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このシリーズは母の発病から在宅介護の今に至るまでを覚えている限りで実話に基づいて書いていこうと思ってます。途中でめんどくさくなる可能性もありますが(笑こうやって書くことによってこういうALSもあるんだ。とかこんな家族もいるんだ。となんらかのみなさんのお役に立てればと。。。そして書き残すことによって 私も昔のことを忘れず成長できれば・・・と思っております。なお、このカテゴリは書き綴るだけなのでコメントは入れなくてOKです♪ただし、何か質問や疑問などがある方は掲示板やらメールにてお知らせ下さい(゚∀゚)っていうかコメント拒否設定ってできないの?楽天ブログ・・使い方わからーん(笑 *・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜ 今から思い起こせば、母がALSの最初の症状を訴えたのは私が17歳の頃だと思う。。。 洗濯物をハンガーにかけづらい~。垂直飛びができない~。って言ってたのがALSの発症の始まりだったのだろうか。私は当時、まだ高校生。しかも決してすごい真面目な生徒ではなかったのでバスで行くのがめんどくさく、ほとんど母に車で送ってもらっていた。朝だし、会話らしい会話はほとんどしなかった。もともと、うちは家庭円満なほうではない。私が中学生の頃あたりに父の浮気(真実は不明)により母と父は仲良くなかった。そして私が受験シーズンの中3の頃から、母は別居を始めた。と、言っても、父が帰ってくる夜に 母は違う家に帰る・・・という『父を避けた状態の別居生活』である。なので、私や姉はほぼ毎日母に会っていた。でも小さかった私はグレてはいたものの(笑)寂しかった。離婚という話も出たりしていたしなにより中学の頃のイジめられた期間や受験の心配日々の出来事 など 母に喋りたかった。よくドラマに出てくる夜中に受験勉強してる子供に母親が『夜食よ~』って持ってくるおにぎり。こういう普通の生活にありそうな出来事に憧れていた。家族団欒で食べる夕飯に憧れていた。学校から帰ってきたら『おかえりー』との母の声。そういうありきたりなことに憧れていた。話は少しずれたが。別に最悪な母親なわけではない。しかし最高な母親でもない。母は好きだけど大好きなわけでもない。高校の頃の私はそんな感じだった。なので、そんな母の異変に対しても『ふーん』って感じで完璧に聞き流していたし、気に止めてなかった。実際、母もそうだったと思うが・・・ でもそんな症状もだんだんと増えていった。私が17歳の夏頃からは、『らりるれろが言いにくい』『ラーメンが吸えない』『左手が肩より上に上がらない』得に『らりるれろ』については確かに変なのだ。聞き取る事はできるもののなんというか、”舌たらずな言い方”みたいな感じ・・・でも”ら行”だけなので、余計におかしかった。母も不安に思ったのか どこからかの情報で『大きく口を開けて発声練習すれば治る』と聞いたらしくいつも大きく口あけて、顔の筋肉をフルに動かしてら!り!る!れ!ろっ!!って練習していた。車の中で運転しながらやりだす母の姿は面白かった。通り過ぎていく対向車の人は、母をみて首をかしげていた(笑 『恥ずかしいからやめてよ~』って私も言った。『はい!あなたも一緒にらりるれろ!!今日も元気にらりるれろ!!!』と、おかしなセリフも言っていた(笑私はそんな母を見て笑った。母も笑っていた。そのころは何も知らず、いずれ治るだろうと誰もが思っていた。。。 ~続く~
2007年01月25日
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~湯浅型ALSをみなさん知っていますか~ さぁ。ちょっとかっこよく始まりました(笑このALS&痴呆症のカテゴリではうちのおかんと私の今までの戦いを書いていこうと思います。不定期更新ですし 第何話まで進むかわかりませんが人間同士の争いに興味ある方 どうぞ。。。( ´艸`*)なぜこの話を書こうかと思ったのかといいますとこの湯浅型ALSってALSの中でも極めてまれなケースで発症する病気です。 私も認めたくないし、『なに?その病気・・』ってな感じだししかも湯浅型ってなによ。くらいにわかってないのですが(笑でも、おかんの症状や進行具合、介護の仕方や家族の受け止め方 などここに綴ることで、なんらかの形でみなさんのタメになったら 嬉しいなぁ。と思いまして。。。こんなALSもあるんだ。。。くらいに思ってもらえたら光栄です。そして同じ湯浅型ALSの方。 いらっしゃいましたらコメント残してもらえると嬉しいです。
2006年11月16日
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