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ご無沙汰です!コロナで3年が飛ぶように過ぎましたが、その間、私の仕事も激減しました。収入は旦那が持ってくるので大丈夫でしたが毎日ヒマを持て余し、近所の公園で野良猫と触れ合っておりました。猫は飼ったことなかったですがコツが分かると猫とのやり取りもスムーズになり。そして、ある野良猫に一目ぼれしてしまい家族の反対も何とか収めて、我が家にお迎えしました。今まで苦労したねー、と蝶よ花よと大事にしているうちに他のまだ外に沢山いる野良猫のことも気になって地元の猫ボランティアグループに連絡を取りました。何か猫のためにできることはないですか?と。猫の保護や治療、里親探し、避妊去勢手術に関する活動など日々一生懸命手伝っていると一通りの知識が身に付きたいていのことは対処できるようになりました。とはいえ仕事や家の用事もあるので空き時間にしか活動はできません。猫のお世話はベテランさんが一生懸命されています。その中で私ができることを考えた時に、資金作りをやってみようと思いました。活動資金は主に御寄付なのですが、年間に250匹の野良猫の避妊去勢手術を行い年間の保護数も50匹以上に医療をかけ里親探しもしていると、御寄付だけでは足りないです。グループでは補助的に、ご支援者からの使わない不用品(贈答品など)の寄贈品をフリマで売って資金を補っていました。ただ、このフリマの値段のつけ方がもったいなくて。箱入りの食器はバラバラにして1個50円で売ってしまう。古いぬいぐるみは300円。しかし実は箱入りの食器は、たち吉だったり古いぬいぐるみはキャベツ畑人形だったり、よく見れば、高額商品も沢山あるのです。そこで私は!商売人の目線で、ガラクタの(に見える)山からお宝を掘り起こしフリマサイトで販売を開始。その結果。10円の中古皿 → 500円!300円のぬいぐるみ → 5500円!300円のワンピース → 3000円!我ながら素晴らしい目利きとネット販売の楽しさにはまり、現在は月に数万の換金化を達成。あれ?これ仕事にできるかなぁ・・・などと考えるくらい調子いいです。まあ仕事にはしませんが、ボランティアグループが自分たちで創意工夫して資金作りするのは活動継続のために大切なことです。最近は、そんな日常を送っています。ヒマそうでしょ^^;
2023/07/28
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月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。<松尾芭蕉 奥の細道より>2019年になりました。ご無沙汰しておりました。月日の経つのは早いものです。前回の日記が2016年の12月でした。間の2017~2018年の2年間は中国客に絡まれてたり、親が亡くなったりで、そこそこ忙しかったですね。とはいえ、もうかなりオバサンなので(笑)日に日に老けていきながら、疲れない程度に仕事や趣味をやっております。最近はすっかり人気(ひとけ)のなくなった感のあるブログ界・・・ツイッターやインスタやtiktok?など他に色々できましたからね。でもブログは文字数が多い分より深く伝えられるというかね。悪くないツールだと思うんですけれどもね。昨日の晩御飯はおでんだったんですよ。で、ちょっと食べ過ぎてなかなか寝つけず時間つぶしに自分のブログを読み返したり、リンクしている方々のブログを読み返したりしておりました。賑やかだったのは10年くらい前ですよね。皆さん、どうしているかな~と懐かしくなりました。それで今日、日記書いているのですが・・・皆様は今、お元気でらっしゃいますか?(何というご機嫌伺いでしょうか汗)さて本題。最近、仕事関係で多いのは通訳及び交渉ですかね・・・最初は通訳だけしていたんですが、クライアント(依頼者)の年齢が私と同じくらいか年下になってきて(汗)色々アドバイスしている内に「じゃあ交渉も任せます」みたいになってきました。ネゴシエーターですよ、これ(汗)責任重大だな~しかしまあ、あの~不思議とうまくいくんですよ、これが(驚)今のところは連戦連勝ですよね。自分でもちょっとすごいな~と感心しているんですけど。うまくいく秘訣。多分ね・・・他人事だからですよ(爆)(過度なプレッシャーなく冷静に交渉できるという意味で)
2019/01/10
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ここ数年話題の中国撤退の流れ。私の知り合いの会社もついに閉鎖を決断し、手続きを依頼してきました。私が間に入り、現地の閉鎖実務代行会社に依頼し手続きを進めました。資本金も少なく最近は売り上げも殆どなかったから、お金的な処理はややこしくないのですが、何せ時間がかかりました。流れとしては、閉鎖申請をすると新聞に公告を出して3か月経って何の異議も届出がなければ具体的に開始。手続きする役所は国税、地税、工商局、商務局、銀行・・・くらいか。勿論、財務資料は会計事務所が作成すると。(結構な手数料発生)役所に意味不明のイチャモンを数々つけられながら書類のやり直しを複数回。閉鎖実務担当者が途中で退職してしまい彼のサインが要所要所で必要なので頭を下げて署名協力してもらったり。(辞めたから知らん、となかなか来てくれない)重要書類は日本の法人代表のサインがいるので都度、私が「この書類はこんな内容で、ここにサインをお願いします・・・」とword原稿を送りサインしてもらって原本を国際宅配で現地へ送る。・・・を複数回。(疲)そしていよいよ!最後の会計報告が出ました。そして、それを承認したという書類に署名がほしいと。「これで最後です!」とクライアントにword原稿を送りサインを頼みました。書類は2ページ。サインは2ページ目のみ。クライアントはサインした紙を中国へ送りました。しかし・・・「1枚目と2枚目の紙の色が違う。やり直し」と言われたと。ええ~~~~どゆこと??現地の説明はこう。クライアントが2ページの書類のうち、サインが必要な2枚目だけを送ってきたと。そして実務者は1枚目を事務所でプリントし、2枚目の日本から送られてきたサイン入り紙とホチキスで留め、提出。ここで分かった。中国のコピー用紙って漂白ホワイトなんです。蛍光白、みたいな。しかし日本のコピー用紙は微妙にクリーム色が多いじゃないですか。1ページ目と2ページ目、確かに色味は違うんですよね・・・。そして役所の担当者が「1枚目と2枚目の紙の色が違うじゃないか」と。「こんなのダメだ、2枚とも同じ色の紙で出せ」と。やり直しと。・・・アホか(笑)内容には全く問題ないじゃないですか、白は白じゃないですか、色味は違っても。しかし、お役所の言う事ですからいくらアホみたいなイチャモンをつけられても反抗しても勝てないですからね、(私は役所に反抗して始末書を書かされた過去がある)さっさという事聞いた方がいいんですよ。仕方ないのでクライアントに事情を説明して再度1枚目をプリントアウトしたものを送ってもらう電話を切った、まさに、まさにその時・・・!現地から連絡。「別の担当者が出てきて、問題ないと受理され閉鎖証明が下りました!」はい、チャンチャン♪みたいな事がありました。実に手続き開始から2年2か月かかりました。一体、何やねん、これは^^;;長すぎるやろ。嫌がらせやろ。まあしかしクライアントも、文句はなく感謝だけで終わったので良かったです。相変わらず、ややこしい国ですね、中国は。*お知らせ*中国語レッスンをお受けします。ピンインから発音、会話レッスンなど初心者歓迎です。1回1時間でマンツーマン、又はグループレッスンも歓迎。SKYPEでも、大阪なら喫茶店などで対面レッスンも可能です。初回は無料体験でレベルチェックや目標確認とレッスン方針紹介です。ご興味のある方は、コメント欄へどうぞ。中国台湾キャリア約30年、日中通訳兼現役商社ウーマンがお教えします。是非是非♪
2016/12/16
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習い事の一環で中国語サークルにも入ってるんですが・・・イマイチ面白くないんですよね。一緒に勉強するよりも自分が教えたくなってしまって。あ~、その発音は・・・とかこういうやり方の方が頭に入るのに・・・とか。イチイチ気になってしまって。それで、あ、そうか自分で教えればいいのか、と思いました。近年会社勤めしていないので結構時間があるんですよね・・・どなたか中国語習いたい人いませんか?一からピンインの読み方、正しい発音を教えます。また、ただ教科書を読むのではなくすぐに話せるようになる学習方法、で進めます。大阪は場所によって訪問可能です。LINEでも可能です。ご興味ある方はコメント欄にお気軽にどうぞ。詳細を別途連絡します。費用は高くないですよ♪
2016/11/22
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先日、出張からの帰りの電車。関西空港からなんば行き、例のごとく大きなスーツケースを持った外国人でごったがえしていました。私は席に座りスマホニュースを見ていたら隣の人の動きが気になり始めた。20代だろう、カウボーイハット風の帽子を被った活発そうなジーンズの若い女性。セミロングの黒髪に化粧気のない肌。黒い大きなスーツケースを足で挟むように抱えながら、電車が駅に停まる毎に身を乗り出して外を見ている。連れもいないようだ。気になる。『駅名を確認してるんだな。 どこまで行くの?って聞こうかな・・・』停車の度にかなり焦って駅名を確認しながらも周囲に気を配っている様子から中国人ぽくない雰囲気。顔立ちもちょっと南系?台湾人かな?香港?思っていると隣の若い女性は次にスマホを覗き込み、指を素早く動かしながら何か熱心に調べだした。見るとはなしに横目で(笑)チラと見ると英語だ。続けて見ていると「Zalo」という通信アプリが目に入った。(Lineみたいな機能です)『あれ?彼女はベトナム人かな・・・』というのは、つい最近この「Zalo」がベトナムでよく使われている通信アプリと知りダウンロードしたばかりだからだ。「あの・・・***エキにはナンジにつきマスか?」彼女が話しかけてきた。「ちょっと待ってね、すぐ調べるから」次は私が素早くスマホを操作して時間を調べて教えた。「ワタシ は、***エキでチェンジして〇〇〇エキにいきたいです。サイシュウジカンはなんじですか?」最終には間に合う、彼女は「ヨカタ」とほっとした表情だった。彼女は昔6年ほど日本にいたそうだ、片言でも話せるのはそのためらしい。一人旅だそうで、大阪や京都を旅するそうだ。私はどこから帰ってきたのか聞かれたので「台湾です」と言うと「台湾はいいですか?」と。「いいですよ。人が親切で食べ物も美味しいですよ」と自信持って伝えた。来年、旅行に行くそうだ。彼女は一人で電車に乗るのもなかなか不案内のようだし「何かあれば、いつでも電話して質問して下さい」と名刺を渡しておいた。彼女の向こう隣に座っていた男性は、我々のやり取りが気になるようで横目で(笑)チラチラ見ていた。私は彼女の名前を聞かなかった。彼女が困った時だけ連絡をくれれば良いのだ。********4年ほど前、関空のチェックインカウンター付近で順番待ちをしていた時に特大キャリーケースを持った女の子の集団と接触した。何がきっかけだか忘れたが、彼女らが中国人と分かり、その内の一人と私は言葉を交わした。色が少し浅黒いが、目がぱっちりとしたリンゴのほっぺの女の子だ。年の頃は20歳前後だろうか。彼女らは初めて日本に来て、働きに来たのだという。「どこで働くの?」と聞いたら「チープーシエンは、いい所ですか?」子供のように可愛らしい期待を込めた表情で聞いてきた。『チープーシエン・・?何とか県だな。』漢字で教えてもらって分かった。「岐阜」岐阜かぁ・・・そこでピンときた。外国人研修生かな・・・地方で働くのか・・農業か工場かあまり、いい話聞かないよな~・・・等と一瞬よぎったが「・・・うん、いい所ですよ。自然が多くてね、人も優しいよ」「そうですか・・・!」リンゴのほっぺの彼女はとっても嬉しそうにしたんです。この時、私は心配になったのです。彼女の期待と、現実のギャップが大きいかもしれないと。この子供のような可愛らしい子が、日本で悲しい思いをしないかと。この時、名刺を渡して「何かあれば連絡して」って言おうかな、と思ったんです。でも、後で面倒な事になったら・・・とか臆病な気持ちが出て渡せなかったんです。彼女らには引率者がいて集合を促されていました。遠目に見えた引率者は黒いスーツを着た不愛想な男性でした。彼女が私に笑顔で手を振りながら不愛想な男性の方へ小走りに走っていくのを見て『・・・名刺渡せばよかった』と思ったのです。いまだに思い出すのです。彼女はあれからどうなったのだろうか、と。なので私は困ってそうな外国人を見ると(勿論、怪しくないか見ますが)名刺を渡すようにしました。私も今まで、見知らぬ中国人や台湾人に本当に助けられてきましたから、お返しのつもりでもあります。
2016/10/27
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暑い夏がようやく終わり、台風シーズンまっただ中ですね。前回が7月1日に更新したので、間が結構空いちゃいました。。。最近は習い事を色々始めて(社交ダンスとか、水彩画とか、体操とか)今月は展示会用の絵を、ああでもないこうでもないと描いていました。始めたばかりで下手なんで、とてもお見せできないですけど。しかし集中できるものがあるって結構楽しいものですね。後々の事を考えて仕事以外の世界も広げていきたいと思っています。さてさて本題。中国駐在時の登場人物、疑惑の従業員ヨウ小姐。2つ目は、え~っと今年の4月ですね、昔の仕入れ先を約10年ぶりに訪ねた時にですね、聞いた話です。2005年以来会っていなかった仕入れ先の社長と再会し(お互い、年を取りました)社長の会社が案の定、以前より大きくなっていて車もベンツのでかいのになって、羽振りが良くなってました。(私は変わらず)色々な人と再会を果たした後、高鉄(新幹線)の駅まで、社長に送ってもらう事になりました。社長が、元職場の人と連絡取ってるのか、状況をしっているか?と聞くので、退職した一部の人とは時々やり取りしているが、まだ会社にいる人とは全然連絡を取っていないと答えました。社長は意味ありげにうなづいた後、「じゃあ、今の状況を知らないんだね?」詳しくは知らない、中国の状況だけ何となく耳に入ってくる、というと・・・「ヨウ小姐は悪いねぇ」またか、ヨウ小姐。「彼女が何かしたんですか?」「彼女は購買を担当しているだろう。我々にキックバックを要求してきた。5%も」「5%・・・・」「『私は5%はいくら何でも高いんじゃないか、 もう少し相談したい』と言ったら『じゃあいいわ、あっちに言うから』と ブツッと電話を切って、結局注文は来なかった」「あっちっていうのは・・・」「リョウさんだ。彼はずっとヨウ小姐に 高額なキックバックを払っていたんだよ。 そしたら***社には値上げせざるを得ないじゃないか、 あの子(ヨウ小姐)の懐に入る金の為に、***社は高い部品を買って、 売値も上げて、どんどんマーケットが狭まってしまったって事だよ」リョウさんは、この地域のメイン仕入れ先だった所で、何とも人間味のある人で、私は今でも個人的に交流している。彼は昔ながらの中国人だからな。「蛇の道は蛇」のようなところがある。彼なら、仕事の為なら何だかんだ言いながらも5%払うだろう。・・・リョウさん・・・何で私に言ってくれなかったんだろう・・・「・・・もし当時、私に言ってくれれば、何とかできたかもしれない。彼女の黒い噂はアチコチから聞いていたし、会社にも報告していたし、ああ、でも・・・大川さんがいたしね。(ため息)何度もケンカしたけれど、彼らは私のいう事を聞かなかった。。」10年前、私が感じていた危機感は間違っていなかった、正しかったんだと確認できて結論がついたようで嬉しかった反面、今言われてもどうしようもない、という空しさが胸に湧いた。「アコさん、***社の社長に言ってもらえないか。ヨウ小姐の事を。何年も続いたブランドがこんな事で消えていくのは私は本当に惜しいと思っているんだ。もったいないよ!」「・・・うん。 機会があればね」駅について、握手をして別れた。別れた後、私の表情は憮然と変わり駅舎へ向かう足は、自然と早足になった。何なんだよ!だから、あれほど言ってんだよ!あいつらはダメだって!結局、白アリに食い尽くされて!・・・何やってんだ・・・・!!遣り切れない感情でモヤモヤしていた。改札に着くと、大勢の乗客。10年前にはなかった高鉄(新幹線)。綺麗な駅舎。中国は変わった。10年経ったのだ。椅子に座って、先ほどの不愉快な話を思い返した。そして思った。・・・会社がつぶれるのは、そういう経営をしていて、そういう運命なんだろう。10年経って、私も変わりました。
2016/09/23
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次は、疑惑の従業員のヨウ小姐 ですね。この話も2003~2004年くらいなので現在まで10年以上は経っています。大体のあらすじは、私が江蘇で勤めていた会社の従業員ヨウ小姐にキックバックの疑いがあったが、会社はキチンと調査や処分をせず、私は独自でできる範囲で調べてみたが、結局真相は掴めず・・・という話でした。詳しい内容は、疑惑の従業員シリーズ(全15回かな?)を御覧下さ~い。。さてさて、このヨウ小姐が現在どうなっているか、ですが。ま~彼女は目立つ存在なんでしょうか、毎回、昔の知り合いに会うと話出てきますね!もちろん、いい話ではないですよ! 衝撃的なエピソードを2、3聞きましたので、回を分けます。まずは、エピソード(1)◆会社に出入りしていた女性運転手から聞いた話運転手「あんた(私の事)が日本に帰ってから会社との仕事の交渉 はヨウとするようになったけど、あの子は悪いね~。 元々、仲良くもないけど、1年くらい前かな 給与の事で、あの子と言い争いになったのよ。 私も口が立つから、かなり激しく口論になったんだけど。 そしたらさ、何日かして私、襲撃されたのよ。 見知らぬチンピラに殴られてさ、2週間くらい入院したよ」 !!??あこ「にゅっ、入院!?(にわかに信じられず、数秒おいて) え?え?それ何??ヨウと関係あんの??」運 「あるさ!!あいつが雇って、よこしたんよええ~~~~汗汗汗そんなマンガみたいな事が発生していたとは!てか私、ローカルスタッフと揉めるの避けててやっぱ正解やった!!私 「そんな・・・2週間入院って大変やったんやね」運 「まあね」→何故か涼しい顔。私 「もう大丈夫なの?体。え~え~こわいわ~・・・ でもさ、その後どうしたの?警察に言ったりとか?」運 「ケーサツなんか意味ないよ! 何もできるわけないじゃないか!(急に怒る) 息子が友達に言って、友達にチンピラいるからさ、仕返しに行ったよ。」し か え し???汗私 「え?そんなん、いいの(汗)」運 「いいも悪いもないだろ!向こうだってやったんだから(激怒)」 ああ、はい(・・;)運 「・・・で、慰謝料もとってきたよ(微笑)」私 「ああそう、ああそうですか・・・(^^;」はぁ~・・・(疲)この街も、そんなド田舎ではないんだけど。感情むき出しだったり、警察が頼りにならんとか、まだまだまだまだまだまだ・・・ だなぁ~・・・と同時に、ヨウ小姐も人雇って仕返しするとか相当、ワルだなぁと思ったのでした。まあ、疑惑の従業員でも、もう、やっとったけどな。台湾人上司に脅迫電話とかかけさせとったし。彼女にとっては、慣れた手って事かな。運転手には一応、「あんた言葉がきつすぎるから気を付けた方がいい」と忠告しときました。エピソード(2)へつづく。
2016/07/01
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私、こちらのブログでは2006年~2008年くらいまで、中国勤務していた時の、ハチャメチャ事件をよく物語調で書いていました。その後は転職やら結婚やらで色々忙しくて、ブログから遠ざかっていたんですけれども最近は、また書きたくなってきたかも~?(しれない)現在まで、中国勤務時の中国人の友人とは途切れ途切れですが連絡を取っています。別に何の用事があるわけじゃないんだけど、訪中の際は顔を出して、お茶を飲みながら思い出話をして、近況報告をして・・・って感じで。この友人は、過去の話にも登場している人で「中国で不動産を買おうとした話」でチラと登場した私に董事長になってくれと持ちかけた代社長です。前回の訪中時に、また代社長を訪ねて世間話をしていた時ふと話題に出してみました。「ねえ、陳社長とまだ付き合いあるの?」中国で不動産を買おうとした話 は2004年くらいに駐在していた時の話で、値上がりし始めた不動産投資を、と思って江蘇でマンションを買おうと思い、陳社長と一緒に物件を見に行き。予約は入れたけど問題業者だったので解約しようと思ったら陳社長が代わりに解約手続きをするって言ってくれたので、喜んで委任状等にサインをしたら、それは何と名義貸しの書類で、最後は大もめして絶交した・・・という何とも、ほろ苦い中国の思い出話・・・でした。代社長は、「ああ陳な・・・今どうしてんのかな?」と言う。「え?付き合いないの?」「うん・・・最近は全然会ってない」「あ、そうか、彼は金型メーカーだけど、あなたも自分で金型作るようにしたから?」「うん、それもあるけどさ・・・」代社長曰く、時間にして私が帰国した直後くらいは、陳社長は工場を大きくしてかなり羽振りが良かったらしい。車も大きな四駆を買ったりして。ところが。「何でかな、あいつ、えらそうになってさ。すごく態度が悪くなったんだ、傲慢と言うか。成功したと思って、自惚れたのかな?仲間内で評判が悪くなってさ。そうなると商売仲間はみんな相手にしなくなるだろう?そうして、あいつは段々ダメになっていった。もう仕事も殆どないんじゃないかな?奥さんとも離婚したって聞いたしな・・・」ええ・・・???(驚)何という転落ぶり。思わず絶句してしまった。「実はさ・・・私、ここでマンション買おうとした事あるんだけどその時の話、あなたにした事あったっけ?」「ないよ、初めて聞く」そこで「中国で不動産を買おうとした話」を、かいつまんで話した。話の途中で、代社長は「あ~それは分かるよ。そのマンションが欲しいのは分かるけど、ちゃんと君に申し入れずに話を進めようとしたのは間違っているね」等と相槌を入れてくれ「そ~なのよ!そこがね、私が納得いかなかったとこなのよ!」等と盛り上がった(苦笑)後・・・陳社長の現在に思い至り「何かさ、私、思うんだけどさ、やっぱ人柄というか生き方だよね・・・その時は誤魔化せても、だんだん本性が出てきて、最後は、その生き方に合った人生の結末が待ってるっていうかさ・・・」思わず口から出た。最後の陳社長がドアをバーンと閉めて出ていったシーンが目に浮かんだ。翻って、代社長はどうだ。彼は人付き合いを大事にして、義理人情に厚く時には儲け度外視で友人を助ける為に商売を引き受ける事もある。彼には沢山の商売仲間がいて、殆どの注文が友人からの依頼だそうだ。これって正に因果応報そのままですよね!(汗)こわいなぁ~・・・ちゃんと生きよう(汗)と、真剣に思いました(汗)つづく。次は、疑惑の従業員 の主人公、ヨウ小姐の現在。
2016/06/22
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どうにもこうにも不愉快な話なので、皆さんのご意見をお伺いしたい。私の主人が勤める会社の社長が、主人を会議室に呼んで話をしたそうです。いわく・・・子供の結婚式に中国人の客を招待したいと。「招待するのはいいと思いますが、飛行機代や滞在費を こちらで持ちますと申し入れしないといけませんよ。」主人がアドバイスすると「げっ、そうなんか」と驚く社長。「当たり前ですよ、わざわざお越し頂くんですから・・・」「まあ、それは分かった、いいわ。 ところで~もし彼らが来られる場合 君の奥さんにも出席してもらえたらと思うんや。 あ、日当は出せんけどな」と言ったそう。主人は「そんな事言うかな~???」と首をかしげながら私に以上を話しました。実は以前に何度か通訳のお手伝いをした事あるんですが、昼食はさむ時などは、「食事つきだから日当はサービスして」等と、ふざけた事をぬかしたので、この時は周りから説得してもらって日当を出してもらいました。そして今回、これです。私は別にわずかな日当は、おめでたい席ですしどっちでも良いですが、まず私は社長のお子さんに会った事もない、知らない子。また中国人ありきで私に来てもらいたいとなると私への「通訳依頼」に他ならないではないですか!「気持ちだけでもさせてもらう」とか言えんのか、そしたら私も気持ち良く「そんなのいいですよ」と喜んで通訳するじゃないですかね。このオッサンは、何と失礼で非常識なバカかと、本当に呆れたわけです。主人は、自分の会社の社長なので呆れながらも、あまり強く言えません。まあ私も主人に文句を言っても可哀そうなので、この場で愚痴らせて頂きました。世の中には、某都知事を始め非常識でせこいバカって結構いるな、とつくづく思いました。てか 「せこい人」って人物評価が「非常識」や「バカ」に直結しますね。「せ こ い」 とは大変恐ろしい性癖だと思いました。・・・で、皆さんが私なら、どう思われますか?私の心が狭いのでしょうか?(--;
2016/06/17
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先日、主人と公園を散歩していた時。白詰草が咲いており、クローバーが沢山ありました。主人はランニングすると言うので(←20年来のマラソン好き)私は待つ間に四つ葉探しをしてみました。主人には「ヒマな事を・・・」と呆れられるのですが四つ葉って、よく見ると結構あるんですよ。「おっ、あった」「見つけた」とゲームみたいで楽しいのです。さてさて今回の成果は・・・1時間半で16本。ま、こんなもんでしょう。今回は1本、五つ葉もありました。五つ葉は「富をもたらす」と言われているとか(グヘヘ)取りあえず全部乾燥させて五つ葉は自分用にとっておき(笑)四つ葉は友人や周りの人達へプレゼントするつもりです。ちなみに中国語で白詰草は「白三葉(bai2 san1 ye4)」で四つ葉は「四葉草(si4 ye4 cao3)」というそうな。(ネットで適当に調べました)中国では「幸運」の意味は(今はまだ)特にないようで三つ葉の変種くらいの見方みたいです。「西洋では、幸運のシンボルとされている」という紹介はありました。四つ葉のクローバー探し、楽しいですよ^^皆さんにも幸運が訪れますように!
2016/06/08
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ご無沙汰です。今回は小ネタで。旦那氏が中国出張へ行く時に、彼の取引先からよく「頼まれ買い物」の依頼がきます。「代理購買=代購」っていうんですが・・・最初は旦那氏にSNS来てましたが、旦那が面倒くさがりなので仕事以外の英語を使うのも面倒らしく仕事以外は「中国語でやり取りしてくれ」と「専任通訳(笑)」の私にSNSで依頼するように振ってます。代理購買で頼まれるのは、目薬とか化粧品とかダイエット食品とか、色々です。次来る時に旦那さんに持ってきてもらって~っていうんですね。勿論、ついでなので持って行ける範囲の少量なんですけど・・・今回は「獺祭(だっさい)」の依頼。あの大人気の日本酒ですね。山口県 旭酒造獺祭 純米大吟醸23 720ml *化粧箱付私 「え~今回、獺祭買ってきてってさ」旦那「獺祭?めっちゃ高いぞ、あれ。なんでそんなん欲しいんや?」私 「知らんよそんなん。2本ほしいって、720mlの」旦那「獺祭なんて、その辺で売ってないぞ」私 「空港で売ってるらしいよ、前に関空の免税店で買ったって」旦那「いくらするの?」私 「前買った時、5000円くらいだったって」旦那「5000円!?たっか。2本で1万円やぞ大丈夫か」私 「いいんちゃうの?向こう値段知ってるし。」旦那「あいつ獺祭なんか飲むんかな・・・ああ~もうすぐ結婚するから その時に祝いに飲むんかな・・・(独り言)」私 「ど~でもええやろ(笑)欲しいって言ってるから買ってあげればいいじゃない」・・・という事で旦那氏は出張に出かけました。そして電話がかかってきまして、「獺祭は一日6本しか入荷しない。 でも朝10時に開店した後、中国人が見かけたら 6本全部買い上げてしまう。 なので朝一以外は入手は難しいと思います~」と店に言われたと。何でもかんでも、爆買いしてるんだな~と思った次第です。※外国からの大量のハンドキャリーに対しては中国が急に規制をかけたので爆買いは落ち着くと思います。今後は中国旅行客は本当の意味で旅行にお金をかける、例えばグルメ、美容、遊び、体験・・・をお金を使っていく方向かと考えています。伴い、高い免税店のキックバックで成り立っているような旅行会社は急激に淘汰されていくでしょうね。勿論、怪しげな中国専門の免税店も・・・
2016/05/27
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旦那氏がスターウォーズを観たいという。また4DXなるものが存在するとも、旦那氏から聞きました。座席が動いたり、風が吹いたり、ニオイがするらしい・・・。う~ん、それは常々言われている究極の映像伝達方法ではないか。という事で、2000円の鑑賞代に3Dメガネ持ち込みで4DX費用としてプラス1500円、合計一人3500円という価格で拝見しました。かなり高いと思いました!夫婦で4DX初めてです。4DXの感想を書くと、あれは映画鑑賞の目的からズレてると思いましたね。主人公が飛び降りて着地する時や、飛行機が着陸する時など画面の中で衝撃を受けるシーンで、私が座っているイスも「ドドン」と揺れたりするんですよ。その度に「おお!」と私も驚くワケなんですが・・・段々、イライラしてきて。集中力が切れるんですよね、映画を熱心に見ている時に誰かに肩たたかれたり、後ろから押されたりする感じで。これは、ただ単に俳優と同じ体験をさせてるだなあと思いました。映画ってさ、監督の描く物語を動画で見て、色々感じるものだと思うんです。あくまで自分とは違う世界であって、それを客観的に見る事で客観的な感想も出てくるんだと思うんです。それが俳優と同じような体験を、わざわざさせると、観覧者が当事者になっちゃうじゃない。客観的に観れなくなっちゃうよ。これが映画の理解に何か役に立つのか、と思うと疑問符がつきました。肝心の映画については、実は私、スターウォーズって今まで見た事ないんですよね。あんまり興味なかったんですよね。本当にビデオやDVDでも観た事ないんです。今回も旦那氏が観たいっていうので一緒に行っただけで。まあ、そんな感じで観た感想は、きゃしゃだけど身体能力の高い白人のヒロインが、たくましく頑張ってました。黒人の男性と、いい感じでしたが現実にはあっさりこんな恋仲になるのかな?人種を超えるっていうメッセージなのかな?と思いましたが。ストーリーは以前の続きもからんでいるので分からないところもありーので観ていましたが退屈はしませんでした。ただハリソン・フォードとレイア姫が出てくると、グッと高齢色が強くなってハリソン君が走っている時なんて、足がO脚に湾曲してましたからハリソン君も年取ったな~、とショックでした(笑)。・・・でディズニー映画になっちゃってるんですよね、スターウォーズ。それでかなあ、何か女の子押しな感じがしたのは。帰ってから「ジェダイの帰還(昔はジェダイの復讐だったのね?」をDVDで見たんだけど、う~ん、やっぱり男中心の映画ですね。レイア姫はビキニ姿状態で、大きいガマガエルみたいな怪物に、はべってるし。2012年に、ディズニーがルーカスフィルムを買収して作られた第一作が、今回。ヒロインに、一連のディズニーアニメのヒロインを垣間見たのは私の気のせいじゃないと思いますよ・・・まあ、あと思ったのは、スターウォーズにせよ、戦艦ヤマトにせよ、ガンダムにせよ、ワンピースにせよ、確固たる世界観を持つ戦闘物は、熱烈なファンが生まれやすく、シリーズで相当引っ張っていけるビジネスモデルなんだなあという事でした。
2016/01/25
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今回の蘇北行きを紹介してくれたのは河南省の友人だ。河南は東北寄りなので使う単語が南とは違う。そして蘇北は河南省、山東省、山西省、安徽省あたりから多く働きに来ていて、言語的には東北に属するようだ。蘇南とは使う単語がいろいろ違っている。多く耳にするのが「行(いいよ)」だろうか。南なら「好的(ハオダ)」だが、蘇北は「行(シン!)」と勢いよく答える。最初はキツく聞こえたが、その内にサバサバしている、という感じに思えてきた。「ロ舎(シャー)」も多い。「什麼(シェンマ=何)」の意味だ。「ロ舎事?(何の用)」「ロ舎意思?(どういう意味)」など広く使う。蘇南でも使っていたけれど、あれは方言ぽかった。しかも訛っていて、シャーではなく「サー」で「誰?」は「ロ舎人?(サーニン?)」となる。東北方言に戻って。「咋(ザー)」もある。「怎麼(ゼンマ=なんで、どうして」の意味だ。「NI咋裝著大衣啊(お前なんでコート着てるんだ)」母親の事は「娘(ニャン」とかもね。単語が違う上に、かなり早口で巻き舌が蘇南より少し強く、そして勢いよく流れるように話すので、私にはヒヤリングがきつい。一方で語学的には結構面白いのだ。昔々、教科書で勉強したきり(しかも20年以上前!)の単語が、ポロンと突然に出てくると、記憶クイズのようで楽しい。また中国語スピーカーとしては、まだ慣れていない北の言い回しや言葉のリズムを真似して使ってみたいミーハーさもある。工場の事務員と一緒に出掛ける時。事務員は事務所の鍵を閉めていた。しかし鍵が抜けない。「あれ?」と2~3回グルグル回していたが、やがて動きを止めて「拉倒(ラーダオ)!」とため息をつき、鍵穴に鍵を挿したまま 「明日するわ」と歩き出した。拉倒(ラーダオ)聞いたことは、ある。でも意味が分からなかった。調べてみると「やめる」とあった。多分、学校で習った事があると思う。でも蘇南では聞いた事がないような気がする。今度、使ってみようと思った。つづく。
2015/12/18
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今回の蘇北では、時間感覚について面食らった事がいくつかあった。たまたまなのか、北の傾向なのか分からないが書いておく。朝、雪が残る中庭を見ながら、離れの食堂へ朝食を採りにいく。8時半に運転手が迎えに来るので、8時に食堂へ行った。薄暗い食堂に宿泊客がパラパラと来ており、しかし従業員は食堂で食べている宿泊客より多くうつろな目をして佇んでいた。私は中国の北は南より人当たりが悪い、と思っている。愛想が悪くサービス精神が少ない。厳しい気候なので、暖かく農作物の育ちやすい南より何かと条件が悪く、心の余裕が少ないのだろうか・・・などと思う。1991年の初中国上陸時に、天津・北京の北方で受けた「店員からのお釣りの投げ銭」や「呼びかけても無視」などの北方人の冷たい対応に傷心しながら入った上海でぼったくりの商売人でも、笑顔があった事に非常に救われた。同じ国とは思えないほど違いがあった。そんな経験から個人的に「中国の北方」と言えば、どんよりとした曇り空のイメージを持っている。昨日の出迎えの運転手もそうだったし、ホテルの従業員も笑顔もないし・・・お掃除の女性は微笑みで挨拶はしてくれるけど。話は戻って、食堂。毎度の事だが、安宿は電燈を点けない。薄暗い部屋で太陽の光を頼りに食事を採る。これは如何なものか、といつも思う。視界が悪いと色が分かりにくい。汚れていても分かりにくい。不良品も見つけにくい。色んな事が、曖昧になって良くないと思うのだが。従業員は大柄な女性が多かった。北は小麦、南は米。中国は主食が北と南で異なる。そして体格も北の方が大きい、骨格から大きいと思う。彼らは主食の違いだ、と言う。北は小麦を食べるから大きいのだ、と。西洋人と東洋人の違いを考えると、そうなのかな、とも思う。この食堂には饅頭(マントウ)がドンと置いてある、が、お粥もある。北そのものとは言えない、北と南をブレンドした雰囲気がある。お粥は普通。パンは硬い、多分昨日以前に焼いたままだ。しかし野菜料理は案外と美味しかった。いや味付けは普通なのだが、野菜自体に味がするのだ。最近は日本も中国(南方)も野菜が美味しくない。野菜の味がない。ところが、ここの野菜は味があって美味しかった。ダメダメの中で、一つでも良い所を見つけると嬉しくなる。北は農業が多いので、野菜が美味しいのかな、と思いながら箸を往復させていると・・・視界に緑色のごついコートが入った。見ると、昨日の運転手。表情を変えず、「ザオ(おはよう)」と私に言う。私は(あれ?この人もここで朝食を食べるの?)と思いながら「あ、ああ、ザオ(おはよう)」と答えると「ゾウ(行こう)」と運転手。え?今?(驚)「・・・いや、まだ食べてるし8時半にしてくれない?」と言うと「分かった」と、また全く表情を変えずに答えた。8時半って言ってたのにな~・・・落ち着いて食べられず、食事をあたふたと搔き込んで部屋に戻って出発の支度をした。しかし翌日も同じような感じで、8時にフロントから電話が入り「迎えの人が早く出てきてって言ってますよ」と。8時半って言ってるのに~(汗)まあしかし顔を合わせても運転手は別に怒るでもなく顔色一つ変えずに出発するのだが。この運転手の癖なのか、この地方がこんな感じなのか・・・?今回の蘇北行きは、前回の飛行機の早着も含め最初から最後まで時間に振り回された。当初は先方の要求で12日間の滞在を段取りしていたのだが出発の4日前に急に1週間もいらない、と言いだしチケットを急遽変更を入れた、という事があった。飛行機では45分の早着。(これは関係ないが)運転手の30分前の出迎え。総経理の予定が一日ずれたので帰国を一日遅らせてほしい。(国内線、国際線、ホテル、レンタルwifiの全部変更)ここまで予定をコロコロ変える、という事は時間だけでなく約束も、コロコロ変えるんだろうかと心配になっていた。そして案の定、決まりかけていた契約の内容を一方的に大幅に変更してきた。・・・おい!中国の田舎しか通用しないぞ、そんなフラフラしたやり方は。今後、色々協力する事になっていたのだけれど最初から、こんな状態なら、いい仕事にならないと思うので、ここの人達には深入りをしない事に決めた。北に対するイメージは、一段と濃い曇り空になった。つづく。
2015/12/18
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中国の航空会社は経験上、遅れる事はあっても、早まる事は滅多になかった。毎度遅れると最初から諦めた気持ちになっているが実際に遅れると、更にげんなりするものだ。では逆に早まった場合はどうだろう?ラッキー?いや、これはこれで、困る事もある。昔、2003年頃、上海航空が関空-上海ラインを飛ばしていた時に(現在は上海航空は東方航空の子会社らしいが)何度か早着する事があった。離陸は定刻通りなんだけれども到着が10分とか15分とか早めに着くのだ。中国の航空会社で、こんな事が起こるのかと喜んでいたが、早着して気づいた事。迎えの車を、こちらが待たなければいけない。中国では日本のように空港から、スムーズに電車移動できる所は少ない。都会は地下鉄やらなんやらあるけれども地方都市は車しか移動手段がない。運転手は時間を読んで来るのだが(当時はスマホはありません)到着-イミグレ-荷物引き取りを考えて到着予定の30分後くらいに待ち合わせ場所へ着くよう段取りしているのだが、早着すると、こちらが待つ側になるのである。そんな時に限ってイミグレも荷物も空いていたりすると更に早く出てくる事になって、何だかとても損をした気分になったものだった。そんな事を思い出しながら、虹橋空港に到着した。今回は上海発の国内線。国内線は先ず定刻に出る事はない。急に遅れるし、4~5時間遅れる事もしょっちゅうだ。夜便なので、遅れてほしくなかった。が、珍しく遅れずに離陸するようで大変ほっとした。夜にも関わらず乗客は割合いた。一日一便の路線だからか。何となく客に大柄で素朴な風体の人が多い気がした。これが「蘇北」の感じなのだろうか、北だから。出発時刻は定刻だそうだ。珍しい、まあしかし、分からんぞ、土壇場でディレイが出るのはいつもの事。心配をよそに、飛行機は無事に離陸した。そして暫くして、あと20分で到着する、というアナウンスが入った。・・・あれ?おかしいな?時間感覚的には20分くらいしか経ってないけどな。フライト時間は1時間20分くらいあったよな?時計・・・時計・・・(腕時計を見る)今、日本時間だっけ?あれ?中国時間に合わせてないよね・・・・・・あれ?まさか飛行機間違えてないよね?(汗)そして暫くして本当に着陸態勢に入り・・・私が出口に出たのは何と、予定より45分も早かった。後でフライト情報を見ると、離陸も10分早かった。ねえ。早く着いても、遅く着いても、時間を守らないって意味では同じなのよ・・・外は、雪積もってるしさ~・・・この日は急な寒波で、マイナス4度だった・・・。何だよ、大阪は朝、14度だったつーの!!コートもってきて良かったよ・・遅いのも困るけど、早いのも困るよね~・・・暖房も何もないロビーで私はスマホで時間つぶしをしながら約1時間、迎えの車を待っていました。中国国内線で、予定より45分も早着なんてね!パイロットが、航路を間違えてしまったのでしょうかね???つづく。
2015/12/14
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江蘇は長江を境に南北に分けられる。長江以北の地域を「蘇北(スーベイ)」、長江以南の地域を「蘇南(スーナン)」と呼ぶと言う。(Wikiでは、「蘇中(スーチュン)」という中部地域の区分けがあるらしいが、 それは私は聞いた事がない)私が昔、働いていた地域は、長江より南だから「蘇南」に当たり、「蘇北」には行ったことがなかった。今回、蘇北は初めて赴く。浦東に到着し、国内線に乗るため虹橋に移動する地下鉄内で、車内の風景をぼんやり眺めていると「蘇北(スーベイ)」をキーワードに、ある光景が浮かんできた。「蘇北(スーベイ)は嫌なんだよな、あの地域、週に一回しか風呂に入らないからさ・・・」阿明(アーミン)だ。その蘇南で働いていた頃に会社がよく使っていた白タクの運転手、「阿明(アーミン)」の顔だった。「阿明(アーミン)」は、あだ名だ。日本語にすると、「ミンちゃん、ミン君」のニュアンスだろうか。年の頃は多分、30代後半。郊外にあった会社の近くに住んでいて、素朴な笑顔が印象的な田舎の運転手だった。20代が主な中国人従業員からも「阿明(アーミン)」と親しみを込めて呼ばれていたので、我々日本人も「**先生」と言わず、「阿明(アーミン)」と呼んでいた。本名は、忘れた。阿明は、色が浅黒く、体格は結構がっちりしていた。2年間、兵役に行った事があると言っていたがいつもニコニコしており、厳しい雰囲気は微塵もなかった。車に乗ると、いつもタバコを一本差し出し「謝謝」と私が礼を言うと、「酒煙不分家(酒とタバコは家を分けない)」と返礼するのが恒例だった。阿明と世間話をしていて驚いた事がいくつかある。阿明の睡眠時間はとても長かった。一日に8~10時間睡眠だと。「夜9時に寝て、朝6時に起きる」「8時間だと、ちょっと寝足りないな。10時間くらい寝ると、 よく寝たな、と思う」などと言われかなり驚愕した。そして会社の従業員に睡眠時間を聞くと、20代の若い女性も大体似たようなもので、私が6時間睡眠くらいだ、というと「なんでそんな遅くまで起きてるの?」と真顔で聞かれた。会社の近くは、日本で言えば離島くらいに何の施設もなかったから、彼らも何もやる事なかったんだろうと思う。TVやPCも、そんなみんな持っているわけではなかった。阿明は赤いサンタナを持っていた。タクシーを頼むと、時々、車がないと言われた事があった。結婚式に貸し出しているから、と。ああ、そうか。赤はめでたい色だから、赤い車は結婚式に合うんだ。当時の上司、大川さんは携帯電話を胸ポケットにつなぐ受話器コードのようなバネ状のコードのついた携帯電話クリップを持っていた。当時は会社の近くでは同様のものは売っておらず、しかし大川さんの携帯クリップは便利に見えたようだ。何度か、阿明から日本で買ってきてくれないかと頼まれて、5~6本買ってきた事がある。ただ私が買ってきたのは、大川さんが持っていたコードより細く、阿明の思った商品ではなかったようで困った顔をしていたが、私は気づかないふりをして買い取ってもらった。今ならね、タオパオやネットショッピングで買うだろうから・・・年月を感じるのだけれど。・・・と、阿明の思い出を一通り巡った所で、「蘇北(スーベイ)は嫌なんだよな、あの地域、週に一回しか風呂に入らないからさ・・・」田舎に住んでいる阿明が言うんだから、蘇北はよほど田舎なのだろうと、ぼんやり思っていた。そして、その蘇北に初めて今から行くのだ。一人でさ。迎えの人は来てくれるけど、あまりよく知らない人だしさ。なんだろう。昔は初めての土地に一人なんて、ワクワクしていたのに。年なのか、慣れなのか。阿明の言葉なのか。なんとはなしに、上がらないテンションを持て余していた。つづく。
2015/12/06
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旦那氏が1週間の中国出張に行っています。旦那氏は、私と全然違う仕事なのだけれど、定期的に中国へ出張しています。旦那氏は英語ができるので中国との取引は問題ないです。ただ問題が発生した時の対応が難しいようです。時々、仕事の相談をされますが私から見ると、とても初歩的な対中対策が抜けているので結構、驚きます。ともあれ。最近、旦那氏は中国出張から戻ってくると・謎の虫刺され・長期に渡る風邪・お腹を下すなど毎回、何らか体調を崩しています。環境が悪いのは仕方ない(防ぎようがない)のでせめて、お酒を控えめにする等して体調をキープするように、と言っています。但し、お酒に関しては、馬耳東風です。
2015/10/22
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不知道為什麼は、中国でよく聞く。結構便利な言葉だ。日本語で、こなれた風に訳すると「なんでだか分かんないんだけど~」となる。曖昧な感じを説明しやすいのと説明が面倒で、はしょりたい時には私もよく使っていた。しかし、ある日、出くわした出来事で中国人が使う 「 不知道為什麼(なんでだか分かんないんだけど)」の含意(含む意味)に、うっすら気が付いた。。。*******2015年4月中国出張の時。私の宿選びのポイントは一点。リーズナブル、である事。価格に見合うサービスが得られるか、で嬉しくなったり悲しくなったりもする。まあ後は、肝試しの感覚ですね。中国安宿でスリルを・・・笑という事で、この時も中国の安めのビジネスチェーンホテルを選択。このホテルは、空港から送迎バスが出ているらしい。空港によくある、ホテルの看板がかけてあるブースがずらりと並んでいるじゃないですか。そこで予約している事を告げると、時刻表に基づき、ホテルまでの送迎バスを出してくれると。さて。空港に到着し、ホテルのブースが並んでいる所へ行く。私が予約している△△ホテルの看板を見つける。予約票を見せる。すると窓口の女性が「バスは8時出発です。10分前には、ここに来て下さい。 バスは2か所に停まりますが、あなたのホテルは最初に 停まった**店になります」え?え?バスは2か所に停まって、私は最初の**店で下りれば良いのね。こういうの重要。何気なく言われた事をよく聞いておかないと後で痛恨のミスを招くことになりかねん。取りあえず、バス待ち状態なので付近にとどまっておくことにした。少し余裕ができたので、辺りを見回してみると大きなスーツケースを持った数人が、既に付近でおしゃべりしながら待っていた。この人たちもバス待ちか・・・私が泊まる△△ホテルのブースの隣は〇〇ホテル。結構よく聞くチェーンホテル。△△ホテルより少し高かったから今回は外したけど、お客さん(勿論、みんな中国人)が沢山ブースに来ているから、人気あるんだろうか。今度泊まってみようかな・・・等と考えていると、男の子が一人、足元に飛び込んできた。「こらっ!ダメでしょ」母親と思われる女性が来て、私に「すみません」と言う。「元気なお子さんですね」と言うと彼女は嬉しそうに笑った。「あなたもバスを待っているの?」と彼女が聞くので私は「そうです。」と答える。お互いに目で微笑んでから、またそれぞれの空間に戻った。私は時々、子供と母親に目をやり、荷物カートで遊ぼうとする子供を母親が「やめなさい。それは遊ぶものじゃないの」と諭す様子を見ていた。母親の傍に男性もいるので、ああ、親子3人なのね・・・などと思っていた。その間も子供は私の方に来たり、あちらこちら走り回っていた。その度に私は、子供を叱りながらも可愛くて仕方がないといった様子の母親と目を合わせ微笑んでいた。そうこうしている内に、隣の〇〇ホテルの送迎バスが来たようで、何人かが移動した。私は慌てて 「あれじゃないよね?」 と念の為、窓口の女性に確認し、彼女が首を振るのを確かめて、引き続き待った。そして、とうとう7時50分の集合時間になって、私の宿泊するホテルのブースの女性が「△△ホテル宿泊の方! 今からバスに移動しますので、集合して下さい!」と大声で告げた。数人がブース前に寄ってきた。あの親子も少し離れた所からやって来た。ああ、この親子も一緒なんだ・・・と思い、また母親と目を合わせて微笑んだ。バスに乗り込む時、私はバスの運転手に「私は**店ですが、一番目のホテルで下りればいいんですよね?」と念の為に確認。するとバスの運転手は「ああ、そうだ」と強くうなづいた。そして送迎バス(というかワゴンにホテルの名前を書いている)は出発。一番目のホテルに到着。私は下車。(下りる時に再度、運転手に「**店ね?」と確認)数人と共に、あの親子も下車した。窓口で順次チェックイン。他の中国人が我先にとフロントの窓口に並んだので私は最後でいいや、とのんびり待っていた。私の前が、あの親子3人だった。互いに 「どうぞ」 と譲り合った後で、私が促すと母親は会釈をして先にチェックイン手続きを始めた。ところが・・・フロントの女性が何度かキーボードを叩き直し画面を注視している。あの母親と父親は不安そうに、その様子を見ている。そしてフロントの女性は「予約が入っていません」と告げた。母親が驚いたように、「どうして!?私は確かに予約を入れたわよ」「入っていません」 窓口女性は再度きっぱりと告げる。そして「ここは、△△ホテル、**店ですが」すると母親が「ええ??ここは〇〇ホテルじゃないの?」後ずさって周囲を見回す。そしてフロントの女性の後ろに大きく掛かっている「△△ホテル**店」 の看板を見て、愕然とした表情になった。私は心中、秘かに思った。〇〇ホテルって・・・隣のブースの人気チェーンホテルやで!やっちゃったね~母親は振り返ると、私に駆け寄ってきて「あなたは、どこに予約したの?」すがるように聞く。私は 「私は△△ホテルに予約したけど・・・」と目をそらし気味に回答。母親は更に愕然とした表情で 「どうしてこんな事に・・・」しかし、すぐにフロントに「ねえ、私達を〇〇ホテルまで送迎バスで送ってくれないかしら? 私も、どうしてこんな事になったのか分からないのよ」フロントの女性は母親の顔を見ず、冷たく首を振ると「次の方」と私を呼んだ。母親は動揺した様子で、私が手続きをするのを見ていたが私はもう目を合わせる事ができなかった。私が手続きをしている間に、母親は電話をかけ始めた。どうやらネット予約したサイトに助けを求めているようだった。「もしもし?私、今日、〇〇ホテルに宿泊予約をした ***ですけど。ええ、ええ。 今、ホテルに送迎バスで来たんですけど。 なんでだか分かんないんだけど、△△ホテルに来ちゃったのよ! 私も、わけがわからないのよ! 何とかしてもらえないかしら! 〇〇ホテルから車を出して迎えに来てもらえないかしら!」必死で訴えるも、予約サイトからは断られたようだった。その後、〇〇ホテルにも電話するが同じく断られた様子。最終的には、タクシーを呼んでもらって親子3人は〇〇ホテルへ移動していきました・・・(ちなみに母親が奮闘している間、子供は無邪気に遊び、 旦那は大人しく妻の様子を見守っていました)以上なんですが。上記に赤色で書いた 「なんでだか分からないんだけど」 という部分。なんでだか分からなく、ないですよね。あの母親、ただの一回も 「どこ行きのバスか」 確認していなかったですよ。何となく皆が移動するのに着いてきて違うバスに乗った。つまり彼女の確認不足。そこを全部すっ飛ばす言いワケがなんでだか分からないんだけどあ~~~~~そう言えば過去何百回、何千回と聞いた不知道為什麼(なんでだか分からないんだけど)は、自分に都合の悪い事をすっ飛ばす時の言い訳だったのかもしれない・・・と、初めて、うっすらと気づきました。過去のシチュエーションを全部思い出せないので検証は難しいのですが。今後不知道為什麼(なんでだか分からないんだけど)が出てきたら、もしかすると話し手に何か不都合な事がありそれを言いたくない可能性も加味して話を聞くようにします。そうすると、中国でよくある 「こんがらかって意味不明」 な状況がすっと、分かりやすくなるのかもしれない、と期待したりしています 笑
2015/10/16
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ブルース・リーブームが巻き起こった時、私は幼稚園に入る前の幼児でした。母は九州出身で、都会暮らしがしんどい事もあったのでしょう、幼い頃から夏や冬は大体、母の郷、九州の田舎に母と共に帰省していました。当時、東京で大学生をしていた母の弟(私の叔父)も夏休みや冬休みには帰省していました。叔父は当時、私をよく可愛がり遊んでくれました。子供心をよく分かっていて投げ飛ばしたり、ゴザで巻いて運んだり少し乱暴に扱って、子供を喜ばせていました。割合、秀才だった叔父は自分のセンスに自信があったのでしょう、自分の好きなものを私に見聞きさせて教育していました。レコードプレーヤーの前に幼い私を座らせてサイモン&ガーファンクルの「コンドルは飛んで行く」を聞かせていました。それはもう何度も何度も。今、聞いても当時のレコードがあった部屋の赤いじゅうたんが思い浮かぶなど、懐かしい気持ちが湧いてくるほどです。そんな叔父が、ブルース・リーに影響されたのです。いつの頃からか、様子がおかしくなったのです。私の薄い記憶を辿ります・・・そう、叔父はサングラスをかけていました。白いランニングを着ていました。シャドーキックをしていました。アチョ~、と言っていました。ヌンチャクを練習していました・・・彼は、すっかりブルース・リーにかぶれてしまったのです。面白いお兄さんだった叔父が、突然、寸止めキックを私に向かってしてきたりアチョ~と叫びだしたり怖い顔をしてチョップをしていたりしたら・・幼児の私には、恐ろしさしかありません。尚且つ、当時のブルース・リーの写真は大体これです。幼児だった私の感想は、ただただ、こわいでした。だって血が出てますから・・・顔つきもこわい・・・今なら、もちろん映画の中の話として流血や厳しい表情は理解できますが、当時私は3~4歳。世の中に出てきて間もない頃で、現実と虚構の区別もあまりついていないのです。そこに、血をダラダラ流して、人をたたいて怖い顔をした男の人がいたら「こわい」としか思えなかったのです。ということで私にとって、ブルース・リーとは見たくない、コワイ人に、なってしまったのです。そして時は大胆に流れ、あれから ウン十年^^;MI5のトム様に心酔した私が、ジャッキー・チェンを思い出しそしてブルース・リーを思い出し・・・でググってみようかな。と思ったのです。彼は、どんなアクションをしていたのだろうかと。現代は本当に便利で素晴らしい時代。彼の動画はすぐに見つけられました。ほぼ初めて、まともに拝見しまして思ったのは動きや居住まいの美しさ。緊張感あふれる画面引き込まれる迫力。ストーリーとか、二の次。動く彼から目が離せませんでした。本当のスター、ですよね。まあ、全世界にファンがいらっしゃる方ですし私ごときが、こんなことを今更書いてもどうかなと思いつつ、ですが。ブルース・リー氏は、すごい吸引力があるので私も2~3日は、憑りつかれたように関連のサイトや動画を見ていました。にわかファンですが、私が一番好きなのはオーディションの時の雰囲気です。姿勢よく、笑顔もあり、感じがよく。アクションをした後には必ず、襟元や袖口を直して清潔感を保とうとする居住まいが素敵でした。ちょっと不思議に思ったのはアメリカにいた頃と、香港に戻ってからアクションスターになった頃とは随分、顔つきが変わっていることです。両方とも確かにブルース・リー氏なのですがたった数年なのに、二人見るほど印象が違っていて彼の苦労や疲労が顔に表れているようでした。昔の香港って・・・今とは違ってかなり妖しい印象です。香港は素人なのでよく分かりませんが本土でも人間関係はややこしいですからね~・・・根っこは一緒でしょうから・・・(考)私はあまりにも短期間でのめりこんでしまったのか、うたた寝をした時に、リー氏が夢に登場して下さいました(嬉)姿は上記のオーディションの頃くらいのふっくらした好青年の様子でした。白いトレーニングウェアの上下を着ていてかなりムキムキでした。私は、この機会を逃すかと傍にいって腕を組み(腕ムキムキでした)「一緒にいて、いいですか?」と中国語で聞くのです。リー氏は微笑んではいるんですが私の問いには答えず、「Xiao zhen(しぁお ちぇん)」「Xiao zhen(しぁお ちぇん)」と、少し離れた場所にいる「チェンさん」を呼んでいるので私は『邪魔かな?先にチェンさんとの用事を済ませてもらってその間に私はトイレにでも行くか』、とリー氏から離れたところで目が覚めました。芸能人が出てくる夢なんて私は滅多に見ないので嬉しいような不思議なような感じでしたが、早速、夢に出てくる所からしてキョ~レツな引力を感じました。このままいくと底なし沼にはまってしまいそうなので暫く距離を置くことにします。ブルース・リー氏は40年経っても、やはりコワイ(魅力的すぎる意味で)人でした。最後にもう一枚。幼少期のリー様。この頃からオーラあり!*トム様も、ジャッキーも、ブルース・リー氏も、みなさん尊敬しています。おわり~
2015/08/13
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トム様は、どんなアクションもできちゃうんだな・・・今回改めて思いました。シリーズ1から見てますが(1は何回見た事か)ほんと色々やってます。1から5まで好きなシーンだけでも・スパイダー吊り下がり(1見てる人は分かるかと)・TGBにしがみつき格闘(1)・絶壁ロッククライミング(3の冒頭)・ドバイのビルのてっぺん(4)・飛行機しがみつき、水中アクション、カーアクション、バイク・・・(5)いや~もう本当にスーパーマンみたい。こりゃ~私の中のアクションキング、ジャッキー・チェンを超えてしまったかな・・・(ジャッキー世代なので一通り見ています)そう思い、頭の中で彼ら二人のタイプを比較してみたんですが。決定的な違い。トム様は2枚目ジャッキー(親しみを込めて呼び捨て)は3枚目~2.5枚。トム様はアクション何でも。ジャッキーは体を張ったカンフー中心まあトム様も格闘シーンでは明らかにカンフーやってますがロケーションも諸外国だし女優も西洋人だしで華やかで、きらびやか。またトム様は2枚目だから格好よく見せないと、ってのはあるでしょうね。MI(ミッション・インポッシブル) 5の最初に捕えられたシーンで何故か上半身裸で縛られてるけど、はっきり言ってあれはトム様のマッチョな体を見せるためだけの裸でしょう(汗)ええ体やろ~みんな、拝めよ、みたいな。まあ、トム様あっての、MIシリーズですからね・・・そういうのも色々比較するとう~ん、ジャッキーは楽しくていい兄貴なんだけど西洋の華やかさには、ちょっと泥臭く見えちゃうかなキャノンボールでも、地味目に見えたしね・・・カンフーって素晴らしいんだけどな・・・動きは、格好いいし。カンフーで、2枚目って誰やろか・・・?そこで、ふっと思い浮かんだのがブルース・リーでした。ブルース・リーに関しては私は幼い頃にうっすら、しかし鮮烈な記憶(トラウマ)があるのです。次回はブルース・リーで。つづく。
2015/08/11
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特別映画好きというわけではないのだけれど、時々映画館で観たくなるのはアクションもの。トム・クルーズ様が飛行機にしがみついていた宣伝を見てしまい、同じくトム様好きの旦那氏と一緒に観に行きました。トム様も年齢には勝てず、シリーズごとに目が垂れてくるのはこりゃ~仕方ない。でも、それでいいです。変な整形して、そっちの方が気になって仕方ないより多少老けてた方がいいです。しかしながら。アクションは全く老けてませんよ。・離陸する飛行機にしがみつく・敵との殴り合い・水中に潜ったり・階段を駆け下りるカーアクション・モロッコの路地でカーチェイス・すごいバイクアクションなどなど。話の筋は全く追えておらず、『今どういう展開???』と、とまどいながらも次から次へ繰り出されるアクションシーンに口開けて見るのが精いっぱい。トム様のアクションから目が離せなかったのでした。いや~素晴らしいアクションでした。映画の内容は、よく分からないのですが(三回くらいみたら内容も落ち着いて見れるかも)あのアクション見れただけで満足でした。とは言え、ちょこちょこ気になったところもあったのです。実は、この映画、アリババが金出してるらしくて初っ端にALIBABA PICTURES(だっけ?)の文字がドーンと出てくるのです。ゲェ~!!!(驚)ジャック・マーは映画もやっとんのか。てか、ハリウッドにチャイナマネー~???(汗)ちょっと!トム様の邪魔すんなよ!!!ミッションインポッシブルの世界を壊すなよ!!と心から思いました。しかし案の定、CIAの長官の秘書みたいな女が中国女優で(これは現実にはありえねーだろ???)ウィーンのオペラが京劇みたいな中国題材とか(これもホンマにあるのか???)※追記します。プッチーニ作「トゥーランドット」のようです。 中国が舞台のオペラだそうです。 あるんですね・・・無知ですみません。 しかしながら、あの流れで敢えて「中国が舞台」のオペラは どうも不自然でした。役者はみんな西洋人だし。 やっぱり、スポンサーに気を遣ったように思える。という違和感のある場面が二か所ありました。これは~チャイナマネーがMI(ミッション・インポッシブル)文化を浸食している・・・(冷汗)邪魔っけなこの2シーンに、ものすごい焦りました。しかしながら、中国女優は、ただ長官の側でPC操ってデータを出して見せるだけ。ただの脇役で一瞬で出番は終わり。オペラも音楽自体は全く西洋オペラで中国らしいドラの音すらしなかった。(と思う)この扱いに私は、アリババはうまくハリウッドにあしらわれたな、とホッとしました。もしジャック・マーが、スポンサーの立場で中国女優を重要な役に起用してほしい、それからもう一つくらい中国っぽいシーンを入れてほしいと頼んだ結果、今回の結果なら、ね。だって話の筋に全く関係ないですから。ああ、良かった。これからもMIの世界観は、キープしてほしいです。チャイナチャイナしたMIなんて格好悪い。腹出しランニングで角刈りのおっさんとかパジャマでスーパー行くおばはんとかヤニ歯のタクシー運転手とか連想してしまうじゃないの。他にも段ボール肉まんとかインチキ鶏肉工場とかプラスチック米工場とかとにかくインチキのイメージしかないのだから、入ってこないで。格好いいの欲しいなら、自分でオリジナルのチャイナアクション映画を作りなさい。そうそう、ジャッキー・チェンに頼みなさいよ。という事で、次の連想はジャッキー・チェンに。つづく。
2015/08/10
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6月半ばから昨日までに中国株が約20%急落したらしい。そういえば最近We Chat(中国版LINE)の投稿に株ネタ多かった。殆ど「金さえ出してくれれば殖やしますよ!」と詐欺みたいな投稿だったが^^;ちょっと前まで随分上がっていたみたい。でも中国にいい状況なんてあるかな?と不思議だった。それと相場は上下する。上がるだけ上がったら売りがでるのでその内下がるとみていました。そして当然、下がったわけです。すると焦った投資家がパニックになって次々に投げ売りし、暴落したと。株価が上がっている時に「我も我も」と金をかき集めて投資した人が一番エライ目に遭ってるようだ。昨日の私の知り合いのWe Chat投稿(男、32歳)「株が暴落して大損したが補填する金がない。 そこで、「私」を売り出します。 今まで前科なし、体も丈夫。 100キロを500gの米だけ!節約できます! (あまり食べなくても動ける意味?) 自分はベッドにも上がれるし、厨房にも入れるし、 布団を暖められるし、チンピラとケンカもできる。 かなりヤバい、緊急売り出しです。 お金くれれば、そんでいいです! 買値出して下さい、高い者勝ち! 絶対損はさせない、うそじゃない。 好きに使って下さい! 詳細は個別相談! 送料無料、すぐに飛んで行きます!」「自分」売り出し (汗)・・・この子のお母さんは私がお世話になった白タク運転手で前々回の日記や他にも沢山登場してきた人ですが。いつも息子、息子で・・・この息子が小さい時から夫婦働き詰めであまり家におらず。中学の時に息子が家出したり、グレかけた時は高いお金出して(裏でお金積んで)私立の学校に入れて。嫁をもらえるようにマンション買ってやって。車も1台、与えてやって。日本留学の用意もしてたけど息子は「嫌だ」と言ったので親戚のコネを頼って役所の仕事を探してやって・・・バカ息子が。ここ最近のニュースでは「株暴落、飛び降り」の見出しがちらほら。彼が、思い詰めない事を祈ってます。
2015/07/04
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中国版LINEと言って良いだろう、チャットアプリWeChat(微信)のモーメンツ(LINEで言えばタイムライン)には中国朋友達が結構マメに色々、投稿してるんですよね。・旅行/お出かけ系:どこそこ行きます、行ってます、行きました的な。・ニュース拡散系:経済ニュースとか、三面記事ものとか、 自分が気になったものを転送してくる。・反日系:安倍さんの事やら尖閣諸島やら戦時中の記事をやたら転送してくる。・ご飯系:朝食と夕食を毎日UPしてる人。・イベント系:マラソンにはまっている人が参加の様子をUP。今、中国でマラソンが流行ってるみたいで、マラソン大会が各地で頻繁に開催されてます。・宣伝系:自社取扱い製品の宣伝。とまあ色々あるので中国語の時事勉強を兼ねてヒマつぶしに読んでいます。・・・で、時々私もUPするんですよね。今までは4月の桜の花見、5月の沖縄旅行。桜は、中国女性陣&若い中国男性が大絶賛。沖縄は、会社オーナー陣が、すぐに、いいね!入れてきました。沖縄は素晴らしいリゾート地ですもんね。こんな風に、中国朋友達から素直に、いいね!とか「すごい綺麗」とかコメントが入ったりするので割合、楽しいです。そして今回は、たまたまお隣さんから梅の実を3キロ頂いたので、梅酒を仕込んでみましてその様子をUPしてみました。 去年はホワイトリカーで漬けまして、今年はブランデーでやってみようかと。投稿文書は下記様にて。===鄰家的梅子結果了而送我家,無農藥的梅子非常香。趕快浸梅酒了。平時用燒酒,但今年用白蘭地浸了。盼望明年開封!(お隣の梅が成ってウチにくれました。 無農薬の梅の実は、とってもいい香り。 すぐに梅酒を仕込みました。 いつもは焼酎を使うんだけど、今年はブランデーで。 来年開けるのが楽しみ!)========早速、中国朋友達のコメントが来る来る(笑)・大阪マラソンに参加する時に君んち行って全部飲んじゃうよ(笑)*マラソンに凝ってる中国朋友・いつ飲めるの?その時に日本に遊びに行くよ!・そりゃ~絶対おいしいよ。こっちの楊梅(やまもも)も季節になるよ。 食べにおいでよ!・美味そう!次、中国来る時、持ってきてよ(笑)などなど。若干、図々しいな、と思いながらも(笑)こういう感じがチャイナジョークですからね。こういうのも意外と関心あるのね、と。今後も中国では珍しそうな情報を発信して朋友達の反応を見てみたいと思います(笑)*** 了 ***#JA紀南で良さそうな梅酒手作りセットがありました。6月14日まで注文受付ですと。あと2日ですよ!(汗) 【送料無料】【JA紀南】梅酒・梅ジュースキット 梅酒・梅ジュースキット【ラッピング不可】価格:3,024円(税込、送料込)#もしくは、手っ取り早く買っちゃいますかね。飲み比べも楽しいですよね。09年モンドセレクション金賞受賞チョーヤ 黒糖梅酒 720ml 1本 888円価格:888円(税込、送料別)【モンドセレクション金賞受賞】ブランデーと蜂蜜をアクセントに仕込んだ無添加梅酒本坊酒造公...価格:972円(税込、送料別)
2015/06/12
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私が2002-2005年、勤務していたのは江蘇のある中小工業都市。月日で言えば13年前になりますね。あっという間でした。最近、その街へまた行ってるんですが、行けば行くほど見えてくる変化。街がさびれてる。人が少ない。スーパーの売値も随分上がってる。聞けば、人件費が高騰して現在は一人1万元出してやっと、まともな人材を雇える。多くの会社はコストの安い内陸部へ移転した。台湾企業は会社を閉めたり、夜逃げした者も。交通が便利になって皆マイカーを持つようになった事で白タクはもう仕事がない。私がお世話になっていた運転手は、ずっと仕事がなく老後が不安だと言ってノイローゼみたいになっていた。親戚に頼んで仕事を探してもらっていると。当時は、いきいきして、朝から晩まで運転していたのに。逆に13年前に起業した若者達は、儲かったみたいで工場を大きくして、外車に乗ってバリバリ働いている。明らかに、私より金持ちになっている^^;この13年、日本は何か変化あっただろうか?デフレの10数年だった、かな。私自身も13年前から、あまり変わってない。身体的に老けただけ ^^;起業して成功した彼らは言う。中国は大きい。本当に大きい。内陸はまだまだ全然発展していない。農村はまだ牛車を使っているほどだ。内需が大きいから、まだチャンスは沢山あると。確かにその通りかもしれない。「アコ、また来いよ」 と言われた。う~ん、それもいいかな。先ずは出張ベースでね。私には、日本は退屈すぎるわ ^^;#という事で、今後また中国ネタが増えるかもしれません^^
2015/04/07
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テーマにある「90後(ジウリンホウ)」とは、1990年代に生まれた中国の若者の事をさします。急激な経済発展の時期に育っていて、モノが豊富で一人っ子政策により両親や祖父母の愛情を一身に受けた世代。子供の頃は食べる物にすら苦労した70年代生まれとは環境や考え方が相当異なり、日本風にいうと昔よく言われた「新人類」とか「超人類?」等と言われている世代です。「甘ったれ」「我がまま」と言われていて「今どきの若いものは・・・」と引き合いに出される世代。でも良いところだってあると思うんです。物資は豊富なので飢餓感はない、なので人に分け与えてあげる余裕があるかな、と。そう思ったのは、今回いくつかの事があったからなんです。============今回の出張では上海近辺でバスや地下鉄移動とかスーパー行ったりしてローカルな動きをしていたのですが。通りすがりの若い中国人とのやり取りで印象深かった事をいくつか書きます。1)地下鉄に乗って虹橋火車駅へ向かっていた時。10号線でしたが、途中で駅行きともう一方に線が分かれていたんですね。私は10号線で虹橋(終点)まで行くのは初めてだったので、方向合ってるからいけるだろう、くらいで特に何も考えず乗っていました。すると私に「これは虹橋まで行きますか?」と聞く若い中国人女性が。私は「いや~私も分からない^^;行くんじゃないのかな? 途中で乗り換えすれば着くと思うよ」なんて適当に答えていたら、その女性は私が日本人だと(発音とかで)分かったみたいで(それはそれで、ちょっと「チェッ」という感じ)学校に日本人の日本語教師がいるとかで興味があるのか色々話しかけてくるんですね。この彼女は教育大学で小中学校の先生になる勉強をしているそうで、清明節で4月4日~4月6日まで学校が休みなので、実家のある鎮江(黒酢で有名な所)まで帰省するとの事。彼女曰く、帰省客が沢山いてきっと混んでいると思うと。私はのんきに「え~そうなんだ(汗)」なんて驚いていると彼女は切符売り場まで連れて行ってくれると言う。彼女は列車で私はバスだったのだけれど彼女はバスの切符売り場に来てくれて私が切符を買って、検札で中に入るまで友達みたいに、ずっと一緒にいてくれました。検札で中に入る前に「じゃあ」と去ろうとするので「あ、ちょっと待って!」と名刺を渡して、彼女の名前を教えてもらって別れました。「大阪に来る時があれば、是非連絡してね!」「ああ、私達はまた会うんですね!」「そう、また会いましょう!」彼女は教育学部なので人よりは面倒見が良いとは思いますが当然のようにずっとついてきてくれたのはとても嬉しかったです。彼女が名前を教えてくれた時に見せてくれた身分証にあった生年は90年代でした。2)駅の階段で重い荷物をゴロゴロひきずって、階段を上ろうとしたまさにその時!若い男の子が、微笑みながら、私の後ろを指さす。「後ろの階段に、エスカレーターがあるよ」「ありがとう!気づかなかったよ」肌がぴちぴちな男の子、見るからに90年代。3)スーパーの荷物ロッカーでロッカーから荷物を取り出そうとパスワード入れても反応がない。すると近くにいた2人の若い女の子が「店員さん呼んだ方がいいよ、このロッカー壊れてるもの。私達もさっき店員呼んで開けてもらったの」「ああ、そうなの。ありがとうね」・・・とまあ、大体こんな事があったんですけど。こっちが困ってそうな時に、見知らぬオバサンに親切に話しかけてくれるのは本当に有難かったです。多分、彼ら彼女らは育った環境が私(70年代)と同じような世代だと思う。気持ちに余裕のある新しい世代が、社会の中心になっていく事で中国自体が成熟した社会へ、良い方へ変わっていくんじゃなかろうかと・・・ちょっと嬉しかった、今回の出張の小話でしたね^^#大話もまたあるんですが、「80後の結婚問題」気力のある時にボチボチ書きます^^;
2015/04/06
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少し前に書いた桜の季節の外国人アテンドは、何となく思っていた通り、やはりキャンセルになりました。もお~残念!折角春なのにぃ~。エネルギー余って行き場がないので、無理矢理、上海出張行く事にしました。最初は3月末の予定で動いていて訪問先はみな、歓迎、との事。だけれどもチケットが高くて取りにくいので、4月上旬に日程を変更しました。すると訪問先の反応が、午前なら・・・とか何だか奥歯に物が挟まったような言い方に変わり(!?)。心配なのでWechatでネット通話をしてみると(ああ、本当にありがたい時代になりました)「你知道清明節吧?今年4月5日是清明節,中国人都回家掃墓。」(清明節を知ってるよね?今年は4月5日なんだ、 中国人はお墓参りをするんだ)ああ~~~~~~!!!清明節(チンミンジエ)かあ~~~~~~・・・忘れてたわ。中華系のお盆に当たる、清明節。みんな、この日は結構大事にしてるからな。パッと「青団」が頭に浮かんだ。上海留学中、春先は何故か突如出現し、あちこちで売ってた清明節のお供、「青団」・・・。(地方によって清明節のお供は異なるみたい。青団は上海や江南らしい)青団=チントワン=上海近郊で清明節の時に食べるヨモギ餅みたいなの。取りあえず、アポは取りましたが何だか悪いな~と思って。会ったら、ごめんなさいね~って言おうと思ってます(´·ω·`)ショボーン
2015/03/20
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前回の続きです。ダフ屋の兄ちゃんは、身長170センチくらいで、やせ形。服装は着古した色Tシャツに短パンといった所。五分刈りくらいの短髪で、顔立ちは目鼻口、みんな普通くらいの大きさで特徴がない顔立ちだった。一つ特徴があるとすると表情に険がなかった。バイトでダフ屋をやっているような業界にまだ染まり切っていないような普通の感覚を持っている表情があったのだ。先ずは、どこの出身が聞いてみた。この手の商売は、多くが外地人(地元以外の人)だ。すると四川省、だという。上海の食堂に住み込みで働いていた四川出身の料理人の女の子を思い出した。彼女は帰郷するのに列車やなんやで片道1週間かかるって言ってた・・・(1994年の思い出から)遠いな。「あなた、よく帰郷してるの?」「してない」「帰らないとお父さんお母さん寂しがるでしょう」「はは、帰りたいけど、帰っても仕方ないし」彼が言う「仕方ない」は、仕事もないし発展性がない、という意味だ。「あなた、いくつ?」「25」「いつから、この仕事してるの?」「2年前かな」「最初から、この仕事?」「いやいや、最初は工場に勤めてた。でもキツイし給料安いから・・・。こっちの方が稼ぎはいいし」「月いくらくらい?」「ん~大体2000元かな」2000元か…私は自分の勤務する工場を思い浮かべた。確かに工場のオペレーターなら普通に勤務して月に1000元程度。2000元なら、外国語が話せる事務職の初年度給料くらいかな。確かに、ダフ屋の方が稼ぎは良いだろう。(2004年くらいの話です)「一人でやってるの?」「いや、仲間がいる。」「あ、そうなの?グループがあるんだ?さっき電話してたのは、仲間?」「そう。みんなで協力してやってる」ふ~ん・・・この時、ふと思った。彼は、この仕事に対してどう思っているんだろうか、誇りに思っているのか、それとも・・・「ねえ、あなた、この仕事をずっと続けるの?」すると彼は「まさか!」と即座にいい「その内、辞めるよ」と笑った。そして、少し遠くに目をやって「将来は結婚して、子供を持ってさ・・・」自分の青写真を空に眺めているように、微笑みながら言った。そうか・・・兄ちゃんも、ダフ屋をやりたくてやってるわけじゃないんだな。彼を初めて、一人の人間として見れた気がした。「あ、そろそろ行くわ。時間だし。あ、あなたの連絡先教えてよ。また切符が必要になったら電話するわ」私は李くんから電話番号をもらい、握手をして別れた。「将来は結婚して、子供を持ってさ・・・」まぶしそうに、幸せそうに語った李くんの顔が、とても印象的でした。彼との会話で、通りすがりの中国人のダフ屋にも、当たり前ですが希望や人生があるのだと思いました。同時に、彼は中国の格差社会の厚い壁の前に自分の希望を叶えられたのだろうかと、それとも乗り越えられずに、まだダフ屋か、類似の商売をしているのだろうかと時折行く中国出張で駅前や道端で、その日暮らしをしている人を見ると李くんはどうなったかなあ、と胸をよぎるのです。【おわり】
2015/03/18
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いつか機会があればと置いていたネタですが、時間ばかり経ってしまうので、ここらへんで・・・10年前、まだ江蘇にいた頃、よく列車に乗って上海に遊びに行っていた。当時は列車で30分、片道15元くらいTAXIだと1時間半乗って200元バスは2時間で20元くらい?だから、列車が遅れは出るけれど一番お得で早かったのです。ただし上海に着いた途端に帰りの切符を買わないと、(全て列車を指定した切符です。切符があれば何でも乗れるのではない)夕方に買おうと思うと、夜10時まで売り切れてるとか上海発の切符を確保するのは難しかった。時々、奇跡的に夕方購入で、すっと買えることもあった・・・んだけど、あくまでレアケースでしたね・・・その日は急いでいたので帰りの切符を買わずに上海街中へ向かいました。そして夕方に上海駅に戻って切符を買おうとした時・・案の定、夜の10時発まで待たなければ切符がない。ちょっと6時間待ちって勘弁してよ・・・そう思って、窓口から離れて駅前に出た。TAXIで帰ろうかな・・・200元。列車なら15元なんだけどな・・・まあ時間はあるんだけど6時間も待てるかよ(疲)「南京、蘇州、昆山、南京、蘇州、昆山・・・」オジサンがブツブツ言いながら通り過ぎる。ダフ屋だ。南京や蘇州や昆山行きの切符を持っているぞ、という宣伝をしながら人の間を歩き回っている。ダフ屋か・・・それも手かな・・・しかし、あんまり気が進まないな。前に南京でやられたしな(汗)*南京発のバスでえらい目に遭った事がある。う~ん・・・(ダフ屋の様子を横目で見る)人相良くないな・・・それと、こっちから話しかけると足元見られるから向こうから言ってくるのを待とうか。そう思って、ブツブツ地名を唱えているダフ屋が行き来するあたりを、私も行き来していました。宣伝しているダフ屋の中に、ちょっと若い青年が混じっていました。あの子だったら悪どい事しなさそうかな。青年が「南京、蘇州、昆山、南京、蘇州、昆山・・・」と私の横をつぶやきながらすれ違った、その時「昆山あるの?」と振り向きざま私。「あるよ。」と振り返るダフ屋の兄ちゃん。・・・ここから、ダフ屋の兄ちゃんと色々話をするんですね。皆さんが中国のダフ屋と話をする事は、ほぼないと思うのですが私はこの時、結構面白いやり取りをできたのでお楽しみいただければと(笑)****「(切符は)いくら?(--)」(私の表情は仏頂面で目が据わってます、交渉なので)「30元」「高いわ!」「高くないよ、相場だよ」「何言ってるのよ、正規で15元、あんた30元って倍じゃないの!」「でも相場だよ」「・・・いいわ、バスにするわ」(目線を外して)「バスはもうないよ」「(兄ちゃんの顔を指さして)あんたは嘘言ってる!私はあんたを信じない」「は、俺は本当の事を言ってるよ、バスの切符売り場見に行けばいいさ(笑)」「見に行く」「もうないってば」「バスの切符売り場・・・」どこだっけときょろきょろ探す私の前に「こっち」と兄ちゃんが先導。私は兄ちゃんの先に「切符売り場」という看板を見て兄ちゃんに誘導される形で売り場へ向かった。何故か列車のダフ屋兄ちゃんと一緒にバスの切符売り場へ行く。電光掲示板に空席状況が出ている。二人で見上げた。兄ちゃんの目線が、素早く掲示板を滑る。私 「・・・ない」ダフ屋 「ほら、だからないって言ったじゃない(呆)」私は、困ったな、という気持ちとダフ屋が案外本当の事を言ったという意外な気持ちで黙って列車駅の方へ歩き出した。「切符買った方がいいよ」ダフ屋の兄ちゃんが後ろから声かける。私は反応せず、暫く歩く。「買おうよ、切符」これ以上無視すると兄ちゃんは諦めるな、と思ったのでこの辺で振り返りざま言った。「いくらって?」「30元」「高いってば、負けなさいよ」「いや、それは無理」「・・・・・・ちぇっ、仕方ないな。何時よ」「8時7分」「もうちょっと早いのないの?」「・・・ちょっと待って、聞いてみる」兄ちゃんは、どこかに電話をかけた。「ないって。これが一番早い」「・・・まあ、もうええわ(ため息)」私は切符を確認してから30元を渡し、兄ちゃんから切符を受け取った。売買が成立して、緊張感が緩んだ。「あんた、どこの人?」兄ちゃんが聞いた。私は切符を鞄にしまいながら 「・・・どこの人だと思う?」兄ちゃんは私をマジマジと見て「さあ、分からないよ。」私はちょっと声を落として「・・・日本」「・・・え?日本?」「そう(小声で)」「まさか!」「・・・いや、ほんとだって(汗)」兄ちゃんは斜に構えて私を上下に観察して「・・・日本人?」「そうだって(汗)」兄ちゃんは、まだ半信半疑の様子で「なんで中国語うまいの?」「いや、勉強したからよ。学生の時からずっとさ」「へぇ~・・・」兄ちゃんの顔がパンダかなにか見るように嬉しそうな表情になった。「ねえ、日本のお金持ってる?」「え?日本のお金?持ってるけど・・・」「俺、見た事ないから見たい。見せてよ」怪しいお願い(汗)「嫌だ。私はあんたを信用してないもの。見せたくないよ」ここは、きっぱり言う。まるで赤の他人、今、会ったばかり。信用できるわけがない。「大丈夫だって、信用してよ」「信用できるわけないじゃないの」「何もしないから」う~ん・・・環境としては、駅前の人混み。周囲は普通に人通りがあって、兄ちゃんの仲間が固まっているわけでもなさそうだし・・・私が日本人というのも彼にとってはイレギュラー状況だろうし、好奇心で見たいのは本当っぽい。まあ日本円を手に入れた所で、価値も分からなそうだし、威圧しながら見せれば、まあ、いいかな。私は、傍らの植え込みの脇に腰をかけた。兄ちゃんも隣に座った。私はカバンから財布を取り出して、一万円札を一枚だした。「こういうの(警戒)」「へぇ~」兄ちゃんは物珍しげに見て、さっと自分の手に取った。私の手から離れた(汗)イチ、ニ(秒)・・・「ちょっと(汗)」と私は兄ちゃんが持っている札を引っ張った。兄ちゃんは私に引っ張られるまま、札を手放した。気を悪くした表情はなく、嬉しそうな表情のままだった。「へえ~・・・あんた日本人なんだ」「そうだって、言ってるじゃない(苦笑)」・・・なんやそれ(笑)反応が予想外で面白いな、やっぱり。まあ、兄ちゃんは悪い人じゃなさそうだし、時間つぶしに(あと1時間あるし)ちょっと話するかな。そう思って、ダフ屋の兄ちゃんにインタビューしてみる事にしました。*長くなりそうなので、つづく。
2015/03/09
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また、英語圏のお客様です。ヨーロッパのお客様が3月上旬に来日すると連絡が入りました。と思ったら急に、下旬に変更になりました。やっぱり変更したか。(中国もそうだが外国客は変更は結構大胆にされる)まあいいや、丁度よく、桜の季節です。ハッ!まさか私が前回「3月上旬なら桜はまだですね、下旬は丁度桜が綺麗に咲きます」と書いたから変更したって事はないよね?? ・・・まあ、いいけど。 そして具体的な事は「提案して下さい」だったので私が色々プランを提案して宿泊地は大阪と京都になりました。殆どお任せだったお客さんでしたが、一つだけ強いリクエストが。 we prefer to stay in Japan style Ryokan accommodation. (私達は日本式の旅館に宿泊するのが好きだ)・・・旅館ですか!? さすがヨーロッパ、どっぷり日本文化が好きなんですね。 この辺、中国人や台湾人からは、なかなか旅館にしてとリクエストはない。安い所にして、とか温泉に入りたい、とかはあったけど。 ともあれ。まず宿よ。大阪の旅館は、温泉旅館以外は、ただ古い和室ってだけな感じなのでいまいちだと思うんですよね。それよりは大阪城の近くで大阪城公園一杯に咲く桜を楽しんでもらった方がいいんじゃなかろうか。あれは素晴らしいもんね。という事で、大阪は大阪城の近くのホテル、旅館は京都と提案し、お客さんも同意しました。早速、予約サイトで検索したら・・・大阪城の近くのホテルも京都の旅館も今の時点で空室が少ない。こりゃ、まず予約入れないと!場所が良くて空き部屋がある所に、とにかく先ず予約を入れました。ダメなら後でキャンセルじゃ!迅速行動の結果、大阪では大阪城近くのホテルを取れましたし京都では伝統ある老舗旅館を抑えられました。京都の旅館は、最後の1空き部屋でした。グッジョブ、私。あ~危なかった。おそろしや、桜の季節。 そして、あと一つ大きな問題。私の英語。本当にヘッポコだから。現状メールの読み書きは中学レベルの英語で何とかやっています。でも恐らくヨーロッパのお客さんは、私のメールを読みながら爆笑しているでしょう。(下手すぎて)会話なんて、聞くのは何とか分かっても受け答えが単語しか出てこないから。商談とか無理です。なのでミーティングの英語通訳は、別途手配しました。あとの問題は京都の観光・・・あの電車やらバスやら乗り継いで、あと英語で解説してあげないと・・・英語通訳は京都詳しいかなあ?などと悩んでいると。 「京都には英語でガイドしてくれるタクシーがあったはず!」と旦那氏。(いつの間にか、私は結婚しました、実は) 「値段忘れたけど、前にスペイン人が来た時に手配した。 スペイン人にどうだった?って聞いたら、至れり尽くせりだったと 大満足してたよ」そうなの!?それならガイドと観光案内両方やってもらえるじゃない! 早速調べてみると、2時間ごとに 12,000円ほどでやってくれるそう。こりゃ、いいわ!という事で英語圏のお客様アテンド、何とか解決しそうです。 後は、急な変更とかドタキャンがない事を祈るのみ~!
2015/02/27
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中国台湾専門に25年やってきましたがここに来て・・・英語圏のお客さんが出来てしまい、頭が痛いです。英文は大体読めますが、英作文は時間がかかります。話すのも日常会話にも届きません。社内に人材もいないし、複数の翻訳ソフトと友達状態です。今、見積書を作成していますが、これでいいのかどうか、自信が少ししかありません。何だか気分が悪くなってきました。しかし、取りあえず、出さないと始まらないので見積もりは出しますが。あとは熱意でカバー。。いい機会かもしれませんが、色々心配です。
2014/11/14
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11月の初めに江蘇省へ行ったついでに久々の上海ガニ(大閘蟹)を頂いてきました。陽澄湖で食べるのは何年ぶりかな?9年ぶり?木や花での季節感があまりない中国で、食べ物の季節は割とみんな重視していたので上海ガニは特に印象深いです。でも、中国では「上海蟹」とは呼びませんよ~「大閘蟹(タージャーシエ)」と言いますね。いわゆる上海ガニの本場、陽澄湖自体が、江蘇省の昆山市にありますから。本当は、上海と関係ないんです。さてさて、その陽澄湖のほとりには、カニ専門レストランが沢山。みんなカニレストランです。道中も車は、こちら方面は混んでました。それでも昨今の汚職撲滅キャンペーンで、役人は近寄らないので景気悪いんだとか。(白タク運転手の説)夜はネオンギラギラです^^そして我々が行ったのは、こちら。「蟹王楼」派手な所は「かに道楽」といい勝負かな、看板は動きませんが。レストランの横手に、生けすがあります。そこで生きの良さを確認して美味しく頂きました。今回は、昔の知り合いとも沢山会えたし色々と懐かしい訪中でした!!
2014/11/11
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香港のデモ。どうなるのか注視しているが、今の時間帯、TVでは放映しておらずニコ生中継は…今の所、大きな動きはない、静かだ。今の所、政府は話し合うが条件を呑むつもりはないらしい。北京もビリビリしている事だろう。学生主導の民主化デモ。天安門とオーバーラップする部分が多い。1989年・・・もう25年も経った。インターネットなるものが世界に普及し遠い国の状況を身近に感じる事ができるようになった。アジアは豊かになり、海外旅行の楽しみを享受し始めている。世の中の構造すら変わりつつある。ところが、北京では時が止まっているのだろうかと訝(いぶか)る。変わらないのだ。事故に遭った新幹線を、そのまま埋め報道されると掘り起こす。屁理屈で他国の海域に侵入する。宗教は弾圧。マスコミを牛耳り、ネットも統制。デモは違法とする。何を言われても、堂々と自己を正当化する。恐らく、自分の周囲1キロくらいの視野しかないのだろうと思う。学校では古典を延々と丸暗記させ、古代から変わらない思考回路を保つ事に執心もしている。だから25年くらい経っても何の変化もない。大きな国だが、中身は大きな村だ。巨大な村社会で村政治が行われているのだ。村長が絶大な権力を握り、他の地域では理解できない掟(おきて)で村人を支配し搾取する。1997年、返還に湧く香港に、私は何故そんなに大喜びするのか分からなかった。都合の悪いシーンがあると、TV放送を中断させたり約束を簡単に反故にしたり明日から施行、というような規則を作って実行したりとても見苦しい事でも、堂々と屁理屈をこねて実行してきた。北朝鮮と大差ない。そんな所に返還されて、何故喜ぶのか。2047年までは一国二制度を実施し社会主義政治を持ち込まない、と。裏を返せば、2047年以降は社会主義政治になりますよ、だ。本土と同じになりますよ、だ。50年の時間を置いた。50年って長い・・・?一個人の一生の中では、50年は長い。しかし歴史で見ると、一瞬だ。彼らの思考は1年2年ではない、10年、100年の単位で考える。50年の猶予って事は、約3世代の時間ですよ。この間に本土からの移民をどんどん入れて、学校教育を変えていって・・・50年経った頃には、返還当時の状況をキチンと覚えている人は高齢者。社会の中心の年代には皆無、フムフム、まあ同化できるだろう、という50年だろう。遅かれ早かれ、同化政策は実行されるのだ。チベットやウイグルと同じように。ともあれ。目の前で起こっている事について考えると今回の香港デモ、香港デモ側は現代人だが政府側は頭の中身が何世代か感覚がずれている。ただ、今回は世界中に注視されているのが分かっているので、すぐにどうこうはしないと思う。メンツ大事ですから。恰好悪いの、嫌ですから。また香港人の理性的な動きも政府側を過剰に刺激するものでもない。また場所がアウェーでもあるので気をつけて動かないと先が読めないですしね。先ずは自分のメンツを保ちながら(自分が悪者にならないように)でも要求はそのまま呑まない…方向で頑張るのだろうと思う。一つ心配なのは天安門でも一旦話し合いが行われたが物別れに終わり、その後、本格衝突になった事だ。いざとなればデモ隊は命優先で動いてほしい。生きていれば、また行動を起こせるのだ。今回の香港民主化デモが、平和的に着地する事を望んでいる。本当に、心から。
2014/10/03
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出張中、買い物のお釣りを受け取ったら、紙幣に何か印字してあった。先頭から、「中★亡 是天象」って・・・(汗)これはもう、あの団体しかない(汗)でしょうね。(ネット検索では、どうもそうらしい)書いてる内容は、「中★共★トウは、滅びるのは自然現象だ」みたいな事が書いてるんですけど。私は詳しい事をよく知らないので、いいとか悪いとかどうともいいにくいんです。ただ思想の自由が奪われるのはまあ、つらいでしょうねぇ。とは言え。お札に印字するとかさ~・・・。電話番号とかもメモってるけどさ~よく。大事にしようよ、お金をさ(汗)しかしまあ、今回、このお札を受け取った事で、やはり活動はしてるんだなあと確認しました。2005年だったかな?その時使っていた中国の携帯に、電話かかってきて出ると、自動音声で一方的に「共★トウはダメです、なぜなら・・・」みたいなアナウンスが流れて、もうその時は本当にびっくりしました。カクメイでも起こるんか!?と暫く茫然としましたよ。結局、いつも通りでしたが。あとね、これも数年前か。日本の某所にいた時に、うつむいて顔を見えないようにした人にサッと差し出されたのが、これ。ミニ冊子みたいになってるんですが、中にはビッシリ共★トウの批判が・・・中国語版で内容難しいのでななめ読みしかしてないですけど。という事で団体からのメッセージは、私は、今回のお札で、3回目ですね。在中では、こういうの日常的な事なのでしょうかね・・・?
2014/09/25
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スマホの登場で良かったと思う事は、通信が格段に便利になった事。特に国際電話。バカみたいに高かった。Skypeも使っていたけど、音悪いし。隙あらば課金しようとしているのがケチくさかった。しかしLINEネット代だけで通話アプリが使える!台湾人とはLINEで連絡すれば良いし(台湾ではLINEが普及している)そうすると国際電話代がかからない。ああ、今までの国際電話代って、一体なんだったんだろ~か?そして中国の友人にも勧めてきたLINEしかし彼らは、違うアプリを使っていた。それは・・・今年の7月?あたりから中国でLINEが規制されたと聞いた。確かに、その後、中国とLINEでのやり取りがおかしい。こちらが送っているのに、届いていない様子。先日、上海出張の時にも、メッセージを送れなかったり接続自体が相当調子悪かったので、本当にダメなんだと実感しました。そこで、中国版LINEとも言える「We Chat=微信」を起動。こういうロゴです。これが中国で普及している通話アプリ。機能的には、LINEと殆ど同じですよ!チャットが出来て、無料通話(無料呼び出し)が出来て、動画呼び出し(ビデオ通話)が出来る。ちょっと変わっているのは、右下のWalkie Talkieこれは、メッセージを録音して相手に届ける。先方は再生して聞いて、また録音して届けると。まあ、その名の通りトランシーバーと同じ機能ですね。最初はチャットと、録音しか連絡機能はなかったんだけど瞬く間に、通話と動画ができるようになってましたよ。ほんとこれ、パクリですよ。ロゴの色合いも似てるし。勿論、日本でもダウンロードできます。LINEを規制した理由っていうのが、情報規制らしい。都合の悪い情報を、外国のアプリでやり取りされると管理できないからって事なんでしょう。とはいえ、中国全土でLINEを規制して、We Chatは使えるっていうのは独占禁止法に引っかかるんじゃないの???こないだから、自動車関係に独占禁止法で取り締まってたみたいだけどWe Chatは正にそういう状況に見えるんですがぁ~~ん??・・・と、取りあえず書いてはみますけど私ごときの愚痴で、中国政府が規制をやめるわけはないので私は大人しく、中国ではWe Chatを使っております。私の身近な友人達には、We Chatをダウンロードしてもらい電話代を極力節約しております。*中国ではQQも普及していますが、私は取りあえずはWe Chatから。これらの状況は、みなさん、知ってる方も多いと思いますがネタとして、ちょっと書いてみました。
2014/09/23
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先日、上海へ、アテンド出張に行きました。久しぶりに上海だけ、です。地下鉄が16号線まであって、あちこちに通っているので本当に便利になりました。食事しに行くのも、ちょっと地下鉄乗ればすぐに繁華街に行けますしね。あの黄浦江沿いの外灘(バンド)から浦東のTV塔の景色も美しくライトアップされていました。20年前、留学時に、こんなになるとは想像できなかった。知り合いの新聞記者も企業の人たちもだ~れも思っていなかった。本当に信じられない。しかし現実にこうなっている。悔しいけど謙虚に受け止めないといけないと思う。この20年で華麗な奇跡を見せてもらったのだろう。様々な問題はあるにせよ、中国の勢いは止まらないだろう。日本の高度成長の時も、欧米諸国も、そのように思ったのだろうか。昔は懐かしいが、過去ばかり見ても未来ばかり見ても仕方ない。昔からの経験を活かしながら、今、目の前で起こっている事にベストを尽くす事が、私の年代では、これから重要になってくると思う。な~んて。もう、いよいよ オバちゃんになっちゃいましたwはあ・・・ (·ω·`寂)..........
2014/09/22
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今年も月餅GET♪ 2種類です。先ず、右の方。ふたを開けると8個入り。(本当は周囲に布が張ってありますが、 家人が早々に取ってしまった)更に、一つ一つをばらすとこんな感じで。外側はパイ状ですね。もう一つはブリキの箱です。 中はこんな感じ。 例のごとく 上げ底というか 全部取ったら、こんな感じ。何というか・・・日本でかつてあった過剰包装とはまた違う、中国は、とにかく大きく立派に見せようとする。そして中は、箱ほど特別なものでないというか。何かもう・・・張りぼて文化というか。一番最初に、月餅に接触したのは1991年の上海豫園だった。自由旅行のお土産に、いいんじゃないかな?と思って。1箱10元くらいだったんじゃないかな?日本円で言えば、当時250円くらいか。包装は簡素で、紙の箱。中身は、もっと平べったいパイ状の饅頭みたいだったね。給食のおばちゃんみたいな白い調理着着て、白い帽子を被ったおばさんが売ってたよ。1ヶ月後でも「不要緊(大丈夫)」と太鼓判押されたね。(心配)似たような風景があったので、載せておきますね。これは、1980年代の上海、南京路らしい。私が1991年に豫園に買った時は、もっと素朴で混沌としていたけど。ただ、こういう青っぽい紙の箱には入っていました。ビニルには包んでいるけれど、油が紙の箱に染み出ていて本当に素朴だった。さて、現代に戻って、今回の月餅を味見。 小豆と・・・ アヒルの黄身と・・・どっちにするかな?先ずは、アヒルの黄身から行きます♪ 美味しかったですよ!月餅は、アンコが多いので苦手なんですがこのアヒルの黄身は、ほどよい塩味で、良い感じなんですよね。この形状と色も、満月を表しているんでしょうね。月餅っていうのは、本来、中秋節に家族や親族と集まって食べる。月餅が丸いのは団らんの意味。中国人はみんな、この日を大事にしている。中国の会社は従業員に月餅を箱で配る。お客さんにも、月餅を贈る。贈ってはマズイお客さんには、月餅交換券を配ったり・・・それもこれも、中国の秋の風物詩ですよね。遅ればせながら、月餅ネタでした。そして今回の月餅は、例のごとく、冷凍しておいて、ボチボチ頂きます。^^;
2014/09/16
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近年は、大阪や難波に外出すると必ず中国語が耳に入るようになった。在住や留学生など増えている気がする。電車の中や、すれ違いの時に耳に入ってきたり。そして私は素知らぬ顔をしながら聞き耳を立てたりしている。まあ、気になるのです。ここ最近、目につくのは自由旅行なのか駅やスーパー、総合電器店等で、あれこれ迷っている中国人。すっぴんでラフな格好をしているのと大体が「家にいるかのように」ノビノビと振る舞っている様子から、すぐにわかる。大体は3-4人で色々悩んでいる。時間がある時は、しばらく観察。必要ならばヘルプしてあげようと待機しています。先日は、地下鉄のホームで若い中国人3人発見。女性2人に男性1人。女性はすっぴん、Tシャツ短パン、サンダル。男性はメガネ、Tシャツに膝丈パンツ、サンダル。リュックを背負って、恐らく自由旅行。男性は上の表示を見ながら、女性もきょろきょろしながら心許(こころもと)なげに歩いている。そして私。その様子をチラチラ観察。すぐに話掛けても良いが、出張っていって「いや、大丈夫です」と断られるのも嫌なので本当に必要かどうか、見極めを・・・中国人3人組は、向こうへ歩いていったかと思ったが・・・また戻ってきた。今度は地下鉄の路線図の前で何か相談している。うむ、これは・・・出番かな?(・▽・)えへっ先ずは、何気なく3人組の近くに寄って会話を立ち聞き。・・・ふむふむ、やっぱり迷っておるのう(笑)そして、もう一歩近寄って後ろから、さりげなく「要到哪裡?(どこ行くの?)」振り返った男女は、ほんの一瞬、『だれ?(警戒)』という表情が目に見えたが(本当に1秒くらい)恐らく、怪しくないと瞬時に判断されて「通天閣に行きたいんですが、どこまで乗ったら・・・」と。「ああ、それなら***まで。このホームで合ってる。 次の電車にのって、ここから3番目の駅で下りる、3番目よ」と提案すると「お~謝謝、謝謝」と、ちゃんと頭下げてお礼を言ってました。助けてもらった時は、結構礼儀正しいんですよね。そして昨日は近所のスーパーで。化粧品売り場で、中国人ぽい中年女性4人。買い物カゴには、すでに相当な量が(!)言葉は日本語ではない、これは確定か。2Mくらい離れて、様子見。彼女らは先ずキョロキョロ周りを見回し、若い女性店員を呼んだ。紙を見せて、何か聞いてる。「ウオヤオチェイガ(私、これほしいんだけど)」普通に中国語で聞く^^;店員、明らかに困っている。「スワン・ペイ・トウ・ミン・ジー・スアン!」 (双倍透明質酸) ダブルヒアルロン酸・・・と言う中国語を、噛んで含めるように日本人店員に訴える中国人女性。・・・無理やって^^;店員、絶望顔。首を振りながら退場しました。さあ、こうなると・・・出番かな?(・▽・)えへっ先ず、距離を詰める。そして、さりげなく横に立ち(笑)さりげなく話しかける・・・「要不要幇忙?(手伝おうか?)」「・・・あなた!!中国語、話せるの!?」中国人女性の安堵した顔。お仲間の女性達も来て、その後はワイワイガヤガヤで。上海から来た、と言うので。「私は上海に住んでた事があるよ」と言うと、「まあ、ご縁ねぇ」と返す中国人女性。楽しいひと時でした。総じて、その国に対する印象って、人の要素が大きい。冷たくされれば嫌な国だし、親切にされれば、いい国だし。個人個人が日本に良い印象を持ってイメージを少しでも好転できれば良いなと思ってるんです。もし大阪で中国人にヘルプしている小さい日本人中年女性がいたら・・・それは、私の可能性が高いと思います^^;一日一善!
2014/09/11
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上海に出張中の友人から、人民公園の様子の画像が届いた。どうやら、結婚相手を募集しているらしいと。独身女性:1980年7月生まれ。身長1.69m2002年4大卒(全日制)、学士学位。英語6級、世界500強企業に就業、月給6000元以上上海戸籍、両親は大型国営企業定年退職。求む:1975-1980年生まれの未婚男性。身長1.75m以上、4大卒その他条件は(女性と)相当。携帯:14*******●女士までこれは~・・・親だな(汗)大事な娘が数えで35歳になるのに、まだ結婚していない。何とかせねば~~!!・・・って、業者に頼んだみたいだな。だって、条件ばっかりなんだもん(汗)何か、人材募集みたい(汗)中国は結婚出産は重視しますからね。日本みたいに自由自由と言っていたら、未婚率が上がるのでこのくらいが良いと思いますね(汗今、上海の人民公園は、こんなんばっからしい。昔はもっと、のどかだったのに。。この写真は1992年3月、上海人民公園にて。この頃、鳥を飼うのが流行していたみたいで。お年寄り達が、人民公園に鳥かごを持ってきてひなたぼっこしてた。みんな旧い大きな自転車でさ・・・面白かったよ、この頃は。ところで今日は中秋の名月。中国も月餅、月餅、月餅で盛り上がってるみたいです。南京路から。そういえば、10数年前に中国人男性と電話していた時に「ちょっと外に出てみて」と言われ。「出たよ、何?」「空を見上げてみて。」「見たよ。」「月が見えるだろ?」「うん、見えた」「僕と君は今、同じ月を見ている」・・・・^▽^;;笑いをこらえた事がありました。そんな事も思い出す、秋の満月。中秋快楽!
2014/09/08
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ご無沙汰しています。最近1年は仕事が忙しく、なかなかブログを書く気持ちの余裕がありませんでした。実は何回か書いていたのですが、途中で消えたのもありましたね(涙)この1年は、外国案件に翻弄された1年でした。先ずは韓国から始まり、次は中国、次はスリランカ、次はロシア、そして日本(輸入案件)まあ~・・・どれもこれも話だけ、で結実はしなかったですね。徒労の感はありますが、まあ、これも経験さ。当たりが悪かっただけさ(涙)結実しなかった理由ですが全ては案件に対する実行力の不足でした。真剣さ、というか。こちらで整えて相手にパスしても相手は返事もしてこず、なかなか動かない。若しくは、相手が積極的な時にこちらの状況が整わず進められない、など。まあ仕方ない事ですが。これだけ連続して空振りだとなかなか疲れるものではありました。ここで得た教訓は、時間を守る・まめに連絡を入れる・など普通の事ができない人とは距離を置く。この1年は見事に上記ができない人達ばかりでした。口ばっかりだったな~。ところで昨今、世間を騒がせているお姉ちゃんがいます。私も注目しています。仕事人として、同性として。彼女の記者会見も見ました。感想としては、彼女が言ってる事が本当か嘘か、などは分かりません。ただ、質問に対し、ほとんど即答である事は気になりました。何かセリフみたいな・・・目線も動かないですし。通常は会話をしていると、考える間があったり何か思い出す時に目線が上下左右に動くなど、あるんですが。なのでリアリティがないというか芝居がかってる不自然な感じを受けましたねぇ。私は幸か不幸か、変わった人と接触する機会が多かったですから。彼女のような不自然さを感じる人も何人かいました。会社の女性同僚が、若くして急逝した時にあまり仲良くもなかった女性が社長の前で突然「○○さんが可哀想・・・ううっ」と泣き出した時その場にいた女性陣は全員、「え??」と目が点になったんですが。暫く、彼女が泣く様子を見ていた社長が「・・・嘘泣き?(笑)」って突っ込んでました。(言われた女性は「え?」と固まってましたがwww)他には、社長と上司の言う事はニコニコして聞くのに中間上司の言う事は全く無視、会話もしない仏頂面。困った我々が社長に相談に行った時に社長が大困りした(自分には従順なので)ようなへ~~~んな女の子もいましたし。まあ、男性もそうでしょうが女性の中にも、男性とはまた違った相当変わった人がいますからね・・・。外国人も含めると、多種多様ですし。。そんな中で、誰が信用できる人がどうかどうやって判断するか。私の基準の一つは、言ってる事と、やってる事が、一致している人です。・約束した時間通りに来る。・間に合わない時は事前に連絡をする。・見積もり回答は、約束した時間までに行う。・できない時は事前に連絡する。・メールも電話も、すぐにする。こんなんは、基本中の基本なので言わずもがなですけどね。案外、キチンと、できていない人が多い。及び・「今度、○○しましょう」と言って全然具体的な事を約束しない人。・「また送りますよ」と言って全然資料を送ってこない人。・・・なんて、ほんの小さな事ですが結局、小さな事すら実行できていない人なんて、大きな事で信用できるワケがない。あと・いつも、かなり図々しい頼みごとをして奔走させられるのに、 こちらが頼みごとをすると「この人に連絡したらいいよ」など、労を惜しむ人。こんなんも付き合いきれません。私はもう、どんどん切って行きますwww。時間の無駄ですから。世の中には、他にも大勢の人がいますから。他の人、探します。・・・で。あの大発明をしたというお姉ちゃんについて私は「それはいいんだけど、じゃあ、いつするの?」「いやいやいや、先ずは実績を確認できる資料を見せてよ」という感想です。できないなら、信用なんてできません。ましてや、その前に重要書類ですら悪意ないとか言って、インチキだらけだったんですから(呆れ)で、バレたら、「未熟でした、申し訳ありません」って。まあ呆れた言い方。30歳って、大人でしょ?おばちゃんとも言われる。彼女の勤務先の偉いさんも、30もなったおばちゃんに「未熟」と言う自体がもう。この一言で、採用間違いを逃げましたね。でも何言ってるの???じゃあ、いつになったら成熟するの???何を以って、成熟とするの?全く真実味がない。私は、この人は、元から、種類の違う人だと思います。割烹料理の中に紛れこんだスーパーの大量生産の洋菓子、みたいな。最初から入るべき人ではなかった。別種類の人だった。しかし老舗割烹から見れば洋菓子の華やかさに驚き、また「私は、割烹業界に革命を起こします」みたいに大きく出たもんだから「おお、いいんじゃないか!」と大いに期待した、みたいな。例えが良いか悪いかわかりませんが。あと洋菓子は、悪くないです。(ごめんなさい)長年の習慣で私は大体、人を取引先として信用できるかお金のやり取りをできる人か、というシチュエーションで見てしまうのですがあのお姉ちゃんを取引先として見て・・・こういう人は、嫌だな。何かあれば言い訳ばかりで何も対応しないでしょうね。でも反省しているふりをして涙目で、引き続き取引しましょう、と言ってくる・・・。でも都合が悪くなると、入院するwwwこういう人は、取引したくないな~・・・もし致し方なく売るなら前金100%仕入れなら、100%後払い。あと協議書作って責任範囲を明確にしておく。リスクヘッジしないと絶対できない。ともあれ。信用してもらおうというのなら言行一致させてから、初めて説得力を持つんじゃないですか。言うだけの人なんて、彼女以外にも、ごまんといますからね。という事を、外国案件に振り回された後の今だからこそ余計に思うのであります。もう騙されないぞ!!(涙)ではでは、また。
2014/04/12
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私の友人に一人、北は北海道から南は沖縄まで、しょっちゅう国内出張に行ってる人がいます。先日、久々に会って、いつものように近況報告をしていたのですが、よくありそうな話があったのでご紹介。。***僕はこないだ、新幹線の切符売り場にいたんですよ。そしたら、小柄なメガネをかけた老紳士と丁度、アコさんくらいの女性が一緒にいてそばに、西洋人の男性もいて、アテンドしてたんでしょうかね。結構目立ってて僕も見ていたんですがそのうちに、老紳士と女性が、大声で話し出して・・老紳士 「ところで君、新幹線のチケットは買ってあるんだろうねぇ!(`Д´)」女性 「はい、買ってます(おどおど)」老紳士 「ちゃんと席は取ってあるんだろうねぇ!(`Д´)」女性 「はい、取っています(おどおど)」老紳士 「君、もちろんグリーンだろうねぇ!」女性 「いいえ、指定席です(おどおど)」老紳士 「(驚)なんでグリーンにしないの!」女性 「グリーンは高いですぅ(おどおど)」老紳士 「グリーンに変えなさいよ!」女性 「でもグリーンは高いですぅ(おどおど)」・・・そしたら、その老紳士が「そういう事じゃ、ないワケ~!!(`Д´#」って、大声で言ったんですよ。そういう事じゃ、ないワケ~!!俺もう、どんなワケか分からんしおかしくて、おかしくて笑いこらえてたんですけど~・・・(笑)その女性はどうしたんですか?「グリーンは高いですぅ・・・」って言ってましたけどね、結局はグリーンに変えてましたね。アテンドしてた外国人は、どんなんでした?「何か、二人のやり取りを分からん風に見てましたけどね何かおかしいなぁとは思ってたんじゃないですか?周りの僕らも、だいぶ見てましたからね」何だか、よくあるシチュエーションで笑えました。・礼を尽くしてグリーンにしたい・メンツを保ちたい・今後、大事なお客になるかもしれない・・・等と考えたかもしれない老紳士の気持ち・え?指定席でどうしてダメなの?・グリーンなんて、そんな贅沢な・・・普通のお客さんだし指定席でいいじゃない等と考えたかもしれない女性の気持ち立場が違うので考える事も違う。どっちの要素が正しいかは別としてボスは明らかに老紳士。老紳士も、イチイチ説明してられなくてそういう事じゃ、ないワケ~!!が、出たんだろうな~と思って。他人事だから、ホント、面白かった笑
2013/12/09
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義烏のマーケットは、だだっぴろかった。5館に分かれていて全てのブース合わせて7万店舗あると。1館の中も、碁盤の目のようになっていて同じ間取りの店が延々と続く。業種ごとにエリア分けがされてありバイヤーが見やすいようにしてある。1店1店真面目に見ていれば一か月かかると言われているが、しかし同じような品ばかりが並んである。全く同じものも沢山ある。工場がマネをし合っているか、一つの工場に問屋がいくつかぶら下がっているか、という所と思われた。浙江省らしく、店先で商品を見ていても特に声をかけに来たりしない。パソコンに見入って、こちらをちらとも見ないとか携帯をいじっているとか無表情で、こちらの動きを見ているとか私から見れば、中国らしい風景であった。何店舗かに品物の価格を聞いてみたが同じような商品は、大体同じような価格だった。同じ価格の同じような商品の窓口が沢山ある所にあまり意味が感じられない。熱心に接客するわけでもなし。それだけ需要があるという事なんだろうか。ところで。8月の夏休み中なので、子供がやたらいた。小さい子供が廊下を走りまわっていたり中学生くらいの子供が店で宿題をしていたり。お母さん達が店に子供を連れてきてついでに子守りもしているのだ。子供に対しては、目一杯の笑顔で接している中国人を見て、姪2号も「中国人って子供好きやねんな」と感心はしていた。ただ、ごみ箱に向かって「しーしー」と、子供に、お小水を促している母親を見た時には、目をむいて驚愕していた。そんな姪2号を見てうん・・・そうやな。常識ってヤツが、ない人が多いんだよね。。でもまあ、昔よりは随分マシになってきたのよ、これでも・・暑かったのと、彼女の精神的なショックも考えて初日は午後1時でホテルに戻りました。
2013/11/09
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義烏のマーケット、つまり国際商場へはホテルからワゴン車の送迎バスを出してくれていたので、それを利用した。インド人らしき人、西洋系の人、中国人・・・などなどが乗っていた。乗ると運転手が、「どこまで?」と聞くので「1号館」「2号館」など、それぞれ目的地を告げて送ってもらう形だ。運転手のオジサンは、乗客と世間話をしながら「暑いなあ・・・40度あるよ。 昔は40度を超えると学校も会社も休みになったもんだけど 今は休みにならないなあ・・・」などとこぼしていた。本当に暑かったのだ。バスから下りて日が当たると「日よけ~~」と日傘や帽子を急いで取り出す。そして吹いてくる風は 熱風・・・街中に、ドライヤーの熱風が吹いている(熱熱っ)そして姪2号は「アコ、もう帰りたい(--)」出た。・・・(--)「あっちな。行くよ!」姪2号 「えぇ~~~(~~)」う~ん、やっぱ、まだ子供やなぁ~・・・等と思いながら、中へ入りました。つづく。
2013/10/11
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ホテル到着は夕方4時過ぎ。最近は安宿に宿泊すると疲れるのでそこそこの宿にしか泊まりたくなくなった。多少狭くても汚くても、朝食がなくても我慢できるが夜、騒がしいのは、もうダメだ。最近は三ツ星程度では、夜でもドアを開け放して大声で話をする中国人がいる。高い確率で予測されるリスクなのと姪2号のショックを軽減する為に今回は西洋人が多いという4ツ星レベルにしておいた。街の外気温は、かなり高かった。風があるのだが、これが何と熱風なのだ。ドライヤーで炙られているような妙な感じだった。だもんだから、クーラーの効いたホテルに入った途端、姪2号は「ああ~~幸せ」と笑顔になった。え?私も確かに涼しく思ったが、そんな「幸せ~」と感激するほどでもなかった。あれ?経験と耐性の差だろうか。年の差とも言うか?ホテルに隣接してスタバがあったので姪への労いとして、デザートを与えた。そしてホテルの部屋に入り、姪2号は早速お風呂へ。そうこうしている内に夕食の時間。今日の食事は何にしようかな~・・・折角中国に来たから、やっぱ中華だよな・・・マイルド目な感じで、飲茶とかあればいいがな・・・姪2号がお風呂から上がったので「ご飯食べに行こう」と言うと「嫌だ、行きたくない」と言う。「ええ??晩御飯食べようよ、アコお腹空いたよ」「大丈夫、アコ」そう言って、姪はキャリーケースを開け「ラーメンいっぱい持って来たから!(^▽^)」・・・^^;・・・・・・なんで中国に来て、わざわざカップラーメン食べるねん!(困)「お願い、お願い!!もう中華とか無理」お前~~~~!!!(怒)そして。グツグツグツ・・・バチン!(湯沸しケトル)「アコ、お湯わいたで~♪」初日の夕食は、日本のカップラーメンになりました。ほんまに~~~・・・でも、私も初日はお菓子食べてたっけ?ま、いいか^^;つづく。*次回、いよいよ義烏マーケットへ!
2013/09/17
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上海浦東空港に着いた。路線バス乗り場へ移動。この後は上海南駅から長距離バスに乗る。空港から南駅までの路線バスは20元。列車は最近乗っていないので優先順位を下げた。長時間の遅延は面倒だし和諧号(新幹線のパクリ)も何度か乗ってはいるが不気味だ。姪2号も「お願いやから電車はやめて」と恐ろしがっていたのもあった。しかしながら他の交通手段でも同じだ。心配していると、どこにも行けない。アクシデントがあれば、そういう運だった、という事にして人力でどうしようもない事は色々考えないようにしている。長距離バスを事前にネットで調べると(ああ、本当に便利な時代になりました!)1時間に1~2本で時間は3時間半、料金も約100元(約1,680円)と普通だった。長距離バスは切符売り場の混雑も知れているし席も大抵ある。結構、便利に使っている。バスターミナル行きのバス乗り場で姪2号にカメラを向けると「いいよ」と断られたがオバは「まあ、ええやん。笑って」と強引に撮影。何気ない所が後々いい思い出になるのだ。ロクに写真を撮ってこなかったオバの反省でもある。姪2号は暑さに閉口しながらも笑顔を作った。割合乗客は多く、座れず立ったまま、しかしバスターミナルまで1時間はかかった。南駅に到着後も少し歩いた。南駅は、列車・地下鉄・バス全て一緒になっており巨大ターミナルである。少しの徒歩移動でも10分かかる。テクテク歩いて、ようやく長距離バスターミナルに入れた。切符売り場へ移動。電光掲示板に、各都市への時刻表が表示される。義烏行きの時間を確認して切符売り場の列に並んだ。列は多くて7人くらいだ。順番はすぐに回ってくる。姪を目の届く所に立たせて2枚購入した。約40分以上待ち時間があった。店はあるがテイクアウトばかりのようだ。座れそうにない。仕方なく駅構内に入り時間をつぶす事にした。人が少なめな地下にもぐった。姪2号が足が痛いというので、簡易スリッパを履かせた。彼女はもう、すっかりくたびれてしまったようでカメラを向けても素の表情だった。う~ん・・・アコは、まだ全然元気なんだけど。。長距離バスも列車と同じく改札口で待機しておき、発車少し前に、やっと改札及び乗車できるシステム。大きな荷物は、バスの下の荷物入れに「自分で」荷物を入れる。姪は驚愕しながら、自分で運びいれた。乗車すると乗客はまばら。20代くらいの若者が数人か。我々の席に座っていた若者に切符を見せると「他、空いてるから自由に座ればいいじゃない」はいはい。姪2号「なんて?」アコ「他の席空いてるから自由に座ったらいいやんってさ」姪2号「ええ??・・・さすが中国やな」パイナップルみたいな変わった髪型をした運転手が乗り込んできて出発。何かあるとすぐクラクションを鳴らしていた。自分で荷物を荷物入れに入れてクッションの悪い座席に自由に座り数分に一回鳴るやかましいクラクションに急発進、急停車。約3時間半後、義烏へ到着。外に出ると、そこは地方都市。「どこまで?」と白タクがワラワラとやってくる。「**大酒店。いくら?」「40元」「・・・いらない」「30元でいいよ」「だめだ、20元」「それは無理だ」こんなやり取りを何人かとして相場を探った。バイクは20元、輪タク/タクシーも30元のようだ。結局最初に声をかけてきた運転手が再度声をかけてきた時に「30元やな?仕方ないね」と応じた。車に乗り込んでから姪2号が「何て言ってたん?」と聞くので大体の流れを説明した。彼女は「ふ~ん・・・なんかすごかったな、 囲まれて乗れ乗れ、みたいな感じで」そして、鼻をクンクンと動かし。「・・・なんか、もうあんまり臭く感じへん。(感じない) 麻痺してきたわ」と座席にもたれて目をつぶった。だいぶ、適応してきたようだ。つづく。
2013/09/11
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8月初旬、上海・義烏へ中国出張。義烏は10年前に一度訪れたきりだけどずっと気にしていた場所。依頼されている件もあり商材探しも兼ねて行ってみる事にした。今回は初海外の姪2号(18歳)も勉強の為に連れて行く事にした。以前、エジプトへ連れていった姪1号とはまた性格が違い、次女らしい甘えた部分がある。どの程度我がまま言われるか不安もあるが早い内から日本を客観視できるようになってもらいたい事と視野が広がるようにと思う気持ちの方が強い。「アコ、仲良くしような。ケンカせんとこな。 いきなり切れんといてな~」何度も言う姪2号も、(アコと2人旅行という事に)かなりの不安を感じているようだ。まあまあ、喧嘩してもトラブルあっても後で振り返ると、そっちの方が楽しい思い出になるんだよ♪そんなこんなで、珍道中がスタートしました。中国・上海初上陸の姪、最初の一言が「クサイ!」でした。え??クサイですか?姪は「クサイ」を連発していましたが私には分からない。言われてみれば遠い記憶。20年前、夏場は生ごみのすえたニオイがしていた気がするけれど・・・今は何とも感じない。公衆トイレに行こうとした時に「アコ、そのトイレ、めっちゃクサイで!!」遠くから鼻をつまんで忠告する姪。私は「そう言われればクサイな」。ひょっとすると、中国でクサイなど言ってられないとして脳がニオイを感じなくさせているのだろうか、などと思った。というか、私の嗅覚が鈍いのか??色々考えてしまいました。初心者と行くと昔を懐かしく思い出せるのが、楽しいです。次は、長距離バスのお話。つづく。
2013/08/24
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最近、毎回だが、良いテーマを設けて頑張って書くぞ!と思っても続かない。折角のインド旅行も、そういったわけで続き物は断念する事にした。尻切れトンボは落ち着かないので今回で強引にまとめに入る。私が海外旅行に求めるものは現実逃避だ。文字通り別世界へ行って現実とは全く違う経験をし心をリフレッシュする・・・ついでにビジネスチャンスを観察するってとこか。欧米やリゾートも素敵だと思うが今の私が求めるものは、そこにない。という事でインドだった。インドは初心者で、ほんの数日滞在しただけだったが先入観なし(=下調べなし)の感想を下記へ。・食文化・・・カレーメインだが、最近辛い物が好きなので問題なかった。インド人のガイドいわく、自宅ではこんなもんじゃないそうだが。ガランマサラの風味なのか、食した後に来る「じわ~ん」とした優しい辛みが大好きで土産にガランマサラを沢山買った。家でカレーを作った時に入れてインドテイストを懐かしんでいる。・発展度・・・相対的に見て、デリーは90年代後半の上海のような感じを持った。道路や建物、インフラはもうそれなりに整っている。バラナシ(ベナレス)など郊外は、同じく90年代後半の浙江省の田舎とか、北部あたりの印象だ。という事で、この辺りはデジャヴュ的な所があった。逆に言うと、新鮮味はなかった。・宗教・・・心の在り方の指針になる点では良いのだろうがそれも現実世界がある程度充実した上でだろうか。現実に幸福感を感じられない為に宗教が必要な人がいる。社会システムに組み込まれている場合もある。インドの宗教に対するスタンスは何だろうか。・ビジネスチャンス・・・あるだろうと思う。が自発的な所ではなく外的要因が必要かな・・。ガツガツしている人が少ない。少なくとも90年代の上海では外国人と見たらたちまち「朋友(一方的に友達)」になり何とかチャンスをつかもうとするギラギラエネルギーが渦巻いていた。そういった気力が、あまり感じられない。・チップの習慣・・・慣れないのもあるが、この習慣は勤勉精神に逆効果ではないか?・不思議アイテム・・・インドの日用品に面白いものが結構あった。距離が遠いからか、日本とはかなりテイストが違う。ヨーロッパ寄りなテイストとインド的アーユルヴェーダなテイストと。・仏教・・・発祥の地だ。お釈迦様が悟りを開いたのはインドだ。遺跡に行った時に、そこだけ空気が違っていて大変心が落ち着いた。私の自我形成が長年煮込まれたスープのように様々な経験が溶け込んでいるにせよやはり基本のダシは仏教なんだ、と思えたような感覚だった。次回、行く機会はあるかなぁ。あまり呼ばれる感覚というか、引っ張られる感覚がないからこれっきりになるかも。しかし・・・暑いですね~。今日から8月。皆様ご自愛ください。近々、中国出張入りますがまた、簡単なレポートをします。ではでは
2013/08/01
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また間が空いてしまいましたが・・・インド旅行の写真をUPします。今までに書いた部分の補足から、ですね。まあ、あれこれ描写するより早いですから・・・“百聞不如一見”(百聞は一見に如かず)■デリー空港。結構きれいで驚きました。2013年1月1日、時刻は夜の12時過ぎ。新年あけたばかり。この後、アライバルビザの手続きをしました。(1時間かかったよ)■ホテルの部屋スタンダードからアップグレードしておきました。4つ星くらいの感覚でしょうか、綺麗なホテルで違和感なし。安宿は、年と共に結構きついので今回、避けました。フロントは日本語不可、最低英語です。時刻は朝3時。■デリー駅ひと眠りもできずさっそくスケジュール通りに、タージマハルへ。アグラへ列車移動の為デリー駅に到着。早朝5時ごろの様子。真っ暗なのに結構人がいました。電光掲示板でした。■列車に乗り込む人々大きい荷物は頭の上に乗せている人が多かった。この画像ではわかりにくいですが(動画キャプチャなので)頭はターバンなど巻いて顔や首周りは防寒しているのに足元は素足など、ガードが甘い。■線路でたき火へんてこ過ぎて、もう何だか。線路の間でたき火して、みんなで暖を取っていました。(ホームから何人か、下りてきて自由に暖を取る)こちらに向かってガッツポーズをしている人はサービスです。ちょうど我々の列車の車両に欧米系の観光客が乗って写真を撮っていたので、ポーズ取ってくれました。可愛いじゃないですか・・・しかし線路でたき火は初めてで・・・状況が理解できませんでした。お茶売りかとも思いましたが我々には売りに来ませんでした。しかしまあ、これから山ほどあるのだろうとこういう理解不能な異文化系は、取りあえずデータとして、丸ごと受け入れ。インド初心者なので・・つづく。
2013/07/03
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間が空きましたが、お土産買い物の続きです。ターゲットプライスは「200ドルです(きっぱり)」私は言い切ったにもかかわらず、インド人工場長は、350~380ドルの値札の商品もネゴの対象にして「話し合いましょう♪」と余裕のスマイル。工場長あんた・・・“50ドルも値引いてやったら御の字だろう”くらいに思ってるだろうけど。それは難しいですよ。私も2万円以上は厳しいので。時間はあるから、粘らせてもらうよ。(中国人みたいに)若干、緊張感を持ちながらとにかく粘る事を決意して。更に、プレートを選り分けて、結局371$と札が貼ってある、このプレートが残った。。。工場長は、「350ドルまでダウンしますよ」とニッコリ。私は首を振りながらスマイル。「申し訳ないけれど私の目標価格は200ドル」工場長「この木の台をつけます。そして梱包して自宅まで郵送します。 とても良い条件です」私は無表情で首をふる。「ノー。無理。200ドル」工場長は首を切る仕草をして「私はクビになりますよ」とユーモラスにジェスチャー。私は「ふっ」と冷めた笑い。工場長のスマイルがなくなってきた。工場長 「200ドルはあまりにも少ない。無理だ」私 「でも私の目標価格は200ドルなんですよ。 私も無理ですよ」工場長 「・・・お茶でも飲みましょう(作り笑い)」ホットチャイを持ってきてくれた。(こういうサービスが私にとっては、工場長は200ドルでも いけるだろうと思わせるのである)私 「あら、ありがとう~」工場長 「味はどうですか?」私 「とっても美味しい(^^)」工場長の「チャイ効果」の期待感はお茶を飲む私への視線が痛かったのでよく理解できたのですが・・・それならと私もマイペースで、ちょっと焦らしてやったりして(汗)「あ~おいしかった。サンキュ」ゆっくり食器を置いた私に「ど、どうですか!?」即、聞いてきた工場長が、本当にチャイ効果に期待している事に驚いたのですが「トゥー・ハンドレッド・ダラーズ(にっこり)」悪いけど、と思いながら回答。インド人工場長は、首を振りながらがっくりと肩を落とす。チャイは、効きませんでした!!^^;・・・実は。私は無理にまけさせようと思っていたのではない。記念の土産物は値段はキリがない。買うなら2万円、と線引きしていたのだ。それも、できるだけ気に入ったものを、だ。そして、あのプレートが気に入った。だから200ドルとこだわっただけで無理やり値切るつもりはなかった。なので工場長が「チャイでもダメか・・・」とがっかりしている様子を見て、私も考え直した。200ドルでは、やはり無理なのか(考)でも大理石プレートは買いたいもんね。どうしようかな・・・「うん、じゃあ!」一つ思いついた。工場長、すねた表情になって、こちらを見ない。傍にいた若い男の子に声をかけた。「これより小さいプレートあるでしょ? そっちを探すわ。どこにあるのかな?」若い男の子は、「あ、ああ、それはこちらに・・・」別のコーナーに小さいサイズが沢山あったので私は移動して、同じように最初から選別し始めた。200ドルでダメなら妥協するしかない、小さいプレートでもいいよ。気に入ったのがあれば、それでいいし・・・そう思いながら選んでいると男の子が、あちらを見ろと。工場長が、イライラした顔で、私を手招きしている。「戻ってきてってさ」と私の連れ。え~・・・なんなの。(もう)最初のテーブルに戻ると、工場長はもう笑顔はなく「200ドルは少ない。もう少し増やしてくれ」「・・・ノー。私の目標価格は変わらない」「この木の支えをつけるから!」「・・・う~ん・・・これ?。 どう使うのかな?(工場長が素早くセッティング) ああ~、そういう風に。 う~ん、でも、この木の支え、小さいよね? サイズ合ってないわ、大きいのないの?」「ある、ある。(そばの男の子に)すぐ持ってきて。 ・・・こ、これでいいでしょ?」「いや、だからね、ノーだって」「・・・木の机もつける!この上にプレートを置くと サイドテーブルになるんだ、ほら!いいでしょ??」「う~ん・・・(少しうなづく)」「これだけサービスするから。200ドルよりもう少し増やして。頼む」「・・・・・・」工場長も全く余裕なくなってきた。意地になってきてるから、ちょっと譲って成立させた方が良いな。ネゴしろはどのくらい・・・今、多分1ドル92~93円?。。(2013年1月2日頃)限界は、210~220ドルかな・・・先に210出して、もう一回言われたら220に上げるか?いやしかし、ここで、まだグズグズ言ってると不愉快な商談になるからな・・・それも旅の思い出になってしまうし。まあ工場長も真剣な表情になっているから。決め打ちでいこうか。・・・そのような事を数秒考えてから。「OK!220ドル!これが上限」私は言い切りました。工場長はしつこく 「もう少し!」だから・・・^^;あかんて。「悪いけど、220ドル。これ以上、出せない!」工場長は、目をつぶってこらえたような顔をした後、カッと目を開いて、サッと右手を出した。私も手を差し出し。工場長は、私の目をにらむように見ながら(というか、にらみつけられてたような)とても強い力で私の手を握った。まるで『もうこれで決定ですよ』と念押しするかのように・・・私も強く握り返し『分かった、ありがとう』の気持ちを視線で伝えたつもりだ。交渉成立(^▽^)☆・・・あれ?こんなもんなのか。もっと粘られると思ってたのでちょっと拍子抜け、な感じでした。まあでも一応、目標価格に収まって良かったなと思い。220ドルでも高かったかもしれないけど私が満足したからいいか♪と、納得したネゴでした。220ドルでは勿論、郵送サービスもないので荷物として持って帰ります。破損しないように、工場で、プチプチで巻いて梱包してくれるのですが。私は、「どこで梱包しているの?」と聞いて作業員の所へ見に行き「へぇ~すご~い。上手ねぇ~」と褒めながら私が欲しいプレートが確かに梱包されている事を梱包が終わるまで見届けました。頑張ったお土産ネゴは、5年ぶりくらいだったかな?工場長が、いいキャラだったので面白かったし。久々の買い物ネゴは、とても楽しかったです♪つづく。
2013/05/14
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若い頃の旅行は経験重視で見た事ない、聞いた事ない、やった事ない、を体験する事を重視して、お土産などは正直どうでもよかった。しかし近年、人の記憶力は曖昧なものだと思い知ることが多くあったので、写真をできるだけ撮って「あ~こんな人いたよな」と思い出せるようにし、また「行ったこと」を実感できるようにそして思い出を楽しめるように、毎回何か、飾り物的で長期に保存できる記念品を買うようにしていた。エジプトの時はパピルスに描いた1*2mほどの絵を買った。安い絵だったけれど、絵よりも高価な額に入れて壁に飾った所、それなりに見えて満足している。「こういうの悪くないな」と思ったのでインドでも何か記念になるものを買おうと思っていた。タージマハルを見学した後ガイドの収入に直結するであろう「大理石工場」に連れてこられた。タージマハルは大理石でできている。装飾は、色石を大理石にはめ込んで花模様や何やかやにしているのが素晴らしい。タージマハルの興奮さめやらぬ時に同じ作り方の工芸品を作っている大理石工場に連れてきてお土産を買ってもらおう、というコースのようだ。私達(今回、英語のできる日本人の連れが同行)が工場に入ると作業員が手作業で細工している所を案内されそのあと、即売場に通されました。いかにもインドの人、みたいな工場長とか館長とかいう人が案内してくれたのですが直径70センチくらいの、テーブルにできるくらいの大理石細工を見せてもらったりしました。石の下からライトを当てると、ほんのりライトが透けて結構美しかったのですが、これは大きすぎ。私はもう少し現実的に、片手で持てるくらいの大きさで、飾りになるくらいの大きさで、且つそれなりに見栄えがするのを探していました。そして、これいいな、と思ったのがこれは既に家に持って帰ってきているものですがこのくらいだったら飾りにもなるし模様もエキゾチックだし、で。「これを買おう(ヨシ)」決めたのでした。価格は・・・2万円まで。原価から言えば、そこまでないだろうけどここまでの足代と素材が大理石や色石な事を考えるとトータル2万なら出してもよいと。そして館長に「このあたり、見せてもらってもいいですか?」と声をかけ。すると館長は、待ってました、とばかりに他の模様なども含め、何十枚を案内してくれました。好きなものを選んでください。あなたが気に入ったものをどんどん取り分けて消去法で決めればよいと。As you like♪この辺りの態度からも1枚でも売れればかなり利益出るのだろうなと憶測。勧められるままに、直感で好きなものを取り分けて合計20枚くらいが候補に残りました。館長も、これは買わさにゃ!と「さあさあ、さあさあ!」みたいに押してきたのでいやいや、ちょっと待って。「こちら、おいくらかしら?」落着きはらって聞いた所、館長は素早くプレートの裏を見せて「ここに値段が書いてあります。これは440ドル、これは371ドル・・・」ああ~値札が貼ってたんだ。あれ?結構するのな。どれも350とか(汗)う~ん、でも私の目標価格は2万円だから・・・(正月当時)220~230ドルくらいまでだな・・取りあえず200ドルで聞いてみよう。「OK.My target price is・・・two hundred dollars」途端、館長ははあ~??という表情をして私を凝視。私は、ニッコリ凝視し返す。館長は「No,No,No」と首を振りながらガラガラとプレートを片付け始めた。しかし・・・あれ?半分は残しました。「話し合いましょう、200は少なすぎる」にこやかに商談を続けようとする館長。え?でもさ、残ってるのは350ドルとかそのあたりの値段・・・・・・あれ?(考)じゃあ、残したプレートは200ドルの可能性があるって事か・・・全く可能性がないなら全部片付けるものねぇ。でも館長はテーブルに残した。且つ、ネゴる気満々って事は、彼の中では200ドルで「あり」って事。あらら・・・えらい尻尾出しはったな(汗)相手の手の内が見えたようで嬉しかったのですがそこは顔に出さずに、腹の中で次の作戦を立て始めました。つづく。
2013/05/02
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まだインド2日目ではあるが、要所要所でお土産を確保していかなければならない。私は日用品のお土産調達は中国ならスーパー、急ぐ時はコンビニで調達する事にしている。同じものが空港にいけば、2~3倍になっているからだ。そんなつもりでインドでも、スーパーはどこかなと道中、建物をチェックしていたのだけれどそれらしい感じはない。中国で言えば1993年の上海くらいの雰囲気か。恐らくそこらに「ない」と判断し、ガイドに買い物をしたい旨を伝えておいた。「何を買いたいか?」と言われ「石けん」と答えた。私はよく知らないが、友人から「インドの石けんや洗浄剤はナチュラルで良い」と聞いた事がある。まあ昨今、石けん流行りだし、消耗品だし高くはないし、無難だろうという所である。友人からは「大体1個50円くらい」と聞いていた。ガイドが案内してくれた店は、日用品・雑貨の店のようだ。棚やガラスケースに商品が置いてあり目つきの鋭い30代と思われるやせ形の男性店主が座っていた。愛想笑いもない。・・・商売下手なタイプ、と踏んだ。「さあ、ここです」と言われ、恐る恐る(何と言ってもインドなので、ちょっとドキドキ)店内に入って石けんを探した。石けんはあったが種類は1種類で、また値札はついていなかった。歯磨き粉なんかもあったので、歯磨き粉か~と思い、しかし、口の中に入れるのは抵抗ある人がいるよな・・・と考えていると「あの~すみません・・・」と女性の声で日本語が聞こえた。振り返ると、日本人女性。サリーを着ているのでインドが好きな日本人旅行者、と見た。「紅茶を買おうと思っているんですが、これで3000円って言われてるんです。高いんですかね?」ちょっとアジア一人で色々行ってます、みたいな20代後半くらいの女性で、できるだけ安く買いたいとご希望の様子。「ああ・・・私もインド初めてで・・・(困)」ガイドを見たが、店の外で人と話をしている。恐らく彼もマージンもらう立場だから店主が高く売ってくれる方が良いだろうし聞いてもしらんふりだね。お茶の値段はモノによってピンキリだろうけど。ここはお茶専門店でもないし、値札もない所を見ると、ふっかけている可能性が大だが・・・あっ!「あのね、私、この石けんの値段、知ってるんですよ。50円くらいのはずなんですよ。もし、これを高いこと言われたら、恐らく紅茶も高いです。」1ルピーは(正月時)1.5円くらいだから・・・50円だったら、いくらだ?30ルピーくらいか・・・「Excuse me,how much this one? this soap」私が尋ねると、店主は電卓を叩いて「250」と示した。「えぇ?250?Too expencive!」店主は首を振りながら「Not expencive」愛想笑いも一切なし。・・・おいおい、おっさん。それはないやろ。日本人やからとなめられたら困りますな。では、ちょっと軽く。(以下、実際は英語ですが日本語で)「高くないって、高いよ。私はこの石けんの値段知ってるもの」店主が電卓を私に渡す。私は「30」と示し、「30ルピーなら受け入れるよ」店主はニコリともせずに首を振る。「え?ダメなの?じゃあ、いくらなの?」電卓は、やはり「250」「OK!他の店に行く!サンキュ!バイ!」この店主のタイプは商売ができない。ネゴも時間の無駄、さっさと切り上げた方が良い。大股で店を出て、ガイドに「ここは嫌、他の店」と告げてさっさと車に乗り込んだ。座ってからあ、紅茶の人・・・店を振り返ると、サリーの彼女も何も買わずに出てきたようだった。良かった。(ホッ)ガイドは、私が店を出た事について何もコメントせずにいたので、彼が店側だったのは明らかだった。という事で、つれていかれる所はガイドの収入に直結しそうだと、高くふっかけられるのだなと、そういう認識を頭に入れた。次は、大理石の民芸品を売っている加工工場に行くという。まあ、またそういう所なんだろう。でも折角はるばるインドまで来たので、長く残る民芸品も買いたいしね。いいのがあれば買ってみようかな。ただし。十分なネゴの上で!久々の買い物ネゴ。ドキドキ・ワクワクしとりました。(ウフフ)つづく。次回。中国仕込みのネゴでインド人と火花バチバチ^^;買い物ネゴは、私、結構イケてると思うんですよ(ワクワク)
2013/04/21
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