宝幢寺は奈良時代に行基によって開かれた古刹で、最上家の祖である斯波兼頼によって南北朝時代(室町時代)に山形城下に移されたとされます。
現在残されている遠州流の庭園は江戸時代初期に当時の山形城主・松平直矩によって作庭・寄進された——と伝わってきたところ、近年見つかった史料により覆されたそうで。
松平直矩の前後に山形藩主を務めていた松平忠弘が城内の本丸庭園を作り直した際に余った石とモミジの木を使って、松平忠弘自身によって改修された庭園である——ということがわかったそう。なお松平忠弘は山形城主の他に播磨姫路藩、宇都宮藩、白河藩の藩主も歴任した大名。
宝幢寺は明治初期に廃寺となり、寺領が市の所有となり公園として開園。現在も紅葉の名所として市民に親しまれております。
こういう庭園が市街地にあるって素敵だと思います。
動画にしみました。よろしかったらご覧ください。
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