Pilgrimage in Spain ?S Day20: The last moment with Jan【4.2011】
4月20日(巡礼20日目)Sahagun サアグン 〜 El Burgo Ranero エル・ブルゴ・ラネーロ (18.5km)
「オジサン集団について歩く Walk following men's group」
朝方6時頃、激しく屋根を叩く雨の音で目覚めた。
何組かの巡礼者はいつの間にか土砂降りの中出て行ったらしいが、私は9時半頃まで寝ていたので、レストランで朝食を取った最後の巡礼者だった。
予報通り雨は降ったり止んだりを繰り返すうち次第に激しくなり、巡礼20日目にして初めて小学生用の黄緑色の雨合羽の登場となった。
雨のため視界が悪く、巡礼路を示すホタテ貝の矢印を見つけるのに苦労し、道は草原の中の一本道ではなく舗装された道路があちこちへ伸びていて、一歩間違うと見当違いの方向へ進んでしまいそうで心細くなっていると、ラッキーなことに、やはり雨合羽を着込んだ巡礼者の一団が現れた。
ここで彼らを見失ってなるものか、とばかりに着いていく。彼らもやはり悪天候の中で正しい道を探すのに苦労しており、ここは皆で固まって注意深く歩いたほうがいい、と判断したリーダー格らしい男性が、私を含め7,8人の巡礼者を統率する形で慎重に歩を進めた。
とはいえ、今までマイペースにぶらぶらと歩いてきた私が百戦錬磨のオジサン集団に着いていくのは容易ではなく、息はあがり、右足くるぶしに違和感を持ち始めた。
その頃、さらに雨が激しく顔を叩くようになり、ちょうど集落にさしかかったのもいい潮時だとリーダーが判断して、皆でバルへ駆け込む流れとなった。
本来なら先を急ぎたい私は、ものの30分の休憩で普段は席を立つのだが、この日は終日雨の予報。雨合羽があるといっても小学生用の小さな合羽では、この本格的な雨の中を何時間も歩く気にはなれない。
だから一緒に入ったオジサン達がゆっくりとランチを楽しんでいる間、私も隣りで体を休めることにした。
「またしてもヤンに遭遇 I encounterd Jan again」
結果的にその選択が再びヤンを私の元へと導いてくれることとなった。その時も私は、トイレから出てきたところで、ヤンは注文を取りにカウンターへ、というシチュエーションが昨日とまったく同じだった。
が、彼の反応は昨日より激しかった。
「Izumi!」
叫ぶと同時に私はすっぽりと彼の胸に抱きしめられた。ハグには多少慣れてはいるが、相手が若いイケメンとなると話は別。
ヤンの右手にしっかりと左手を握られ、腰をグッと引き寄せられて、私はすっかりパニックに陥っていた。
はっと正気に戻ったようにヤンは私の体を離すと、手は握ったまま再び体は大丈夫かと訊いてきた。まるで傷ひとつなく巡礼を続けていることが奇跡だとでも言いたげに。
足首が痛い、と左の足首を指すとヤンは眉間に皺を寄せ、「痛む?ボクが見てあげようか」と膝を折ろうとするので私は恥ずかしさに「No, no, no, no! It’s OK!」と、屈もうとする彼を必死で止めなければならなかった。
店内を見渡し、黄緑色の雨合羽が椅子の背にかけてあるテーブルを指すと「あれが君の席?」と尋ね、ボクはあそこだからおいで、と言い残して彼はカウンターへと注文をしに行った。
カウンターから戻ったヤンにおいでと手招きされ、断る理由も考えつかないので仕方なく彼のテーブルへ向かう。こんなことは巡礼中よくあることなのに、なぜかこの時は与えられた餌に喜んで駆けよる犬になった気分で、気恥ずかしさが心を占めていた。
連れの小柄な赤ジャージの女の子は、ネットをやりにパソコンエリアへ行っていていなかった。ランチを食べるヤンの隣りで私はココアのカップを両手で握りしめたまま、ぽつぽつと話をする。
先日まで一緒だったもう一人のトニ・コレット女史は先を急ぐというので、昨日別れたそうだ。ヤンからすれば、コレット女史は別としても、ジャージ・ガールと歩くのは遅いはずだ。ヤンの足の長さはかなりのものだし、一日30キロ、40キロは平気で歩ける強さがあるのだから。
それでも二人は未だ一緒に歩いている。私のちょっとしたジェラシーが伝わったのか、ヤンはケータイをいじり始め、会話はなくなっていった。誰かと一緒でも自分のしたいことをする、というヤンのスタイルは相変わらずだった。
次第に二人で同じテーブルに座っているのに居心地の悪さを感じ始め、折しも雨がほぼ止んでいるように見えたので、私は意を決して立ちあがった。ヤンはすでに私に興味を失ったように、引き止めはしなかった。
止んでいるように見えた雨は小降りで続いており、出てきたのは失敗だったかな、と思うほど強い風が吹き始めた。小さい雨合羽だけでは不安になり、折りたたみ傘も使っていたのだが、激しい風雨のためにあえなく壊れて使い物にならなくなった。
そのうち追いついてきた先ほどのリーダー格の男性、スペイン人のアニセトに率いられるように、私を含む7,8人の集団は一時的に強く頬を叩くような小雨の中、一団となって次の宿場町へと急いだ。
雨合羽のフードを目深にかぶっても顔が濡れてしまうような雨の中、今までにないスピードでひたすらアニセトに着いていくのに精一杯で、ありがたいことに別れたヤンのことをあれこれ考える余裕は消え失せていた。
そうこうしているうちに石造りの家々が連なる小さな集落に入った。
アニセトが先頭に立ち、公営アルベルゲへと落ち着く。雨に打たれて冷え切っていた私達には、暖炉の火で暖まったアルベルゲは天国のように思えた。
公営アルベルゲの料金はたいてい寄付制になっているので支払う額は決まっていないが、その宿ではゾロゾロと皆に続いて入った時に宿のコワモテ親父が寄付箱の前で目を光らせていたし、私の前のアニセトが「じゃぁ10ユーロ入れるよ」と言って寄付箱にお金を入れたので、夕食も付いていないのに同じく10ユーロ入れざるを得なかったのは、少しイタイ出費だった。
部屋もシャワールームも全て男女共同というところが多いので個人的には公営は避けていたのだが、今回は私の下のベッドに陣取ったアニセトが何くれと世話を焼いてくれたので、10ユーロが全く惜しくない滞在となった。
水に近い温度のお湯しか出ないし、ボロボロの木でできたプライベート性の限りなく低いシャワールームではあったが、雨の中猛スピードで歩いて体は汗まみれだったので、さっさとシャワーを済ませ、早々にさっぱりした。
ほぼ同時にシャワーを終えたアニセトが、雨に濡れた合羽や靴を階下の暖炉で乾かせばよい、といろいろ教えてくれたので、オクテの日本人としては本当に助かった。
巡礼者全員が雨に濡れた服やら靴やらを室内で乾かしたいのだ。当然スペースはあっという間になくなる。この時ばかりは早い者勝ちだ。遠慮していては、翌日湿ったままの靴に足をつっこまなければならなくなる。
けれどこの時はアニセトが「もっと暖炉のそばに置かなくちゃ乾かないよ」と私の靴を移動してくれたのでしっかりと乾き、翌日は快適な装備で歩き始めることができた。アニセトに感謝、である。
この宿に入ったのは3時半。朝10時半にサアグンを出たので、1時間半の休憩を除いて3時間半で18,5キロという、私にしては驚異的なスピードで歩いたことになる。疲れるはずだ。
雨の日、早めに宿を確保することは安心につながった。
シャワーでさっぱりした後は皆、暖を求めて一様に温かい火の周りへ集まってくる。ベッドルームに暖房はないのが普通なので、一階のダイニングエリアにある暖炉を中心に、巡礼者の輪ができた。
4月というのに久々の本格的な雨で気温が下がり、体も心も何だか風邪をひきそうな暗い午後、旅人たちは暖炉を囲んで体を暖めながらお喋りに興じる。ほとんどがスペイン人だったので話の輪には入れなかったが、時々アニセトが英語で話しかけてくれる。
「ヤンを見た最後... The last moment when I saw Jan...」
ほとんどの人がセルベッサ(スペインの地ビール)を飲んでいたが、私はアルコールよりも温かい飲み物が飲みたくて、キッチンへと紅茶を淹れに行った。
すると何と、またしてもヤンに遭遇したのである。キッチンでお湯を沸かしている時、窓の外を走って入り口から飛び込んできた男女の二人連れは、あの赤いジャージ・ガールと、襟と袖口がチェックになったオシャレな黒いレインコートを着たヤンだった。
私と顔を合わせたヤンは、さすがに「また会ったね」と少しうんざり気味に言った。まるで「こんな所でまで君に会うとは思わなかったよ」と、女に付きまとわれているような口ぶりで、私はまるで自分がストーカーでもしているような気分になってしまった。
でもよく考えると、先にこの宿に来ていたのは私だ。うんざりなのはこっちよ、とばかりに私も少しげんなりした顔になっていたかもしれない。だからロクに話もせずに紅茶を淹れ、アニセトの隣りへと戻ってしまった。
ただ雨という天気もあり、すでに大勢の巡礼者が宿に入っていたため、夕方辿り着いたヤンと彼女は宿の主からは少々迷惑な客だったようだ。ベッドの数が足りなかったのか、別の宿を探すためヤンはコートを着たまますぐに雨の降る外へと走りだして行った。
その後ろ姿が、私がヤンを見た最後となったのだが、ジャージ・ガールが寄付箱にお金を入れるところは目撃したので、彼女が私と同じ宿に泊まったのは確かだが、ヤンも同宿だったのか、他の宿に泊まったのかはわからずじまいだった。
大勢で泊まるのが嫌いだから公営は避け、プライベートルーム(料金は高くなるが一人、もしくは二人、三人用でカギをかけられる部屋)に泊まることもあると言っていたヤン。出発も10時過ぎというヤンに、翌朝会えるはずもなかった。
「紳士との夕食 Dinner with a gentleman」
「君を夕食に招待してもいいかい?」
という紳士的なアニセトの申し出を受け、その夜は向かいのバルの奥のテーブル席でスペイン式のディナーをご馳走になった。
第一の皿はタップリの野菜サラダ、第二の皿は肉か魚のメイン・ディッシュ、そこにコーヒーかデザートが付くのが通常のスペイン式コースディナー。パンは食べ放題で、スペイン人は勿論コースとは別にワインも頼む。
スペイン人には当たり前のこのコースも、私にはとても量が多くて巡礼の始めの頃、2日目のウテルガで一度トライしただけだった。
いわゆる前菜で、すでに日本人には考えられない量の山盛りのサラダにたっぷりとオリーブオイルがかけられた大皿が出て来るのだ。これを食べきってしまうとすでにそれだけで満腹になってしまうので、セーブしながら食べる。
アニセトが頼んだワインでほろ酔いの私はその夜、よく喋ったと思う。饒舌になって両親の死を悼むためにカミーノを歩いていることを打ち明けたことが、アニセトにとって私を特別にしたのかもしれない。
アニセトはバルセロナ出身、40代後半の壮健な男性で、EU本部の職員として普段はベルギーのブリュッセルに住んでいるのだという。今回の巡礼は2回に分けて休暇を取り、明日レオンまで行ったらひとまず前半を終わらせて、一度家族の待つベルギーへ戻るとのこと。
スキンヘッドが一見恐く見えるが、白いソックスに半ズボンという若いいで立ちで歩いており、自然とリーダーシップを発揮する優しい中年男性であり、常に私をレディとして扱ってくれた紳士だった。
主に日本の文化、日本人独特の社会について話したのだが、アニセトにとっても私は一人で歩いている珍しい日本人女性。普段話す機会はないので、私の話す内容ひとつひとつをとても興味深く聞いてくれた。
会社での人間関係、飲み会での社会的ルールなど、レディ・ファーストのヨーロッパ文化圏で育ったアニセトには奇異に感じられることばかりで、時に怒り、時に笑いながら、私の拙い英語をさりげなく助けるように相槌を挟みながら耳を傾けてくれ、あっという間に楽しいディナーの時間は過ぎていった。
スペインではこういった感じの薄暗いバルが多い
途中彼の空になったグラスに気付いてワインを注ごうとした私に「何をしてるんだ!」といきなり怒ったので、日本では女性が男性にお酌をするのは当然なのだというと驚いていた。欧米ではホストの男性がドリンクを注いだり、料理を取り分けたりするのがルールなのだ。
そんな習慣の違いも、彼には新鮮な驚きに溢れていたらしい。以前勤めていた会社社長Mの、飲み会での悪名高き横暴な振舞いなどを、ここぞとばかりに引き合いに出させていただいた。
アニセトのおかげで私は久々に誰かと分かち合う楽しい夕べを過ごし、ワインの酔いも手伝ってか、ヤンのことを頭から追い出すのにかろうじて成功した夜だった。
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posted by fanblog
2018年11月25日
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