誕生日でした
もうお祝いしてもらうことも
言葉すら
もらうこともなくなって何十年だろうか
結婚した時から
姓が変わって
誰かの「私」になって
私の下の名を知る人もいなくなって
誰かの影にいて
都合いい時に取り出されて使われて
用がない時には「他人」だから
いないと同じ扱い
誰にも「おめでとう」を言われることも
祝ってもらうこともないということに
どうして疑問を持ってはいけないんだろう
たったひとりで生きているならそれでいい
でも
家庭にいて
自分の存在がいつも「誰か」の「私」で
その誰かの誕生日だけじゃなくて
いろんな家事をしている
自分は誰かに家事をしてもらうことはない
文句を言おうものなら
その誰かは、自分のことのみするだけで
私のことをすることはなくて
そこに座っていて
テーブルに食事が並ぶこともない
そんな毎日に生きる意味はあるのかと
しょっちゅう思う
私が、誰かの「私」でいることを止めれば
私を知る人はいなくなるのかもしれない
今年も誕生日を
自分で自分のために祝っている
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