この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
広告
posted by fanblog
2023年08月30日
ある日じんましんが全身に・・
いよいよ壮絶なプレッシャーと闘う毎日となりました。
内定辞退者を何人引き留めたのか、上司に毎夕報告することになったのです。
ゼロのままだと罵倒され、深夜までの残業が確定するのです。
(もっとも、光〇信は超絶ブラック企業ですので、
残業代も時給に換算すると700円くらいです)
どれだけ電話しても、心変わりするような辞退者は1人もいません。
もはや絶望しかありません。
毎日100人の前で公開処刑です。
好意を持っていた女性社員の前で罵倒されるという屈辱、そして恥ずかしさ・・・
この苦しい気持ちが分かりますか?
こんな毎日を繰り返すうち、身体に異変が現れました。
全身じんましんだらけになったのです。
内定辞退者を何人引き留めたのか、上司に毎夕報告することになったのです。
ゼロのままだと罵倒され、深夜までの残業が確定するのです。
(もっとも、光〇信は超絶ブラック企業ですので、
残業代も時給に換算すると700円くらいです)
どれだけ電話しても、心変わりするような辞退者は1人もいません。
もはや絶望しかありません。
毎日100人の前で公開処刑です。
好意を持っていた女性社員の前で罵倒されるという屈辱、そして恥ずかしさ・・・
この苦しい気持ちが分かりますか?
こんな毎日を繰り返すうち、身体に異変が現れました。
全身じんましんだらけになったのです。
2023年08月28日
京葉線の通勤快速で失神
社会人1年目の2004年。
月収わずか15万円のために、朝6時半に自宅を出て、
深夜0時過ぎに帰宅する毎日でした。
当時勤めていた光〇信は、交通費を全額は出してくれません。
当時、千葉市から池袋まで通勤していた私は、
月に1万数千円は自己負担して通勤定期を購入していたのです。
薄給な上に交通費も一部とはいえ自己負担なんて、まさにブラック企業ですよね。
当時、朝の京葉線には、蘇我を出ると東京駅までノンストップの通勤快速が存在し、
私はこれに乗って毎朝通勤していました。
停車駅が少なく速いから便利かと思っていたのですが・・・
これがとにかく混みます。激混みなんです。
東京駅までの所要時間が短いので、通勤客が殺到するのです。
もうすし詰め状態でした。
連日の激務で睡眠不足の私には、これが過酷でして・・。
始発駅から乗らない限り座席に座れませんので、
ずっと立ちっぱなしです。
ノンストップ区間で気分が悪くなっても、途中で降りることができません。
当たり前のことですが。
ある日、そのノンストップ区間で気分が悪くなり、吐き気がしてきました。
今すぐ戻したくなるほどの・・
しかし、すし詰め電車で身動きが取れません。
網棚に乗せた通勤かばんを取って、ドア付近に何とか移動しようとしたのですが・・
網棚に手を伸ばしても、かばんが取れないのです。
視界が狭まって遠近感が狂ってしまったようです。
何回もトライしても、かばんに手が届きません。
そしてそれからの記憶が残っておらず、気が付いたときは
かばんを抱えてドア付近でうずくまっていたのです。
今思うと、貧血状態になって一瞬気を失っていたのかもしれませんね。
そのうちに気分が落ち着いてきました。
こうして電車の中でゲロをするという
人生最悪の事態を回避することができました。
いやあ、それにしても首都圏の通勤ラッシュは過酷でした・・・
月収わずか15万円のために、朝6時半に自宅を出て、
深夜0時過ぎに帰宅する毎日でした。
当時勤めていた光〇信は、交通費を全額は出してくれません。
当時、千葉市から池袋まで通勤していた私は、
月に1万数千円は自己負担して通勤定期を購入していたのです。
薄給な上に交通費も一部とはいえ自己負担なんて、まさにブラック企業ですよね。
当時、朝の京葉線には、蘇我を出ると東京駅までノンストップの通勤快速が存在し、
私はこれに乗って毎朝通勤していました。
停車駅が少なく速いから便利かと思っていたのですが・・・
これがとにかく混みます。激混みなんです。
東京駅までの所要時間が短いので、通勤客が殺到するのです。
もうすし詰め状態でした。
連日の激務で睡眠不足の私には、これが過酷でして・・。
始発駅から乗らない限り座席に座れませんので、
ずっと立ちっぱなしです。
ノンストップ区間で気分が悪くなっても、途中で降りることができません。
当たり前のことですが。
ある日、そのノンストップ区間で気分が悪くなり、吐き気がしてきました。
今すぐ戻したくなるほどの・・
しかし、すし詰め電車で身動きが取れません。
網棚に乗せた通勤かばんを取って、ドア付近に何とか移動しようとしたのですが・・
網棚に手を伸ばしても、かばんが取れないのです。
視界が狭まって遠近感が狂ってしまったようです。
何回もトライしても、かばんに手が届きません。
そしてそれからの記憶が残っておらず、気が付いたときは
かばんを抱えてドア付近でうずくまっていたのです。
今思うと、貧血状態になって一瞬気を失っていたのかもしれませんね。
そのうちに気分が落ち着いてきました。
こうして電車の中でゲロをするという
人生最悪の事態を回避することができました。
いやあ、それにしても首都圏の通勤ラッシュは過酷でした・・・
2023年08月27日
100人の前で公開処刑
1ヶ月間におよんだ内定辞退者を引き留めるミッションでしたが、
朝から晩まで電話をかけまくったものの1人も引き留めることはできませんでした。
私自身が勤務先の会社に何ら魅力を感じていませんでしたし、
心のどこかで「辞退して当然の会社だよな」と思っておりましたので、
辞退者を説得する材料を何も持ち合わせていませんでした。
「もっといい会社から内定をもらえたので」
と言われたら、
「そうですか、おめでとうございます」
と返すしか術はありませんでした。
とある日、上司に呼び出されました。
「これまで何人引き留めた?」
と聞かれました。
「え・・・と、まっ、まだゼロです」
私は絞り出すように答えるのが精一杯です。
「は、ゼロだと?一体何をしてたんだ?!」
「どうしてこれまで黙っていたんだ!?」
と矢継ぎ早に責め立てられました。
私が驚いたのはその後です。
「1回断られたくらいで諦めるな!そいつに何度も電話しろ!!」
「100人くらいで諦めるな。今日だけで1,000人に電話をかけろ!!」
ここまでくると、もはや精神論です。
そして、具体的な指示がないどころか人格攻撃が始まりました。
私が素直に「分かりました」と返事をしなかったのが癪に障ったのでしょう。
「100人くらいから断られたくらいで諦めるオマエは精神力が弱い!」
「1人も引き留められないなんてショボすぎる」
「朝から晩まで電話して成果ゼロか・・使えねえ」
こういった暴言を100人くらいいる職場で吐かれました。
もはや完全に晒しものです。
こうして上司の前に立たされたまま、
4時間くらい罵声を浴び続けました。
今でいうところのパワハラですね。
ようやく解き放たれ自分の席に戻った時、
涙がとめどなく溢れてきました。
周りが引くくらいの声の大きさで号泣しました。
2004年、26歳で社会人1年目の夏の出来事でした。
朝から晩まで電話をかけまくったものの1人も引き留めることはできませんでした。
私自身が勤務先の会社に何ら魅力を感じていませんでしたし、
心のどこかで「辞退して当然の会社だよな」と思っておりましたので、
辞退者を説得する材料を何も持ち合わせていませんでした。
「もっといい会社から内定をもらえたので」
と言われたら、
「そうですか、おめでとうございます」
と返すしか術はありませんでした。
とある日、上司に呼び出されました。
「これまで何人引き留めた?」
と聞かれました。
「え・・・と、まっ、まだゼロです」
私は絞り出すように答えるのが精一杯です。
「は、ゼロだと?一体何をしてたんだ?!」
「どうしてこれまで黙っていたんだ!?」
と矢継ぎ早に責め立てられました。
私が驚いたのはその後です。
「1回断られたくらいで諦めるな!そいつに何度も電話しろ!!」
「100人くらいで諦めるな。今日だけで1,000人に電話をかけろ!!」
ここまでくると、もはや精神論です。
そして、具体的な指示がないどころか人格攻撃が始まりました。
私が素直に「分かりました」と返事をしなかったのが癪に障ったのでしょう。
「100人くらいから断られたくらいで諦めるオマエは精神力が弱い!」
「1人も引き留められないなんてショボすぎる」
「朝から晩まで電話して成果ゼロか・・使えねえ」
こういった暴言を100人くらいいる職場で吐かれました。
もはや完全に晒しものです。
こうして上司の前に立たされたまま、
4時間くらい罵声を浴び続けました。
今でいうところのパワハラですね。
ようやく解き放たれ自分の席に戻った時、
涙がとめどなく溢れてきました。
周りが引くくらいの声の大きさで号泣しました。
2004年、26歳で社会人1年目の夏の出来事でした。
与えられたノルマは内定辞退者を引き留めること
私が最初に就職した会社(光〇信)は、ブラック企業でした。
過酷な営業ノルマ、長時間労働、夜遅くまでの執拗なセールス電話・・
その過酷さは世間一般にも知れ渡っており、
内定を出しても、辞退する学生が続出するのが悩みの種でした。
翌年の人員計画が全く立てられないからです。
通年採用をしておりますが、この実態は改善しませんでした。
そこで新人の私に課せられたノルマがありました。
「内定辞退者を毎月50人引き留めること」です。
パソコンに登録されている内定辞退者のデータベースを開き、
表示された番号に朝から晩まで電話をかけまくりました。
これが1ヵ月続きました。
過酷な営業ノルマ、長時間労働、夜遅くまでの執拗なセールス電話・・
その過酷さは世間一般にも知れ渡っており、
内定を出しても、辞退する学生が続出するのが悩みの種でした。
翌年の人員計画が全く立てられないからです。
通年採用をしておりますが、この実態は改善しませんでした。
そこで新人の私に課せられたノルマがありました。
「内定辞退者を毎月50人引き留めること」です。
パソコンに登録されている内定辞退者のデータベースを開き、
表示された番号に朝から晩まで電話をかけまくりました。
これが1ヵ月続きました。
人事部に配属
1カ月間の営業研修を終えました。
結局、成約が取れた案件はゼロ・・成果なしです。
そして人事部に配属となり、
そこでの最初のミッションは求職者の学生の前で会社説明会を行うことでした。
いくら相手が学生であっても、自分と数歳しか変わりません。
自分の会社のこともまだよく知らないのに、自信を持って説明することができません。
スライドに表示された文字をベタ読みすることしかできず、
緊張からか声は震えてしまいます。
学生たちの反応はイマイチ・・質問をされても、あやふやな回答しかできません。
散々な会社説明会でした。
説明会後は毎回もれなく上司や先輩に呼び出され、
延々とダメだしされるのが日課となりました。
結局、成約が取れた案件はゼロ・・成果なしです。
そして人事部に配属となり、
そこでの最初のミッションは求職者の学生の前で会社説明会を行うことでした。
いくら相手が学生であっても、自分と数歳しか変わりません。
自分の会社のこともまだよく知らないのに、自信を持って説明することができません。
スライドに表示された文字をベタ読みすることしかできず、
緊張からか声は震えてしまいます。
学生たちの反応はイマイチ・・質問をされても、あやふやな回答しかできません。
散々な会社説明会でした。
説明会後は毎回もれなく上司や先輩に呼び出され、
延々とダメだしされるのが日課となりました。