なぜ中高一貫校ができたのか
1999年、ゆとり教育全盛のときに公立中高一貫校は生まれた。当時は、過熱する高校受験競争を問題視する声が多く、受験に煮詰まった受験生が自殺してしまうといった出来事も発生するなどして、国が『ゆとり教育』にかじを切るべき背景があった。
そうしたなかで生まれたのが、ゆとりを持って6年間、じっくり子ども達を教育するという公立の中高一貫校だった。しかしその後、2003年と2006年にはOECD(経済協力開発機構)の学習到達度に関する調査で、日本の子ども達の学力が著しく低下していることが問題視されるようになる。
ゆとり教育が痛烈なバッシングを浴び大幅に見直されることで、公立中高一貫校もその位置付けが徐々に変化していった。ゆとりを持って子ども達を育てていきたいという本来の使命だけではなく、教科学力と共に“生きる力”を育み、次世代のリーダーを育成するといったことが求められるようになったのだ。
特に、設立の初期段階から教科学力と“生きる力”の育成に力を入れているのは、東京都。2005年に都立で初の公立中高一貫校「都立白?高等学校・附属中学校」が開校し、その翌年には「都立小石川中等教育学校」「都立桜修館中等教育学校」「都立両国高等学校・附属中学校」「千代田区立九段中等教育学校」が開校した。さらに2008年に「都立立川国際中等教育学校」「都立武蔵高等学校・附属中学校」、2010年には「都立大泉高等学校・附属中学校」「都立富士高等学校・附属中学校」「都立三鷹中等教育学校」「都立南多摩中等教育学校」が続き、区立を含め都内の公立中高一貫校は現在、11校となっている。
なぜ、東京都は公立中高一貫校設立に力を入れているのか。
東京都の場合、特に私立の中高一貫校の台頭が著しく、私立は難関国公立大への合格実績でも群を抜いていた。『都立日比谷高等学校』や『都立西高等学校』『都立青山高等学校』『都立戸山高等学校』など、名門とされる都立の進学校の復権のために、進学指導重点校として、大学受験を突破するための学力の育成に力を入れ始めた。進学指導重点校と共に、さらなる切り札として、6年間かけてじっくり学べる公立の中高一貫校を作っていったという流れがある。
公立中高一貫校はたくさんあるが、どのようにして受ける学校を決めればよいのか。
次回はそれについて書こうと思う。
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