カトマンドゥでナンパされる I was picked up in Kathmandu
翌日、喧騒の首都カトマンドゥへ戻った。
自分の足で市内を徘徊したが、激混みの安食堂(地元民で賑わう店が美味しいに決まっている)に1人で入る勇気はなかった。
古都、バクタプルで見た曼陀羅。本当に細かい芸術作品のようで見飽きない。
結局アメリカナイズされたカフェの心地よい陽の当たる小奇麗な中庭で、食べ慣れた洋食のブランチ。
ドルも使える便利なこのパンパニケル・ベーカリー・カフェは意外と美味しいパンを提供していて、外国人ツーリストには人気のカフェであり、私が安心して行ける食堂でもあった。
そして最終日、ホテルからバイクや車が人の足を轢きそうなほどスレスレに走って行く通りに出たところで、私が歩いてくるのをじっと見つめていた大きな目の若者に声をかけられた。
英語力を磨きたいから話し相手になってくれ、と言ってずっと私と並んで話し続けた彼は、カトマンドゥの曼荼羅を描く学校で寮生活をしているという。
私がこれからナラヤンヒティ王宮博物館の見学に行くのだと知ると「じゃあ後でお茶でもしよう。君は目が小さくて可愛いし英語も上手いからもっと話したい。見学が終わるまでボクは外で待ってるよ」と失礼な口説き方で誘った。
何時間かかるかわからないから、と断っても粘る彼に曖昧なジャパニーズ・スマイルを送りチケット売場の列に並んだのだが、入場料が500ルピー(約550円)と高く、私にはすでにそんな大金のルピーはなかったのでやむなく断念。
混雑に紛れて例の若者に見つからないようその場から立ち去った。
本当に彼が何時間も待ち呆けしませんように、と祈りながら。
なかなかイケメンだったし、現地人と友達になるのはメリットも大きいからお茶するくらいならいいかな、とチラリと思ったが、旅を始めたばかりで心を開くにはまだ警戒心の方が勝っていた。
しかし古都バクタプルで見た数々の曼荼羅があまりにも繊細で芸術的だったので、工房を見せてもらうまではいかなくても話だけでも聞きたかったと、今では少し、いや、かなり後悔している。
試練 trials
一番暑い午後の盛り、排気ガスにむせ埃にまみれながら、丘の上に建つネパール最古の仏教寺院スワヤンブナートへ向かって歩く。
朝のひんやりした空気に合わせて重ね着していた服を次々と脱いでいくが背中を伝う汗は止まるところを知らない。
ネパール語の看板が増えるなか本当にこの道で良いのか戸惑いつつも、勘に従い時に人に尋ねながら進む。
観光客向けではない地元民の街が姿を現し、学校からは子供たちのはしゃぎ声が聴こえてくる。
汚い川を渡った。橋の歩道には生ものが散乱し、蠅がたかっている。
人々の衣服は薄汚れて擦り切れ、何日も洗っていないかのように黒ずんでいる。
学生の女の子たちの白いタイツもすっかり毛玉ができ、黄ばんでいる。ネパールにいると、自分が2、3日同じ服を着てシャワーを浴びていなくても、何ら問題ないように思えてくる。
むしろ綺麗な恰好をしている方が不自然だと。
同じ山岳観光立国でありながら、スイスとネパールとのこの歴然とした違いは一体なんだろう、と考えてしまう。
車とバイクの規制をすればもう少し清涼な山の空気がカトマンドゥの盆地にも届くだろうに…。
単にアジアとヨーロッパの違いなのだろうか?それとも宗教の違い?
迷いながら歩くこと1時間、やっと巨大なストゥーパの頭が見える丘の登り口に出た。
果てしなく続く参道の石段を一歩ずつ踏みしめて登りながら「これは父が私に与えた試練だ」と感じていた。
全く宗教的な信仰心のない私だが、なぜこの国を最初に訪れたのか、登りながらわかった気がした。
ブッダが生まれたこの国で天空に聳える山々に神の存在を感じながら両親に許しを請い、2人が安らかに眠れるよう祈りたかった。
そのためにはこの果てしない階段を、どんなに暑くて喉が渇いても、どんなに苦しくても、自分の足で登らなければならない。
誰かの死に後悔と罪の意識を感じる者にできることはただ一つ、祈ることだけ。
無意識にそんな気持ちが私にこの国を選ばせたのだと思った。
長いうえに段差が大きく、小柄な私には余計にキツい石段を息も絶えだえに登り終えたその先には、高野山を圧縮したような世界が広がっていた。
幾つものマニ車と黄金の扉に囲まれて中央に鎮座する白いストゥーパの「四方を見渡すブッダの知恵の目」と云われる奇妙な形の目は少々笑いを誘うが、マニ車を回す人々(一回まわす度に罪が一つ浄められるといわれる)の顔は真剣なのだった。
★ 『アジア編?E【香港】』 へつづく…