7時間の苦痛のバス旅 7 hours painful bus trip
カトマンドゥのホテルに到着した夜、ホテルのオヤジ(オーナーだ)から「明日フロントに来てください」と言われていたので翌朝出頭すると、待ち構えていたように食堂へ連れ込まれ、ツアーコーディネーターと化した日本語堪能なオヤジが次々とネパールでの私の旅を手配していった。
慌ただしく日本を発ったため、ネパールに関しては最初のホテルを予約した以外何の前準備もしていなかったのだ。
ほぼオヤジのお勧め通りに予定を組むことになった私が唯一譲らなかったのは、交通手段だ。
ポカラへは飛行機で、と当然のように言うオヤジに「行きだけはバスを使う」と頑固に抵抗したのは、私がバス会社出身だから、ではなく飛行機はバスの3倍も高かったからだ。
かくして喧騒のカトマンドゥから湖畔のリゾート、ポカラへバスで移動することになった私は、早朝6時半、偶然一緒になったエリちゃん(仮名)と共に、ホテルのボーイ君に導かれてバスターミナルへと向かった。
穴だらけの悪路を重いスーツケースを十分ほど引きずって辿り着いたのはバスターミナルとは名ばかりの大通り。
格安バスが頻発している新宿都庁前通りに騒音と排気ガスを加えたような場所で、歩道は荷物を抱えたツーリストとバスの客引きでごった返していた。
200キロを現地の人々と同じおんぼろバスに7時間も揺られて移動するような外国人は皆リュックを背負って小汚い恰好をしたバックパッカーたち…。
便利なパックツアーに高額な料金を払う意味はここにあるのだ、と悟った。
その混乱のバスターミナルの向かいの通りに到着し、眠気も手伝って呆然と立ち尽くす私達日本人女性2人を残し、いかにも頼りなさげな若いボーイ君はバスを探しに消える。
ところがいくら待てども戻って来ない。15分以上が経過し、バスの発車予定時刻も過ぎ、さてはお金だけ取られて放り出されたか、と怪しみ始めた頃、あのボーイ君が呑気にゆっくり(私にはダラダラに見えた)歩きながら戻ってきて通りの向こうへ渡ると言う。
「バスの発車時刻過ぎてるけど大丈夫なの?」と焦る私たちをよそに、彼は車が殺人的スピードで走る大道路を突っ切り始めた。
かなりイラついて眉間にエッフェル塔をくっきり刻んだ私とエリちゃんも慌てて後を追ったのだが、混乱の中で明らかに予約していたバスを見つけられずに他のバスと交渉したらしく、おんぼろバスの最後方に追い立てられた。
バスの屋根に積まれた荷物も心配だったし、隙間風は入ってきて寒いし、ほとんど未舗装の道路だから揺れが半端ないしで眠るどころではない7時間のバス旅だった。
エミちゃんと「自力でバスターミナルまで行った方が確実に予定のバスに乗れたよね」と車中話したのだが、アジアの自力旅は初めての2人、ネパール語は全く読めないし初体験尽くしなので仕方がない。
行きあたりばったり的なネパール人の対応にも鷹揚に構えるしかない、という結論に至ったのだった。
今にして思えばエリちゃんという旅の道連れもできたし、転落スレスレで崖の上を走るバスのスリル、車窓から目近に見えた小さな集落や段々畑といったネパールの農村風景も、それはそれでなかなか楽しかったし、それこそが自力旅の醍醐味なのだと自分を納得させている。
湖畔のリゾート ポカラ Pokhara resort by the lake
ポカラでの滞在先はリゾート風の洒落た外観と部屋の内装だったが、薄い毛布1枚だけで寝袋なしでは眠れないほど寒かったし、おまけにバスルームはシャワーカーテンさえないトイレ一体型で、シャワーは当然ほとんど水だった。
到着早々「フルハウス」のジェシーにそっくりなネパール人のイケメンが軽いノリで出てきて、そこそこの日本語でこれまた当然のようにポカラ観光の予定を組み始めた。
どうやらネパールでは、ホテルやホステルがツアー会社を兼ねているらしい。
喧騒の大都市カトマンドゥではとにかく気が休まらなかったのに対し、車道は少し埃っぽいもののオフシーズンで人も少なく適度に歩きやすいポカラには何といっても湖がある。
時折り霧のかかるフェワ湖では観光客用のボートが岸に繋がれて寂し気に揺れ、晴れた日には静かな湖面にアンナプルナ連峰の雄姿を映す。