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最終回の視聴率が40%となった、今年の大ヒットドラマ「家政婦のミタ」。私は最終回のみ見たクチなのですが(笑)、この「ミタ」の人気を分析した番組によると、人気の要因の一つは、三田さんが、何があっても、「承知いたしました」と相手を受け入れたことというのもあるそうです。それぞれが問題を抱え、崩壊しかかっている家族。それを立て直すためには、普通だったら「ああしなさい」「こうしなさい」と正すところです。けれど三田さんは、無理難題を言われても、業務命令とあらば、「承知いたしました」と応え、実行していきます。無理難題を言った本人が「できっこない」と思うことですら、それを誰かが「否定せず、受け入れてくれる」ということ。自分のことを「認めてくれる」ということは、人を満たする大きな力があるのでしょう。そして、無茶を言った本人自身が、頼んだものの、「やめて、三田さん!」と、やっぱり「こうではない」と気づき、「人に言われたから」ではなく、自分から「こうしよう」と、より本当の心が望むように、行動していったことが、きっと家族の更生につながったのでしょう。(だいたいの話しか知らないので、違ったらスミマセンf^^;)私は、『「なかなか前向きになれない」と思ったときに読む本』や『「喜び」と「怖れ」の法則』などで、「ない」でなく「ある」に目を向けることをご紹介しています。それは、どんな困難なことでも、それによってためになったことや役立ったことが「ある」と気がつくと、そのものごとを「認めること」ができるからなんですね。否定するのではなく、受け入れること。すると、心が穏やかになり、喜びにもつながるのです。「受け入れること」「認めること」それは、「家政婦のミタ」の人気からも、やっぱり大切なんだなと、しみじみ思いました。そして、この「認めること」というのは、自分の「未来」を作る上でも大切なんですよね。なぜなら、「これはOK」と自分が認められたことしか、自分は受け取れないからです。「1000人の前で10分トークしてみてよ!」と言われたとしたら、あなたはどうリアクションしますか?「できない!恥をかく!」と思って、その機会を認められなかったら、せっかくのチャンスを得ることはできないでしょう。けれど、「いや、めったにない経験、面白いな~」と思って、できる自分を認められたら、そのチャンスに乗るでしょう。そして、なかなかできない体験を味わうことができるでしょう。「これはOK」と、自分が認めていることがたくさんあればあるほど、さまざまな未来の可能性が開けます。「認めること」というのは、別の言葉でいうと、「決断すること」でもあります。「こうすると決める」「こうなると決める」。認めたことを、より強い力で自分の中に落とし込むのが「決断」だと私は思います。私が楽しみに読んでいるメルマガが、ワークショッププラネットのメルマガです。そこで、ホワイトクロウさんというチャネラーの方が大天使アリエルやミカエルとのチャネリングで受け取ったメッセージを紹介されています。(メルマガのバックナンバーは⇒コチラです!)先日、ミカエルとのチャネリングのメッセージが紹介されていました。「決断することで、あなたの波動が変わります。あなたの発するものが、あなたに還ってきます。決断することで、あなたの存在すべて、肉体、エーテル体、アストラル体、メンタル体、コーザル体、オーラの波動が変わります。決断によって、波動が変わる時、その波動と同様のものをあなたは感じて行きます。選択は、より軽やかな次元の波動を変えて行きます。決断によりあなたの肉体の振動数も変わって行きます。」(大天使ミカエル)自分は、こうなる。こうしたい。それを認め、決断することで、さらに自分らしく、幸せな未来を受け取れそうですね!^^2012年を幸せな未来にする!と決断された方・・・1月8日に、ホワイトクロウさんの講座が行われますよ^^。チャネリング基礎講座「~大天使ミカエルと変化の波にのる」~魂の目的を知り 自分の光の道を歩む~【日時】1月8日(日)12:00~18:00(受付開始11:45~)【会場】東京都江東区【参加費】11,100円 ※メルマガご購読割引9,990円【定員】16名詳細・お申込は⇒コチラ私もキラキラする未来を受け取るために、参加いたします。楽しみです!^^「認めよう!」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2011年12月29日
先週の土曜日は、佐藤伝ちゃん先生の朝食会に参加してきました!今は「朝活」とか、「朝の時間の使い方」ということがいろいろ取り上げられていますが、何とこの朝食会は、2002年から開催されていたのですよ!毎月最終土曜日の朝7時7分から~ということで、「707朝食会」という名がついていたのですが、今回が最終回だったのです。実はわたくし、この回に2002年から参加していた、かなりの古株。第一回は帝国ホテルで行われたそうですが、おそらくその次の赤坂プリンスホテルで行われた回から参加しました。朝の7時過ぎに、赤プリの最上階(だったかな?)のレストランで、3000円くらいの朝食バイキングをいただきながら、一つのテーブルを囲み、さまざまな方とお話しする・・・。高層の眺めのいい、しかも優雅な雰囲気のある高級ホテルで朝食をいただくこと。さらに早起きして出かけるという非日常感。さまざまな業界の方とお話しできるときめき感・・・。本当にわくわくする体験でした!それ以降、時々参加していて、4代目のコーディネーターになった「たむちんさん」のときは、麹町のファミレスの2階の貸し切りだったのですが、来月の改装と同時に貸し切りができなくなったそうで、「最終回なので、来ませんか?」とお誘いをいただいたのです。定員50名のところ、申込が100名だったそうですよ!@@朝食をいただきながら、伝ちゃん先生のミニセミナーもありました。ドームスタジアムの建築の基礎を発明したり、「宇宙船地球号」の思想を広めた、バックミンスター・フラーの話からは、「良いことも悪いことも、すべてはかけがえのない経験の目録」ということ。それと同じことを伝える、東洋の思想としては、「雪山童子(せっさんどうじ)」の逸話から、「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽」ということを教わりました。これは、意訳をすれば、「すべてのことは移り変わっている。生じて、なくなるものである。そのことを知って、なくなることを怖れなければ、幸せになれる」ということでしょうか。形あるものは、いつか失われていく。すべてのものは、やがて変わっていく。「ある」ものが「ない」になっていくのも自然の理。だから、「変化し失われていくもの」と知っていれば、苦しみはなくなる。「なんで」とか「どうして」と執着する代わりに、「そういうものだ」と思うこと。そして、「失った」と思ったことも、「経験を得た」「他のことを得た」と思えば、喜びの種になっていく・・・。おお!これは、拙著『「喜び」と「怖れ」の法則』でお伝えしたいと思っていたテーマと同じではないですか!そうか、それだから伝ちゃん先生が、「『「喜び」と「怖れ」の法則』は、いい本だよね~!」と、何度も言ってくださったのかもです(笑)。朝食会では、写真家の方や、プロボクサーの方などともお会いいたしましたよ~^^。こんな知的な時間をご一緒できる朝食会。朝食会はこれで終了ですが、2012年からは「朝カフェ&勉強会」ということで再スタートします!ご興味のある方は、ぜひご参加くださいませ!(^_-)-☆お申込・詳細は⇒コチラ「楽しそう!」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2011年12月21日
つらいこと、悲しいことが起こると、皆さんはどうされていますか?私は、「ハッピーライフセラピスト」と自称していますので、そういうとき、どうしたら気持ちを上げられるか、ということを考えます。それで、「失ったことではなく、得たことを見つける」とか、それによって「ありがたかったな」というような気持ちになれれば、少しずつではありますが、心がラクになる・・・ということは知っているのですが。ですが・・・。心というのはそう一筋縄ではいかないもので、深い深いシワができてしまった服は、スチームを使ってアイロンをかけても、まだまだシワが残ってしまうこともあるように、傷が深ければ、なかなか癒えないこともあるのですよね。だから。つらいことがあったとき。悲しいこと、苦しいことがあったとき。こういうものを見てみてはどうでしょうか?これは、私のお友達のスピリチュアルセラピストで、ピアニストでもある吉野奏美さんが作った曲に、自然/宇宙エネルギーである「氣と光」をテーマに、主に風景や空、雲、夕焼けを撮っている「氣光写真家」の石丸義人さんの写真をスライドショーにしたものです。Youtubeで見ることができますよ。「エンジェルハート」「そよ風の中で」この曲は、クリスマスパーティーのプチ瞑想でも使わせていただいた曲なのですが、心に染み透る不思議な力があります。そして石丸さんが切り取られた空や雲や自然の風景は、神さまからの慈愛にあふれたプレゼントのように思えます。日々、こんなに美しいものを楽しめるように、神さまは自然の中で人を生かしてくれているのだ、と思うと、「大きな愛」で包まれているような感じを覚えて、とても安らかな気持ちになれました。石丸さんは「この作品を、心に悲しみと苦しみを持った方々に捧げます。 ご覧になった後、ほんのひと時でも安らぎ、心が穏やかになれば、 これに勝る喜びはありません」とメッセージを寄せておられますが、見終わったあと、しみじみと幸せな温かい気持ちになれますよ!ぜひ、ご覧になってくださいませ!^^先日のパーティーのご感想を、奏美さんと、jasmine8さんがブログでご紹介くださいました!「見てみよう!」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2011年12月13日
「「未来を見る」セッションを受けてきました!」シリーズ。今回でとりあえず終了です^^。『ザ・フューチャー・イズ・ユアーズ』には、著者のアン・ジルチさんが、「日本版特別書き下ろし」として、「10年後の日本」を観た、「経済」「環境」「人々」「10年後の未来の人々からのメッセージ」というのも書いてあります。詳しくは本を読んでいただきたいのですが、「本当に大切なことだけに目を向けなさい」という言葉が印象的でした。私の周りでは、この1ヵ月くらいで「本当にやりたいこと」を決断した人がとても多いのです。それは結婚であったり、仕事の方向性の変化であったりとさまざまなのですが、今年の災害やアセンションなどをきっかけに、「本当に大切なことをやる」ということに、正直になっている人が増えているように感じています。だから、この流れに乗っていくことが、幸せな10年後につながるかもしれませんね。また本では、「20年後の未来」「100年後の未来」についても、「観てきた人々」のデータをもとに紹介されています。20年後ならまだしも、自分が生きていないであろう100年後などは、もう「自分には関係ない」みたいな感じで、頭に入ってきません(笑)。でも、興味深かったのは「300年後の世界で天使になった女性」のケーススタディでした。この本で紹介されている「FLP」という手法は、10年後の未来だけでなく、「来世」を見ることもできます。(私が受けたセッションでは、時間が足りなくて10年後だけでしたが)すると、何人もの人が、来世は「光の存在」となっているそうなのです。そしてさまざまな仕事をしているようなのですが、人によっては、地球に来て「あなたがいる次元での交通事故を防ぐの。 車を運転していて居眠りしかけている人たちの肩にそっと触れて、 目を覚ましてあげるのよ」ということもしているそうなのですね。つまり・・・。「光の存在」となったら、次元も、時間も超えることができるようなのです。そして、目には見えないけれど、助けてくれる・・・。私は「見えない力」のサポートを感じることが多いのですが、それは、来世で「光の存在」になった人が、助けに来てくれているのかもしれない。自分もいつかは「光の存在」になって、過去に戻って、今の私をサポートしているのかもしれない・・・。「自分自身が、自分の天使」。そんなこと思うと、また楽しくなってきますね!^^「過去生があるか、来世があるか」それは科学的に実証するのは難しいことです。また、未来がどうなるかも、時間が経たないと、正確なことは分かりません。けれど、「どうなるか分からない」と、不安を抱きながら進むのと、「こうなるかもしれない」と、疑い半分でもシッカリと進むのでは、「心の方向」が違いますから、未来の方向も変わるでしょう。私も、本のエクササイズを自分でもやって、楽しみながら未来を観て、これからの自分に生かしていきたいと思います!^^ご興味のある方は、本を読んでやってみてくださいませ。「見えない」方は、「聞えること」「感じること」に意識を向けてみてくださいね!(^_-)-☆『ザ・フューチャー・イズ・ユアーズ』「来世、興味がある!」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2011年12月03日
サヤカさんのセッションを受けながら、「見えない系」の私も、「こんなことをしている感じです」「こんなような服を着ている感じがします」というのを、ぼんやりとではありますが、感じとることができました。けれど、どうしてもそれが「自分の願望」にように思ってしまうのですね。こうなりたいから、こんなことが浮かぶのではないか、と。とくに私は、もともと「思ったことが現実になる」と実感していますから、「こういうふうになったらいいな」ということをよくイメージしています。それが出てくるのかな、と思うので、何度も「自分の願望だからかもしれませんが」と言っていたのですが・・・。サヤカさんと話していて気がついたのですが、「願望を抱くのは、それが叶うから」なのかもしれません。「あなたのそばに人がいます。 どういう人ですか?」そう訊かれて、「○○な人、な感じがします」というのは、「こういう人だったらいいな」という願望かもしれませんが、そういう人を「慕わしい」と思うのは、「未来の自分のそばにいるのがそういう人だからこそ」「○○」という条件が、今出てくるのかもしれないのです。同じように考えると、「こういうことをしていたらいいな」ということも、「こういうこと」を未来にしているからこそ、それに心が魅かれて、「こうありたい」と今思うのです。「願いは、叶うから心に宿る」という言葉を知っていたものの、前々からの心のクセで、つい信じることに臆病になっていたようです。だからこそ未来の私は、この機会を使って、「心配しないでも大丈夫」と伝えてくれたのかもしれません。また、今回感じた未来には、私が「難しいだろうな」と思って、願うことをやめていたことが起こっていました。これが叶うのだったら・・・。今回感じた未来は、「ただの願望」でなかったのかもしれません(楽しみです(^m^))。本にもあり、サヤカさんも言っていたのですが、エクササイズやセッションで浮かんだことを、私が「願望だと思いますが」と言っていたように、つい人は、頭で判断しようとしてしまいます。そうすると、思考によって、受け取ることが狭められてしまうことがあるのですよね。だから、どんなことが浮かんでも、「ほお~、そういうこともあるかも~。 そうだったら、楽しいな~~」と、リラックスして受け取ることに身を任せてみるのが、たくさん受け取るコツなのでしょう!ちなみこのセッションを、「自分でやる方法」が書いてあるのが、『ザ・フューチャー・イズ・ユアーズ』です。またサヤカさんのブログには、「あなたがこの本に出会ったのは偶然ではありません。 この本を手に取ったということは、 あなたがご自分の将来に足を踏み入れて進化成長し、 少しでもより良い世界をつくりたいという意志表示だと言えるでしょう」とありましたが、この本にピンと来たり、「やってみたい!」と思う人は、未来を知ることを、自分の幸せのために上手に使う準備ができている人なのもしれませんね。ちなみに、本では、「10年後の日本」、さらに「来世を見る」方法もあり、その方たちの体験談も興味深かったです。それは次回に・・・!「叶うから、心に宿るのか!」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2011年12月02日
「未来を見る」セッションをやってくださる、サヤカさんにお会いしたのは、東京のオフィスルーム。とっても笑顔が優しい、素敵な雰囲気の方です。それもそのはず。サヤカさんは、「ジャーニー」という、心や体を癒すメソッドのファシリテーターを長くやっておられる方なのです。私が誘導瞑想をされても「見えにくい」ため不安に思っていたところ、サヤカさんが優しく話してくださったのが、人には、「視覚」「聴覚」「感覚」の三つの、得意な認識分野がある、ということでした。例えば、旅の感想を話すとき。「とってもキレイだった!」という人は「視覚派」。「とっても静かなところだった!」という人は「聴覚派」。「とっても楽しかった!」という人は「感覚派」。私は、「楽しかった」「面白かった」という表現が多いので、感覚派なんですね。なるほど!だから今まで、天使の姿も「見え」なければ、神さまのメッセージも「聞こえ」なかったわけです。今までの疑問が解けました(笑)。すごく大切なことを知ったところで、セッション開始。リラックスさせる誘導の言葉も、「感覚」に訴える言葉を選んでいただいたおかげで、早くリラックスできました。行ってみたのが、10年後。「どんなところにいますか?」・・・と訊かれても、視覚が弱いわたくし。「ぼ、ぼやぼやしています」「どんな感じがしますか?」それを感じ取ろうとすると・・・。「・・・すごく、安心している感じです」「感覚」ならば分かります。おお!ちゃんと未来に「繋がって」いますよ!@@サヤカさんの穏やかな優しい声に誘導され、住んでいるところ、やっていること、家族を、「見る」というより、「感じとること」をやってみました。すると、私でも、ぼんやりとですが、「分かる」ことがあるのですよ~!そして、「10年後の私から、今の私に伝えること」も、聞いてみることにしました。そうしたら、お話のような形で「聞こえる」ことはありませんが、「心配しないでも大丈夫」「やりたいことをやりなさい」と、言われている「感じ」がしました。あくまでも「そんな気がする」という感覚ですが、心の深いところで、すごく納得している自分がいました。『ザ・フューチャー・イズ・ユアーズ』には、自分で自分の未来を見るエクササイズが載っています。また、サヤカさんのブログでは、さらに詳しいこと、体験談、個人セッションの受付もされていますよ。ロンドン在住のサヤカさんの、今回の来日でのセッションは満員御礼だそうですが、スカイプでセッションを受けることができます^^。ご興味のある方、ぜひご覧くださいね。そして、セッションを通して、私が気づいたこととは・・・。明日に続きます!^^「未来、本当に分かるのか!」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2011年12月01日
皆さんは、自分の未来を知りたいと思いませんか?とくに、将来が不安なとき。選択に迷っているとき。「未来はこうなる!」と分かったら安心ですよね。ですから、人は、占いやリーディングを受けて、「教えて」もらおうとするのでしょう。私も、会社を辞めようか迷った時は、「よく当たる」という占い師さんのところに行きました。サイキックな方のセッションを何度か受けたこともあります。でも、その結果、思ったことは・・・。「未来は、自分の思いや行動次第で変わるから、 教えてもらったことが当たるとは限らない」ということだったのですよね(笑)。言われたことが起こったこともありましたが、ぜんぜん起こらないこともたくさんあったのです。そんなわけで、武田ランダムハウスジャパンの編集のロックさんから、「未来を見てみたいと思わない?」と訊かれたときも、最初は、「未来を教えてもらっても、未来は変わりますからね~」と答えていたのですが・・・。やっぱり気になって詳しく聞くと、なんと、占い師さんやチャネラーさんに「教えて」もらうのではなく、自分で自分の未来を「見る」ことができるのだそうです!その方法は・・・。実は本になっています! 『ザ・フューチャー・イズ・ユアーズ』アン・ジルチさんという、イギリスの方が書かれたものです。アンさんは、「前世療法」・・・自分の過去世を、催眠のような形でクライアントが見るセッションをしていた方なのですが、あるとき、「未来」を見始めた方がいたことから、「フューチャー・ライフ・プログレッション(FLP)」のやり方を確立されました。本では、その経緯だけでなく、自分で自分を未来に誘導して、恋愛、仕事、ビジネスチャンス、トラウマ・・・そういったことをクリアにする方法まで書かれています。思わず、一気読みしてしまいました(笑)。私は、自分が未来をリーディングしてもらったとき、「よくないな」と思ったことがありました。それは、「予言に縛られる」ということです。例えば「○○な人がパートナーになりますよ」と言われると、今まで、○○な人は眼中になかったら、アンテナを立てる助けにはなるのですが、逆に、○○でない人は除外してしまうこともあったのです。だから、なんだか「予言の言いなり」になってしまうような、不自由さを感じてしまったのですね。けれど、本には、「未来は4つある」とあります。未来を見ても、それを知ったことにより、確信をもって進めるようになれば、実現が早まります。また、避けたい未来だったら、「こうならないように」と行動を変えることによっても未来は変わります。「そうか、より自分が幸せになるために未来を見るのなら、 縛られることもなく、楽しく未来を見られそうだな」そんなふうに、未来を知ることを許可できた私なのですが・・・。ですが・・・。いかんせん私は、「誘導瞑想」というのがけっこう苦手なのですよf^^;。瞑想会などで「あなたの前にドアがあります。それを開いて中に入ってみましょう。何が見えますか?」などとリードされても、見えるのは、まぶたに映る灰色だけ、みたいなf^^;。なので、本に誘導するエクササイズが書いてあり、読んでみて、その気になろうとしても、やっぱり「灰色」なんですよねf^^;。そんな私に、ロックさんが言ったのです。「この本を訳して、日本で1人だけこの方法を習得している、 サヤカ・カーンドーフさんのセッションを受けてみますか?」・・・そんなわけで、受けてきました!続きます^^。「面白そう!」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2011年11月30日
じゃーん^^。いよいよクリスマスまであと1ヵ月!バリ島の姉のところでも、クリスマスツリーを飾りましたよ~!^^テーブルに載る大きさで、スイッチを入れると電飾も点くそうです。日本にいると、クリスマスというと「冬」なイメージですが、南半球では「夏」。こうして南国のお花がアレンジしてあるのもカワイイものですね!今年は、23日(祝日)、24日(土)、25日(日)と、なんとクリスマスが3連休!という方も多いでしょう。「クリスマスに何かしたい!」という方々にとっては、またとない嬉しい日程ですね。(ウチの店は、毎日営業していますが(笑))クリスマスというのは、イエス・キリストが生まれた日をお祝いするもの。近年では、そのこと抜きに、プレゼントを贈り合ったり、大好きな方々と過ごす日、となっていますよね。気になる人がいたら、何もないときにプレゼントするのは変に思われるかもしれませんし、バレンタインでは重く思われてしまうかもしれませんが、クリスマスにかこつけて、「いつもお世話になっているお礼に!」と何かピンとくるものをプレゼントすると、すご~~~~く好感度アップ!になるんですよね(^_-)-☆。ご両親の父の日や母の日、誕生日のお祝いをすっ飛ばしてしまった方も、この機会に何かをしたら、喜ばれるでしょうし、自分も、「これで心残りなし!」と思うのではないでしょうか^^。プレゼントというのは、相手に「喜び」や「幸せ」というのを「別の形にして贈るもの」だと思っています。それだけでなく、相手が、「これを受け取ったら嬉しい気持ちになってくれるかな?」とわくわくしていたら、自分のハートの栄養にもなって、自分も幸せにしてくれます。「プレゼントを買う」というのは、自分のお財布からはお金が減ることではありますが、自分のお金というのは、自分がやったことの証として受け取った、自分のいわば「一部」。それを使うということは、自分の一部を、相手に届ける、ということとも言えるのかもしれません。自分の一部を、相手の喜びや幸せに役立ててもらうためにプレゼントして、それで相手が元気になって、他の人にも何かをするやる気の一助となったなら・・・。「自分が、たくさんのところとつながり、広がっていくこと」、にもなるのかもしれません。そもそも、「ものを買う」ということをした時点で、買ったお店が潤う、いいことをしたことにもなりますし。それに周りを見ていると、そうして「自分の一部」を喜びながら周りに分けている人は、「もっと分けられるように」と、お金や、チャンスや、ご縁もたくさんやってきているようです。また、「買って贈る」のは、「お金が減っちゃう^^;」と、どうしても「怖れ」の気持ちがわいてしまうのなら、100円ショップで買ったカードに、言葉の形で贈るのでも「自分の一部」をプレゼントする、ステキな行為になりますよ!プレゼントを贈りやすい季節。ぜひあなたの「一部」を、大好きな方に、プレゼントしてみてくださいませ!^^バリ島の姉が描いた、天使のカード。 「夢を応援する」エネルギーがありますよ。よろしければ、お友達のプレゼントにどうぞ!(^_-)-☆「バリの天使 ビダダリカード」「プレゼント、いいかも!」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2011年11月25日
今年2回、宝地図のセミナーをご一緒させていただいた佐藤ふみこさんことみーこさんが、先日、別のセミナーでの出来事を教えてくださいました。そのとき、会場(国立女性教育会館)の宿泊施設に、福島から避難されていたママさんも、ご参加くださったのだそうです。すると、「お金を払ってでもやりたいことはなんですか?」という質問に対しては、他の方が「世界旅行」などと答えるなか、避難中のママさんは「放射能をなくしてほしい」と答えられました。簡易宝地図の制作のときは、「豪邸でなく、安全な家がほしい」と言われたそうです。3月に起こった震災。そしてその余波。「今年あった大きな出来事」として記憶の中にしまいかけそうですが、まだまだ現在進行形です。そして、「願い」というのも、「人それぞれ」だと気づかされます。「思い切って、大きな願いを挙げてみて!」というと、「大金持ちになりたい!」とか「大豪邸に住みたい!」とかいうのが、けっこう出てくるものです。けれどそれらは、長年掲げていても、わりと叶わないことが多いのです^^;。なぜかというと・・・。そう願ったのは、テレビの大金持ちが、贅沢に暮らしているのを見て、「ああいう体験もしてみたいな~」と、思っただけなんですよね。ずっと、そういう暮らしがしたいのではなく、「体験してみたら楽しそう」という程度のことが多いのです。本当は、「自分が普通に暮らすのにちょうどいいお金」があって、「暮らしやすい、掃除しやすい大きさの家」に住む、というのが、本心が求めているもの。そしてそれは、実はすでに叶っていることも多いのです(笑)。ただ、「大きな願いをもつ」ことの効用は、「自分はこの程度」と、自分で自分を限定している枠に気づき、「それ以上も得られるんだ」という可能性を自分に許可することだと、私は思っています。そうすると、今まで「どうせダメ」と受け取ることができなかったチャンスなどを「できるかも」とチャレンジできるようになり、次第に大きな願いを叶えることができていくんですね。ですから。自分の願いは、「他の人の借り物」ではないか。そして、自分で自分の可能性を限定してはいないか。それを改めて見つめてみると、「願い」というのは、もっと叶えやすくなると思います!^^宝地図、といえば、提唱者の望月俊孝さんが、バイブルとも言える新刊を出されましたよ! 『9割夢がかなう宝地図の秘密』これから宝地図を作りたい方、オススメです!^^「自分の願いを見つめ直そう」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2011年11月18日
親離れ、子離れというのはなかなか難しいのかもしれません。人を見ていて、「ええ~~、ここまでお子さんにやってあげるんだ!」と思うことや、「ええ~~、ここまで親御さんに頼るんだ!」と驚くことがあります(笑)。それはきっと、まだ「相手と自分は一緒」、と思っているからなのでしょう。子供が何か成果を上げると、「我がことのよう喜ぶ」というのは、子供と自分は一緒なので、自分が成果を上げたように感じるから。また、親に対して我がままなことを言ったりするのも、自分と親はつながっているので、「このくらい大丈夫」と、甘えているからなのではないかと思います。人は、自分にエネルギーをくれる人に対して、「つながり」を感じます。それが強くなると、一体感も感じるのでしょう。家族でなくて、ファンの芸能人であっても、けなされると怒りを感じるのは、「自分」がけなされたように感じるから。そして自分がその芸能人から、元気やウキウキしたエネルギーをもらえればもらえるほど、その一体感は強まるのでしょう。パートナーや親子であったら、双方向のエネルギーのやり取りがありますから、さらに一体感は強まります。だからよけいに、「離れられない」状況になるのだと思います。でも、片方は「すごくエネルギーをもらっているから離れられない」と思っていても、片方は「そうでもない」という場合もありますよね(笑)。そう思うと、ついつい相手を邪険に扱ってしまうこともあります。でもそんなときは、「ああ~~、向こうは自分とまだまだ一体だと思っているんだな~」と、温かい目で思いやってみるのも大切なのかもしれませんね(笑)。自分がなんのエネルギーももらえない人だったら、「どうでもいい」はずです。どうでもよくないのは、その相手とエネルギーのやり取りをしているから。人間関係というのは「エネルギーのやりとり」なのだと、このごろ、つくづく感じます。「そうかも」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2011年11月05日
『幸運が舞い込むプリンセスルール』が、またまた増刷!10刷になりました。ありがとうございます~!^^コンビニでも置かれる予定です。もし発見されたら教えてくださいませ!^^この本を「プリンセス本」として加筆するとき、私の頭の中にあったのは、「誰にでも、幸運なプリンセスになる絶対の資格がある」ということでした。もっといえば、「誰もが、すでにプリンセスである!」ということです。(本の袋とじまでご覧になった方は、 その理由をご存知ですね・・・?(^_-)-☆)ただ、「そんなはずがない」「とてもそうは思えない」と思う方もいるでしょう。ですから本では、「自分がプリンセス」ということを「思い出していただくためのこと」をご紹介しています。その中にはもちろん「もう知っている」ということもたくさんあるでしょう。でも、知っていてもやっていなかったり、知っても忘れてしまっているから、「自分がプリンセス」ということを、思い出せなくなっているのですよね。また、「人は誰でもダイヤモンド」という言葉もありますが、人はみな、ものすっっごい可能性を持っています。だから、人によっては「自分磨き」を一生懸命にして、ダイヤモンドの輝きを取り戻そうとします。もちろん、そうする過程で気づくこともたくさんありますし、自分で自分の輝きを増せることを知ると、嬉しく、楽しくなってきます。ただ、やり過ぎて疲れてしまうこともあります。やったのに、思うような結果が出ないこともあります。磨き過ぎても、かえって傷ついてしまうこともあるんですよね。でも、「思い出すこと」なら。ダイヤモンドが、色々な価値観やうまくいかなかった経験がまとわりついて、汚れてしまっているだけならば、洗って、柔らかい布でぬぐえば、きれいになります。「もうすでに輝いているのですから」、思い出すことで、汚れを取り去れば、美しい輝きを取り戻すことができるんですね。本を読んだ方から、「毎日がキラキラしてきました!」という、たくさんの喜びの声をうかがって、とても嬉しいです。そして、リアルでも知りたいな、という方は・・・。「自分の中のプリンセス」を思い出すセミナーを、10月30日に開催いたします。特別に、メイクアップアーティストの朝美さんが「プリンセス・メイク」を教えてくれますよ!^^朝美さんは、「自分でできる好感度アップメイクレッスン」ひよっこメイクも立ち上げておられます。当日は、プリンセスメイクのデモンストレーションもお楽しみください!内側も、外側も、プリンセスのようにキラキラして、女子力をアップ!毎日の輝きもアップ!させたい方、お待ちしております~!^^◆日本女性応援協会主催 女性応援セミナー第6弾 『~オトナ女子力を上げて、幸運なプリンセスになる!~ 毎日がキラキラ輝く自分づくりセミナー 』【日時】10月30日(日)13:30~16:00(受付13:10~)【開催場所】 東京ウィメンズプラザ 第1会議室B(地下鉄表参道駅徒歩7分)【定員】35名(女性限定)【参加費】3,500円 (日本女性応援協会会員は、2,500円)お申込フォームは ⇒ http://bit.ly/qO98lf詳細はコチラです!◆お知らせです本日から、法事&親族旅行で出かけます!次の更新は22日の予定です。どうぞよろしくお願いいたします^^。今年最後のセミナーです!「プリンセス」になりましょう~!(^_-)-☆★10月30日に「オトナ女子力を上げて、幸運なプリンセスになる!セミナー」を開催⇒詳細・申込★12月10日に「幸せが舞い込むクリスマスパーティー」を開催 ⇒詳細・お申込「プリンセスになりたい!」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2011年10月19日
幸せになるのは、実は簡単です。それは、「今のままで満足!」と思うこと。「え~、不満があるから、幸せでないのに~」と思うかもしれませんが、いざ、階段で転んで足を捻挫でもしようものなら、「足が動く」という今まで「当り前」と思っていたことすら、「ありがたい~~!」と気がつけるんですよね。けれど、いいのか悪いのか、人は「慣れる」生き物です。足が動かなかったら、自由に動くようになると、「ああ~、幸せ~~」と思うのですが、すぐにそれが「当り前」になって、ほかの不満を見つけ、イヤな気分になってしまうのです。けれど、それは仕方がないことなのだと、私は思うのです。宇宙は今も、ものすごい勢いで拡大しています。それと同じように、宇宙が包括している「魂」というものも、拡大しているのでしょう。だから、より新たな経験やデータを欲しがっているのです。なので、人それぞれの魂に、「もっと」「よりよく」と求めるようプログラミングし、現状に満足して停滞しないようにしているのではないかと、私は思っています。もちろん、「宇宙」や「魂の親玉さん」に訊いたわけではないので、実際のところは分からないのですが(笑)、このように考えてみると、ラクになることがあります。まずは、「いつも求めていたり、人を羨んでばかりいる自分がイヤ!」と思っている人がいたら、「しょうがない、そうプログラミングされているんだ」と思うことで、自己肯定できることがあります。なぜなら、「求めてばかりいる自分がイヤ」と否定するのでなく、「それでいい」と認めることができると、心がおだやかになります。すると、「ダメだから何とかしなきゃ」と怖れから動くのでなく、「じゃ、それを叶えるために、いっちょやりますか!」という、喜びのために動けるようになります。すると、喜びの動機は喜びの結果を引き寄せやすくなるんですね。それに、失敗をして、「後退した」と思ったとしても、行動したこと、それによって起こったさまざまな心の動き・・・。それらは、宇宙や魂にとっては、素晴らしい「栄養」となりますし、自分の中でもいずれ、宝物のような糧になることもあります。だから「求めて、動く」ということは、宇宙にとっても人にとっても大切なことなのでしょう。もちろん、何らかの理由で、「なにもしたくない、動けない」という状態に陥ることもあります。けれど、生きていくためには、食べたり飲んだり、ほかの人と最低限のコミュニケーションをとらなくてはなりません。それも、大切な「動き」なのだと思います。それに、ものを食べる時、自然の恵みや、作物を育ててくれた人に思いをはせてみたら、当り前のように食べる米粒一つにも、しみじみ、「ありがたいなぁ」と思う気になって、温かい気持ちになれるかもしません。幸せになるのは、簡単です。「自分は何もない」と思っていても、すでに「ある」ことに気づくこと。それでも満足できなかったら、欲しいものを得るために、エイヤッと動いてみること。それが、「今のままが完全」で、なおかつ、「進化」「拡大」し続ける宇宙と魂に叶っているのかもしれません!★10月10日16:00~、渋谷・大盛堂書店「秋の読書フェア」にて、無料トークショー!⇒詳細・申込★10月15日に「自分を大好きになって願いを叶える1dayセミナー」を開催。残席少数!⇒詳細・申込★10月30日に「オトナ女子力を上げて、幸運なプリンセスになる!セミナー」を開催⇒詳細・申込「ふ~~~む」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2011年10月07日
生きていくためには、さまざまな場で「判断」をしないといけません。起きてから、顔を洗うのとトイレに行くのと、どちらを先にするか。着るものはどれにするか。何を食べるか・・・。そこで必要なのが「判断基準」です。基本的に、人は「喜び(快)」か「怖れ(不快)」で物事を判断し、心地いい方を選ぶようになっています。けれど次第に、「心地よさ」という「ハート」でなく、「こうしたら良い」という「アタマ」の言うことを聞くようになっていきます。アタマの判断基準は、「比較」です。「良い・悪い」「上・下」それで、より「得るものが多い」ほうを選ぼうとします。だから、「こちらのほうが評価が高い」とされることのほうが、子供のころだったら、親は子供にさせようとします。また、今は昔ほどではないでしょうが、男女の子供がいたら、「男の子は跡取りだから、自分たちの世話をしてくれるから」と、男の子のほうばかりを大事にする、ということも起こります。けれど、そうされていたら・・・。もし、子供が親の期待に応えられなかったら。女の子のほうが「自分はないがしろにされているの?」と思っていたら・・・。その「比較」による判断によって、どんどん傷ついていくのです。でも、「世界で一つだけの花」でも言っているように、バラにはバラの、かすみ草にはかすみ草の、それぞれ良さがあって、それは比較することができません。けれど、周りの人が「比較」ばかりしていたら、そして自分の「ない」ところばかり意識していたら、「それぞれの良さ」を認識することはできませんよね。けれど私は、『幸運が舞い込む プリンセスルール』でも書いていますが、人はそれぞれ、かけがえのない存在だからこそ、地上に降りているのだと思っています。自分が自分の良さを見つけられないのは、本当は日当たりのいい所でないと伸びない花なのに、じめじめとした暗い場所にいるからなのかもしれません。自分で自分にフタをしてしまって、光が当たらないようにしているのかもしれません。「自分はかけがえのない存在」私はそれを実感したことによって、自分にやってくるものを受け取ることができるようになり、新たなチャレンジを引き受け、今のような自分になっていたのだと思っています。10月15日。「自分を大好きになって願いを叶える1dayセミナー」では、自分の「かけがえのなさ」に気づき、たくさんの喜びと幸せを受け取る方法を私の経験をお話ししながら、参加者の方々にも実感していただき、そしてフタをしていた願いをどんどん叶えていただいて、もっともっともっと!幸せになっていただきたいな!と思っています。10回のメールセミナーの特典が付くのは、9月30日のお申込までです。心に何か触れられた方は、ぜひ、いらしてくださいませ!^^<<自分を大好きになって願いを叶える1dayセミナー>>◆日時:10月15日(土)10:00~16:45(受付9:45~) ◆場所:新宿文化センター4階 第2会議室◆費用:15,000円(宝地図用コルクボード・持ち帰り用袋・教材費・ランチ代込み)◆お申込フォーム パソコン用はコチラ 携帯用はコチラ◆詳細は⇒コチラ★10月15日に「自分を大好きになって願いを叶える1dayセミナー」を開催!⇒詳細・申込★10月30日に「オトナ女子力を上げて、幸運なプリンセスになる!セミナー」を開催⇒詳細・申込「かけがえのなさを実感したい!」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2011年09月29日
「すかいらーく」の経営する「ガスト」が食中毒を出したため、東北各県の店舗が自粛している、というニュースを見ました。仙台の集中調理施設で調理された浅漬けが原因だったようです。その後ツイッターで、この工場は、被災した岩手・宮城沿岸部の避難所に、何万食もの「温かい食事」を社会貢献として毎日提供し続けていた、ということを知りました。食中毒を出した責任は重いですが、素晴らしいことをされていたんだなと思い、さらに何か分かればと、ツイッターで「#すかいらーく」を検索してみると。「社会貢献もしているが、忙しいために過労死もある職場」というつぶやきがありました。ええ~そうなんだと思っていると、「被災したときに、温かい食事でお世話になりました」という感謝のつぶやきもありました。「食中毒」という悪いことが、「社会貢献」といういいことでひっくり返され、さらに「過労死」という悪いことでひっくり返され、「実際に恩恵を被った方のお礼」でひっくり返され・・・。「事実は一つだけれど、真実は人の数だけある」という言葉を聞いたことがありますが、「できごと」をどうとらえるか、どの側面で見るか、ということで、意味づけは、いい方にも悪い方にも転ぶんですね。新たなことが分かってもコロッと変わります。だから、「良い悪い」を判断するというのはとても難しい。とくに政治的なことなどは、長い目で見ると、評価が逆になることもままあります。人の評価も同じで、「時代の寵児」が「落ちた偶像」になってしまうこともありますし、「いい人」と思っていたらアレっ?ということもあるし、逆に「イヤな人」が捨て犬を拾って微笑んだりするのを見て恋に落ちてしまうというのは、一昔(大昔?)前のラブコメの定番です(笑)。「これはイイ!」と思って人に言っていたのに実はよろしくなかった、ということが後で分かったりすると、なんだか照れくさいですよねf^^;。そんなわけで私は、評価するのは、「丸ごと」でなく、「この部分」にするようになってきました。「この人のここが好き」「この出来事は、この部分は評価できると思う」としておくと、「そのときは、その部分はそう思っていたんだ」と自分にも人にも言い訳がつくのです(笑)。「白黒ハッキリつけろ!」と迫られる場合もあります。けれど、評価を「良い」か「悪い」かの二つで分けようとしないで、「良い部分もあり」「悪い部分もある」と思っておくほうが、ストレスに感じたり、相手を責めることがない思い方なのかな、と考えています。★9月10日に「虹と天使のお祭り」で、「スピリアルなプリンセスになる!」講演! 詳細・申込★10月15日に「自分を大好きになって願いを叶える1dayセミナー」を開催! 詳細・申込「部分で見よう」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2011年09月02日
「「感謝」というのは、自分に幸せなことを起こすために、とても大切なこと」と、よく「心の本」には書いてあります。「ありがとう」と百万回言うと奇跡が起きる。「ありがとう」「感謝します」というユダヤのおばあさんの言葉で、人生が変わった。というお話を聞いたことがあるかもしれません。私も感謝することは、自分の人生を幸せに導く大きな鍵だと思っています。けれど、ただ口先で「感謝の言葉を言えばいい」だけではない、とも思っているのです。私が、感謝をするといいと思うのは、感謝をすると、「自分が何らかの恩恵を得た」と感じるからです。『「喜び」と「怖れ」の法則』的にいうと、人は「得る」と、いい気分になり、喜びを感じますから、「喜ぶこと」を引き寄せるようになります。だから、感謝を感じれば感じるほど、幸せになれるのです。けれど。「ありがとうと言うといいことが起こるというからやる」というのだと、「本当はいいことがないからやっているのだ」という、逆暗示にかかる場合があります。そうすると「ない」が「ない」を引き寄せるので、結局いいこともあまり起こらず、「なーんだ、やっぱり」と諦めてしまうことも多いのです。「ありがとう」とたくさん言っても、うまくいかない人は、このパターンが多いのではと思います。けれど、やっているうちに、感謝することで、自分の心がポッと明るくなったり、感謝した相手の喜ぶ顔を見て自分も嬉しくなったりした人は、感謝するのが楽しくなります。そうなると、楽しいことを引き寄せ始めるので、感謝するといいことが起こるようになるんですね。だから、最初は口先だけでも、いいことが起こる人もいるのです。感謝というのは、「ありがたいと思いなさい」「お礼を言いなさい」と「言われたからやる」のだと、感謝パワーが発動しないこともあります。けれど、「おお、ありがたいな」と、人に教えてもらうのでも、自分から思うのでも、「自分が気づく、感じる」のだと、心からのわき上がるような思いが、大きな感謝パワーを発動させてくれるように思います。感謝は「する」ものでなく「感じる」もの、なのかもしれません。でも、感じるものというのは、個々の感性の度合いによって、気づくことに差が出てきます。「感謝」といっても、「イイコト」があったときだけ感謝するのだと1日に数回、場合によっては0かもしれません。でも、「当り前」ということも「ありがたい」と思う人は、「自分で稲を育てたことがないのに、ご飯をほおばれる」と毎食思うごとに、「ありがたいなぁ~~~」と感じるでしょう。そしてそういう人のほうが、幸福度が高いのです。「実は、感謝の種はそこらじゅうにある」ということを、『幸運が舞い込む プリンセスルール』では、いろいろご紹介しています。きっと読まれた方は、ぐんぐん幸運になられているハズです^^。感謝感性を高めたい方は、ご参考にしてくださいませ~^^。★いよいよ今週末!8月20日にチャリティ講演会「『「喜び」と「怖れ」の法則』を豊かさに生かす」 詳細はコチラ!「感じるものか」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2011年08月15日
蒸し暑くなってきたせいか、寝ているときに蚊が襲来する回数が増えてきました。我が家はノークーラー。いつも窓が全開です。もちろん網戸があるのですが、網戸がほこりっぽくなるのを嫌って、空けていることも多いせいか、蚊が入ってきます。そうなると、以前はキンチョーリキッドなどを使っていたのですが、匂いが苦手なので、今年は「お部屋に1回シュッ! おすだけベープ」というシロモノを購入してみました。これはエアスプレー型の虫よけで、1回シュッとすると、1部屋12時間、蚊を遠ざけてくれるというものです。寝ているときに「プ~~ン」とくると、ガバッと起き上がって電気をつけ、蚊を探します。うまく見つけて仕留められればそこで終了。見つからない場合はシュッ!すると確かに蚊は寄ってきません。ただ、窓を開けているため、薬効成分が早々に出ていってしまった場合は、再襲来してくることもあるのですが(笑)。それにしても、蚊というのは可哀想な昆虫です。ほんのぽっちりの血液くらい、いくらあげてもいいのですが、いかんせんかゆくなるので不快感を伴います。かゆいのをガマンして寝るのはたまりません。なので殺生することになります。けれど、「一寸の虫にも五分の魂」。精一杯生きている命を殺すことになります。「可哀想だな~」とは思うのですが、その申し訳ないモヤモヤを、いつも「運命論」で消しています。どういうことかというと。蚊は、他の場所に行くこともできたのに、わざわざ私の部屋にやってきた。それは、蚊が、自分が死ぬという運命を受け容れたから、やってきたのだ。死ぬ運命でなかったら、私の部屋でなく、外をプンプン飛んでいたはず。でも、来ることを選んだ時点で、蚊は死を受け容れたということだから、しょうがない。と思うことにしているのです(笑)。もちろんこれは、人間さまの勝手な理屈なのですが、自分に起こることにおいても、「どうしてあんなことをしちゃったんだろう(>_
2011年08月13日
今日は、「ハッピー天使のお祭り♪」の日です。そしてなかなかの大雨です(笑)。そういえば、新刊トークショーの5月29日も、台風が近づいて、雨が降っておりましたね…(笑)。雨が降って日が差さないと、気持ちがどんよりとしてしまう方も多いと思います。それだけでなく、気圧の乱れが強いときは、頭痛や肩こり、だるさを感じる方も多いのですよ。人の体というのは、敏感にできているものですね!でも、天気にぜんぜん左右されない人も多いです。逆に、「雨だから景気をつけよう!」と出かける人もいるんですよね(笑)。5月28日は、ラルクのライブに行く前に、新宿で友人たちと集まってお茶をしようとしていたのですが、雨なのに、2時なのに、ルミネのレストラン街は長蛇の列!@@いや~、ビックリしました(笑)。私は職場まで自転車通勤なのですが、雨のときも、バスだとバス停まで歩いたり、来るのが遅れたりすることもあるので、雨ガッパで自転車です(笑)。さすがに冬、氷雨にうたれながらの走行はなかなかハードなのですがf^^;、今の季節は、気持ちがいいんですよね^^。薄いカッパごしに雨粒を感じると、「おお~、自然を感じる~~~」という気になります(笑)。先日のお客さまは、「梅雨時はじめじめしてイヤですが、 一つだけいいことがあるんですよ」とおっしゃっていました。「なんですか?」とおききすると、「お肌がしっとりしているんですよ~^^」と!^^こうして、イヤなことの中にも、一つでも「いいこと」を見つけられると、いい気分になります。天気は、人の力では変えられません。けれど、自分の気分は、自分の心の持ちようで変えることができます。「ない」から「ある」で「いい気分」になりたいですね!^^そして、本日の「ハッピー天使のお祭り♪」にお申込の皆さま!すごーくすご~~~く素敵な時間になりそうですよ~!^^梅雨空ではありますが、足元に気をつけられて、楽しみにご来場くださいませ!ご参加できない方は、 『「喜び」と「怖れ」の法則』の50ページ分、読んでいてくださいませ~!(^_-)-☆「雨だと調子が悪いかも」という方は、押してみてくださ~い!↓
2011年06月11日
昨日、我が家に 『「喜び」と「怖れ」の法則』の現物が届きました~!うわー、カッコいい!表紙も中身もカッコいい!(笑)カッコよすぎて、開くとドキドキしてしまって、じっくり中身を読めません(笑)。ちなみに、本を何冊か書いていると、「本当に自分で書いているんですか?」と聞かれることがあります。多作の方は、口述したものをライターさんが書き起こしたり、ライターさんがインタビューして書いたり、中には編集さんが、今まで聞いたエピソードをもとに、全部書いてしまう、という場合もあるのです。が、私の場合は、話すよりも書くほうが得意なので、全部自分で書いています。でも、自分で書いているといっても、それは文章のみ。編集さんや出版社の方々が内容をチェックしてくださり、表紙や中身のデザインなどは、編集さんが適当な方を探してくださり、いろいろな方が関わって、本はできます。だから、「本」というのは、いちおう作者の名前は書いた人のものですが、どう料理されるかは編集さん次第。オーケストラでいえば、指揮者が編集さん、作者はソリストという感じででしょうかね。(バイオリンもピアノも弾けませんが(笑))ですから、できた本というのは、「みんなで作った子供」という気持ちで、いつも見ています。いわば、「愛の共同作業」のたまものですね!(笑)でも、自分が手にするもの、というものは、すべてが「愛の共同作業」のたまものだと思うのです。朝に飲む、一杯のお味噌汁であっても…。大豆を育ててくれた大地と水と農家の方。煮干しの小魚やカツオを育んでくれた海と、加工してくれた水産業の方々。青菜もお豆腐もワカメも。調理してくれた人も。すべて自然の力やさまざまな人の力が関わるからこそ、こうして自分がいただくことができます。そして自分も。自分が家のことをいくらかやるからこそ、心地よい家庭が築かれるし、仕事に関わるからこそ、会社も運営されます。自分も電車に乗ることがあるからこそ鉄道は成り立ち、ものを買うからこそスーパーは成り立ち、納税しているからこそ国もたちゆきます。「自分でなくても」と思うことがあるかもしれませんが、今現在、「自分がいるからこそ」ということも必ずあるはずですし、自分も必ず何かを生み出しているのです。そう思って、なんだかちょっといい気分になれたらいいですね!^^★5月末に新刊『「喜び」と「怖れ」の法則』発売!5月29日、無料トークショー!☆6月11日、小原ミチルさん、kokkoさんと「ハッピー天使のお祭り♪」を開催します!ツイッター始めました!「愛の共同作業か~」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2011年05月25日
ここ数週間、有川浩さんの本をよく読んでいます。「自衛隊三部作」といわれる、自衛隊を舞台とした、フィクション設定のエンターテイメント。「図書館戦争シリーズ」という、本の検閲がある、という設定のミリタリーテイストのエンターテイメント。それから、恋愛小説や普通の小説…。ただいま映画公開中の『阪急電車』、昨年ヒットしたドラマ『フリーター、家を買う』も有川さんの作品なんですね。読みやすい文体と引き込まれる展開、魅力的な人物描写、必ず恋愛ドラマがある…というので、どの本も、読みはじめたら止まりませんよ~^^。もう15冊読みました(笑)。昨日読んだのは、『シアター!』という、小劇団の奮闘を描いた小説です。そのなかで、「何かを表現する」ということについて、「いいね!」(←フェイスブック風味(笑))と思うことがありました。千歳は、子供のころから仕事をしている人気声優。けれど、ふと気がつくと、器用に仕事をこなしているけれど、他の人のほうが優秀で、誇れるほどの自信がない。それで、ほめられても、「でも満足してもらえないこともあるから」と、言葉を素直に受け取ることができないのです。けれどそれを聞いて、劇団の会計をみている司は「手を抜いたのでなければ、胸を張るのが売り手の義務」と言います。例えば、レストランで「まずい」とクレームが出たとしたら、「まずくてすみません」とは言わないものです。それは、「お口に合わなくてすみません」ですよね。受け手はそれぞれ。でも、クレームをつける人だけを見ていたら、「満足してくれている人の立場がない」のです。自分が手を抜いていたのなら萎縮しても仕方ありませんが、その時々で一生懸命にやって、自分が思ったことを表現していたら、共感してくれない人がいても、それは「口に合わない」だけであって、それによって自信を失ってしまっていたら、共感してくれた人を否定することにもつながることになります。だから、「自信を持って、自分を表現する」。それは、とても大切なことだと思います。私も8年くらいブログをやってきて、否定的な書き込みをいただいて凹んだこともありました。本を書かせていただいていますが、「物足りない」「どこかで見た内容」と感想を書かれている方もいらっしゃいます。けれど。深いものを読みたい方には物足りないかもしれませんが、「私」という切り口によって、「楽しく、幸せに毎日を過ごす」というヒントをつかんでくださる方もいらっしゃるはず。「口に合わない」と言われることを怖れるよりは、「自分が伝えたいこと」を自分なりの表現であらわし、それに共感してくださる方を大切にしよう…。そう考えながら、「伝えること」を続けてきたように思います。今回、ツイッターも始めて、ブログとはまた違った面も出していくつもりなのですが(でも今日は、なぜかツイッター画面が出ない…f^^;)、「自分らしく、怖れず」こちらもやっていきたいなと思っています^^。☆5月15日、佐野美月さんの「自分癒しの達人になろうセミナー」でお話します!☆6月11日、小原ミチルさん、kokkoさんと「ハッピー天使のお祭り♪」を開催します!「自分らしさでいいんだ!」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2011年04月28日
昨日は、ちょっぴり遠出をして、素敵な会に行って参りました!「超スピリチュアル体験記」のゴルさん(本間きよしさん)の、ミニミニクラス会です^^。ゴルさんのブログは、昨年見つけてから、全部一気読みしたサイト。霊・魂のある四次元と、体・心がある三次元の関係を、ご自身の体験から説明されていて、私にとっては目からウロコ!なことがてんこ盛りのサイトです。霊視や浄化もできるので、ニュースの霊視も書いておられますが、信じる、信じないはもちろん自由ですが、「なるほど、そうかも~」と私は思うことが多いです。最近では、田中好子さんを観ておられますね。昨日は、ゴルさんのお友達のモバドジャパンの中村社長さん、ゴルさんのお弟子さんを自任されているアユ太さん、そしてハーブやクリスタルに詳しいハッピー&ラッキーさん、そして他数名の皆さまと、楽しい時間を過ごすことができました。そうそう、ハッピー&ラッキーさんのブログでは、「放射能から身を守る食べ物」についてご紹介されています。お味噌が効く、とのことですが、私も、長崎の原爆のとき、ワカメ入りお味噌汁を飲んでいた方々が、原爆症にならなかった、というお話を聞いたことがあります。ご興味のある方は、ハッピー&ラッキーさんのサイトをご覧くださいね。皆さんといろいろなお話をしたのですが、ゴルさんが言うのには、一番大切なことは、「心をプラスに保つ」ということ。人は「体(ボディ)・心(マインド)・魂(スピリット)」でできているといいますが、四次元にある魂は「プラス」しかないようなのです。つまり、「いいね!」「それでいい!」という、喜びや楽しさ、肯定です。「でも」「だって」…こうしたマイナス、否定的な思いというのは、心や体(脳)という三次元の都合なんですね。そして、不安などマイナスなことを考えれば考えるほど、不安なことを引き寄せるようになってしまうのです。だからといって、マイナスはダメなことかというと、そんなことはありません。マイナスがあるからこそ、プラスに気づける、ということがありますよね。ケガをしたとき、「あ~、ツイてない」と、マイナスで終われば、そこまでです。でも、「あ~、これから気をつけよう、こうしよう!」とプラスに意識を向けられたら、自分のエネルギーや波動も上がるのです。ケガというマイナスな出来事じたいもプラスに転換します。何かをするとき。「こうしないと、こんなことが起こってしまうかも」と怖れでやるか。「こうすると、自分も周りも楽しいから」と喜びでやるか。喜びでやるほうが、魂に叶っていることなんですね。…うわぁ、実はこれ、今度の『「喜び」と「怖れ」の法則』でご紹介していることとシンクロしていますよ~!(笑)自分の中にプラスを貯めること。そうすると、自分の波動がアップして、トラブルに折れない・負けない、「強い心」を育てることができます。それは、「自己浄化」につながります。そしてそうすると、自然と体も強くなっていきます。心身がともに丈夫になっていくと、願いを叶える力も高まっていくでしょう。「でも、なかなかプラスを貯められない…」という方もいらっしゃいますよね。そういう方向けに、ゴルさんの携帯サイトが開設されました~^^。やっている方に見せていただいたのですが、浄化トレーニングを積んでいくと、「守護精」が成長していく!という、楽しみながらトレーニングを続けられるコンテンツや、「浄化ホール」でモヤモヤをスッキリ!というお役立ちコンテンツも満載なようです^^。ご興味のある方は、本間きよしさん公式サイトをご覧くださいませ。ゴルさんにお会いすると「みんなに楽しんでもらいたい。 そして自分も楽しみたい」ということが伝わってきます。楽しいことに意識を向けることが、心も体も強くし、浄化にもなる。シンプルでいいですね!^^>yukaさん 「図書館戦争シリーズ」のレスをありがとうございます。趣味のことに対してのレスは嬉しいですねぇ^^。堂上と笠原コンビには、本当に胸キュンです!二度読みをしない私も、つい二人のやりとりは再読してしまいました~!(笑)☆5月15日、佐野美月さんの「自分癒しの達人になろうセミナー」でお話します!「楽しもう!」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2011年04月25日
読者様からのご質問で「大切な人を助けるために「気」を送る方法、 また、人からの「気」を受けない方法を教えてください」というのをいただきました。質問の様子からいうと、「気」というより、「念」のような感じですね。私はスピリチュアルな感覚に敏感ではないので「自分の念で、○○が起こった!」とか、「誰かの念が送られてくる!」というのを感じたりしないのですが、念の力を信じていないのかといえば、それはありません。「思い」には力があると思っています。けれど、それを「込め過ぎない」ということは意識しています。どういうことかというと、私も誰かに対して「幸せになってほしい」という思いを送ることはあります。けれど、その度合いは「なったらいいな、嬉しいな」くらいの思いの込め具合にしています。「送ったからには、結果が出ないと!」というくらいまで思いを込め過ぎると、執着のようになって、逆に結果が出にくくなると思うからです。私は、「人に起こることは、その人自身が引き寄せている」と思っています。だから、「自分が何かやったから、その人に影響があった」というより、「その人が望んでいたから、自分はその手助けに関わった」と思っています。だから、自分が関わったことによって、人によい影響があれば嬉しいですが、期待したような結果が出なかったとしても、それはそれで、「それが、その人には必要な結果だったんだ」と落胆はしません。相手に対して思いが強ければ強いほど、「自分が何かしてあげたい」と考えるものですが、思うような結果が出なくて不快な気分になるとしたら、それは自分が、相手をコントロールしようとしている可能性もあります。私の場合は、人に念や思いや祈りを送るときは、「その人にとって必要なこと、最良のことが起こりますように」と願ったら、結果を気にせず、願いっぱなしです。なので、その後のストレスはあまりありません。そして、他の方からの念につきましては。私はスピリチュアル感覚は鋭くないので、「あ、誰かがイヤな思念を送っている! 悪い気が寄ってきている!」というのはまず分かりませんf^^;。けれど、想像をめぐらせれば、世界中の人が自分に好意的なわけがないのですから、自分の知らないところで、どなたかが私に悪意を向けていることは考えられます。でも、それを想像してイヤな気分になるのであれば、他の楽しいことを考えて、自分の雰囲気をよくするほうが、自分の精神衛生上にも、周りのためにも良いと思っています。そして、直接的に悪意をぶつけられたときは、それはかなりショックではありますが、その人がそう感じるようになった理由を思いやり、そしてその人が「幸せでありますように」と光を送るイメージをするようにしています。私は基本的に、「それぞれの人が、自分は自分」と考えています。なので、誰かに「こうなってほしい」と思うことも、誰かに「こうしてほしい」と思うことも、結局はその誰か自身が決めることなので、私がそれを強要することはできないと思っています。なので自分は、「こうなるといいな」ということをできるだけ温かいイメージで、思うのにとどめておくだけです。でもそうしたほうが、「ねばならぬ」という重い思いよりも、現実になりやすいようなのですね。それは、「ねばならぬ」という執着は、「本当はそうなりにくい」と心の底で思っているから、それが引き寄せられ、「こうなるといいな」という、いい気分のイメージは、いい気分なことを引き寄せるからかもしれません。よろしければ、参考にしてくださいませ~^^。「軽やかに願おうかな」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2011年04月18日
人というのは・「得る」といい気分になり、・「失う」とイヤな気分になりますその心の傾向を使って、日常生活の不満を少しでも解消できないかな~と、いろいろ試行錯誤しています。例えば、人に何かをしたとき。それを、「やってあげた」と思うと…。あげるわけですから、「失う」と、ちょっと思っているわけです。すると無意識のうちに、失ったものを取り戻そうと、「自分もやってほしい」と、欲求の綱引きをする場合があります。そうなると、それが得られない場合、「自分ばっかりやってあげている」と不満になるんですね。けれど、「やってあげた」と思いつつも、「それによって、喜びを得られた」「やりがいを得られた」等々と、「得たこと」がある場合は、不満にならないのです。でも、こちらの人のほうが、おそらく少数派でしょう(笑)。「やってあげる」と思っていると、不満になりやすい。ではこれならどうかな?と考えたのが、「させていただく」。「いただく」わけですから、得ているわけです。すると、「やらせてもらう機会を得た」「それによっていい経験を得た」…。得たことにフォーカスしやすくなります。すると、いい気分になれるのです。私が誰かと一緒に仕事をするときに、一番円満、かつ楽しくできるときというのは、お互いが「させていただく」「していただく」という気持ちでやっている場合です。そうしていると、お互い「ありがたいなぁ」と思うので、快く気持ちよく仕事ができるのです。「させてもらっている」でもいいですね。…でもまぁ、「させていただいている」と思おうとしても、「でも実質、やってあげてるんだけど!」と感じていたら、効力は発揮できないのですがf^^;。けれど、「やってあげている」と思ったとき、「いやいや『させていただいている』と思ってみよう」とトライして、それで何かを得ていることに気づいたら、「ある」チェックが上手になります。それを続けていたら、やがて、「やってあげている」から、「いや、本当は『させていただいている』んだな!」と腑に落ちるときがくるでしょう。そうすると、自然に「ありがたいなぁ」と思うようになり、いい気分になるとともに、人間関係もよくなっていきます。「やってあげる」から「させていただく」。皆さまもトライしてみてください!^^「やってみようかな」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2011年03月11日
なんだか、このごろ楽しくない。面白いことがない…。世の中には、「コレでお金を使ってもらおう!」と、ステキな服や美味しいものやレジャーなど、刺激的なものであふれているのに、それらがピンとこないことがあります。そんなときは、「自分の心が動いていない」のです。ストレスが多すぎて、心が固くなってしまっている。傷つくことがあって、それでいっぱいいっぱい。そんなことが重なると、ステキな服を見ても何とも感じませんし、美味しいものを食べても味気なく感じます。私にもそういう時期がありました。そんなとき、あるワークショップに出たのです。そこで、一人ひとりにみかんが配られました。そして、「目をつぶって、味わって食べてください」と言われたのです。皮をむいて、ひと房分けて、口に入れたとき…。薄皮のなめらかな舌触り。ぷちぷちした繊維。そしてそれが壊れるときにあふれる、甘酸っぱさ。うわぁ、美味しい!!心からそう思ったんですね。そして自分自身が、自分の悩みにとらわれ切っていて、ぜんぜん、毎日を味わっていないことに気づいたのです。悩みは悩み。けれどそれにとらわれて、日々の美しさに気づかずにいるのはもったいない。それから、少しずついろいろなことに心が動くようになりました。そしてさらに「ときめき」というのが拍車をかけてくれました。ジャニーズのアイドルで「いいな!」と思う人ができて、雑誌や番組をチェックしてはしゃいでいるうちに、心がなめらかに動くようになり、さらに、「この人といつか会うことができたとき、恥ずかしくないように」と思い始めたら、身の回りに気をつける意欲も湧き始めたのです。そして、リアルでも好きな人ができました。「心が動かない」と思うとき。いろいろな方法があるでしょうが、・日々を丁寧に味わおうとする・ときめくものを見つけるそんな方法も、ぜひお試しくださいませ!^^「試してみようかな」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2011年03月06日
ご質問をいただきました。「最近、自分が何をしたら嬉しいのかががよく分からないのです。 なんとなく、嬉しいなぁとか楽しいなぁという感情はあるのですが、 心から嬉しい!と思ったのは、いつだったんだろう?? と気づいてしまいました」毎日、嬉しいことや楽しいことがあったら、「幸せ」と思いますよね。でも、「心から幸せか」といったら、どうも違う。「腹から笑う」というのも、そういえばないなぁ…。そう気づくことがあるかもしれません。「心ころころ」ともいいますが、心というのは、ころころ変わるもの。漫画を読んで、「チョ~楽しい!」と思っても、その後に、「そういえばあれが…」と心配事を思い出して、どんよりしてしまうこともあります。「幸せ気分」のときというのは、脳から快楽ホルモンが出ていますから、ちょっとした麻薬のようなもので、「あの感覚をまた味わいたい!」「あのときは、もっといい気分だった!」と思うものでもあります。だから、「ちょっと幸せ」くらいだと、「足りない!」と感じることもあるのです。そして「これは違う」「まだまだもっと…」と、まあまあ楽しくても、満たされない、と思うのです。でも、それでいいんですね。「そういえば、このごろ腹から笑っていないな」「心から楽しいと思ったのはいつだろう?」そう思うことによって、「笑いの質」や「楽しさ」に意識が向くようになります。そうすると、「笑い」や「楽しさ」に敏感になるので、自分がどういうときに笑いたくなるのか、ということに意識するようになります。すると、小さなことでも、「まぁ、笑えるし」「こんなことでも楽しいし」と気づき、いつの間にか、気分も上がってきます。「心から嬉しいことがないなんて、 自分は寂しい人間かも! 情緒に欠けているのかも!」と、自分がダメだとか「ない」と思うと、気分はダウンしてしまいます。だから、些細なことでも「いい気分」になれることを数えてみること。その積み重ねが、「いつもいい気分で、嬉しいことをたくさん感じられる、幸せな人」を作るのだと思います。また人は、「達成感がある」と、満たされた幸せな気持ちになります。何かを決めて、それをやり遂げることも、嬉しさを作ります。私の場合は、朝にブログを書いてメッセージを発信すること、階段を上ること。それらをやると、「よし、よくやった!」と自分を褒めます(笑)。なので、毎日達成感を感じることができるんですね。それが、「誰かの役に立つこと」なら、やりがいや充実感も生まれます。そんなこともやってみると、さらにいいと思います!^^「何かしようかな~」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2011年03月04日
小田原の曽我の梅林に行ってきました!春ですねぇ~^^。こちらの梅林は何万本もの梅の木があって、梅のいい香りが漂っておりました。桜のほうが花が大きいので見ごたえがありますが、梅は香りが素敵ですものね。桜は桜、梅は梅。それぞれに良さがあります。「それぞれの良さ」というと、MBTIのタイプ別メソッドを思い出します。これは、人の性格をタイプ別に見ていくものなのですが、普通だと、やっぱり「自分の見方」で人も物事も見てしまうものです。自分が物事を順序良くするのが好きなタイプだったら、予定をコロコロ変えてしまう人を見ると、「あの人は…」と思ってしまいがちです。けれど、その人がそうするのは、その人なりの考え方の傾向や理由があってのこと。それを知っているか知っていないかでも、人間関係のストレスは減っていくでしょう。なぜなら、人間関係でのストレスというのは、「自分の思うようにならない」ことによって起こることがほとんどですから…。そして、「人は90%の能力を使っていない」とも言われているように、「順序良くするのが好き」なのは、たんに右利き、左利きのように、利き手のほうが動かしやすいから、そうしているだけで、逆の手だって、使えないことはないんですよね。ですから、「予定を柔軟に変える」ことだって、ほんとうはできるのです。そして、両利きの人が「バランスがよい」「頭がよい」と言われるように、苦手なほうも使ってみるようにすると、自分の幅も広がっていくのです。だから、私はよく本に「やったことがないことをやってみましょう」と書いているのですが、そうすることによって、眠っていたものを目覚めさせることもできます。人を見るときには、「桜には桜の、梅には梅の良さがある」と思い、自分の対しては、「自分はナマズの仔かと思っていたけれど、 カエルの仔だった! いや実は跳べるどころか、飛ぶこともできるらしい!」と、たくさんの宝の箱を開いて、自分に驚き、面白がり、楽しみたいですね!^^「何か始めようかな」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2011年02月19日
昨日からご紹介している、松永修岳さんの『運に好かれる人、見放される人』。松永さんは、運に好かれる人になるために大切なのは「進みたい方向性を決めること」とも言います。これも、そうなんですよね。「なぁんか、イイコト起こらないかなぁ」では、運も手の貸しようがありません。なので、なにも起こらずじまいになってしまいがちです。だから大切なのは、「運に「どうして欲しいのか」をはっきり伝えること。ポイントは、「やりたいこと、行きたい場所、なりたい自分」です。これのどれか一つでも欠けると、よくないそうですよ。そういう意味では、「宝地図」のように、「自分が目指すもの」を視覚化しておくのは、運に好かれることにもなるんですね。さらに、昨日の内容の続きにもなるのですが、運に好かれる人は、「欲望の強い人」。「こうしたい!」と思うと、脳の前頭葉が活性化して、快の感情をつかさどるドーパミンや、恍惚感を与えるエンドルフィンといった、脳内物質が分泌され、アイディアも浮かびやすくなるからです。また、快楽の刺激を受けると、幸福感や達成感をもたらすセロトニンも分泌されるので、幸福感も高まるのです。ただ、快楽的な幸福感は、一時的なものにすぎません。だから松永さんは、「永続的な喜びである「大楽(たいらく)」を求めましょう」といいます。「大楽」とは、人の役に立つことをして、その人に喜んでもらえたら、それが自分の幸せそのものになる、という気持ちです。松永さんは、悟りの境地を開いた人はこのような感覚で、いつも脳からセロトニンが出ているため、常に心が平安で幸せ。けれどそれに達するのは、並大抵ではない、と言います。そうなんですよね。私も思うのですが、この境地には行くには、いくつか乗り越えなければならない壁があるのです。まず一つは「自分のほうがして欲しいのに!」という壁。「自分が満たされていない」と思っているのに、そこから出そうとするのは、もっと失われる気がして、怖いものです。だから、その前に、自分の「ある」に気づくことが大切になります。もう一つが、「依存」という壁。喜ばれることによってのみ、自分の価値や存在を実感できるのだと、「もっと喜ばれないと」「もっとやってあげないと」という、脅迫的な気分でやるようになる場合があります。自分の幸せを相手に依存してしまうんですね。さらに、「取引」という壁。「やってあげた」という気持ちがあると、自分があげた分を何かで取り戻そうとする気持ちが働き、取り戻そうとして、「向こうにもやってほしい」という「綱引き」をすることがあります。これらも、「自分はすでに充分受け取っている」「だから分けたい」というような、自分の「ある」を実感していれば、なることはありません。なので、「大楽」に至るには、「まず自分を満たす」ということが前提になるのではないかと私は思います。すると、「自分は何も持っていないから、運がよくなれない!(>_
2011年02月14日
昨日のブログから続いております、「時間の使い方」。私は、「自分が納得して使うこと」が一番大切だと思っています。だからそれは、人それぞれ違います。たとえば、開業をするので、ホームページを作ろうと思ったとします。自分で勉強して、自分で作ることもできます。業者に頼むこともできます。どちらにするか。自分で作るとなると、作成方法を学ぶ時間、作成する時間がかなりかかります。しかも素人なので、稚拙な出来になるかもしれません。業者に頼むと、お金はかかりますし、「イメージどおり」にはならないかもしれませんが、クォリティは高く、時間も節約できます。もし、時間に余裕がなければ、業者に頼むのがよい、と周りの人は思うでしょう。けれど、どれだけ時間がかかっても。それで寝食の時間が削られるとしても。本人が「HPを自分で作ってみたい!」と納得していたら、その時間は、本人にとって「いい時間」になるんですね。それは、周りの人が、「そんなに時間をかけるなら、その分働いて稼いで、 業者に頼めばいいのに」と思ったとしても、違うのです。逆に、自分が納得していないで、「やらされている」とか、「稼ぐためにイヤイヤ」と思っていると、その時間は、たとえ社会的に価値があったとしても、自分の中では、あまり「いい時間」にはなりません。だから。自分がやることは、損得勘定ではなく、「自分がやりたいと納得したこと」をやる。そして、たとえ不本意な時間の使い方をすることになったとしても、「誰かが助かるし」「自分のためになることもあるだろうし」と、自分に役立つ何かが「ある」ということを見つけて、納得することができると、それは「いい時間」に変わっていきます。「そう言われても、毎日、『やらされること』で自分の時間が終わってしまう」と思っていたとしても、本当は違います。自分の行動というのは、自分にとって「快」か「不快」かを判断して、「快」を選びとった末になされています。バリバリ働いていたはずだったのに、ダンナにつかまって、今は家事と子育てでクタクタ…。と、現状に不満がいっぱいだったとしても、「この人と結婚する」ということが「快」であって、「子供を産む!」ということが「快」であったからこそ、別の選択もあり得たのに、そうしているわけです。なので。そんなときこそ、「ある」を見つける!(そう、私は「ある」を見つけるのが大好きなんです(笑)。 詳しくは拙著をご参考(^_-)-☆)「料理を作るのは面倒くさいけれど、 自分が食べたいものを、毎日作れるのはいいな。 それに、体にいいものを食べて、家族が健康になったら嬉しいな」そんなふうに、現状の中でも「いいところがある」と気づくと、不満な時間が、納得の時間になってきます。そうすると、気持ちにも余裕ができてきて、その余裕が、いい気分なことが起こるよう、引き寄せてくれるようになります。時間を、どう思いながら過ごすか。とっても大切です~!^^☆「幸せな未来の作り方セミナー」の、兵庫からご参加されたのはちゃみさん!大阪お話会に引き続き、東京でもお会いできるとは!^^そうそう、懇親会のときに「え?そうなんですか?」と驚かれたのが、「メルマガに返信すると、発行者にメールできる」ということです(まぐまぐの場合)。ステキなメルマガだったら、返信で感想を伝えてくださいね。発行者が忙しいと、返事は難しいかもしれませんが、嬉しいご感想なら、ぜったいにもらって嬉しいですので!^^ちなみに私のメルマガは…「ツキの天使を引き寄せるステキな言葉」(毎週金曜日発行。携帯にも届きます!)「あるを見つけよう!」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2011年01月26日
昨日の「幸せな未来の作り方 1dayセミナー」。すご~くすご~~く楽しかったです!北は岩手から夜行バス、南は鹿児島から飛行機で。ピッカピカの笑顔の皆さまとの素敵な1日になりました。「いつも幸せでいたい」「願ったことを叶えたい」それは、誰もが願うことではないかと思います。そのキモをバッチリとお話させていただきました。「幸せ」につきましては、このブログをしばらく遡っていただけたらヒントがお分かりになるかと思います。「願ったことを叶える」については、私が以前書いた、『「いい気分」セラピー』という激!オススメ本があるのですが、すでに売り切れ~(笑)。ですので、少しご紹介をさせていただきますね。「思いは現実化する」とよく言われますが、それが100%ではないのは、皆さんご承知でしょう。「目標は大きく掲げよう」と言われてその気になって、「年収3000万!」と書いたものの、叶わない人がほとんどです(笑)。これはなぜか。それは、心にブロックがあるからです。私は、「心」というのは、・「頭」…思考・「ハート」…感情の二つでできていると考えています。頭では「3000万あればいいじゃない?」と納得していても、ハートがモヤモヤする。それは、「自分がそんなに稼げる?」という疑惑や「どうせダメだよ」という諦め、「そこまでシャカリキに働くよりは今のままで」という本心。そういったものがあるから、「本気」になりきれないんですね。本気でないものは、引き寄せ力が弱まりますから、結局かないません。けれど、「頭」で、「チーズケーキ食べたい!」と思って、「ハート」も、「食べたらぜったい幸せ気分~~!(≧▽≦)ノ」と感じていたら、自分ですぐに買いに行くなり、作るなり、家族がお土産で買ってきてくれるなりして、すぐに実現するのです。「こうなったらいいな!」とどんなに願っても、今現在かなっていないのなら、「心にブロックがある」ということに気づいて、自分の心を見つめ直すことが大切になります。そして、心のブロックを、「自分でもけっこう稼げるかもよ?」「やってみたらイケるかも?」「シャカリキで働く経験も面白いんじゃない?」…そんなふうに「自分に許可」することでクリアにしていくと…。「頭」と「ハート」が合致して、引き寄せ力が強まるんですね。「結婚したい!」と思っているのに、今、していないのなら、「頭」ではすごく求めているような気がしても、「束縛されるのはイヤ」「家事をするのはイヤ」…などというブロックがあって、結局は「今の、一人で伸び伸びできるのがいい」という本気が、実現しているわけです。自分がこの先、幸せな未来を手にするか、欲しいものを手にいられるのか。そのカギを握っているのは…セミナーで、私が◎をつけてお話しをしましたが、ズバリ、「自分」です!思う現実を今、手にしていないのなら、それは、自分の心の中に原因があります。「そんなはずない!心から思っている!」と思っていてもそうなっていないなら、「そうならないと困るのに」という怖れがあるから、その怖れが、「ない」という怖れている現実を引き寄せていることでもあります。自分の「思い」「感情」「怖れ」…。それを見つめること。そして、「本当に自分が幸せを感じられること」を改めて見つめてみること。自分の現実は、他の誰でもない、「見えない力」でもない、「自分の思い」が大元を握っています。ぜひそれに気づかれて、「望むこと」をスムーズに叶えていきましょう!そして、セミナーの参加者の皆さま。楽しい時間を、どうもありがとうございました~!ご一緒したみーこさんのブログでも当日のレポートがあります^^。「そういえば、ブロックがある!」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2011年01月23日
池田明子さんのブログで、「恩送り」という言葉が紹介されていました。「恩送り」とは、昔、誰かから受けた恩を後に返せるようになったとき、もうその誰かがいなくても、別に人に恩返しをする。その人がまた別の人に送る…。こうして、恩を受けた人に直接返さなくても、次々に恩を送っていくこと。江戸時代によく使われた言葉だそうです。映画の『ペイフォワード』も、同じことがテーマの作品でしたね。たいてい、「恩」というのは、自分がやってもらったから、その人に返す、というものです。人は、「得る」といい気分になり、「失う」とイヤな気分になる傾向があります。だから、自分が得ていたら、その分を返すことにはストレスがありません。逆に、自分が「得て」いないのに、「出す」のはストレスがかかります。よく、「自分が得たいと思ったら、まず自分から出す」ということが言われています。ものごとは循環ですので、たらいの水のように、向こうに送れば、手元に還ってくる。けれど、引き寄せれば引き寄せるほど、手元から失われる。だから、まず出すのだ…というのがその論理で、それも真理だと思います。けれど、「得た」と感じていないのに「出す」というのは、自分からどんどん失われる感じがするので、「循環」を信じられないと、なかなか実践できないんですね。けれど、「恩送り」というのは、「やってあげた」として失われたものを、その人から「やってもらう」ことで得ようとするものではありません。やってあげた人が、別の人にやってあげればいいな、と思うものです。では、「恩送り」をする人は失うばかりかというと、そんなことはないでしょう。「やってあげた」ということで、「喜び」を得ていることもあります。また、やってあげた相手に得るものを求めなくても、「自分もやってもらった。だから誰かにやる」と、すでに自分は得ていると思っていることもあるでしょう。それは、誰かに何かをやってもらったからかもしれません。けれど、こうして日々生きられるということも、さまざまなところから「恩」を受け取っているんですね。まどみちおさんの詩で、「朝がくると」というのあります。「朝がくると」 まど・みちお朝がくると とび起きてぼくが作ったのでもない水道で 顔をあらうとぼくが作ったのでもない洋服を きてぼくが作ったのでもないごはんを むしゃむしゃたべるそれから ぼくが作ったのでもない本やノートをぼくが作ったのでもないランドセルに つめてせなかに しょってさて ぼくが作ったのでもない靴を はくとたったか たったか でかけていくぼくが作ったのでもない道路をぼくが作ったのでもない学校へとああ なんのためにいまに おとなになったならぼくだって ぼくだってなにかを 作ることができるように なるために…これも素敵な「恩送り」ですね!日々生きることも、恩を受けている。たくさんのものを得ている。それを思い出すだけで、温かい気持ちになるし、「何かしてもいいかな~」という気持ちになります^^。「恩送り、いいかも!」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2011年01月18日
まだまだ続く「幸せ」ネタです(笑)。私は「ある」に気づくと「幸せ」を感じ、「ない」に気づくと「不幸」を感じる、と説明していますが、「ない」ほうが幸せ!と思うこともありますよね。例えば「苦手な人と会わないことが幸せ!」という場合。これは、「ネガティブなこと」が「ない」ということですから、「-×-=+」…つまり「ある」ことになります。マイナスなことが起こらないと、プラスになる。イヤな人に会わなかったら、「心が平安を得る」というプラスになります。だから、「ある」を求めている、と考えられます。また、オフコースの歌で「♪愛のない毎日は、自由な毎日~♪」というのがあるのですが、この場合。「愛」という素晴らしいものを否定していますが…。この歌の続きは「♪誰も僕を責めたり できはしないさ~♪」であって、このときの「愛」は、束縛というネガティブな象徴なので、否定しているわけです。だから、「プラスなものがないから幸せ」というよりも、「マイナスなものがないから幸せ」ということになります。また、「病気やトラブルなどの「ない」ことが、よかったこと」と思う場合もあります。これは、ネガティブなことによって、「気づき」や「学び」を「得た」ということですから、「ない」によって「ある」を得たから、幸せになります。…というように、「ある」に気づくと「幸せ」を感じ、「ない」に気づくと「不幸」を感じるというのはけっこう普遍的なことではないかなぁ?といつも考えています。☆鎌倉もめちゃくちゃ寒い日々です。皆さま、どうぞご自愛ください!「そうかも~」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2011年01月11日
昨日の続きにもなるのですが…。「幸せ」という状態は、「欲しいものが得られた状態」と言えると思います。ですから、幸せの度合いというのは、「どれだけ欲しかったか」によって、上下します。例えば、「お腹が膨れたとき」よりも、「念願のものを食べたとき」のほうが幸せの度合いは大きいものです。また、すごくつらいときというのは、「ない」「失っている」と思っています。なので「ない」ではなくて「ある」という面があることに気づくだけでも、幸せになれます。そのことを突き詰めて一冊の本にまとめたのが、『「なかなか前向きになれない」と思ったときに読む本』です。けれど、人は欲張りになってしまうものです。「あの人と話せるだけで幸せ!」が叶うと、「一緒に食事がしたい!」になって、それが叶うと、「もっと特別な存在になりたい!」…と願望はエスカレートしていきます。そして、それが叶えば(得られれば)幸せ、叶わなかったら不幸せになるんですね。だから、「足るを知る」という言葉のように、欲望をエスカレートさせすぎずに、今あるもののありがたみを知ること、の大切さが説かれたりします。けれど、人類は進化し続けています。それは「もっと」を求め、それを叶えるために奮闘して、得た喜びで幸せを感じたいからでもあります。だから、「もっと」を求めるのは、人として当り前のこと。ただ、「もっと」を追い過ぎて、「ない」ばかりに目が行って不幸な気持ちがするのなら、ちょっと足を止めて「ある」を思い出してみるのも効果があります。私は、「幸せ」と「不幸」というのは、スイッチのオン・オフのようなもので、「ある」に気づくとオンになって「ない」に気づくとオフになると考えています。そして、スイッチを入れるのは自分です。なので、やっぱり、自分でコントロールするものなんだな、と思います^^。「う~む」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2011年01月10日
日立製作所の新テレビCM「次の100年へ」というのを見ました。100年後は、犬と会話ができたり、月に住んでいたり、空をドライブしていたり…。100年前の人から見たら、今の日本だって、数時間でほかの国に行けたり、24時間、あっという間に温かいものや冷たいものを食べられたりするのは夢の世界ですよね。私が生きていた数十年の間でも、初めて電子レンジを使ったときとか、テレビ番組を録画できたときとか、めちゃくちゃ感激したものです。(ビデオがない頃って、見るために必死で家に帰ったか、 繰り返し再生したいものは、 テレビの前にテープレコーダーを置いて、音声だけ撮って、 それで満足していたんですよねぇ(笑))100年後、「こうなって欲しい」ということはありますか?私はやっぱり「どこでもドア」で、ドアを開けると世界中のどこにでも行けたら、それは素敵だろうなぁと思います(でも、犯罪も起こりまくり?(笑))。「こうなって欲しいこと」というのは、突きつめていうと、「自分の思った通りになること」でもあります。思ったことを「得られる」と「満足」になって、「幸せ」になります。でもそう考えると、幸せというのは、スゴイコトが起こらなくても得られるんですよね。この前、友達と話をしていたら、その一人暮らしの友達は、「自分の部屋で、好きなDVDを見ている瞬間が、一番幸せ!」と言いました(笑)。もちろん、スゴイ未来になって、ドラマが「目の前でリアルにやっている」というふうになったら、さらに幸せでしょうが、今の段階では、これだけでも充分に幸せなのです。だから、モノがない時代は不幸だったかというとそんなこともないでしょうし、現代であっても、モノがない国の子供のほうが、手作りのサッカーボールをみんなで蹴って、目をキラキラさせていたりします。「幸せ」というのは、「自分が何をもって満足を得られるか」という度合いを、自分の力でコントロールすることにより、いくらでも得られるものです。であるからして。自分の心が弱っているときは、「あたりまえのありがたみ」を思い出して、ささやかなことでも「ある」という喜びを見つけて幸せ感を感じてみる。元気があって、行け行けドンドンなときは、欲張った望みを抱いて、それを得るために張り切ってみて、得た喜びと幸せを味わってみる…。いろいろな形の「幸せ」を、自分で作っていきたいですね!^^☆私は、お腹が膨れると、容易に幸せになれます。フトンに入っても幸せです(笑)。「幸せはコントロール可能か~」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2011年01月09日
先日の、「天使屋」小原ミチルさんのお茶会。リーディングを希望される方は、謙虚…というか、自分を責めがちの方も多いようで、「ダメですよね」というのが口癖だった方がいらっしゃったそうです。そこでミチルさんが、「『ダメですよね』と言ったら、 その都度、100円を貯金箱に入れるようにしてみてください」と提案されたら…。毎週、豪華なケーキセットを食べられるくらい貯金が貯まったそうです^^。これは、貯金するのが目的ではなく、貯まったお金をお財布に戻すときに「あー、これくらい、いつも自分を責めてしまっているんだな」ということに気づいていただくためのものなのですが、すごく分かりやすいですね。自分を責めれば責めるほど、心は萎縮してしまいますから…。また、天使は私たちが選んだことを尊重し、応援してくれる存在です。悩んでいるときは、「天使さま、答えを教えてください!」と丸投げしたくなるものですが、そうすると、「悩んでいたいんだな」と、逆に見守られてしまうんですねf^^;。だから、ミチルさんが力説されるのは、「今はこっちに進むんだ!」と意思表示をすること。「自分がどうしたいのか」につながることです。誰かに遠慮したり、世間ではこうだから、ということで方向を決めようとしても、心の奥底では「でも」というのがあるはずです。すると天使は、相反する願いに動けません。だから、人の為、等々と考えるよりも、大切なのは、「自分が心地よい、と思うことを自分で判断すること」。「自分がどうやったら幸せかを考えること」だと、ミチルさんはいいます。もし、自分が幸せを得るために、誰かが犠牲になる、と考えることがあるなら、犠牲にならない方法だってある、と考えてみるといいと私は思います。たとえば、自分がAくんとうまくいったら、同じくAくんが好きな親友のB子と亀裂が入ってしまう…と悩んでいたら。自分が心からAくんを好きなら、Aくんにアタックすればいいのです。それでAくんにフラれちゃうかもしれませんし(笑)、うまくいったときは、B子さんの前に、もっと素敵な男性が現れる可能性だってあるのです。誰かのため、世の中で言われているから…という、「自分を縛り付けているもの」は、力を入れてみたら、けっこう簡単にビリッと破れるものだと、ミチルさんはリーディングをしていて分かったそうですよ。ミチルさんのブログで、さらに詳しいお話が紹介されています。ぜひ、ご覧くださいね^^ → コチラ!自分が、ガマンや無理をせず、心地よいことをしていたら、不満は起こらなくなりますし、それによって、周りの人が犠牲になるわけでなく、その人たちもまた幸せになることだってある!と思えば、天使も応援してくれるでしょう。「自分の心の声をシッカリ聞く」ぜひ、やってみてください!^^「シッカリ聞くぞ!」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2010年11月28日
「ある」に気づくといい気分になり、「ない」に気づくとイヤな気分になる。それはつまり、「欲しい」と思ったものが手に入っていないと、イヤな気分になるということでもあります。「欲しい」と思わなければ、手にしていない悲しさも、手に入らない苦しみも味わうことはありません。だから、「欲しがらなければいい」という考え方もあります。「知足」…「足るを知る」という言葉の解釈の一つは、「持っているものの大切さをかみしめれば、 欲しがることもないから、苦しむこともない。 だから、欲しいとあまり思わないこと」というものです。でも人は、「欲しい」と思わなければ、生きることはできません。「食べたい」という欲求がなければ、数日後には死んでしまいます。欲しがると苦しむのに、なぜ、欲しがらないと生きていけないのか。それは、欲しがることによって、人は、自分の能力を発揮しようとするからだと私は思います。「いい記録を出したい」という欲求が、鍛錬をする意欲を生み出し、ときには奇跡を呼ぶこともあります。そして、思うような、それどころか思う以上の結果を得られるのです。欲求が大きいほど、得られた喜びも大きいことでしょう。欲求があるからこそ「得るまでの過程」「得た喜び」ということを味わえるのです。生きるということはすべて、「欲求を叶えること」だと私は思っています。この前、「神さまは、願いがないから人間を作ったのだ」という言葉を知りました。神さまは、全知全能。思ったことは瞬時に叶えることができるのでしょう。だから、願いなんてないんですね。それで人間は、思ったことを瞬時に叶えられず、たくさんの願いや欲求を抱き、それを得るためにさまざまな感情を味わうことで、その面白さを神さまに伝えているのかもしれません。苦しいことがあると、「心なんてなければいいのに」とか「欲しいと思わなければ、苦しまずに済むのに」とか思うことがあります。けれど、心も、欲しいと思う気持ちもなくなりません。なくならないからこそ、「人は、苦しむために生まれてきたんじゃない。 幸せになるために生まれてきたんだ」と思い、「これも、もっと幸せになるためのスパイスだ!」と考えて、諦めず、乗り越えるために一歩を踏み出すと、きっと思う以上の幸せがやってくるようになっていると私は思っています。ほんの小さな願いでも。ものすごく大それた願いでも。「求めよ、さらば与えられん」とキリスト教の神様は言っていますが、きっと、神さまも応援してくれるはずです!^^「願いどころか、妄想もしまくり!」という方は(笑)、押してみてくださ~い!↓なz
2010年11月18日
言響(心に響く話し方)の宮北侑季さんのメルマガに、こういうことが書いてありました。ギタリストの村治佳織さんは、小さい頃、ギターの練習が嫌で、よくさぼったそうです。するとお父さんが、「佳織の中のなまけ虫、出て行け!出て行け」と村治さんのお尻をペンペンたたきながら叫んだそうです。またお父さんは「佳織が怠け者なのではない。怠け者という虫を持っているだけだ」と繰り返し言ったそうです。次にガンのお話です。お医者さんが患者さんにガンを告知するとき、日本語だと「あなたはガンです」と言いますよね。すると、「あなた=ガン」になります。それが英語だと、「You have a cancer」です。これは、「あなたはガンを持っている」ということですから、手放すことができるイメージになります。すると、患者さんに与える衝撃が全く違うそうなのです。宮北さんは言います。人に対して、「おまえはダメだ」「あなたには無理よ」と言ったり、自分に対して「私にはできない」「私は話すこと苦手」「私は自信がない」とマイナスの言葉を言ったりすると、人間丸ごと否定されたような気になってしまいます。けれど、ちょっとそれを「あっ!苦手虫が飛び込んだ」「ダメムリ幼虫出ていけ!」と言えば、なんだか心が軽くなりますよね。心に優しい言葉・体にいい言葉を使ってくださいね。…と。これって、大切なことだなぁと思います。ダメとかムリとかいうマイナスな言葉を、つい使ってしまうものですが、実は「丸ごと」ではなくて、厳密にいえば、「そのとき」とか「これについては」とか、限定されたものなんですよね。だから、他の部分はプラスなこともちゃんとあるし、マイナスな部分が気に入らなかったら、その部分だけを取り除くようにすればいいのです。そうしたら、自分に対しても人に対しても、見る目もかける言葉も優しくなれるでしょう。苦手な人に会うと、つい「あの人はイヤな人」と決めつけてしまいがちですが、「他の面もある」ということにも目を向けるようになれば、心に余裕ができます。また、小さなお子さんをお持ちの方は、「ダメじゃない!」と怒ってしまうことが多い、と言います。でも、「ダメ虫がいるよ、一緒に追い出そう!」と言ったら、子供も、自分を否定されたように感じて傷つくことなく、自分から直そうという気になるかもしれません。そして、ゆくゆくは村治さんのようになるかも…(笑)。言葉の使い方一つで、大きく変わります。言葉って大切ですね!☆明日、中学校の生徒さんに「言葉」のお話をしに行きます。生徒さんの前でお話するのって初めてなんですよ。どうなるか、ドキワクです~^^。「言葉って大切」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2010年10月29日
昨日は、フィトセラピストの池田明子さんと、ジョイントセミナーをさせていただきました!「自然のチカラで、身も心もキレイに浄化する!」というテーマで、まずは私と池田さんが1時間ずつお話しし、最後の1時間が二人のトークライブだったのですが…いや~~、楽しかったです!!(*^O^*)自然がテーマということで、私は山歩きの醍醐味や、「お気に入りの木」との触れ合いについてお話しし、池田さんは、ハーブがヒトに与える素敵な効果についてお話しくださいました。肉は、生肉ではすぐに腐ってしまいます。けれど、セージというハーブを加えることで、持ちがものすごくよくなります。それでできたのが「ソーセージ」!ハーブには腐敗や老化を防ぐ、抗酸化作用の素晴らしい力があるんですね。なぜなら、動物と違って、植物は動くことができません。強烈な紫外線に耐えて育つために、抗酸化作用やデトックスなどの力があるのです。抗酸化作用は、大豆イソフラボンや、ブドウのポリフェノールなどにもありますが、たんぱく質や糖質などのカロリーが高いです。けれどハーブなら、ノンカロリーで、しかも凝縮されています。たくさん摂らなくても、1日に3杯くらい飲めば、アンチエイジングにデトックスに免疫力向上に役立つ、とのことで…。さっそく昨夜から、真面目にハーブティーを飲みはじめました(笑)。自然のお話もしたのですが、二人で大いに盛り上がったのが…。「ココロのデトックス」のお話です。イライラモヤモヤする感情ってありますよね。けれど、それにフタをしても、なくなるわけではありません。だから池田さんは、夜とかに、その感情を思い出して吐きだしてみるのも役立つ、と言います。また、子供の頃に経験し、見ないようにしていた感情。それらも、時間をとって、「この時、こう感じた」ということを、自分史のようにして書き出して、吐露してみるのも効果がある、と言います。思っていると、思いの中で増大してしまうこともあるのですが、吐きだしたり書き出したりすると、意外に、「アレ?これだけ?」と思うこともあるんですよね。それに加えて、私がお話させていただいたのが、「感情の味わい方」。これは、津留晃一さんの本に書いてあったやり方なのですが、例えば、足を踏まれたとします。それを、ただ自分の体感だけに意識を向けていたら、「イテテ!…でもだんだん、痛くなくなってきたぞ」と、すぐに終わります。けれど、思考を走らせると、それでは終わりません。「イテテ!何あいつ!失礼な!しかも謝らないし! それにしても、朝からツイていない。 それって、私の運が悪いから? そういえば、あんなこともこんなことも。 今日もこれからユウウツだなぁ…」などと、相手を責めたり自分を責めたり、過去のことや未来のことまで考え始めたら、イライラモヤモヤは増大してしまうんですよね^^;。だから、「体感だけに意識を向けて、思考は走らせない」。これが、ポイントなのです。また、「ある」「ない」思考でいうと、「足を踏まれた」ということは、「心の平安を奪われた」という「ない」ことです。すると、「謝れ!」とか、「欲求の綱引き」を始めてしまうんですね。そんなときに効果があるのが「ある」を見つけること。どんなことでもいいんです。「ああ、足を踏まれたのは、前世で誰かの足を踏んだ、 その借りを返したのかもしれない! じゃぁ、これからはいいことが起こるぞ~!」とでも思えれば、いい気分になれるんですよね(笑)。思考が走り始めたら、思考に意識を向けるのではなく「あの照明の蛍光灯は3本」「壁の模様は唐草」とか、視点に意識を向けるのも役立ちます。…そんなお話も飛び出しながら、あっという間の3時間でした。ご来場の皆さま、ありがとうございます!^^そして夜は…。なんと、池田さんのご家族とお食事をご一緒しました!隣の席は、梅沢富美男さんですよ~~!@@テレビそのままの、優しい笑顔の「お父さん!」という雰囲気の方でした。お嬢さん方も細身でカワイイ^^。一番盛り上がったのは、大学生のお嬢さんと、「キャプテン翼」と「銀河英雄伝説」のお話で…(笑)。頭から尻尾まで、とてもステキな一日でした。また、ジョイントできたら嬉しいなと思っています^^。ハーブや植物療法にご興味の方は、コチラを!さまざまなイベントや体験会がありますので、ぜひ、ご参加くださいませ。おススメです!^^そうそう、セミナーの中で紹介した本は『自分を浄化する101の習慣』です^^。「ココロのデトックスしたい」という方は、押してみてくださ~い!↓
2010年10月24日
先月の9月23日に行われた、龍&アニキさん、マツダミヒロさん、心屋仁之助さん、穴口恵子さん、青木勇一郎さん、吉野リョータさん、ことだま師・水蓮さん、そして私による『本当の自分を知るための8つの智恵~人間関係向上1DAYサミット~』講演のラストは、私が敬愛する心理カウンセラー心屋仁之助さんの、「自信を育てるとうまくいく ~人間関係・恋愛・仕事が変わり始める自信を育てる方法~」でした。心屋さんは、悩みの種類というのは1.イヤな人がいる2.イヤな出来事が多い3.イヤな自分がいることといいます。そしてその悩みの共通点は、1.自信がない…心が満たされず、ブラックホールのように求めてしまう2.怒っている(すねている)…望みが叶わない3.罪悪感がある…償わないといけないということといいます。これらは、仕事の悩みであったとしても、恋愛や家族のことなどにも影響し、逆に、一つクリアになると、すべてのことが改善されていくそうです。また、世の中には二つの世界がある、ともいいます。一つが、「つねに足りないという不安を感じている世界」。その世界の住人は、不平や不満や罪悪感や自信のなさに支配されています。もう一つが、「つねに満たされて安心している世界」。その世界の住人は、笑いや喜び、感謝の気持ちがあって、自信があります。人はその二つの世界を行き来しているんですね。「自分は「不安を感じる世界」の住人だ!」と思うとガッカリしてしまうかもしれませんが、それには理由があります。その一つは、親がそういう考え方をしていたので、その影響を受けていること。もう一つは、いいことをしたのにほめられなかったりして、「私のどこが悪かったの?欠けていたの?」と悪いところ探し、足りない探しをするようになってしまったこと…。これらのような理由があるのですね。でも、それを止める方法があります!一つは、親と仲良くすること。もう一つは、「~すべき」という「べき」を外して、「そうなんだ」と、他人の価値観を認めること。そして最後に、すご~~くパワフルな方法があって、場内爆笑と納得の渦だったのですが、その方法とは…。当日、参加できなかった方のために、当日の全講演をダウンロードして聴くことができますよ!(^_-)-☆収録時間は、たっぷり7時間以上。龍&アニキさんのお話もすご~~く良かったですし、超、オススメです!お値段は、たったの4,000円。秋の夜長に、ぜひお楽しみください!お申込は…コチラ!「聴いてみたい!」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2010年10月13日
昨日は、超スピリチュアル体験記の「ゴル2001」さんこと、ゴルさんの体験セミナーに参加してまいりました!^^今年の6月にブログランキングで見つけて、すっかりファンになり、「僕アニ」以来初めて、全部読破するほどハマったブログ。ゴルさんは、ガンで亡くなる奥さまと「霊界通信がしたい!」という一念で、ご自分なりにいろいろ修業をされて、霊界通信や浄化ができるようになられました。(詳しくは、ブログをご覧くださいませ)体験セミナーでは、ゴルさんが霊視して理解された、霊界と人間界と不浄化エネルギーの関係や、浄化の仕方などについてなど、4時間たっぷりお話しいただきました。そしてその後の二次会では、ゴルさんの弾き語りを聴かせていただいたり、ブログでは書けないような、有名人の方や歴史上のことを教えていただいたり、すごーく楽しかったです!これが、ライブの魅力ですね~^^。ゴルさんは、ブログのとおり、受け止め上手で前向きなとても優しい方でしたよ^^。次から次へと話題が尽きない、お話し上手でもいらっしゃいます。「スピリチュアル」というのは、目に見えないし、確たる証拠をあげて証明できるものでもありません。私たちのスピリチュアルな認識というのも、今まで、テレビで見た霊能者が言ったことや読んだ本などから、自分なりに共感したことでできています。だから、どのような考え方も、「そうかもしれないし、そうでないかもしれない」ことなんですよね。だから、ゴルさんの考えも、「そうかもしれないし、そうでないかもしれない」。けれど、「そうかもしれない」と見てみると、とても面白いと私は思います。ゴルさんは、簡単に言うと、「霊界」というプラスの世界「人間界」というプラスとマイナスの世界「不浄化エネルギー」というマイナスがあるといいます。人の魂は、もともと霊界という、全てプラス(肯定)の世界にあるのですが、不自由のある肉体を持って、課題をクリアしに人間界にわざわざ来ています。けれど、人間には知性が備わっているので、多少の不具合は解決することができてしまいます。そのため、死んでもまだ成仏できない不浄化エネルギーがマイナスの影響を及ぼして、すぐには解決できないような不具合を引き起こしている。だから、その不浄化エネルギーに、プラスを当てて、マイナスを浄化すれば、不浄化エネルギーは霊界に帰れるし、その人の不具合もなくなると説明されます。けれど、なぜ不具合が起こるかというと、「その人に必要な課題がある」からです。それを消してしまっては、その人にせっかく不具合がやってきた意味がありませんよね。やっぱり、本人が自覚する、ということも大切なようです。そして、住んでいる土地に、たとえ以前住んでいた人の不浄化エネルギーがあったとしても、影響を受けないこともできるのです。そういった不浄化エネルギーというのは、自分が死んだことに気づかず、今もその土地を耕し続けていて、後から住む人を「自分の土地になんで他人が」と思っていたりもするそうですf^^;。けれど、新たに住んでいる人が、いつも前向きな明るい気持ちでいたら、成仏できないマイナスの気持ちを握っているエネルギーとは同調しないので、影響を受けません。けれど、ストレスやホルモンバランスや加齢なので、気持ちが落ち込んだり弱ったりすると、同調してしまって、影響を受けることになるそうです。今回お話を聞いて思ったのは、成仏できないエネルギーというのは、怖いものではない、ということです。「祟りが~」とか、「自殺したら霊に引きずられて」…とか聞いて、「霊は怖い」と思うものですよね。けれど、そういったエネルギーは、ただ、自分が亡くなったとき、もしくは一番苦しいときの自分で時が止まっているので苦しがっているだけで、同調して引きずられるのは、「引きずられる側」が原因なのです。ただ、そのエネルギーが思っているのは、「その苦しみから解き放たれて、プラスの霊界に行きたい」ということ。ゴルさんの浄化は、その苦しみの理由を延々聞いて、あれこれ説得するのではなく、「苦しい?」と訊き、「苦しい」という答えがあったら、「じゃ、成仏すれば?」と訊いて、「そういえばそうだ」となったら、それで浄化ができるようです。テレビで、陰陽師の格好をした人が、脂汗を流しながらあれこれ呪文を唱えているのに比べると、あまりの簡単さに拍子抜けしてしまいますね(笑)。けれど、不浄化エネルギーが成仏できずに残っているのは、「恨んでいるから」でなく、「もっと生きたかったから」だと言います。生きたかったけれど、もう体を失ってしまった。そして、苦しいときのまま時を止めてしまっている(エネルギーの世界では、時空間はありません)。「苦しいのはイヤですよね、だから、プラスになって、 楽な霊界に行きませんか?」そういう浄化は、私はステキだな~と思いますし、「霊は怖い」という気持ちも払拭されていきます。なんだか、「不浄化エネルギーもどんとこい!」という気になりましたよ(笑)。私がゴルさんの考え方に共感できるところは、「不具合」を否定しないところです。開運法を知りたい方というのは、不具合を否定しているから、それが起こらない方法を探しているわけです。けれど、人間界は、プラスもマイナスもあるところ。課題をクリアするためにきているところ、という前提に立って、「不具合で転んでも、ただでは起きず、 そこから前向きな何かを得られれば、 それで自分のエネルギー(波動)が上がる」。つまり、不具合を認めて、そこからプラスを導きだせば、プラスの世界…霊界の世界に、生きながら近づける、ということなのだと思うのです。ゴルさんの最新のブログで、「引き寄せの法則を確実にプラスに導く方法」が書かれていますので、ご興味がある方は、ご覧ください^^。そして、ゴルさんの前回行われた勉強会の模様や、内容については、今回の主催者のアユ太さんのサイトに詳しいですので、興味のある方はご覧くださいませ!^^勉強会では、ハッピー☆ラッキーさんにもお会いできました。とーっても温かで優しい雰囲気をお持ちの方で、ブログも素敵ですし、魂が喜ぶような美味しいお茶も扱っておられるんですよ~^^。こちらもぜひ、ご覧くださいませ。すごく楽しかったです!楽しかったのは、もう一つ、午前に「NARUTO」劇場版を見てきたからです(笑)。以下、映画のネタばれですので、よろしい方のみどうぞ!今回のNARUTO映画。短編のほうはたわいない話ではあるものの、絵が超キレイでよかったのですが、長編のほうは…。「ナルトとミナト」の父子の交流! 仔カカシ登場!という目玉設定があったのにもかかわらず、延々と冗長なオリジナルキャラとの戦闘シーンが続いて、「この時間、他のことに使ったら~?」と不満たらたら、「今までのNARUTO映画の中で、これは一番…」と超辛口評価だったのですが、ミナトのナルトへの最後の言葉で、不覚にもうるっときて、エンドロールのときに、在りし日の自来也とミナト、そしてナルトを宿して嬉しそうにほほ笑むクシナを見たら、ボロボロっと…!…泣きどころも萌えどころもなかったのに、NARUTO映画で初めて落涙してしまいましたf^^;。「NARUTOネタ、長いよ!」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2010年09月05日
とある状況下で、人がある行動を選択する。そのとき、頭はフル回転して、過去のデータや思いを引き出し、検討し、一つの行動を選びだします。さて、あなたが、自転車を使っていたとします。あなたが、置いていた自転車に戻ってきたとき、カゴに、ゴミが入っていたとします。あなたはどういう行動に出るでしょうか?「ポイッとその辺に捨てる」「自分のカバンに入れて、ゴミ箱まで持っていく」…。いくつかの選択肢があると思います。けれど、いつもやる行動でも、「違う要素」があると、その行動と別の行動をしたくなることもあるのです。私は、いつも通勤に自転車を使っています。それが、ここ数日、自転車置き場の私の定位置に、別の自転車が置きっぱなしなのです。それはもしかすると、住人のものではなく、不法に置かれたものかもしれない、という疑いがありました。しかも、それのせいで、私の自転車は置きづらく、無理に置くために道幅が狭くなって、他の人に迷惑をかけているのにも気づいていました。そんなわけで、私にとってその自転車は「イケナイことをしている、憎たらしい自転車」だったのです。そんなある日。私の自転車のカゴに、キャンディーの包み紙が捨ててあったのです。自転車のカゴにゴミを入れられる、ということは、数年に1度あります。でも、その都度、持ち帰ったり、缶だったら近くの自動販売機のゴミ箱まで運んだりして処理していたのですが。今回。私の頭の中に、ものすごく黒い考えが浮かびました。それは…。「目ざわりな、不法自転車のカゴに入れちゃおうか??」という、考えですf^^;。「悪いことをしている自転車なんだから、悪いことが起こっちゃえ!」…ひー!思いついた自分自身でも「うわー、私、黒い!!」と思いましたf^^;。自分のゴミを、誰かのところに捨てる、というのは誰かに迷惑をかけることです。誰でも迷惑をかけられると、いい気分はしません。だから、そういうことは、普通しませんよね。けれど。ここ数日、見るたびにイヤな気分になって荒んでいた私の心は、黒い誘惑に駆られたのです。…不良がどんどん悪の道に進んでいく気持ちが、ちょっとだけ分かる気がしました^^;。でも、私はそのゴミをその自転車のカゴに入れることはしませんでした。そのとき、そう選択させた私の思考は、「人に迷惑をかけるのはいけないこと」という社会規範でも、「悪いことをしたら悪いことが返ってくる」という因果応報でもありません。ただ、「…店のそばで、悪いことをしているのを誰かに見られたら恥ずかしい」という、「人の目を気にする」ということが、決め手となったのです(笑)。「神様が見ているから、悪いことができない」というようなカッコいい理由でなくて、「人の目」(笑)。まだまだ、「人が見ていなかったら、悪いコトやっちゃおうかな」根性が染み付いていることが分かりましたf^^;。でも、「人が見ているから」「された人が悲しむから」というような「人」を想う理由によってでも、自分が後悔しない行動ができたら、それでいいんですよね。そんなわけで。ゴミは、自転車を離れるときに取り出して、家で捨てようと思ったのですが…。毎回毎回、取り出し忘れて、ふと気づいたら。…なくなっていましたf^^;。持っていくような奇特な人もいないでしょうから、おそらく、風に飛ばされたものと思います。…私こそゴミをまき散らしていますよ。マズイですよ^^;。けれど、これも「ゴミ」だと思うからイヤな気分になるんですよね。以前、カゴの中に紙屑が入っていて、「ゴミだ」と思ってムッとしながら開くと、よく行くカラオケの、30分延長サービス券で、「神様からのプレゼントだ!」と、一瞬で気持ちが変わったことがありました(笑)。「ゴミを押し付けられた」と思うと自尊心を「失う」気がしますが、「欲しいものをもらえた」と思うと、喜びを「得る」ことができます。失うとイヤな気持ちになって、得られるといい気分になれる。本当に、しみじみと実感しますね~!というわけで、「神様の目」を気にしようと、「人の目」を気にしようと、結局、一番大切なのは「自分の良心」と分かった私です(笑)。「自分も、時々黒くなるかも」という方は、押してみてくださ~い!↓
2010年08月31日
友人が、幼稚園の一人息子の食事が遅いと言っていました。食事中にぼーっとして手が止まってしまうことが多いのだそうです。けれど友人にしたら、それはあり得ないことなのです。なぜなら、友人は4人きょうだい。「ぼーっとしていたら、食べるのものなくなるから!」なるほど~。「一人っ子はおっとりしている。マイペース」と言われたりするのは、「競争」することがないからなのかもしれませんね。一時期、一部の小学校では、「競わせるのはあまりよろしくない」ということで、運動会の徒競走のとき、「手をつないで、みんなでゴール」していたこともあったそうです。勝ち負け、というのは、私も苦手です。負ける側を見るのが痛々しいので、スポーツ観戦もあまりできないくらいです。でも、競ったり比べたりすることが全て悪いかというと、そんなことはないんですよね。比べることは「励み」にもなるものです。自分より上の人を見ることで「自分もやろう」という意欲や踏ん張りになることもあります。自分が負けることによって「次は勝つ!」という底力を燃やす原動力にもなるのです。負けることは、負けた人の気持ちを分かる経験にもなりますし。比べることにとらわれすぎると、弊害が起こることもありますが、比べること、競うことは、手っ取り早く「自分を高める」の意欲のモトになるというメリットがあるのです。なぜ、こんなことを言い出したかというと。私は、9階の自宅まで、階段を使うことを日課にしています。けれど、この連日の暑さ。家に帰るころはバテ気味で、冬の間は全然思わなかったのですが、荷物もたいして重くないのに、「エレベーター使っちゃおうかな~。汗だくになりそうだし~」という誘惑にかられるのです。そんなときに、「いや、やるぞ!」と自分を自分を奮い立たせる魔法の呪文が、「海堂だってがんばっているんだから」。海堂というのは、このところせっせと読んでいる、テニスを題材にした少年漫画、『テニスの王子様』に出てくるキャラクター。瞳孔開き気味の怖い顔をしているのですが(笑)、スタミナをつけるために飽くなき努力を続けている…中学二年生です(笑)。海堂が汗だくになってトレーニングして、試合でガンバっているのを思い出すと、「9階くらいでビビッてんじゃねーぞ、テメー!」(少年漫画を読むと、なんだか口が悪くなります)という気持ちになって、9階まで上る気になれるんですね(笑)。「競う」「比べる」ということの弊害だけを見るのではなく、「目指す」「励みにする」。そういうところを上手に利用して、自分を磨いて、毎日を楽しくしていきたいですね!^^「漫画のキャラを励みにするのはどうよ?」と思われるかもしれませんが、学生時代にも、なまけそうになったとき「こーちゃん(『キャプテン翼』の日向小次郎)だってがんばっているんだから!」と叱咤激励して、成績を30番くらい上げたことがあります。あぁ、昔から単純だったんですね、私は…(笑)。>ゆびさん 花火行かれたんですね!^^ 苦労して行けば行くほど、感激もひとしおですよね。よかったです~^^。「励みにするか~」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2010年07月25日
「正負の法則」というのがあります。人はなにかを得たとき必ずなにかを失うという原則。良いこと(正)の次に悪いこと(負)が起こり、またその反作用で良いこと(正)が起こる…ということですね。驕れる者は久しからず。盛者必衰の理ありて…なのですが、私は、この法則は、宇宙の法則、というよりも、方便的な法則ではないかと思っています。人というのは、「怖れ」と「喜び」を利用することで、行動をコントロールすることができます。「○○をすると、バチが当たるよ」と言うことで、「○○をやってはいけない」ということを効果的に知らせ、それによって、悪いことが起こらないようにすることがありますよね。それと同じような感じで・良いことが続いて有頂天になっていたら足元をすくわれる。 だから、気を引き締めるように・悪いことばかりでしょげていても、この先必ずいいことが起こる。 だから、めげずに励むようにそれを「正負の法則」という形で、分かりやすく伝えているのではないかと思うのです。確かに世界というのは、プラスとマイナスがあることで均衡を保っているところがあります。自分を好きでいてくれる人がいる半面、嫌う人も必ずいる。それも当然あることです。けれど、「人の一生」というところで見ると、私は「正負の法則」よりも「引き寄せの法則」のほうが、影響を与えているのではないかと思うのです。有頂天になっている人が、「いつかは足元をすくわれるかもしれない」と思っている気持ちが、転落を引き寄せる。どん底になっている人が、「この先、いいことが起こるはず」と思っている気持ちが、幸せを引き寄せる。そう思っているのです。だって、傍から見ていて、ず~~~~~~~~っと順風満帆で一生を終える人も、ず~~~~~~~~っとつまづきだらけで一生を終える人もいますよね。「法則」だったら、その人だけをよけるわけはないです。だからこれは、方便的な法則ではないかと思うのです。ただ、物事には表裏があります。性格でも、「せっかち」というとマイナスですが、「仕事が早い」というとプラスになりますよね。全てのことには「プラスとマイナス――正負の側面がある」ということはあります。驕っていて転落したら、「マイナスが起こった」ように見えます。けれど、それで心の修行をして、さらなるプラスを得る原動力になったとしたら、それは、「プラスの経験」なんですよね。物事をプラスと見るか、マイナスと見るかは、その人のとらえ方次第。傍から見ていると、「あの人は浮き沈みが大きい」と思えても、本人が「絶好調のときと、すごい学びのときが交互に来ている」と思っていたら、いつも「プラス」と感じているはずです。そういうわけで。「『正負の法則』から抜けて、いつも上り調子!」でいたいと思うなら。・「いいことが起こったら悪いことが起こる」と思いこむことが 悪いことを引き寄せると知って、そう思うのをやめる・マイナスなことが起こったら、それで「気づいたこと」「学んだこと」 というプラスの面を見つけるそうしていたら、周りからはどう思われていても、いつもいい気分で、上り調子でいられますよ。でも。自分がとても苦しい状況にあるとき、「『正負の法則』があるから、今がこんなに苦しいのだったら、 これからどれくらい幸せになれるんだろう」と思うことは、大きな希望になります。そして、その思いが幸せを引き寄せます。ただ、それで幸せになったら、「さぁ、次はマイナスなことが起こるはずだぞ…」と思って、マイナスを自分で引き寄せたら、もったいないです。苦しいときは「正負の法則」。幸せになったら「引き寄せの法則」。上手に使い分けて、いつもいい気分でいたいですね!☆お願いです☆読者様のお母様が「ペーチェット病」という難病(特定疾患)にかかっておられ、いい先生を探しておられます。ご存知の方がいらっしゃいましたら、どうぞこちらまでメールでお知らせくださいませ。どうぞよろしくお願いいたします!「法則を使い分けよう!」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2010年07月24日
昨日のブログで、「褒め上手は認め上手」と書いたところ、思いのほか好評で嬉しかったです^^。maiさんが「自分の未熟さゆえに離れてしまった人やもう会えない人も、 心の中で褒めると、自分も癒された気分になれました!」とコメントしてくださったのですが、これは素晴らしいことですね~!(maiさん、素敵なことを教えてくださってありがとうございます!)私は、人を褒めると、褒められた人は、・自分のいいところを認めてもらうことになるので、 心が満たされて嬉しくなると思います。それと同時に、褒めた自分は、・人のいいところを見つけることができたこと、 そしてそれを伝えることができたこと、 さらに相手の喜んだ顔を見ることができることで、 心が満たされて嬉しくなると思うのです。褒めると、褒められた相手だけでなく、「褒めた自分は3倍増しに心が満たされる」のですね。私は、今、以前よりも自分のことが好きになりました。それは、店の仕事を通して、人を褒めることが多くなり、それで無意識のうちに「よく気づけたな~!いいね~!」と自分を褒めていたことが、自分で自分を認めることになり、たくさんの喜びとなって、心の中に積もっていたからかもしれません。そして、maiさんが言われるように、会えない人を心で褒めることも、相手には伝わらないかもしれませんが、・人のいいところに気づくことができたこと、 それに褒めることができたことこれらが、自分で自分を褒めることになり、喜びになって、心が満たされたり、癒されたりすることになると思います。褒めるの反対、「けなす」というのは、相手のマイナスなことを指摘して、自分のプラスを感じようとする行為でもあります。そうされると、相手は、自分の「ない」を突き付けられますから、イヤな気分になります。そして自分も、そのときは自分が優位に立ったような気がするかもしれませんが、・人の「ない」を見つけるたびにイライラし・自分の「ない」も指摘されるのではといつも不安になるということで、じつは心は満たされず、逆に乾くのです。(あ、「裁くは砂漠」ですね(笑))けれど、「褒める」ということは、自分も相手も幸せな気持ちになることです。自分の温かな気持ちを分けることで、相手も輝き、その人も誰かにしようと思って広がっていく、キャンドルサービスのようなものかもしれません。そして自分はますます輝くのです。褒めるって、すごく素敵なことですね~!^^うわ今日は、何だか、すごくイイこと言っている気がします!(笑)「褒めてみようかな~^^」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2010年06月11日
昨日の「面倒くさい」ネタに、いろいろコメントをありがとうございました~!^^ルチエンジェルさんのお子さんが、放っておくと、「面倒くさいから」とネットでアニメばかりご覧になっているとのこと(笑)。「面倒くさい」と思ったときにも、その後で2種類の行動パターンがあります。一つが、「面倒くさいから、やらない」。この場合、・ことを起こさないで済む ということもありますが、・何もしないので経験もできないということもあります。例えば、相手に文句を言おうとしたけれど、「面倒くさいからやめる」。そうすると、相手と波風を立てずに済ませることができます。けれど、単に「ものぐさの誘惑」に負けて、「面倒くさいからやめる」。これは、せっかくの機会を失うことにもなるんですよね。また、もう一つが、「面倒くさいけど、やる」。この場合は、・イヤイヤやるというのと、・進んでやるというのがあります。例えば、「上司に言われたから」等の理由で、相手のためにやる気なく「面倒くさいけど、やる」。そうすると、せっかくやるのに、あまり身になりません。けれど、「頼んで文句を言われると不愉快だから」と、自分のために進んで「面倒くさいけど、やる」。そうすると、進んでやるぶん、意欲的になり、成果も上がります。さらに、早く済ませようとするぶん、手際も良くなります(笑)。ウチの母の場合は、・「面倒くさいから、やめる」で波風が立たず・「面倒くさいから、やる」で家事をキッチリそんなかんじで、「面倒くさい」の役立つ面を生かしているような気がします(笑)。では、「面倒くさいから、勉強やお手伝いをせず、アニメばかり」。これが、・「面倒くさいから、やめる」で、大切な機会を失うということだったら、もったいないのですが…。アニメや漫画も、人格形成に役立つ面も多々ありますので、一概にダメとも思えないんですよね。それも「BLEACH」なら…。なーんて(笑)。「面倒くさい」も、意外に奥が深いですね~~^^。でも、「面倒くさいと言いつつも、キッチリやる人」は、「NARUTO」のシカマルしかり、「銀魂」の銀さんしかり、ウチの母しかり(笑)、「ゆるカッコイイ」のです。私も、「面倒くさいけど、キッチリやる」、ゆるカッコいい人になりたいと思います!^^知っている方のツイッターをたまたま見たら、「BLEACH」ネタの書き込みをしておられました。だれ宛とかな?と見たら、tite_kuboと。久保タイト?…まさか「BLEACH」の作者の久保帯人先生??よく聞く「なりすまし」では?と思いつつも、やっぱり本物らしいです。テンション上がりました。やっていないツイッター、ちょっと気になりました(笑)。「で、結局「BLEACH」ネタ?」と思われた方は、押してみてくださ~い!(笑)↓
2010年06月05日
昨夜は龍さん&アニキさんのトークショー『神様からのサインを簡単に受け取る方法』が行われました!平日の夜だというのに、お二人のファンの方がたくさんいらして、素敵な雰囲気でしたよ。私も、2回目の司会を無事果たすことができました(ホッ(笑))。お二人のトークショーを聴くのは2回目ですが、お二人の掛け合いの雑談も楽しいですし、アニキさん&神様による、濃い・深~~~いお話もたっぷりあって、しかもそれが毎回違うので、「全部聴きたーい!」と思いたくなりますね~!^^昨日は、「神様と簡単につながる方法」ということで、たくさんのことをお話しくださいました。舞台袖で必死にメモを取りましたので(笑)、シェアさせていただきますね^^。「神様」というと、「○○教の神様」と思いやすいのですが、アニキさんは、「一つの神を崇めていると、 自分と神様は別のものと思ってしまいます。 でも、自分一人ひとりが神様をもっていて、 自分と神様は一つでないけれど一つなんです」と言います。本でも書いていた、「自分自神」ということですね。アニキさんは、「神様」という言葉でなく、「上の存在」というほうがしっくりくるそうです。その、「自分の上の存在」…神様は、「会議に遅れないようにしてよ!」と自分は何もしないで他力本願ばかりしても、「自分で考えてやってみなさい」というスタンスをとっているので、つながれないようです。神様を喜ばさせるには・「ありがとう」と神様に言う・気分がいいときは歌を歌う・本で面白いところがあったら音読をする・雨が降ったら、少し雨に触れて楽しんでみる・海に足をつけるというようなことをすること。とくに海の水は、世界中とつながっています。その海に足をつけることは、世界中とつながることになり、それを感じると、神様が喜ばれるそうですよ。海もそうですが、「水」というのは、体だけでなく、内面、心も一瞬でキレイに美しくする作用があるそうです。その関連で教えてもらったのが<ラッキーアイテムを作る方法>。いつも身につけているグッズ(手作りならなおよし)をきき手に持って立ちます。そして「自分が水だ」とイメージします。次に、きき手に持ったものを軽くほおり投げて、「チャポン」等と水に落ちたときの音を言いながら、柔らかく膝を曲げて、受け止めるのです。それを5回ほど繰り返します。水をイメージして、音を出すことによって、ものが浄化されるとともに、魂もキレイになるそうです。…と、ここまで読んで、立ち上がり、「チャポン」とやり始めた方!あなたは、私と同類です(笑)。私は今立ち上がって、アクセサリーやクリスタルなど、6つを「チャポンチャポン」とやってしまいました(笑)。そうすると、風がなくてもふわっと風を感じたり、じんわりと温かくなることがあります。私はなんだか清々しい気持ちになりましたよ。そしていよいよ、<神様とつながって声を聞く方法>。まず、水をイメージして「チャポン」と言って、自分をキレイにします。それでじわーんとしたら、つながる準備ができたサインです。次に、独り言を言います。悩みごとを口に出すのです。「いやになっちゃう」「あの人ががうるさくて大変」と愚痴るのです。言霊効果があるから、ネガティブなことは口に出すのはNGと自分を律している方もおられるでしょうが、言ってしまいましょう。言って、耳で聞くのが大切なのです。ポイントは、「でもがんばるぞ!」というような、かわいく前向きな一言で、終わりを締めることです!最後は、自分に質問してみます。「何であの人は、あんなことをするんだろう?」等と問題点を語りかけてみるのです。そして、自分で「…なってない人だから?」等と思いついたことを答えてみましょう。どんな言葉でも、それは、自分の内側から出た言葉。自分とつながっている神様の言葉かもしれません。楽しみながら自問自答していると、それだけでもう、なんだかスッキリしそうですよね!悩みごとというのは、人間関係であることも多いものです。苦手な人は排除したいものですが、アニキさんは「周りの人を意識することは大切」と言います。嫌いな人も、存在を認めるのです。確かに、周りの人がいるからこそ、自分は存在するし、いろいな感情を掻き立てられるからこそ、自分を意識することもできるのですからね。でも、ポイントは、「だから、周りの人に感謝しなくちゃ」「嫌いな人も好きにならなきゃ」とは思わないこと。ただ、「ああ、いるなぁ」と意識するだけでOK。そして、時に応じて気づかいをすればいいんですね。やっぱり、「認めること」はやっぱりすごいパワーがありますよ。トークショーレポート、続きます!^^5月29日の「私を変える 捨てる習慣セミナー」では、「チャポン」の実演もしようかなと思っております^^。4月30日までのお申込ですと1000円引きですよ。気になる方はぜひ、お申込を~!^^お申込・詳細はコチラ!「トークショー、面白そう!」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2010年04月29日
「認める」ということを、今年はずっと考え続けている私なのですが、実は、「認めない」ということは、「認めること」以上に「認めている」ということだな、ということも思います。「ポニョ」を歌った、藤岡藤巻さんの曲で、「死ね!バレンタインデー」という曲があります。(リンク先、音が出ます、ご注意!)こちらは、バレンタインにチョコをもらえない男子の、切ない…というか恨みに満ちた曲なのですが(笑)、「死ね!」という、とても強い言葉を使いながらも、悲哀を感じて、思わず笑えてしまいます。「嬉しそうに食いやがって たかがチョコレートで アリにたかられて死ね…」これは、チョコレートやバレンタインを認めていないのですが、実はすごーく認めているからこそ、そういう言葉が出てくるんですよね(笑)。認めていなかったら、「気にならない」はずなのです。すごくその存在を認めている、けれど認めたくない。認めているけれど、「受け入れられない」。それが、存在を「認めない」というより、「認めたくない」ということです。受け入れられないのは、「もらえる側」と「もらえない側」がいて、自分は「もらえない側」であることから、自尊心が傷ついているから。バレンタインさえなければ、傷つくこともなかったのに、という「自分を守りたい心」が、「認めたくない」「受け入れたくない」と思わせるのでしょう。それは、「もらえない側」である自分を認められないからでもあります。人は、自分を守るために、相手を「認めない」という方法でガードをしようとします。けれど、「認めたくない」と思えば思うほど、相手のことを考えることになります。そして、うまくいかない現実を向き合うことになり、苦しくなってしまいます。だからまずは、「もらえない側の自分」を認めるといいのでしょうね。「もらえなくてもいいじゃん」「おれの魅力に気づく女が、今のところ周りにいないだけじゃん」そう思えたら、やがてバレンタインも認められるようになるのでしょう。「自分がダメだから、チョコをもらえない」と思い始めると、そういう自分を認めるのはつらいですから、イベント自体を否定したくなります。でも、「タマタマ今年はもらえなかったけど、 おれにはいいところがあるんだぜ!」と思っていさえすれば、卑屈にならず、言葉通りに自分のいいところが輝きだして、来年はもらえるようになるでしょう(きっと(笑))。そんなことからも、「認めること」というのは、「まず、自分を認めること」でもあるんだなと、つくづく思います。ちなみに…。なぜ私が、この曲を知っているかというと、「BLEACH」の動画を探しているうちに、この曲で、さまざまな種類の漫画やアニメの動画があるのを見つけたからです。「BLEACH」のノイトラさまが悲哀に満ちている動画はコチラ。笑えます(笑)。久しぶりに「BLEACH」ネタ!今も燃え盛っておりますよ~(笑)。「チョコが好き!」という方は、押してみてくださ~い!↓
2010年04月27日
昨日のブログのコメントで、「ハッピー天使のお話し会☆」のご感想をたくさんいただけて嬉しいです^^。「我が家に天使がいるらしい」のkokkoさんも、感想をブログに載せてくださいました。ありがとうございます~^^。「天使」というと、好きな人は大好きなのですが、興味がない人は、「天使」とつくだけで、自分には関係ないと思いますよね。小原ミチルさんも、そんな一人でした。周りに天使好きの人がいても、自分とは無縁だと思っていたのです。けれど、1999年に天使と運命的な出会いをすることになります。そのときのミチルさんの状況は、最悪なものでした。病気のため体調も不良で立つこともままならず、もろもろの精神的なストレスから心も鬱々とし、置き去りにされた流木のように、ベッドの上に、まるで「ただの物体」のように横たわっていました。そのとき、天井から何かが現れたのです。それはだんだん近づいてきて、やがて、金色の巻き毛にブルーグレイの瞳の、子供の姿をした天使だと分かりました。天使ーーーーー????と、普通なら驚くところですが、そのときのミチルさんは、心が麻痺しきっていて、驚く気力もありませんでした。ただそれが、自分のイメージしている「天使」であると認識できただけだったのです。そしてその天使は、すうっと、胃のあたりに入ってきたのです。その瞬間、体の内側が、金色のまぶしく暖かい光に満たされ、体中が温かくなり、体の感覚も、心も動き出しました。それで初めて「なぜ、天使なのか?」と問いかけた次の瞬間。『無償の愛』『無条件の愛』という言葉が喉のあたりに響いて、涙があふれてきたそうなのです。それまでミチルさんは、『無償の愛』や『無条件の愛』というのは、美しい物語の中だけの存在ではないか、と思ってました。けれど、天使の言葉を感じたことにより、『無償の愛』や『無条件の愛』というのは、ちゃんとこの世に、ここに在る。そしてその言葉どおり、この世のためどころか、自分が生きていくためにすら何もできなくても、ただ生きていることでこの世を汚しているような気がして、自分を責め続けていても、関係ない。天使は、何も要求せず、何かを得るために何かをしろとも、もっと頑張れとも言わない、何もできなくても、そして今までどんなに後ろ向きに生きていたとしても全く関係ない。ただ、このままの「私」という存在を、この世に生きているということを、無条件で祝福してくれていたんだ…。ということを感じて、涙があふれて止まらなかったそうなのです。私はこのことを初めて聞いたときに、グッときて涙がこぼれそうになりました。なぜなら私も、以前、本を書くことができなかった2年間、「結果を出していない」「何も生み出していない」と、自分を責めていたことがあったからです。そのとき私は、「いいことをしないと、いいことがやってこない」という気持ちになっていました。そのため、何かをできていない自分に無価値感を感じていたのです。けれど、「本を書けなくても、ブログを書くだけでもいいじゃないか」と、「今の自分でもいいんだ」と認めることができたとき、トンネルを抜け、2年で6冊の本を書くことができるようになったのです。だから、ミチルさんが、「天使は、自分が何一つできない存在でも、 たとえ害になることをしてしまったとしても、 無条件で認め、祝福してくれる」と言ったときに、「そうだ、私が「自分は何もできていない」と 自分を見限っていたときにも、 『私の天使』は、ずっと私を認めてくれていたんだ」と、とても嬉しく思ったのです。天使に会うためには、パワーストーンなどのグッズをそろえないと、とか、瞑想をしないと、とか浄化をしないと、とか思う方もいるかもしれません。けれど、何をしなくても、自分のそばに天使は必ずいるんですね。ミチルさんは、それぞれの人についている天使とコンタクトをする「エンジェル・リーディング」もされていますが、天使がついていない人は、一人もいないといいます。また、「天使はエネルギー体だから、本当は形がない。 だから、形で視えるのは違う」と思う方もいるかもしれませんが、ミチルさんは、自分が天使を視えるのは、それが、自分にとって認識しやすい形だからではないか、と言っています。どうも天使は、状況に応じて形を変えられるようで、最初にミチルさんのもとに、いわゆるベタな「エンジェル」の形で現れたのも、それだとミチルさんが「あ、これは天使だ!」と分かりやすくするためだったようなのですね。誰にでも必ず、「見守ってくれる存在」はいる。そして、会いたいと願えば、ビジュアルで視えるか、声が聞こえるか、言葉が浮かぶか、温かさを体感するか、はたまたそれ以外か…は、人それぞれですが、応えてくれるのでしょう。「天使というのは、どんな自分であっても すべてを認めてくれる存在」このことをミチルさんのお話で再確認したことは、まるでパズルの最後のピースがはまるように、私が今年になって、いろいろなところから受け取っていた「あるメッセージ」と結びつきました。そのメッセージとは…明日ご紹介いたしますね~^^。「天使って、本当にいるんだ!?@@」と思われた方は、押してみてくださ~い!↓
2010年04月12日
お客さまから、「職場の人に、私の仕事ぶりをひどく指摘されてから 苦手意識が募ってしまって。 これも学びだと思おうとしているのですが、 状況がどんどん悪くなってしまって…」という悩みを打ち明けられました。いつも明るくて、心の本もいろいろ読んでおられる方です。心の勉強をしていると、・自分にやってくることは、自分が引き寄せたもの。自分と等しいものということが分かってきます。すると、イヤな人が自分にイヤなことをすると、「なに?私がダメな人だから、こんな人を引き寄せているの?」と、自分自身のあり方ややってきたことを責めてしまうこともあります。私自身も、「だいぶ心磨きをしてきたつもりだけど、なんでかなぁ~?f^^;」と思うようなこともありました。けれど、そのときに一番気をつけたのは・相手を責めても、解決しないということでした。「あの人さえいなければ」と、元凶を排除すれば元通りになると思いたくなるのですが、すでに起こってしまったことは、もう次の段階に進んでいる、ということ。だったら、相手を責めたり排除するのではなく、「この出来事は、自分が何かを気付くために起こったんだ」と、できることを試行錯誤していったのです。それはもちろん、相手を責めてもうまくいかなかった経験上学んだことです(笑)。それで、「相手には心の傷があるのだろう」と思いやったり、「心の勉強ができたなぁ」といいところを見つけることで、心がラクになることにも気づきました。けれど、私が一番、これがよかったと思ったのは、「相手の幸せを願う」ということだったと思います。心が満たされている人は、人にあれこれ言いません。言いたくなったとしても言葉を選べます。それができないということは、その人が傷ついた心を持っている、ということです。それを満たす相手として、その方法はどうあれ、自分は選ばれた。でも、自分は積極的にそれを癒すために歩み寄りたくはない。だから、その人のことが頭に浮かんだら、「幸せでありますように」と光で包まれて温かな感じがするイメージをしていました。これは、自分にイヤなことをする人を、無理に好きになろうとすることではありません。・同じものを引き寄せるというからには、こちらが好きになれば、向こうも好きになってくれる、ということはもちろんあるのですが、「好きにならなくちゃ」「いいふうに考えなくちゃ」というのは、自分に無理を押し付けていることです。けれど、「あの人にバチが当たれば、気がおさまるのに」と思う代わりに、「あの人が幸せでありますように」と思って、そうなれば、自分にちょっかいを出すこともなくなり、自分にも平穏が戻ってきますよね(笑)。だから、無理にではなく、心から、その人が幸せに包まれ、自分も心穏やかになれることを願うことができたのです。そうしていたら、だいぶ時間はかかりましたが、争うことなく、うまくおさまっていきました。それで私は、「苦手な人の幸せを祈る」というのはとても有効なことなんだな、と気づくことができたのです。「自分に起こることは、いいことも悪いことも、 すべて自分のためになること」それを信じて、悪いことでも気づくことを見つけることができれば、後から振り返ると、「やっぱり必要なことだったんだな」と思えるものです。「気づくことが何か」は、人それぞれで、それに気づくまでの試行錯誤こそが、「気づくこと」である場合もあります。けれど、イタイ目を見れば見るほど、きっと大きな気づきや飛躍が待っている。私はそう思います。大丈夫、大丈夫ですよ~~~~~!^^「なるほど~」と思われた方は、押してみてくださ~い!
2010年04月09日
私がこの頃よくとりあげている「BLEACH(ブリーチ)」という漫画は、黒崎一護(いちご)という高校生が、ひょんなことから、霊や霊が凶悪化したホロウというものを成仏させる、「死神」の代行になるというお話です。それで、その力を駆使して、「ソウル・ソサイエティ」や「ウェコムンド」といった霊界に、友達や仲間を助けるために乗りこんで闘う、いわゆるバトル漫画なのですね。でも、日本のみならず、世界でも人気があるのは、設定やストーリーが面白いのと、キャラクターが個性的で魅力的なことに負うところが大きいでしょう。私は、この「BLEACH」のキャラクターには、共通している一つの特徴があると思っています。一護とその仲間は、友達や仲間を助けるために、強大な力をもつ敵のいるところに乗りこんでいくのですが、彼らには、全くといっていいほど、「恩着せがましさ」がないのです。強大な敵です。つまりは命がけです。時によっては、死にかける場合もあります。けれど彼らには、「助けに来てやっている」とか、それで「相手に良く思ってもらおう」という気持ちが全くないんですね。私はそれに感じ入り、憧れます。なぜなら私が、恩着せがましいヒトだからですf^^;。それゆえに私は、恩着せがましい人の心理がよく分かるのです。私は、人が行動する動機というのは、「喜び」と「怖れ」の二つだと思っています。喜びは、「ある」「得たとき」に感じます。怖れは、「ない」「失ったとき」に感じます。恩着せがましい人には、怖れがあります。「やってあげた」ために、自分の労力だの手間だの、お金などを失った、と思っています。なので、お礼やお返しといったものを求めたくなるのです。けれど、一護たちは、自分の身の危険というリスクや失うものより、仲間を助ける行動をすることで得る満足感のほうが大きいので、求めることがないんですね。怖れによって行動する場合は他にもいろいろあります。自慢したり、褒めてもらいたがる人は、自分の価値が低いと思っているから、他人の評価を求めるのです。会社の人や友達に傷つくことを言われて、自尊心を損なわれた人は、相手に「謝ってほしい」と謝罪を求めたり、誰かに「あなたは悪くないよ」と、自分のことを認めて欲しいと思うのです。では、この「ないこと」による求める気持ちをクリアにしていくにはどうしたらいいかというと、私は、「「ある」「得る」という喜びを得ること」だと考えています。その方法の一つが、「いいところを見つけること」。恩着せがましくなるのは、「やってあげた」ことがあるということです。だから、それによって相手が喜んだこと、助かったことを再確認し、「自分はこんなに素敵なことができたんだ」と気づくと、その満足感で心が満たされることがあります。傷つくことを言われた場合も、「言い方はひどいけれど、自分の気づかない面を教えてもらえた」「自分のやり方を見直すきっかけをもらえた」と、「得たこと」に気づけば、ちょっと落ち着くかもしれません。もう一つの方法が、「相手の事情を思いやること」。恩着せがましくなるときは、「相手がお礼を言わないのは、心に余裕がないのかも」とおもんぱかってみる。傷つくことを言われた場合は、「プライベートでイヤなことがあって、イライラしているのかも」と思いやってみるのです。それで、少し心がラクになったら、心が満たされたということです。「失った」「奪われた」と思うと、相手のことをなかなか認められません。けれど、相手のことを認め、思いやるということは、別の言葉でいうと「愛」だと私は思っています。思いやることによって温かい気持ちを湧いてくると、満たされない思いを埋めてくれます。それは、相手を愛することであり、そうできた自分をも愛することができたからだと、私は思うのです。…もちろん、満たされない原因が根深く、強い場合は、この程度のことでは解消できないかもしれません。けれど、求め続けるだけでは、不満は消えません。そして相手が欲しいものをくれるのは、いつになるか分かりません。だったら、「自分の中で、自分を満たしてくれるもの」を見つけるほうが、早くラクになる助けになると私は思うのです。それに、そうすることによって自分が変わると、必ず、相手も状況も変わり、いいことが引き寄せられてくるんですね。恩着せがましい私ではありますが、このような方法をやってみることで、以前よりはずっと、「喜び」で行動できるようになりました。ぜひ、試してみてください^^。まだまだ続く「BLEACH」熱!(笑)「BLEACH」は、とにかく登場人物が多いんですよ。名前を言えるだけで、軽く70人はいます。脳みそを使うので、頭の活性化にもなります?(笑)「思いやりか~!」と思われた方は、押してみてくださ~い!
2010年04月08日
先日、『サイン』トークショーでお会いした、心屋仁之助さんの著書『光と影の法則』を読みました!ベストセラーの『鏡の法則』のような雰囲気の、それほど長くない物語の中で、人間関係や、自分に起こるトラブルを解決するための「人生の法則」を教えてくれる本です。主人公の裕子さんは、旅行代理店に勤めている既婚のOL。けれど、上司とうまが合わなくなり、旦那さんとも不協和音が。それは、成功という「光」を追い求めるゆえに出る「影」でもあるんですね。人は、苦手な人を見つけると、心の中にその人専用の「スタンプカード」を作るといいます。イヤなことをしていたら、スタンプを一つつけます。スタンプというのは集めたくなるものですから、イヤなところもっと見つけようとする努力をし始め、どんどんスタンプをつけるのです。そしてスタンプがたまったとき、「ドッカーン」。それで相手に文句を言ったりするのですが、自分はスタンプ1枚分をぶつけるものの、相手は、最後の1回分で怒られていると思うので、わけが分からなくなるのです。また、相手に怒りをぶつけられずにためこんでしまう人は、ブレーカーが落ちたように、うつになってしまうこともあるのです。そういうことって、ありますよね!もちろん、きっかけは相手なのですが、そこまでの間に怒りを伝えることができなかったのは自分なのです。けれど、自分は「被害者」と思っているから、ある行動をとるようになります。それは、「すねる」こと。すねるというのは、「拗ねる」と書きます。幼い子供の戦略なのですね。すねると、大人がかまってくれます。なので調子に乗って繰り返すようになるのですが、そうすると大人も、「もう放っておこう」と思うようになります。すると急にさびしくなって、「誰もかまってくれない」「私は誰からも愛してもらえなかった」と思いこみ始めるのです。それを、大人になっても引きずっている人がいます。けれどそれは、自分が素直に言うことができなかったことから始まっているのですね。だからそれを改善したかったら…「素直に気持ちを伝えること」。カッコ悪いとか、弱そうとか、今さらとか思わず、素直に「助けて」「手伝って」「ごめんね」「ありがとう」そういった言葉を言うようにしてみるのです。とくに、仕事を抱え込んで忙しい人は、周りの人に不満を持っていることも多いのですが、「これは自分にしかできないから」とか「他の人では頼りにならないから」とか思って、頼ることをしないのです。それで忙しくして、周りに不満を募らせるのですね。でも、自分も、誰かに助けを求められたらきっと応じるだろうし、それで喜ばれたら嬉しくなるでしょう。それと同じように、周りの人も、助けてと言ったら、快く助けてくれようとするのです。…まぁ、日ごろの行いによって、ちょっとスムーズにいかない場合もあるかもしれませんが(笑)。心の問題を紐解いていくと、そのきっかけは必ず「自分」になっていきます。そうすると、「どうせ私がぜーーーんぶ悪いのよ!」とやさぐれたり、自分を責めてしまうことがあるかもしれませんが、ネガティブなことの原因が自分であるなら、ポジティブなことを起こす原因も、自分次第で作ることができるんですね。今、仕事上の人間関係やパートナーシップが思うようになっていないのなら、それは自分の中の「光と影の法則」のせいかもしれません。ぜひぜひ『光と影の法則』を読んで、それをクリアにしてみてください!^^「幸せに成るサロンづくりセミナー」、いよいよ4月3日です!「天使のお話会」定員まであと5名です!「スタンプつけたことがあるかも!」と思われた方は、押してみてくださ~い!
2010年03月29日
「心が痛む」「心が晴れる」…心には、それに関するいろいろな言葉がありますが、「心」というのは、手で触ることも、取り出して見ることもできないものです。その「心」というものが「何」でできているか?と考えてみると、私が行きついたのは『いい気分セラピー』でも書いているように・頭の「思考」・ハートの「感情」これらが合わさったものです。心が痛むのは、ある出来事のことを考えて判断して、シュンとした感覚になるから。心が晴れるのは、ある出来事のことを考えて判断して、スッキリとした感覚になるからです。だから、触れることができない「心」をコントロールするには、・「あれは○○な意味があったんだから」と思考を納得させたり・お風呂に入ったり美味しいものを食べたりしていい感覚をになってみたりというアプローチができるんですね。ではその「心」というのはどこにあるというかというと…。どこにあると思いますか?(^_-)-☆頭で考えている、と思っている人は「頭」を指差すかもしれませんし、「心」を胸の感覚と感じている方は「心臓」を指差すかもしれません。多くの人は、胸のあたりに心がある、と考えていると思います。けれど、そこではないと思うんだ、と言っている人の言葉を知りました。その人は、心の場所を、自分の胸と、相手の胸の間にある、と示したのです。たった一人で、何の刺激もなかったら、心は動かないでしょう。心が動くとき。それは、誰かと交わることや、何かを受けることによってのみ、起こるのです。テレビを見ていても心は動きますが、とりわけ動くのはやっぱり、人と交わっているとき。怒りも、悲しみも、喜びも、感謝も…自分の「心」というのは、自分一人のものではなく、「相手」と一緒に作っているものなのですね。だから、自分が死んでも、その心は自分とともに消えるのではなく、残された人に預けることができる。その人はそう言っていました。心は、自分一人のものではない。心が動く限り、誰かと交わっている。だから、自分が、自分の心を感じるのであれば、それは必ず「誰か」が、「何か」がある。つまり、自分の心を感じるということは、必ず誰かとつながっている、ということなのでしょうね。心のない人はいません。心ある限り、人は誰かとつながっている。自分の心の動きを感じたときすべてが、「つながり」を持っているのを感じる瞬間なのでしょう。だから、人が人たる所以は「つながっていること」なのかもしれませんね。「心は相手と作るもの」これは考えたことがなかったので、学ばせてもらいました。そしてこのことを教えてくれたお話とは…。うふ、うふふ…「BLEACHブリーチ」でーーーっす!(笑)私が昨年の「NARUTO」並みにハマっている「BLEACH」。少年ジャンプ連載の漫画で、人間界に浮遊している霊が凶悪化したときに退治してくれる死神たちのお話です。「死神」といっても、黒い剣道着を着ている、武士の軍勢、みたいなかんじなのですが。こちら、43巻まで出ていますが、巻数が多くて、アニメ化もされて、さらに海外でもファンが多い作品というのは、やっぱりタダの漫画、ではなくて、グッとくる展開や深いお話しもちりばめてあるんですよね~~。というわけで、「BLEACH」ネタ、ムリヤリやってみました(笑)。「いつか、「BLEACH」ネタを持ってくるだろう」と読んでいた方は、押してみてくださ~い!(笑)
2010年03月24日
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