図書館で読み始めてます。
読みながら、
私と付き合いのある女子フレンドさん何人も思い出してました…
そんな人達に読んでもらいたく、
ここにも文章転載させてもらってます。
私の女子フレンドさんだけでなく、
ほとんどの女性は雨宮処凛さんのこの前書きだけで共感すると思います…
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まえがき
物書きでデビューした20代の頃、ある小さな出版社の社長から、会うたびにそう言われた。
つまり、ヤラせろ、ということである。
弐25歳でデビューした私は、それまでフリーターで生計を立てていた。最後の2年ほどは、普通のバイトよりは時給の高いキャバクラで働いていた。生活できなかったからだ。
物書きとなり、キャバクラを辞めて思ったのは、「やっと『女』以外の部分で必要とされる!」ということだった。酔っぱらいの相手から解放されたことよりも何より、自分が「書き手」として必要とされたことが、何よりも嬉しかった。これで二度と、キャバ嬢の時のように私を「下」に扱い、下品なことを言ったり触ろうとしてきたりする人はいなくなる。そう信じていた。
だけど、そんな予想はあっさりとあっさりと裏切られた。セクハラ社長が会うたびに浴びせてくる言葉によって。
なんで? どうして? 私はこの出版社から「著書」として原稿を頼まれてるのに、どうしてそんなことを言われなくてはならないのだろうか?
社員たちの前で、まるで挨拶代わりのように「入れさせて」と言われるたびに、恥ずかしくて悔しくて意味がわからなくて、みんなの前でそんなことを言われる屈辱に、いつも泣きたい気持ちになった。だけど私は、へらへらと笑うことしかできなかった。ワンマン社長が絶大な力を持つらしいその会社で、社員たちは社長に何か言うことなどできず、私と一緒に曖昧な顔で笑うだけだった。結局、私はその出版社の仕事をすることはなかった。「セクハラをするような出版社で原稿を書くことなどできません!」そう宣言したわけでもなんでもない。私の担当だった編集者がある日突然、失踪したからだ。著者に平気でセクハラをするような社長だから、社員にも相当メチャクチャなことをしていたのだろう、
おかしいな、と思うことは他にもあった。
ある出版社から連載を頼まれた時のこと。どうして私を選んだのか、ということを聞いてもいないのに話しだしたおじさん編集者が言ったのは、要約すると「若い女だから」という意味だった。誰もおばさんの書いたものなど読みたくない。だけど若い女の書いたものなら需要がある、ということを彼はとうとうと述べ、持論に酔いしれていらっしゃるようだった。
お前に才能など何もなく、ただ「若い女」という属性だけで仕事を振ってやっているのだ。彼が言っていたのは、そういうことだっ。やはり曖昧な顔で笑いながらも、頭からゴミ箱をかぶせられたような気分に包まれた。だけど私は連載を始めた。そんなことを言われながらも、駆け出しの物書きは仕事を受けるしかなかったのだ。ちなみに若かりし頃、私が断った仕事は、「イラクでのAV撮影」と、よくわからない自主映画への出演だけだ。ちなみに役どころは「北朝鮮工作員行きつけのスナックのママ」だった。
他にも疑問に思うことはたくさんあった。「打ち合わせ」と称した2人きりの食事がなぜかムーディーなバーで、椅子ではなくベッドに座るような店だったり(しかまカーテンの仕切りがついている)、仕事とは一切関係なく、これまでの恋愛などについて根掘り葉掘り聞かれたり。
どうにかセクハラを撃退できないかーーーーーーー。
考えに考えて思いついたのが「絶対にセクハラされないような恰好をしよう!」ということだ。そうして20代後半、私は日常的にゴスロリやロリータを着用することにした。そうしたらセクハラどころかナンパもされず、キャッチセールスにも宗教の勧誘にも一切あわなくなった。ゴスロリ・ロリータ服は、絶大な効果を発揮したのである。副作用は、「まったくモテなくなる」ということだ。まぁそれでもまったくモテてはなかったけど、瞬殺で「不思議ちゃん枠」に入れられてしまうのだ。トチ狂ったお姫様のような恰好をしながらも、気分は修行僧。そんな日々が30代後半まで続いた。
40代となった今、もうゴスロリやロリータを着ることはあまりない。だけど、そこまでして「武装」しなければならなかった当時の自分を思うと、なんだか少し、泣けてくる。
本書のテーマは、「女子と貧困」。
セクハラはメインテーマではないけれど、まずは本題に入る前に、どうしても自分の体験を書いておきたかった。なぜなら、多くの女子が様々なセクハラやパワハラに日々晒され、満身創痍で働き、生きているからだ。最近も、ある女子の集まりで「セクハラ」について語ったところ、大変な盛り上がりとなった。怒りに身悶え、時に爆笑しながらも、当時の悔しさに涙ぐむ女子の姿もあった。
ジェンダーギャップ指数111位という、主要先進国の中でもっとも女性差別がまかり通る「男社会」の中で生きるだけでも大変なのに、この国の女性たちは、あまりにも多くのことを求められている。「女性の活躍」なんて美名のもと、「男並み」に働き、出産、育児、家事をこなし、介護要員としても期待され、その上「セクハラをうまくあしらう技術」までもが要求される。
だったら時給払えよ、と元キャバ嬢の私は思う。セクハラあしは、い料として、普通のバイトよりは高い時給を貰って当然ではないか。
が、これほど多くのことを求められながらも、この国で働く女性たちはあまりにも冷遇されている。例えば男女の賃金格差は、男性を100とすると女性は73(2016年 賃金構造基本統計調査)。過去最小の格差と言われるが、統計の取り方によっては女性の賃金は男性の半分とも言われる。
また、働く女性の6割が非正規雇用。その平均年収は142万円と、この国の貧困ラインと年収ベースで20万円しか変わらない。単身女性の3人に1人が貧困というデータもある。貧困ラインは、月の収入が10万円以下。貯金どころか、日々の生活もままならない額だ。
本書では、20代から60代の女性たち8人に話を聞いた。
それぞれがそれぞれの課題を抱えながら、真摯に生きている。
彼女たちの話に、一緒に耳を傾けてほしい。
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