おはようございます!
小島です。
本日も
【「言葉」との向き合い方 】
についてお伝えしていきたいと思います。
本日は少し難しい話からさせていただきますが、
あなたにとって、とても大事な話ですのでどうぞ最後までお読みください。
「即自存在」
何かがそれ自体において存在していること。
「対自存在」
自分に対して自分が向かっているというあり方。
フランスの哲学者 : ジャンポール・サルトル
サルトルは、「即自存在」・「対自存在」という言葉を以下のように表現しています。
「即自存在」
人間以外のモノ。
モノ自体が「なぜ存在するのか?」などと感じてはいないし、何も考えていない。
ただ、それ自体がそこにあるだけ。
「対自存在」
私たち人間のこと。
私たち人間は、
自分の「意識」というモノを持っているので「即自存在」という概念が成り立たないのです。
いくら自分自身に「なぜ存在するのか?」と問いかけても、答えらしきコトを見つけられずに、
「無意味」だと思ってしまうのです。
「即自存在」と「対自存在」そして、私たちが存在しているこの世界では、
モノ(事物)と私(自意識)とあともう1つの存在で構成されているのですが、
そのもう1つの存在とはいったいなんでしょうか?
それは、
他人の存在です。
サルトルは、この「他人の存在」から見られた対象としての私のことを「対他存在」と表現しました。
この他人という存在は、私が見ている対象でありながら、私のことを見ている主観でもあるのです。
そして、こうした「対他存在」をつくり出すのは他人の「まなざし」だと言ったのです。
「対他存在」
主体としての対自が他者にとっての客体として現れるような存在のあり方。
私たちは、決して他人の意識の中へと入り込むことができないことはお分かりだと思いますが、
この「対他存在」とは他人のものであり、
この視点からは自分が自分のものではなくなってしまうのです。
他人が存在し、そして他人が自由に想像する限り、
私たちは他人によって「他有化」されるわけです。
そして私たちがここで考えていかなくてはいけないことは、
何も感じず、何も考えずに「即自存在」としていきていくのではなく、
「対自存在」として私の意識が創り出す自分、にだけ焦点を合わせることでもなく、
他人視点から認識される「対他存在」としての私をいかにして演出し感じさせ、
自分の思った通りの存在へと他人の意識を近ずけることができるのか。
ということに自分の意識を置くことが重要なんです。
要するに、
自分も他人も乗り越えた視点、構造をメタ認知して超越した高視点で、
私という存在を捉えていくことが必要なことです。
もし、これまでに自分に対する他人の評価が、自分が思い描いているようなコトとなっていないのであれば、それ自体を否定・批判するのではなく、
「他人に対して何が自分の存在をそのように思わせてしまっているのか」
「他人に対して何が自分の存在の評価基準として、印象をもたらせてしまっているのか」を
一段次元高く俯瞰して構造的に捉えるのです。
そうです、
このような視点こそ「プロデューサー視点」ということです!
あなた自身が自分のプロデューサーとなり、自分を思い通りのままに演出していく。
これこそがいわゆる「自己プロデュース」というのです。
他人に対して「自分」という存在をどのような見方をさせて、どのような世界観を他人に語らせるのか。ここに視点を当てる以外はないのですね。
そして最後に、
私が、自己プロデュースに大事なことだと思っているのは、
いかにして「人間的であるか!」です。
これからは「より人間的」な人間が求められる時代です。
今までの常に合理性を求め、追求してきた時代というのはロボットに任せて、
より人間的な人間が価値がある時代となるのです。
そして、この人間的時代のキーワードが、
「スマートクリエイティブ」です。
スマートクリエイティブとは
多才で、多様な分野に旺盛な好奇心を示し、
それでいて専門性と創造力を併せ持った人のこと。
「何かを知っている人」ではなく、
「何も知らなかったとしても、最適解をその場で導ける人」です。
つまり
「Information(インフォメーション)」よりも
「Intelligence(インテリジェンス)」が必要だということです。
高次元の高視点 =「神目線」で自分という存在をプロデュースしていきましょう!
ゆっくりで大丈夫です。しっかりと行なっていきましょう!
【LIBERAL & CREATIVE】ALIVE.
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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