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京都の高台寺に行ってきました。5月の新緑が神々しいまでに、美しく、風が心地よかったです。高台寺は豊臣秀吉の正妻ねねが建てたお寺です。ねね様好みなのかしら?あまり、お寺というより、別邸という感じです。とても落ち着くところです。見所は「傘亭」「時雨亭」利休のデザインだと言い伝えられています。もともと、伏見城にあったものをねね様のご意向によって、高台寺に移築してきたそうです。痛みも激しいそうで、やっと修復が終わったそうです。普段は一般公開はされないそうですが、東日本震災復興支援義援金として、「傘亭」で茶席が設けられています。ねね様や秀吉が実際に使っていたお茶室で、お薄をいただけるなんて、なんて幸運なのでしょうか!!柱のデザインもさりげなく落ち着く空間です。「時雨亭」は、2階建ての珍しいお茶室なのですが、2階は損傷が激しく、下から眺めるだけでした。大坂夏の陣で大坂城が落城することを、ねね様は「時雨亭」の2階から大阪の空が赤く染まるの見て知ったということです。また、行きたいです。http://www.kodaiji.com/index.html東日本震災復興支援 高台寺「重宝文化財 時雨亭修復記念」傘亭茶席2011年5月13日(金)~7月18日(月・祝)東日本大震災の義援金として「茶席」の収益を全額寄付します。圓徳院も特別茶席をもうけています。高台寺/1,000円 圓徳院/800円(お茶席の受付は午後4時半まで)※別途拝観料が必要です。
2011.05.22
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21世紀に入って10年がたちました。本の世界は今、大きく変わろうとしています。Ipad、キンドルと、本がデータ化され、電子BOOkとして読めるデバイスがたくさん登場し、2010年、巷では「bookビジネス2.0」の時代と呼ばれ、大変な話題となっています。データ化された本は、インターネットという広い海に吸収され、出版業界も流通も大きく変わっていくことでしょう。はたして本は無くなる運命なのでしょうか。きっと本自体が無くなるということはないと思います。本はとても便利なものですし、電子データでずっと読むのも疲れますから、本で育ってきた私たち世代の大人は、リアルな本で読みたいという要求が無くなってしまうということはないでしょう。本の手触り、ページをめくっていく感覚は私たちの細胞の奥深くまで浸透しているように感じています。けれど、慣れというのも怖いもので、受け入れがたい変化を受け入れてしまうとあとは意外と速くなれてしまうものです。もしかしたら人間は本質的に変化を望んでいる動物なのかもしれません。私はしばらくの間は電子書籍と本は共存していくのではないかと考えています。たとえば、ケータイ小説は、ケータイというデバイスで読むだけでなく一度読んでしまった内容が本という形になったときにまた買う人が多いと聞きます。きっと、デバイスで読むのと本で読むということは、別の体験なのかもしれません。多くの本が電子書籍となり、消費されていくと思いますが、自分の好きな本、自分にとって価値のある本は、やはり本として買う、あるいは印刷して製本するというそんな文化に変わっていくのかなという気がしています。本の歴史を追っていくと、キリスト教の普及と同時に本が多く作られ、普及したと書いてあります。神の言葉であり法という人間にとって最も重要な言葉を伝えるものなので、価値が高く、長く保存されるべきものであったのです。大変重要な内容にふさわしい、美しく高貴な威厳のある本が作られていきました。製本の技術はイスラム文化圏でさらに花開き、コーランの普及と共に発展していきます。そして15世紀にグーテンブルグの印刷機ができ、本の世界はここでまた大きく変化していきます。印刷機の開発による変化は、今のインターネットが開発されたこととおなじようなインパクトがあったでしょう。この時から手で作られていた本の世界は激変したのです。しかし、今、印刷によって変わった本の世界はインターネットの発達により、さらに全く違ったものとして変容していく可能性があります。本の歴史は、今新しい時代を迎え、これからどのように動いていくのか大変楽しみです。私はインターネット・ケータイにまつわる仕事をしていますが、手作りの本、ノートなどを創ることが大好きです。ipad、キンドルなど電子書籍の文化のはじまりは、未来に何をもたらすでしょうか。一人の、本とインターネットに係る人間として、この時代の流れをしっかりと見据えていきたいと考えています。
2010.08.07
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私はいつも不思議に感じるのですが、製本の道具を手に入れたときに、なぜか独特の喜びがあり、心から嬉しい気持ちになるのです。この嬉しい気持ちをどのように表現したらいいのか分からないのですが、普通の買い物をする喜びとは違う、私にとってなんともいえず、深い喜びなのです。製本という仕事は、趣味のカテゴリではあまりみかけません。だからあまり製本道具というものがどこに売っているのか、はっきりしないのですね。まだ日本では、製本に携わる人口は非常に少なく、マニアックな分野なのです。日本の伝統的な技術ではなく、西洋の技術なので、日本での歴史が浅いこともあります。もちろん、日本の独自の和とじの本もあります。和紙と墨の文化は、古く大陸から伝わり、日本の地で受け入れられ日本の文化として確立されています。現在は和綴じの本を利用することは日常的には多くないですし、西洋の本が当たり前に私たちの日常にあふれているわけですが、西洋の製本工芸を仕事にし、ましてや趣味にしている人は少ないのです。ですので、製本の道具はあれだけの商品が網羅されている東急ハンズでも置いてある量が少なく、本格的に制作を始めようとすると、自分で道具を作らないとならないことが多いのです。売っていないものは作らないといけないということですね。はじめはそれが億劫だなと思ったのですが、いざ道具を創り始めると、なぜか夢中になりました。材料を買いに行くところからうきうきするのです。何よりも、その道具が出来たときに、ものすごく嬉しくて、内側から喜びが湧いてくるのです。なんでこんなに嬉しいのか、自分でもよくわからないのですが、とにかく嬉しくて、嬉しくて何度も作られた道具を眺めては喜んでいるのです。伴侶というか、相棒というか、そんな感じでしょうか。道具がこんなに好きだとは自分でも思いがけない発見でした。今日も、皮をすくための、医療用のメスを買ったのですが、シンプルな、ある意味無機質な道具なのに、大変豊かな気持ちになるのです。メスを買って喜ぶというと、ちょとあやしい雰囲気ですが、皆様には、そのようなことはないですか?今までいろいろな趣味で、手作りのための道具を買うことはあったのに、この製本の道具を手にいれたときには特別の喜びがあるんですね。きっといつか、この喜びの意味がわかるときがくるでしょうか。作品を創る時の喜びは当然いつも味わっているわけですが、それとも違う、やはり伴侶を得たというような特別の喜びなんです。道具というものが人間にもたらす感情って、本当に不思議ですね。良い道具は一生の相棒です。なにより頼りになるやつなのです。このような喜びがあること、そういった喜びがあることを知ったこと、まことに人生は奥深いです。
2010.07.19
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革のノート20代前半のひと時、私はフランスに住んでいたことがあります。私にとって初めての外国暮らしでした。生まれて初めて乗った飛行機で、日本から旅立ち、一年半ほどパリに住みました。この若い時の一年半のパリ生活はあらゆる面で私の感覚を開いてくれましたが、とくに本やノートにまつわる発見はとても新鮮でした。重厚な街の本屋さんには、革張りの本が並びます。革装丁の本は日本では辞書や百科辞典しか見たことがなかったので大変驚きました。日本のようなブックマーケット式本屋さんもありましたが、本というものの文化が全く異なることに大変驚きました。また、文房具や紙類がとても高いことも驚きでした。日本のような良質の紙のノートが、ふんだんに安く手に入ることはなく、作りは雑なのにとても高価なのです。でもとても魅惑的で素敵なノートが沢山ありました。デザインも使われている紙も日本のものとは全く違う感覚なので、ときめきを感じながらノートを買いました。今では、日本製の製品は、紙も美しく、作りや使い勝手が良いことをとてもよく知っていますが、その当時は、異国の文化に多大なあこがれを持っていましたのでパリで初めて出会った新しい魅惑的な文房具に触れることにこの上ない喜びを感じたもののでした。今になって、その時に受け入れた異文化のセンス、感覚が、自分の嗜好の源となっていることが良くわかります。長い間の時を経て、パリでの生活経験が私の中で熟成されていたのでしょう。ある時私は、突然、製本を習い始めました。身近かな人にプレゼントをするときに、オリジナルのものを差し上げたいなとふと思ったのがはじまりです。紙という素材にも出会い、昔見た、レトロなパリ風のノートや本を思い出しましたが、なかなか探しても手に入りませんでした。自分で作ってみたいな、という気持ちになったのです。インターネットを調べ始めました。すぐにとても良い先生がみつかり、通うことになりました。こうして先生のアトリエに通わせていただきながら、基本を学び、本やノートなど、徐々に作りたい作品を作り始めました。思い返してみれば、唐突に始めたように感じる製本やノート作りのはじまりは、二十代の頃のパリの生活が原点だったのですね。若いころ、異国の文化に触れ、その後日本に帰り、日本の文化の美しさを逆に探求し始め、日本の美に魅せられました。私の中で二つの文化がやっと統合され始めたのかもしれません。洋風でもあり和風でもあるasomeの手作りノート・本を手にとっていただけましたら幸いです。手製本のノートやオリジナルの本は、ぬくもりが伝わり、一度利用するとなかなか既成のノートが使いがたくなります。手で作るものは心が安らぎ、落ち着きます。多くの方に手製本の良いものを使っていただきたい気持ちです。今私は、自分が欲しいと思っていたノートや文房具を作るだけではなく、誰かが、「こんな感じのものが欲しいな」ということをお聞きして、世界で他にないオリジナルなものを作ってあげたい気持ちで作品作りをしています。「ここは使い勝手がいいけど、もっとしっかりした素材だったら」とか、「これがもっと可愛い表紙だったらら買うのにな」と思っていらっしゃる方は沢山いらっしゃると思います。できないこともあるかもしれませんが、もし私にできることがあったら、ご一緒に企画して考えていきたいと思います。またweb上で共同購入ということで一緒に企画に乗ってくださる方がいらっしゃれば、みんなで作っていこうと考えています。ぜひ、この製作者とお客様との双方向プロジェクト、asomeプロジェクトにご参加ください。
2010.06.25
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サフリ・デュオの「Rise」2010 男子フィギュアスケート 世界選手権のブライアン・ジュベール選手ショートプログラムを繰り返し見ては楽しんでいます。ロックコンサートのようでもあり、大好きなスターと一緒に踊っているような盛り上がりがあるのです。フィギュアスケートのショートプログラムは、確実に技を成功させることが要求され、失敗は許されません。その分、緊張感は倍増、失敗を回避するために、無難なジャンプを選ぶのが常套です。しかし、このジュベール選手は「真のスケーターなら、ショートプログラムでも4回転を跳ばなければならない」と言うほど4回転への使命感が強いのです。採点方法が変わり、型にはまった、つまらない演技が増えてくる昨今、果敢に挑戦してこそ、見るに値するいい男というものです。若干沈痛の面持ちのジュベール選手が、氷上でポーズをとると、サフリ・デュオの「Rise」が流れます。緊迫した空気の中、黒い開襟の胸に金のペンダントが光り、ラテン系の妖しい動きから始まります。緊張が最高潮に達したそのとき、一瞬に空気が変わりました。最初の4回転が決まりました。拳を強く握って、喜びを身体全体で表す姿は、当然ジャンプが成功しないと見られないポーズです。体から自然に発する喜びは、私たちと共鳴し、一体となり高揚していきます。ジャンプをしても、ステップしても、スピンをしてもすさまじい歓声と手拍子がおこります。テレビでも会場の熱気が伝わってきます。勢いがあって、軽快で少しコミカルなステップ。かっこよくて愉しい、男っぽい演技です。フェンス越しのコーチの手拍子と掛け声に、拳を差し出して応える場面で、更に会場は盛り上がり、ジュベール選手の力を引き出します。絶好調のジュベール選手のその合図に、コーチは大喜び。選手が演技中にコーチとコミュニケーションをとるのは、見たことがありません。何度見ても、楽しい場面です。演技を終えた瞬間は、自らも会心の出来だったのでしょう。紅潮した顔で雄叫びを上げていました。「これが、ジュベールです!!!」と興奮する解説者。ドラマチックな2分50秒でした。なんて、爽快で魅力的な演技なのでしょう!2010年冬季オリンピック直前に『NHKスペシャル』「ミラクルボディー」という番組を偶然見ました。世界一安定した4回転を飛ぶ選手、ジャンプをするのに理想的な「ミラクルボディー」を持つ選手として特集が組まれていました。彼が番組で「4回転はまるで雲の上を飛んでいるような気分だ」と語ったことがとても印象的でした。滞空時間はわずか0.7秒。技を極めた人間だけが許される境地、ジュベール選手は、その飛ぶ瞬間に確実に「なにか」を掴んでいるのでしょう。五輪ではどんな演技をするのかと楽しみにしていましたが、ショートプログラムで最初に4回転を失敗し、それが尾を引き、見るのも痛ましい結果でした。「すべてを失ってしまった」とコメントしていましたが、それから、わずか1ヵ月後、今回の世界選手権に出場です。五輪の時と同じプログラムだとはとても信じられません。全く別人です。最初の4回転ジャンプの成功によって、「雲の上を飛ぶ」感覚を演技全体に体現し、見る方も、一緒に爽快な躍動感を味わうことができたのです。曲名の通り「Rise」(上昇、高まり)でしたね。今回は総合3位という結果でした。そのコメントは数々の苦難を乗り越えた強さを感じさせます。「満足。 今シーズンは辛かった。失敗が多くて辛かった。 (中略) メダルをとれたのはリベンジではない、良い気分で再出発をきりたかったから。 批判を避けて頭を下げて生きてきた。 批判のせいでやめたいと思ったことはない。 自分を証明したかった。自分がまだ強いことを見せたかった。」ジュベール選手はなんと5回転も可能性があるとか?今度は雲の上を越え宇宙を飛んで私たちを楽しませてくれることでしょう。どん底から這い上がって復活する姿は美しい。そんなジュベール選手に、拍手をおくります。●ブライアン・ジュベール選手のRise (2010男子フィギュアスケート世界選手権 SP) http://www.youtube.com/watch?v=IS_pHQIz6Tk ●ミニ ブライアン・ジュベール選手のRise あんまりかわいいので...http://www.nicovideo.jp/watch/sm9222904
2010.03.28
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山陰地方にいってきました。今年に入って二度目の雪となり、大変な寒波と聞いていました。電車の窓からの景色はすでに暗く、日程が決まっていましたので、雪の鳥取に向かいました。行きは新幹線でしたが、岡山から八雲に乗って米子に着いたのは、夜の九時を過ぎていました。前が見えない情況だったので、その日は取り急ぎホテルに入り、休みました。 次の日、起きて窓を開けると一面雪が積もっていました。東京もこの頃は雪が積もることがほとんどありませんので、何かとても懐かしい光景に出合ったような気持ちでした。そして、雪が降っているのに、お日様が出てきて、お天気雪とでも云うのでしょうか。青空が見えたり、お日様がきらきら光っても雪が降り続ける不思議な天候なのです。地元の方に聞くと、良くあることとおっしゃっていました。場所が変わると、雪の降り方も全然違うのですね。山を越えて岡山や広島、山口はまた全然気候が違うそうですが、日本海側特有の、共通した湿り気のある風土に懐かしさを感じました。その日の仕事を済ませて、米子から鳥取へ行きました。夜の食事をどこにしようかと迷っていると、地元の方が「土地の料理なら『たくみ』はいかがですか」と教えてくださいました。鳥取民芸美術館の隣にあるたくみ割烹店は、とても素敵な店構えです。民芸館の並びで、美術館、民芸店、割烹店となっています。民芸美術館の一環として、民芸品を実際に使っていただき、美味しいものを食べながら器を味わってもらうという、生活的観賞の場としての割烹店。大変素敵な空間でした。このような美術館と割烹店が並びにあるのは初めて見ました。障子やスタンド、テーブル、壁掛け、のれん、すべて手作りの味わいのあるものばかりです。また出てきたお料理がとても素晴らしいのです。鳥取の地の食材をそのまま心をこめてだしてくださっている感じで、このようなおもてなしは、だれでもが感動すると感じました。「烏賊の麹づけ」「こもちかれいの煮つけ」「牛筋の煮込み」「お刺身、」「豆腐のあんかけ」など使い勝手の良い民芸品のお茶碗、お皿に盛りつけられ、お櫃ごとのご飯にも感動します。目で見て、手で触れて味わい、空間も楽しめるという場、今まで経験したことがない空間でした。お店の書棚のところには、司馬遼太郎さんが訪ねてこられ、書かれたという文章が掲載されていました。さすがに司馬遼太郎さんです。奥行きのある紹介文書はお見事と思わず唸ってしまうような、本当にお上手な文章でした。まさに今経験していることを的確に、美しく表現されていて、お料理とともに大変感動しました。お値段もお安く、どなたにもお勧めできるお店です。心豊かになる空間って、素晴らしいですね。雪で平日のせいもあるかもしれませんが、あまり人が入っていなかったことが、少し気がかりでした。ぜひ、続けていってほしいなと思いました。翌日の朝も雪でしたが、美術館を見、たくみ工芸店に寄り、器を買いました。とてもお手頃のお値段でした。そして今日の仕事が終わってから、鳥取砂丘に連れて行っていただきました。せっかくの砂丘でしたが、雪だったので、雪の平原となっており、砂は見えませんでした。しかし、大変美しい夕焼けと、明るい雲の流れに大変感動しました。 http://www.infosakyu.ne.jp/toricom/square/takumi/
2010.03.08
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バンクーバー五輪にプルシェンコ選手が出場すると聞いて、とても楽しみにしていました。4年前のトリノ五輪の金メダリスト、ロシアの天才男子フィギュアスケーター エフゲニー・プルシェンコ選手です。4歳から病弱な身体を克服するために、スケートを初め、11歳にして、スケートを本格的に学ぶため、家族と別れ一人でサンクトペテルブルクへ移住。両親は、プルシェンコ選手にスケートをさせるためだけに必死で働いていたようです。一方、幼いプルシェンコ選手は、劣悪な環境の共同安アパートに、ダンボール箱で壁の仕切りを作ったり、空き瓶を拾って小銭を稼いだり、と相当苦しい経済状況でした。また、スケート強化チーム内では、田舎から出てきた才能ある小さなプルシェンコ選手に嫉妬して、根性焼きもどきの手荒なリンチまで行われていたそうです。逆境に耐えながら、旧ソ連システムの徹底した英才教育のもとで、彼の才能はみるみる開花し、1998年世界選手権では、弱冠15歳にして史上最年少銅メダリスト。2002年ソルトレイクシティ五輪で銀、2006年のトリノ五輪で金を獲得しました。他の追随を許さない圧倒的な高い技術と芸術性。その強さは、彼のこのようなことばに裏づけされるのかもしれません。「両親がいつも見ていたひとつのこと。それを達成するためにすべてを諦めた両親。みんなが僕に金メダルを与えてくれました。だから、彼らがいなければ僕は取るに足らない人間でした。これは彼らのためです。彼らにはその価値があります。」180センチの長身にもかからず、高く華麗な4回転ジャンプを舞い降りる。リンクが小さくみえるほど滑らかで速いスケーティング。キレのある迫力満点の超絶ステップ。中心のブレのない高速スピン。幼少からバレエで鍛えた身体は足先、指先までのびやかで繊細な表情を見せてくれます。その上、ファンサービスは最高で、試合で貴公子然の演技をするかと思えば、エキシビションでは、筋肉スーツや女装、着ぐるみ、赤ちゃんなど、際限なく面白いパフォーマンスを披露し、会場は爆笑の渦になります。とにかく、大胆で繊細、優美で力強い表現のできる超人的な選手です。トリノ五輪以来、身体を故障し、競技生活から離れていましたが、3年半ぶりに、突如バンクーバー五輪に出場するために、復帰しました。五輪直前に現役復帰した理由を「この2年間、4回転をできない選手が世界で勝っている。それは耐えがたい状況だった」と語っています。プルシェンコ選手が復帰するというので、バンクーバー五輪出場の男子フィギュアスケーターは、4回転ジャンプの挑戦を余儀なくされるという、観客にとっては、興味深い展開になりました。やはり、硬くて冷たい氷の上を4回転も跳ぶという行為は、競技者にとっては、リスクが大きいのですが、限界に挑戦する勇姿こそ、胸を打つのです。限界を突破した暁は、見る者に喩えようもない感動を引き起こします。今回、不死鳥のように現れ、4回転を飛ぶと宣言することで多くのスケーターに影響を与えたように感じられます。今回のバンクーバーで失敗しましたが、日本の高橋選手の果敢に4回転に挑んだ演技は、すばらしかったのです。彼も怪我を乗り越えての挑戦でした。復帰後、間もないにもかかわらず、見事4回転ジャンプを成功させたプルシェンコ選手。金メダルは逃しましたが、フィギュア界を発展させようという王者の使命というべき、その姿勢には感動します。表彰式で解説員の言葉に深くうなずきました。「ただフィギュアスケートの未来のために、4回転を挑み続け、そして成功し続けたその姿勢。やはり、プルシェンコは偉大な、偉大な、そんな選手です。」2014年母国ロシアにて開催されるソチ五輪に向けて、現役続行宣言。「次はもっと難度の高い4回転を跳ぶ。負けてうなだれるようなことはしない」その挑戦する姿は美しい。そうあるべきと、拍手をおくります。●2004『ニジンスキーに捧ぐ』芸術点オール6.0の伝説の演技http://www.youtube.com/watch?v=kkhn4KbisJc●『ゴッドファーザー』39度の高熱での気迫に満ちた演技http://www.youtube.com/watch?v=YD9ySNxG9Hw
2010.02.27
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和食の名店「分とく山 」に行って参りました。ラッキーなことに離れの個室が用意されていました。東京の喧騒が嘘のように、虫の音が美しい、静かな夜です。お飲み物は一口ビールを注文。薄い小ぶりのビールグラスに上品な細かい泡、見るからにおいしそうです。まずは、先付けです。山芋のうに盛です。うには甘く新鮮で、山芋のさくさくした食感が心地よいです。2品目八寸。秋の彩りの赤いに葉っぱの上に並ぶ、美しい盛り付けです。一品一品が創作料理で、新しい食感。食べたことない味でした。続くお椀。葛のそうめん入りだとの説明ですが、これも初めての食感でなんともいえないコシがあります。おつくり鯛とふぐ、えびなどの盛り合わせ。ふぐは梅醤油でいただきます。さわやかな酸味とぷりぷりした歯ごたえです。もちろんほかのお刺身も申し分なし。5品目名物 鮑の磯焼き絶品です。6品目 蓮根の肝のハサミ揚げ ぎんなんの揚げ物 イチジク赤ワイン蒸の黄身ソースあえ など蓮根と肝の組み合わせは中東の料理を彷彿させるような、ダイナミックな味わいなのですが、青ジソの風味が、やはり和食なのです。不思議な味でした。 ぎんなんの揚げ物もさくさくして、とてもおいしいです。イチジクと黄身のソースの組み合わせは絶妙です。どうして、こういう味つけを思いつくのでしょうか?7品目鴨の胡瓜のおろし和え。蛇腹胡瓜とヤングコーンが添えられています。胡瓜の蛇腹は美しいだけでなく、歯ごたえもすばらしいです。ここまでは、完食です。8品目。最後は鮭の炊き込みご飯 いくらの親子ごはん でした。もう、お腹いっぱいでしたので、少しだけ食べて、お持ち帰りのおにぎりにしていただきました。小さなかわいい手提げに入れてくださいました。どのお料理も唸るよりなく、一口ずつ味わって頂きました。お食事の後は、お店の人にお願いして、持込のコーヒー、キリマンジャロ ゴマタスジを入れていただきました。湯飲み茶碗に淹れて頂いたコーヒーは、さすがに料理人のプロが淹れた味わい深い和風の味でございました。デザートは、柚子風味の葛のソースに梨。果物もこのようなデザートになれば、素材も一層引き立ちますね。ご馳走様です。とても落ち着いて、楽しい贅沢な時間を過ごすことができました。弟子の方も、とても、感じがよく気持ちのよい応対でした。2週間ごとにメニューがかわるそうです。私たちが最後だったようで、お店から出ると、お店の方々が駆け寄って見えなくなるまで見送ってくださいました。季節毎に、違う味わいを楽しみたいお店ですね。
2009.09.25
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野球がベースボールを超えたとテレビで言っていましたが、今日は、本当に世界の縮図を見る様な試合でした。韓国チームと5回も対戦するという、リーグ戦。WBCのWはワールドのはずですが、どう考えてもおかしな組み合わせです。試合のルールも、前回より色々と変更されているそうです。投球数の制限も、高額収益を稼ぎ出す投手に負担がかからないようにとの、球団と保険会社の意向だそうです。こんなところにも経済が絡んでいます。世界のルールも、日本に対し有利に変わっていくことは少ないですが、WBCのルール決めも、基軸通貨同様、本場アメリカということでしょうか。しかしながら、そんな戦いの中でも日本の選手は、柔軟にルールを受け入れ勝負する姿勢は誇らしいです。日本と韓国は宿敵でもありますが、お互いに切磋琢磨できるよいライバル。韓国チームがいたからこそ、侍ジャパンも強くなれたようにも感じます。お互いに、自らの弱い部分を克服しながら成長していく過程は、両チームとも頼もしく感じます。日本が勝ち越しながら、韓国に追いつかれ、それでもまた、引き離す。本当に敵は対戦相手ではなく、この社会や仕組み、それぞれの自分自身と、感じられ、とてもよいライバル関係のようにも感じました。勝つべきものは、世界。ベースボール。そして、日本は勝ちました。日本野球は、ベースボールに勝ちました。「世界一行くぞ!」(イチロー選手は決勝開始直前、円陣の中心で、ナインと心を一つにして出陣しました)10回表のイチロー選手のバットは刀を構えるように静止し、ピッチャーに挑みました。日本中、固唾をのんで見守る中、イチロー選手は、後がありません。このときのために、すべてがあったと思えるような場面でした。私は、日本のために、世界のために、どうか、打ってください。と祈りました。ここで、打たなければ、日本がだめになり、世界はだめになる・・・なぜか、そう感じた瞬間、はじける様な音がし、私の目の前に玉が飛びこんでくるように画面に映りました。このとき、神が降りたと、イチロー選手は感じたのでしょうか。「笑顔を届けられたこと、最高です。日本のためにやりました。」(試合終了後のイチロー選手の談話)準決勝の舞台はアメリカで、アメリカとも対戦し、見事に勝ち越し。決勝戦はイチロー選手で始まり、侍イチロウで締めくくり、最後はイランの血をひくダルビッシュ選手。日本とイランの架け橋になりたいというお父さんの意思を受け継ぎ、最後は三振空振りで侍魂を見せてくれました。今回から日本チーム名の「ジャパン」の前に監督名を付けず、「侍ジャパン」としたことで、選手たちの侍魂が呼び起こされたのかもしれません。そして、「侍ジャパン」という響きが日本列島を一層盛り上げたのでしょうか。世界の縮図を見たような、歴史的な試合でした。強い侍が世界をリードしてくれることは、本当に嬉しい限りです。優勝ありがとう。
2009.03.24
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~グーグルとSNSの次に世界を制するものは何か?~最近はじまった佐々木氏のメールマガジンを購読し、氏の最新情報を読み始めているところです。7月に発売されたこの本、とても面白かったです。「フラット革命」の続編ということでしたが、なるほど、asomeの知りたいインターネット上のこの先のイメージを大変興味深く描いてくださいました。10年前のインターネットの状況を考えると現在は、一般人の私からすると、ものすごい進化と感じるのですが、実はそれほど進化しているわけではなく、利用している人達のすそ野が圧倒的に広がり、社会そのもの、構造が変ってきたということなのでしょう。今だよく捉えられないweb3.0の概念もおぼろげながら見えてきました。受動→能動そして受動(web1.0→web2.0→web3.0)という流れは、同じ受動(プル)であっても、もう同じ受動(プル)ではないわけです。能動(プッシュ)を経験し、ひとまわり成長した受動(プル)をどのように実現するかが課題なのですね。「情報と人間の関係性の可視化、システム化が新しい関係性の萌芽になり、新しい社会システムを生み出す可能性を秘めている。」というくだりはとてもわくわくします。私たち一人一人が「自分自身の情報の再集約を自分の責任として行い自己情報のセルフコントロールを確立していく」ことが重要なんですね。インターネットの3年先5年先、ましてや10年先を想像することはなかなか至難の業です。しかし、人間の可能性を早急に飛躍させていかなければならないほど、現在の世界の限界点が浮上してきている今、私たちはみんなで新しい仕組みを作っていかなければならないのだと感じます。とても勉強になり考えるヒントになってくれた本です。ありがとうございます。
2008.12.08
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経済評論家であり、公認会計士の勝間和代さんは最近ではベストセラーを何冊か書かれ、大変活躍されている女性となりましたが、その勝間さん一番初めの記念すべき一冊を出版し直した本だそうです。しかし、この本の中にかなりのエッセンスが盛り込まれており、とてもよくまとまっている本だと感じました。「インディペンデント」すなわち「自立」を意味するインディな生き方とは1年収600万円以上稼ぎ2いいパートナーがいて(1000万円以上稼ぐ)3年をとるほど素敵になっていくということなのです。とにかくこの3つに尽きるというのですね。なるほど、これは一つの大変具体的な目標となりますね。インディの反対はウェンディ、自立せずに回りにゆだねた生き方をする女性を指します。そして、三毒追放!(怒らない、妬まない、愚痴らない)なんだ、よくあるノウハウ本かと馬鹿にすることなかれ。仕事ができる、成果をあげる人たちに共通の何かがこの本には満載です。インディな女性とは、この法則を確かに知っている女性たちなのです。そして知っているだけではなく実践している女性は、この3つの条件をやすやすとクリアーできているということなのでしょう。この法則を体得することがとても重要なことなのでしょうね。私はこの本を読んで、大変納得できました。この本を読んで、素直に実行できる人、その人はきっと法則が解る人なのでしょう。この本を読んですぐに、私は勝間さんのスケジュール表に出会いました。ちょっと高かったですが、丁度来年の手帳を買わなければと考えていたところでしたので、グットタイミングでした。ひとまずこの手帳を利用しながら実践していきたいと考えています。
2008.12.01
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本屋さんでずっとこの本のタイトルが気になっていたにもかかわらず、何故か買おうとしませんでした。ふとしたことでamazonのレビューを読み、読んでみようと思い立ちました。この本は波多野一郎さんという、哲学者が若いときに出版した本で、中沢新一さんは学生時代にこの本を読んでいたそうです。他の本を書いていたときに、このイカの哲学のことを記憶の深層から思い出し、この本の内容や思想が今の時代に必要だと直感し、この本をもう一度世に出そうという気持ちになったということなのです。波多野一郎氏の「イカの哲学」は大変易しくわかりやすい文章です。まるで童話のようなお話なのですが、大変深い、そして素晴らしい内容なのです。後半は「イカの哲学」をめぐっての中沢さんのお話となっており、「イカの哲学」の短い文章に込められた秘密を充分に語ってくれます。私が一番印象的だったのは、「・・・芸術と宗教が発生した。そして戦争もそのとき、まぎれもない人類の徴として発生した」というところです。戦争がまぎれも無く、他の動物とは異なる人間性のひとつであることを認め、そこから平和を考えていかなければならないという事実はとても衝撃的であり、しかしとても納得のいくところです。特攻隊として志願したにもかかわらず生き残り、シベリア抑留を経て、戦争と平和について生命の深みで考えた思想は、原爆投下という超戦争を経験した日本人に必要な、そしてまた世界に必要な思想であるということなのです。大変深く、そして私たちの未来に必要な思想・・・ぜひお読みになってみてください。
2008.11.24
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茂木先生のとても面白い仕事術、軽くてすぐに読めますが、とても楽しくためになる本でした。「いいこと」は解るのに、「実現できない」という、だれにでも覚えのある現象について、非常に解りやすく、ワクワクしてくるように様々お話してくれます。茂木先生の体験からほんとうに手取り足取り教えてくれる感じなのです。「感覚的学習の回路」と「運動系学習の回路」のバランスの問題、非常に納得ができます。脳の働き脳の可能性がよくわかる茂木先生ならではのお話はとても具体的で納得できます。仕事のノウハウの本は、私もあまり読まないのですが、今回この本を読むことによって、自分がしてきたこと、無意識にやってきたことが、なるほどこういうことだったんだと解りました。ベストセラーになっているもう一冊「脳を活かす勉強法」も読んでみたくなりました。「脳は、生命を輝かすためにある!」と、とてもポジティブ。根底にある茂木先生の生き方がとても共感がもてるんですね。だからお話もすっと入ってきます。たのしいですね。ぜひ皆さんも読んでみてください。58のポイントですが、必ず明日から元気に生きるヒントをもらえますよ!
2008.11.19
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中村うさぎさんのデリヘル体験記から始まるこの本、大変面白い本でした。まぎれもなくフェミニズムに属する話とご本人がおっしゃる通り、この男社会の中で女として生きるということの本質を本気と本音で描き出してくれます。久々に骨太の女性の文章と感じました。自分に正直に生きている女性だったら、誰しも共感する、「女としての苦悩」を怜悧な分析と文章で見せてくれます。大変納得でき、自分の中にある気持ちも整理できる非常に面白い内容でした。ショッピングの女王としか知らなかったことに、私自身のキャッチの感覚に愕然としました。世間で取りざたされることとに惑わされてはいけませんね。特に女性についての評価というのは、あてにならないものが多いと感じます。一般社会はまだまだ男性中心のものの見方で評価されることが多いような気がします。女性のみなさん、ぜひ、この本を読んでみてください。風俗の世界で行われていること、その世界での営みを冷静な目で見つめる中村うさぎさんのおっしゃることは非常に納得できるのです。たぶんそうであろうとリアルに自分の感覚としてわかります。女性のみなさん、ぜひお読みください。きっと自分自身の闇の部分を理解できると思います。かなりお勧めの一冊です。
2008.10.30
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~色あざやかなり 江戸の夢~ボストン美術館とういと、浮世絵が沢山あることで有名ですが、その5万点ほどあるコレクションはかなりの数、公開されていないようですね。今回も、日本初公開となる作品が多いそうです。浮世絵や版画は日本よりも海外に素晴らしいコレクションが多くありますね。連休の3日目、かなりの人でした。前回、中国の有名な書の展示会よりも、もっと人手がありました。鈴木春信、歌麿、写楽、北斎、広重と有名どころが並び、日本の浮世絵の美しさを堪能しました。江戸のアートは、見る度に体がしゃきっとして、隅々まで感覚が満たされ、とても気持ちがすっきりしてきます。自分は日本人なんだなと自覚します。浮世絵や蒔絵をみると心も体も癒されるのです。今回、額に入ってるものが多かったです。以前のボストンのコレクションは、確か掛け軸が多くありました。肉筆画だったからなのでしょうね。この掛け軸がとても美しく、それも楽しみだったのですが、版画が多いので、掛け軸は少しでした。でもその掛け軸、更紗の斬新な柄でとても美しかったです。しかし、なんて浮世絵は自由で楽しいのでしょう。「歌丸の音曲恋の操 おこま 才三郎」はとても斬新な構図の浮世絵です。映画の一幕をみているようで、とても楽しくなります。春信「源氏窓に若い男女」もドラマチック。思わず絵葉書も手に入れてしまいました。また歌麿の作品で珍しく、美人画ではなく貝殻を描いているものがありました。とても美人の貝?で、こんなに色っぽい貝はみたことがありませんでした。さすがに歌麿です・・。この浮世絵、11月30日まで江戸東京博物館でやっています。ぜひ、みなさん、ごらんになってみてください。
2008.10.14
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ケータイ小説に果敢に挑戦した瀬戸内寂聴さんのあしたの虹をケータイで読みました。本を買ってないので書評になるのかはわかりませんが、86歳のお年でよくケータイ小説の特徴をつかみ、内容から、文体から研究され素晴らしいです。ケータイ小説のトレンドを踏み外さず、しかも内容は、ばっちり瀬戸内さんの小説です。瀬戸内さんの茶目っ気と、新しいものへの挑戦、そして本質をつかむ感覚はお見事としかいえません。第3回のケータイ小説大賞の審査員長ということで、源氏千年をテーマとしているので、そういった背景がわかるとなるほどと思います。ぱーぷるというニックネームも思わず微笑んでしまいます。しかも男性の主人公は「ヒカル」です。この作品、ケータイで読むと、他のケータイ小説に混じってもまったく違和感はありません。しかし、やはりさすがにうまいです。ケータイ小説版の源氏物語とでもいうのでしょうか。子供たちはこれをどんな感覚でうけとめるのでしょうか。きっと共感をもって読むのではないかと思います。こうして、小説家である瀬戸内さんが書いているケータイ小説を読んでみると、今までに描かれたケータイ小説の元となる男と女の織り成す物語と、源氏物語のような昔から日本の女性たちがつづってきた物語は、それほど大きな隔たりがないように感じました。女性たちの共通する思いや気持ちは、昔から変っていないのです。現在ケータイ小説への様々な批評が書かれていますが、それのどれもが、なにか違うように感じていました。また、瀬戸内さんのように実際に挑戦してみるという作家は今までほとんどいませんでした。それだけ大御所瀬戸内さんは吹っ切れているのかもしれませんし、なにより、瀬戸内さん自体がデビューした当時に文壇から散々干されたという経験もされているので、他の方々より自由な感覚をお持ちなのかもしれません。瀬戸内さんのケータイ小説デビューは、asomeとしては、非常に愉快な出来事です。瀬戸内さんに続き、たとえば姫野カオルコさんとか、いろいろな方のケータイ小説が出てくると面白いのになと思います。何より、子供たちがそういった大先輩の方々のケータイ小説を読んで、小説を書く力がより向上するといいなと思います。同時に魔法のiらんどでは「恋空」の美嘉さんの新作の連載が始まりました。こちらもなかなか面白いです。皆さんも、頭から毛嫌いしないで、ぜひケータイ小説をお読みになってみるといいですよ。
2008.09.29
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芸術人類学叢書の創刊第一回配本の「狩猟と編み籠」カイエソバージュが大変面白かった記憶は鮮明で、珍しく本屋さんで見かけすぐに購入しました。映画と宗教は同じ仕組みであると・・その仕組みを読み解きながら、「心の野生」の探求が始まります。とてもスリリングで興味深い内容です。また、洞窟とテラス、映画とテレビを比較して書かれていますが、私は今のインターネットを中沢さんはどのように考えていかれるのかがとても興味深いです。ぜひこの対称性人類学を進めていっていただきたいと思いました。インターネットの考古学を知りたいですね。古代人はどのように感じ表現していたのか、読み解いていくのは現代人の我々にとってはとても大変なことなのかもしれません。しかし表現という行為においてその表現の源は同じなのではないかと考えるととてもワクワクします。「イメージと精神」のつながりはとても深いテーマであり、人間の根源的なテーマなのでしょう。この中で紹介されている映画の中で「ベイヴ」が出てきます。この章の内容もとても興味深かったです。家畜化ということから深く掘り下げ、神話の世界まで話が広がります。様々興味深いところはありますが、ぜひともこの本、お読みになってみてください。
2008.09.08
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タイトルにとても惹かれて読んでみようと思いました。中沢新一さんの今年になってからの初めての本です。折口信夫さんの学問をこよなく愛している中沢新一さんが、とても読みやすくまとめてくれました。写真を見る限りでも、大変ナーバスな印象の折口信夫さんは、「古代人の心」「古代人の思想」を感じ、探求した思想家であり「古代人」のなかに普遍的な「人類の思考の本性」を見出そうとしていたといいます。また、折口信夫さんの言葉自体が大変闊達で美しい日本語だったということなのです。中沢新一さんはいつも折口信夫さんの本を鞄にいれて持ち歩いていたといいます。ぜひ一度、わたしも折口信夫さんの本を読んでみたいと思います。「柳田国男と折口信夫はフロイトとユングの関係のような間柄」だったとありましたが、そういわれてみると理解が広がります。すぐに手軽に読めてしまう新書ですが、とても魅力的な内容です。みなさまもどうぞ手にしてみてください
2008.08.30
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~競争のない世界を創造する~ ランダムハウス講談社戦略論の新スタンダードと帯に書いてありますがとても面白い内容でした。ブルー・オーシャンとは、血みどろの戦いが繰り広げられる市場から抜け出し誰も競争相手のいないまるで新しい青い海原のような市場を示しています。世界のいくつかの事例をもとに進められますが、どのケースもとてもわかりやすく、なるほどと納得しました。日本の企業ではNTTドコモのiモードと1000円カットのQBハウスの例が挙げられていました。競争の激しい既存のマーケットで戦うより、競争が意味を持たない未開拓の市場を作り出す方法。今までのブルー・オーシャンを作り出した企業は、もしかしたら、それぞれは偶然が生んだ産物だったのかもしれませんが、この本ではその事例を検証し、ブルー・オーシャンを生み出す方策を体系化しているので、非常に読む価値があるのです。なぜならブルー・オーシャンを見つけて新しい市場を悠々と歩き出す、トップを走る企業にすぐに二番手の企業は追いついてくるからです。ひとたびブルー・オーシャンを見つけたら、他が追随できない工夫が必要なのでしょうね。NTTドコモのiモードはすでにケータイインタネットの市場がブルーではなくレッド・オーシャンとなっていて、ドコモには非常に厳しいこのごろです。そろそろ発売されてから10年になりますからね。iモードを生み出した夏野さんが今年やめられましたが、大変象徴的だなと思います。そういった意味でも、きちっと体系化することで、常にブルー・オーシャンを作ることが出来る企業体質が確立されなければならないということなのでしょう。ちょうどこの本を読み終わった頃、シルクドソレイユの日本公演のポスターが目につきました。新しいサーカスという舞台を作り出し、世界的に成功している例です。サーカスという斜陽産業でそれを成し遂げたという非常にいい例であるシルクドソレイユの公演をぜひ見てみたいものだと思います。偶然ではなく、ずっとブルー・オーシャンを作り続けることができる企業であることが、今後の大きな課題なのでしょう。とても面白い価値のある本でした。皆様もどうぞお読みになってみてください。
2008.08.15
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平重盛の三男である清経の霊が都に残した妻の夢枕に立つという能ならではの恋物語の舞台です。狂言は野村萬斎で、「吹取」。清経は笛の音が非常に重要な物語の進行役をするのですが、その笛にちなんだ狂言の出し物で、大変コミカルで面白い舞台でした。この舞台で萬斎さんの吹く笛の音を始めて聞きましたが、役者さんはほんとうにいろいろと出来ないとならないのですね。そういえば能役者は、謡いも仕舞もこなし、脚本も書き、舞台演出もしました。世阿弥などは本当に今で言えば大変マルチな才能を持っていた方ですが、日本も昔から一人で何役でも出来るというのは当たり前だったのかもしれませんね。狂言の笑いは、言葉が多少難しくても、人間共通の普遍的な笑いなんですね。今回は男と女のなんともいえない、機微が表現されています。今回、この「清経」もとても素敵でした。清経が戦や病で亡くなったのではなく、自ら身を投げたということで先に死んでしまった夫に恨みを持つ妻と、形見の髪を家来に持たせたのに受けとらなかったと妻におまえこそひどいではないかと、せっかく夢で会えたにもかかわらず、うらみつらみを言い合う二人になぜか人間の哀れさを感じました。いつもこうして男女の気持ちはすれ違い、お互いがわかりあえないのは今も昔も同じなんだとなんだかおかしくなってしまいました。男である清経は、恨み言を言い合っても始まらないと思ったのか、最後はかなり哲学的になり、なぜ身を投げるにいたったかを話して聞かせるのですが、途中でも妻は夫の自分勝手さに恨み言を続けるのです、しかし死後においても修羅道で敵に攻め続けられるこの身であって、これが因果なのだと清経は語り終えて静かに去っていくのです。なぜかこの物語り、男女のあり方の違いが見事に現れていてとても心に迫ってくるものがありました。また、清経が登場するときには笛の音に導かれ現れてくるのですが、笛が止むとぴたっと動作が止み、笛が始まると動き出し、その場面は見せ場となっています。清経は何故かとても色香が香りますね。今まで見た中で、一番ときめき、また考えさせられた能の舞台でした。
2008.07.17
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野崎村の段奥庭狐火の段370年の歴史があるという江戸糸あやつり人形劇団の公演に行ってきました。以前同じ仕事場で一緒に仕事をしていた人が会社を辞め、この劇団に入ったのは3年ほど前のことです。まったく違う分野で初めは大丈夫かしらと心配していましたが、今ではすっかり劇団で活躍し、海外公演にも行っているようです。久しぶりに声をかけてもらったので観に行ってきました。今回はこの劇団の大黒柱、女義太夫の竹本素京さんが去年お亡くなりになり、追悼公演ということでした。今回の演目は心中騒ぎと武田家の八重垣姫のお話です。二つに共通するのが恋する女のけなげな心がテーマであるということですね。「奥庭狐火の段」では狐がとっても生き生きと描かれていました。普通の劇ではなかなか表現が難しいですが、人形劇だからこそ生き生きと表現できるのだと感じました。野崎村の段では、籠の人足たちのユーモラスな動きがとても素晴らしいと思いました。昔はどんな状況でこの人形劇が観られたのでしょう。芝居小屋に楽しみに観にいったのでしょうか。また、今日の公演では、亡くなられた竹本素京さんの義太夫の録音のものだったのですが、非常にいい声で素敵でした。ご本人は、録音で行うことを大変嫌っていらしたとのことですので、これが素京さんの義太夫で公演する最後だそうです。帰りにはすっかり義太夫が気に入って秘蔵音源CDを買いました!皆様もぜひ、この結城座の公演をご覧になることをお勧めします。なかなかいいものですよ。
2008.06.09
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梅田さんの新作です。インターネット原理主義であるasomeは梅田さんのオプティミズムはよく理解しているつもりです。梅田さんのある、核心に満ちた考え方はなるほど、この人たちから学んだんですねということがよく分る、シリコンバレーの先端の人たちのものの考え方、言葉が満載です。ビジョナリーカンパニーという本を以前に読んだことがありますが、インターネット、ウェブ時代の第一級のビジョナリーが語る、フランクな本音の数々は、とても心に響きます。世界をより良い方向に変えるという、ある種共通したビジョン。また人間として生きていくためには最も必要な、自分の内なる声、その心や直感に従いなさいというジョブスの言葉は大変感動します。インターネットの技術の最先端にいる人たちは、世界の貢献することがもっとも喜びとなるような人々なんですね。そこに技術者、開発者の魂があるというとなんですね。いつも思うのですが、インターネットを開発した人たちの志を感じれば、そしてこのインターネットの世界が個人の力を限りなくエンパワーメントしてくれるということの意味を真に分れば、このインターネットの世界は絶対に国家が介入したり、侵食されてはならない世界なのだと感じるのです。こういったことを子供たちに伝えなければならないと心から思うのです。座右の書とありますが、梅田さんが集めてくれた数々のメッセージは、私たちに勇気と可能性を与えてくれます。ぜひ皆様も読んでみてください。熱き血潮を感じますよ!
2008.05.26
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読み終わるまでかなり長い間かかってしまいました。上下巻のうち下巻には補記と対談が入っています。まずはこの本文を読みおわりましたので、書いてみたいと思います。読み終わるまでに、小林秀雄さんの公演集のCD「本居宣長」と「本居宣長をめぐって」を手に入れました。本よりも、むしろ小林さんの肉声による講演をきいて理解できた部分が大半でした。それぞれ二枚組みですので、4枚となります。ケータイに取り入れてあるので、電車のなかで、ちょっと本を読むのに疲れたなというようなときにはこのCDを聞くようにしていました。独特の小林秀雄さんの語り口調は、なれるととても面白いのです。学生たちの質問に対しての答えは、大変充実していました。まずは宣長のことから始まり、紫色部、源氏物語の世界、そして、そこからさらにさかのぼり、古事記に向かう、探求の旅。本居宣長が古人の心ばえを、古代の人になりきったように感じていくことで書き表していったその文章から、小林氏が感じ取っていくというプロセスの講義を受けているような月日でした。本居宣長の文の引用も多いので、読み込むのはとても大変ですが、小林氏自身が一度読んだだけでは分らないとおっしゃっていますので、まずは分らなくても一度目を読んでみました。源氏物語にしろ、古事記にしろ原文すら読んでいないので、生きているうちにはぜひ読んでみたいと思います。日本人の奥の深さ、歌の心、日本人の感性の源はいったいどこからくるんでしょう。歌の心に秘められている日本語の源を「本居宣長」を読んでいるとおぼろげながらつかめるような気がします。これからぜひとも深めていきたい世界です。またいつか読み返してみようと思います。何度でも挑戦したい本です。皆様もぜひ挑戦してみてください。
2008.05.06
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能のお稽古を始めてそろそろ二年となります。舞台も十数回は観にいきました。こうやって馴染んでいくと少しずつ能の世界が親しくなってくるようです。矢来能楽堂の「のうのう能は」今回講義や対談が盛り込まれ、能の舞台だけではなく、多方面から全体的に理解が出来るので、とても楽しみにしています。今回は「物狂い」というテーマです。法政大学の山中玲子先生のお話はとても勉強になりました。「狂い」という言葉の意味合いが、昔と今ではずいぶん違う感覚なんですね。今日は風姿花伝から解説がありました。憑き物の物狂いはいわゆるこの世の生き物ではなく神仏、生霊死霊の類を現し、古くからあったそうです。しかし、世阿弥は、思いゆえの物狂いという親子の別れ、恋人や妻や夫との別れ、このような思いに狂乱する物狂いの作品を作り、それを得意としたのですね。世阿弥の時代からこのような思いゆえの物狂いが演じられるようになったのです。今日の「隅田川」で、初めてお能の演目で泣く人に出会いました。いままで能の舞台は、一つのアートのように見てきたのですが、今日は心が動いている人たちが多かったです。子供を亡くした母親の気持ち。舞台では子供に供養しようと母親がお経を上げ始めたときに、何処からともなく子方のお経を上げる声が聞こえます。そして幽霊となって現れる子方の姿と、その子方を追って抱きしめようとする母。この演出はかなりショッキングでした。単純と言えば単純なのですが、情感がゆすぶられ、泣ける演出に感動しました。なるほど、物狂いは、人の心の原点のようなところがあり、誰にも分りやすく、そして誰もが感動するものなのですね。これが長く続く物語の魅力なんですね。この作品は世阿弥の息子の元雅の作品です。父親である世阿弥の花のある幽玄の世界と趣が異なり、弱法師やこの墨田川のように、親子の深い情など人生の悲しみを表現する人だったようです。能の世界は日本人の「もののあわれ」の感覚をよく表現する芸術だと感じますが、この世界にふれると、日本人としての感覚がすこしずつ蘇ってくるようです。
2008.04.28
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外資系会社のコンサルタントとして、資産運用のプロとして、非常に分りやすく、しかも納得できる資産運用の勧めをしてくれる良い本だと思います。今まで、多くの金融や投資の本を読んできたのですが、この本の内容は非常に現実的に納得いく内容だと思いました。ライフワークバランスという視点から、仕事、生活、お金、をきちっと捉え、資本主義の経済世界で生きている私たちがどのように選択しより良い生き方が出来るのかということが、この本を読んでいくと見えてくるのです。何より、ご本人が一流の生活者であり、ワーキングマザーであることがとても大きいですね。3人のお母さんである勝間さんですが、お写真を拝見する限りではママさんというような印象より、バリバリのキャリアウーマンという印象です。とても生き生きと仕事をされている様子が、前回の「効率が10倍アップする 新・知的生産術」からも想像がつきました。今回は勝間さんの専門分野のお話で、私は「お金を銀行に預けるな」の内容のほうが、目から鱗でとても面白かったです。この本を読んで、初めて今まで読んできた投資やお金の本に書かれている内容がぐっとこなれて入ってきた印象です。それはきっとお金のリテラシーとは何ぞやということが、この本でよく理解できたと思うのです。要するに、今までの本には書いていなかったことが、きっと書いてあったのですね。それが、何処というふうには書くことはできないのですが、全部読んでみたら、「さあ、投資信託の口座を開こう」と素直に思えたのです。これはかなり画期的なことだと思います。皆様も、ぜひお読みになってみてください。
2008.03.31
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現在のマルチな才能ある女性のなかで注目の大型新人というところなのでしょうか。著者は勝間和代さんです。徹底した自己管理、目標に向かってばりばりとIT関連のツールを使いこなし、仕事をてきぱきとこなして生きてきた、たくましい女性です。3人のお子さんのお母さんであり、子育てと仕事の間に月間100冊以上の本を読み、自転車で通勤するというスーパーウーマンですね。結構厚い本ですが、意外と読みやすく、すぐに読めてしまいます。働く女性たちは必見ですね。情報のインプットをするには、アウトプットが重要であるということ、わかりやすく人に伝えるためのノウハウ、どのようにしたら人に考えていることをそのまま伝えられるのかと訓練してきた人ならではの本のまとめ方となっています。本質を見つけること、そして、無駄をなくすには捨てること、そういった有効な毎日の仕事での秘訣がたっぷりと盛り込まれています。このようなスーパーウーマンであっても、肩に力がはいっておらず、スーと受け入れられる文章に好感がもてます。BOOKレビューが付いているのも大変お得です!特にメールやインターネットの利用の仕方、ブログなどの情報発信の仕方など、最新のインターネットを使いこなした勝間さんならではの情報が満載です。巻頭の使いこなしているグッズを眺めて、自分のグッズと比べてみるのも刺激になります。勝間さんの専門分野、「お金は銀行に預けるな」も思わず買ってしまいました。ぜひ、皆様もご参考にしてみてください。
2008.03.24
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3月16日中野ゼロホールにて行われたろうそく能 「安達ケ原」を鑑賞しました。年に一回の公演ですが、とても多くの人が来ていて、なんとチケットは完売となったそうです。日曜日のお昼というとてもよい日時なのですが、それにしても、中野ゼロホールの大ホールですので、素晴らしい入りだと思います。仕舞が「あおいの上」「山姥」能は「安達ケ原」です。物語は、鬼や生霊となった女が主役。舞台には壮絶な女たちの姿が次々と現れます。特にろうそく能は、薄暗い自然の炎の灯りが、とても美しく、火入れからはじまるのですが、その儀式もとても魅力的です。その自然の炎のゆらめきの中に、女性の鬼の姿がある意味美しく描き出されます。いつも思うのですが、前半の人間の女性の姿から鬼になったときの迫力、この世のものと思えない鬼の姿をその動きで現すとき、舞台の空間がグーッと濃密になります。日本の場合、鬼は神にも通じるわけで、海外の悪魔とはニュアンスがかなり違います。「みちのくの安達ケ原の黒塚に鬼こもれりといふはまことか」という平兼盛 の歌があるそうです。この意味合いは、安達ケ原には、ちょっと危険で妖しい大変にいい女がいるそうだというような、そんなニュアンスだそうです。日本の美しい魅力的な鬼たち、皆様ぜひ一度、会いに行って見てください。
2008.03.21
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国際舞台で活躍されるベンチャーキャピタリスト原丈人さん。確か初めてお名前を知ったのは、貨幣論の岩田克人先生の本でした。対談をされており、そのときに「人間の究極の欲望は完璧なコミュニケーションだ」とおっしゃっていた言葉が非常に印象に残っていました。ベンチャーキャピタリストというと、日常であまりなじみがなく、何をしている人なのだろうと思ってしまうのですが、やはり、一言ではなかなか語れない、カテゴリーに属さない方という印象です。会社の経営のことからはじまり、IT世界が今後どのような方向に向かうか、本当の意味での技術革命を起こしていこうとされているのだなと感じました。原さんの二十一世紀へのビジョンは多くのITにかかわる仕事をしている人々に知っていただきたいです。このように、日本のこと、そして世界のことを考えて世界を舞台に活躍していらっしゃる方がいると思うと、希望と勇気がわいてきます。ぜひ皆様もお読みになってみてください。大変面白いです。
2008.03.17
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音楽は生命原理と創造性の本質につながっているとおっしゃる茂木先生の音楽についての愛あふれるメッセージです。茂木先生の本はいつも大変面白く読んでいますが、なにが一番フィットするかというと、茂木先生の本は、いつもご自身が生きていて心動いたことからお話されているので、asomeにはとてもわかりやすいのですね。心や気持ちが中心となっているので、とても共感を持ちながら本が読み進められるのです。茂木先生が愛してやまない音楽についてじっくりと語りかけてくれます。そしてまたうれしいのは、その音楽を生み出した芸術家たちがどのような人生をおくりどのような心の動きや気持ちを表現していったのか、ということが、とてもよく理解できるのです。これはきっと先生の尊敬してやまない小林秀雄さんのスタイルでもあり、それがまたとてもうれしいというか、伝わってくるというか、なにしろ共感をもって読むことができます。そして茂木先生の専門分野、脳に及ぼす音楽の効果は、非常に納得のできるお話でした。脳の働きはすばらしい音楽のように、シンフォニーを奏でているということなんですね。美しい音楽を聴いたときの高揚感、喜び。それは確かに、何度も体験することです。茂木先生は最近何冊か音楽について書かれていますが、ご本人が本当に音楽を愛してやまないので、とても楽しく読むことができます。ぜひ皆様も読んでみて下さい。
2008.03.11
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「朱蒙(チュモン)」を見終えました。2006年韓国で放映され、一大旋風を巻き起こしたドラマです。全81話の歴史大長編。とにかく、おもしろかったのです!一話見終わると、はやく、次の回が見たいという逸る気持ちのため、81話という長編もあっという間に見終わってしまいました。朱蒙といえば、高句麗の初代王東明王のことですね。高句麗は、紀元前1世紀から約800年間、東アジアで栄えた大強国。最盛期は西のローマ帝国、東の高句麗と比肩されたほどです。「天の理想を地に実現する」ために建国された国という言い伝えがあります。高句麗の王は代々シャーマンで天の意がわかり、民の気持ちがわかり、民が一人でも不幸であれば自ら王座を降りるとされました。とても、高邁で崇高な精神をもった民族で、日本の文化にも影響を与えたとされています。その耀かしい歴史故、彼らが民族の誇りとする高句麗建国の父、朱蒙を描いたドラマ「朱蒙(チュモン)」。最高視聴率52%という驚異的記録を出し、多くの韓国人が熱狂したということですが、頷けます。このドラマでのストーリーは扶余の王でチュモンの義父クムワ(金蛙)と母ユファ(柳花)に甘やかされて育ったダメダメ王子の朱蒙(チュモン)が、人間的に成長して、高句麗を建国するまでの過程が感動的に描かれています。最初は軟派で軟弱な「ドラ息子」ですが、朱蒙の実の父であり、多勿軍の英雄ヘモス(解慕漱)将軍との出会いから、見事に武芸の達人になっていき、どんどん真の英雄に成っていく様は本当に見ごたえがあります。様々な困難が朱蒙に襲いかかってきますが、「天が自分に何かを気づかせるために与えた試練」だと、暗闇の中でも、常に先を切り開いていきます。そして、朱蒙を取り囲む女性達の存在は見逃せません。朱蒙が愛した3人の女性達は素敵に描かれています。朱蒙の生母ユファ(柳花)、朱蒙の正妻のイェソヤ(禮素雅/礼少椰)そして、朝鮮民族史上初の女王とされるソソノ(召西奴)。3人とも、朱蒙が大業を成すために、己の私心を捨て去り、常に朱蒙を影から支えています。その中でも、ソソノ(召西奴)は、大商団率いる才媛であり、朱蒙の同志として、運命を共にします。ソソノは、今まで自分が造りあげた全てを手放して、何も無い状態から最初から造りあげていくという、強くしなやかで、アッパレな女性です。私心を捨て、先を見据え、己にとって、最も過酷で、最善の選択肢を自分に課し、その試練を乗り越えていくのです。そして、そのソソノの胸中を察する朱蒙の選択は・・・。ソソノも朱蒙も流石というよりほかありません。最終回は涙無くして見られません!チュモン(朱蒙) / ソン・イルグクソソノ(召西奴) / ハン・ヘジンテソ(帯素) / キム・スンスユファ(柳花)[チュモンの母] / オ・ヨンスクムワ(金蛙) / チョン・グァンリョルヘモス(解慕漱) / ホ・ジュノ<スタッフ>脚本 :チェ・ワンギュ「オールイン 運命の愛」、チョン・ヒョンス「チェオクの剣」演出 :イ・ジュファン、キム・グンホン
2008.02.18
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2月の3日、大雪の中新作能を観にいきました。世阿弥は、能を演じ、そして常に新しい謡を書きました。今で言えば、とてもマルチな人だったのですね。ちょっと考えてみても大変な才能の持ち主だと思います。しかもとても美貌だったわけで、そんな男に会ってみたいですよね。でも昔の人たちは、自ら能を作り、そして謡い、舞ったのです。なんでもできる全人格的なトータルな人間だったのですね。現代の人たちは分業することで、専門的な能力を発揮するようになっていますが、トータル的には、実は能力を全開していないのかもしれませんね。この日はお酒にちなんだ能と狂言、しかも新作能を見る楽しみがありました。この新作能は「麦溜」というタイトルで、ウィスキーの神様が登場するお話です。この世のものではない鬼人や神を演じるとき、本当に能の舞台と空間は、別世界へと変ります。人間を超えた存在を演じる能という芸術は、とても面白いですね。能の醍醐味なんですね。シンプルで能らしく、また、そこに登場する神の姿は、やはりこの世のものとは思えない、非常に高貴な姿なのです。外は吹雪、私は2度も転びながら会場に向かったのですが、暖かな舞台は、まるで別空間のようで、記念に振舞われたモルトウィスキーがさらに体に柔らかく暖かく巡り、とてもよい気持ちでその異空間を楽しみました。能の楽しみは、これは舞ってみたり謡ってみたりしないとなかなか分りにくいものなのかもしれませんが、とても深くて楽しい世界です。皆様も、ぜひ一度、能の世界にふれてみてください。
2008.02.08
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久々に瀬戸内さんの小説を読みました。その前に読んだ『謡曲 平家物語』では、白洲さんは世阿弥の作品のことを書きつつ、あるいは世阿弥そのものに迫って、なぜ平家物語を題材することが多かったかを解き明かしています。白洲さん、そして瀬戸内さんという、女性として、いい男を知り尽くしているお二人が、これほどまでに入れ込む世阿弥という人についての尽きぬ魅力を、この瀬戸内さんの小説で垣間見たように思います。作者である瀬戸内さんが冒頭に語り、そして世阿弥の語りとなり、最後は世阿弥の晩年の地、佐渡で遣えた沙江の語りとなっています。そしてもしかしたら、沙江は瀬戸内さんの化身なのかもしれないと、まるで能舞台をみるような変化がまた味わい深いのです。60歳で出家している世阿弥と重ね合わさる瀬戸内さん自身の人生。作家として、物を書くということの終わりのない探求。全部仕上がるまでに3年以上かかったそうですが、魅力ある味わい深い作品です。世阿弥と言う、この上なくいい男。男をも魅了してやまない男、そして女には限りなく優しい、知性と才能にあふれた、美しき日本の男、それはもう、イケメンなんてもんじゃない、絶世の美男子だった世阿弥にぜひお会いしてみたかったです。いくつか体験した能の舞台を思い出しつつ、また謡いの美しいリズムの流れに乗りながら、あっという間に読んでしまいましたが、とても爽やかで、至福感を味わえる小説です。これを機に、能の世界にふれてみていただくといいのかもしれません。能は人々に至福感をもたらすためにあるという、いかにも日本的な真髄を体験できる芸能なのですから。「秘すれば花」この言葉に秘められた美しき日本人の魂をぜひとも取り戻したいですね。
2008.01.21
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「能の物語」「お能・老木の花」に続く白洲正子さんの『謡曲平家物語』は、世阿弥という人が創り上げた、平家の人々への鎮魂歌としての謡曲の魅力を余すこと無しに伝えてくれます。白洲さんの語る能の世界は、幽玄の世界、世阿弥の世界でもあるのですね。非常に面白かったのが、白州さんは、幽霊を創り上げたのは世阿弥だとおっしゃるんですね。死霊、生霊、悪霊の類ではなく、夢幻能の幽霊を作品で創り上げたというのです。能の世界に実際に生きている本人を登場させるよりも、幽霊として登場させ、その幽霊が語ることで、生々しい描写はベールが覆われたように美しく表現され、そして最後にはその幽霊が成仏し、幸せになっていくことが能世阿弥の能物語の特長だということなんです。世阿弥の独壇場ともいえるこの幽玄の世界、非常に美しく、はかなくそしてあわれです。また世阿弥の出身地である伊賀と平家の関連性を示し、世阿弥が世に残した多くの平家の人々への鎮魂歌を読み進めていくと、おのずと世阿弥その人と、能への理解が深まってきます。今回の謡曲平家物語は上に上げた二冊の本とは違う側面から能の世界を理解できたような気がします。世阿弥その人への深い洞察と理解が素晴らしいです。まだまだ能の世界にほんのちょっと踏み入れただけですが、この能の世界を少しずつ理解してくことで、日本人に受け継がれている深い魂を呼び覚まされる気がして、心豊かになるひと時です。白洲さんの本はいつもいつも懐かしき、日本人の魂に触れる場所へといざなってくれる貴重な本なのです。どうぞ皆様もぜひお読みになってみてください。
2008.01.15
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今、未成年のケータイに強制的にフィルタリング導入を促進するための施策が行われようとしています。1月から新規の18歳未満のケータイ加入者にはデフォルトでアクセス制限が掛けられます。インターネットの有害情報が青少年を犯罪に巻き込む、そしてその事件がケータイを中心に起こっているということで考えられたことです。しかしこの一律のアクセス制限で、実はケータイ小説などを投稿できるホームページや日記やSNSなどのコミュニティサイトも有害サイトとみなされフィルタリングされてしまいます。このフィルタリングは、確かに子供たちを危険なものから守るという手っ取り早い施策ではありますが、事実上のインターネットへのアクセス制限でもあり、子供たちはやっと見つけた一筋の可能性さえも絶たれたと感じるのではないでしょうか。このままでは、数年後、もっと凶悪な犯罪が地方都市で起こるような気がしてなりません。大人たちが子供たちの未来をちゃんと考え、誇りや希望を持って生きていけるような社会を創っているなら、インターネットのアクセス制限をかけてもいいのかもしれませんが、現在のところ国の施策は子供たちにとって良い社会、希望のある社会を創っているようには思えないのです。格差社会は広がる一方です。今回のアクセス制限の施策は、もしかしたらこの情報化社会の先に生まれつつある新しいより良い世界という、子供たちが希望に感じる一筋の可能性が絶たれる気がして、asomeは残念でなりません。このフィルタリング対策というある種強制的アクセス制限を行う前に、もっとインターネット教育、Webリテラシーの教育を普及させるような政策が取れなかったのだろうかと大いに疑問に思います。今回の携帯フィルタリングについてのニュース記事を読んでいると、教育界も、携帯事業者も、総務省も、家庭も、サービス提供者もそれぞれがこの教育については及び腰で、互いに責任を押し付けているように感じます。どの立場の人にも、「本当に子供たちの身になって考えているのか」と投げかけたいです。自分たちの責任逃れだけなんじゃないかと。大人が混乱して、責任逃れをして、強制的に子供たちを制限すると、必ずや反動が生まれます。そのことがどのような結果を産むか、どの立場の大人たちもよくよく考えなければなりません。子供たちよ、どうか一筋の希望を失わず、賢く生きて行って欲しいと心から願います。ケータイ小説から少し話題がそれましたが、このテーマは今後の日本の将来に影響の大きいテーマであり、多くの大人たちが知恵を絞っていかなければならないことだと考えています。大人たちこそ賢く、そして本質を見抜き、未来の子供たちのためにしっかりと方向を示すよう動いていかなければならないのではないでしょうか。
2008.01.08
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最近になって、ケータイ小説について、多くの人たちがブログに書いています。だんだん骨太の分析がされるようになりとても読むのが楽しみになってきました。たとえば、猪瀬さんの『ケータイ小説をなめてはいけない』http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/inose/071211_20th/佐々木尚久さんの『ソーシャルメディアとしてのケータイ小説』http://japan.cnet.com/blog/sasaki/2007/12/20/entry_25003250/雑誌文学界では特集『ケータイ小説は文学を殺すか』海部美知さんの『「銃乱射事件」と「ケータイ小説」の間』http://d.hatena.ne.jp/michikaifu/20071221/1198270733などなど。ケータイ小説が話題になり始めた初期の頃、悪貨は良貨を駆逐するとのたとえのように、ケータイ小説が悪貨と例えられました。ケータイ小説はお話にならないくらいレベルの低いものであるという言説から、少しずつちゃんと分析されるようになり、しっかりと語られるようになったなあという気がしています。11月にはいって、映画「恋空」のヒットは映画界にも衝撃が走りました。どうやらケータイ小説が底に秘めている力を無視できない状況になってきたのかもしれません。しかし世の大人たちにとっては、この『恋空現象』は全く理解が出来ない現象だったわけですね。このケータイ小説や「恋空」の映画は都心よりも地方での売り上げが良いということで、「ケータイ小説の文化を支えるのが地方の子供たちの閉塞感」であるという見方がされています。確かに地方は娯楽が少なく、やることもなく、未来にも希望が持てず、閉塞感が充満していると考えられます。最近では地方発の凶悪犯罪がニュースをにぎわしているというアメリカや日本の状況は、なるほどとうなずくものがあります。しかしasomeが思うに、確かに日本の地方都市の子供たちには未来への希望が持てない状況なのかもしれないのですが、ただそのことを紛らわすためにケータイ小説を読んだり書いたりしているのではないと思うのです。地方都市と都会ではやはり地域格差があります。その地域で生まれたということは、現在の都会中心の文化の場合、東京で生まれた子供たちよりずっとハンディがあります。子供たちにとって、最もそのハンディを感じさせないのが、このインターネットの世界なのではないでしょうか。インターネットにもともと国境はありません。地域差もありません。ある意味平等に人々に開かれた世界です。現在のCGMやUGCを支えるのは地方都市の子供たちという状況であるのは、そのことを考えると当たり前なのではないかと思います。娯楽がないということだけではなく、彼らにとってはもっともインターネットの世界は地域格差を感ずることなく活躍できる新しい可能性のある世界なのです。
2008.01.07
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カーニヴァル化する社会の巨大ビジネスこの本は、今の時代、どのようにミリオンセラーが生まれるのかを分析し、調査しています。社会学者の鈴木さんが、ネットなどの仕組みと、今の若者たち、および人間一人一人が変ってきている、そのことを身近な例を挙げて、話してくれます。消費者として、お客様をとらえる時代は終わったということなのかなと私自身は考えます。インターネットやケータイの浸透により、様々なことが可能になったのですね。たとえば、消費者といわれた人たちが、商品を作り出すということなのです。企業がこれは今、人々が欲しい商品だという思い込みで作ると、見事にはずれるんですね。意図があると、みんな嫌なんです。何気なく創っていたものが、多くの共感を呼んでヒットするということがおこり、それが、誰もが全員知っているというようなビックヒットではなく、ある年齢層だったり、ある、一部の層だったりするのですが、そういった局部的ヒット商品が生まれるようになったのですね。非常に面白いテーマの本なんですが、鈴木さんの社会学的なものの見方と、電通消費者研究センターのとらえているところが、やはりまだ、誤差があり、なんとなく、違和感があったのが、印象的でした。消費する人でもあり、生産者でもあるわたしたち一人一人が作り出すマーケットは、今後いったい、どのように成長していくのか、非常楽しみです。
2007.12.15
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~強毒性新型インフルエンザウィルス日本上陸のシナリオ~国立感染症研究所研究員である岡田晴恵さんの新刊です。まだ、日本では一般的にあまり知られていないこの強毒性新型インフルエンザ。「鳥インフルエンザ」と書くと、ご存知の方も多いかと思いますが、その鳥インフルエンザが進化し、人間から人間へと感染するようになったときの惨事をこの本でシュミレーションして私たちに非常に分りやすく説明してくださっています。この本の内容はシュミレーションストーリですが、本当にその出来事の恐ろしさが具体的、かつリアルに伝わってきて、驚愕しつつ、ぐいっと引き込まれてしまいました。このウィルスの進化はほとんど時間の問題だと、世界ではすでにウィルス対策を施し、WHOでも『最大脅威』と発表し、同時多発テロなみに、政府主導で取り組みを進めているそうです。こういった国家の危機管理については、いつもの事ながら後手に回る日本、しかし、こればかりは後手に回ったら、ほんの2ヶ月ほどで、日本経済が大打撃を受けるということになるのです。この新型ウィルスは、もはや、発生まで秒読み段階とも言われているそうです。こういった重大な情報が報じられていない日本て、どんな国なんでしょう。岡田さんの危惧する『パンデミックフルー』協毒性新型インフルエンザ、大流行となったときには、国内の犠牲者は210万人と予想されているそうなのです。人類の誰もが、免疫を持たないこの新型の強毒性インフルエンザの恐ろしさと、その予防対策を国民一人一人が心がけて自らを守らなければならないという時代です。大震災と同じ、いやそれ以上に恐ろしいウィルスなんですね。インターネット上のボットネットなどの最強のウィルスをサーバーに仕込まれてると考えれば、その影響の大きさ、被害の甚大さはかなりリアルに実感できるのではないでしょうか。ウィルス感染によって、個人のパソコンが次々と起動しなくなるというイメージですよね。会社の中にいる人がウィルスによって次々に倒れたら、そして、それがどんどん感染していったら全く社会は起動しなくなってしまいます。国の施策が遅れることは分っているので、自己防衛策を整えながら、ウィルスの進化がなるべく遅れるように祈るのみです。皆様もどうか、一度はこの本を読んでおいてくださいね!
2007.12.03
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時代の大きな変わり目に、いかに働き、いかに学ぶのか。「ウェブ進化論」の梅田さん、渾身の新作です。今回は、梅田さんご自身もおっしゃっているように、御自分のことを交えながら進んでいくので、心に深く浸透してくるようです。読みながら、梅田さんの志がしんしんと伝わってくるようです。その感じがとても共感できるんですね。やはりいかに働きいかに学ぶかということは、いかに生きてきたのか、どのように生きるのかということと同じ意味なのでしょう。そして、まさに明治維新のころの一身で二生を生きるといわれた頃よりもさらに、今のこの時代、一身にして二生を生きるがごとくとなるだろうとおっしゃっています。この時代に生き、日々仕事をしている現場で、本当に梅田さんのおっしゃっていることはひしひしと感じます。この本は、ぜひ若い世代の人たちに読んでもらいたい本です。特にこれから巣立つ若い人たちは、新しい時代の担い手であり、もっとも活躍する世代となるのです。これからの若い人たちは、インターネットリテラシー・ウェブリテラシーを身につけることがもっとも必要な世代であります。ますます、どのような業種の仕事でもインターネット抜きには、考えられなくなってくるでしょう。新しい世代にもっとも必要なこの学習は、残念ながら、今は教育の現場ではなかなか学ぶことはできません。総表現時代となるこれから、志と志向性を持ち、自由に自発的に生きていける新しい時代、そういった時代に社会に出る子供たちの必読書です。新しいもう一つの惑星ともいえるインターネットの世界はまだ生まれたばかりです。今のうちに、より良い美しい世界に向かうように、今、この場にかかわる私たちが育てていかなければなりません。これからの世代の子供たちの可能性が開かれるように、asomeもこの世界をよき方向に向かうべく努力していきます。梅田さんにはいつもいつも行く方向を整理していただき、励まされています。とてもありがたいですね。
2007.11.27
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「人間通」の谷沢永一氏による性愛文学の書を本屋さんで見つけ、すぐに購入しました。最近は本屋であまり本を買わなくなったのですが、やはりときどきブラッと立ち寄ると、面白い本に出合えます。いったい谷沢さんはどのような本を紹介してくれるのかと楽しみに読み始めました。やはり出てくるのは選りすぐった性愛文学。読んでみたいと思いつつも、なかなか手に入れにくい(なかなか本屋さんでは買いにくい(笑))本、谷沢氏が引用してくれてよかったと思いました。思い切り官能小説を紹介してくれて、面白かったです。実は谷沢さんは性文学に関する本をかなり収集しているようなのです。そして、いつかは書いてみたかったというテーマのこの本、私は大喜びで買ってしまったのですが、やはりとても面白かったです。日本人の性は、互いに思いやる心!が要となっているというところは、本当にその通りだなと思いました。ちょっとドッキリするタイトルですが、非常にまじめに性愛文学を語る本なのです。ぜひとも皆様お読みになってみてください。谷沢永一氏の奥の深さを知ることが出来ると思います。
2007.11.19
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伝説のケータイ小説が映画化されました。11月3日からの公開ですが、この映画、なんとも初々しく新鮮な映画なのです。大人の私たちには、忘れていた思春期の恋する気持ち、人を想う気持ちがさわやかに蘇ってくる、そんな映画です。この作品の原作であるケータイ小説はamazonの書評では散々ですが、なにせ、実際に読んでいる子供たちはamazonのレビューなどほとんど書きませんし、反論もしませんから、かなり一方的に偏った見方のレビューのみになってしまっています。本当にケータイからこのケータイ小説を読んでいる子供たちの声はパソコンインターネット上ではあまり読むことはできません。小説と同じように、映画のレビューも、この映画を見て感動している子供たちは、実際には映画のレビューを映画専門ページに書き込んだりしないので、みんな、なぜこんなにこの映画がヒットしているか全く理解ができないんですね。「大人の知らない携帯サイト」にもありましたが、携帯文化とパソコン文化は、いまや大きな溝があり、パソコン文化の人たちは、携帯文化をどうしても下に見てしまっているので、そのような立ち位置では本当のことは見えるはずもなく、文化の溝は深まるばかりです。しかし、考えてみてください。今までに、このように思春期の女の子たちに愛された物語があったでしょうか。この年代のとくに女子中高生が夢中になって見に行くジャンルは、今までなかったように思います。そういう意味で言ったら、本当にありそうでなかった分野の物語なのではないかと思うのです。この映画は原作も女性、脚本家も、監督も女性です。主演の新垣結衣ちゃんは圧倒的に女の子たちからも支持され、みんなが彼女の行動や表情に魅了されてしまうのです。どちらかというとまだまだ男性文化圏であるパソコンインターネット上では、この女性たちが育んだコンテンツ『恋空』は、全くと言っていいほど評価されないのは当たり前なのかもしれません。まったく理解不可能なんでしょうね。いや悲しいかな、もしかしたら永遠に理解されないかもしれません。この物語はプロの作家が書いたものではなく全くの一般人である美嘉さんが自分の体験を元に書いた物語をケータイのサイト上に公開し、更新していたものです。しかしこの物語が口コミで圧倒的な人気を呼び、ケータイから自由に読めていたにもかかわらず、本として出版され、あっという間に100万部以上のベストセラーになりました。インターネットから生まれたラブストーリーという点では日本版、「猟奇的な彼女」ですね。しかし韓国での成り立ちと違って、日本ではこのラブストーリーはケータイサイトで広まり、ケータイインターネット上で、しかも、ユーザー参加型のサービスの中ではぐくまれてきたものなのです。この物語は多くの女子中高生にとって非常に身近な、彼女たちのケータイの中に実在した恋物語であったのです。だからとても感情移入しやすいのだと思います。そして携帯から本やスクリーンへ飛び出した「恋空」は彼女たちに熱狂的に迎え入れられました。新垣結衣ちゃん、三浦春馬君は、本当にまだ、何色にも染まっていない初々しさがあり、見ていて心が澄んできます。asomeは、不覚にも女子中高生と一緒に号泣してしまいましたが、一度でも心から誰かを好きになったことのある人は、この映画、きっと心に響くはずです。何故か、もう一度見たくなる、そんな不思議な魅力の映画なのです。男性の方々、どうぞ騙されたと思ってご覧になってみてください。もしも少しでも共感することができたら、貴方はきっと女心を理解する能力があるのかもしれませんよ。
2007.11.13
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~PCとは全く違うもう一つのネット文化~モバゲータウンがすごい理由を読んだときに、ケータイインターネットの全体像を書ける人がいないと思ったのですが、まさにこの本にはそのことが網羅されていました。黎明期から現在まで、まだたった7~8年ですが、その短い間の歴史でさえ、しっかりと順序だてて書いてくれる人はいませんでした。特にコンテンツや文化という面からいくと、やっとこの本で概要が現れたという感じです。非常に良くまとまっていて、かなりお勧めの内容です。日本は世界でもっとも進んだケータイインターネット環境、どこからもまねしていない、日本のインターネット独自の文化です。そして、ケータイインターネットの場合は、「ケータイ小説」を筆頭にかなり女の子たちがリードしている文化です。モバゲーの場合は男性が確か女性よりも上回っているはずですが、ケータイ小説の世界は、ほとんど女子中高校生が中心となっています。多分そのような文化は、アメリカでも世界でも、非常に珍しいことなのではないでしょうか。今までの時代、インターネットの世界も男性が主体で引っ張ってきましたが、ことケータイインターネットは女の子たちが非常によくがんばっているのではないかと思います。この本の中ではそのことには触れていませんが、これは日本独自の文化なのではないかと思います。平安時代、女性の文学は、日記や物語文化として、世界で最も早く日本で生まれていました。やはり、インターネットの世界でも女性発のケータイ小説文化が、日本で生まれたのは非常に面白いことだと思います。まさにかゆいところに手が届くような、ケータイインターネットの未来、日本の社会の未来を語るにはこの本は必読書と思われます。ぜひ皆様お読みになってください。
2007.11.05
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能楽と歌舞伎と舞踊、狂言の分野が、自由に枠にはまらず表現するというコンセプトで、伝統芸能の世界で育った三兄弟が主催をしている三響会の舞台を見てきました。最近では能の舞台を見る機会が多いので、歌舞伎は久しぶりです。能と歌舞伎では歴史的に200年の差があるそうです。謡も体の動きも流れは同じですが違いが感じられ、なるほどと思います。断然私は能が好きですが、やはり見得を切るときの動きは歌舞伎の面白さ、楽しさですね。この日は人気の若手スター、狂言の野村萬歳さんと歌舞伎の市川染五郎さんがひときわ人気を集めていましたが、それぞれに花のある役者さんです。それに比べると、能は本当に静かな動きなのですが、なんというか、威厳があるというか、透明感があるというのか、特にこの日の舞台は鬼や竜神が沢山出てきて、それは迫力がありました。初めの『能楽五変化』は ~神・男・女・狂・鬼~ 次々と出てくるのですが、最後の鬼で終わるところがまた能らしく迫力があります。いつもの能の舞台の物語とも違い、それぞれの違いが良く分り、非常に面白かったです。その次の出し物は『月見座頭』これは、狂言にもあるものだと思います。野村萬歳さんが、語り手となり、とても楽しく進行していました。舞踊の藤間勘十郎さんが踊っておられました。歌舞伎、舞踊、能では音も楽器も全く違います。歌舞伎となると、三味線が入り、やはり趣が違いますね。そして最後は『一角仙人』という出し物です。能の物語にあるものですが、もともとは今昔物語に入っているお話です。天竺の山にいる角の生えた仙人は龍神と争い、水瓶に閉じ込めてしまったため、雨が降らなくなってしまったのです。帝王は雨を降らせる為、国中の美人を集め、遣わします。運よく一角仙人に出会った美人は、その声とお酒で、一角仙人を惑わせました。その途端に龍神が水瓶を割って出て、雨が降るようになるというお話ですが、その一角仙人を市川染五郎が演じました。一角仙人、美人と従者が歌舞伎役者、龍神は能役者です。能の決め方と歌舞伎の決め方は、それぞれ違うのですが、非常に楽しめました。龍神はかっこいいし、最後の情けない一角仙人も、大見得を切って終わると拍手喝采、さすがに歌舞伎だなと、大雨の中華やいだ気持ちで帰りました。とても楽しい試みで、来年もぜひ見たいと思います。
2007.10.29
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~ポストyoutube時代のクリエイティビティ~コンテンツの未来を探る対話集ということで、音楽、映像系に詳しい小寺・津田コンビが9人の人たちにお話を聞きながら、メディアやコンテンツについての未来について、思考を深めて行きます。あい間にはお二人の対談も挿みとても濃厚なコンテンツに関しての興味深い書になりました。メーカーの方、技術方面の方、プロデュースする方、アーティスト、そして、編集者、研究者、元官僚、サイト運営者、非常にバラエティーに飛んだ方々が登場し、コンテンツの未来を語ります。インターネット時代のコンテンツのあり方が、おぼろげながら見えてくればいいとお二人もおっしゃっていますが、私自身も読んでいてとても興味深く、参考になりました。面白かったです。得意分野のみに絞ったので、ケータイなどの分野の人はいないのですが、でも本質的には変りはないので、仕事のことを考えていくにも非常に役に立ちそうです。多くの人々が、クリエイティブな能力が発揮されやすくなり、そしてそれを自由に発信できる時代、一部の天才のみがアーティストであった時代からその裾野は格段に広がった今、どのような法制度、どのように変化をとらえていくのか、模索しつつの対談集です。CGMが主流と成っているインターネットサービスの現状では、かつて消費者の立ち位置であったユーザーは、情報発信者となり、コンテンツクリエーターに成長しつつあります。それも中学生や小学生からもう立派に参加しているわけです。今の大人たちはまだまだそういった環境が開かれていても何をしていいかわからないと言う人が多いと思いますが、これからの子供たち、若い世代の人たちは、まったく違う生き方をしていくのではないかと思います。大人は子供たちがこれから作り出す世界がうまくいくように、準備をしたり、整えたりということなのかなと考えています。このお二人のインタビューのような感じで、あともう、何人かの人たちに聞いてみたいと思いました。今度は、お二人のあまり詳しくない分野の方々に、聞きに行くというバージョンがあってもいいような気がします。ぜひバージョン2を読みたいものです!
2007.10.16
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非常に楽しく軽快、しかも深い内容で、時々は笑いをこらえながら読みました。日本人の感性を物創りから分析し、特に日本人が当たり前と思っている商品が、実は世界から見て非常にユニーク、かつ絶対にまねできない誇るべきものであることを、いろいろ例を挙げて話してくださいます。キュートであること(かわいい)や、はずかしい、をコンセプトに女の子チックな発想があふれ、そして贅沢なほどの便利さを追求してやまない身近な日常の品々。このようにあらためて考えて見れば、なるほどと納得します。また、日本人が物を擬人化することが得意だということも、世界的な感覚からすると非常にユニークなのだそうです。そういったユニークな日本人の感性から花開いたのが、実はオタク文化ということなのですね。スタートのトイレのお話もとても興味深いお話です。なるほど、日本のトイレは世界に誇る優しさあふれるトイレなのだと納得します。世界の何処にいっても、日本のようなトイレはないので、それだけは、海外に行って日本のありがたさを身にしみます。以前、個室に入ったとたんにふたが開くトイレに出会ったときは感動しました。それが、高級ではない、普通の居酒屋さんにあったりするわけなんです。ドアを開けるとふたが自動であき、そして座ればほど良く温かく、同時に座ったとたんに乙姫が自動で鳴り、用を足せば、心地よいウォシュレットが作動し、立ち上がったとたんに速やかに自動的に流れる水、そして、手を洗うところでも差し出せば水や石鹸がでて、最後は乾燥機で乾かすという、まるでセレモニーのようなこの流れ。これはやはり世界最高のトイレ水準といえるでしょう。そんなトイレがいかにも普通にあるという、日本という国は、やはり特異なんでしょうね。また、私たちが水を流すときには当たり前に大と小というレバーがありますが世界のどこにもそのようなレバーはないそうです。節水を考えてほとんどの洋式トイレに普及させてしまうというところもすごいですね。こんなことは当たり前で、普段、考えても見ませんでしたけれど、実は日本だけの特異な現象なんですね。様々なところで、日本人の消費者としての感性は世界一の水準と言われているらしいですが、確かにそうなのかもしれません。そういった優れた感覚にあまり気がついていないところも日本人らしいところですね。また、最後のほうにあげられていた、日本が誇るアニメの影響について書かれたお話がとも面白かったです。40年後に日本とアメリカで戦争が勃発しそうになったと仮定します。アメリカが、日本の首都、東京を攻撃しようとしている会議のさなか、一人の政治家が「東京を攻撃したら、あのセイラームーンのいた白金もなくなってしまうのか」と口にしたら、多くの政治家が同じように感じて東京攻撃を想いとどまるというようなストーリーなんです。しかし現に、今、世界の子供たちを魅了しているアニメはほとんどが日本発なのだそうです。たとえば、「キャプテン翼」は世界中で放映されていて、世界の一流サッカー選手が小さいときに見ているそうです。それで自分は大きくなったらサッカー選手になろうと思ったということらしいです。子供のときに夢中になった世界は不滅ですからね。この一冊を読んで、日本人の特質、得意な才能というもののあり方が非常に良く分りました。さすがに著者の川口さんは奥様がアメリカ人でいらっしゃり、奥様からの視点や感覚の違いがあって、初めて客観的に日本というものをとらえなおすことが出来たのではないかと感じられました。非常に面白い本でした。皆様もどうぞお読みになって、日本を再発見してくださいませ。
2007.10.12
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2007.10.08
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インターネットというツールがもたらす未来を、様々な角度から提示されている本ですね。特にメディアとインターネットというところに焦点を絞って書かれています。もともと新聞記者である佐々木さんは、このインターネットによって今までのメディアの体質がどのように変化していくのか、そして社会そのものがどのように変化していくのかを真摯に考え追いかけている方なのだと思います。「フラット化する世界」また、今読んでいる「ウィキノミクス」など、インターネットの出現によって、大きく変り行く世界を正確にとらえ、今後起こっていくであろう大変化を伝えてくれる刺激的な本ですが、佐々木さんもそのことをずっとテーマにしてこられているのですね。現状の自分の仕事からも、生活からも、この波のすごさは肌身に感じられます。もう避けては通れない変化なのです。誰もが情報を発信し、表現する世界そして多くの人々が参加するメディア。これまでには、まったく考えられないほど、早いスピードで世界は変っていくのです。今までのメディアの既得権利はなくなりつつあり、誰もがこの波に気がつき始めている、そんな状況の中で、では、公共性はいったい誰が保証するのかという、とても大きな問題を提示されています。佐々木さん自体が経験されたこと、そして取材された方々の発言など、非常にリアルに今起こっているインターネットによる変化の現状を読み取ることができ、とても考えさせられました。今までの佐々木さんの本の中では、ちょっと感触が違う感じですが、なかなか面白かったです。
2007.10.05
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この文庫版は、『お能』『梅若実聞書』『老木の花』の三篇から成っています。『お能』は昭和18年、白洲正子さん、33歳の若さで発表しています。『梅若実聞書』は戦後26年、41歳のときにかかれたもので、『老木の花』は平成元年、79歳で書かれています。4歳のときからお能を習い始め、稽古を続け、そしてお能を見続け、33歳にして、この『お能』をまとめられていることに驚きました。しかも30歳のときに二週間で書き上げたそうなんですね。白洲さんの文章はとてもわかりやすく、女性的な感性でありながら、きちっと筋が通っていて、読んでいて非常に心地よいリズムがあります。間というのでしょうかね。とっても感覚や情感にフィットする感じです。芸術論など、非常に難しいものが多い中で、白洲さんの文章はとっても読みやすいですね。お能のおいたちからお能の幽玄について、そしてお能の舞台や装束など、かなり具体的なことを語られ、そして序破急、お香とお能についてなど、様々な角度からお能の本質を語ってくれます。私は不覚にも、お香とお能の章の最後の数段で、涙がこぼれてきてしまいました。とても感動的なのです。白洲さんは、とにかくまっすぐにお能のというものを愛し、日々稽古し、情熱をもって研究し、体験してきたんですね。この文章を読んで、ここまで、人を夢中にさせ、人をとりこにするお能の世界の美しさ、深さ、優しさを感じることが出来たような気がします。そして、『梅若実聞書』は名人と歌われた白洲さんの師匠でもある梅若実さんの語りがまたとっても面白く、思わず引き込まれます。このとき白洲さんは41歳です。50歳のときにはお能の免許皆伝を授かったのですが、女性にはお能の世界は無理だと悟り、お能の世界から遠ざかっていきます。このころから骨董や民芸の世界に踏み込んでいかれるようです。そして、77歳のときに偶然、名人、友枝喜久夫さんの能に出会い、驚き、感動し、再び能の世界に戻り『老木の花』を書かれるのです。友枝喜久夫さんも、今はすでに他界されていますので、もう、その舞台を見ることはできませんが、その舞台は誰でもが感動されたそうなんですね。人生の最後に咲く花こそまことの花であるという世阿弥の言葉を伝えています。非常に日本的な、年齢を重ねて初めて到達できる至福の境地であり、白洲さんも経験されていらしたと思うのですが、年を取ってからは、ある意味で生涯、一番楽しいときであるとおっしゃっています。素晴らしいですね。そのように年齢を経て行きたいと、こころから思います。この「お能 老木の木」と『能の物語』をぜひセットでお読みになるといいですよ。お能の世界を十分に堪能できます。
2007.10.02
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~マスコラボレーションによる開発・生産の世紀へ~トーマス・フリードマン氏の「フラット化する世界」よりもさらにインターネットによる世界の変化・進化を的確に描いてくれた書です。とても興味深く、そしてまた面白く読みました。常に毎日触れているインターネットの世界、そこで起こっていることが、このようにすっきりと纏められていると大変頭が整理されます。すべての人たちがある意味、情報発信者となり、コンテンツクリエーターとなった今、人々は、競争ではなく協創をしていくということなんでしょう。オープン性、ピアリング、共有、グローバルな行動。世界規模の個人と個人によるコラボレーション。このことが分らない企業はこれからどんどんと乗り遅れていくのです。メディアもしかり、インターネット業界だけではなく、製造業でも学問の世界でも、すべての業界に当てはまることでもあるのです。パラダイムシフトと何十年も前に言われたことが、今この時代になると、この言葉の意味が実感として目に見えるように理解できる気がします。代表選手として上げられる「セカンドライフ」しかり、アマゾンしかり、決して一つのサービスに限り起こっていることではなく、世界全体で起こっているこの流れは、非常に速い速度で進んでいます。デジタルチルドレンと呼ばれる世代が、そろそろ仕事に着き始め、彼らの感覚が、どんどん仕事のあり方、そしてチームの組み方を変えていき始めているのです。日本でも今の大学生あたりが、仕事に就き始めたら、仕事のあり方はかわってくるような気がします。常に、必要なときには便利なツールで連絡がとれ、つながりを持ち、楽しくなければ仕事を続けていかない、彼ら独自の能力を発揮するにはそれなりの仕組みやツールが必要なのですね。皆様、ぜひこの本を読んでみてください。私は一人一人が力をつけこの世界的な流れに参加できるようにと、著者からのメッセージをもらった気がします。買ってみて、絶対に損はしない本だと思います。今起こりつつある地殻変動を読み取るために、この本は絶対のお勧めです。
2007.09.28
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久しぶりに能の舞台を見てきました。秋らしく、狂言は「月見座頭」そして、能は「定家」です。貴婦人をシテとする至難の「三婦人」の一つだそうです。「定家」とあっても、「定家」は出てこないのです。シテは式子内親王。定家が式子内親王を思う心が妄執となり、蔓となって式子内親王の墓に絡みつき、式子内親王を苦しめているという設定です。通りかかった僧に供養をしてもらうのですが、救われたかに見えた式子内親王は、最後にまた蔓に絡まれていくという、とても深い終わり方をしています。この定家蔓といわれる白い花、あまり東京では見かけない花です。秋になると赤く染まり、幽玄を感じさせる非常に深い内容のお能でした。賀茂神社の斉院をつとめた式子内親王は、「玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの よわりもぞする」という歌を詠みました。この忍ぶ恋の相手は誰なのだろうと、多くの人たちが想いをめぐらしたのでしょう。謡曲の書き手は、この相手を「藤原定家」考え、物語を編んだのです。やはりとて有名な[井筒]もそうなのですが、後半は式子内親王と定家が、一つになったような非常に妖艶な存在となり、舞を舞います。見る人一人一人の感じた定家が、幾通りもあるという、非常に日本的であり、能の本質を現している能ということでした。非常に余韻のある、深いお能でした。また、今、国立能楽堂では、高島屋が保存していた江戸時代の能装束が展示されています。美しく、豪華で品のある、江戸時代の能装束、能の舞台を観にいった人は無料で見ることができます。久しぶりに触れる幽玄の世界、心豊かになるひと時です。
2007.09.25
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久しぶりに着物を着ました。温暖化の影響か、日本は、亜熱帯気候となり、9月中旬で、30度を越える日が多いです。涼しくクーラーの中で着付けても、外に出ると汗だくになります。こうなりますと、絹の着物は、無理ですね。浴衣で出かけたい気分です。こんな時は、木綿の着物です。たくさん汗をかいても、一日快適にすごせます。素材としては、洗いざらしのダンガリーですが、帯を締めると、気持ちが引き締まり、暑い日にシャキッとできるこの感覚がとても好きです。渋いグレーの縞は、お気に入りで重宝しています。家に戻ると、きれいに畳んでネットに入れて洗濯機で洗います。軽く脱水して、畳んだまま、パンパンと叩いて、風を通しながら、干します。お出かけの度に、着たくなる、お手軽さです。 着物には、いろんな決まりごとがあって、季節や、格式や、質を考えていると、着るのが、本当に嫌になります。いつの時代からこんなになったのでしょうか。昔は、着物しかなかったはずですよね。フォーマルは、フォーマルで揃えるとして、それ以外は、自由に選んで、気軽に楽しみたいものです。
2007.09.21
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