網野菊著:「冷たい心」「一人暮らし」
「変わりはありませんか?やはり一人ですか?」
戸籍簿をくりながら訊ねる若い巡査に、よし子は「ええ」と答えた。よし子は、一人で暮らしていることを、あまり、他人に知られたくないのだが、相手が戸籍調べの巡査では、ごまかすことも、不安がることも不要だった。
この小説にたいして群よう子が「子供なんか要らない」のタイトルで独自の文を書いている。
原作者と同様に一人身の群よう子は、淋しさをまぎらすために動物を飼っていると思われたくない。子猫を甘やかすことは自分を甘やかす事。同じ立場の私は、それほどの意地をもって暮らそうとする彼女の姿にある意味で頭が下がる思いがする。
淋しさの先に見えてくるものがあるのだ。
幸い、小手を振って歩けるようになった私に比べ、当時の女性たちはほとんど意地で暮らしてきたのではないのだろうか。
私は、「冷たい心」「ひとり暮らし」を読んで、「淋しい」と思うほど恵まれている。
それなのに他の人からは「淋しい」といわれる。つまり、みんな他人の姿を眺め比較して、現在の生活を納得させているだけにすぎない。
そいう意味で誰もが「幸せ」で、「淋しい」のである。
わが身に置き換えれて、子もあり孫もあり幸せそのものであれど、やはり「幸せ」そして「淋しい」が同居している。
老いてゆく自分、老後の不安など永遠の幸せはありえない。
今を幸せと未来に夢を、漠然とした夢を抱いて生きることにかかっているのだ。
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