この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
広告
posted by fanblog
2020年09月30日
10月からは遊ぶ時間を作ろうと思います。
ここ数年の間、本気で遊ぶということをいてなかった・・・
そんな事に、ふと気づいたのは数日前のこと (^_^;)
あれ?
自分で気づかなかったの?みたいな変な感じです(笑)
さて、10月から何をして遊ぶの?ということですが。
久しぶりにラジコンで遊ぶことにします(笑)
数年前は、けっこうラジコンで遊んでいたので、なぜ急にまたラジコンなのかといいますと。
いま、私の部屋にラジコンがあります!
ちなみに私のではありません、チビちゃんのラジコンです!
ひょんなことからラジコンを始めることになったチビちゃんなんですが、私も一緒に遊ぶことにしようと思いまして(笑)
次回のブログでチビちゃんのラジコンの写真を上げるつもりですので、今回は写真は無しということでm(__)m
やっぱり、稼ぐこととか仕事や家庭に追われて日々が過ぎて行くだけって良くないと思うんです。
もちろん遊ぶためには、それなりの稼ぎがあってのことですが、適度に趣味を持つとか遊ぶことって大事だと思うわけです。
この数年の間、色々とありまして (^_^;)
一昨年前に所有していたバイクを手放してからは、ほんと遊んでないなぁ・・・と気づいたんです。
どうかなぁ〜この数年で3台のバイク全てを手放してしまったことが良くなかったのか?なんて思ったりもするのですが、それはそれで理由があったわけですし・・・
まぁ〜過去のことなのでね(笑)
さて、ということで昨日から本気でラジコンを買おうと思って、真剣にネットで検索しております。
いやぁ〜ヤバいです!
マジで欲しい!と思ってるのがありまして(笑)
マスタング大好きな私としては欲しい(笑)
まだ迷ってるところですが、というのもチビちゃんのラジコンはオフロード(ホーネット)。
一緒に遊ぶなら、同じジャンルが好いのかなぁ〜と考えてるところです。
先にも書きましたがチビちゃんのラジコンは後日にてブログに写真を上げますね。
(これです)
直ぐにでもポチってしまいたいのですが、チビちゃんがラジコンを手に入れることとなったのは誕生日だったからでして、しかもこの10月と11月にも誕生日が控えているわけですよ。
9、10、11月と誕生日の連発!
11月は妻の誕生日ということもあって、なかなか財政難となる私 (^_^;)
まぁ〜要求されてるわけではないし、別にプレゼントは無しとしても文句を言われることはないのですが、私としては誕生日ぐらいはね、日々の感謝とでもいいますか、ケチるところではないと思ってるので(笑)
まぁ〜そんな事もあるのですが、近いうちに私のラジコンを購入しようと思います。
そして、チビちゃんと遊ぶのだ!(笑)
こちら、8月に発売されたばかりの新商品という フォーミュラーE。
カッコイイですよね、欲しい(笑)
それで、かなり本気に欲しい!と思うのがこれ? ヤバい・・・カッコイイよね?
カー・オートバイ・ミリタリー・飛行機・艦船・恐竜・ラジオコントロールカー
★★星のマークでおなじみの【TAMIYA】
とにかく、誕生日にての出費を考えながらとなるので、勢いだけで高価なラジコンは買えませんが購入します(笑)
遊びも仕事も頑張らないとね〜人生は一度しかないので、できるかぎり有意義に過ごしたいものです。
では、また m(__)m
2020年09月26日
お金の使い方を考えてみたよ
まず、お金についての勉強って学校では教えてくれません。
このお金と表現するとなぜか汚いような感覚があるからですかね?
生きていくうえで必要なお金、これについては自分自身で勉強していかないとマズイのではないですかね。
ごく当たり前のことですが、生きていくためにお金は使いますよね。
生きるため、生活するための消費は必然的なことだと思うからです。
さて、消費とは?
欲求、欲望を満たすために財を消耗するといったことです。
例えば、時間を消費するとか、油を消費するということも、この消費にあたります。
物質、サービスなどをうけることで財貨を消費してるからですね。
消費ということに対して考えてみると、まず必要とされる「消費」そして「投資」「浪費」おそらくこの3つではないかと思のですが。
今回、お金の使い方を考えるということに至ったのは「投資」と「浪費」。
なぜなら、消費については考えることもなく必要として、あたり前のことと思うからです。
さて、投資という表現に何を想像しますか?
投資ですよ、おそらく株だとか不動産などをイメージされる方が大半ではないでしょうか(外れてますか?)
しかし、投資には多くの種類があると考えていまして、株や不動産だけではなくて自らの知的資産を築くためにお金を使うことも投資です。
スキルを高めるために勉強したり、何だかの機器を購入したりすることも投資ですよね?
では、ひとつお聞きしたいのですが、外出時において疲れたとか、暑くて喉が渇いた!だからコンビニで飲料水とおやつを購入しました。
これは、消費とするのか自分に対しての投資(元気になる、水分補給)といったことなのか、また浪費という部類なのか?
個人差がでてくることかもしれませんが、私的にはかなりの確率で浪費と思っていまして、何処にでもあるコンビニは必要以上に立ち寄ってしまう傾向があるからです。
ちょっと缶コーヒーが飲みたいと思って立ち寄ったコンビニで、ついつい他の物まで買ってしまう・・・
ありませんか、そんなことって(笑)
まぁ〜私事でいうとですね〜ちょくちょくあります (^_^;)
なんだろ、ついつい欲求というか無意識的に満たしたいというか、そんなことがあるわけです。
そして、この10月からお酒やタバコが値上がりしますね。
かなりの方が、お酒やタバコを購入されてると思のですが、値上げは辛いところですよね。
お酒に関しては、もう10年以上前に止めたので私としては問題ではないのですが、タバコは吸っているのでコンビニで毎日の様に購入するわけですが、その際についつい缶コーヒーを買ってしまう。
何ですかね〜タバコと缶コーヒーがセットみたいな感じで習慣化してるみたいな (^_^;)
まあ〜タバコも缶コーヒーも浪費でしかない・・・そんなことを思う様になったわけです。
飲み物を購入するにしても、私は回数が多いのかなぁ〜ということなんです。
この部分での出費を減らす、それを節約と表現しますが、この節約できるところはどこか?
単純に考えてみて「浪費」として出費してるお金ですよね。
この浪費たる部分が節約すべきところなんですが、わりと多くの方は浪費ではなく消費(生活費)を節約しようとしてしまう。
浪費とは、どこかで精神的な部分とか気持ち的な部分を満たすために、浪費してしまうことがあると思うので、言い方を変えれば「浪費」が浪費ではなくなっている可能性も否定できませんが、そこは気持ちを切り替えることで本来の投資といった方にお金を使うべきではないですかね。
同じお金を使うなら、人生を高めるとか豊かにする為の出費(投資)にお金を使えることが好ましいのではないかと思います。
タバコやお酒、頻繁に立ち寄ってしまうコンビニでの買い物も、その場の一時的な欲求を満たすためのものですよね。
将来的に価値を生み出す投資や出費には当たらない。
先ほど、タバコが欲しくなりコンビニへ行ってきましたが、やはりタバコだけでなく缶コーヒーも購入してしまいました。
たいして喉が渇いていたわけでもないのに・・・
でね、私は支払いの大半をスマホで決済しているので、その利用履歴を確認することができます。
この3ケ月ほどの利用履歴をみてみると、なんと100円とか200円といった支払いが頻繁にありまして (^_^;)
この、細かい金額って節約できる範囲の出費ではないだろうか?
一回当たりの出費としては大した金額ではないのですが、一年をとおして幾らになる?
ならば、何かを始めるためにとか、人生を変える為の投資に充てることってできるんじゃね?って思ったわけです。
さて、気づいてみたら長々と書いているので今回は、このあたりで終わろうと思います。
次回は、なぜ自己を高めるための投資にお金が充てられずに浪費してしまうのか?
この辺りを、私自身のことに当てはめて書いてみようと思います。
なぜなら、いまの私は人生を変えようとチャレンジを始めてるからです。
その為には投資が必要であって、そのお金の使い方を誤っていては大きな問題だからです。
では、また・・・m(__)m
長々と読んでいただいてありがとうございます。
感想(196件)
2020年09月18日
VR にみる未来
ネット環境を利用したサービスは増えるばかりとなるでしょう。
そうした中で、私が感じることのひとつが「VR」です。
バーチャルリアリティー いわゆる仮想現実でいいですかね。
この VR に対してみてる未来に「仕事」があると思っていてですね、それがどんなことなのか?
あくまで私が想っていることなので現実性があるのか?と言ってしまえば 何の根拠もありません。
しかし、いま多くの方が副業などに目を向け、実際に「せどり」「アフィリエイト」「ライター」もしくはアルバイトなど、何だかの行動をされてると思います。
そこで、この副業とVRです。
バーチャルな世界で副業をするといったことも、今後はありえるのではないかと思っています。
たとえば、いまでもアーティストなどがオンラインでライブ配信されたりしていますよね。
現在において、密になる集団で集まることを懸念するといった状況を考えてみれば分かりませんか?
好きなアーティストのライブをオンラインで視聴するのではなく、仮想現実の中でコンサートに参加するわけです。
しかも 3D で!みたいなね!
こうした事を考えてみると、そこに何だかのビジネスチャンスがあるのでは?と考えるわけです。
個人が VR の世界で稼ぐには、いったい何があるのか?
まず、私自身が技術者ではないので、私ひとりで現実化できるわけではないのですが、仮想現実の中で花火大会ができたらいいと考えています。
花火大会は、あくまで例えですけどね。
まず、先にも書いたとおり私はエンジニアではないので自分で開発ができないため、具体的に何をどうすればよいか、何から始めればよいのかサッパリ分かりませんけど、仮想現実において花火を上げられる場所?を作りあげること、そこで各エンジニアが創り上げた花火を打ち上げてもらいます。
もちろん、その世界に入りこみ花火を観る方にたいして、わずかであれ有料とすることで、花火を打ち上げるエンジニアの方には参加料を頂くといった感じです。
もちろん、花火を創りあげて打ち上げを行うエンジニアの方にもメリットが必要と考えるので、エンジニア自身の商品をそこで販売できる様にするということで、ひとつのビジネスとして成り立つのではないかと思うわけです。
何の知識もない素人の戯言的なことになってしまいますけど、不可能ではないのかなと思っています。
似た様はことを考えてる方もいるのではないですかね?
そんな感じで、例えばサラリーマンが一日の仕事を終えて帰宅しますよね?
帰宅後は VR にて副業!またはアルバイト!なんてこともありうることではないでしょうか。
本業は現実世界において、副業はバーチャルな世界で!
一見 バカげた話しかもしれませんけど、視点を変えてみれば楽しそうだと思いません?(笑)
なんかねぇ〜そうした現実が、すぐそこまで来てるように想えるんですけどね。
いまの、世の中においての自分の人生は?
ただ、会社勤めで終えるのも良しですが、それだけでは詰らないのではないかと・・・
最後に気になる記事がありましたので ↓
「外箱から本気を感じる「Oculus Quest 2」…Facebookが日本を“特別扱い”する理由」
(Yahooニュースより)
ということで、今回は私の考える「 VR」 その未来というか、私が望むことですね(笑)
では、また・・・m(__)m
2020年09月07日
安定した仕事とは
多くの方が「安定した仕事」に就きたいと言います。
さて、安定した仕事とは何か?
答えられる方はいらっしゃるでしょうか?
私は答えられません!
なぜなら、安定した仕事など無いと思ってるからです。
まず、ひと昔前の考え方で言うならば、大手企業に勤めることが「安定」だといわれました。
実際に、過去を振り返ってみて大手企業に就職することで安定が得られていたのでしょうか?
これは、正直なところ疑問を感じませんか?
では、振り返ってみましょう。
過去に「バブル崩壊」そして「リーマンショック」がありました。
そして、いまコロナウイルスにて制限がある中で不安定な世の中になっています。
昭和から平成と向かう中で、非常に景気のよい状態であったことはご存知でしょう。
多くの職種にて稼ぐことができた時代でした。
後にバブル崩壊があり、多くの方が職を失うことになり収入も下がった方も多くいたはず。
労働者の賃金が下がるということは、生活が安定しなくなるわけですが、そこで大手企業に勤めていた方々はどうでしたか?
大手企業に勤めることで安定していましたか?
大企業に勤めれば安泰であり、安定した生活ができると言っていたはずですが、現実はどうでしたか?
確かに、痛みが伴う中で経済は持ち直しました。
その後に、リーマンショックがありましたよね。
けっして古い記憶ではないかと思のですが?
どうですか、やはり大手企業であることで安定していましたか?
そして現在において、やはり安定した仕事だといえますか?
さて、ここで質問をしたいのですが。
まず、安定した仕事と言われる方々は、本当に安定した仕事(業種)をご存知なのですか?
安定した仕事とは?
知ったうえで、安定した仕事と言われているのでしょうか?
まさか、知らないにも関わらず「安定した仕事」と言われてるのであれば、どれだけ探しても安定した仕事など見つからないのでは?
だって知らないんですよね?
知らないということは、探しようがないじゃないですか。
そして、もうひとつ。
安定した仕事を探してる方々は、現在の仕事(職種)が不安定だと分かっていたのですか?
現在はわかりませんが、よく言われたのが「公務員は安定してる」といわれていたと思うのですが、いま現在において公務員として働いてる方々は安定した仕事であり、生活も安定しているのでしょうか?
そして、生涯において公務員という職を失う、また生活が安定しないということはないのでしょうか?
(ごく一部の方は安定してるのかもしれませんが・・・)
ここから先は、私の感覚で言葉を綴っていきます。
私が社会に出て数十年という経験の中で感じることです。
まず、安定した仕事(業種)などは無いと思っています。
では、不安定な仕事と共に、不安定な生活を送るのか?ということなんですが、安定させるために頑張る!ということだと思います。
自分が頑張ろと考えても会社がダメだと意味をなさないのも事実だと思いますが、基本的に安定させるために一生懸命に努力をするのではないでしょうか?
最初から安定してる仕事や生活はないのでは?
いまにかぎらず、過去に大手企業でのリストラは行われています。
業種として安定していれば、そのようなことは起こらないのではないでしょうか。
そして、体力のない企業や会社は消えてきたはず。
巨人化した企業は消えることはないでしょうが、経営体制が変わったりしてきたはずですね。そうすることで生き延びる事が出来るのが「大手企業」ということですが、それでも一社員としては仕事を失ったり収入が下がるといったことも珍しいことではありません。
結果的に、安定した仕事ではなくて、安定させるための努力ができる仕事かどうか?だと思います。
行きつく先は、安定して稼ぐことができるだけのスキルを個人で持ち合わせているかどうか?であって、勤め先の選択は大事ですが、勤め先がすべてではありません。
「安定した仕事」とは。
安定した仕事を探すのではなく、安定して稼ぐ為の努力とスキルを磨き、いかなる状況においても稼ぐ術があることを「安定した仕事」というのだと思っています。
私が考えるかぎりでいうならば、安定した仕事とは永遠のテーマだと思っていて、形ある物として探すことができるものではない。
自分で作り上げるものだと思います。
というか、感じています。
安定した仕事を探している!と言われる方、具体的な仕事(業種)として明確にできていますか?
わからないのであれば、見つけようがないですよね・・・
少しばかり皮肉的な言葉もありますが、私が感じてることをそのまま言葉として書きました。
気分を害する様なことがあったら、すみません m(__)m
しかし、ありもしない安定を探していたのでは・・・という思いの中で書いてみました。
では、また・・・m(__)m
【早い者勝ち!】.com/.net/.jp ドメイン取るならお名前.com
2020年09月04日
いまでも忘れない あの瞬間を・・・
誰もが、いつかこの世を去る。
それが特別なことでないことは十分に理解できてる。
この世に生まれ、いつか去る時がくる。
ごく当たり前のことである。
数年前に、友を失った時のことを想いだすことがある。
ベッタリとした関係ではなく、わりとドライな関係の中に深く心を許した部分があって・・・
共に過ごした時間を、いまでもハッキリと覚えてる。
おそらく生きてる間、忘れることはない。
そんな友が、この世を去る瞬間を目の当たりにしたことは、唯一の救いである。
友の最後を看取ることができたことは、ある意味幸せだとさえ思えるのだが・・・
でも、その瞬間がね・・・
あまりにも、あっけなかった・・・
人ひとりの死というものが、こんなにも あっけないものかと・・・
あの瞬間だけは、一生わすれはしない。
私が血を分けた兄弟や家族よりも信頼していたこと、いま本人が聞いたら 嘘だぁ〜!って笑うかもしれないが、それでも事実として私の中にあり、いまも変わらない。
このごろ、というか誰かがこの世を去ってしまったというニュースを見てるとね。
おそらく、その人が誰かにとって大切な存在であることは間違いないわけで。
如何なる理由を持ってしても、やはり誰かが悲しんでいるはずです。
此の世を去ることが、本来あるはずのないことならば別ですが、ごく当たり前のこと。
でもね、どのようにして此の世を去ることになったのか・・・
ここが問題だと思うのね。
理不尽なことで死を迎えることになるというのは、誰もがあたり前に死を迎えるのだから・・・と割り切れないよね。
どうしても理解できないことだよね。
一生懸命に努力し、頑張ってる人が何だかの理由をもって消えてしまうなんて・・・
ただただ、切ない・・・
いつ何があるか分からない。
明日も普通に生きているとは限らないわけで。
だから、どうすればいいの?なんて言ってるのも寂しいよね。
自分の人生は、自分だけのものです。
しかし、その人生に関わった人たちもいる。
それは事実です。
あたり前の死、しかしそこには多くの悲しみが伴うことも事実です。
できれば、普通に寿命を迎えることで去っていきたいですよね。
私の部屋には、一枚の写真が飾ってあります。
亡くなった友と私が一緒に写ってる写真なんですけどね。
毎朝、仕事に行くときに、行ってくるよ!って話しかけてしまうし、仕事を終え帰宅すれば、ただいま!って無意識に言葉を発してしまう・・・
友が去ってから毎日の日課の様になってしまってて、時折あの瞬間を想いだすわけです。
そして、後悔ですよ・・・
もっと沢山の時間を共に過ごすべきだったと。
過ぎてしまった時間は取り戻せないし、去っていった友も帰っては来ないわけで。
いつか、私も友の様に去る時が来ると思いながら、あの瞬間が頭をよぎる。
少しばかりの恐怖と、残すことになる大切な存在に対する心配とで、頭の中が一杯になるんだよね。
生と死・・・
ごく自然なことなのに、それをあたり前だと思えないことがある・・・
では、また・・・m(__)m