みかんの花咲く丘

みかんの花咲く丘

2015.10.08
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カテゴリ: 多系統萎縮症
2002年9月、うつ病が、仕事してもいいくらい快復して職場復帰した。
たぶん、時期を同じくして、テニスクラブにも復帰したんだと思う。

夫は、学校の部活は、テニス部ではなく、大人になってからテニスを始めたらしい。
最初は、誰も打ってくれない(相手をしてくれない)から、スクールや壁打ちに行ったらしいが、
徐々に腕を上げて、結婚した頃は、会員制のテニスクラブに入って、週末はテニスをしていた。

私は、テニスのことは全くの素人で、漫画の「エースをねらえ!」を読んだくらいだ。
だから、テニスラケットを見たこともなければ、触ったこともなかった。
それなのに、結婚後「テニスやったら?テニスいいよ。歳取ってからもできるよ」と
言われ続け、始めることになった

始めたからって、当然、急に打てるわけではない。
それでも、週1のスクールと時々壁打ちに通って、何とか打てるようになった頃、
近所に、市営のテニスコートができた
二人で出かけ、私には打ちやすいところにボールを打ってもらい、
私は、コートのどこに打ち返してもいいというルールで、テニスをしていた。
それでも、ヘタな私は、夫から1ポイントも取ることができなかった

そんなヘタな私が、ある日、夫からポイントを取った
夫にしてみたら、かなりショックだったみたいだ
そして、テニスクラブでも、「今まで負けたことのない人に負けた」とか、
「取れていたボールが取れない・・・テニスが下手になった」と言い始めた。
そして、「めまいがする」とか「躰がふらつく」とも言った。

「長く、お休みしてたからじゃない?」なんて、受け流し、
その頃、知られるようになった「男の更年期かもよ」なんて言ったが、夫は、そうは思ってなかった。
そして、10月下旬、職場の人から聞いた「脳ドック」がしてもらえる病院へ行った。
めまいや立ちくらみ、ふらつきのような症状を訴え、診察してもらった。
MRIを撮ってもらったそうだが、どこにも異常はなかった。
「だったら、やっぱり、気のせいよ」で、済ましていた。

私から見たら、どこがおかしいの?というレベルで、全くわからなかったが、
夫は、なんか変だ!という感覚が強くなり、
2003年2月、藁にもすがる思いで鍼灸接骨院へ行った。
行ってはみたが、別段代わり映えしなかったかったようで、二度しか行かなかった。

そして、5月の連休明けに、再度、病院でMRIを撮ってもらった。
医師は「悪いところはないです。脳梗塞の跡もないし、きれいな脳ですよ」と。
しかし、夫は納得がいかず「運動を司っているのは小脳だから、小脳はどうですか?」と質問すると、
「ん?小脳・・・少し、萎縮しているかな?」と言われ、その医師は、大脳ばかり診ていたので、
「小脳専門の医師が、木曜日に大学付属病院から来ているから、その先生に診てもらいましょう」
ということになり、木曜日に再度受診した。

大学付属病院から来られた神経内科の医師は、
MRIを診て「入院して、詳しく検査をしましょう」と提案され、
6月半ばから3週間、大学付属病院に検査入院した。
当初の予定では、2週間だったが3週間になって、少し、不安がよぎった

そして、2003年7月5日、言い渡された病名は「脊髄小脳変性症」。
当時の病気分類で、その病名だった。
私は、病名に「脊髄」っていうのが入っていたので、脊髄に損傷があって、
将来、歩けなくなるのかな?程度にしか考えてなくて、
治療法がなく、将来、寝たきりになる・・・ということを知って、
ショックというより、想像ができなくて、「何とかなるさ」と楽観的だったように思う。
なんという無知しょんぼり

その後、当時、私と一緒に働いていた人の助言もあり、セカンドオピニオンを受けることになった。
大学付属病院で撮ったMRIを持って、県外の病院を義父と共に受診した。
だが、結果は同じ
そして、その医師曰く、
「同じ病気の患者さんが10人いたら、2人は進行が早く、2人は進行が遅い。
 残りの6人は普通。・・・遅い方だと思いますよ」
本当に本当?ちょっと信じがたい気もしたが、信じたい気持ちもあった。
だけど、遅く進行しても、進行するんでしょ?
口には出さなかったが、そういう思いが私の中で交錯していた。

夫はもっと深刻(当然といえば当然)で、その頃には、うつ病は治っていたはずなのに、
「死ぬしかない!俺がいなくても、ゆばがいるから大丈夫だろう。ゆばと一緒に生きてくれ」と、
今振り返ると、笑い話のようなことを言った。
私は「別に、死ななくてもいいんじゃない?」と言ったような記憶がある大笑い

2003年の春頃のことを振り返ると、やっぱり、変だったと思うことがある。

ひとつは、私より車の運転は上手な夫が、車をぶつけた。
しかも、かなり激しくびっくり
左折する時に、縁石に気がつかなかったからと、ドア1枚交換しなければならないほど凹ませた
いつもなら、ぶつける前に止まるか、ぶつけても少しで済んだところを、
ほんの一瞬、ブレーキが遅れたのだと思う

そして、車を修理して、しばらくしてから、「座面が低いから乗り降りが大変だ」と言った
セダンに乗っていたが、そんなに低すぎるほどではなかった。
しかも、その車には、何年も乗っていた。
たぶん、足の踏ん張る力が落ちてきていたのだと思う

もう一つは、車のことに文句を言われ、私も通勤に使うようになっていたから、
「もう少し、小さい車の方がいいかな?」との思いもあったので、車を買い換えることにした。
休みの度に、新車のお店、中古車のお店を見て回り、試乗させてもらったりしていた。
夫が試乗した時、初めての車だけど「何か、ヘタだな」と感じた。
それから、普通なら、ワクワクして楽しげに出かけると思うが、出かけても早く帰りたがった。
たぶん、ただ出かけるだけでも疲れるのに、
初めての人に会ったり、乗り慣れない車に乗ったりで、かなり疲れていたのだと思う

夫は「病気を見つけたのは、俺だ!」と豪語する。
二度目のMRIでも、医師は、大脳ばかり診て小脳を見過ごしていたからだ。
そして、診断が早かったからか、夫の努力の賜か、たまたまなのか・・・、
有り難いことに、診断後6年4ヶ月もの間、
何かにつかまりながらも、家の中では、かろうじて歩けていた

あのセカンドオピニオンで出会った医師の言葉は、
あながち気休めではなかったのかな?と思わせてくれる。
それを証明するためにも、病気と共生しなければと思うスマイル

20年前の今日、私たちは出会った。
元気に過ごしていた年数よりも、病気になってからの方が、はるかに長くなった。
「こんな生活、いつまで続くんだ・・・」と思ったこともあるが、
「こんな生活」を当たり前に思えるようになった。
私も、ちょっぴりだけど、成長したのだと思う大笑い





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最終更新日  2015.10.08 16:09:57
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