2018年11月25日
鶴見線4 Tsurumi Line 4
クモハ12のその後…
1980年に旧形の72系が引退したあとも車長17mで両運転台のクモハ12は使用されました。従来は武蔵白石から大川まで1kmを往復していましたが、1985年に昼間の運行区間を拡げ鶴見−大川間、鶴見−海芝浦間の運行に就きました。1996年、武蔵白石の急カーブのホームが撤去されて車長20mの車輌が大川まで運行可能となり、クモハ12は引退しました。
↑この時代、訪れた人には驚きであったレトロな電車、1930年頃製造のクモハ12。(1992年 鶴見)
↑ 鶴見−国道間の高架を行く。(1986年)
↑"観光客"を乗せて海芝浦に到着。(1986年)
↑ 上の写真の反対側から。(1986年)
↑ 新芝浦−海芝浦間の運河沿いを行く。(1986年)
↑ '90鶴見線フェスティバルの日のクモハ12の2輌編成。「つるみせんフェスティバル・90」の文字とワニのマスコットを描いた看板(右下)を付けています。(1990年 安善)
旧形車輌が引退し、新形車輌が登場…
あずき色の旧形車輌に代わって、明るい色で高加速度の新形車輌が1979年から登場しました。
↑ 1979年に登場したカナリヤ色の101系3輌編成。101系は1992年まで走りました。(1990年 浅野−新芝浦)
↑ 1990年に登場した103系3輌編成。103系は2006年まで走りました。(1991年 弁天橋−浅野)
↑ 2004年に登場したステンレス製の205系1100番台3輌編成、鶴見行き。205系1100番台は2024年まで走りました。(2015年 国道)
↑ 2023年に登場したE131系3輌編成、弁天橋行き。(2024年 国道−鶴見小野)
↑クリックすると開きます
1980年に旧形の72系が引退したあとも車長17mで両運転台のクモハ12は使用されました。従来は武蔵白石から大川まで1kmを往復していましたが、1985年に昼間の運行区間を拡げ鶴見−大川間、鶴見−海芝浦間の運行に就きました。1996年、武蔵白石の急カーブのホームが撤去されて車長20mの車輌が大川まで運行可能となり、クモハ12は引退しました。
↑この時代、訪れた人には驚きであったレトロな電車、1930年頃製造のクモハ12。(1992年 鶴見)
↑ 鶴見−国道間の高架を行く。(1986年)
↑"観光客"を乗せて海芝浦に到着。(1986年)
↑ 上の写真の反対側から。(1986年)
↑ 新芝浦−海芝浦間の運河沿いを行く。(1986年)
↑ '90鶴見線フェスティバルの日のクモハ12の2輌編成。「つるみせんフェスティバル・90」の文字とワニのマスコットを描いた看板(右下)を付けています。(1990年 安善)
旧形車輌が引退し、新形車輌が登場…
あずき色の旧形車輌に代わって、明るい色で高加速度の新形車輌が1979年から登場しました。
↑ 1979年に登場したカナリヤ色の101系3輌編成。101系は1992年まで走りました。(1990年 浅野−新芝浦)
↑ 1990年に登場した103系3輌編成。103系は2006年まで走りました。(1991年 弁天橋−浅野)
↑ 2004年に登場したステンレス製の205系1100番台3輌編成、鶴見行き。205系1100番台は2024年まで走りました。(2015年 国道)
↑ 2023年に登場したE131系3輌編成、弁天橋行き。(2024年 国道−鶴見小野)
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