毎日新聞
野村克也さんの軌跡
野村克也さん=東京都で2019年3月18日、根岸基弘撮影
毎日新聞さんの写真集は下記リンクです。
https://mainichi.jp/graphs/20200211/hpj/00m/050/002000g/1
南海の強打の捕手として65年には戦後初の3冠王に輝き、南海、ヤクルト、阪神、楽天で監督を務めた野球評論家の野村克也氏が死去した。84歳だった。社会人野球のシダックス監督時代、スポーツ報知に明かした独自のリーダー論、組織論をあらためてお届けする。
引用失礼しました。
スポーツ報知様。
リンクはこちら。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200211-02110069-sph-base
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昨日は、 野球ファンには激震が走ったんじゃないかと思います。
突然の訃報に驚きました。
まぁ正直…お年なのもあるし、最愛の奥さんを亡くしてしまった後ですから…
できるだけ長生きしてほしいなと思っていましたが。。。
結構男性ってそういうところもろかったりするんですよね。
自分のおじいちゃんおばあちゃんの話になりますが…
おばあちゃんが先だったすぐ一年後、おじいちゃんも…でしたからね。
まず何よりも先に 野村克也さん、ご冥福をお祈りします。
本当は昨日のうちに記事にしたかったのですが…
改めてwikiなんかで功績やエピソードを確認していたら…
情報量も多いですからね。それに初めて知ることも多かったので時間がかかりました。
そして同時に… 本当に大きな大きな功績を残された方だなと改めて思いました。
個人的には、今まで応援した球団でノムさんが関わってくれたことはありませんが
その存在感は大きかったですし、昔読んでた漫画にもよくよく登場してくれていました。
なので、存在は知っていたしどんな人かもなんとなく知ってました。
また、メディアにもよく登場しますから
小さい頃は巨人くらいしか中継がやってなくても野村監督という存在はずいぶん知れ渡った存在でした。
ある意味では、知識の上で知っている人
という存在でありましたが、それでもなんだか
今までの功績等見ていたら…昨日はずいぶんと悲しくなりました。
ある意味後悔にも似てるかもしれませんね。
深夜のスポーツニュースでは毎度のように解説していたのも知ってたのですが…
あまり見てませんでしたからね。
たまたまタイミングが合った時とかくらいなもので。
とにもかくにも、惜しい人が…とは思いますが
"いずれ来るその時"ですからね。
叶うのなら、あちらの世界で奥さんとまた一緒になれたらいいなと思います。
それでは少し空気をかえてこれまでの活躍を簡単につまむ程度になりますがおさらいしましょう。
野村克也さんといえば、何か目立つような功績であったり
目立つようなタイトル、後世にまで語り継がれるような記録があるか?
というと… 少し陰に潜んだ人になっていました。
いや、 もちろん記録持ってますけどね!
ノムさんは…時代が違ったら…
もう 何を取ってもナンバーワンプレーヤーであったことは間違いありません。
当然 本塁打数だって一位!安打数や打率も一位!さらにはスター性でも一位になっていた可能性はあります。
しかしながら…本当に時代が悪かったかもしれません。
とはいえ、この時代だったからこそノムさんたりえたのだろうとも思います。
それに、この時代でなかったら…とはいうけど安打数とかはきつかったかもしれませんね笑
よく耳にすることもあるかと思いますが
ONが何にしても立ちはだかっていたと。
ONといえば王さん、長嶋さん
ですね。
スーパープレーヤー、かつスーパースターといえばやっぱりこの二人
ですね。
なので… 何をどうしても一番に脚光を浴びることはなかったし
どんな成績、記録を出しても見てもらえなかったと…。
この部分だけでいえばバファローズに通ずるものがありますね笑
王さんといえば、本塁打の世界記録保持者です。
868本を打ちました。
これだけだとピンとこないかもしれませんが…
実働が21年になりますので、平均値でいうと毎年41.3本打つペース
になります。
3年か4年に一回42本打ってあとは41本打つ計算になりますね。
昨年でいえば、 DeNAのソト選手、西武の山川選手が43本打ったわけでありますが
これは143試合での話です。
王さんの実働期間中は三年だけ140試合の年がありますが、あとはすべて130試合。
少ない試合数の中で41本くらい打たないといけない…というのを21年続けてやっと868本です…。
他に考慮する点でいえば、まずプロ一年目で40本なんてあったら大事件ですから
プロ初年度や晩年のことを考えると、どこかで本数稼がないと届きませんね。
この辺りは想像してみてください笑
まぁつまり、 "世界の王"と言われるだけあってとんでもない記録を打ち出しています。
しかし、 二位は誰だと思いますか?
そう、 野村克也さん
であります。
ノムさんといえば捕手ですが…その捕手で 歴代二位の記録を持っています。
世界でいうと第七位の記録
になります!
そして… 世界記録でトップ10に入れる日本人は…王さんとノムさんしかいません!
気になる本数は… 657本!
ピンときませんね笑
後続の三位、門田博光さんが567本ですから90本以上多く打ってるんですね。
第五位清原さんで525本。第六位落合さんで510本。二人とも結構長くやってるんですが…それでも600すら届かない現状です。
ノムさんは実働期間が王さんより長く26年やっていたわけですが
まぁそもそも26年もできるって…
ちなみに 657本を実働年数でざっくり割ると年間25本を続けるペース
です。
近しくて属性の近い選手でいうと
昨年の森友哉選手が23本打ってます。
しかしまぁ、試合数考えていくと…
昨年の正尚が143試合で29本になりますので
簡単に 130試合計算してみると26本になります。
想像しやすいところでいうと
昨年の正尚のペースを26年キープし続けてやっとノムさんに届く!
ということに。
まぁあくまで均等に割ると…ということになるのでもちろんその通りにはなりません。
シーズン最多本塁打で見ると、六位タイの52本を打ち込んでいます。
六位、だと少しあれかもしれませんが 助っ人選手を除くと日本人では二位タイの成績
に。
そして当然ながら 捕手登録選手では歴代一位
です。
昨今、 捕手は打てたらすごい!打ってくれたら万々歳!
裏を返すと捕手は打てないものと言われているわけですから
いかにスーパーキャッチャーだったかということは想像に容易いと思います。
どの選手か忘れましたが、 最高のキャッチャーはどんなキャッチャー?という質問を投手にぶつけたところ
点を取ってくれるキャッチャー
と答えた人がいます。
なるほど、 野村克也さん以外いませんね笑
本塁打数をピックアップして紹介しましたが、 他にも打撃部門では輝かしい成績を収めています。
戦後初、 史上二人目の三冠王
21年連続シーズン二けた本塁打 歴代1位タイ
17年連続シーズン20本塁打 歴代2位
シーズン40本塁打以上5回 歴代3位タイ
通算猛打賞180回 歴代4位
オールスターゲーム出場21回 史上最多
自身最高打率は.320 OPSも軽く1を超えていきます。
通算になるとやや目減りしますが
打率.277
出塁率.357
長打率.508
OPS.865
といった具合に。
ちなみにこれ、 実働26年での記録です。
この記録を並べられるとその他"野手"と比べてしまって
もっと上と比べると物足りなさはあるかもしれませんが
まずまぁ"捕手"ですからね。
バファローズファンであれば… 若月が同様の成績出してくれたら…と思うとどうでしょう?笑
打者としての成績も申し分ありませんが
ノムさんの真骨頂といえば、やはり捕手としての能力
ですよね。
そしてその 能力を活かしての監督業と
なんといっても管理手腕
でしょうか。
最下位チームを上昇させることができなかった…
というところで 名将なのかどうか?と懐疑的にも言われます
が
誰がどこを任されても結果を出せるということも稀なのであって
やっぱり適材適所ありますからね。
負の部分だけをピックアップすればいい印象はないかもしれませんが
それでも ちゃんと優勝経験のある監督さん
です。
また、あまり評価点にされないところでもありますが
ひとつ 地盤を作った監督さんでもあるのかなと思います。
それこそ例えば、ずっと最下位で低迷していたタイガースに就任して
自分がやっているときは成果が上がらなくても
後続の星野さんが結果を出していきました。
この流れ自体は楽天でもありましたね。
自分が応援し始めたころの横浜もひとつの例だと思いますが
それまで 野球選手、野球チームとして不十分だった環境を
当時就任した中畑さんが戦えるチームに成長させました。
まず 挨拶から始めたそうです
よ?笑
そしてそこからラミレス監督にバトンタッチ。
横浜の場合はノムさん→星野さんの流れと逆になりますが
熱血指導系→理論派へのスイッチがうまくいったんだろうと思います。
ノムさん→星野さんの場合は
理論派→熱血系へのスイッチ
ちなみに、星野さんも結構頭を使うというか、政治力の高い人だったので
ただ怒鳴る、声を出す、気合いれる、そういう人ではありません。
まぁ何が言いたいかというと
ノムさんが頭を使う野球をどうにか浸透させるため奮闘した結果
何人かは少しずつ理解ができたけど大多数はあまり理解できないまま
その時 教えてもらったことを実践し続けて結果を出した選手
そこまでのフラストレーションが溜まって爆発できた選手
とうまく融合した結果もあったんじゃないかと考えます。
結果や成果がわかりやすい形では出ませんでしたが
星野監督の手腕ももちろんありますが、その前に野村監督が果たしていった役割も多分にあったんだと思います。
監督業として有名な人、という印象がありますが
その代名詞としてやっぱり外せないのは "ID野球"
ですね!
なんとなく響きがかっこよかったですよね笑
これは、監督になってからデータを使い始めたわけでもなくて
捕手時代から考えてプレーしていた結果
チームとして浸透させてID野球へと昇華したものだと思います。
ある意味これが リード等をさらに浸透させていった、ある種野球に革命を起こす考え方だった
と思います。
とはいえ…実際の昔の野球を知らないのでなんともいえませんが…。
今の時代の価値観でいうと信じがたいところでもありますが
昔の野球にリードや配球という考えがなかったんだとするなら…
とにかく力いっぱい速い球を投げる!
打ちにくそうな曲がる球を投げる!
というのが正攻法
だったということにもなりますね。
まぁこれはこれで…と思いますが
そういう価値観の野球だったとするなら
長嶋さんのいう 「来た球を…打つ!」
という指導は何も間違ってませんね笑
今なら定着した考えなので
早い球投げるにしてもコースを考えて…打たせるならこのコース…
速い球見せたから次は遅い球を…
という介入ができますが、そういう価値観の中で
様々な戦術、戦略を実行して成果を上げてきたのは素晴らしい!の一言ですね。
ちなみに、ノムさんといえばリードをよく語りますね。
対戦チームのデータを生かして捕手が投手の配球をする形が確立されたのは
鶴岡一人さんが監督をしていた南海ホークス
であったそうです。
この時、 1954年の話だそうで、ノムさんはちょうど1954年から職業野球をしています。
時を同じくして、って感じですね!
この当時、 メジャーにもなかった世界初のデータ野球が導入
されました。
つまるところ、 元年にノムさんは捕手をやっていた
ということになります。
きっと…この時の成功もたくさんあったことだろうと思います。
データというのは蓄積されるものですから
データ野球を駆使して長いこと野球をしていたのはまさしくノムさん
だということが言えると思います。
おそらくこの当時はスコアラーがいて
そして捕手が投手の配球を決める…ということで
だいたいのことはバッテリー完結していたと思います。
これをさらに チーム全体に浸透させたもの、それがID野球になったんだと思います。
今でこそ他球団のデータをもとにして戦略を考える、とか
シフトを敷いてみるとか、当たり前のようにやっていますが
それを最初から徹底してやっていたんですから
先駆者…とまではいかなくてもほぼ先駆者だろうと思います。
ノムさんというと、クイックの話もありますが
クイックモーションというものも結構前からあったみたいで
そこにさらに細かく数字をつけて考えていたのがノムさんだそうです。
そして 既存のクイックをさらに改良したすり足クイックで
福本さんを苦しめた
、という話も。
ノムさんが考え出したもの、というとあまり多くないのかもしれませんが
既存のものにさらに改良を加え昇華させる
そしてそれを 常識にまで発展させていったのはひとつ功績
だと思います。
そうだとするなら、 ノムさんが球界に残していってくれたもの
それは非常に大きなものだということがいえる
と思います。
今までの功績などはきっと誰が見てもすごい!
というものばかりだと思うのであえて語る必要はなかったかもしれませんが
記録という形で書いておきたいと思います。
シーズン中であっても悲しく、寂しいことでありますが
それでも… このシーズン前…これから野球が始まるっていうときに…
本当に…
今年はバファローズの選手が躍動する年になるでしょうし
ぜひ少しでもバファローズに目を向けてくれたら…
とも思ったんですけどね。
特に若月についていろいろ語ってほしかったのもあります笑
残念だなぁ、そう思う気持ちもあると思いますが
残念というのも相応しくないのかなというのもあります。
お年だったのもありますし…
奥さんに先立たれてさみしくてさみしくて仕方ない中で
むしろ一人で球界のために、野球ファンのために
今日まで本当に頑張ってくれたと思います。
まだまだいろんな言葉が、格言がほしい、もっと聞きたい
そんな気持ちもありますが
84年間、見事な生涯だったと思います。
野村克也さん、ご冥福をお祈りします。
冒頭でも書いていますが、
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