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2018年09月03日

9月3日は何に陽(ひ)が当たったか?

Kansas(カンサス)のシングル、" Fight Fire with Fire(邦題: 炎の欲望)"がBillboard HOT100シングルチャートで87位にエントリーした日です。このシングルチャートのアクションは散々でしたが、メインストリームロックチャート(当時はTop Tracks chart)では、現時点でKansasが記録した中で最高位を獲得しています。
 脱退した Steve Walsh( スティーヴ・ウォルシュ。vo,key)に代わって John Elefante( ジョン・エレファンテ)が加入し、新生Kansasとして1982年に発表された前作" Vinyl Confessions(邦題: ビニール・コンフェッション)"はBillboard200アルバムチャートで16位まで上がるカムバック・ヒットを放ち、シングル" Play The Game Tonight(邦題: プレイ・ザ・ゲーム・トゥナイト)"がBillboard HOT100チャート17位、Top Tracks chartで4位を記録して、Kansasの新たな黄金期が訪れるかと、大きな期待が寄せられました。
 ところが、"Vinyl Confessions"のツアー終了後、Kansasのサウンドで重要なポストにいたヴァイオリニストの Robby Steinhardt( ロビー・スタインハート。vo,violin)がグループの脱退を表明したのです。"Vinyl Confessions"で見せた新生Kansasは、チャートの上でも誇れる記録であり、それまでKansasの顔であったSteve Walshの脱けた穴をJohn Elefanteが見事に埋めてくれたことで、このままの体制で続くかと思われた矢先の出来事でした。実は"Vinyl Confessions"の反響は思わぬ方向にも進んでいて、Kansasの新たな要John Elefanteのポップな作風や、Kansasの楽曲創作を手がけてきたメンバーの Kerry Livgren( ケリー・リヴグレン。gtr,key)の書く宗教的な歌詞などに受けが良かったのか、キリスト教音楽界(Contemporary Christian music。 CCM)でも人気が高揚し、CCMが発行するCCMマガジンでも1982年のベストアルバムと賞賛して、新たな聴衆層を獲得することになったのです。そもそもKansasはKerry LivgrenとSteve Walshで楽曲が作られ、曲を聴いただけで両者のどちらが書いた曲かがわかるほど極端でありましたが、それらのマッチングがあってこそのKansasの音楽で、そのメロディの代名詞的存在がRobbyのヴァイオリンでした。しかしSteveが脱けた当時は、Kerryの宗教観に理解できるメンバーとして選ばれたのがJohn Elefanteであり、彼のブレーンには兄の Dino Elefante( ディノ・エレファンテ)ら強力なサポートがあり、この新風がKansasに吹き込むことによって新しいマッチングができたのです。これが新生Kansasでありました。
 前作はRobbyのヴァイオリンが全盛期時代のKansasをしっかり残していた音でしたので、全盛期の音を楽しみながら、新しいKansasも聴くことができたのです。しかしこの新しいマッチングに耐えられず脱退を決心することになったRobbyの、ヴァイオリンなしで制作されることになった次作" Drastic Measures(邦題: ドラスティック・メジャーズ)"は、文字通りの"荒療治"となって世に登場したのでした。
 1983年にリリースされた"Drastic Measures"は、全9曲中、Kerry Livgrenの書いた曲は3曲目" Mainstream(邦題: メインストリーム)"と最後の2曲" End of the Age(邦題: 時の終焉)"、" Incident on a Bridge(邦題: 或る橋の出来事)"の3曲のみで、あとの6曲はJohn Elefante、もしくはJohnとDino兄弟の共作でした。1曲目に収録された、今回のメインである" Fight Fire with Fire"もElefante兄弟の書いた作品でした。
 確かにKerry Livgrenの書いた3曲などにも、Steve在籍時代のようなスリルあるドラマティックさが所々で散見できますが、全体を通しては過去のリリカルかつトリッキーな作風は消え失せた形で、叙情的なメロディを引き出すヴァイオリンが存在しないため、全体的にポップでストレートな当時人気の80年代風のロック・サウンドとなり、これまで以上に幅広い聴衆層が期待できるアルバムとなりました。しかし、この荒療治は新生Kansasにとって、かえって大きな岐路に立たされることになりました。
 陽の当たった1983年9月3日、Billboard HOT100シングルチャートでファースト・シングルの"Fight Fire with Fire"が87位にエントリーしました。一度聴いたら忘れられないギターのリフが印象的なロック・ナンバーです。ドラマ仕立てで制作され、メンバーも俳優として出演したプロモーション・ビデオも話題になりました。そのアクションですが、87位の後は79位→71位→61位と順調に上がり、次の10月11日付で58位に上昇するも、これを最高位に翌週は78位、98位と下降し、まさかの7週で圏外に消えていきました。ただし、Top Tracks chartでは8月13日付で30位にエントリーして以降、次週18位→7位→5位→6位→5位→ 3位→11位→10位→15位→27位→47位→55位と13週チャートインし、動きの激しいロックチャートの中で8週Top10内にとどまり、しかも4位を記録した前作からの"Play The Game Tonight"の記録を塗り替えて、現時点でのKansasのメインストリームロックチャートでの最高位を記録したのです。
 しかし肝腎の"Drastic Measures"は前作で得たCCMの反響も期待していたほど少なく、Billboard200アルバムチャートでも最高位41位と、厳しい結果となりました。よりソフトにポップな曲で勝負しようとカットされたセカンドシングル" Everybody's My Friend(邦題: エヴリバディズ・マイ・フレンド)"もTop Tracks chartで34位に送り込んだに過ぎず、ついにはメンバーの柱であったKerry Livgrenおよびベーシストの Dave Hope( デイヴ・ホープ。bass)が脱退を表明してしまいました。
 翌1984年にリリースされたベスト盤" The Best of Kansas(邦題: ベスト・オブ・カンサス)"は、そのジャケットに過去のアルバムのジャケットのシンボルがすべて使用されるという興味深いものでありましたが、アルバムチャート154位に終わりました。このベスト盤収録の、Elefante兄弟の作である新曲" Perfect Lover(邦題: パーフェクト・ラヴァー)"を、John Elefante、ドラマーのPhil Ehart(フィル・イハート。drums)、ギタリストのRich Williams(リッチ・ウィリアムス。gtr)、Dino Elefante(bass)そしてバック・ヴォーカリストにCCM系のアーチストでクリスチャン・ロック・バンド、Sweet Comfort Bandのヴォーカル兼キーボーディストのBryan Duncanを迎えて苦境を乗り切りましたが、メインストリームロックチャート(Top Rock Tracks)で54位に終わり、その後Kansasは初めての活動休止を決断することになりました。長い沈黙期間が訪れ、次の登場は1986年にSteve Walsh中心のメンバーで再結成アルバム" Power(邦題: パワー)"を引っさげて復活するまで待たなければなりませんでした。

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タグ: billboard KANSAS
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