思うことつれづれ


@@@様々な意見を持った方がいますから、必ずしもこういう考えの方ばかりではないでしょう。
@@@でも、ここは私が考えること、思ったことを書いているだけですので、どうぞ気を悪くなさらないでください。
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人に親切にすること、他人を思いやること・・・これはとても難しいと思いませんか。
親切の押し売り、なんて言われかねないこともあります。
その人の立場を真に理解するのは、とても難しいことと思います。
他人なんだから、思いのレベル(って言い方もヘンですが)も違う、価値基準も当然違います。

手話通訳者の友人がいるんですが、「身障者を単に気の毒とかかわいそうな人と言ってはいけない」とよく言います。
彼女は私たちにそう言って、啓蒙しています。
そして、身障者にも「甘えてばかりいてはいけない」と言っています。
聴覚障害者は(視覚障害者もそうでしょうが)得られる情報がかぎられているので、わからないことが多いようです。
市町村の広報でも何でも、利用者が少ないと費用対効果を考え、そういう人向きのお知らせを縮小する傾向があるのも一因と思います。
そのため「私は障害を持っているから」と甘えてこられるらしいのですが、「知らない・わからない」「自分は障害があるから健常者は我々を助けてくれて当たり前だ」という態度でなく、もっと積極的に情報を得る努力をし、色々な企画にも参加してほしいと、その手話通訳者の彼女は言います。
同情し、構ってやるだけが「思いやり」ではない、自立を促すことも必要だし、それが真にその人のためになるのだとも言っていました。
互いがお互いを思いやることの難しさをここでどう表現していいのかわからないのですが、彼女から学ぶことはとても多かったと思います。
少し前に結婚し、県内ですが遠くに引っ越しました。
そのため、貴重な人材・・・手話通訳者を県の福祉事務所は失いましたが、彼女は今、個人的に手話通訳を必要とする人のために働いています。
役所にいれば規則だ条例だと縛りが多かったけど、これからは障害を持つ人のために思う存分、活動できると思います。
だから、退職したことは彼女にとってはいいことだったと思いたいです。

なんでこんな話になったのかというと、私の周りに未熟児だったことで障害を持った人、心を病んだ人が友人としているからかもしれません。
また、最近ではユニバーサルデザインという障害を持った人、子供連れのお母さん、妊婦さんなど様々な人にやさしい町づくりが叫ばれているでいかもしれません。
いずれも相手の身になって考えないと、とんでもない思い違いからケンカになってしまったり、大切な税金を使って役立たずな施設を作ったりしてしまいます。
相手を思いやる気持ちは、はきちがえるととんでもない方向に進んでしまうと思う今日この頃です。



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