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白き部屋の記録48

死を待つ人

私の患者さんは直腸ガン、もう末期の人である。

3ヵ月前から口もきかず食事もとらず、上を向いたまま寝て居て、只息をしていると云うだけの人、二十四時間点滴の為生きていると云うだけで目はもう死んでいるように動かない。

そ〜っと清拭をする、じょく瘡は大きくもう治療しようもない、看護婦さんは毎日ガーゼを取替えてくれるだけ。まだ四十代だと云うのに老人のように見える。

体格のいい人だったと奥さんは云う、顔は細く、並の人の半分ほどの顔巾しかない。

奥さんは亡くなった後の生活の事をあれこれと考へていると云う、「三人の子供が居るのです、働かなくては。」と度度繰返へす。

それは自分の勇気を振起こす為のように、自分に云いきかせているように聞こえるのです。暫くしてこの方は亡くなりました。
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白き部屋の記録47

白血病の人

つい一週間前外出を許されて、久し振りに家に帰へり車の運転までやって来た人、小さな会社の部長さんであると云う。

時時見える会社の人が部長部長と読んでいる四十二才、どうしたことか急に危險状態に陥る、サンソテントが運ばれ間のカーテンが引かれたので様子は分からないが苦しさが伝わって来るようだ、三十六才の奥さんが看病している。

「マコト、母ちゃんを見張るんだぞ、変な小父さん来たら追っぱらうんだ、マコトお前は長男だ兄ちゃんだからしっかりしろ、母ちゃんを離すんじゃない、父ちゃんの云うことをよくきけよ、母ちゃんから目を離すな。」

苦しそうだ、その息づかいの中で夢中で叫んでいる、だがマコトくんはここには居ない。

カーテンの陰から奥さんが顔を出し、ペロリと舌を出す。

この事があってから四、五日経つと又ケロリとして歩いている部長、私に吉川英治の新平家物語を買って来て欲しいと頼む、そして又一週間、奥さんは家に帰へると云い出しました、小さな子供が二人家に居るのだと云う、マコト君とで三人の子持ちだから妹に留守番して貰っているのだと心配そうでした。

それから二週間、再び危篤になった部長さんは亡くなりました。

真面目で働き者で建売住宅も買い車も持っていたと云うのに短い生涯でした。或日奥さんから電話があり、私に会って相談したい事があると訪ねて来ました。

小さな女の子を連れ、何と六十才位の男の人と一諸でした、応接室には一人で入りました。

「どおあの人、家に入り込んで来たのよ、同居してるんだけど貴女の目から見たらどんな人か分かると思ってね、弁護士さんだけど五拾万円渡しちゃったのよ、増やしてくれると云うから、ーー とても子供を可愛がってくれるの、パパパパって子供もなついているのよ。」私は呆れてしまいました、奥さんのある人だと云う、何おか云わんやである。ほんとに弁護士であるとしたら、てんで無知な私の助言など何の役にも立ちはすまい。

「若しよくない人だったら一諸に住んでいて貴女の力で追い出すこと出来るの?」

奥さんは笑って返事をしない。

「まあお金を増やすのは五拾万円だけにして、後は今までの預金をそのままにしておくことだわね。」

私は御主人が云っていた云葉を思い出していました。男がね、お前なんかをだますのはわけないんだよ、一目見ればね、どんな馬鹿な女かすぐ分かるんだからと。

応接室に男の人が入って来ました。子供を連れて。

「家内がいろいろお世話になりましたそうで、今後共よろしくお願い致します。」と。

三人は幸せそうに帰へって行きました。

白き部屋の記録46

胸に菌が生えた

ガン病棟である。肺がんであると云う奥田さん七十才、指物師であったという人、小柄な奥さんと娘さんで看病している。

動いてはいけない人なのに、背中を丸めては両手をついて猫のように立ち上がるので油断が出来ない。

一寸も目が離せないので二人してついているのだと、ベッドから降りてトイレに行こうとするのだ。

余り苦痛はないようだけれど末期なので、モヒ注射を打っている。それで痛みを感じないのかも知れない。痛いと云うのを聞いた事がない。

奥田さんは時時面白い事を云う。

「胸に菌が生えたよ母ちゃん。」

「腹ん中を魚が三匹泳いでいるよ母ちゃん。」

「馬も三疋いるよ腹ん中だ。」

モヒ注射のせいかしら。

白き部屋の記録45

酒盛りF

「此間ね、娘が五拾万持って来てくれたんだよ、働いているんでね、ボーナスでも貯めといたんだろ、俺涙が出たよ、そしてお父さん、お父さんは私が見てあげますからねと、俺断ったよ、可哀そうだもの。」

「一人娘でね、家内と暮らしているんだ、三十才だというのに結婚もせずにね、母ちゃんに似て美人だし、俺に似てスタイルがいいんだ、ファッションモデルやってた事もあるよ、俺は道楽もんでね、家内はたまりかねて離婚さ、百人もの女と遊んだんだから無理ないよね、今もいるんだ愛人がよ、二人だ、電話したら四,五日したら来るってんだ、彼奴のあれは最高でね、その為億万長者の翁さんと結婚したけど、時時来てくれるんだ、何翁さんより俺の方がいいにきまっているからね、来ても彼奴時間ばかり気にしてね落付かないんだ、翁さんに悪いと思ってんだね、これは五十だ、もう一人は俺より年上だ。」

全く驚いた話です。

この時電話のベル「ハイハイ何来れないってどうしてだ、楽しみにして帰へって来たのに、いいよ、もう来るな。」ガチャン。

「若い方が来れないってよ、まあいいさ、彼奴が来ると近所がうるさいんだ、子供の教育上よろしくないってね、彼奴泣いたりなんかしやがるんでね、隣の奥さん大変だよ、干してある布団をやけにパンパン叩き通しだよ、気の毒に。」

「話題をかえよう、あんた東大の〇〇教授を知ってるかい。」知りませんね。

「東大病院の〇〇博士を知ってるかい。」

「知るはずないでしょ、私家政婦ですよ、おえら方を知るわけがない。」

「俺の親しくしている人達なんだ、この近くの病院は殆ど入院、そして退院だからね、俺が苦しくて一一〇番しても救急車は来てくれないんだよ、もう東大病院にでも入るしかないと思うんだ、何とか入れないかなあ。」話は一転「あんた妻と愛人との異いを知ってるかね」

「妻とはおざなりの生活さ、愛人とはよくてよくてたまらないものなんだよ。」

酔うほどに話は妖しくなる。

この間一週間

白き部屋の記録44

酒盛りE


「昨日のカツまだあったかな、持って来て下さい、チャシューもね、サツマもだ。」よほど肉好きの人らしい、キャベツには手もつけてない。

棹を吹き洗濯物を干していると声がかかる。

「洗濯すんだらあんたも一服しなさい。」

飲んでるから面倒なんでしょう、シビンに尿を一杯ためてたのを渡されました、それを始末していると「それから座薬を入れて、痛みを止めてと、そして注射をして薬を飲むと。」と云っている、大丈夫か知らと眺めている私に「これはね僕が考へた治療法なんですよ、医者なんかにゃ僕の病気分からんですよ。」

これでは病院で困るわけです、それでも又病院に行くつもりだと云う。

薬を呑んでしまうとまた一升瓶にてが行く、何と今日は三本並べてある。

昨日のは特級酒だったが今日のは一級酒。

一級酒はまずいまずいと云いながら寿し屋の湯呑みでグイグイと呑んでいる。

一体病気はそれ程重体ではないのか、それとも病気など吹きとばす程の酒豪なのか、心臓病だけで歩けなくなるものなのか、合併症なのか全く分かりません。

一服しなさい一服しなさいと云うので座ると私の前にコップが出てビールがついであるのです。

水のようなものだと云うから水のつもりで飲みました。すると又ついでくれるのです、また飲むと「いやあよかった、前にあんたの会から来てもらった時、掃除洗濯、飯炊き。何でも実によくやる人でしてね、だけど酒呑むな酒呑むなと止めるんですよ、あれには困っちゃったなあ、俺酒呑みに帰へって来るんだからね、あんた呑むなと云わんし、ビールまで呑んでくれるんだ、いい人だよあんたは。」成程娘さんを断ったのもこの事だなと思いました。病気のお父さんに毒になる酒を娘さんが黙って呑ませる筈がない。

白き部屋の記録43

酒盛りD

「いやいや娘は来ないよ、断ったんだ、こんないい人が来てくれたんだものね。」

実は私家庭に参りましたのは今始めてでして、それに元元私はミシンばかり踏んでたもので家庭の仕事はにがてなんです。余りお役には立たないと思うんですけど。

「いやいや御覧の通りでね、仕事なんか余りないんですよ、あんたで結構、頼みますよ。」
話下手な私は絶えず人と口をきかねばならないのは苦痛です。病院で糞尿の世話している方がまだしもましなのです。

「あんた寿し好きかな、寿しならすぐ届けてくれる店があるんだよ。」と電話を引き寄せる。

この間に注射すること二回、薬呑むこと一回、トイレにはゴソゴソと這って行く。

帰へがけに風呂桶に水を張っておいて欲しいということで掃除をして水を入れると漏ること漏ること木に隙間が出来てるらしい。

明朝の御飯を炊き味噌汁を作って、ハイヤーで帰へる。

翌日、病院で汚れ物を洗濯する。

僕は疳性でね、棹はよく拭いて下さいよ、濡縁の処はスリッパで歩いて下さい、寝巻は手で洗って下さい、パジャマは洗濯機で、タオルもバスタオルも洗濯機、まあそんなもんですな。」

洗濯しながらのぞくと又ぞろ酒を呑んでいる。

白き部屋の記録42

酒盛りC

カツを適当に切ってキャベツを添えて持って行くと一升瓶を半分程あけていました。

「まあまああんたも坐って一杯やんなさい。」

何たる事、私にまで呑ませるつもりだ、いいえ私は仕事がございますから。

「ビールはどう、水のようなもんだから大丈夫だよ。」

何時の間にかビール瓶まで出てるのです。

「いやああの病室にはまいったね、ヨボヨボの翁さんと婆さんばかりだ驚いたね。あの一番窓際の翁さんが元プロフェッサー、次が酒屋の大旦那、次のが元閣下そして大工さん、あの翁さんもうろくしていて俺の目覚し時計を貸しといてくれだとよ、あの翁さん素裸になるのがくせでね、裸になってタマコ、タマコと呼ぶんだ、猫ぢゃないよ、奥さんの名だ、あの婆さんよ、元学校の先生だってよ、品がいいだろ、俺のこと退院なさると何が淋しくなりますわだとよ、皆年とるとおしまいだね。」

ところであんた泊まってくれるんだろうね。」

「私日勤ですから五時には帰らせていただきます。」

「そうか、そいつは残念だな、何しろ俺立って歩けないんでね不便なんですよ、ぢゃ一時間延長してくれないかな、ハイヤーで送ってあげるからよ、六時まで、決めた、いいね。」

処でお嬢さんが見えるまで二日でよろしいですね。私はきいて見た。

白き部屋の記録41

酒盛りB

歩けない方なのでゴソゴソと這って布団に入ってしまいました。一間だけ掃除して手早く布団を敷いて置いたのです。

その部屋は六帖だけれど四帖半程にしか見えません、続いてもう一間の方は四帖半だけれど三帖位、一尺程の濡縁がついていて、その前に小さな庭、一応全部掃除しようと掃除機を使っていると「掃除なんかいいです、后でいい、それよりこれをやりたくて退院したんですよ。」

何時の間にか何処から持ちだしたのか一升瓶二本、布団に坐って目の前にでんと置いてあるのです。心臓発作の人だというのにこれはどうした事か、「湯呑みを持って来て下さい、大きいのをね。」おかんをしますか?

「おかんはいらない、冷やで結構、ああうまい、うまい。」これではどうしようもない。電話を引寄せ「〇〇屋さんですか、今取りに行きますからね、厚いカツを三枚、チャシューを三百グラム、サツマ揚五枚、キャベツの刻んだのをたくさん付けて下さい頼みますよ。」

ここは東京の田舎、店は一軒しかない、届けて貰うと夜になると云うので、カツを受け取りに行きました。「又病院を出て来たんですか、もう何回目かな、今度入る病院あるかな、呑むために退院するんだからね」と店員さん。

白き部屋の記録40

酒盛りA

今日退院する方がありますので、貴女手伝ってあげて下さい、との電話、もうお昼近くでした。

白い大きな病院です。

その部屋は大部屋でした。

大変な年寄りばかり集めたような部屋、私の訪ねる方はその中で特に若く見えていましたが、それでも六十八才であると云う。

ベッドに腰掛けて得意そうに老人達に演説をしている処でした。

ああ来てくれましたか、何三日待てば娘が来る筈なんですが、とても三日なんて待てないのでね、それでお願いしたんですよ。

早速荷物をまとめると私はナースに婦長さんを訪ねた、退院后の事を一応おききして置きたいと思ったのです。

「あああの方は困った方でしてね、心臓疾患の方ですが、自分勝手に自分持ちの薬を注射なさるのでとても危なくて治療で出来ないのです。だから自宅での事何も申し上げることございません。」婦長さんは、むしろ迷惑そうに答へました。これはとんでもない患者さんに会ったものだと思いましたが一応退院の手伝いと云う事なのでタクシーを呼びお宅に着きました。

戦后の都営住宅風の小さな二間の家でした。玄関に「一人暮らしの老人」というパンフが置いてありました。

白き部屋の記録39

おんかーかかみさんまいそーわか B

先生は云う。「痛みの程度は本人でなければ分かりません、医者はレントゲンその他で診断の結果痛みのあることが分かるだけで、お婆ちゃんが今痛いことを医者が感じることは出来ません。痛いと云はれれば痛み止めの注射をするのです。」とお婆ちゃんは神経性で痛い痛いと思い込んでいるからどうしようもないのです。

お翁ちゃんの云った事を思い出しました。

一晩中何だ彼だとうるさいのでね、「ウルセェ」と一喝してやるんですよ、一寸黙るだけで効果はありませんがね、婆さんの親がいけないのよ、可愛そうだ可愛そうだと育てられて、甘えるんじゃねぇてんですよ、もっとひどい病気の人もいるんだ、と。

「痛い処をさすりましょう。」私は痛いと云う足や背中をさすって見た。

お婆ちゃんは寝たきりで居るけれど、ほんとうは立つ事も出来ることが分かったのは、リハビリの先生が来た時です。

この方はお婆ちゃんの気持ちがよく分かるので「可愛そうに可愛そうに、よしよしここ痛いのね」と云いながらマッサージをするのです。

「今日は立てないって?何時も立つじゃないの、まぁいい立てなきゃ寝てればいいわ」、こうして毎日毎晩同じ事の繰り返へしです。

立てる筈のお婆ちゃんは寝たきりで、手も痛い足も痛いし、胸も背中も痛いと云うのです。

「痛い痛いカンゴフさん、カンゴフサーン。」と呼ぶのです。私は看護婦さんを何辺でも呼びに行く、時間が来ないから看護婦さんは来ない、私はもう廊下に立っているしかない。

「看護婦さんは私の痛いのを分かってくれない、こんなに痛いのに。」看護婦さんは黙って注射をする。

私は云って見ました。「痛み止めを打ったら、ああこれで痛くなくなると思うんですよ、お婆ちゃん、
痛い痛いと思ってばかりいては折角の注射も何にもならないは、それでは何時までたっても療りっこないわよ、甘えてばかりいては駄目よ。」と。

お婆ちゃんの表情が変わりました。ヒステリー状です。「わたしゃ、こんな口惜しい思いをした事はない。ナイフ貸して、ナイフ下さい、喉を突いて死にます。」と。ナイフはお婆ちゃんの目の前にあるのですが目に入らないらしい。甘えると云ったのが気に障ったのか、その顔は怨めしいと怨んでいる顔でした。

お婆ちゃん、気をしずめて、気をしずめるんですよ、何か唱えてごらんなさい。

「ナムメョウホーレンゲキョウ ナムメョウホーレンゲキョウー。」私はその声の大きさに驚いた。
お婆ちゃんは日蓮宗なの?「トゲヌキジゾウさんを信心している。」とお婆ちゃん、そして私の妹に電話してトゲヌキジゾウさんはなんて唱えるか聞いてきて下さいと。

妹さんに電話しました。

その返事はこうでした。

「おんかーかかみさんまいそーわか」
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