寛永寺にある歴代将軍の正室や生母らの墓
徳川家の菩提(ぼだい)寺、東京・上野の寛永寺にある歴代将軍の正室や生母らの墓に納められていた主な副葬品の修復作業が終わり、よみがえった十二単(じゅうにひとえ)や装飾品などから、大奥の華麗な生活や正室らの人となりが浮かび上がってきた。
十二単は、13代将軍家定の正室・澄心院(ちょうしんいん)の墓に副葬されていた。
最も外側にまとう大袖(おおそで)(丈189センチ、幅145センチ)で、もえぎ色の亀甲綴(きっこうつづ)り模様の絹地に、金糸で鳳凰(ほうおう)が刺しゅうされている。
五摂家の一条家から将軍家に嫁いだ澄心院が、嫁入りの正装としてまとっていた可能性がある。
澄心院は、26歳で亡くなった若き正室らしく華やかな副葬品が多く、約20点のガラスのかんざしには葵(あおい)の葉の飾りが付いたものもある。
また、12代将軍家慶の正室・浄観院(じょうかんいん)の墓からは、高さ2・7センチの水晶をくりぬいた仏舎利容器や経典類など、信心深さを示す副葬品が多く見つかった。
改葬に伴う発掘調査は2007年から08年まで行われた。
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