アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

花盗人

三月とはいえまだまだ寒いこの時期。
でも、先日お花屋さんの前を通ったら、ふわーっと花の香りが漂って来て
ちょっぴり嬉しくなりました。



「花」といえば・・・私にはちょっぴり苦い思い出があります。
そう、以前 玄関先に置いた鉢植えを
まるごと持ち去られてしまった事があるんです。

門柱代わりにしようと、かなり大きなイタリア製のテラコッタの鉢に、
コニファーと春の花をたくさん寄せ植えにしたもの。
れを玄関の両脇に対になるように置いていました。


ある日の朝、ふと見ると 何と鉢が片方だけ、
ポツンと寂しそうに残っているではありませんか!

我が家は人通りもほとんどない路地の片隅に立っていて、
ここまで一般の人が入って来るのはかなり勇気が要ります。
まして、鉢は女性一人ではとても運べない重さ。
一体誰が、どうやって持ち去ったというんでしょう?


複数でやって来た?持ち去るためにわざわざ車で乗り付けて?
色々考えてはちょっぴり悲しくなりました。
花盗人は罪にならない、なんて話は「狂言」の演目の中だけの事。
これは明らかに計画的な窃盗です。


鉢の値段が高かったため、金額にして一万円程でしょうか。
ただ、私にとっては金額の問題ではなく、
あまりに切ない気持ちでいっぱいになりました。


持ち去った人は一体、他人の家から持って来た花を眺めて、
嬉しいんだろうか・・・。
残された片方の鉢も、妙にアンバランスな格好で
佇んでいるように思えてしまいました。



結局、片方は玄関先から庭の奥へと移動させられてしまい、
とうとう門柱の役はお払い箱に。
その後、私はもう鉢植えを作らなくなり、
花は庭に植えるばかりになってしまいました。
(しかも最近は忙しさのあまり、
ガーデニング自体をしなくなってしまったのですが^^;)



うーん、あのテラコッタの鉢植えは、
それでも誰かの目を楽しませてあげられたんだろうか。
せめて、花々がきれいに咲いていてくれたからこそ、
それを見た人が心を動かされ 持ち去ってしまったのだと信じたいです。


futta0983m.jpg

※画像はこの記事とは直接関係ありません。

誰もの心の中に「あの花」はある。

「あの花」劇場版、観て来ました。
アニメの内容については特に語りませんが、とっても良かったです


劇場版 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。| アニメ公式サイト


私にもね、かつて、こんな「仲間」がいました。
そんな時間もあったなあって ふと振り返って、懐かしく 切なくなりました。

みんな、それぞれの道を歩き始めて、次第にバラバラになっていってしまった。
大人になるっていうのは、きっと そういうものなんだろうなあ・・・。

気持ちの行き違いやぶつかり合い。一緒に泣いたり笑ったり。
でも、みんなが「ひとつ」になれたと信じていたあの頃。



生きて行く経験が長くなればなるほど、ただ純粋に「自分」ではいられなくなってしまう。
相手の行動や気持ちを読んだり、出方を見て進退を推し量ったり
「利害」や「損得」で動く事も増えてしまうよね。

例えこちらが無邪気でいたとしても、相手がそうとは限らない。
私は、いつもそういう失敗をしてばかりいました。

丸腰で相対していた相手が、実はこちらに利害関係を画策していたのを知った時のこと。
苦しくて、怖くて、吐いてしまうほどの恐怖を感じました。



そんなことがあってから、私は常に用心するようになってしまったんですね。
誰かと会った瞬間に、相手の気質と自分とに、どれだけ違和感があるかをチェックしてしまう。
傷を負いたくないがゆえに先回りしてバリアを張り巡らせていました。


でも、痛手からもうだいぶ時が経ち、元々のこの性格はそうそう変えられるものでもなく、
どんなに違和感がある相手でも、やっぱり私は人が好きだなあと思ってしまうのでした。

あまりにタイプが違うと会話も続かず、それはそれで大変なんだけどね(笑)


生まれついての悪人なんて、滅多にいるもんじゃない って思います。
みんな、心の深い深い部分には、きれいな魂の核(コア)がちゃんと光ってる。
それを磨いて、磨いて、そして自分の光と相手の光が呼応し合って
一段と美しい光となって交じり合い、輝き合う・・・

そんな、ホンモノの「仲間」が欲しいなあって心底思うのです。



誰かが輝いていると、羨ましくなったり妬ましくなったり、張り合ったり。
私たちは、もうそういう思いからは卒業しようよ。
誰かを見て「いいなあ」って思うのは、
自分がそれに引き寄せられるだけの、同じ資質を持っているから。

人と自分とを比べる必要も、競り合う必要も、ホントは全然ないんだよ!
ただ、一緒に輝いていけばいい。それだけ。


ホンモノの輝きは、ひとつでも充分美しいけれど、
いくつもの輝きが並んでいたって そのどれかが色あせる事なんて、決してないから。



そんな思いをしっかりと固めてくれた、アニメ映画鑑賞後のつぶやき?でした(*´ω`)

グレーゾーン


もうここしばらく、とても悩んでいました。
「これは、絶対にこうなんだ!!」
という、ガチガチの信念を抱えた人達に大勢出会って、その度に挫けそうになっていたんです。

でも、世の中の人全てに当てはまる「絶対」なんて、そうそうないと思うんですね。


そう・・・世の中って じゃんけんみたいなものなんじゃないかな?


「じゃんけん」って、すごいなって思うんです。
グーも、チョキも、パーも、
それぞれ どれかが唯一最強なんて事はありません。
ちゃんと、自分より強い相手も弱い相手もある。

それぞれが輪になって、エネルギーは廻っています。



誰かにとって最適のものが、別の人にとっては全然適さない事って、たくさんある。
誰かが、何かが、唯一絶対 なのではなくて、
それぞれ相互に関わり合って、影響し合っているし 生きているんだと思うのです。


でも 逆にもし それを強く主張してしまえば、私も彼らと同じだと
堂々巡りのループにはまり込んで抜け出せなくなっていました。

今、それを拒否もしない代わりに受け取りもしないという選択をして、
やっと 何とか自分を取り戻せたような気がします。


白でも黒でもない、ゼロか百かでもない、
そんなグレーゾーンという存在を、積極的に受け入れた という所かな(笑)



かつては、「逃げ」のような気がして あいまいな事をとても嫌っていた自分だけれど、
それって決して逃げではなく、意志表示のための選択として「アリ」なんだなあ・・・

——そう考えるようになったのは、
果たして私がオトナになったからでしょうか、
はたまた、年をとったという事でしょうか・・・(T?T)ダラダラ・・・

手元にあって気付かないもの

最近、なぜかまた、「想いが現実化する」ということが多いんですよね〜。

まあ、「大金が手に入った!」とか、「海外旅行が当たった!」とかいうスゴイことじゃなくて、
ほんっと〜に どーでもいい日常レベルの事柄ばっかしですけど^^;)


「用事がある人の所に行こうと思っていたら、タイミング良く向こうから来てくれた」りとか。
(相手は、私がそんな用事で会おうとしていた事を全く知りません。)

テレビをつければ、その日一日私が考えていた事をアニメのキャラクターが話し始めたり、
雑誌をめくったら、私がその直前に「メモ書き」した言葉がそっくりそのまま使われていたり。


で、私、ついつい 実験しちゃったんですよね。
「え、これって運気の波に乗ってる?よーし、じゃあ、どこまで叶うのか試してみよう!」 って。

——何を試したかって?・・・それは、「欲しいもの」を積極的に願ってみたんです!!


とはいえ、欲しいものを手に入れるコトが目的ではなくて、(そういうのはことごとく失敗するのよね)
あくまで「運気の波に乗っているのかどうか」を知るための実験なので、
願った「欲しいもの」・・・それは、 つまようじ(笑)
・・・スミマセン、生活感丸出しで (汗;

もしもつまようじが、どこからか 思いもかけず目の前に現れたなら、
私の本当の願い(人生上の)が叶えられる軌道に入った事の証明・・・

そんな願掛けのような、一種 楽しみつつの、「ま、そんなはずないよね」くらいの気持ちでした。

え、何でつまようじなの〜??って思うでしょ(*^?^)
それくらいバカバカしくて、ありえなさそうなモノの方が、願掛けっぽいと思ったの(笑)


でね。


待てど暮らせど、つまようじは一向に現れる気配はありません。
こういう時、いつもなら「二週間」をリミットに 待つようにしているんだけど、
つまようじは本当に切れてしまっていて、お弁当などちょっとした事に使うのに不便なので、
今日 とうとう買って来ちゃったんですよ(*´д`)=з

「あーあ。結局、その”時”はまだまだ先なのか〜」
——なんて、ちょっぴり自分に負けたような敗北感(?)を感じつつ、
キッチンにしまおうと、収納の引き出しを開けたら・・・


何と、そこに、新品の「つまようじ」がいたんです!!




↑ この子が引き出しの中にちょこんと座ってました・・・。



え?何で??確かに切らしてたハズなのに。
本当はそこにあるのに、「ない」と思い込んでいたんでしょうか、私・・・。


いやー、神様にやられた!!って感じです ははは。(;^ω^A

つまようじ、確かに思いもかけない所から、現れましたよ。
ってコトは、私の人生上の願いも、これから叶えて行く事が出来るってコトな訳で。


——っていうかね。

そもそも、「願いが叶えられる軌道」なんて、自分で勝手に距離を設定している事が間違いだったのよね。
本当は、「目の前に、すでにちゃんとあるのに、自分で気づいていないだけ」
なんだって、教えられたような気がしました。


どこか遠くにあって、なかなか手に入らないものだと思うのは、自分に対する言い訳なんだ。
きっと、自分自身で努力して、そこに向かって行かなくちゃいけないんだなあ。

「目標」とか、目指す「幸せの種」って、生まれて来る時に ちゃんと自分の中に持っているはず。
それを取り出して育てるのは、自分自身の仕事 なんですよね、本当は。


と、いう訳で、現在我が家のキッチンの引き出しには、
つまようじが3パック(二個セットを買ったので)、座っていらっしゃいます。


神様、私ごときの分際で、アホな実験なんかしたりしてゴメンナサイ・・・(T▽T)

つながりって

今日は、美容院に行って来ました。


そこは 単純に家の近くだからというコトで行き始めたのですが、
気が付いたらもう5〜6年くらいのお付き合いになっているでしょうか。

「最近、占いはどうですか?」だの、
「僕 この前〇〇(占いのお店)に行って、前世の話聞いて来たんですよ」だの、
およそ美容師さんとそのお客さんらしからぬ会話が交わされる、という
まあ 何ともおかしな関係性(?)ではありますが(;^ω^A


そこのオーナー美容師さんは、趣味で情景模型(ジオラマ)を作るのですが、
それがどんどん本格的なものになり 今ではかなり大きな作品やオーダー制作を手掛けるまでになりました。
私は自分では作れないけど、元々ミニチュア食玩やドールハウスなど可愛いものが好きだったので、
行くたびに作品を見せてもらったり、制作秘話を聞いたりするのが結構楽しみなのです




↑↑ この郷愁を誘う感じが何ともイイのです(*>∀<*)



以前 地元TVの取材が入った時は、常連客としてインタビューに登場するお役目を頂いたり、
今回は 美容室で展示会をするというので、お誘いのメールを頂いたりして、
そういうつながりが 私もとっても嬉しかったりします。
仕事絡みや友達などじゃなく、純粋に趣味などでつながるって、実際そうそう多くはない事ですもんね。

⇒ ちなみに取材の一件については こちら に書いてみました(笑)
  また展示会の様子も別ブログに書きたいな〜と思っています^^



↑↑ 美容院のウェルカムボード的作品。ライトアップされる中を電車が走ります。



↑↑ うーん、ノスタルジック!!!雪景色って素敵。



ここは オーナーさんの他にもう一人、美容師さんがいるのですが、(二人とも男性です)
この二人、とっても仲がいいんです。

オーナーさんが、本業の傍らでせっせとジオラマ制作に励む中、
もう一人の美容師さんは、一生懸命に宣伝のためのチラシをPCで作ったりして。
「じゃあ、Kさん(その助手さん)がネクタイ姿で、あちこち売り込み営業に歩いたらどうですか?」
と言ったら、
「ええ、僕もそうしようかと思ってるんですよ〜」
・・・と、何ともまあ 微笑ましい尽くし様です(*´ω`)

何でも、占い師さんに(私じゃないですよ)、前世は兄弟だったと言われたとか・・・
ホントかどうかは分からないけど、なんだかそれも納得しちゃうんです(笑)


実はこの助手さん、別の美容院に一年ほど修行に出されて(?)いたそうなんですが、
ようやく戻って来られて、嬉しくて嬉しくて(≧▽≦)・・・みたいなコトを言っていました。
何だかいいですよね〜、そういうの。職場に行って嬉しいとか、楽しいとか、
自発的に上司に尽くしたくなっちゃうくらいな状況って、幸せですよね!!

あ、も、もちろん私も頑張ってますよ〜(T▽T)
ただ、時々孤独にメゲそうに・・・あ、イヤ決してそのような事は。ええ、楽しいですとも!!


——コホン。もとい。

えー・・・つながりって、ホントに どんな所に出来るのか予想も付かないものですね。
でも、温かな そういう交流って、大切にしたいものだと思います。

そうやって 出会う人達とのご縁をしっかり人生に刻んで行くのって、
きっと どんどん時を重ねるごとに 心に貯まって行く、
優しい宝物のようなものなんじゃないかな って思います(*´ω`)

しばし 戦士の休息を・・・

前回の続きを書く前に、今日はちょっと寄り道をさせてくださいね。


この12日、満月の日に とってもお世話になった上司が亡くなりました。

数年前に他県に転勤していたその人ですが、そのご自身の地元で亡くなられ、
私も 数時間かけてのトンボ帰りでしたが、お通夜に出席させて頂きました。

それから慌ただしく、私の身辺も変化が続いています。
人事異動や、新しい方向性などがにわかに計画され始め、
もしかしたら私もその余波に飲み込まれていくんじゃないか という気配もあり・・・


実は、上司の訃報が、私自身を占ったタロットに暗示されていた事に 後から気づいたのです。
そして、上司の不在に絡んだこの身辺の変化は 
年初からの星占いで描かれていたストーリーの通りとなっています。
まさか、こんな展開になるとは その時は予想もしなかったのですが
今 あらためて流れを振り返ると、私自身にも大きく関係する出来事となっているのです。

今頃になって 私がこの職場に戻った事も、
遡れば かつて、その上司と出会った事も。


それなら、人の死のタイミングは、運命的に半ば強制的に決まっているのでしょうか?


寿命、というのは「ある」と思います。
避けられないその日・・・誰にも必ず訪れます。
ただ、「その日」が初めから 運命的に決まっているのか?
それは一概には言えないと思います。

何年の何月何日に天国へ召される という「決められた筋書き」は、確かに存在すると思います。
それから、〇〇を終えた後に、などというやや時間の幅が融通されている「その日」もあります。
でも、やはり「その日」は偶然ではなくて その人の人生の筋書きとして、
生まれる前に決めて来たんじゃないかと思うのです。


その人は 私にとっては特別な存在でした。
つらい人生のトラブルに見舞われた時に、ただ一人具体的に力になって助けてくれた人であり、
私に仕事の基本をしっかりと教え込んでくれた人でもあります。
「夕貴さんがいてくれたら、百人力ですよ」
——そんな風にいつも言ってくれていました。

その上司と出会った事も、決して偶然ではなく 
やはりこれもご縁であったのだと、今はっきりと確信しています。


その人の亡くなるサインを、いくつか 私は受け取っていました。
前日の不思議な夢、タロットの暗示。二日前の深夜のラップ音。

今後、彼の残した大切な「精神」を受け継いで行きたいという思いが私にはあります。
だからこそ、私の身辺にこうしたサインと「後継」の動きが起こっているのだと思うのです。
早過ぎたお別れだけれども・・・

眠るようにきれいな顔をしていた最後の姿を見せて頂き、私の心残りはありません。


——Mさんへ。

教えて頂いたこと、助けて頂いたこと、私は忘れません。
またいつか、天国で笑って会えたらいいですね・・・

本当にありがとうございました。
<<  前へ     >> 次へ
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。

Build a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: