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2020年07月23日

ゲームと共有する事



しかし、ゲームには2種類しかない。
それは、一人でやるか多人数でやるゲームかだ。
これはゲームが出来てから変わっていないはずだ。

私は四半世紀以上ゲームをやっている。
私がゲームを始めたころはオンライン対戦や協力プレイなんてものはなく、対戦や協力プレイをするためには友達の家か自分の家、ゲームセンターに実際に集まってゲームにいそしんだものだ。
誰かとゲームをするということは、実際に誰かと面と向かってゲームをやることだった。
難しいゲームをあーでもないこーでもない言いながら、友達と同じ時間・気持ちを共有したものだ。

オンラインゲームが普及した今、どうだろう。
見ず知らずの誰かと対戦・協力プレイをする事で、同じ時間は共有できても気持ちは共有できていないのではないか。

私が良くやっているゲームでもこの事が当てはまる。
「誰ともわからない人とやっているから自分のプレイは適当でもいい」「自分は自分が好きなように楽しめればいい」と思っている人が多い。
確かに、自分が楽しむことがゲームをすることの目的であるとは思う。それを否定することはできない。
でも、実際にはどうだろう。自分だけが楽しめるようにやっていれば他の人も楽しめているのだろうか。
画面の向こうに誰かがいる。それを知ってなお、自分だけが楽しめるような事を見ず知らずの誰かに押し付けるのか。

最近も似たようなことがあった。
配信中の人に、「チームプレイなんだからそれはちょっとまずくない?」とコメントしたところ、その人は不快になって私をブロックした。
そのあとに、「自分が好きなようにやっていることに、押し付けはやめろ」だそうだ。
確かに、その時の私は遊び方の押し付けをしたのかもしれない。
しかしどうだろう。「自分がすきなように遊ぶ」ことで、見ず知らずの誰かに迷惑をかけていないか。
「自分が好きなように遊ぶ」ことを、見ず知らずの誰かに押し付けていないか。そこをもう一度考えてほしい。

誰かと遊ぶという事、誰かが遊んでいるのを見ることが出来るという事。
技術の進歩によって、いろいろなことが出来るようになった。
世界中の人とゲームができるようになった。

便利になったことで、一緒にゲームをしている誰かと色々なことが共有できているだろうか。

一緒にゲームを楽しめる環境の幅が広くなった今、肩を並べて楽しんでいる感覚をもってみてはいかがだろうか。












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