全56件 (56件中 1-50件目)
2020年6月25日(木) たぶんお昼前、夫が逝ってしまった。その20日前の6月5日(金)午後、救急搬送され入院していた。5月中旬頃から、何となく変だなぁという感じはしていたけれど、どこがどう変なのか、具体的な症状はなかった。その後、5月下旬、尿の流出が悪くなり、血液検査の結果、炎症反応が上がっているとのことで、抗生剤が処方された。その抗生剤の効果が思わしくなく、気管狭窄音がして、痰の量も増えた。それは、「抗生剤の効かない耐性菌があるのかもしれない」とのこと。だとすると、「在宅で治療をするのは難しいから病院へ行った方が良い」との主治医の判断で、救急搬送された。搬送された大学病院では、ありとあらゆる検査をしたらしい。結果は、肺炎で、肺に水も溜まっているとのことだった。ビックリもしたが、なるほどなぁとも、思った。以前から、訪看さんに「左肺は、エア入り悪いですね」と言われていたし、サチュレーションが、以前は98%あったけれど、最近は96%になることが多かった。だから、腑に落ちた感じがした。「2週間程度、入院になります」という説明を受けた後、二酸化炭素の値が高いことがわかって、呼吸器装着になった。それから約2週間、ICUに入った。それでも、6月19日(金)、ICUを出て一般病棟に移り、呼吸器を外すことはできなかったが、往診医、訪看さん、ケアマネさん等、病院に集まって頂き、6月24日(水)退院に向けてのカンファレンスが行われた。話し合いの結果、7月1日(水)10時の退院が決まった。そして、声紋閉鎖術をして、カニューレを入れていない期間が5年あり、気管切開孔が少し狭くなっていたので、カニューレの負担を軽くするために、退院前に、耳鼻科医に「もう少し広げてもらいましょう」ということで、手術の日程も決まった。そのカンファレンスの翌日のことで、私も驚いたが、夫に関わってくださった全ての人を驚かせた。6月25日(木)12:09 病院の主治医から、「心臓が止まりました」との連絡を受け、夫の兄と共に病院へ向かった。その日の朝まで、安定して過ごしていたそうだが、急に心臓の動きが悪くなり、点滴等で可能な限り手を尽くして治療をしてくださり、一時は持ち直し、また悪くなりを繰り返し、良くなったかなと思ったら、突然、心臓が止まってしまったらしい。入院してから、新型コロナウイルス感染症予防対策で、ずっと面会ができなかった。こんなに長く会わなかったのは、結婚して初めてのことだった。カンファレンスの時、2週間半ぶりに会った夫は、スースー寝ていて、声をかけても、肩をたたいても、起きなかった。連絡を受けて、病院へ駆けつけた時の夫は、前日 寝ていた時の顔と、また違った、それはそれは、いい顔をしていた。今まで見たこともない、穏やかな顔。夫の病気がわかって、在宅療養を始めた頃、「1リットルの涙」というドラマが放映された。そのドラマは、当時の病名は夫と同じ、脊髄小脳変性症を患った少女が書いた著書のドラマ化で、私は、夫には見せたくないと思っていたけれど、夕方に再放送があり、私が仕事に行っている間の時間帯だったので、夫は見たらしい。そして、私に、こう質問した。「どうなって、死んだの?」私の答えは、「どうなって死んだのじゃなくて、どう生きたかでしょ? 人はね、死ぬまで生きなきゃいけないんだよ」そう言った覚えがある。その私の言葉通り、夫は、見事に、死ぬまで生きた。精一杯生きた。だからこそ、あんなにいい顔ができたのだと思う。病院から帰宅して、弔問に来てくださった誰もが、「いい顔してるね」と、言ってくださった。「何だかおかしい」「フラフラする」と夫が言い始めて、かれこれ18年。初めて特定医療費受給者証の更新に行ったとき、保健師さんだったか?、県の職員の方だったか?に、「これからは、ご主人と二人三脚でね」と言われて、嫌で嫌で仕方がなかった。夫の病気を受け入れられない私がいたからだと思う。「結んだ紐をほどきたい」と、何度思ったかしれない。それでもほどかなかったのは、夫が真摯に病に立ち向かっていたから。その姿を見て、私も腹をくくれたのだと思う。さまざまな方々が、夫と私をサポートしてくださった。そのサポートがあったればこそ、今日まで在宅療養ができた。感謝してもしきれないくらい、ありがたい。そして、夫にも感謝。私をここまで成長させてくれたこと、少しは優しくなれたこと、夫がいなければできなかった。来年の春には、結婚25年の銀婚式を迎えるはずだった。それはできなくなったけれど、夫は私の中で生きている。これからも、二人三脚で、共に生きたい。柚葉ちゃん連絡先
2020.07.23
コメント(12)
夫の足の甲の浮腫は、エラスコット(弾性包帯)を巻くことで徐々に緩和したところが、2/12(水)の訪問入浴の前に包帯を外したときは何ともなかったのに、浴後 包帯を巻いて、翌日2/13(木)様子見で包帯を外したら、足首や足の甲に、発赤 発見そんなに強く巻いたわけでもないのに…。夫は、元々肌が弱い。化学繊維の物は苦手で、肌着等 直接肌に触れる物は、綿100%の物ではないとかぶれる。エラスコットは、綿100%のなのに、ダメなのか…仕方がないので、発赤のところにリンデロンVG軟膏を塗って、包帯は巻かずに様子見。これは 軟膏を塗って、少し良くなった 2/17(月)の様子。 昨日の往診で診ていただくと「接触性皮膚炎ですね」とのこと。それで、発赤しているところに「リンデロンVGローション」を塗り、さらに、直接、包帯が肌に触れないように、包帯と皮膚の間に膜を作るため「アズノール」を塗って、それから、包帯を巻くようにとの指示があった。早速、そのようにした。そして、今日の訪問入浴の前に包帯を外すと、発赤は若干残っていたものの、浮腫はほとんど解消していたやっぱり、弾性包帯って優れものなんだ何だか、嬉しくなった。これからも、接触性皮膚炎に気をつけながら、浮腫解消に努めたいと思う柚葉ちゃん連絡先
2020.02.19
コメント(6)
最近の夫の体調は、すこぶる良好。昨秋、去痰薬を変更して、痰の量は減ったけど酷い便秘になった。それで、栄養剤を変更した。そのことによって、カリウム剤を中止することができた。そして、今まで低めだった血圧も、ほぼ普通になり、尿の流出も良好。摘便は、相変わらず苦労しているが、便の状態は良便になりつつあるそれなのに、足の甲が浮腫む 画像ではわかりづらいが、指で押すと凹んで指の跡が残るほど浮腫んでいる。以前にも同じようなことがあって、当時の往診医に相談すると、「物理的に無理ですね」と、言われたベッドを【連動】で背上げをすると、同時に足も上がるが、膝が曲がるので足下は下がる。だから、浮腫むのは仕方ないとのこと。それでも、「物理的に」という言葉にヒントを得て、外側に足先が倒れないように、バスタオルを丸めて輪ゴムで留めた物を、外側にあてがい突っ張りにした。そうすることで、解消されたのだけれども、最近は、それでも浮腫が生じた先週の往診時に主治医に相談すると、エラスコットという弾性包帯で巻いてみたらどうかと、提案された。そして、昨日の往診時に主治医に巻いてもらった本来は火曜日の往診だが、今日は祝日なので昨日になったのだ。 左足は主治医が巻いてくださって、右足は主治医の指導の下、私が巻いた。明日の訪問入浴時には、外さないといけない。お風呂の後、上手く巻けるか心配だこのままにしておこうかと思ったけど、踵と踵が当たるので、かかと用のナーシングラッグを、いつものようにしたこれで、不随運動で踵と踵がぶつかっても、褥瘡になる危険は無い 弾性包帯が、功を奏して浮腫解消することを願いたい柚葉ちゃん連絡先
2020.02.11
コメント(4)
栄養剤を【エンシュア・リキッド】から全量【イノラス】にしてから、約1か月が経つこともあって、先週の往診時に血液検査をしていただいた。その結果、カリウムの値が上がっているとのこと。多すぎてもいけないらしいそれで、今まで服用していた【アスパラカリウム散50% 1日3g】を中止することになった。これはひとえに、イノラスのおかげ【イノラス】の成分の中に、【エンシュア・リキッド】より多くのカリウムが含まれているから、医薬品で補わなくても良いということだ。 そもそも、栄養剤を【イノラス】に替えたのは、去痰薬を【ムコダイン】から【ムコサールドライシロップ】に替えて、今まで以上に便秘になったからだった。その【ムコサールドライシロップ】は、ジェネリック(後発薬)なので、先発薬の【ムコソルバン】に替えてみてはどうか?と、調剤薬局に勤めているブロ友さんから提案があった先発薬の方が、便秘になる副作用が少ないのではないか?という思いで主治医に相談すると替えてくださった。まぁ、試してみないとわからないので・・・。【ムコソルバン】に替えて2週間くらい経って、目に見えた大差はないが【ムコサールドライシロップ】のときよりも、便の状態が良便になってきているように思う。去痰薬を替えて便秘になったけれども、栄養剤を【イノラス】にした結果【エンシュア・リキッド】のときよりも、便状が良くなった 6月に新発売になった【イノラス】は、とてもタイミングの良いことだった。もし、【イノラス】が発売されていなかったら、別の栄養剤にして、【アスパラカリウム散50%】を中止することもできなかったかもしれないし、良便になるのに、もっと時間がかかったかもしれない。【イノラス】に巡り合えて、とてもLUCKYだったこれからも、適宜 血液検査をして頂いて、夫の体調を看ていきたいと思う柚葉ちゃん連絡先
2019.12.05
コメント(6)
夫の栄養剤を、【エンシュア・リキッド】から【イノラス】に変更した。きっかけは、去痰薬を【ムコダイン】から【ムコサールドライシロップ】に変更したことによって、便秘になったから。去痰薬を変更した当初は、摘便の量は変わらなかったが、1週間~10日ほどして、砂利のような小石のような便しか出なくなった薬剤師さんによると、副作用の便秘は、稀にあるそうだ。それに当たってしまったそれで、オリゴ糖の量を増やしたり、整腸剤を処方してもらったり、下剤を増やしたり、悪戦苦闘したが、あまり良い結果が得られなかった。だからといって、痰吸引回数が半減したこともあり、元の【ムコダイン】に戻す気にはなれなかった。そこで、いろいろ考えてひらめいた過去に【ラコール】で下痢をしたので、【ラコール】にしたら便秘が改善されるかと・・・。でも、いっぺんに替えるのは抵抗があったので、1パックのカロリーと量を調べた。そこで、同じ大塚製薬から6月に新発売になった【イノラス】を知った。10月23日(水)の往診時に、主治医と相談した。主治医は、栄養剤を替えることに消極的だったけど、「全量いっぺんにではなく、先ずは、お昼だけとか・・・」と話すと、【ラコール】ではなく、【イノラス】を1日1回、処方してくださった。【イノラス】の方が、1パック300カロリーなので、【エンシュア・リキッド】の1缶250カロリーに合わせやすいし、栄養剤的にも優秀らしい。10月24日(木)のお昼から、1日1回【イノラス】になった その後、お腹は、緊満状態から少し柔らかくなったけど、まだ、スムーズに下りてこなくて、下剤を増やしたままだった。それで、10月28日(月)から、朝晩の1日2回にしてもらった。すると、以前より下りてくるようになったけど、硬い便は小石のようなコロコロ便。それが排出されないと、次の便がなかなか出ない。私は、お腹の中で、【エンシュア・リキッド】と【イノラス】が混じるように思っていたが、便の状態を見ると、混じらないで、別々の便状になるように思えた。それで、11月5日(火)から全量【イノラス】にした。すると、徐々に良便になり、排ガスも自然に起きるようになったそれだけ腸が動いているということで、グル音(腸ぜん動音)も良く聞こえるようになった下剤の量は、【エンシュア・リキッド】の時と同じ量に戻したが、良い感じの便がみられている。そして、思わぬ副産物をもたらした。【イノラス】は缶ではないので、後始末がしやすい。それから、1mL=1.6kcalの高カロリーなので、少ない量で済む。そして、粘度が高いので、ゆっくり滴下すると止まってしまう。だから、ある程度の速さで滴下しなければならない。結果、食事時間(滴下時間)が、今までの半分の時間になったこれらのことは、夫にも私にも、とてもLuckyな出来事だった。完全に【イノラス】になって、まだ10日あまりなので、これからも、お腹の状態と相談しながら、より良いケアができたらと思う柚葉ちゃん連絡先
2019.11.17
コメント(2)
夫が、初めて救急搬送され、気管切開後退院し、療養生活に入ってから、今日でちょうど9年半になる。処方薬は、退院時に病院で処方されたお薬が、そのまま往診医に引き継がれ、その頃から、あまり変わっていない。2016年8月、当時の往診医に見直しをお願いして「セレジスト」を中止した。他のお薬は「必要」とのことで、クリニックが代わっても、そのまま引き継がれている。この他にも、アズノール、ゲンタシン、リンデロンVG等、軟膏も処方される。9月16日(月) アメーバブログのfukenokaさんの記事を拝読して、夫と違う痰切りを良くするお薬が処方されているのを知った。fukenokaさんのご主人さまは、痰の量が少ないとお伺いしていたので、夫が服用している【ムコダイン】とどう違うのか、9月24日(火)の往診時に主治医に質問した。すると、「どちらも、痰の切れを良くするお薬です」とのこと。そこで、「じゃぁ、製薬会社が違うだけですか?」と、さらに質問。答えは「そうじゃないです」「痰の切れを良くするという目的は同じだけど、簡単に言えば、 働きかけや、課程が違います」とのこと。それで、「試しに、替えてみますか?」と仰ってくださったので、その日の処方から変更してもらった。火曜日に処方されても、水曜日は訪看さんや訪問入浴等でバタバタするので、薬局からの配達は木曜日の午後一にお願いしている。だから、お薬が切り替わったのは、9月27日(金)から。その日は、あまり変わらないような感じだったけど、翌日から、同じように吸引していても、量が少ない。それで、だいたい1時間に1回の吸引の間隔を空けてみた。夫も、苦しそうな嫌そうな顔をしないので、様子を見ながら、1時間半にし、徐々に2時間くらいにした。2時間くらいすると、しかめっ面をしたので、吸引。だけど、量は、1時間で吸引していたときと同じくらいでビックリ。カニューレがないので、痰が溜まってゼロゼロと音がしないから、吸引のタイミングが難しい。だけど、10日くらい経って、安静にしている時間は、2時間ちょっと空けても大丈夫で、何らかのケアをした後とか、食後(栄養剤滴下後)とかは、1時間~1時間半くらいで吸引した方が良いという、だいたいの目安ができてきたように思う。お薬を変更して、本当に良かった夫は、何度も吸引されなくて済むし、私は、何か作業をしていても中断されることが少なくて済むもっと前に知っていれば、という思いはあるけれど、時計の針を元には戻せない。それよりも、知り得たことに感謝したいやっぱり、情報交換って大事だな、と改めて思った。お薬のことだけではなく、制度のことだったり、ケアのやり方だったり、わからないこと、困ったこと、ここに書けば、誰かが見てくださって、手をさしのべてくださることがあるかもしれない。また、逆に、私が書いたことで、どなたかの役に立てるかもしれない。看護・介護時間が、長い短いにかかわらず、お互いの療養生活の質が上がることを目指したいと思う改めて、fukenokaさんにお礼を申し上げたい。ありがとうございます柚葉ちゃん連絡先
2019.10.06
コメント(4)
7月下旬から、時々始まったミオクローヌス発作。2017年12月に、エアマットをラグーナにしたときに起こり始めた脊髄反射。それは、ちょっと夫の躰に触れただけで、ビクンとなっていた。その頃から、触らなくてもバフンバフンとエアマットの上で、躰全体を弾ませている感じのミオクローヌス発作も起きていた。でもそれは、主に夕方、傾眠しているときに起きていたので、あまり問題はなかった。そして、エアマットをラグーナからオスカーに戻したことで、ほとんど起きなくなっていた。ところが、7月下旬から始まったミオクローヌス発作は、夜が明けきらない時間、早いときは4時前、遅いときでも5時台、主に明け方に起きる。しかも、時々だったのが、8月初旬から、ほぼ毎日になったそのエアマットを打ち鳴らすバフンバフンという音で目が覚めるのだが、夫は、目を覚まして目を白黒させたりしていることも、眠っていることもあった。それで、『痰が溜まっているのかも?』と思い吸引すると、治まった。だから、当初は、痰が溜まって起きるのかと思っていた。ところが、痰吸引しても治まらなくなった。じゃぁ、原因は何なのかと思考し、エアマットの自動体交の角度を変えてみた。最初は、8° を4° にしてみたが、効果がないじゃぁ、体交の刺激が良くないかと考え、夜間の体交を止めてみた。それも、効果なし次の日は、体交なしで、除圧操作を、安定重視から静止型にしてみた。それも、効果なし今度は、原因はエアマットではないかもしれないと考え、酸素を、1㍑から0.75㍑ にしてから始まったと思って、夜間だけ1㍑にしてみた。それも、関係なかったみたい1か月くらい寝不足が続いて、もうお手上げ~それで、8月27日(火)の往診の時、主治医に訴えた。これまでの試行錯誤をお話しすると、「お薬を処方しましょう」ということになった。だけど、「効果がなかったら、止めます」って。処方薬は、リポトリール錠0.5mg×2錠。寝る前に、服用。29日(木) から服用すると、翌朝は、今までのバフンバフン・バフンバフンと連続だったのが、バフン・・バフンと、間隔が空き、力強くバフンバフンと音を立てていたのが、力が弱まったようになった。そして、翌朝から全く起きなくなった。それは良かったけれど、夫は、一日中ほぼ傾眠傾向あまりにも眠っている時間が長いので、怖くなって2日で中止した。中止したとたん、また始まると思っていたミオクローヌス発作。服用しなくても、起こらなくなった最初は、体内からお薬の成分が抜けないのかと思っていたけど、お薬を止めてから1週間~10日近く経っても起きないので、夫の躰のどこかのスイッチが、切り替わったのかもしれない。主治医にお話しすると、とても不思議がっておられた。「そんなに効く薬じゃない」のだそうだ。それでもまぁ、発作が起きないのは、夫にとっても私にとっても、有り難い今夜は台風だけど、発作も台風被害も起きず、朝を迎えたい柚葉ちゃん連絡先
2019.09.08
コメント(8)
夫の躰には、人工的な2つの孔がある。気管切開孔と胃瘻。強制的に空けた孔だから、当然、元に戻ろうとする。傷口を塞ごうとするのだから、自然な流れだと思う。だけど、必要があって空けた孔だから、塞がれては困る。そこにできる「肉芽」との闘いだ。 2009年12月、夫は気管切開をした。入院中は、カニューレを交換する場面に出会ったことがなかった。2010年4月、退院をして、カニューレの交換は、2週間に1回(月2回)往診医がしてくださった。初めて見たときは、あっという間に終わったけど、衝撃だったちょっと、グロテスクだったし・・・。振り返って思うことだが、当時の往診医は、交換したことはあっても慣れてなかったと思う。だから、交換する度に出血した。交換後は、いつもYガーゼに血がにじんでいたし、カフ上のサイドチューブから、血液混じりの唾液が多く引けた。その交換の刺激と、カニューレ自体の刺激と、細胞が元に戻ろうとすることと相まって、度々、肉芽ができた。その処置として、リンデロンVGという軟膏を、綿棒で塗った。ある訪看さんは、軟膏を塗った後に、柔らかいティッシュペーパーで紙縒りを作って、カニューレの周りに巻いて、その上にYガーゼを挟んだことがあった。そうすることによって、ガーゼに軟膏が染み込まないで、肉芽だけに浸透するようにとの配慮だったようだ。そのような処置をしたのは、一度だけで、だいたいは軟膏を塗っていたら、徐々に小さくなっていった。でも、往診医からは「細胞が元に戻ろうとしているのですから、肉芽ができるのは仕方がない」と言われた。そして、「肉芽が大きくなって、カニューレが入らないようなことになったら、耳鼻科で処置をしてもらわないといけなくなります」と言われていたので、できないようにと神経質になっていた。普段のケアとしては、1日に1回 Yガーゼの交換。その際に、カニューレの周りを清浄綿で拭いて、痰の吹き出し等残らないように、きれいにした。そして、肉芽ができていたら、リンデロンVGを塗り、肉芽がなくなったけど、まだ赤みがあるときは、リンデロンVにし、完全に肉芽がなくなって、ほんのり赤いときは、アズノールを塗った。だけど、肉芽の発生は、往診医の交換の腕が上がったことと、夫の躰が孔を受け入れた(年数が経った)ことによって、ほとんど発生しなくなったそして、声紋閉鎖術によってカニューレから離脱できたので、今の気管切開孔は、鼻の穴2つを1つにしたくらいの大きさで、喉元に存在していて、毎日、孔の周りを清浄綿で拭いて、きれいにしている。 2011年5月、夫は胃瘻造設した。気管切開をした同じ病院の「内視鏡室」というところでした。増設直後は、挟んでいたYガーゼに血がにじんでいて、痛々しかった。PEGの蓋を開け閉めする度、顔をゆがめていた。それでも、退院する頃には、慣れた様子だった。PEGの周りにも肉芽が出現する。摘便が上手くできなかったり、ガスが溜まったりして、腹圧が上がったりすると、できやすいように思うが、最近は、ほとんどできなくなった。普段のケアは、カニューレがあったときの気管切開孔と同じように、入浴以外の日は、PEGの周りを、清浄綿ではなくお湯と泡石鹸で洗って、湿気を綿棒で拭き取り、赤みがあるときは、アズノールを塗る。 そして、肌が弱いので、ティッシュペーパーの紙縒りを巻いて、PEGの刺激を抑えている。 (撮影角度を変えて)PEGは、バルーン・ボタン型なので、固定水を入れるための出っ張りがある。最近は、不随運動で、勝手に手がPEGの上にいってしまって、刺激を与えることがあり、少々赤みが取れないこれからも、ケアを丁寧にし、なるべく肉芽ができないようにしたいと思う 病気の診断から、もうすぐ16年と2か月。山あり谷ありを乗り越えて、本日、夫は68歳になった夫が生まれたとき、どんなだったんだろう?夫の母が逝ってしまったので、今となっては聞く術がないが、きっと、どこかで見守っていてくれるのだろう。そう思って、また、前を向いて歩いて行こう柚葉ちゃん連絡先
2019.08.27
コメント(4)
夫は、6月20日(木) ~ 28日(金) の予定で、2年ぶりのレスパイト入院だった。28日(金) 10時退院予定だったが、令和初の台風が近づく予報だったので、予定を半日早めて、27日(木)15時半、退院した。台風が近づいていることもあって、蒸し暑かったが、帰りの介護タクシーの車内は、私でも『寒い』と感じるくらい冷えていた。そのせいかどうかわからないが、夕方の栄養を入れる前にバイタルを測ると、体温34.4℃これには驚いて、反対側の脇でも測ってみたが、大して変わらず血圧とサチュレーションは、問題なかったので、栄養の前に、ちょっと熱めの白湯を入れた。 ずーっと以前に、もし、低体温になったときはどうすれば良いか?主治医に質問したことがあった。答えは、「温めてください」だった。『どうやって?』と思ったが、具体的には教えてくださらなかったので、看護師さんに教えてもらった。それが役に立つ日がくるなんて、思ってもいなかったが、教えてもらっていて良かった 躰の外側からだけじゃなく、内側からも温めるということで、先ず、熱めの白湯を入れてから、栄養剤を入れた。代謝が上がって、体温も上がることを期待したが、上がってこなかったので、エアマットの【ひえ対策】のスイッチオン。それだけでは足りなくて、レンジで温めて使う湯たんぽ、【ゆたぽん】を、足下へ。そして、蒸しタオルを、胸・お腹・頭に載せた。躰が冷えているから、すぐタオルが冷める。何度も何度も、レンジでチンして、載せ直した。だけど、思ったほど体温が上がらず、心配になって訪看ステーションに電話したすると、優しく「それで合ってますよ。大丈夫ですよ~」と言っていただき、安心した。数時間して、35℃前半まで体温が上がってきたけど、今度は、血圧が下がり、尿の流出が減ったそれでまた、訪看ステーションに電話すると、「体温が上がって、血管が開いたからですね~」とのこと。それから、体温が35℃台後半まで上がると共に、血圧も上がったので、安心して寝ることができた 翌朝には、バイタルは体温も含めてほぼ平常になっていた。だけど、レスパイト中は「ほったらかし」になっていたようで、便も尿も痰も、ため込んで退院した。だから、元に戻るまで1週間~10日くらいかかったように思う。今回は、2年前と違う病院に入院したが、なかなか良い病院に恵まれない最近の梅雨寒で、体温は低めだ。以前は、こもり熱が出ないように気をつけていたが、これからは、冷えすぎにも注意して、見守りたいと思う柚葉ちゃん連絡先
2019.07.14
コメント(2)
夫の排便コントロールが、やっと、良くなってきた下剤のプルゼニドの服用は、毎日 昼食後1日2錠。それだけでは、上手く便が下りないので、3日に1回、3錠に増やしているが、その1錠の服用を、朝食後にした。つまり、3錠の日は、朝1錠、昼2錠。そして、1日の栄養&水分のうち、お昼のジュース類に加える白湯を【炭酸水】に替えた。シリンジで入れる際、シュワシュワ泡だって入れにくいのだが、この泡が、腸にほどよい刺激を与えているのかもしれない摘便は、きっちり2日に1回ではなく、土日があるので、中2日になることもあるし、訪看さんも、必ずしも同じ人ではない。訪看さんによって、多少、手技が違うのは当たり前だし、3錠の日が、訪問日の前日になるとは限らない。だから、毎回 良便というわけにはいかないが、ほぼ、良い感じになってきた排便が上手くいくと、腹圧がかからないからか、排尿もスムーズ。そして、体内から水分が減るからか、痰の量も少なめ。すると、体調は安定する。これから、雨の季節を迎えるが、この調子で安定した日々を過ごせたらと思う。柚葉ちゃん連絡先
2019.05.17
コメント(2)
夫の排便コントロールが、難しい3月初旬に体調を崩して抗菌薬を服用し、副作用による下痢で、お腹の中は空っぽ状態のようになっていたので、その後の腸の動きは絶好調になったそれで、いつもはプルゼニド1日2錠で、3日に1回3錠に増やしていたけど、増やしたら緩くなりすぎたので、3錠に増やすのを週1にしてみた。その頃と時を同じくして、2月の下旬、訪看さんから「訪問時間が午後一から早まった分、下剤服用のタイミングも早めてはどうか」と提案があったのを試してみていた。それまでは、夕食後だったけど昼食後に服用すると、訪問時間には、便がもっと下りているのでは?とのこと。それを試そうとした矢先、体調を崩したので延び延びになっていた。主治医に相談すると、軟便・泥状便ではない便にしたいのであれば、1回に2錠よりも、1回1錠ずつ1日2回にした方が良いとのことで、朝食後1錠、昼食後1錠にしてみた。ところが、である。朝昼1錠ずつにした頃は、まだ、腸の動きが好調だったので、便の状態も、緩すぎず硬すぎず良便になったが、徐々に、便の量が減り、朝昼夕1錠ずつの1日3錠に増やしても、硬便で、なかなか排便されず、便量も少ない。それで、4/20と4/21、3錠を2日連続で服用すると、やっと、昨日(4/22)腸内在庫一掃結果、1錠ずつ2回というのは、夫には合わないのだと思う。2錠で、まとめてガツーンと効かさないと、腸が動かないようだ今日(4/23)は、朝1錠、昼2錠、合計3錠服用した。さて、明日(4/24)の摘便で、どのくらいの排便があるか?便の状態はどうか?それによって、また下剤の調整を考えなければならない。何事も、やってみないとわからない。夫にとって、より良い排便ができるように、日々、訪看さんと共に勉強だ柚葉ちゃん連絡先
2019.04.23
コメント(2)
今朝は、久しぶりにアラームが鳴るまで、爆睡した。夫の体調が戻って、安心したのと疲れからだと思う。今月に入って、久々に体調を崩した夫。痰の増量や、気管切開孔辺りの腫れで生じる狭窄音で、寝るに寝られない日々が続いていた。事の起こりは、尿量の減少いつもの1/2~2/3くらいしか出ない日が、2日続いた。3月4日(月)の未明、変な音で目が覚めた。尿が出ていないので、痰が詰まって、今まで聞いたことのない音がしていたのだった。ビックリして飛び起きて、吸引をしたけれど、しゃっくりがついたみたいな呼吸をしていて、悩んだ末、5時半頃に緊急で、訪看さんに来てもらった。その変な呼吸は、さらに痰吸引をしたら、落ち着いたけれど、尿は出ないままその後、訪看さんからクリニックへ連絡していただき、午後一で、主治医が往診してくださった。胸部エコー検査で、脱水とのこと。それで、水分をいつもより500ml増やし、それを何回かに分けて入れて、尿が出始めたら、急に止めるのではなく、500mlを300mlというように、徐々に減らすようにと指示があった。心臓は、問題なし。でも「どこかに、何かあるはずだから」と、尿カテ交換をして、採尿。痰の吸引をして、検査へ。そして、鼠径部より採血。翌日の3月5日(火)は、定期の往診。血液検査で、炎症反応が高いとのことで、抗菌薬が処方される。クリニックの連携室から処方箋をファックスで薬局に送っていただき、夕方には、お薬が届いた。5日(火)の未明から始まった狭窄音は、抗菌薬が効いて、腫れが治まったらしなくなるとのことで、効いてくるのを待つしかなかった3月6日(水) 定期の訪看さん。摘便の時、抗菌薬の副作用で、便が緩くなっていた。夕方、熱発はなく、36°台だったので、いつも通り訪問入浴。ところが、上着を脱いでビックリ。首だけではなく、肩と上腕に熱を持った発赤&浮腫 いつもより、短時間での入浴にした。3月7日(木) 主治医に報告すると、正午頃、往診してくださった。蜂窩織炎の疑いで、3/5 処方の抗菌薬では効果が薄いとのことで、新たに少し強めの抗菌薬を処方してくださり、14時頃にお薬が届いたので、昼食後の注入に間に合った。3月8日(金) 定期の訪看さん。6日(水) の摘便の時よりも、緩いというより下痢に近い便になっていた狭窄音は、抗菌薬が効いてきたのか、夕方頃から殆どしなくなり、痰の量も、減ってきた。下痢の件は、訪看さんから主治医に連絡してくださっていて、整腸剤が処方され、水分も200ml 増やすように指示がある。3月9日(土)の訪問入浴では、まだ赤みはあり浮腫んでいたけれど、だいぶ軽減されていたので、いつも通りの入浴。溜まっていた尿が、ずいぶん出たこともあって、スタッフさんが「(水曜日に比べて)躰が軽くなってます」って。日に日に良くなって、3月12日(火)の往診時には、いつもの8割くらいまでに回復していて、主治医も安心されていたぶり返さないように、その日まで、リハもマッサージもお休みして、安静にいていた。今日の朝食後のお薬で、抗菌薬は飲みきった。首の腫れと赤みは、ほとんどなく、少し上腕に残っているくらい。それも、そのうち消えると思う。そして、抗菌薬は、いろいろなところに「怪我の功名」をもたらした。下痢をしたので、宿便がなくなり、腸音が絶好調になった。膀胱内もきれいになったのか、浮遊物は少しあるものの尿の色はきれい。そして、後頭部もきれいになった。訪問入浴以外に、月曜日にしている洗髪をお休みしていたし、散髪も1回とばしたのに、昨日2週間ぶりに散髪したら、きれいになっていてビックリした今回のことで、つくづく、往診クリニックと訪看ステーションを代わっていて、良かったと思った。前のクリニックだったら、きっと「病院へ行ってください」だったと思うし、訪看ステーションとの連携も、上手くいかなかったように思う。主治医は、私に指示したことを、訪看ステーションにも連絡してくださって、私が訪看さんに報告する手間がなく、有り難かった。そして、調剤薬局さんも、素早い対応で、配達していただき、『お昼には、間に合わないだろうな』と思っていたところが間に合って、少しでも早くお薬を注入できて、嬉しかった。 今回は、熱発しなかったので、氷枕の必要はなかったけれど、夜中に何度も起きての痰吸引や、壊れたパイプオルガンのような、何とも表現しがたい大音量の狭窄音に悩まされた。けれども、何故か、私は元気だった寝不足で頭痛がすることがあったくらい。これも、アミノ酸効果だろうか?いずれにしても、私には何ともないことが、夫には大事になることがあるということを、肝に銘じたいと思う。柚葉ちゃん連絡先
2019.03.14
コメント(6)
今月から、訪問看護ステーションの交代をした。設立して、まだ3年の新しいステーションへ。排便コントロールが一番の悩みだから、摘便が上手な看護師さんが居るのかどうか、不安だった。でも、前のステーションは、訪問時間の変更してもらえない等、いろいろあって、私のストレスがたまる一方だったので、思い切って交代を決意した。ケアマネさんの提案で、いきなりの訪問ではなく、10月下旬に、新ステーションの所長さんと面談することができた。所長さんは、まだ40代のようだけど、しっかりとした芯の強そうな感じ。そして、さっぱりした清々しい感じの人。摘便については、他の利用者さんでもされているとのことだったけど、「(上手く)やれるかどうかは、やってみないとわからないです」と仰った。それを聞いて私は、適当に誤魔化さないで『正直な人だなぁ』と思った。11月2日(金) 初めての訪問。最初の訪問から5回は、二人体制での訪問だった。今までは、看護師さんのケアに合わせて、私が助手的な感じだったけど、今は、日々の私のケアの中で、助けてもらいたいこと(摘便等)を、私に合わせてしてくださるので、ストレスフリー訪問時間も、第一希望のお昼前の時間帯にしてくださったとは言っても、慣れるまでは、お互いに探り合っていたように思う。徐々に慣れ親しんで、夫やお互いの自己紹介のようなことを、たくさん話せるようになった。前のステーションは、曜日によって決まった看護師さんの訪問だったけど、今のステーションは、慣れる意味もあるのかもしれないけれど、同じ看護師さんが、2~3回続けて来てくださる。ある看護師さんは、神経難病病棟もある療養型の病院に20年も勤務されていて、この春から訪看さんになられた方。それだからか、「指、触りますよ~」「血圧計、巻きますよ~」とか、細かく夫に声がけしてくださる。そして、私のことも褒めてくれる。ある日、軟膏の使い方まで「無駄のない使い方してますね~」と、褒めてくれた もう一人の看護師さんは、身長172cmのスリムな方。背が高いから、指も長い。だから、摘便で、私だったら指が届かなくて掻き出せない物も、出せるらしい。下剤の全体量は増やさないで、増やす日のタイミングを変えたら、今まで、何となく出し切れていなかったのを出してもらえて、毎回、多量に排出そして、尿の流出も、急激に流出される時間が短くなり、徐々に穏やかになった。だから、夕方頃、ビックリするくらい高血圧になっていたけど、その上がり方が低くなり、全体的に血圧の変動が小さくなった尿の流出が穏やかになったおかげで、痰吸引の1回の量が少ないときがある。そういうことも含めて、排便コントロールは大事だと、つくづく思う。結果、訪問看護ステーションの交代をして、本当に良かった昨年は、往診クリックの交代。今年は、訪問看護ステーションの交代。両方とも、結果論ではあるけれど、よりよい方へ代われて良かったこれからも、連携を蜜にして、夫にとって、よりよいケアを笑顔でできたらと思う柚葉ちゃん連絡先
2018.11.29
コメント(4)
気がつけば、夫が声紋閉鎖術という手術を受けてから3年が経っていた。気管切開をして約5年半は、夫の喉元にカニューレが装着されているのが当たり前に過ごしていた。術後は、カニューレから離脱でき、3年あまりが経った。カニューレがないことに慣れてしまって、それが当たり前になった。気管と食道の入り口を別々にしたことで、誤嚥性肺炎のリスクは全くなくなった。夫の場合、救急搬送され気管切開する前まで普通食だったので、もし、最初から声紋閉鎖術を受けていたら、誤嚥の心配がないので、もっと長く、口から食事ができていたと思う。だけど、たぶん、当時(2009年12月)は、そのような手術は、一般的ではなかったのかもしれない。この3年で熱発したのは、PEG交換後の高熱のみ。そのPEG交換も、バンパー型からバルーン型にして、在宅で交換して頂き、躰に負担がないことから熱発もない。肝心の吸引回数の減少は、思ったほどではない。だけど、3分の2くらいにはなった。食後(栄養剤等を入れた後)10~15分間隔くらいで吸引していたことを思えば、かなりの減少だ。いつも気にかけている尿の流出は、1日の塩分を増やしたことで、血圧が極端に低くなることがなくなった。だから、だいたい、同じようなペースで流出している。結果、主治医曰く「担当の患者さんで、一番 症状は重いですが、一番 安定しています」おかげで、私の介護生活も安定している。1週間のスケジュールが決まっているので、訪問サービスの隙間を使って、買い物や用足しをする。よって、一日があっという間。気づけば、6月も10日を過ぎたうかうかしていると、NHKの番組「チコちゃんに叱られる」のチコちゃんに、「ボーッと生きてんじゃねえよ!」と叱られる。そうならないように、日々、ほんの少しの向上心を持って生活したいと思う<追記>夫の気管切開孔は、カニューレ装着していないので、人工鼻をつけられない。その代わりに、健常者の方がマスクをするように「トラキマスク」をしている。夫は、酸素吸入をしているので、酸素吸入用「トラキマスク」を使用。これにより、気管切開孔近くから酸素吸入できる。主治医曰く「トラキマスクというのは、健常者のガーゼマスクのようなもので、自分の呼吸で加湿している」そうだ。痰吸引時以外は、マスクで覆われているので、ちりも埃も入らないと思う・・・ 3年前の術後と比べたら、傷跡がほとんどわからないくらい綺麗になった柚葉ちゃん連絡先
2018.06.12
コメント(6)
4月11日(水) 訪問入浴の時に、エアマットを交換した。約3ヶ月使ったラグーナを、再度オスカーに。それは、何故か脊髄反射だけではなく、筋緊張が強まったから具体的には、両手が腰骨のあたりにあったのが、お腹の上(おへそのあたり)から、胃瘻の上にやってきた。栄養を入れる度に、手を脇の方に引き離すのだが、時間とともに、また胃瘻付近に移動する。その度に、PEGが外れるんではないか?壊れるんではないか?と、ハラハラした。それから、摘便する前に、お腹をマッサージするときも、おむつのテープを止めるときも、手が邪魔で大変になってきた。そして、その手を引き離すために、ものすごい力が必要だ。夫の内側へと向かう手の力が、半端ないから。また、脊髄反射で、時折、マットレスの上で、寝たままトランポリンでもしているような「バフン」というような音がする。夫自身も、自分で意図していないので、ビックリしていたオスカーにすると、そのようなことはなくなるだろうと、想像できたので、交換しようとしたのだが、ラグーナからの刺激という「他力」で、血圧が下がらなくなっていたので、その点では悩んだ。それでも、吸引後「あぁ、スッキリした」という表情さえもなくなって、苦悶の表情が増えてきたことと、お腹が張っているときに、気管狭窄音が聞こえることが増えたこともあって、交換を決断した交換した日の夜の血圧から、予想通り低めになった。それに伴って、尿量減少。でも、翌日のリハビリでは、理学療法士さんがビックリするくらい、筋緊張はなくなっていた。躰の外側は、すぐに対応できたっていうか、オスカーの方が躰にとっては楽なので、楽になるのは速いという感じ。でも、躰の内側、血圧は、「他力」で下がらないようにしてもらっていたので、すぐに「自力」だけで対応することができず、体内に水分が溜まったら、血圧が上がり、急激に尿が流出してしまったら、また血圧が下がり、尿が出なくなる・・・、というのを繰り返した。どれだけ血圧の変動があるのか測りたいところだったけど、なんと!そんなときに限って、血圧計が故障した何度測ろうとしても、エラーになって測れない。仕方がないので、新しいのを買うことにした。新しい血圧計が届いた18日(水)、マットレス交換から1週間が経ち、やっと、オスカーに慣れてきたように思う。オスカーは、以前使っていたAタイプではなく、体位変換の角度が4種類あるBタイプにしてもらった。 自動体位変換をするときは、「体位変換8度、保持時間15分」でしている。血圧が安定して、尿流出がスムーズになったら、いうことないのだが、果たしてどうなることやら・・・柚葉ちゃん連絡先
2018.04.19
コメント(4)
在宅でPEG交換していただいても、その後の熱発はなく、塩を、1日3gから4gに増やしたことによって、血圧が80台まで下がることが少なくなり、夫の体調は、安定している。血液検査でも、ナトリウムの数値は、正常値内に入ったそういうことに気をよくして、飲み始めた当初から、効いているのか効いていないのか、よくわからない、ドプス細粒を飲まなくてもいいのではないか?と、調子に乗って、主治医に提案してみた。もちろん、訪看さんにも相談してのことだ。主治医は、あまり乗り気ではなかったけど、血圧と尿量の一覧表をご覧になって、「量を半分にして、様子を見ましょう」ということになった。1月29日(月)から、1日3gを、1.5gにした。最初の5日間くらいは、目に見えて変化はなかったように思う。その後、何となく『いつもと違うかなぁ』と思った。イメージするとしたら、手を引いてもらって、後ろからも押してもらって歩いていた人が、急に、後ろから押す人がいなくなったような感じ。だから、手を引いてもらいながらも、一人で歩けるけれど、休み休みじゃないと歩けない。それが、「血圧の変動」ということで現れたのかもしれない。薬を半量にし、しばらくして、少なくなった薬に躰が慣れ始めたようだったが、血圧が80台まで下がる日が、増えてきた。手書きで見づらいが、上から、前日6時半~当日6時半の尿量、朝の血圧、夜の血圧の順。塩を1g増やす前が、これ塩を1g増量 & エアマットをラグーナにしたことで、12月はそして、1月 12/27 ~ 1/17 までエアマットは、オスカー。1/29からドプス細粒を半量にすると、これが こうなった主治医にお見せすると、「血圧の変動は、大きくない方がいい」ということで、薬の量は、2月26日から元に戻すことになった。効いているかいないかわからないと思っていたが、夫には、1日1.5gでもいいけれど、3gの方がなお良い、ということなんだろう。でも、そういうことがわかっただけでも、良かった。何でも話せる主治医で、有り難い。これからも、いろいろなことを相談したり、助言を戴いたりして、介護生活を支えていただこうと思う
2018.02.24
コメント(4)
夫のエアマットを、昨年12月2日(日)からラグーナに替えたのだが、20日くらい経った頃から、何となく「脊髄反射が増えたかも?」と思っていた。それは、リハビリの理学療法士さんも同じように感じていたらしい。脊髄反射が多いと、筋緊張が強まり、ひいては関節が硬くなり、おむつ交換とか、難しくなるとのこと。私が、「エアマットを交換してから増えたから、マットのせいではないですか?」と言うと、「病気の進行は、考えられないですか?」と、意見が分かれたので、一度、オスカーに戻して検証することにした。福祉用具の会社が、年末年始のお休みに入る前、12月27日(水) 訪問入浴の時に、4週間足らずで、またオスカーに交換した。すると、脊髄反射が起きる頻度は元に戻った。検証の結果、病気の進行ではなかったということが証明された。だけど、順調に出ていた尿の出方が変わった。腎臓は、血圧の低下に反応しやすいため、低血圧になると、すぐに尿量が減少する。つまり、夫の尿流出の変化は、血圧の変動に由来する。オスカーだと、朝の血圧が80台まで下がり、ラグーナだと、何故か、100前後を維持している。だから、オスカーの場合、血圧が、お昼頃に100ちょっとまで上がり、夕方にかけて上がっていくので、尿が1,000ml排出されるまで時間がかかる。ラグーナの場合は、朝から100前後あるので、お昼過ぎから夕方前までに、尿が1,000ml排出される。塩を1g増量したことで、血圧は、極端に下がらなくなった。塩増量の効果だけではなく、ラグーナにしたことでも、大きな変動がなくなっていたのだった。そこで、オスカーのままにするか、またラグーナにするか、悩んだ。オスカーだと、安静時の脊髄反射はほとんどない。だけど、血圧の変動があり、尿の流出がスムーズでなくなる。ラグーナだと、その逆。主治医も、エアマットの違いで、血圧に関係するのかと、驚かれていた。どちらがいいか相談すると、「自分は、褥瘡ができなければ、どちらでも・・・」とのこと。つまり、「好みで、決めたのでいい」と。強いていうなら、血圧の変動が大きくない方が良いかなぁ、という感じだった。それで、ラグーナにして、体位変換をオスカーの時と同じ頻度で使うことにした。先月ラグーナにしたときは、見た目、体位変換しているかどうかわからないので、スイッチの切り忘れ等で、長い時間、体位変換をしていたので。1月17日(水) 3週間使ったオスカーを、ラグーナに交換してもらった。やっぱり、ラグーナにすると、尿流出は順調だ。夕方に、血圧は上昇するのだけれど、朝と夜の血圧が、ほぼ同じだからだと思う。肝心の脊髄反射は、体位変換する時間を減らしたことで、初めてラグーナにしたときよりは、確実に減っているが、オスカーほど少なくはない。ラグーナにして、落ち着いたかと思っていたが、1月25日(木) syuichiさんのブログを拝読して、また、悩み始めた。夫も、手足先の冷えが起きることがあるからだ。でもそれは、このところの寒さによるものだと思っていた。それから、オスカーにNewモデルがあるとの情報。これには驚いた。17日まで借りていたオスカーは、Newモデルではなかったからだ。Newモデルは、体位変換の角度が4種類あり、保持時間も4種類あって、選べる。 前のモデルは、体位変換の角度が大きいので、それがストレスなのかも?と、疑っていた。ラグーナよりも少し大きめの角度で体位変換できるのであれば、冷え対策のあるオスカーの方が良いのかな?とも、思ったりする。だけど、使ってみなければわからない。今、ケアマネさんを通じて、福祉用具の会社で、Newモデルのオスカーの取り扱いがあるのかどうか、調べてもらっている。だから、結論は、もう少し先だが、しばらく悩みそうだ。
2018.01.28
コメント(2)
11月の血液検査の結果は、今までの血液検査とほとんど変わらなかった。いくつか、正常値を若干はみ出している項目があったけれど、今までは「問題ありません」と言われていた。ところが、今の主治医は、ナトリウムが、正常値を下回っていることに注目された。以前の往診医は、全く触れなかったけれど・・・。ナトリウムの数値を正常値に近づけるために、1日 3回 1gずつ入れている塩を、1日 4回にして、合計 4g 入れることになった。当初は、どこがどうってことはなかったけど、2週間くらい経った頃から、朝の血圧が、80台まで下がることが、ほとんどなくなったそれどころか、110を超えることもあり、ほぼ、90~100前後だから、尿の流出がスムーズになった。今までだったら、朝6時半に尿測をしてから、ウロバックに1,000ml溜まるのは、夕方だったけど、今は、お昼過ぎには1,000ml溜まる。1日の尿量も、多い日、少ない日と、ムラがあったが、だいたい、同じ量になりつつあり、ムラが小さくなってきた。だからといって、膀胱洗浄を止めたりはしていない。むしろ、定期的に(週3回)行うようにしている。たった1g、されど1g。高血圧の人が、減塩すると血圧が下がるのがよくわかる。私の父は高血圧で、減塩する苦労を目の当たりにしてきた。我が家の食卓から、お漬け物がなくなったけれど、その程度では、効果は薄かったそんな苦労から比べたら、塩を1gずつ量るのはめんどくさいけれど、増やすのは、なんと簡単なことか来月、また採血して検証する予定なので、検査結果が今から楽しみだ
2017.12.27
コメント(4)
12月2日(土) の訪問入浴時に、エアマットをオスカーからラグーナに交換した。今までのオスカーがダメっていうわけではなく、きっかけは、syuichiさんのブログ。「自動体位変換できました!」という記事のコメント欄で、ももたろうさんのコメントへのお返事に書かれていたエアマットに、興味がわいたから。新しもの好きの私は、11月のケアマネさんの訪問時に、どんな物かお尋ねしたら、昨年7月に発売されていたけど、ケアマネさんはご存知なかったでも、その場で、福祉用具会社の担当者に連絡をしてくださり、「取り扱っている」とのお返事をいただいた。それで、使っている方の感想を聞いてもらったら、「物はあるけど、使っている人はいない」とのことただ、担当の方が、実際に寝てみた感想を聞けた。自動体交は、「これで、しているのかなぁ?というくらい」とのこと。夫のように、ずっと寝たままで、尿カテ使用の人は、起き上がることが少ないので、「膀胱内が澱む」とういうようなことを、訪看さんから聞いたことがある。だから、体交は大事だと。それなのに、『しているかしていないかわからないような体交で良いのかな?』という不安はあったけれど、何事も「やってみなければ、わからぬではないか」ということもあり、思い切って交換することにした交換は、訪問入浴時に、夫が浴槽に移動している間にして頂いた。オスカーに交換するときも、そのようにしたのだが、ラグーナの方が、マットの厚みがない分、軽いようで、意外と簡単だった。オスカーには「安定支持フォーム」という両脇に、ちょっと固めの部分があるが、ラグーナにはなく、全体が同じ感じ。だけど、「ハードモード(リハビリモード)」にすると、オスカーよりも、固くなり、躰の沈み込みが少ないので、訪看さんのケア等、介護者への負担は少ないように思う。肝心の体交は、「スモールチェンジ」といって、「骨盤を中心に対角線上の小さな体位変換を自動化したシステム」。 スモールチェンジ中は、斜めに赤いランプが交互に点灯する。「小さい体位変換」なので、オスカーの時のような、躰のズレが起きない。本当に『やってるの?』と思うくらい、見た目にはわからない。だから、躰への負担が少ないように思う。そして、背上げ30°を超えると、自動でオフになり、角度に応じて、体圧を自動で切り替えてくれる(圧切替)。 逆にいうと、30°以下なら、背上げしてもスモールチェンジできる。オスカーの時も、ほとんど「おまかせ」だったので、それ以上に、自動で何でもしてくれるラグーナは、単純な私向きだ停電対策も万全で、最低でも14日間も、マットレスがつぶれないらしいムレを防止する構造にもなっているらしく、躰の熱と湿気をマットレス内に透過して、下面から排気するという。それから、カバーも高性能で、液体は通さず湿気のみ通す。シーツを汚したことがあったが、カバーについた汚れは、ウェットティッシュで拭き取ることができたラグーナに交換して10日あまり経つ。骨盤辺りが動くからなのか、尿の流出も順調だレンタル料が100円高くなったこと以外の不都合は、何も無い。福祉用具は、日進月歩。こんな良い物を紹介してくださったsyuichiさんに、改めてお礼を言いたい。いつも、いろいろなことを教えてくださり、感謝してもしきれない。本当に、有り難い。「ありがとうございます」
2017.12.14
コメント(6)
一日が、あっという間に過ぎ去るので、一週間もあっという間気がつけば、12月も1週間が経とうとしているこのまま、うかうかしていると「気がつけば新年」ってことに、なりそうだ エンシュア・リキッドが、パックから缶になったことと、水分を増やしたことで、以前書いた「1日の栄養&水分」から多少、入れ方と量が変わったので、備忘録を兼ねて、改めて書いておくことにする。<朝>アクエリアスゼロ200mlとオリーブ茶150mlをボトルに入れ、滴下。滴下後、明治ブルガリアのむヨーグルト100mlと水100mlをシリンジで入れ、エンシュア・リキッド250ml1缶を、1時間ちょっとかけて滴下。<昼>アクエリアスゼロ200mlをボトルに入れ、滴下。滴下後、日清オイリオクランベリージュース80mlと白湯120mlをシリンジで入れ、エンシュア・リキッド250ml1缶を、1時間ちょっとかけて滴下。滴下後、伊藤園 理想のトマト150mlと白湯50mlをシリンジで入れる。<夜>アクエリアスゼロ200mlとオリーブ茶100mlをボトルに入れ、滴下。滴下後、ポンジュース100mlと白湯100mlシリンジで入れ、エンシュア・リキッド250ml1缶を、1時間ちょっとかけて滴下。<寝る前>アクエリアスゼロ200mlとオリーブ茶200mlを、それぞれシリンジで入れる。カロリーは、エンシュア・リキッド 250ml 3缶= 750ml(750kcal) 明治ブルガリアのむヨーグルト100ml(67kcal) 伊藤園 理想のトマト150ml(53kcal) 日清オイリオ クランベリージュース80ml(40kcal) ポンジュース100ml(44kcal)合計 954kcal 。水分は、アクエリアスゼロ 800ml オリーブ茶450ml 白湯(または水)370ml 1日の栄養剤等と水分の総量は、2,800ml 11月初旬、クリニックが代わってから初めて血液検査をして頂いた。その結果、もう少し塩を増やした方が良いとのことで、1日3gを、4gに増やした。1日4回の水分補給時に、1gずつ入れている。エンシュア・リキッドのパックが無くなり、缶のみになったことで、ボトルが手に入った。 栄養剤を滴下する前に、ボトルに水分を入れて滴下することができるので、滴下している間に、次の用意ができるようになった。缶になって、すすいだり潰したりするのは手間だけど、良かったことの一つだ。表裏一体。悪いことだけじゃ無いなぁと、思う
2017.12.07
コメント(4)
夫は、先日の往診時に、二度目のPEG交換をして頂いた。今回は、ケアマネさんが同席して、見学前回の往診時に、同席のことはお話しして了解を得ていた。その時の主治医の反応が、面白かった。連携室の方は、すぐに「いいですよ」と言ってくださったのに、主治医は、「なんで?」すると、連携室の方が「実際にご覧になった方が、他の(これから在宅でPEG交換されたい)利用者さん(患者さん)に、説明しやすからですよ」と、すかさずフォローしてくださったそれでも、主治医は「ギャラリーが多いと、緊張する」と、困った顔をされた「先生でも、緊張されるんですか?」と、連携室の方。「そりゃ、するさ」と、主治医。「相手は、命だぞ」と、言わんばかりだった。何度、経験されても、緊張するというお話を伺って、慎重に、真剣に、されていらっしゃるんだなぁと、ますます信頼感UPさて、当日のPEG交換。やはりケアマネさんも、あっという間の出来事に、驚かれていた「百聞は一見にしかず」なので、ご覧になられて良かったと思う。今回は、最初から抗生剤を使わないで、抗生剤なしでも大丈夫か、様子見することになった。もし、熱発したときのために、抗生剤を5日分、処方してくださった。だけど、熱発することなく、使わずじまい。ホッとしたし、安心もした病院でのバンパータイプのPEG交換時には、出血をして、PEGに挟んであったYガーゼに、血がにじんでいた。バルーンタイプのPEGは、出血しなかったので、夫のようなデリケートな体質の人には、やっぱり、バンパータイプのPEGより、バルーンタイプのPEGの方が、躰に負担がないということが証明された抗生剤は、「お守り」代わりに持っておくことにしよう
2017.11.17
コメント(4)
10月31日(火) の往診で、忘れずに、携帯型の超音波診断装置(エコー)を持参され、胃瘻の周りを診てくださった。 (全く同じではないが、こんな感じの携帯電話をスマホサイズにしたような大きさの装置)結果、膿瘍らしきものは、なかった 一安心「どうしてPEG交換後に熱発したかと考えると、 たぶん、バンパータイプのPEGのせいでは?と、思うんですよね」と、主治医はおっしゃった。私も、同感やっぱり、それ以外に考えられないと思う。ということは、交換時に、躰に負担の少ないバルーン・ボタン型にして正解ということだついでに、膀胱も診てもらった。『もしかして、膀胱結石ができていたら嫌だなぁ』という思いと、『もし、あったとしても、どうしようもない』という思いはあったけれど。主治医は、「小さいから、見えないと思いますよ」と、おっしゃったが、診てくださった。結局、膀胱内の尿量にもよるし、結石があっても動いているので、上手くとらえられるか?ということと、画面が小さいのとで、よくわからなかった クリニックを替わった頃、PEG交換後の熱発で抗生剤を使ったことと、水分量を増やしたことで、尿の流出は良くなった。それに加えて、主治医が尿道留置カテーテル(尿カテ)を交換されるため、週1回の往診で交換するようになったこともあり、膀胱洗浄をお休みしていた。膀胱洗浄をお休み・・・とはいっても、流出が悪いと感じた時は、週1回くらいはしていた。その「流出が悪いと感じた時」は、何となく湿度が高い時のような気がする。10月はずっと、晴れて湿度が下がる日が少なく、曇りや雨で気温が低く、湿度が高い日が多かった。血圧が低いと、尿が作られないので少なくなるが、血圧が戻ると、低かったときの分も流出して、取り戻していた。だけど、湿度が高いと、血圧が戻っても尿量は少ないままだった10月17日(火) の尿カテ交換時、「2週間に1回でも大丈夫」という判断で、次回は10月31日(火) になったこともあり、以前のように毎日ではないが、2日に1回くらい、膀胱洗浄をしていた。交換後、10日くらいは、尿の流出は順調だった。ところが、10月28日(土) の朝、ウロバッグを見てビックリ一晩(23時~翌朝6時半)に、150ml しか出ていなかったのだ。『詰まったかな?』とも思ったが、以前にも少なかった時もあったので、水分を入れて、様子を見ることにした。たぶん、台風が近づいていて、気圧が徐々に下がっていたのと、高湿度が原因ではないかと思われるその日は、訪問入浴の日。入浴中は、血流が良くなる。それで、少しずつではあるが、きれいな尿が出ていた。だけど、夜になって出ないと困るので、やっぱり、クリニックに連絡して、尿カテ交換のために、往診して頂いた。交換後、今まで出したくても出せなかった尿が、ビックリするくらい出てきた。やっぱり、詰まりかけていたようだ そんなこともあり、尿カテ交換は、また1週間に1回になる。つまり、毎週往診。緊急往診より、定期の往診で交換した方が、お互いのためなんだろうだけど、最近ずっと晴天続きで、空気が乾燥していることもあるのか、尿の流出は、絶好調やっぱり、大敵は、高湿度 なんだと思う。しばらくは、晴天が続くようだが、油断大敵膀胱洗浄は、適宜行うことにする
2017.11.03
コメント(4)
夫は、10月17日(火) 往診にて、初めて在宅でPEG交換をしてもらった。私は、この日に交換するとは聞かされていなかったので、驚いた。後で考えてみたら、往診が、次回から2週間おきになるので、次だと31日になる。前回、病院で交換したのが9月29日(金)だったので、1ヶ月以内に交換するためには、17日(火) しかなかったのだろうと思う。PEG交換後に、なぜ熱発するのか?往診の主治医も、院長も、「経験が無い」とのことだったが、副院長の患者さんに、夫と同じように熱発される方がいらっしゃったとか。その方は、もう亡くなられて、解剖したら腹壁に膿瘍ができていたとのこと。もしかしたら、夫も、できているかもしれないので、「次回の交換時に、エコー検査します」と言ってくださっていた。ところが、どう見てもエコーの機械らしきものがない。それで、「エコー検査は、しないのですか?」とお尋ねしたら、「あー~~、忘れたぁ~」と仰るではないか。(←お茶目な先生)忘れたものは、仕方がないエコー検査は、「次回の往診で」ということになったさて、肝心のPEG交換。私の感想は、『こんなに、簡単でいいの?』という感じ。長い尿カテより、はるかに短いPEGは、抜くのも入れるのも、躰に負担がないと思った私なりにインターネット等で勉強したところによると、ガイドワイヤー等を使うものだと思っていた。だけど、病院で交換されたのは何故か「バルーン・チューブ型」だったので、『チューブの中に、どうやって通すのだろう』と、興味津々だった。『ガイドワイヤーって、長いのがあるのかな?』なんて思っていたら、私の意に反して、主治医は、固定水を抜いたかと思うと、何もしないまま「抜きます」と言って、スルスルっとPEGを抜いたそして、胃瘻の周りを消毒し、スッと差し込んで、固定水を入れ「終わりました」と。『えー~、それでお終い』と思って、ビックリした。夫のように、6年半近くも長きにわたって、胃瘻を使用していると、「道」ができているようだった。そして、もし、熱発したときの対処方法をお聞きしたら、熱発後に抗生剤を入れるのではなく、熱が出る前に、「今夜から3日間、抗菌薬を飲んでください」とのこと。それにより、熱発することはなかった今回の交換で、バルーン・チューブ型からバルーン・ボタン型にしてもらえた。チューブがあっちこっち向いて、入浴時等、邪魔で邪魔でしょうがなかったが、スッキリしたと同時に、以前のバンパー・ボタン型とメーカーが替わったこともあって、チューブが細く、短くなった。長く慣れ親しんだやり方ではできなくなったので、自分なりに工夫して、慣れるしかないそして、接続チューブのつなぎ方の説明を受けたとき、syuichiさんのブログで学習させて頂いていたので、すぐに理解できた「接続ピン」を見て、『これのことね』と納得それにしても、これを壊すなんて・・・病院の看護師さんは、よっぽど力が強いのかなぁ
2017.10.23
コメント(6)
夫の熱発は、いったん落ち着いたものの、10月2日(月)、訪看さんが来られたお昼過ぎには、また37℃台まで上昇し、ぶり返した感があった熱の上昇に伴い、気管狭窄音がひどくなり、脈も速いまま。リハビリ後の夕方にも、変わらないので『これでは、また寝られない』と思い、クリニックに電話した連携室の方が「医師に、指示仰ぎます」と言われ、折り返し連絡があった。すると、「水分不足で、脱水しているのかも?」とのこと。私としては、水分を減らしているわけではなかったし、熱も37℃台だったので、腑に落ちなかったけれど、「いつもより100~200ml増やしてください」との指示を、実行それと同時に、飲む抗生剤を処方してくださった。でも、薬は薬局からなので翌朝だろうと思っていたら、夜のうちに配達してくださったもう、ビックリするやら、有り難いやら翌朝(10/3)には、ビックリするような尿量血圧が下がったときに1日の3分の1量くらいしか出なかった日があったから、その分が出たとしても、凄かった。それでも、お昼過ぎまで37℃台だったので、水分量は、毎食200mlずつ増やしたままにした。すると、抗生剤と水分増量効果で、16:25 のバイタルは、体温 36.6℃ 血圧 79/61 SpO2 100% 脈 91 に落ち着き、気管狭窄音も、しなくなったやっぱり、水分不足だったようだ。 そこで、私は考えた8月半ばくらいから、時々起きていた気管狭窄音は、水分不足じゃないかと・・・考えただけではわからないので、試してみることにした。体温は、平熱になったので、増やす水分量は、毎食100ml。いつもは、栄養剤以外はシリンジで入れていたけれど、イルリガートルに入れて、シリンジで入れるよりはゆっくりめに滴下。結果、毎食100ml増量は、多すぎた連携室の方に「水分を増やすと、痰や唾液が増えるかもしれません」と、言われた通りになった。だから、朝と夜と、1日2回、100mlの増量にした。すると、良いことばかり朝一で、ゆっくり水分補給することで、躰に水分が行き渡り、いつも、栄養注入後に、キーンと躰がこわばるようなことが、なくなった。痰が、いつにもましてサラサラになり、一気に吸引できることで、気管内に、痰がこびりつく感じが少なくなったことに、起因しているのかもしれない。そして、入れた栄養剤・水分量が、きちんと尿として排出されるようになった。10月3日(火)の往診時に、尿カテ交換を医師にして頂いた時、いつもは褐色に汚れている先っぽは、大して汚れていなかった。すごい量の尿が出たことで、汚れも一緒に排出されたのだと思った。尿カテ交換したのと、水分を増やしたこともあってか、その後も、きれいな尿が排出されている。それで、膀胱洗浄をお休みしている。尿カテ交換後、一度は膀胱洗浄したけれど、ほとんど浮遊物がなかったからだ。膀胱洗浄しないことは、お互い(夫と私)のためでもある。夫は嫌な思いをしなくて済むし、私はケアの負担が減る。今後は、様子を見て、必要と判断したら行うことにする。たった1日200ml増やしただけの水分だけど、良いことばかりで嬉しい。これも、往診医クリニック交代効果だこれからは、様々のことを相談していきたいと思う
2017.10.08
コメント(6)
夫は、9月29日(金)12:00 病院の内視鏡室で、新しいPEGに交換してもらった。次回から在宅で交換してもらうので、バンパー型からバルーン型へ。内視鏡室に入ったかと思ったら、15分くらいで終わって出てきた。あっという間に終わったので、介護タクシーの手配が間に合わず、お迎えまでに1時間ほど待った。「すぐに栄養剤を入れて頂いて、大丈夫です」と、言われていたので、14時前帰宅して、いつものようにお昼の分を注入。 17時頃、新しいクリニックから主治医の往診があることになっていたので、それに合わせて、ケアマネさんと保健師さんが、挨拶のために来られた。新しい主治医は、とても庶民的で、話しやすい雰囲気がある。初めてということもあって、たくさんお話をした。「今、困っていることを書き出してください」とおっしゃったけれど、「悩みは、3つです」とお話しすると「一緒に解決していきましょう」って。普段飲んでいるお薬も、見直してもらうようにお願いした。それから、尿カテの交換は、今までは訪看さんがしてくれていたが、これからは、「男性の尿カテ交換は、医師が行う」という基本通り、主治医がしてくださるそうだ診察が終わって、主治医と事務の方が帰られてから、ケアマネさん・保健師さん共に、「良かったね」という感想。私も、「もっと速く替われば良かった」と思わせてくれて、ありがたかった 夜の栄養注入が終わった頃、訪看ステーションの主任看護師さんが、「気になって、電話しました」と様子を聞いてくれた。いつも、PEG交換後に熱が出るので心配してくれたようだ。その時は、大丈夫だったので「良かった」と言って電話を切ったが、その後しばらくして「なんか変?」と思い熱を測ったら、37.9℃ それから、熱を測る度に上がって、翌朝5:45 には、39.1℃一晩中、氷枕と保冷剤で冷やしたのにと、残念な気持ちになったけれど、それがピークで、往診前の 8:45 には、38.2℃に下がっていた365日24時間対応のクリニックなので、9時過ぎに往診してくださった。「院長、副院長、主治医の常勤医のうち、誰かが来ます」ということで、昨日の当番医は、院長だった。お電話したときも、往診の時も、「初めてですからね」とおっしゃって、丁寧に問診 & 診察してくださった。そして、「ニューキノロン系の抗生剤は、効かない」ということをお話しすると、昨年の交換で熱が出たときと同じ抗生剤はクリニックにはないけれど、ニューキノロン系ではない抗生剤を注射してくださった「1回で効くと思いますが、効かなければ3回(1日1本なので、3日)打ちますが、熱が37℃台になれば、大丈夫」とのこと。院長は、主治医が研修医の時の指導医だったそうで、そういうご縁もあり、クリニックの非常勤医から、常勤医になったらしい。主治医もおっしゃったけれど、院長も「家族も含めて診ます」とおっしゃり、お帰りになる際、「寝てないんでしょう。少しは、ゆっくり休んでくださいね」と言ってくださった。 それから、徐々に熱は下がったが、訪問入浴の時は、まだ38℃くらいあったので、清拭にしてもらった。19:25 には、37.3℃ → 21:10 には、36.3℃に下がった。でも、熱が下がると共に、血圧も下がった76/40 から、寝る前には、65/47 になったこれが初めてだったら、慌ててクリニックへ電話するところだけど、何事も経験は生かされるたぶん、抗生剤のなせる技なんだろうなぁと思い、様子見。朝方起きて吸引後、定時に起きると、案の定、血圧が低いから尿が出ていない。尿が出ないから、こもり熱で、体温37℃台でも、慌てず騒がず、昨年のように嘔吐しないように、栄養剤は若干減らしたが、水分補給は充分に行う。本日、10月1日(日) 14:10 のバイタルは、体温 36.5℃ 血圧 82/56 Spo2 98% 脈 103 。血圧が、若干上がってきたこともあって、きれいな尿が出てきた。とはいっても、まだまだ血圧が低いので、脈が速いままで、呼吸の度にヒューヒューという気管狭窄音がしているが、それも、徐々に減ってきた。一気に良くなるほど甘くはないと思うけど、昨年よりはマシかなぁ?と思う。今日よりは明日、明日よりは明後日、というように、快復することを願う。10月3日(火)は、定期の往診日。そこでまた、よく診ていただけると思う
2017.10.01
コメント(8)
季節が、夏から秋へと変わろうとしている。だから、というわけではないが、気管切開後 退院し、通院が困難になってからずっと、7年半お世話になった往診医を10月から交代することになった。事の発端は、7月初旬、特定医療費(指定難病)医療受給者証更新手続きに、保健所に行き、保健師さんに声をかけられ、つい、愚痴ってしまったことにある。保健師さんの「往診医を、在宅でPEG交換してくれる往診医にしたら?」という提案により、今の往診医との間に入って、いろいろ動いてくださった。まず、8月初旬、在宅でPEG交換しているというBクリニックに出向き、市外だけど、新規の受け入れ、在宅でのPEG交換をして頂けるかの確認。大丈夫だという確約を得て、今度は、お盆休み明け、今の往診医のAクリニックに出向き、どうしても在宅でのPEG交換は、無理なのか?お話をしてくださった。そこで、28日(月)の往診時に「ご説明します」ということで、保健師さん同席の元、PEG交換についてのお話。往診医は、ご自分で交換する意思はないので、在宅でPEG交換しているという医師に、問い合わせてくれたらしい。だけど、その医師も、「今は、やっていない」らしいので、「市内には在宅でPEG交換されている方は、いません」とのこと。そこで、すかさず保健師さんが「市外のBクリニックは、されてるようです」と言い、往診医が「聞いてみましょうか?」と言われたので、お願いした。保健師さんからの下地ができていたこともあり、Bクリニックは、すんなり受けてくださった。だけど、その後、往診医とBクリニックに、認識の違いが発覚した。往診医は「PEG交換だけBクリニックにお願いする」と思っていたらしいが、Bクリニックの方では、「往診医の交代」だと考えていた。つまり、在宅でPEG交換をしてもらうには、往診医を交代してもらう必要がある。かねてより、ケアマネさん、保健師さんとの話し合いで、「往診医交代でも、やむを得ない」ということになっていたので、「在宅でPEG交換 優先」ということで、交代してもらうことになった。その旨、保健師さんから往診医Aクリニックへ連絡して頂き、私は、即、交代だと思っていた。ところが、そうではなかった。保健師さんから往診医Aクリニックへ連絡をして頂いたのが、9月1日(金)ということもあり、今後のスケジュールを11日(月)の往診時に、お話ししますとのこと。この日は、保健師さんに加えてケアマネさんも、同席してくださった。夫は、在宅で酸素吸入をしているので、その保険点数算定の関係で、月の途中での交代は、難しいということらしい。ということで、今の往診医は、25日(月)の往診が最後になり、10月から、Bクリニックにお願いすることになる。そして、在宅でPEG交換して頂くために、今のバンパータイプのPEGからバルーンタイプのPEGに、29日(金)、総合病院の外来で、交換してもらうことになった。病院での交換は、これが最後になると思うが、どうか熱が出ませんようにと、祈るばかりだ。そして、まだBクリニックの医師にはお会いしていないが、Bクリニックには、3人の常勤医と2人の非常勤医が在籍している。HPを拝見する限りでは、院長の経歴も立派で、感じはいい。初めてお目にかかるにあたって緊張もあるが、楽しみもある。それから、スピードは遅かったけれど、いろいろ動いてくださった保健師さんに、敬意を表したい。今まで、保健師さんとの関わりは薄かったが、これからは、何か心配事や問題が起きたら、ケアマネさんだけではなく保健師さんにも相談することができる。窓口が広がったことは、ありがたいことだ。そして、新しい往診医との関係も、良い関係に築いていけたらと思う。
2017.09.23
コメント(12)
2011年5月、夫は胃瘻造設をした。造設はしたが、完全に経管栄養になったのは、もう少し先だった。しばらくは、口から食べるのと経管栄養と併用していた。その頃から栄養剤は「エンシュア・リキッド」。増設した病院は「ラコール」しかなく、下痢をして合わなかったので、退院してからは、往診医の処方で「エンシュア・リキッド」にした。それからずっと、「エンシュア・リキッド」だったけど、syuichiさんのブログ「エネーボ 使い始めました」を拝読して、夫にも試してみたことがある。2014年11月下旬から約1ヶ月、1日の栄養&水分の内、夜の「エンシュア・リキッド」1缶を「エネーボ」1缶に変更した。変更当初は、オリゴ糖が配合されていることもあり、排便は順調だった。だけど、徐々に腹満が強くなり、排便量も減ったので、元の「エンシュア・リキッド」に戻した。それからずっと、「エンシュア・リキッド」だったのに、3月13日(月)の往診時に、医師から「エンシュア・リキッドのパックは、製造終了だそうです」と告げられたパックはなくなるが、「エンシュア・リキッド」がなくなるわけではなく、缶はあるそうだ。でも、パックがなくなると、容器(イルリガートル)が必要になる。すると、「エネーボなら500mlがあるそうなんですが、エネーボにしますか?」と言われた。だけど、以前のこともあり悩んだ。でも、当時は「セレキノン錠」という薬を服用していたが、今は服用していない。下剤も、ジェネリックの「センノサイド顆粒」から、先発薬の「プルゼニド錠」に戻している。それで「エネーボ」を、また、試してみることにし、3月27日(月)から、夜の栄養剤を「エネーボ」にした。 だけど、その日の往診時に、医師は衝撃的なことを言った。「エンシュア・リキッド」だけではなく、「エネーボ」も、パックが無くなるというのだだったら、「エネーボ」にする意味がないのだけど、『やってみなければ、わからぬではないか』ということもあり、予定通り試すことにした。先ず変化が現れたのは便で、固くなった。そして、尿量が減少した。後でわかったことだが、「エネーボ」1缶250mlだけど、カロリーは300kcal。「エンシュア・リキッド」に比べて濃度が濃いのだ。例えるなら、みかんジュースとトマトジュースくらいの違い。つまり、「エネーボ」は1缶に含まれる水分量が少ないということ。だから、便が固くなり、尿量が減ったのだった。カロリーを250kcalにするために、「エネーボ」を200mlにし、減らした分は、白湯にした。すると、尿量は、ほぼ戻った。だけど、濁りがあるようで、水とアクエリアスの違いのように、透明感がない。膀胱洗浄の時に、バルーンカテーテルの脇から尿が漏れ出る。詰まっていないけど、詰まりかけているような気がした。「エネーボ」を夜ではなく、昼にしてみたり、色々工夫した結果、夫には、「エネーボ」は不向きということで、またもやひと月足らずで断念。今後は、「エンシュア・リキッド」のみにする。一応、いつもお願いしているクリニックの1階にある薬局が、可能な限り「エンシュア・リキッド」を在庫してくれているとのことで、夏頃までは、パックがあるらしい。それでも、いつかはなくなる。災害時等、パックがあった方が便利だと思うが、仕方がない。「エンシュア・リキッド」に戻して、10日くらい経つ。先日、バルーンカテーテルを交換して、やっと、尿の脇漏れが減ってきた。便状も、以前の感じになったように思う。「エネーボ」は「エンシュア・リキッド」より、栄養剤的には優れているのだと思う。だけど、排便が自力で出来る人にはいいが、夫は摘便しないと排便できないので、水分量のコントロールが難しい。便が固くなるのに、尿が減るのが、どうしてだかわからず、4月は、尿と便の観察と、色々考えて悩んで疲れた。『やってみなくては、わからぬではないか』で、やってみたが、結果的には、何だか、振り回された気がする
2017.05.04
コメント(2)
11月初旬に尿カテの中に「血餅」が出てくる前から、ずっと続けている膀胱洗浄。本来なら1月18日(水)に尿カテ交換だったけれど、膀洗したときに感じていた抵抗感で、1月13日(金)に早めてもらった。ところが、次の日の訪問入浴時に、土壁のような茶色の浸出液が出ていたそれを、1月16日(月)の往診時に医師にお話しすると、やっぱり、「膀胱壁にバルーンの先が当たったのでしょうね」とのことで、「膀胱洗浄を続けてください」と言われた。その旨、その後に訪問された看護師さんに話し、膀洗してもらった。すると、思ったよりもたくさん、浮遊物が出てきて、「しばらく続けた方がいいね」ということになった。膀洗に否定的な訪看ステーションには、「毎日している」とは言っていないので、「往診医に指示されたから、行う」ということになったのだと思う。それにしても、毎日しているのに、浮遊物が多いなんて・・・それから、週3回の訪看さんの時間帯にも、看護師さんによる膀洗が3月3日(金)まで行われた。私一人がしていた膀洗は、夜の栄養剤注入が終わったあと、しばらく時間をおいて20時台にしていたが、訪看さんは、13時半からなので、1日1回、毎日するのであれば、時間を合わせた方がいいと思って、看護師さんの訪問がない曜日でも、なるべく昼間の時間帯にするようにした。すると、尿の流出時間が変わった。最初は、どうしてなのかわからなかったが、半月ぐらいして、膀洗の時間帯が変わったからだと気づいた。それまでは、午前中の流出は少なめで、午後から徐々に増え始め、23時から翌朝6時半までに、1,000mlくらい出ていた。それが、昼間に膀洗するようになって、6時半から14時前後までに1,000ml。それから、徐々に失速そして、夜間の流出は半減した。1日の尿量として大差なかったので、「まっ、いいか~」と思っていた。だけど、あまりにも昼間にたくさん出ると、寝る前の血圧が、朝起きたときの血圧(上が80前後)くらい低い日があった。そうすると、尿が作られなくなるので、翌朝「これっぽっち?」と思うくらい少ない。1日分の尿量も減少その分、翌日以降に増えるが、取り戻すまでに数日かかるそれで、3月4日(土)から、膀洗する時間帯を20時台に戻した。3月6日(月)から、看護師さんの訪問時間に膀洗することも止め、私がしている。すると、夜間の尿量が増え 流出量も、まずまず一定。さて、これからどうなるのか?しばらく、このままで様子見。見ていても尿が出てくるわけではないが、ついつい見てしまうウロバッグ
2017.03.09
コメント(4)
気がつけば12月も半ばを過ぎ、2週間後はお正月だ最近、時間の経つのが加速度的に早いような気がするテレビニュース等で「年末の風物詩」なるものが映し出されなければ、いつもの月と変わらないのになぁ、なんて思ってしまう。師走とあって、交通量も増え、訪問の方々は何かと大変そうだ 私の目下の悩みは、夫の脂漏性皮膚炎・尿の流出・食後のこわばりの三つ。今に始まったことではなく、ずーっと抱えている悩みでもある。後頭部の脂漏性皮膚炎は、泡石鹸で洗うことと散髪を2週間に一度にし、アタッチメントをつけずに短く刈ることで、快方に向かっていたところが、泡石鹸だけだと皮脂が完全に取りきれなかったらしく、浸出液が出てくるところがあり、それが固まってかさぶたになって、かさぶたが取れてさらに浸出液が出て・・・を繰り返し、少々悪化したそこで、訪問入浴のケアさんのアドバイスで、頭も固形石鹸で洗うことにした。しばらく、固形石鹸だけで洗っていたら、今度は、ふけっぽくなってきたので、泡石鹸と固形石鹸の良いところを発揮できるように、泡石鹸で洗った後、固形石鹸でもう一度洗ってもらうようにした。そして、しばらく使っていなかったお薬をつけるようにしたら、徐々に快方に向かっている少し出てきていた浸出液で枕を汚さないようにタオルを敷いていたが、それだと浸出液が固まって、頭にくっついてしまった。そこで、尿パットのギャザーの部分を切り取って平らにし、後頭部に敷いてみた。汚れたところを少しずつずらすこともできるし、浸出液を吸いとってくれるので、なかなか良い 二つ目の悩みは、排尿。10月に出た高熱後の抗生剤投与で、尿の色も流出も良くなっていたが、11月初旬、訪問看護の日、摘便しようとしていたところ、何だか怪しげなものが、尿カテの中に現れた。 「血餅」というのだそうだ。読んで字のごとく、お餅のような血。お餅のような血が、バルーンの先っぽに付いてしまうと、尿詰まりの原因になるらしい。そういえば、これが出てくる前、2~3日に1回、少ない日があった。そして、カテーテルから尿も出ているが、カテーテルの脇からも、漏れていた。これが、邪魔していたのかもしれない往診の時、医師に画像をお見せすると、「膀胱壁に尿カテの先端が当たって、擦れたんでしょうね」とのこと。だけど、尿カテ留置になってから丸7年経つが、こんなに大きいのが出てきたのは初めてで、ビックリした。その数日後、こんなのも出てきた。 膀胱の中に留まっているよりは、出てきた方が良いので、対策は膀胱洗浄。水曜日と土曜日はしないでいたけど、今は、毎日している。たまに、生食を入れるとき抵抗を感じるときがある。詰まりかけていたのかな?とも思うので、サボらないで続けよう。 三つ目は、栄養剤を入れ終わった後くらいに起こる躰のこわばり。往診医にお話しすると、「食後に血流が胃に集中することで起きるのではないか」とのこと。栄養剤は、できるだけゆっくり滴下するようにしているが、どんなにゆっくりにしても、食後のお薬を入れ終わった後くらいに起こるので、それだけ「胃の動きが悪くなっている」らしい。やりきれないそこで、栄養剤の量を減らして、高カロリーの栄養剤にしてみてはどうかと、お尋ねすると「それも一つの方法ですね」だけど「下痢するかもしれません」でも、やってみないとわからないので、とりあえず今のまま様子見。何となくだけど、尿の流出が良いときは、躰のこわばりが少ないように思う。尿量が少ないと、血管の水分が増えることと関係しているのだろう。尿の排出には血圧が関係しているけど、これは自由にならないので、せめて、詰まらないように膀胱洗浄は、やっぱり、欠かせないこの三つの悩みは、来年も私を悩ますことだろう
2016.12.18
コメント(10)
10月11日(火) 約11ヶ月ぶりに、胃瘻造設した病院へ行った。PEG交換のためだ。連休明けだったので、駐車場に入る車で病院の玄関先は渋滞していた初めての光景だった。病院へ行くために、車椅子をレンタルした。今までレンタルしたことのある車椅子もリクライニング式だったが、今回レンタルした車椅子は、最新式 リクライニングすると座面が昇降するので、躰がずれにくい。そして、肘掛けを下げ、躰の横づれ防止も倒せる。 リクライニングは、背中後ろの緑色のレバーを握るとできる。 ベッドのすぐ側まで横付けでき、平行移動が楽だ足置きは、連動されていないので手動で動かす。 だけど、足を支える支柱が細いので、ぐらつきが大きく、夫の外転気味の足は、何度もずり落ちた頭が当たる部分は、夫には薄くて、あごが上がってしまって苦しそうだった。そこで、いつも使っている枕を挟むと、ちょうど良くなった最新型といっても、一長一短あるそれでも、どんどん改良されて良い物ができている。メーカーには、さらなる改良を望みたい。肝心のPEG交換は、バンパー型からバルーン型に替えて、今後は、往診医が在宅で交換してくれるはずだったが、どういう訳か、また、バンパー型にされたそして、案の定、その夜から高熱に見まわれたPEG交換する度に、熱発するので、夫の体力もだが、日勤&夜勤を連続でする看護師さんみたいに、私の体力も低下するさすがに「徹夜で看病」というのは、躰に応える。だから、今後は、今のPEGをできるだけ長く使い、使えなくなったら、PEGを止めて経鼻経管栄養にすることも視野に入れて、検討したいと思う。
2016.10.16
コメント(6)
夫が胃瘻造設をしたのは、2011年5月。当初は、喉ごしの良いものを口から食べたり飲んだりしていたが、徐々にむせたり気管への垂れ込みが多くなり、カニューレのサイドチューブからの吸引量が増えたので、完全に胃瘻からの栄養剤と水分摂取になった。栄養剤の「ラコール」は、下痢をするので使えなくて、胃瘻造設した病院では、医薬品扱いの栄養剤は、ラコールしか取り扱いがなく、食品扱いになる「メディエフ」を注入していた。でも、在宅療養では有料になるので、往診医に頼んで医薬品になるラコール以外の栄養剤を処方してもらった。それが、「エンシュア・リキッド」。幸運にも、夫との相性が良く、ずっと、これを使っている。途中、syuichiさんが奥さまに使い始めたという「エネーボ」を、真似して1ヶ月半使ってみたことがあるが、夫には合わなかったようだ1日の栄養剤等の摂取カロリーは、当初は1,200kcal だったが、体重が増えたので、徐々に減らして、今は、952kcal で落ち着いている。内訳は、エンシュアリキッド 500ml 1パック + 250ml 1缶= 750ml(750kcal) 明治ブルガリアのむヨーグルト(プレーン)100ml(67kcal) 伊藤園 理想のトマト 150ml(53kcal) 日清オイリオ クランベリージュース 80ml(40kcal) 温州みかんジュース(ストレート) 100ml(42kcal)合計 952kcal 。水分は、アクエリアスゼロ 800ml 、サントリー烏龍茶200ml 、白湯(または水)520ml 。1日の栄養剤等と水分の総量は、2,700ml になる。それに、薬を溶かしたり、チューブを流したりする白湯があるが、痰や便として排出されると考えて、尿量がだいたい2,700ml あると安心する。以前、膀胱結石ができたときに受診した泌尿器科医に「入れた分、出ればいい」と言われたので。この量を、どのように入れているかというと、まだ口から飲めていたときのカップを使って、 先ず、エンシュア・リキッドの500mlパックから、200ml 抜く。 ←表 ←裏私は、大雑把なところと几帳面なところがある。本当は、250ml 抜きたいところ、目盛りが200ml までしかないので、200ml 抜く。 200ml の方が、計算しやすいということもある。そして、それを、別容器に入れて昼食用に保管する。 朝は、その空いたカップに、飲むヨーグルト100ml + 水100ml を入れ、 栄養剤を入れる前にシリンジを使って入れる。シリンジの黒いゴムの縁にオリーブオイルを塗ると、滑りが良くなり、長く使える。 往診の時に、通常2週間で2本頂くが、膀洗用のシリンジがなくなりそうになったので、倹約して、最長4週間使ったことがあるそして、エンシュア・リキッド300ml をポタポタ落として入れる。 ← 裏のアルミ箔を剥がすとオレンジが現れる 入れている間に、粉砕された薬を容器に入れ、30ml の白湯で溶かしておく。栄養剤が終わったら、アクエリアスゼロ200ml に、食塩1g を入れたものをシリンジで入れ、 最後に、薬を入れて終了。合計700ml 。 昼は、別容器に入れて保管していたエンシュア・リキッド200ml をパックの上部を切って戻し入れ、容器に残ったエンシュア・リキッドを50ml の白湯ですすぎ入れて、250ml にする。そして、朝と同様に、栄養剤を入れる前に、理想のトマト150ml + 白湯50ml をシリンジで入れ、 クランベリージュース80ml + 白湯120ml を入れてから、 ← カップは2個あるチューブに残ったクランベリージュースを白湯50ml で流し入れ、栄養剤をポタポタ落として入れる。 ← PEGは、オリンパス製インディアルボタン栄養剤が終わったら、朝と同様、アクエリアスゼロ200ml + 塩1g を入れ、薬を入れて終了。合計900ml 。パックは、夜も使うので冷蔵庫で保管。 夜は、エンシュア・リキッド250ml 1缶を、お昼と同様に500ml の空パックに入れて、 白湯50ml で缶をすすぎ、パックに入れて300ml にし用意する。そして、みかんジュース100ml + 白湯100ml をシリンジで入れ、栄養剤を入れる。 栄養剤が終わったら、朝・昼と同様、アクエリアスゼロ200ml + 塩1g を入れ、薬を入れて終了。合計700ml 。 そして、寝る前に、烏龍茶200ml とアクエリアスゼロ200ml(塩なし)を入れ、水分補給。 これで、総量2,700ml になる。胃瘻のチューブは、PEG交換の度に新しいのを頂くので、それを捨てずに常時3本用意し、朝・昼・夜・寝る前と順番に使い、その都度、使い終わったら、シリンジを使って流し洗い、シリンジと一緒に、ミルトン水に入れて消毒する。1日に一度、お昼に使ったチューブを、チューブ洗浄ブラシを使って洗う。 そうすると、毎日違うチューブを洗うことになるので栄養剤以外の水分の種類や量は、最初から決まっていたわけではなく、夫のお腹の調子や結石予防で、試行錯誤を繰り返してこうなった。使われている乳酸菌によっても、合う合わないがあったコチコチ便が、水分を増やしただけで良便になった。結石予防で、ただの水だったのをアクエリアスゼロに変更した。夫は、血液検査でカリウムの値が低く、薬で補充しているほどだし、結石ができやすい体質のようだ。膀洗を週5回し、エアコンは、今のところ順調に働いてくれているので、先週は、尿の流出も、摘便の量も、良好で、体調は落ち着いているこの調子で、この夏を乗り切りたいと思う
2016.08.21
コメント(8)
エコキュートの水位センサー異常に続き、エアコンの温度感知センサー異常(結果的には、ガス漏れ)が起き、今度は、夫の体内センサーに異常が起きた尿の流出が、極端に減少したのだ夫は、多系統萎縮症の中でも「オリーブ橋小脳萎縮症」に分類されているけれども、数年前から、「シャイ・ドレーガー症候群」の特徴である自律神経障害が、徐々に強くなってきたように思う。起立性低血圧を防ぐという「ドプス細粒20%」を、5月下旬から服用している。効いているのかいないのか、よくわからなかったが、極端な血圧低下はなくなったように思う。だけど、長時間背上げすると血圧が下がるので、リハビリでの端座位はできないままだ血圧が低下するのは、起立性低血圧だけではない。排便(摘便)後、血圧が下がることもあるし、食後低血圧もある。最近は、栄養剤を入れた後は、あまり時間をおかずに背上げを低くしているが、それでも、多少下がっているように思われる。だけど、以前は、しばらくすると回復して、尿が出なくなる時間は短かった。エアコンが、急に冷えなくなったのは8月6日(土)だが、その前から、何となく冷えが悪かった。外が暑くて設定温度まで下がらないときは、湿度を下げて体感温度を下げるようにするが、湿度も高かったので、少し動くと暑いと感じていた。まさか、ガスが抜けていたなんて、想像すらしなかった。夫のバイタルも、普段とそんなに変わらなかったので、気がつかなかったエアコンが冷えなくなる前日、8月5日(金)朝から尿の流出が悪かっただけど、血圧がそんなに低いってことではなかった。膀胱洗浄は、ずっと続けているので、バルーンが詰まっていたり、詰まりかかっているとは、考えにくかったが、前回交換したときの汚れが強かったので、週末ということもあり、少し早めの交換をしてもらった。でも、交換したわりには尿排出は少ないまま。それで、膀胱洗浄をした。すると、きれいな尿が出てきたので安心していたが、尿量は増えないままだった。翌朝(8月6日)の尿測は、ビックリするほど少ないいつもなら2,700mlのところ、1,950mlしか出ていない。だけど、体温も血圧もサチュレーションも、正常値。それでも、尿の流出が少ないので、いつもより頭を下げて足を上げた。ベッドの足上げは30°までしかできないので、座布団やバスタオルを敷いて高くした。それでも、血圧が上がってこないので、体温が上昇し、脈拍も早くなった。心配になって、往診医に電話すると「自律神経のことだから様子を見るしかない」ということ。ただ、尿が出ないからといって水分を減らしたりしないで、いつも通り。そして、午後の訪問入浴の予定は、微熱や血圧が少々低くても入った方がいいとおっしゃったので、いつも通り入った。すると、医師が言われたように、入浴の刺激で、体温は平熱になり、血圧も少し上がったそして、エアコンがおかしくなって、ガス補充してもらって冷えるようになった頃、少しずつ、尿の流出が増えてきた。そして、翌朝8月7日(日)の尿測は、これまた、ビックリするくらい多かった。前日1,950mlしか出なくて、体内に溜めていた分が出たのか、3,950mlも出た一晩に、2,000mlも出た。こんなこと、初めてだった。その後の尿流出は、ほぼ元に戻ったが、何となく少ない状態は続いていたので、その分、痰の吸引回数が増えた夫が自宅療養するようになって、初めてエアコンが効かなくなり、高温多湿状態も、初めて経験した。エアコンが徐々におかしくなっていたのと時を同じくして、夫の自律神経もおかしくなっていたんだと思う。結果論として、腎臓や膀胱、尿道カテーテルに異常があったわけではない。尿が作られていないから、出なかったのだと思う。尿を作り出すためには、自律神経が深く関与しているんだと、改めて認識させられた。そのためには、暑すぎても寒すぎてもダメだ。私が暑いと感じるということは、夫の躰には負担が大きいのだと、反省した温湿度管理を、今まで以上に徹底したいと思う。エアコンを根本的に修理していないので、徐々にガスが抜けている状態は変わらない。電器屋さんは、お盆明けにもエアコンを一時止めて、点検修理したいようだ。私としても、いつ動かなくなるかと心配しているよりは、直してもらった方が安心だ。だけど、夫には、エアコンは必須。車椅子をレンタルして、目の前にある義兄の家に避難させてもらって、修理してもらおうかとも考えたが、それも、1時間も1時間半も車椅子に乗ったままでは、負担が大きいように思う。やっぱり、夏が終わって、エアコンを使わなくなってからにしてもらおう。それまで、定期的に見に来てもらって、減った分のガスを補充してもらおうと思う。夫の働きが悪くなった自律神経は、徐々におかしくなったからか、快復にも時間がかかった。この一週間は、朝方、痰吸引に起きる日々が続いた。オリンピックを見ていての寝不足ならいいが、吸引するために起きての寝不足はストレスだった。今朝はやっと、目覚ましが鳴るまで蒲団の中にいられたこの調子で、元に戻ってほしいと切に願う
2016.08.14
コメント(12)
6月半ば頃から、夫の後頭部に時々出血がみられた。訪問入浴がない日は、私が、頭を清拭していたので『ゴシゴシし過ぎたかな?』なんて、思っていた。ところが、その出血の頻度が増してきただから、後頭部の清拭をするのを躊躇してしまった。結果的に、それが良くなかったらしく、ますます悪化したようだ7月11日(月)訪看さんが来られたとき、摘便のため横向きになると、枕が、出血と浸出液で凄く汚れていた。摘便後、ライトを照らして見てくださって、毛根に脂肪のような膿の様な物を発見毛抜きで、排膿してくださり、石鹸で洗ってくれた。だけど、念のため皮膚科医に診てもらった方が良いと言うことで、往診を依頼した。「時期的に、往診依頼が多く混み合っているので、日にちが決まったら連絡します」とのことだった。基本的に、平日のお昼休みの時間帯か、木曜日の休診日に、往診してくださる。7月14日(木)10:15頃、お電話があって「これから伺っても良いですか?」・・・いつも突然だそして、10時半頃、来てくださった。皮膚科医は、藤子不二雄さんの漫画に出てくる「ラーメン小池さん」に似ている。もう少し、面長にした感じ。いつも不機嫌そうにしていらっしゃるので、お会いする度、緊張する。皮膚科医は、石鹸やシャンプーに、とても、こだわりを持っていらっしゃる。医師の基準に合わないものを使っていると、ダメ出しをされて、叱られる「お肌に優しい弱酸性」とCMされているものを、特に嫌われる。今回も「シャンプーは、何を使ってますか?」とお尋ねになり、コラージュフルフルネクストシャンプーを使っていると言うと、なぜそれを使っているのか、理由まで尋ねられた。「同じ病気の方が、同じように脂漏性皮膚炎になられて、このシャンプーを使っているとブログで紹介されていたので、真似しました」と答えた。そして、「使っていると、ふけのようなものはなくなり、良くなりました」と言うと、「良くなったのなら、いいです。・・・でも、高いでしょ?」とおっしゃり、違うシャンプーを勧められた。医師によると、抗カビ成分が入っているのはいいが、抗菌成分はなくてもいいような口ぶりだった。「毛穴の汚れが取れればいいんですよ」とのことだ。そして、翌日、処方されたお薬を取りに行くと、指定シャンプーのメモが貼り付けてあったそこまでされたら、それを使わざるを得ない。それで、近所のドラッグストアに買いに行ったがなくて、大型スーパーにも行ったけど売っていなかったこういう時には、ネットショッピングだインターネットで検索すると、すぐに見つかった。土曜日は、訪問入浴の日なので、それまでに間に合うようにと、すぐに頼んだ。医師指定のサンスタートニックスカルプクリアシャンプー。青と緑のボトルがあるそうだが、青はリンスが入っているから使ってはダメで、緑を使うように念を押された。このシャンプーで洗った後に、グリジールスカルプローションを1日1回塗布するようにとのこと。そして、良くなってきたら、2日に1回、3日に1回に間隔を空けて塗布するように指示された。塗布し過ぎても、良くないらしい。そして、飲み薬は、セレスタミン配合シロップ10mlを10日分。毎日洗っていることもあり、みるみる良くなった5~6年前、初めて皮膚科医の往診をしていただいた時、「洗う」ことの大切さを教わった。やっぱり、「洗う」ということが大事なんだと、改めて思った。「洗いすぎ」ても、「洗わなすぎ」ても、ダメなんだと。そして、洗った後は、石鹸の成分がなくなるまで、よくすすぐこと。すすいだ後は、良く乾かすこと。訪問入浴の後には、タオルで拭いただけでは、完全に水分をぬぐえないからと、手足の指の間、股間、脇、頭皮を、ドライヤーで乾かしてくれる。特に、股間は蒸れやすいので、普段の陰洗後も、ドライヤーの送風で乾かしている夫の後頭部は、髪の毛が少なくなった頭頂部に比べて、より毛が密集している。それなのに、枕と接触しているので、蒸れたこともあり、毛穴に汚れが溜まったようだこれからも、マメに洗おうと思う
2016.07.26
コメント(10)
昨日までの猛暑が、ひと休みした。というよりも、まだ「梅雨明け」していないのだから、梅雨空が戻ってきたといった方が正しいのかもしれない。しかも「梅雨寒」昨日の同じ時間との温度差が、約-13°もあるそんな中、特定医療費支給認定の更新手続きに、保健所へ徒歩で行った。一昨年から、玄関に「番号札を取って、お待ちください」という案内板が立っている。案内の通り、待とうとしていたら、すぐに案内された。タイミング良く、待っている人がいなかったためだ持って行った書類に、記入漏れや数字の記入間違いがないかチェックされ、無事、申請することができた。市役所で住民票を出してもらうために待っていた時間よりも、はるかに短い時間だった。県職の方に、来年からは、もっと簡素化されるのか聞いてみた。「その方向(簡素化)に、進むと思いますが・・・」ということで、来年のことは、わからないらしい。『来年のことを言えば鬼が笑う』だ猛暑が続いていた7月3日(日)、夫にこもり熱を出させてしまった外の気温が、35°近くになっていて、エアコンがうなりを上げていた。我が家のエアコンは、消費電力が表示される。あまりの消費電力におののき、設定温度を1°上げてみた。すると、室温も上昇それに伴って、夫の体温も上昇したらしい夫は、自律神経の働きが悪いので、健康な人なら汗をかいて体温調整するところを、汗が出ないので、その分、躰に熱がこもる。久しぶりに、37°台前半の熱が出たので、少々焦った。すぐに、羽毛肌掛け蒲団を剥いだ。そして、躰に風を入れている間に、陰洗と膀洗をした。6月12日(日)から始めた膀胱洗浄。3日連続で行うと、ほとんど浸出液は出なくなり、尿の臭いもなくなったが、4日めに、また浸出液が少量出たので、連続で1週間行うことにした。それでも、まだ完全にきれいではなかったので、10日連続に延ばした。そして、次の往診まで、毎日しようかな?とも思ったが、生理食塩液とシリンジの在庫が無くなりそうだったので、結果、11日連続でしてから、1日おきにした。膀洗を続けていると、膀胱の中に溜まっていたものが、尿と一緒に流れ出てきたのか、ウロバッグの管が、凄く汚れた。6月29日(水)バルーンカテーテル交換の前には、訪看さんに膀洗してもらった。膀洗後、交換すると、久しく見たことがなかったきれいな尿が出てきた訪看さんが「やっぱり、膀洗は、やった方がいいね」だって。『言われなくても、やりますよ~』と、私の心の声往診時に、医師が、クリニックの1階にある薬局から預かって、お薬も配達してくださる。吸引カテーテルも、ウロバッグセットも、シリンジ等も、支給してくださる。膀洗は、まだ毎日した方がいいかな?と、思いつつも、6月27日(月)の往診時には、膀洗のためのシリンジは、少し遠慮気味に、お願いした。結果、毎日することは不可能なので、2日続けたら1日休むというサイクルで行うことにした。様子を見て、尿がきれいになり、臭いもしなくなったら、1日おきにしようと思う。膀胱洗浄には欠かせない、生理食塩液(生食)とシリンジ(カテーテルチップ)。こもり熱は、湿度が高くても出やすいので、梅雨寒の今日も、油断大敵だ普段は、躰にかけている蒲団を、ベッドの柵に掛けて、躰と蒲団の間にほんの少し隙間を作り、柵の間から換気している。そうすると、蒲団をはぎ取ったときのように、エアコンの風が直接当たらないし、蒲団の中の湿気が出て、こもり熱が出ないように思う。我が家の、こもり熱対策の必殺技だベッド柵に蒲団こんな感じ。明日は、晴れてまた暑くなるらしい。しばらくは、温湿度計とにらめっこしながら、エアコンに頑張ってもらう日々が続きそうだ。
2016.07.05
コメント(6)
夫が、5月26日夕食後から服用し始めたドブス細粒。最初は、効いているのかいないのか、よくわからなかったが、1週間から10日くらい経って、血圧が極端に下がらなくなったように思う。そして、2週間くらい経つ頃には、時折120~130くらいに上がることもあり、訪問リハビリの時には、端座位にはなれないが、ベッドの背上げの「連動」という機能を使って、椅子に座っているような角度まで上げてみている。血圧が、まあまあ安定していることもあって、尿の流出も、まあまあ。若干少ないときもあるけど、極端に少ないことはない。だけど、尿道留置カテーテルの脇から浸出液があり、それが、粘っこく、酷いときは膿の様な物が出てきた。その前に、尿の臭いがきついような気がしていた。以前、syuichiさんのブログで「尿バッグ 臭い対策」を紹介してくださったので、同じようにしていたのに、臭いだけど、訪看さんに聞いても「そうですかぁ?」と言うので、そんなに気にするレベルではないのかなぁ?と、思っていた。そうこうしていると、上記のような浸出液。浸出液だけなら、以前にもあったが、回数も量も多い。訪看さんは「何だろうね?」と言うだけで、何の提案もないまったく「どうしたもんじゃろのぉ」だ。悶々としていた6月12日(日)早朝、ひらめいた膀胱洗浄しよう昨年12月頃から「セレキノン錠」の服用を止めて、摘便が、まあまあ上手くいき、尿量が一定になって、尿道留置カテーテル(バルーン)の1週間毎の交換を、約10日間での交換へ。そして、最近は、2週間毎に交換してもらっている。しかし、尿量が安定しているからといって、それにあぐらをかいて膀胱洗浄をしないでいたら、膀胱の中が澱んでいたようだ端座位にならなかったり、背上げを高くしなかったのも、影響したかもしれない。ひらめいたら、即、実行朝の栄養を入れる前に、膀胱洗浄した。その時点で、すでに浸出液があった。でも、昼食後、確認すると出ていなかったこれは、いい感じそれで、昨日今日と、3日連続でしたら、ほとんど出ていない。臭いも、ほとんどしなくなったそうはいっても、膿の様な物が出てきたこともあり、前回の採血から3ヶ月経っていたこともあり、昨日6月13日(月)の往診時に、血液検査をしてもらうため採血してもらった。そして、今朝、血液検査結果の連絡が往診医からあった。結果は、身体的な問題はないということ。白血球の量も問題なく、炎症反応を示すCRPは、0.8。ということで、「抗生剤は使用しないで、このまま様子を見ましょう」ということになったそして、ドブス細粒は、最初の倍量の処方。もう少し、効果が現れて、また端座位ができるようになるといいのだが・・・。膀胱洗浄は、ももたろうさんの弟さんも続けていらっしゃるそうで、夫も、3日連続でしたら、効果てきめんなので、これからも、2日に1回とか、3日に1回のペースで、定期的に続けようと思う 夫の甥っ子(義兄夫婦の次男)が、今年1月からロンドンに勤務になり、一家で赴任した。ロンドンは、一年で6月が一番いい季節だそうで、義兄夫婦が10日間近く行ってきたとのこと。お土産に戴いたクッキーScottie Dog型のクッキー。どこから食べるか、悩む
2016.06.14
コメント(12)
夫は、昨年の今日、大学付属病院を退院した。それ以来、どこにも入院していない。昨年11月、PEG交換後の発熱・血圧低下で5度目の救急搬送になったが、入院にならなかったので、入院なしでの在宅療養日数、記録更新中だ2010年4月、療養生活に入り、4ヶ月後に2度目の救急搬送で入院した。尿道留置カテーテル交換時のトラブルで、血尿があり救急搬送になり、その後、尿路感染から高熱が出て、入院となった。2011年5月にPEG造設後は、約半年おきに交換のため入院した。その後、PEG交換の度に熱が出て、その度に抗生剤の点滴をされるので、入院はしないで、外来での交換にした。2015年2月、誤嚥性肺炎で、3度目の救急搬送となり入院したので、2014年春から続いていた入院なしの記録は、10ヶ月目で途絶えたそして、昨年5月、声紋閉鎖術をしていただき、6月2日に退院し現在に至る。最近の夫は、安定しているといえば安定しているが、血圧が低い状態が続いている2月に血圧低下に陥り、往診医の指導もあり、背上げを上げたり下げたりしていた。5月中旬、昼間の尿流出が、何となく少ないような気がして血圧を測ると80くらいに下がっていた。頭を下げてしばらくすると、尿が出てきたので、血圧が戻ったようだった。そんなことが何度かあり、1日の尿量が減った。血圧低下 → 尿量減少 → 体温・脈拍上昇 → むくみが生じ、心臓に負担がかかる。という、悪循環になるので、血圧低下は避けたい。背上げをすると血圧が下がるので、栄養を入れるときは、26°の背上げを16°にした。それ以外の時間は、18~20°くらいだったのを12°にし、就寝時は、12°を10°にして血圧の低下を防いだ。それでも、100前後にしか上がらなかったが、何とか尿量は維持できた。私が新宿に行く前のことだったので、夫も緊張しているのかと思ったりもしたが、その後も血圧低下気味が続いたので、往診医に相談した。すると、新たなお薬が処方された。それは、ドプス細粒というお薬。即効性はなく、1週間前後で効果が現れるらしい。たまに、120~140に跳ね上がることがあるので、そろそろ効果が現れるのだろうかそれでも、血圧上昇が見られないと、少しずつ量を増やしていくことができるようだ。レスパイト入院なしでも、昨年の術前以前のような耐え難い疲労感に襲われることはなくなったので、このまま入院しないで、自宅療養が続けられることを願う
2016.06.02
コメント(14)
昨年の今日、夫は、声紋閉鎖術という手術を大学付属病院でした。その日は、長い一日だった。病室を8:45に出るので、その30分前に病室に来るように言われた病院まで、通常なら車で30~40分で行けるが、通勤時間帯は、ものすごい渋滞で1時間以上かかるだから、余裕を持って6:45頃、義兄と共に家を出た。すると、思ったより早く、8時前には病室に到着した。それから、ずーっと「待ち続ける」一日になった病室で、手術前の処置をされ、手術室のある階まで同行し、手術室に入ると、また病室のある階まで戻り、連絡があるまで待った。夫は、膀胱結石があったので、声紋閉鎖術の前に、膀胱結石粉砕術をして頂くことになっていた。最初の膀胱結石粉砕術が終わって、執刀された泌尿科医の説明を受けた。それから、声紋閉鎖術が終わるまで約2時間、ただただ待った。予定通りの12時前に連絡があり、執刀された耳鼻咽喉科医に説明を受け、ホッと安心したものだ麻酔が覚めたら病室に戻ると言われていたのに、待てど暮らせど連絡がないいったいどうしたのだろうか心配になって、ナースステーションに聞きに行った。すると、麻酔から覚めたけど低血圧の状態が続いているので、手術室隣の快復室で血圧が戻るまで様子を診ているとのこと。それから、やっと病室に戻ってきたのが、15時過ぎ。顔を見て安心したのと同時に、ドッと疲れが出た。それは、一緒に行ってくれていた義兄も同じで、後は看護師さんにお任せして、早々に帰路につき、長い一日が終わったあれから1年。あっという間だった。気切孔は、驚くほどきれいになった昨年、PEG交換後の発熱・血圧低下で救急搬送され、入院一歩手前までになったことと、今年2月に低血圧になって、びびったこと以外は、ほぼ安定した日々を過ごしている。痰吸引の回数も、術前に比べたら半減した。吸引器の出番が減ったが、なくてはならない医療器具だ。高い位置に置いているので、吸引器の足下には耐震マットを敷いて固定している。手前のペットボトルの中には、ミルトン入りの水に吸引カテーテルを入れて保存している。気管用と口腔用だ。カニューレを入れているときは、カニューレと肌との間にYガーゼを挟んでいたが、カニューレがなくなったのでYガーゼが必要なくなり、その分、それまで、2日に1本だった吸引カテーテルを、往診医に頼んで1日1本に増やしてもらった吸引器の下方、ゴミ籠の下は酸素の機械。半年に一度、業者の点検がある。さあ、今夜も、11時頃に一日最後の痰吸引をしたので、明朝6時過ぎまで寝ることにしよう
2016.05.19
コメント(8)
「春は、大阪から」と言われるように、大相撲春場所(大阪場所)に続き、今日から春の高校野球(甲子園)が始まった。春うらら・・・ボーッとしている間に、3月も残り10日あまりとなった。この冬は、暖冬だった。3月になっても寒暖差が激しいせいか、なかなかやる気がでない。季節のせいか、歳のせいか・・・介護においても、もやもやした時期があった。夫が、平行棒やベストポジションバーを使って、壊れかけたロボットのように歩いていた頃、排尿障害もひどくなったあんなに嫌がっていた介護パンツを、トイレに間に合わなくなり、はくようになった。トイレに行っても、すぐに出ない。出たと思って立ち上がっても、またしたくなって座る。そんなことの繰り返しで、特に、夜間や早朝は、起立性低血圧になって転んでも起こせないので、ポータブルトイレを介護保険を利用して購入することにした。それも、最初は「必要ない」と言って、夫は拒否したが、「昼間は、トイレに行けばいいから、朝と夜だけ」と説得して、購入にこぎ着けた最初は、ベッドの脇に置いていた。だけど、徐々に、手すりだけでは心許なくなり、平行棒の間に持っていって使った。それくらいコンパクトで、重宝した。ポータブルトイレを使っていた期間が、どのくらいあったのか、今では記憶が定かではない。だけど、その期間が、私にとっては一番つらい時期だったように思う。パートで、週に4~5日、5時間くらい働くために、片道35分の車通勤。常に、時間に追われ、何をしていても、どこにいても「早く早く」と思っていた。「帰りたくない」と、何度思ったことだろう。車の中で泣いたことも、数え切れない。先が見えない、不安もあった。それに加えて、更年期の時期でもあったので、心身共に疲れていた家に帰っても、ホッとする間もなく、夫が話しかけてきた。その頃は、構音障害もひどくなり、何度聞き返しても何を言っているのかわからないことがあった。それでも、何度も何度も、諦めないで夫は繰り返し話すので、辟易しながらも、根気強く聞いた。そのことも、疲れる要因であった。だけど、それを乗り越えて、今がある。赤ちゃんは「毎日が、初めて記念日」であるように、介護にも「初めて記念日」がある。初めてのことは、経験が無いので、アタフタと慌てる。これからも「初めて記念日」は、訪れることだろう。仕方がないことだけど、今までの経験と知恵をふりしぼって、出来る限り、落ち着いて対処できるようにしたいと思う。もうすぐ、桜が咲いて春本番になる。6年前の今頃は、退院に向けて病院で痰吸引やおむつ交換など、看護師さんに教わっていた。「初心忘るべからず」謙虚な気持ちで、日々過ごすようにしよう。そして、「テレビ体操」は習慣になっているが、ステッパーもサボらないで続けよう
2016.03.20
コメント(8)
夫は、元々、低血圧気味だった。その傾向は、病気になってからも変わらない。しかも、起立性低血圧にもなるので、急に起き上がるようなことは避けてきた。血圧を下げないためにも、ベッドの背上げは低い方がいいと思っていた。それでも、食事(栄養剤注入)の時は、逆流防止のため30°まで上げた。だけど、気道食道分離術をした後は、誤嚥のリスクがなくなったので22~26°くらいにした。そして、訪看さんのケア後やリハビリの後は、お昼寝することもあり、寝てしまうと血圧が下がるので、下がりすぎないようにと、ここ最近は、昼間でも16~18°くらいにしていた。結果、それがいけなかった2月19日(金)寝る前の血圧が、72/47になった。普段、寝る前の血圧は、110以上はあるのでビックリした。だから、いつもは寝るときも12°くらいの背上げをしているが、極力下げた。それでも、寝たこともあり、2月20日朝の血圧が80/54で、尿量が極端に減少していた。2月20日(土)は、訪問入浴の日で、血圧が上がらないと入浴できないかもしれないと、普段計らない時間帯も計ったりして気をもんでいたが、入浴前には100以上あり、入浴できた。おかげで、尿量も回復しつつあった。それでも、寝る前の血圧は、76/56になった。2月21日(日)朝の血圧は、77/60だったが、尿量は前日が少なかったからか、わりと出ていた。そして、日中でも血圧が低めだったこともあり、背上げをあまりしなかった。夕飯の栄養注入後、何となく顔色が白っぽいので血圧を測ったら、64/49すぐに、頭を下げたが、さすがにビックリして、往診医に電話した。すると「血圧を上げることは出来ないので、頭を低くして様子を見てください」とのこと。意識がはっきりしていたのと、酸素濃度(SpO2)は正常だったし、熱も微熱程度だったので、そういう判断だったようだ。夜寝る前には、96/68に回復したので、少し安心した。2月22日(月)の朝の血圧は、83/55で、いつもと同じくらい。お昼は、定期の往診だった。その日も、また血圧が低くなってはいけないと思い、ほとんど寝た状態で栄養注入した。そして、往診の時の血圧は、100を超えていた。そこで医師曰く、「なるべく背上げをした状態にしておいた方が、いいですよ」そして、「もちろん、血圧が下がれば頭を低くしなければなりませんが、 血圧が回復したら、また背上げをしてください。 低くしたままだと、躰がそれに慣れてしまって、 血圧を上げることをしなくなります」とのこと。何だって~~~私が、良かれと思ってしていたことは、逆効果だったということだもっと早く、教えてほしかったなぁ・・・。医師や看護師のような医療従事者は当たり前のことかもしれないが、私のような素人には、普段の生活のこととか問診をして、的確なアドバイスをしてもらいたいものだ。そうじゃないと、今回のことのように、思わぬ悪影響を及ぼすことがあるのだから。それから、訪看さんのアドバイスもあり、栄養注入の時に塩を1gずつ入れることにした。いつも、血液検査ではナトリウム不足ではないが、正常値をちょっと超えたくらいなので、1日に3gプラスしても問題ないだろうということで。そうしたら、朝でも100前後で、80台に下がることがなくなったやっぱり、塩は必須ちなみに、我が家の血圧計病院の待合室にあるような腕に巻かなくて、腕をズボッと差し込むタイプ。これなら、私が計るときも簡単に計れると思い、これにした。看護師さんが計ってくれた血圧と誤差がなく、性能もいいようだが、拘縮が進んで、腕が伸ばしにくくなった夫の腕を伸ばすのが、大変になりつつある。だけど、リハビリも兼ねて、これからもずっと、この血圧計を長く使い続けたいものだ
2016.02.26
コメント(10)
夫は、2009年11月17日、初めての救急搬送から、気管切開し、重症肺炎の克服、気切手術後からつけていた人工呼吸器の離脱に成功し、約4ヶ月半の入院生活を経て、2010年4月6日退院したその時にレンタルしたのは、電動ベッドとエアマット。電動ベッドは、入院する前からレンタルしていた。3モーター製で、夫の身長(175cm)に合わせてロングサイズのよくあるタイプのものだと思うが、2014年11月末から、「楽匠」に替えた。背上げをすると、ベッドの足下側が下がり、椅子に座っているような状態にすることもできる。ベッドの足下側が低くなることによって、障害物が下がるので、足下に夫と向き合って設置しているテレビが見やすくなったエアマットは、当初「アドバン」を使っていたと思う。足下が冷えて、つま先が冷たくなるので、3年くらい前ナーシングラッグをレンタルした。レンタルは、2匹物しかなかった。かかと用は、レンタルはなくて買い取りだったので、購入した。それでも、足先が冷たくなるので冷え対策でエアマットを「オスカー」に替えた。それに伴って、ナーシングラッグは返却した。かかと当ては、買い取りということもあり、今も使用している。そして、「オスカー」には、自動体位変換機能もついている。それまで、自宅では体交をしたことがなく、最初、夫は嫌がっていたが、試しに使ってみたところ嫌ではなかったらしく、休息中・就寝中は、ほとんど使っている。そして、平行棒等の福祉用具がなくなって、リビングが夫の部屋に変身した現在の様子。夫の左側のカーペットのところで、訪問入浴シャンプー後のすすぎ中真ん中のスタッフさん後方にチラッと見えるドア(壁の左横)を開けると玄関で、戸外に止めた訪問車に積んである灯油ボイラーで沸かしたお湯が、ホースを使って給排水される。
2016.01.30
コメント(4)
夫は、2004年11月3日、この家に引っ越し、庭で転んでから外に出て散歩をしなくなった。運動量が減ったせいか、急速に歩行が不安定になってきた。家の中では杖なしで歩いていたが、だんだんふらつきがひどくなり、トイレに行くのにソファ等につかまりながら、移動するようになった。それでも、危なっかしいので、安全にリビングからトイレ、お風呂への移動をあれこれ考えた。我が家は、リビングと寝室の1LDK+ロフト。平屋の小屋のような家なので、空間を広げるためにリビングは吹き抜けにした。それがあだとなって、リビングにベストポジションバーを取り付けできないどうやったら、安全に移動できるのかネット検索後、この家を建てた建設会社、ケアマネさんを通じて福祉用具の会社等に相談した結果、リビングには、平行棒を2セット、レンタルした。足下の黒い部分は、留め具等で固定できない。歩く度に動くと危ないので、布製のガムテープを貼って固定した。そして、天井のあるトイレから洗面台まで、ベストポジションバーを数本、レンタルした。躰のふらつきで、安定して歩行できなくなる度に、本数を増やした確か、介護保険でのレンタル料1本500円だったと思うが、たかが500円、されど500円で、本数が増える度に、私は、頭の中でソロバンをはじいていたように思うだけど、安全に移動するためには必要だったから、仕方ない。2009年初秋頃は、手でバーを握って歩くだけでなく、バーに躰を預けて背中で支えながら、次のバーを握る、というようなことをして移動していた。それから、洗面台の前には、この椅子をレンタル。背もたれ、座面、肘掛けの各部を調節でき、ブレーキレバーの操作で後輪をロックできる。座面の高さ調節は、電動で行える。椅子の下に小さなバッテリーがあり、夜の間に充電していた。高い位置で座り、洗面台まで下げ、洗面・歯磨き等が終われば、また高い位置に上げて立ち上がる。また、これも90°ごとに向きを変えて止めることができた。リビングのテーブルの前に座った状態から、立ち上がりの手助けに役立ったのは、この電動昇降椅子。「独立宣言ツイスト」左右に70°の角度で回転し固定できたので、テレビの方に向けて設置し、左に動かしてテーブルに向かい、また、右に向かせてから電動で座面を高くして立ち上がり、平行棒の内側に移動して、トイレ等に行った。実際に使用していた頃の我が家。何だか懐かしい。リビングからトイレへ平行棒が金属で、冷たいのと手が滑るので、テーピング用のテープを巻いた。そして、遠近感を得るために、当時の訪看さんのアイデアで、赤いビニールテープを巻いて目印にした。トイレと洗面所トイレの横の手すりは、高い位置に設置し、鉄棒の懸垂をするような感じで立ち上がっていた。高い位置の方が、安定するらしい。トイレットペーパーは、ホルダーの中にあると取りづらいとのことで、ネットで検索してもいいのがなく、私が針金ハンガーを曲げて作った。この針金ハンガーホルダーは、今でも、摘便の時に使用するペーパーを、適当な長さに切ってセットするのに活躍している洗面台の前にいるのが、夫。お風呂は、夫の左手方向にある。トイレからリビングへリビングの奥が、寝室。テレビが、まだブラウン管の頃だ。今は、テーブルのある位置に電動ベッドがある。
2016.01.26
コメント(10)
夫の病気進行に伴い、一番最初に買った福祉用具は、杖。お酒に酔ってふらふら歩く人のような歩き方になり、傾き始めた躰を修復するためにも必要だった。初めて介護保険を使って、1割負担で購入した。全く同じ杖ではないが、こんなような杖。長さ調節が出来る。杖を使うようになった頃は、有給休暇を使って仕事を休むようになった頃と時を同じくする。右手に杖を、左手にゆばのリードを持って、以前住んでいた家の周りを散歩していた。その後、1年あまりしてこの家に引っ越し、同じようにゆばと散歩をしていたとき、庭で転んだらしい私は仕事に出ていて、夫の両親が見守っていてくれたが、砂利で足を取られ転んだとのこと。擦り傷がよっぽど痛かったのか、外を歩くのが怖くなったのか・・・それから二度と、ゆばの散歩はしなくなったそして、通院以外で、外に出ることはなくなった。二番目に買った福祉用具は、シャワーチェア。これも、介護保険を使って1割負担での購入。この家を建てるとき、お風呂での介助がしやすいようにと、1.25坪の広めのお風呂にした。だけど、既存の手すり2ヶ所ではお風呂に入ることが出来ず、新たに2ヶ所追加してもらった。結果、四方に、それぞれ1本ずつ、横向き3本、縦向き1本の長さの違う手すりがある。そして、そのお風呂で、このシャワーチェアは、大いに活躍した。座ったままレバーを下げると、座面が90°ごとに回転しロック出来るので、浴槽に向けて、洗面台に向けて、立ち上がるとき手すりの方に向けて等、その都度、向きたい方に向いてカチッと止めることが出来る。だから、とても重宝し、2009年11月17日、救急搬送されるまでの5年間、使用したこの他にも、家の中を移動するために使用した福祉用具を、順次紹介したいと思っている
2016.01.23
コメント(6)
先月のケアマネさん訪問時に、防災対策について話し合った。市に「災害が起きたときどうするか?」申請しておく必要があるとのこと。避難する場合、ご近所の人に手伝ってもらうのなら、市に依頼・登録しておくらしい。だけど、避難するにしても、避難場所には行けないし、たとえ行けたとしても、健常な人と一緒にいることは不可能。病院は、夫より、もっと重篤な人が優先されるだろうから、避難するところがないということで、家が潰れて住めないような状況でなければ、家にいることにした。だけど、電気・水道が止まってしまったら、生活できないので、水や食料等の物資を、避難場所から運んできていただくようにお願いすることにした。約5年前の東日本大震災の時、我が家は6~7時間停電した。いつ通電されるかわからないので、とても不安だった。停電だと、吸引器・酸素の機械・エアマット等、動かない。酸素は、酸素ボンベに切り替えたけど、限りがあるので気が気ではなかった。幸い、義弟が仕事で使う発電機を貸してくれた。それで事なきを得て、助かった我が家はオール電化なので、停電するとお湯一つ沸かすことができないそれで、震災後は、ポットを買った。朝2リットルのお湯を沸かしておけば、夕食後に珈琲を飲むまで熱いままだ。翌朝には、痰吸引に使う白湯になる。カセットコンロも買ったこれで、停電してもお湯が沸かせる。震災の時は、お茶もコーヒーも飲むことができなくて、ケトルを持って斜め向かいの義両親家に行き、沸かさせてもらった飲み水は、常に2リットルのペットボトル7~8本保存している。トイレ用の水は、お風呂の残り湯を使う。だから、次にお風呂に入るまで抜かない。その残り湯は、冬場の乾燥時、エコな加湿器にもなる発電機を貸してもらえることで、小さな電力はまかなえたので、震災後の計画停電の時は、事前にわかっていたから準備をして、待機することができた。だけど、大きな電力を必要とするものは、発電機では動かせない。冬は電気による暖房がなくても、石油ストーブ等で何とかなるが、夏は、エアコンが使えないとどうしようもない夏に災害が起こらないという保証はないので、どうしたものか思案し、蓄電池の購入も検討したが、使える時間が短いのと、機種によってはエアコンを動かせない。これといった対策がないまま、時間が経っていた。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」頃の2013年10月、10年半乗った車が故障した通院することもなくなり、車がなくても何とかなる。だから、廃車にすることも考えたが、蓄電池を兼ねることができるというLEAFにすることにした。国から補助金が出るし、停電しても車から電気がもらえるなんて、こんないいことはないと思ってのことだった。だけど、普通のコンセントではダメで「LEAF to Home」のための機械も必要だったその機械にも補助金が出たが、思わぬ出費になった電力の契約種別は「電化上手」なので、電気代の安い深夜電力でLEAFを充電し、昼間の電気代の高い時間帯は、LEAFから家に給電している。つまり、電気代が高い時間帯も、深夜電力の時間帯の電力で賄っていることになるので、電気代が少し安くなったそうやって使ってしまった頃に、停電になっては元も子もないし、車に乗る事態になったとき動かないと困るので、30%は残るような設定にしている。でも、台風襲来の前は、前もって家に給電するのを止めて、用心した。我が家は、川や海に面していないので、洪水や津波の心配は無い。台風や着雪による停電はある程度予想できるが、地震はいつ起きるかわからない。LEAFに電気が残っていたとしても、限りがある。LEAFにしたからって完全に安心はできないが、東日本大震災直後の停電のことを思うと安心感がある災害は、忘れた頃にやってくる。地震は、いつ起きるかわからない。願わくば、東京オリンピック・パラリンピックの後にしてもらいたい。そして、夫が生きている間は、家が潰れるような大きな地震は起きないようにと切に願う。LEAF to Home
2016.01.09
コメント(4)
2015年が、終わろうとしている。昨日は、今年最後の往診日。医師曰く「今年は、色々ありましたね」あり過ぎだ3回も救急車に乗ったでも、悪いことばかりじゃなかった。良いこともあった2月に誤嚥性肺炎で入院した時のことだ。家ではジェネリック医薬品の下剤を使っていたが、病院では先発薬の下剤を処方され、ジェネリック医薬品の下剤では効果が薄いことがわかった先発薬の下剤は硬くて、薬局の粉砕機が壊れたということで、ジェネリック医薬品の顆粒タイプの下剤に変更された。変更当初は、そんなに変化が無く「同じ成分」と説明されていたので、気にしていなかった。だが、徐々に徐々に便が下りてこなくなり下剤を増やす処置をしていた。腸の動きが悪いのは、病気が進行したのだと思っていた。だけどそれは、薬の効果が薄かったのだ。家でも先発薬の下剤にしてもらったら、溜まっていた物が出た。ちなみに、先発薬は「ブルゼニド錠」で、ジェネリック医薬品は「センノサイド顆粒」である。ジェネリック医薬品でも、先発薬と同じように効果が現れる人がいるが、夫には合わなかったようだ。5月、大学付属病院で声紋閉鎖術と膀胱結石粉砕術を受けたこと。これで、誤嚥性肺炎の心配は無くなったそのおかげで、11月に高熱が出た時、抗生剤の副反応で気管狭窄が起こったが、昨年10月に同じような症状になった時と違って、徹夜で吸引をするようなことには、ならなかった今月になって、「セレキノン錠」という薬の服用を止めたこと。途端に、腸の動きが良くなったいつもは、下剤を2錠入れる。そして、訪看さんが来られる前日に3錠に増やす。同じように増やすと緩くなりすぎるので、3日に1回増やすようにした。この調子でいくと、4日に1回でもいいかもしれない。そして、浣腸をもっと上手く使ってくれたら、増量しなくてもいいかも?・・・とも思う。10月下旬頃から、躰のこわばりが少しひどくなって、11月の往診で筋弛緩剤の使用を検討してくれることになった。ご自分一人では判断がつかなかったのか、往診医の大学の友人である医師に相談したようだ。そして、11月26日、臨時の往診時に「筋弛緩剤は、使わない方がいいそうです」と言われた。「もっと症状が進んで、おむつ交換ができないほどになったら、使わざるを得ないですが、 そうでなければ、使わないそうです」とのこと。「副作用の方が心配」らしい。それとは逆に、今まで飲んでいた数種類の薬の中の「セレキノン錠」を止めることになった。それも、その相談した医師のアドバイスらしい。それが、功を奏した良い医師が友人にいて、良かった確かに、薬を止める説明をされた時「物理的には、便が緩くなると思います」と言われた。私は『これ以上緩くなったら、摘便がしにくくなるなぁ。でも、上手くいったら下剤が減らせるか?』なんて、頭の中で考えていた。下剤は、使わないことに越したことはない。前回の往診の時、止めた薬について「その後、どうですか?」と聞かれなかったので、昨日は、こちらから話した。すると、医師曰く「あの薬は、腸の動きを抑制する働きもあったかもしれませんね」『なんだってぇ』ということは、その薬と下剤が、お腹の中で戦っていたことになる。何ということだだけど、「腸の動きが悪いから」と思って、食物繊維の多いと思われる野菜ジュースや、乳製品選び等、試行錯誤しながらやってきた時間は戻らない。結果オーライ、ということかそして、もう一つ良いことがあった。摘便が上手くいっているからか、排尿も上手くいっているあんなに日によって増減していたのに、今ではほぼ一定。便が緩い時に尿量が減るが、それは便にとられるからだと思う。だから、尿道留置カテーテル(バルーン)交換も、週1から約10日に1回に減らした。そして、膀胱洗浄も、行っていない。というように、いろんなことがあった2015年であった。本当に「人間万事塞翁が馬」のようである。来年は、どんな年になるだろう?いずれにしても、今まで学習したことを無駄にしないで、これからの療養生活に活かしていきたい
2015.12.29
コメント(2)
11月25日、PEG交換の次の日、夫は、また救急車に乗った。今年3回目。人生、5回目だ。それから10日経ったが、未だに低迷中であるPEG交換した日「問題なく終了しています」と医師から報告され、「栄養剤を入れるのは、夕飯からにしてください」と言われた今まで、そんなことを言われたことがなかったので、「朝食も抜いているのに、昼食もダメですか?」とお尋ねしたら、「白湯はいいですけど、栄養剤を入れるのは、私はお勧めできません!」と、きっぱり。そこまで言われたら、その指示に従うしかなく、お昼も栄養剤は入れずに水分だけ入れた。そして、夜は、時間をかけて一日分の栄養剤を入れた。そういう不規則な栄養剤&水分注入だったためか、尿は少なめだった。それでも、1,000ml溜まるのに2時間遅れだったが出ていたし、寝る前の体温も、血圧も、いつもと変わらなかった。ところが、翌日起きて、尿量を見てビックリした『なんで、こんなに少ないの~?』と思いつつ体温を測ったら、もっとビックリ体温 39.3℃ 血圧 59/41 SpO2 97% 脈拍 125とりあえず、氷枕!脇と股に、保冷剤!そして、水分補給!栄養剤を入れるにも、頭を上げると血圧が下がるので、ぎりぎり20°くらいにして、入れ終わったら、また少し下げて・・・ということをした。そして、看護師さんの訪問時間を午後一から朝一に調整してもらって、来てもらった。だけど、いつもと同じケアメニューで、最後に再度バイタルサインの計測をして、往診医に報告。往診医は、外来診察中は往診できないし、お昼休みも予定があって、往診できるのは夕方になるとのこと。往診医は「PEG交換の翌日ですし、血圧が低いのが気になります。病院へ行かれますか?」で、往診医が病院へ連絡してくれて、救急車で病院へ。病院では、ありとあらゆる検査をした。PEGの挿入確認もあって、CTまで撮った。そして、出た診察結果が「尿路感染」の疑い前日、PEG交換をした消化器内科の医師が、当日は、救急外来担当だった。「抗生剤の点滴を始めています。胃ろうから入れる抗生剤と解熱剤を出しますね~。 尿をきれいにするためにも、胃ろうから水分をどんどん入れてあげてください。 熱が下がると、楽になると思いますよ~。 点滴1時間くらいかかりますが、終わったらお帰りいただいてもいいですよぉ」とおっしゃった。「お帰りいただいてもいいですよ、と言われても、帰れないんですけど」と私。「何でですか?介護タクシー呼べばいいじゃないですか」と医師。「介護タクシー呼んでも、車椅子が無かったら帰れないんです」「・・・じゃあ、どうするんですか?」すったもんだの末、ケアマネから業者さんに頼んでもらって、病院に直接、車椅子を持ってきていただき、事なきを得たその日から、言われたとおりにしていたけど、目に見えて良くならないそれどころか、気管狭窄音までしてきて、呼吸苦発生。それで、以前処方された「ホクナリンテープ」を貼った。11月26日(木)夕方、往診医が来てくださった。11月30日(月)定期の往診日。この日の昼で、病院で処方された抗生剤は終わる。でも、微熱のまま、いっこうに熱が下がらないし、血圧が低いので尿が、作られない。尿が出ないから、微熱が続いているのかもしれない。往診時に、抗生剤を処方してほしかったが、血液検査の結果を見てからと言われ、検査結果は、次の日の朝に出るので、それまで、抗生剤なしになった。そうすると、案の定、翌日の朝には熱がぶり返した血液検査の結果は、「CRP4点台から1点台に下がっていますが、まだ抗生剤は継続した方がいいので、同じ薬を処方します」とのことだったが、薬が届けられるのは夕方。熱が出ているのに、待っていられなくて、往復40分かかる薬局に取りに行くことにした。薬局に行って、ビックリしたのは、薬が倍の量になっていたこと。同じ用量の薬がなくて、倍の量になったとのこと。CRPが下がったのに、なぜ量が増えるのか?大丈夫なのか?不安だったが、薬剤師は、「先生と相談して、用量は許容の範囲ですから問題ないです」と言った。だったら、CRPは下がっているし、薬が倍なら、目に見えて良くなるのかと思った。ところが、ちっとも変わらない効かない薬を続けていても仕方がないと思い、往診医に薬の変更をしてもらおうと連絡すると、「様子見るしかないですね」を繰り返す。血圧が上がってこないのは「自律神経系のご病気ですのでね。ご病気が進行したということで・・・」「じゃあ、このまま良くならないのですか?」「それは、ご本人次第です。抗生剤を飲みきって、その後どうなるか診て、考えましょう」・・・薬は、日曜日の朝の分で終わる。その後は、夫の自然治癒力に任せるしかないのだろうか・・・まだまだ、もやもやした日々が続きそうだ
2015.12.04
コメント(14)
2011年5月、夫は、胃ろう造設をした。完全に食べられなくなったからではないが、「やわらか介護食」を完食するのに2時間もかかるようになり、往診医が説得してくださって・・・というよりは、半ば強制的に造設することになったそれから、だいたい半年おきにPEG交換している。造設した病院は、通院で診てもらっていた急性期医療の病院。そういう病院なのに、当時の主治医のご厚意で、レスパイトを兼ねて1週間~10日くらい入院して交換してくださった。だけど、その度に、必ず高熱が出た体調が悪くて入院したのならまだしも、そうではないのに度々高熱に見舞われ、その都度、飲食禁止&抗生剤の点滴。そして、なぜ高熱が出たか?原因がわからないままだった。原因がわからないから、入院の度に熱が出たのかもしれない。在宅では、高熱が出たことがなかったので、納得いかなかった。それで、往診医に頼んで違う病院でPEG交換をすることにした。2014年3月、同じように1週間くらい入院して交換した。だけど、高熱とまではいえないが、やはり熱が出た。それでも、以前の病院よりはマシだったので、次もお願いするつもりでいた。ところが、その病院から消化器内科の医師が撤退してしまった外来では、週に何回か来られるとのことだったが、常勤ではなかったので、入院してのPEG交換は断られてしまった仕方がないので、「以前の病院に戻りますか?」と往診医に言われ、それも嫌だったので、以前の病院に入院はしないで外来でのPEG交換を選択した。この時点で、レスパイトは完全に諦めた。往診医から、病院の地域医療連携室に連絡してもらって、予約し、交換した。前回のPEG交換は、5月に大学付属病院に手術のため入院した時に、ついでにしてもらった。それから約半年が経ち、往診医に予約をしてくださるようにお願いしていた。ところが、今年度からか10月からなのか、わからないが、事前に代理受診をして、消化器内科の医師からPEG交換の説明を受け、同意書にサインをし、そこで予約をするようにとのこと。もう、びっくりポンである往診医は、「いつ行っていただいてもかまいません」と簡単に言われたが、簡単ではない11月初旬、その頃は、ゆばの病院通いで午前中の予定が立てられなかった。11月17日(火)は、動物病院の休診日。午後からのリハビリは、ステーションの都合で30分遅れになるとのことで、最悪、お昼の栄養が少々遅れても大丈夫だったから、この日に代理受診に行くことにした。休診でも点滴はしてもらえて、休診日なので会計はできないから、すぐに帰れる。つまり、待ち時間がない朝一で、点滴に行き、帰宅し、夫の吸引をしてから病院へ行った。予約ができなかったので、すごく待たされた。事情を言って早くしてもらえるようにお願いしたが、結局、帰宅できたのは2時間半後。大変な半日だった11月24日11時20分、PEG交換予約。この時までゆばがいたら、一人にしておけなかったので、叔父に来てもらうように頼んでいた。でも、その前に、逝ってしまった10時40分、介護タクシーで病院へ。予約時間より20分待たされたが、交換時間も20分。その20分のために代理受診が必要だったかと思うと、腹立たしい。同意書へのサインは、交換直前でも良いと思うのだが・・・。とりあえず、無事終了家を出てから帰るまで、2時間の行程であった。
2015.11.27
コメント(8)
最近の夫は、躰のこわばりが強い今までは、朝の栄養剤を入れた後、お薬を入れる頃になって、こわばりが強くなった。だから、空っぽだった胃に栄養剤が入って、その刺激でなるのかと思っていた。だが、最近は違う。そういうことに関係なく、突然起きる吸引する時も、起きる時と起きない時がある。今朝は、特にひどかった。躰のこわばりで目が覚めたようで、躰全体が緊張していた。それは、栄養剤を入れる頃まで続いて、胃ろうのところに手があり、手を伸ばすのに苦労したほどだ肘が曲がってしまわないように、躰と腕の間にバスタオルを筒状にした物を、肘の内側に挟んでいるにもかかわらずである。一日中、そういう状態ではなく、穏やかな時の方が多いでも、ちょっと触っただけで、こわばってしまうこともあるので、対応に苦慮する。そうなってしまうと、触るとますますなるので、放っておくしかない。鬼の形相で苦しそうにしている夫を、見るのが辛くなる摘便の時も、緊張してお腹が硬くなっていると、お腹を押すことができず、お腹を押せないと便が下りないので、適切な摘便ができない。看護師さん達と時間をかけながら、悪戦苦闘する。ちょうど今日は、往診日医師に相談すると、よく診てくださり「これは大変ですね」とおっしゃり、「緊張をほぐす薬を使うことを検討しましょう」とのこと。副作用もあるので慎重に・・・という感じだった。そして、どの薬剤がいいか、検討してくださるのだと思う。お薬が増えるばかりだけど、お薬で楽になるのだったらしめたものだそして、今日は、インフルエンザ予防ワクチンの接種をした毎年、夫は先生に、私は看護師さんに打ってもらっていた。だけど、カニューレ交換がなくなってから看護師さんは同行しないので、今年は、私も先生が打ってくださった。ワクチンが4価になったからか、注射針が良くなったのか、先生の腕がいいのかちっとも痛くなかったそして、毎年、腫れて痒くなるのに、今年は、少し赤くなったくらいで、お風呂に入って血流が良くなっても、痒くならずにすんでいる昨年より費用は高くなったけど、これでインフルエンザに罹患しなければ安い物だと思う
2015.11.09
コメント(2)
2004年11月3日、この家に引っ越した。今日は、満11年の記念日。あの日と同じ、晴天2003年7月、大学付属病院で病気の診断を受けて、困ったのは家のこと。当時住んでいた家は賃貸で、しかも、「テラスハウス」という縦割り方式。つまり、1階も2階も我が家だが、1階も2階も壁の向こうがお隣という、2階建ての二つの家がくっついている二戸で1棟の建物。階段には手すりはなかったし、狭かった。部屋は、バリアフリーではなく、段差だらけだった。当然、住宅改修なんてできるわけもなく、仕事ができなくなったら、家賃も大きな負担になり、悩みの種だったそこで、義父に頼んで、夫の実家の敷地内に家を建てさせてもらえるよう、お願いすることにした。幸いなことに、自営だったなごりで、使っていない古い家があり、そこを更地にして、小さな家を建てることは可能だった。ただ、すでに義兄一家が、両親とは別棟で同じ敷地内に住んでおり、義兄や義兄嫁の理解が得られるか、心配ではあった。他に、マンション等を買うという選択肢もあったが、資金がなかった仕事ができなくなるのは目に見えていたので、ローンを組むことができない。退職金と預貯金で賄うことができる物件は、無いに等しかったその旨、夫のみで話しに行き、了解を得た。それから、建設会社の選択、予算にあった間取り等、紆余曲折を経て、2004年11月3日、新居に引っ越しすることができた長い長い、1年あまりだった。夫は、2003年9月から、休職した。電車と徒歩で約30分の通勤も負担だったようだが、電話応対で、何度も聞き返されるのも苦痛だったようだ。建設会社での打ち合わせには、杖をついて出かけた。長時間ソファに座っているのも大変で、帰宅するとかなり疲れていた。2004年初夏の地鎮祭や上棟式は、義父が代わってくれた。そして、一番大変だったのは、引っ越し準備と新居での荷ほどき。結婚前、夫も私も独り暮らしをしていた。台所用品、テレビや洗濯機の電気製品等、何でも二つずつあったが、だいたい古い方を処分した。それでも、元々捨てることが苦手な私たちは、結婚生活8年半の間に、物は増えていくばかりだった。仕事と家事の合間にする引っ越し準備は、想像を絶する大変さだった。私の物だけの取捨選択は何とかなったが、夫の物は、どれが要らなくて、どれが要る物かすでに2階に上がれなくなっていたので、いちいち聞いては、上がったり下りたり・・・一人での荷造りは、時間的にも物理的にも大変で、引っ越し業者に、荷造りも依頼した。それでも、処分する物は、引っ越しまでに処分しなくてはならなかったので、苦労した。一緒に働いていた同僚が、見かねて、処分品を市の環境事業センターへ搬入してくれたりした。とても一人ではできなかったので、感謝してもしきれないそして、荷ほどきは依頼しなかったので、11年前の今日は、段ボールの山の中で寝た。毎日毎日、段ボールと格闘した思い出がよみがえる結婚して約8年9ヶ月暮らした家での最後の夜は、私一人で過ごした。夫は、前日から実家に泊めてもらい、ゆばは、動物病院のペットホテルに預けた。前日から、引っ越し業者さんが来て荷造りするのに、居場所がなかったからだ。荷物が全てなくなり、がらんとした家を見た時は、なんともいえない気持ちになった。でも、感慨にふけっている時間はなく、現実は厳しい仕事は、1週間休みをもらったが、1週間で住めるようにしなくてはならず、義母や義兄嫁も少しは手伝ってくれたが、ほぼ一人で悪戦苦闘した。でも、過ぎてしまえば、大変だったことも思い出に変わるこの家に引っ越してからも、大変なことはたくさんあった。それも、全て思い出だし、不思議なことに、大変だったことはあまり覚えていない。これから先も、もっと大変なことが待っているかもしれないが、いつかは思い出になると思って、過ごしていこうと思う
2015.11.03
コメント(8)
2002年9月、うつ病が、仕事してもいいくらい快復して職場復帰した。たぶん、時期を同じくして、テニスクラブにも復帰したんだと思う。夫は、学校の部活は、テニス部ではなく、大人になってからテニスを始めたらしい。最初は、誰も打ってくれない(相手をしてくれない)から、スクールや壁打ちに行ったらしいが、徐々に腕を上げて、結婚した頃は、会員制のテニスクラブに入って、週末はテニスをしていた。私は、テニスのことは全くの素人で、漫画の「エースをねらえ!」を読んだくらいだ。だから、テニスラケットを見たこともなければ、触ったこともなかった。それなのに、結婚後「テニスやったら?テニスいいよ。歳取ってからもできるよ」と言われ続け、始めることになった始めたからって、当然、急に打てるわけではない。それでも、週1のスクールと時々壁打ちに通って、何とか打てるようになった頃、近所に、市営のテニスコートができた二人で出かけ、私には打ちやすいところにボールを打ってもらい、私は、コートのどこに打ち返してもいいというルールで、テニスをしていた。それでも、ヘタな私は、夫から1ポイントも取ることができなかったそんなヘタな私が、ある日、夫からポイントを取った夫にしてみたら、かなりショックだったみたいだそして、テニスクラブでも、「今まで負けたことのない人に負けた」とか、「取れていたボールが取れない・・・テニスが下手になった」と言い始めた。そして、「めまいがする」とか「躰がふらつく」とも言った。「長く、お休みしてたからじゃない?」なんて、受け流し、その頃、知られるようになった「男の更年期かもよ」なんて言ったが、夫は、そうは思ってなかった。そして、10月下旬、職場の人から聞いた「脳ドック」がしてもらえる病院へ行った。めまいや立ちくらみ、ふらつきのような症状を訴え、診察してもらった。MRIを撮ってもらったそうだが、どこにも異常はなかった。「だったら、やっぱり、気のせいよ」で、済ましていた。私から見たら、どこがおかしいの?というレベルで、全くわからなかったが、夫は、なんか変だ!という感覚が強くなり、2003年2月、藁にもすがる思いで鍼灸接骨院へ行った。行ってはみたが、別段代わり映えしなかったかったようで、二度しか行かなかった。そして、5月の連休明けに、再度、病院でMRIを撮ってもらった。医師は「悪いところはないです。脳梗塞の跡もないし、きれいな脳ですよ」と。しかし、夫は納得がいかず「運動を司っているのは小脳だから、小脳はどうですか?」と質問すると、「ん?小脳・・・少し、萎縮しているかな?」と言われ、その医師は、大脳ばかり診ていたので、「小脳専門の医師が、木曜日に大学付属病院から来ているから、その先生に診てもらいましょう」ということになり、木曜日に再度受診した。大学付属病院から来られた神経内科の医師は、MRIを診て「入院して、詳しく検査をしましょう」と提案され、6月半ばから3週間、大学付属病院に検査入院した。当初の予定では、2週間だったが3週間になって、少し、不安がよぎったそして、2003年7月5日、言い渡された病名は「脊髄小脳変性症」。当時の病気分類で、その病名だった。私は、病名に「脊髄」っていうのが入っていたので、脊髄に損傷があって、将来、歩けなくなるのかな?程度にしか考えてなくて、治療法がなく、将来、寝たきりになる・・・ということを知って、ショックというより、想像ができなくて、「何とかなるさ」と楽観的だったように思う。なんという無知その後、当時、私と一緒に働いていた人の助言もあり、セカンドオピニオンを受けることになった。大学付属病院で撮ったMRIを持って、県外の病院を義父と共に受診した。だが、結果は同じそして、その医師曰く、「同じ病気の患者さんが10人いたら、2人は進行が早く、2人は進行が遅い。 残りの6人は普通。・・・遅い方だと思いますよ」本当に本当?ちょっと信じがたい気もしたが、信じたい気持ちもあった。だけど、遅く進行しても、進行するんでしょ?口には出さなかったが、そういう思いが私の中で交錯していた。夫はもっと深刻(当然といえば当然)で、その頃には、うつ病は治っていたはずなのに、「死ぬしかない!俺がいなくても、ゆばがいるから大丈夫だろう。ゆばと一緒に生きてくれ」と、今振り返ると、笑い話のようなことを言った。私は「別に、死ななくてもいいんじゃない?」と言ったような記憶がある2003年の春頃のことを振り返ると、やっぱり、変だったと思うことがある。ひとつは、私より車の運転は上手な夫が、車をぶつけた。しかも、かなり激しく左折する時に、縁石に気がつかなかったからと、ドア1枚交換しなければならないほど凹ませたいつもなら、ぶつける前に止まるか、ぶつけても少しで済んだところを、ほんの一瞬、ブレーキが遅れたのだと思うそして、車を修理して、しばらくしてから、「座面が低いから乗り降りが大変だ」と言ったセダンに乗っていたが、そんなに低すぎるほどではなかった。しかも、その車には、何年も乗っていた。たぶん、足の踏ん張る力が落ちてきていたのだと思うもう一つは、車のことに文句を言われ、私も通勤に使うようになっていたから、「もう少し、小さい車の方がいいかな?」との思いもあったので、車を買い換えることにした。休みの度に、新車のお店、中古車のお店を見て回り、試乗させてもらったりしていた。夫が試乗した時、初めての車だけど「何か、ヘタだな」と感じた。それから、普通なら、ワクワクして楽しげに出かけると思うが、出かけても早く帰りたがった。たぶん、ただ出かけるだけでも疲れるのに、初めての人に会ったり、乗り慣れない車に乗ったりで、かなり疲れていたのだと思う夫は「病気を見つけたのは、俺だ!」と豪語する。二度目のMRIでも、医師は、大脳ばかり診て小脳を見過ごしていたからだ。そして、診断が早かったからか、夫の努力の賜か、たまたまなのか・・・、有り難いことに、診断後6年4ヶ月もの間、何かにつかまりながらも、家の中では、かろうじて歩けていたあのセカンドオピニオンで出会った医師の言葉は、あながち気休めではなかったのかな?と思わせてくれる。それを証明するためにも、病気と共生しなければと思う20年前の今日、私たちは出会った。元気に過ごしていた年数よりも、病気になってからの方が、はるかに長くなった。「こんな生活、いつまで続くんだ・・・」と思ったこともあるが、「こんな生活」を当たり前に思えるようになった。私も、ちょっぴりだけど、成長したのだと思う
2015.10.08
コメント(10)
2002年10月、夫は「めまいがする」とか「躰がふらつく」と言い出した。やっと職場復帰して、ホッとしたのもつかの間だった。この年の3月、職場で仕事中に体調不良を訴え、職場で健康診断を受けている病院へ行ったらしい。職場の「かかりつけ病院」といったところだろうか。元々、胃腸はそんなに丈夫じゃなかったが、胃痛があったり、下痢をしたりして、仕事ができないくらい不調だったとのこと。そして、私の職場に電話をかけてきて「迎えに来て」と言った。まだ仕事が終わっていなかった私は、『子供じゃあるまいし・・・』と思ったが、そんなことを言うこと自体、おかしかったので、早退して迎えに行った。検査の結果は、胃腸に悪いところはみられなかった。診断は「仮面うつ病」。当時、夫は、新しい仕事を任されていた。誰もやったことのない仕事なので、誰かにアドバイスをしてもらったり、相談したりということができず、自分で資料を読み込み、本屋さんに行って、仕事関係の本を買い、帰宅しても勉強していた。その心的負担から、うつ病を発症していたのだろうか?それでも、しばらくは、出勤していた。専門の病院へ行き、薬も飲んでいたが、あまり効果がなく、徐々に症状が悪化した。そして、仕事をする意欲もなくなり、しばらく休むことになった。なかなか薬が効かなくて、眠れるけど、食欲はなくなった。私の言うことを聞かないで、大好きなコーラは止められない。食べる量を減らさない。結果、体重は増えるばかり「体重が90kgになったら、離婚する!」と言ったら、かろうじて89kgで止まったくらいそれほど食べることが大好きだったのに、1日に食パン1枚くらいを食べるのが、やっとになった。遠くの病院へ通うことも苦痛になり、病院を変えた。だが、それが功を奏したその医師は、夫の話を聞いてくれ、効かない薬を違う系統の薬に変えてくれた。その薬が効いて、夫はみるみる快復した。夫が仕事を休んでも、私は休むわけにはいかず、私が居ない間に行方不明になっていたり、自殺したりしていたらどうしよう・・・という不安から解放された。そして、9月から職場復帰した。医師は「もう少し休んだ方がいい」とおっしゃったが、病気欠勤2ヶ月と有給を使い果たし、合わせて約4ヶ月休み、「もうこれ以上休めない。出勤しなければ・・・」という、夫の強い意志を尊重してくださり、「決して無理をしないように。残業しないで、定時で退社すること」が条件で、出勤することを許可してくださった。出勤する前にまずしたことは、スーツの購入。随分痩せたものだから、全てのスーツが着られないくらいぶかぶかしたくてもできなかったダイエットに成功したが、痩せすぎでも困る嬉しい悲鳴だったうつ病の薬は、急に止めるとぶり返す恐れがある。徐々に量を減らしながら、2003年4月まで飲んだが、うつ病は克服した。だが、新たな病気との闘いがすでに始まっていた多系統萎縮症の前兆でうつ病になったのか、うつ病の薬害で多系統萎縮症になったのか夫は、後者だと思っているようだが、私は、前者だと思う。しかし、今となっては、調べる術がない。そして、調べたところで病気が治るわけではない。治療法が確立されていない今、何とか折り合いをつけながら、病気と共存していくしかないのだと思う。
2015.09.27
コメント(8)
全56件 (56件中 1-50件目)