地球の隅々まで、人間が作った道路やビル、河川敷、農地など人類の経済活動の痕跡が、地球環境を破壊つくし、地質学の概念である「人新世」の時代に突入している。一体何がこのような事態を引き起こしたのかと言えば、それは行き過ぎた資本主義のせいである。
コロナ禍や気候変動を引き起こした資本主義を温存したままでは、どのような政策も気候変動と危機を止めることはできない。
資本主義は、地球環境を含めたあらゆるものを収奪し、それに伴う負担を外部に押し付けて、持続的な経済成長を続けることによって、地球環境を危機に陥れ、ひいては我々人類の生存をも脅かしている。
また、ごく少数の大富豪が世界の半分以上の富を独占している事実からも分かるように、資本主義はごく一部の人々だけが潤い、残りの大多数の人間が彼らに搾取され続けるという、我々一般人にとっては全く救いのないシステムである。
また修正資本主義による「SDGs(持続可能な開発目標)」でも「グリーン・ニューディール(技術革新による環境保護と経済成長の両立)」でも、加速度的に進む環境破壊と温暖化は止められない。
そうした危機を脱する道筋となる経済思想として、晩年のマルクスが構想した思想が注目されている。すなわち資本主義を脱して、エネルギーや生産手段など生活に不可欠な〈コモン〉を自分たちで共同管理する「脱成長コミュニズム」である。
「脱経済成長」を唱え始めた経済学者はかなり前から世界にも日本にも数多くいるが、「人新世の資本論」を著した斎藤幸平氏は、「脱成長」を主張する初期の経済学者たちを「資本主義の超克を目指してはいない古い脱成長論」と切り捨てる。
飽くなき成長を求める資本主義にとって、資本の増殖に歯止めをかけるのは致命傷になるため、絶えず膨張していく資本主義と脱成長の両立は不可能。
資本主義を超えるような社会に移行することでしか、脱成長社会は実現できない。
ありとあらゆるものを囲い込んで商品にしていく社会ではなく、そうした状況を解体してみんなで<コモン>の領域を再建したほうが、多くの普通の人たちの生活は安定していく。
教育、医療、家、水道、電気などのいろんなものを、市場の論理、投機・投資の論理から引き上げていく。みんなでみんなのものとして共有財産にしていくコモン型の社会、つまり脱成長コミュニズムを提唱している。
「コモン」を管理することは、自分たちの生活を自治するための力を取り戻し、地球環境を守るために必要で、資本主義が壊した「コモン」を再生させていかないといけない。
斉藤氏が提起するコミュニズムとは共通社会資本の共有化である。電気・ガス・水道・医療・教育・福祉等を「コモン」とすることだ。そして生産(価値)に重きを置く資本主義的発想を棄て、有用性(使用価値)に重きを置く発想へと転換する。
共通社会資本という意味では、経済学者宇沢弘文の根本思想である非市場の「社会的共通資本」に近いとも言える。
いずれにせよ、「人新世の資本論」は21世紀の資本論と言える名著である。
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