップ10入りしたヒット曲となりました。
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