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2007.06.02
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始業式から1週間。我が家は母親不在の、ばあちゃん頼みの1週間でした。最初からこの1週間は早出遅帰りと決めていたので、(波状攻撃のように仕事がある時期なので、早く帰るともう翌日立ちゆかない)朝はお兄ちゃんを見送って7時半、帰りも夜の7時半。涙の12時間勤務です。(周りの先生たちはこんなもんじゃないけど)マナタンは、最初の2・3日は「ばあちゃんのお迎えだ~~」と喜んでいたんですが、木曜日辺りから「ママがいい……」とつぶやき始めました。お兄ちゃんズは学校が終わってからまっすぐ帰って友達と遊べるのが嬉しくて、母親の不在なんてあまり気にしてない様子。でも、夕方さすがに不安になるらしく、夕食を作るのに都合が良いから、と母が実家に連れ出そうとすると、自宅にいたい、とちょっとごねるそうです。ううう。痛む良心。明日からは、私の保育園の送り迎え、復活です。帰宅も6時前後になるでしょう。持ち帰り仕事も増えそうですが、まあそれは覚悟の上だから、仕方ないです。(この週末も当たり前のように持ち帰り仕事してました。学校だけでなんて終わりませんよ)子供たちと過ごす時間を(ある程度は)確保するため。あくまでも家庭第一主義(の建前)は死守します。かっちゃん、守ってよね。はあ。今週も長いな……明日はお兄ちゃんズのピアノ。(といってもカツヤザウルスだけ。ユウヤノドンは一人で留守番させるのが怖くて、ピアノの先生のご厚意で一緒に教室にいるだけ)終わる頃を見計らって迎えに行きます。火曜日はユウヤノドンの授業参観と学級懇談会。水曜日は市教研の学校図書館教育主任会で午後出張。木曜日はカツヤザウルスの授業参観と学級懇談会。金曜日は………若さと美貌を維持するために、焼き肉でも食べに行こうか?それを楽しみに1週間頑張るぞ。 お~~。
2007.04.15
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慌ただしく新年度の準備が進んでいく中、昨日金曜日は午後から準備登校でした。この準備登校で新しいクラスと担任が発表され、旧クラスから新クラスへ机や椅子などを運び、新入生の教室をキレイに掃除し、新年度に向けての準備をする訳です。
2007.04.07
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昨日は準備登校だったです。私の学校はこの日に新学年のクラス発表があります。その関係で9日が始業式とは思えない忙しさでした。明けて今日はユウヤノドンのサッカーの試合で当番をやってます。まだまだ下手っピなユウヤノドンですが一生懸命頑張ってます。後15分で終わりだなぁ。o(^-^)o
2007.04.07
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3年2組担任、決定で~~~す えへっ……ってぶりっこしてる場合か。それでこそ、私よ。文句があったらかかってきなさい。体育館裏で勝負しようじゃないの。そんなこんなで会議と調整作業、打ち合わせなど諸々の仕事を終え、疲れ果てげっそりして帰宅。慌ててカツヤザウルスをピアノに送っていったら、ピアノの先生から電話。「今日は練習日じゃないよ?」「え?月曜じゃなかったっけ?」「………今日は火曜。」 「………うひゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!やっちまったあぁぁぁぁぁ!」 電話口絶叫あ~~あ、このそそっかしい性格、だれか矯正ギブスをはめてプリーズ。
2007.04.03
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今日から新年度ですね……私は学校お休み取って家にいましたヨ。本日は、校長教頭学年主任などからなる「企画会議」の日で、私のようなヒラの教員はお呼びでない日なんですね。明日から本格的に会議と準備の日々がはじまります。明日3日が職員会議がメインで、終わったら学年会議。4日は丸1日学年会議。この日に新3年生のクラスが確定するでしょう。担任や教室配置、職員分担や差し迫っては年度当初の動きや5月の体育祭、6月の修学旅行あたりが議題でしょうか?5日は学年会の続きと新クラスの準備、事務的なことから新教室の清美などやることはいっぱいです。6日は2・3年生の準備登校。この日に新クラス・新担任の発表がされ、旧クラスから机や椅子を生徒が移動させたりするので、実質学級開きなんだろうけど、私はたぶん汚れても良い服装、教師の正装ジャージだな。(新しい出会いは美しい服装で臨みたかったよ)埼玉は9日が始業式アンド入学式です。ここまでに出来ることをやらなくてはいけない。怒濤の新年度です。クラスを持つとなると自分のクラスの子との良い出会いも仕組まなくてはならない。生徒に何をどう語るかがキーです。去年1年間授業や学校生活で私を知ってはいる子たちだけど、担任となるとまた別。どんなクラスを作りたいかどんな1年間にしたいか、何よりもどういう卒業式を迎えたいか、卒業への意識付けをやりきれることが大切になります。クラスの中のルール作りもしかり。とにかく、最初の1ヶ月、さらに言えば最初の3日間が勝負です。仕事のこともそうだけど、わが子たちの新年度の準備もあわただしいところ。 これはマナタンの保育園で必要なグッズ。4月からちゅうりっぷ組(年少さん)にあがるマナタンは、これまでの巾着袋登園から、肩かけバッグと手提げバッグ登園になります。上履きも履くことになり、ちょっとお姉さん気分です。園グッズはお兄ちゃんたちの時から手作り主義なので、マナタンにもせっせと暇を見てこれらの品を作りました。本人はお気に入りのディズニープリンセス柄に大喜びです。学童を卒所・退室して、家っ子になったお兄ちゃんズにも、明日からは試練の1日お留守番が待ってます。家の鍵の持たせ方、電話への対応、お客への対応、湯沸かしポットの使い方、春休み中の日課表まで、今日は色々仕込みました。とっちらかった男部屋の掃除やランドセル、筆箱の整理。やることいっぱいでした。正直不安で仕方ないんですが、実家の母と近所のご厚意にすがって、何とかやりきるしかありません。お兄ちゃんズは至って気楽なモノですが。年齢よりもしっかりしているという評判のお兄ちゃんズです。どんなに心配しても、どうしようもありません。もしもかっちゃんが生きていたとしても、お兄ちゃんズだけで留守番をする日が来ることは分かっていたんだし。どうにかやっていくしかないですよね。はっはっはーだ。(やけくそ)さらに今日は、税務署にも行って来ました。かっちゃんが亡くなって、JAで入っていた学資保険から養育年金が出て居るんですが、それを申告すると少しばかり還付金が戻ってくるんです。平成17年度と18年度分を申告したんですが、17年度は育休中で収入が無かったので還付金も大きかったけれど、18年度は復帰して男並みに収入があるんですね、私。とたんに還付金の金額は10分の1に。(すごい落差)また、学校だけの収入だと「特別寡婦」に該当するんですが、雑収入としての養育年金も入れるとただの「寡婦」になって、税金が違ってくることを知りました。そういえば、さいたま市の一人親家庭への申請も、収入があるからということで通らなかったんです。保育料も昨年は月1万円だったのに、今年から23500円。(わお。具体的な数字だなあ)収入があること仕事があることはありがたいことですが、私のような一人親家庭には、収入などの控除よりも人的な補助の手だてをサービスしてほしいなあ。ばあや推薦制度とか。(あるかそんなもの)そういえば、庭のチューリップが咲き始めました。今年の春は早いですね。
2007.04.02
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昨日26日が修了式で、実家の母に子供たちを頼んでから納め会に出席して、お別れする先生と酌み交わしているウチに、ついつい適量を超え、今日は二日酔いでス……ゲロゲロゲロ~~でもそんな二日酔い頭でも、会議は待ってくれない。弁当を二つ作ってお兄ちゃんズを学童へ送り、マナタンを保育園に送ってから、出勤です。バファリンを飲んでから、会議の議題は学級編成。お母さん先生仲間のB先生とは学級開きの合い言葉を決めました。「私には若さと美貌はあるけど、時間はないの。」 学級通信のタイトル、「若さと美貌」にしようかな。(←ウソです)あとはまじめに、体育祭に向けてと修学旅行に向けてと合唱祭に向けてと進路に向けてと卒業式に向けての布石を早くから打つことですね。4月の段階で全ての仕込みをやりきれれば、5月からは流れが出来るはず。合唱祭の曲も「親知らず子知らず」か「はじまり」 「信じる」を推すぞ。とにかく健康に気を付けて、自分に出来ることを精一杯やるしかない。わが子が泣かないように、生徒が泣かないように、笑って3月を迎えられるように。もう新しい1年は走り出している。
2007.03.27
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やんちゃでおしゃまのマナタン、3月24日めでたく3歳になりました。いや~~~………やっぱり3歳ってひときわ感慨が深い。この1年で出来ることがとにかく増えてきたので(昼のおむつがほぼとれたとか着替えを自分でやれたりするとか)ちょっと人間らしくなってきたんですよね。一個の人格が出来てきたというか……三つ子の魂百まで、とはよく言ったものです。……つうことは、この性格でこやつは一生やっていくということか……うわお。ともあれ、3歳です。めでたい。この子を妊娠したときはちょうど2年生を担任していた夏で、「ありゃりゃ~~、また産休かあ。…生徒にぼやかれるなあ。でもお兄ちゃんたちが低学年の間、家にいられてラッキー」と思ったのを覚えています。予定日は4月14日。その後ちょっとだけ切迫流産をやったくらいで、無事3月3日に産前休に入りました。ところが、学年末の時期だったから3学期の成績も要録も通知票も結局家で大きなおなかを抱えて家のダイニングテーブルでやっていました。で、それらが全部終わって、学校に提出に行ったのが3月23日午後。職員室でお茶を飲んでいたら、自分のクラスのいじめられタイプの女子が「男子に鞄を廊下に出されて、蹴られた」と泣きついて来るではありませんか!やった男の見当はすぐ付いたので、副担のM先生に指導をお願いしたんですが、(産休に入った者が出張るわけにはいきません)もう頭に来て頭に来て。渡り廊下をドスドスと怒りにまかせて歩いていたら、帰る頃になって下腹に痛みが。お兄ちゃんズを保育園に迎えに行って、家に帰るなり気分が悪くておなかがしびれて、夕飯は適当にその辺のモノで食べさせて、とかっちゃんに頼んで、横になっていました。そしたら、その晩、日付が変わる頃、「パン!」と音がして、破水。いや、あのときは慌てた慌てた。だって、予定日までまだ3週間もあったから、いくら何でも産まれないだろうと思ったのに、3月生まれだと大変だから絶対4月に産むつもりだったのに、あわわわわわ。でも、その1時間後には経験あるあの「ひっひっふー」の痛みが来て、破水から4時間後、マナタンはしっかり産まれてしまったわけです。いや~~、無事産まれてくれて良かった………ホンットーに良かった……かっちゃんには「臨月入ってんのに、仕事なんかしてるからだ!」と叱られ、(なによ~~!血が怖いって3回とも分娩室に入れなかったくせに~~!)かっちゃんから、出産の連絡を受けた私の勤務校の職員室を「えっ?だって、昨日学校来てたよな?!」「あれから帰ってから産んじゃったのか?」と驚きのドツボにたたき落とし、…………まあ、私らしいお笑い色の濃ゆいお産でしたよ。どうせね。そんなわけで、マナタンはすくすく大きくなりありがたいことにめでたく3歳になったわけです。パパと一緒にいたのはわずか1年3ヶ月。もうパパの思い出は何も覚えていないでしょう。ただ、毎晩仏壇の遺影に「おやすみなしゃい、おとうさん」と言うだけの対象。先日、独り言で「おとうしゃんはね~、おやすみしてるの。」とつぶやいているのを聞いてしまいました。う~~ん、確かにお休み中だな。ちょっと長くて、もう会えないってだけの、お休み。でもね、マナタン、人はみんないつかお休みするんだよ。だから、お父さんはちょっと長いお休みにちょっと早く入っちゃったけど、でも、お母さんはいつか必ずもう一度お父さんに会えるって思ってるんだよ。その日までお母さん頑張るから、マナタンも一緒に頑張ろうね。マナタン、お誕生日おめでとう。
2007.03.25
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いじめ、じゃありませんよ、いじる、です。中学生たちはいじられるのが好きです。授業で、日常生活で、いろんな先生と話をして、先生をいじって喜び、逆にいじられて喜び。そうやって、大人の世界をかいま見て、距離感とかつきあい方とかを学んでいくんでしょうね。この1年で、私はここの生徒が心底可愛くなっています。廊下を歩いていても、教室に入っても、「かまって」オーラを出しながら寄ってくる生徒たち。来年度も担当できると良いなあ。担任かどうかはともかくとして。
2007.03.21
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去年の4月に今の中学校に復帰&異動して、「学校図書館教育」を担当しています。で、司書教諭の資格を取るために悪戦苦闘していることも時折ここで触れさせていただいておりましたが、図書室を担当していて一番楽しい仕事が「新刊図書注文」でございます。 これがめんどくさいという向きもいらっしゃるようですが、わたしは全然苦になりません。むしろ、市の予算を使って(ざっと100万円)好きな本を好きなだけ教育に有効な本を買えるんですから、ウハウハでございます。▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼図書館戦争 メディアワークスちょっと変わった子あります 文藝春秋インストール 河出書房TUGUMI 中央公論社博士の愛した数式 新潮社西の魔女が死んだ 小学館陰日向に咲く 幻冬舎タイヨウのうた SDPシムソンズ ポプラ社子供が見えない ポプラ社ユウキ 世界で8番目の戦いに勝った男の物語 ポプラ社夜のピクニック 新潮社銃とチョコレート 講談社温室デイズ 角川書店出口のない海 講談社まる子だった 集英社白夜行 集英社天使の卵 エンジェルス・エッグ 集英社模倣犯 上下 小学館ブレイブストーリー 上下 徳間書店県庁の星 小学館東京タワー~オカンと、ボクと、時々、おトン~ 扶桑社生協の白石さん 扶桑社明日の記憶 光文社親指さがし 幻冬舎Little Selections あなたのための小さな物語第1期 ポプラ社鏡の法則 人生のどんな問題も解決する魔法のルール 総合法令出版憲法九条を世界遺産に 集英社世界の日本人ジョーク集 中央公論新社空想科学読本(新装版)1~4 メディアファクトリー怪異百物語 ポプラ社大全科シリーズ 秋田書店市場占有率 日本経済新聞社井上ひさしの子供に伝える日本国憲法 講談社豪華版BLACK JACK 秋田書店光とともに…ー自閉症児を抱えてー 秋田書店デルトラクエスト 岩崎書店カラー版ナルニア国物語 岩波書店ゲド戦記 岩波書店ディズニーアニメ小説版 偕成社岡田淳ファンタジーの森で 偕成社「守り人」上橋菜穂子の本 偕成社ハリーポッターシリーズ全巻(5冊ずつ) 靜山社勾玉三部作 徳間書店ハウルの動く城シリーズ 徳間書店完訳版/シャーロックホームズ全集 偕成社ダ・ヴィンチ・コード 上・下 角川書店アルジャーノンに花束を 早川書房ロアルド・ダールコレクション 評論社FLASH 理論社クラスの人気者 目指せ!学校占いクイーン 金の星社歌を読む詩集 SMAPとORANGE RANGEで学ぶ詩の世界 金の星社歌を読む詩集 あゆとサザンで学ぶ詩の世界 金の星社図書館版 日本史 恐怖の館 金の星社いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない子どもたちへ 講談社3年B組金八先生シリーズ 高文研水谷修の夜回り先生の本 高文研こどもたちへ 夜回り先生からのメッセージ サンクチュアリ出版夜回り先生 サンクチュアリ出版夜回り先生と夜眠れない子どもたち サンクチュアリ出版夜回り先生こころの授業 日本評論社普及版完本原爆の図 小峰書店ビジュアルブック 語り伝えるヒロシマ・ナガサキ 新日本出版社水滸伝 1~19巻セット 集英社エンカウンターで学級が変わる 中学校編 図書文化出版暮らしの中の知らない化学物質第1期 くもん出版食品の裏側~みんな大好き添加物~ 東洋経済新報社理科年表最新版 丸善市場占有率 丸善くらべてわかる世界地図 大月書店性の絵本 大月書店「知」のビジュアル百科 第4・5期 あすなろ書房光村ライブラリー 中学校編 光村図書ドラッグを知ろう リブリオ出版からだはステキ リブリオ出版基本大百科シリーズ 集英社きらわれものシリーズ リブリオ出版世界のファンタジスタ 汐文社イチロー 魂の言葉 アールズ出版▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲まあ、ごく一部ですが。図書担当には各出版社から分厚いカタログが届くので、それを見て注文するんですが、これだけだと注文が硬直化するので、amazonや新聞のブックレビュー、新刊紹介、生徒や職員からオープンに注文を受け付けて、注文書を作ります。結構時間がかかりますが、何しろ楽しいので。私自身は貸し出しを始めた5月以来、全くと言っていいほど昼休みのない生活を送っていますが、図書室にいるの自体が楽しいので、これもまた良し。(ただ来年、3年担任だと毎日図書室に付けるか………)いかがでしょうか?これならワタシも読みたいなとか、こういうのもあるよとかございましたら、ご一報を。そろそろ来年度の注文を作成始めてますので……(↑他の仕事から逃げてるとも言う)
2007.03.18
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……大変ご無沙汰しております。はい、いつものように寝ておりました。ええ。毎晩。さて、今日はご報告をしたくて夜更かしモードに入りました。今日、埼玉県の各市町村では公立中学校の卒業式が行われていました。私の勤務校ももちろん、だったのですが、今日は年休を頂いて、1年9ヶ月前に亡くなった夫かっちゃんの中学校の卒業式に参列してまいりました。1月にスキー教室の代休を利用して、かっちゃんの勤務校だったJ中学校に挨拶に出向き、卒業式への参列をお願いしてきてありました。厚かましいお願いだとは思ったけれど、以前、ここでこのことを話題にしたときにりうりう姐さんが背中を押してくれていたことが勇気になっていたので。もちろん勤務校の卒業式も在校生の送辞と在校生の群読を指導してきた手前、激しく気にはなるけれど、でも!でもでもでも!!!体育館に入って、生徒席の両脇に広がる保護者席の一番後ろに座りました。真後ろを通って、卒業生入場。それを首をねじ曲げて食い入るように見届けて、続く卒業証書授与では最初っから泣きっぱなしでした。かっちゃんが大事にしていた生徒たち、私が見たのはかっちゃんの亡くなった年だけでした。彼らは当時2年生。…あれから1年9ヶ月。まあ、分かってはいたことですが、なんて大きくなったんでしょう。中には何となくぼんやり顔を覚えている子もいて。この子たちはかっちゃんがかわいがった子たち。かっちゃんがこの子らの卒業まで異動したくないと言っていた子たち。私にとっては、告別式の出棺で号泣しながら合唱で見送ってくれた子たち。 保護者席で私の前に座っていたお母さんが二人、私が座るときに「K先生の……奥さん……ぼそぼそ」とつぶやいているのが耳に入りました。足下には大きな花束。私が来ることは式の終了まで秘密のはず。「?」単なるうわさ話かな?と思っていたら、式の途中。くるりと振り返ったそのお母さん、「K先生の奥様ですよね?」「!?」「来て頂いてありがとうございます。これ(大きな花束を渡して)、こんなところでなんなんですが、保護者一同からです。」「え?え?な、なんで分かったんですか………????」イヤ、たっぷり2・3分は固まりましたね。そのお母さんたちにお礼も言えないまま、本当に固まっていました。両隣に花束の端が触れているのにも気づかずに。 固まりが徐々にほどけていくウチに、卒業生による答辞と合唱が始まりました。賢そうな女子が代表で、答辞を読み上げていく最後。「そして、K先生。k先生にとって私たちは最後の生徒となってしまいました。今もきっと私たちが大好きだったあの笑顔で私たちを見守っていてくれると思います。これからも先生のことを忘れません。」名前が出た途端、泣き出す女子生徒たちがちらほら。 かっちゃんは本当に慕われていたんだな。この子たちはその気持ちを大事にしたままちゃんと乗り越えてくれたんだな。 私がここに来ていることは、どうしてか分からないけどどうも保護者には知られているらしい。なら、知ってる生徒もいるはずだ。だったら、こそこそ隠れてないで最後にきちんと奥さんとして名代を務めてやろうじゃないか。 決心。 卒業生退場。保護者席でただ一人立ち上がって、小さな遺影をおなかの辺りまで持ち上げて、深々と礼をしながら見送りました。 緊張して私と遺影に気づかなかった子もいましたが、何人かははっとした表情で会釈。通り過ぎていきました。 黒っぽいスーツが多い中で、白のアンサンブルの私は多分恐ろしいほど目立ったことでしょう。それを考えると顔から火が出そうだけど、でも、この子たちとここの保護者には、かっちゃんが今日ここに来ていたこと、私がこの学校の想いを受け止めていたことを伝えたかったんです。 あとでPTA会長が来てくれて、お祝いを言ってお礼を伝えました。そのあと職員室で、学年主任が前々日に会長や周囲の保護者に私が来ることを伝えていたことをききました。そしたら、お花を、ということになったらしい。 卒業は子供にも教師にも親にもそれぞれの感慨があるものだけど、私のようなケースもあるんだなあ、なんてしみじみしてしまいました。いろいろな想いはあるけれど、私にとっても今日は一つの節目。かっちゃんの教師としての区切り目を果たしてあげられた、という想いです。卒業おめでとう。そして、たくさんの情をありがとう。素晴らしい卒業式でした。 晴れ晴れと、また涙。泣きすぎて目が痛い……。そして思う。私はやっぱりかっちゃんと結婚してよかったって。かっちゃんがいたから、私は教師として立ち位置を直すことが出来た。かっちゃんがいたから、可愛い我が子と出会えた。かっちゃんがいたから、こんな深い人情と人とのつながりを知ることが出来た。別れはあまりにも突然で早くて残酷だったけれど、それでもあなたと結婚しなければ良かったとはどうしても思えない。こんなふうに思える人と結婚できて、やっぱり良かったんだって。それでいいじゃん!!また明日から仕事頑張るさ!来年度3年担任、ほぼ確定の我が身を嘆きつつ!さ! 私が指導していた中学校の方の在校生送辞(&群読)も大成功だったと、同僚からメールが入ってました。こっちも一安心。
2007.03.15
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先日は出張でさいたま市の盆栽町の辺りに行きました。再来年開かれる国語科の関東兼全国大会(いわゆる関ブロです。関東ブロックの小中学校のそれぞれの教科で先生たちが集まって研究発表をするんですね)の運営委員を引き受けたので、その打ち合わせでした。何人くらいいるんだろう、100人くらいいるのかしらと行ってみたら、たったの40人。(しかもこの日は運動部の県大会と重なっている日だったので出席者は30人を切っていて)しかも運営委員のやることったら、全県で行われる学力問題の作問やその結果の分析、分析を受けての研究授業、大会の準備や後始末、関連する教材研究まで恐ろしいほどの仕事量。(一応聞いてから引き受けたんだけど、まさかこんなに幅もレベルも高いとは) 教頭が話を持ってきて(校長も許可して?)「勉強になるだろう」と気軽に引き受けたけれど周りを見れば 「オレは国語にかけてるんだぜ」 っていうガッツあふれる中堅どころの皆さん。(男が圧倒的に多い)(そして多分教育委員会に入って指導主事とかをやったあと管理職になるんだろうなって、そんな雰囲気の人多数) こんなところに自分がいて良いのか?なんで私をこんなところの推薦した?校長?教頭?(決していけずではないのだけど) 話し合われる検討事項はさっぱり分からず、まぢで帰りたくなりました。今後も会議の場所はさいたま市方面だろうし、多分次は埼玉大学附属中学………げげげげげげげげげげげげげげげげげ。 場違い!私、場違いです!教頭先生! 私は生徒と遊んでればいいだけのヘタレ教師なんだよ~~。4:20に終わるはずの会合が5;10に終わって、それでもまだあれこれと話合いを続けてるような方たちとは熱血の度合いが違うんだよ~~。 ……再来年の関東ブロック大会(兼全国大会)が終わるまで私は使ったことのない脳みそを絞る羽目に陥りそうです。 まあね、もう自分がこういう勉強になる機会を自分から捉えてやっていかないといけない年齢だってのは分かっているんです。教師は新任から5年が勝負。ここで勉強しないと、そのあと成長する機会を失うと法則化の向山洋一先生はおっしゃっていました。でも女の先生はこの時期に結婚出産を迎えるケースが多くここでのスキルアップが中断するんだそうです。その代わり、30代半ばから40代にかけて、育児が一段落した頃にもう一度スキルアップできる人がいて、そこでやらないともう成長は難しいのだとか。仕方ない。38歳なんだから、ここで国語教育の末席を汚して、諸先輩に倣って勉強させて頂くか。勉強して身に付いたことは、絶対子供たちに返っていくんだしな。 ふ。 (鼻息)どっぷり落ち込んだ私は、その帰り道予想通りさいたま市内の渋滞に巻き込まれお迎えの時間がいつもより遅れちまって、ユウヤノドンにむくれられたのでした。 あ~~あ。
2006.11.10
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ちょっとさぼるつもりが、2ヶ月の長期休養となってしまいました。え~~~~っと・・・・すごく元気です。何でブログ書けなかったかというと、う~~ん、まあ仕事を言い訳にすればそれまでなんですが、えっと、つまり寝てたんです。ぶっちゃけ。マナタンやカツヤザウルスやユウヤノドンと一緒に布団に入って、ちょっと絵本を読んで、たまに起きて家事を片付けたり仕事を持ち帰ったりで、ベッドサイドの灯りで本を読み始めるとあら不思議、睡魔さんが……疲れてると言えばまあそれまでなんですが、結構怠慢してた気もして、ちょっと反省です。2ヶ月間でそれなりにいろいろありました。司書教諭のスクーリング終わって、すっかり完全終了した気でいたら8月に出したレポートが3つもやり直しで返ってきたこととか予想どおり2学期制の本校は9月が殺人的に学期末処理とかで忙しかったこととか、義兄が倒れて入院したこととか…………またおいおいご相談したく思います。まずは復帰報告まで。訪問も復活します。またよろしくお願いします!
2006.11.06
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終わりました……燃え尽きて………真っ白にな。 今日はもう仕事で出勤でした。先週のスクーリングを振り返りたいと思います。明星大学司書教諭講習の1日目は、平井歩実助教授による講義でした。司書教諭発令までの歴史と背景、現代の学校図書館が抱える問題点が前半、後半は日本十進法による分類記号と目録作成の演習でした。教員の悪いところで、普段立ち仕事なものだから、座ると眠くなるんですね~~。(職員会議なんて、いい年した大人の寝姿美人鑑賞会です)こらえるのが大変で、睡魔との戦いでした。イエ、講義はとてもためになるし自分にとっても興味深いんですよ。なのに、なぜ、 一瞬の気のゆるみでふっっっっと睡魔が来るのっっっ?? 意志の弱さが憎うございます。2日目は、図書検索の方法について。国立国会図書館の検索システム(NDL-OPACと言います)を使っての検索、地元の図書館のネットを使っての検索方法の違い、などが前半、3日目にかけての後半が図書館の広報を目的としたHP作り。それも、楽天のブログやホームページビルダーを使ってのHP作成ではなく、ホントの、HTML言語でのHP作成の演習でした。これは勉強になりました。ここのブログで若干触れていたおかげで、どうにかこうにか形になりましたが、あれははまりますね。時間があれば、徹底的に凝ったのを作りたくなります。魔性の領域です。来年度あたり、自分の勤務校の図書室のHPを作ってみたくなりました。(ただ、こういうの作ったって自分が異動したあと、更新してくれる人がいないと……)(!!あっ、こういう何でも先読みしすぎて悲観しちゃうの自分の悪いトコ!)初日は、埼玉から野田線、京浜東北線、武蔵野線、中央線、多摩モノレールを乗り継いで朝早くから参加したのですが、その晩と次の晩は調布の妹宅に泊まらせてもらいました。3日間終わって、初日のルートを逆に帰宅するときに「ああ、やっと終わったんだ………」という充足感がじわ~~~っと湧いてきたことが我ながら満足でした。 もともとこの資格は取りたかった……もともと昨年度からとるつもりだった。でも、申し込もうと思っていた矢先の7月に夫が亡くなって……申し込んだのは、8月下旬でした。精神的にはどん底で、これからの自分の人生に何の見通しも立てられなくて。大学への入学手続きは夫の亡くなったあとの膨大な手続きと平行の作業でした。なぜ、それでも入学を決意したか。多分、焦っていたんだと思います。これからの自分が何を出来るか、不安で溜まらなくて、少しでも自分に自信を付けたかったんだと……9月の名古屋行きもそうでした。自分がかっちゃんがいなくても出来ることを探さなくては、っていう強迫観念。立ち止まることで、何もせずに悲しみに身を任せてしまうことできっと自分を失うことが怖かったのでしょう……今?今はもう大丈夫だと思います。4月の仕事復帰で、自分のやれることの見極めが付き、(つまり前のように仕事のために家庭を犠牲にしなくても厚かましく職場ででかい顔が出来、)(図書館という自分の居場所を自分で作り上げちゃったこととか)どうにもならないときはずうずうしく実家に泣きつき、そして、怒濤の1年間をスクーリングで締めくくることが出来たこと。小さなことだけど、ここまで来たことが小さな自信になりました。だから、それでいいんだよと。小さくまとめてしまおうと思います。……残る心配は、スクーリングの最後に設定されていた試験が合格しているかっつうことと提出は終えたレポートが残る8つ、 「合格」印を押されて返ってくるかっつうこと………これはなかなかドキドキです。ちなみに16日、スクーリングを終えて帰宅した翌朝、子供たち(3人)と実家一家(6人)妹とその子供たち(3人)弟の嫁様の両親(2人)、計15名でもって大洗へ一泊で海水浴に行きました………運転手は私と弟。さすがにその晩体が悲鳴を上げ(肩こりと眼精疲労と頭痛と吐き気)、マッサージさんを呼ばせて頂きました。♪も~~、若くはない~~~若くな~~いと~~でも若いつもりでいたい38歳………
2006.08.21
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今日は学校図書館のホームページを作ろうという演習です。HTML形式でHPを作るという、まっこと基本に立ち返った演習で、「ホームページビルダーで本館作ったときにこれでやろうとして夫婦ともども挫折したっけなあ。」なんて懐かしい思い出(苦い思い出?)がよみがえったりして。ちゃんちゃん。さて、3日目のスクーリング、ようやく周りを見渡してみるゆとりができました。「学校図書館の情報アプローチ」がこの3日間の授業名ですが、受講している学生は87名。司書教諭以外にもこの講座をとる学生が多いようです。(学籍番号から察するに)ただ、総じて皆さん若くて(当たり前だ、ほとんどは多分大学生だ)私のような、現場から参加してる人は全体の3分の1くらい?私より年が上そうな人は数えるほどです。明星大学は東京都日野市の多摩丘陵の一角にあり、駅からキャンパスまで丘を登ります。(エスカレーターがついていてオバサンにはラッキー)多摩モノレールの「中央大学・明星大学」駅に着くと学生がどどどっと降りて、ぞろりぞろりとキャンパスへ。「・・学生っていっぱいいるんだなあ・・」そして学食。久々の学食は、若い者向けのボリュームたっぷりなメニューばかりでした。そういえば自分も学生時代はこれくらいたいらげていたんだよ・・と郷愁に浸りつつやはり平らげてしまうぢぶん。ラーメンが300円とか、味噌ラーメンに中華丼がついて380円とか泣かせるお安さ。普段から来たいくらいです。ともあれ、演習は進みます。午後は3時限目から。最後の5時限目は試験です。午後もがんばるぞ。
2006.08.16
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なんてね。今はお昼の休憩中です。今日はスクーリングの2日目、図書検索を中心にコンピューターの演習中です。写真はパソコンの画面と昨日の講義でメモしたレジメですが、昨日の講義は学校図書館を取り巻く現状と日本十進分類法に基づいた分類記号のつけ方やら目録の作成やら・・なんだか久しぶりに頭を使った気がして、終わるころにはきっと真っ白に燃え尽きたジョーみたいになっていることでしょう。(おめえ、いいパンチしてるな。)(うすうす感じてはいたんですが、日本十進分類法(以下NDC)ってなんてめんどくさいんでしょう?司書教諭の資格をすでに持ってる同僚たちが「アレ、もうわかんないよ。」ってさわやかに言い放っていた意味がよくわかりました。)(講義してくださっていた平井歩実教授がコレにこだわってNDCオタクになるとアタマおかしくなりますよ~と仰っていたのに共感)さて、そろそろ午後の演習が始まります。その前に学食でお昼とってこなくっちゃ。そろそろすいた頃合だろう。デハ行ってきま~~す。
2006.08.15
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明日から東京は日野市の明星大学までスクーリングに参加すべく行ってまいります。思えば司書教諭の資格を取りたいなあと漠然と思ったあの日からもう何年が過ぎただろう。昨年夫が亡くなってわずか1ヶ月くらいで講座へのチャレンジを決意してから、早1年。やけくそ? いいじゃん、なんだって。ここまで来たさ。そのことはぢぶん立派さ。私を私が褒めてあげよう。とりあえず10単位分のレポートは先日全部出し終えました~~。ひゃっほ~~~♪あとはこのスクーリングと最後の試験を無事終えて来年の春文科省に資格取得の申請を出して再来年の3月に認可されて……やっと司書教諭の免許が手に入ります。あと一息……もう一息……デハ!3日間のスクーリング、行ってきます!(終わったら翌日から大洗で海水浴だ~~)(遊んでばっかりだな……ホントに……)
2006.08.13
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今日和室にカビが生えた。一面。びっしりと。27・28日と浦安方面で遊び狂い、29日は学童の遠足で朝から夕方まで千葉県は野田の清水公園で遊び狂っていたので、3日間和室を締めっきりにしていたためらしい。5月に畳替えしたばっかりだったから、イ草が湿気てたのかしら?恐ろしいほど生えるもんですねえ…………初めて見ました。あんなの。だって、畳表に霞がかかってるんですよ、ぼんやりと。脳裏をかびるんるんや「かもすぞ」「あっつう」と叫びながら飛び交う菌類が……カツヤザウルス一言。「薬出来るかな?」ペニシリンかい?息子よ、そりゃ無理だろう?せっせと雑巾がけして、窓を全開で開けて部屋全体を風通しよくして………ついでに電話台の下も片づけて、ついでにトイレと洗面所も掃除して、ほっと一息。うううう。おかしな病気になりませんように。(あ。でも明日からまた仕事再開だ。1日留守だよ、どうしよう)
2006.07.30
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仕事に復帰して4ヶ月。夏休みが来たら遊ぶぞ!と決めていた夏が来ました。23日は調布の妹夫婦宅にお泊まりで花火見物に出かけ、先週27日28日はディズニーシーに出かけました。27日、早起きして首都高をぶっ飛ばし、見事開園前に到着。まずはお兄ちゃんズお気に入りのミステリアスアイランドの海底2万マイル。20分待ちくらいで順調に乗れました。(ただ目の前で若いカップルがチューチューやっていて目の毒……)マーメイドラグーンではワールプールとマーメイドラグーンシアター、アラビアンコーストではシンドバッドセブンヴォヤッジとマジックランプシアター、ここでいったんポートディスカバリーに移動。お目当てはレストランホライズンベイのディズニーキャラクターダイニング。ここは食事している席にディズニーのキャラクターが来てくれるんです。 マナタンはここ1年ディズニーキャラクター・フリークになっていてミッキーやミニーが大好き。(ディズニープリンセスはそれより大好きなようですが)写真ではやや固まっていますが、実は食事を注文して席に着くまでの時間が待ちきれずぎゃーぎゃー泣いてわめいて大騒ぎをしていたのです。この後ミッキーのお鼻を触らせてもらえてにっこりご満悦でした。食後は寝てしまったマナタンと別行動。指をくわえて見守る母(←マナ担当)を尻目に、お兄ちゃんたちだけでアクアトピアとストームライダー、ロストリバーデルタに移動してインディジョーンズアドベンチャー、その間に起きたマナタンと今度は一緒に新しいショー、レジェンドオブミシカを鑑賞。これでもかというほどてんこ盛りの派手なショーでした。でも、感動的でしたね……さすがディズニー、一切の手抜きのない豪華な構成でした。ここらでちょっとペースを落として、メディテレーニアンハーバーのフォートレスエクスプロレーションで遊ばせたり、アメリカンウオーターフロントのビックバンドビートを鑑賞したり、(実は見ながら私とユウヤノドンはうとうとしてしまっていた)夕食をニューヨークデリで取ったりしているウチにナイトショー、ブラヴィッシーモの時間。これは何度見ても迫力があってドラマティック。水面から火の精がジワ~~~っと出てくるところなどは何度見てもわくわくします。子どもたちも嬉しくって開いた口がふさがりません。(←用法間違い)今回は夏休みの割には平日だった事もあり、30分待ちくらいが多かったようでした。ファストパスも発券してないところもあったくらい。終わってからもう一度海底2万マイルに乗ってホテルに入りました。(ウチはディズニーリゾートに行く時はほとんど泊を伴います)(埼玉県民のくせに のび太のくせに 生意気だぞう!)今回はシェラトングランデトーキョーベイ。ちょっと張り込んで、オーシャンドリームルームというペンギンやイルカがテーマになった部屋を取りました。翌日はホテルの室内プール ああっ、つい太字になってしまったっ!で遊んで、イクスピアリでお買い物をして帰ってきました。ああ……楽しかった………だって、子どもたちがとにかく嬉しそうなんだもん。この笑顔でまた行くぞって気になっちゃうんですよね。しかし、かっちゃんが亡くなってからの約1年。ストレスがたまると(たまりそうになると?)(それを口実に?)ディズニーリゾートへ行くようになって今回で6回目……かっちゃん抜きのTDRも板に付いてきました。(そのうち1回はふにふにさん一家と落ち合うというこれまた立派な口実が)年間パスポートを買うまでではないけど、………ねえ?馬鹿じゃん?明日からの2週間は研修と出張と補習と図書室の整備などでびっちり勤務です。それが終わったら、明星大学のスクーリングとかいろいろあって、月末には大阪旅行(USJ遊び倒しツアー)。(まだ遊ぶか)この夏は熱いぜ、ベイベー。
2006.07.30
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実は私の勤務校は2学期制を取っている学校です。埼玉県内でも最近ぼちぼち増えてきてる2学期制ですが学期末の成績つけ、事務作業、定期テストが5回から4回に減らせる、とか、学期末の短縮授業が減らせるとか、まあ、いろいろメリットがあって導入されているらしいです。でも、どっちにせよ夏休み前は忙しいです。だって、夏休み前の印刷物はそれなりに多いし、20日は前期前半最終日(要するに終業式に当たる日ですね)なんですが、その前日まで6時間授業だし(よって事務作業は放課後に集中する)家庭訪問や三者面談も夏休み中だし、学習相談という名の補習もめいっぱいあるし、夏休み中に上級学校訪問はあるし、その指導も突貫工事だし……夏休みというとガッコノセンセはお休みなんだと思われている方も多いと思いますがほとんど勤務ですよ。授業がないというだけの毎日です。何かの研修とか出張とかも山盛りだし。(しかしその合間を縫って遊びの計画はばっちりだ)それに2学期制の落とし穴は9月にあるんですよ………前期が終わって後期になるのが10月に入ってすぐ。つまり9月の第3週の期末テストが一つのヤマ。もちろん第2週は夏休みの宿題の点検と期末テスト前の指導に明け暮れ、第4週は採点と成績処理で明け暮れ、第5週は「学期末」の事務作業で明け暮れるんです。10月に入ってほっと一息つく暇もなく、合唱祭の嵐がやってきて……………やっぱ、今年担任しないでよかった………ゴメンナサイ、私には異動したばっかでその嵐を乗り切る自信ないです。そんなわけで日々強気と弱気を繰り返し、どうにか仕事をしています。もう少しで夏休み……頑張るぞ~~(よれよれ)追記 昨日明星大学の司書教諭講座のレポートが返ってきました。まあ一応合格。でも、これ3月に出した1つ目のレポートなんですよ。4ヶ月後……添削遅すぎ。
2006.07.18
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家庭の事情で担任も部活の主顧問もしていない今年度。この4月に復帰してから、エネルギーの傾け先はもっぱら授業と図書室です。で、授業。今年度は中学2年の授業を担当しています。週3時間を5クラス、特別支援学級の授業を週2時間、総合を週2時間、計19時間。いつだったか担任をしながら24時間を実質担当していた時に比べれば夢のような授業時数です。私の授業の長所でもあり欠点でもあるのですが私は生徒を遊ばせるのが好きです。国語なんて道徳に次いで内面をさらけ出す教科なので思春期の中学生とどう人間関係を築きながら授業をするか、私の取った手段は「遊ばせる」だった、それだけなんですが。最近遊んだ手口。教材にエスカレーターの片側利用についての話題があったのでそれについての自分の意見を書かせます。で、自分の意見を友達に読んでもらう。よくある授業ですが、ただ読ませるんじゃ面白くない。私は今回、ノートをクラス中に流れを作って回しました。私が携帯の着メロを鳴らし、音楽が終わったところで自分の机に来たノートを読む。読み終わったら「○田が読みました。」と署名させ、また着メロで回す。昔遊んだ椅子取りゲームと同じ感じですね。誰のノートが来るか分からない期待感といつ着メロが終わるかのドキドキとで、中学生になってもこんな手で楽しそうに活動してくれます。最近のこの暑さで生徒も授業どころではありません。漢字テスト、文法の問題一つとっても取り組ませるだけで大変。そこでご褒美をちらつかせます。「この漢字テスト、班員の平均が80点以上だった班が3分の2を越えたら次の授業は図書室!」図書室は校舎の陰に位置し、冷房もないのにいくらかひんやりしているんです。生徒は必死で漢字を覚えます。もちろんこの漢字は期末テストの範囲です。無駄にはしません。そして見事目標達成、上がる歓声。でも、この図書室行きも実は仕組まれていて、夏休みの読書感想文のためのレクチャーをする授業なんですね。無駄はありません。要はいかにして生徒を手のひらで遊ばせてあげるか。落ち着いた学校だから出来ることではありますが、締め付ける授業とのバランスを取りながら、息抜きをさせることもまた必要だと思います。生徒と遊べるようになったのも、でもここ2か月くらいですね。今の子供たちと4月に出会ってから、堅苦しい授業を経て、この子たちはどこまで「遊び」を許容できるか、「遊び」から戻る潮時をわきまえているかどうかを見極めてからでないと、こんなことはできません。見極める、でもう一つ。私は生徒によくあだ名を付けます。授業中難度も同じ質問をする生徒には「山びこ君」(質問たって「ノート取りますか?」といった程度のものなんだこれが)そういうのが多いと「山びこ君1号」「2号」あまりに多いと「山びこ学級」とクラス単位であだ名を付けます。「これ、成績に入りますか?」とばっかり聞いてくるセコイ男子には「セコビッチ」これをミドルネームにして、「太郎・セコビッチ・山田」のように呼びます。やり方を間違えたら、親から苦情が、教育委員会から指導が来そうな私です。幸いにして今のところ来てません。「愛あるあだ名」って言っても通用するかな?しないかな?(まあそこんところが「見極め」なんだけどね)
2006.07.16
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PCを仕事以外で立ち上げられない日々が続いて、「楽天、更新してない」と気にはなるものの、いたずらに日々は過ぎ……ネタが古いんですが、自分の覚え書きとして一応記録しておかんとす。(なぜ漢文調?)昨年急死した夫かっちゃんぱぱは、7月1日が命日です。今年この日は仕事の疲れで布団に入るなり寝てしまい、夢を見る間もなく朝が来てしまいました。で、7月4日。この日は私たちがかっちゃんの死を知った日でした。私にとっては胸の塞がれる思いの日です。後悔と後悔と後悔と、慟哭の日。いろんなことをぼんやりと思い返しながら寝た、その晩。夢の中で私とかっちゃんは同じ職場にいました。(実際一緒に働いたことはないんですが)「あ~さん、もう一度結婚式をしよう!」驚き戸惑う私を尻目に、かっちゃんは持ち前の計画性でてきぱきと段取りを組んで披露宴の準備を同僚と始めています。周りの先生方も「おめでとう」「よかったね」と言ってくれて。私はどこかでこれが夢だって分かっていて、「かっちゃんどうしたんだろう?もうすぐ死んじゃうって分かってるからこんなことを言い出したのかな?」なってつじつまの合わないことを考えたりしていましたが、時折私を振り返るかっちゃんの顔があんまり幸せそうで、生きていた頃のままの優しい笑顔だったから、私もこの上なく幸福でした。目が覚めて、まつげがちょっとがばがばになっていて(ただの目やに?)自分が夢の中だけじゃなくて実際に泣いていたことに気づきました。なんでこんな夢を見たんだろう、私。といつものように自己分析を始めようとしたのですが、これはもう素直に、かっちゃんが私に見せてくれたご褒美なんだと思うことにしました。だって、1年前の7月4日以来私は物凄く頑張ってきたんだもの。自分で言うのも何だけど、こんなに頑張った経験はないんだもの。夢の中でもう一度結婚式を挙げるくらい、ささやかなご褒美じゃないですか。正直なところ、夫が亡くなった直後は自分にこれから付けられる言葉「未亡人」、に物凄くとまどいがあって私はこれから誰か他の男に依存しないではいられないんじゃないかと要らぬ心配をしたものです。甘えんぼの私が一人で子供たちと生きていけるはずがない、とも思いました。中学校という職場で、惚れっぽくて甘ったれの私が男性教師に立ち混じって突っ張っていけるかという不安もありました。でも、この4月に復帰して、周りの配慮を強引にもぎ取って、どうにかこうにかやっていけるという手応えを感じられたのがこの6月の下旬でした。「私一人でも、子供たちを食わせ、養い、どうにか生きていける。」「これからも大変だけど、私のことだからどうにかなるさ。」結果的には、育休を早めに切り上げて職場に戻ったこともプラスに出来たのですね。手に職を持っていてよかった、仕事を辞めないでいてよかった、これまで歯を食いしばって教職を積み重ねてきてよかった、としみじみ思いました。こんなふうに思えた矢先の、結婚式の夢だったのです。なんとなくかっちゃんが「よく頑張ったね」と言ってくれたような気がして。ねえかっちゃん、もう1年頑張ったら、また結婚式の夢を見せに来てくれる?私それを励みにまた1年頑張るよ。そうやって1年また1年って頑張った先に、また会える日が待ってるんだよね?……そう思っていて良いよね?とことんご都合主義かつ楽天主義の私はこう思うことで自分の心にまとめをしました。淋しいけれど、私はまだまだ踏ん張れる。大丈夫。もうすぐ夏休み。暑いゼ埼玉。
2006.07.14
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ご無沙汰いたしました。先日の日曜日、親戚30数名に集まって頂いて無事かっちゃんぱぱの一周忌および納骨の法要を行いました。ほぼ1年間、かっちゃんぱぱの遺骨は家の仏壇に置かれたままでした。この辺では早ければ告別式のあと、または四十九日、百箇日までに納骨するのが一般的です。お墓がなかったため、またお墓を用意するに当たって物言いがついたため(この物言いについてはほとんど無視していたけれど)理由は表向きいろいろありますが本音ではかっちゃんを少しでも長く家においてあげたかったんです。さみしがりやのかっちゃんだったのに家族の誰にも看取られずに亡くなった、だからこそせめてこうして家にいさせてあげたい。ホントはずっと家にいてほしかった。でも………法要の前の晩、明日に備えて掃除しまくった仏壇の前でかっちゃんと差し向かいで最後に酌み交わしました。「この1年間、常識家のあなたは早くみんなみたいにお墓に入れてくれって言ってたかもしれないね。でも私たち家族にはあなたと別れるための時間が必要だったんだよ。だって、あんなに突然目の前から消えてしまったんだもの。あなたが淋しがり屋だからなんて言い訳をしていたけど淋しくて仕方なかったのは私の方。……1年間、ここにいてくれてありがとね。」ありがとうって言葉がすんなり口から出たことに自分で驚きました。これまで早く逝ったかっちゃんへの恨み言や泣き言ばかりだったのにこんな状況でありがとうが言えるなんて……悲しみのどん底から、這い上がってここまでこられたんだ、と過ぎてきた1年間を思いました。結局時間だけがとんがった悲しみの角を柔らかにしてくれるんですよね。そして、かっちゃんへの思いは何の見返りも求めないままのこれまでにない清らかなものになっています。生きていた頃はあれもして欲しいこれもして欲しいで要求と見返りばかりだったのに。私も清らかになったもんだぜ……と思って床についてその夜更け。久々に夢に出てきたかっちゃん。荷物をまとめて一言。「よそに女が出来た。もう部屋も決めた。俺と別れてくれ。」私ぷっつん。怒鳴ろうとしたところで夢から覚めました。「……たまに出てくればこれかよ。よりによって一周忌の日にこれか?ふざけんな!ばかやろ~~~っ! 」………いや~~、目が覚めてから、むかついたむかついた。@かっちゃんの名誉のために付け加えますが、生前そういうことで喧嘩したことは一度もありません。@友人に話したところ、「そういう夢を見られるだけ旦那のことを好きだってことだよ。」と言われました。 かっちゃんの遺骨が眠る場所です。表には「絆」と彫ってもらいました。かっちゃんが逝った7月1日まであと2日。その日を私はどんな気持ちで迎えるんだろう。
2006.06.29
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先週の木曜日、経験したことのない頭痛が眉間を中心に広がり、血の気が引きました。元々偏頭痛(自己診断)持ちの私、こめかみが痛めばバファリン飲んで治すというのが決まり手だったんだけど今回は眉間、しかも圧すと痛い。「………もしや悪い病気か?」と翌金曜日、中間テストで午後の授業が無いのを良いことに慌てて春日部市郊外に最近出来た秀◎総合病院の脳神経外科を受診しました。問診。名医「……鼻の風邪引いてます?」私「はい、数日前から……」名医「………。念のためCTスキャン受けてみましょうか?納得できるでしょうし。」生まれて初めてのCTスキャン。名医「ここね、空洞があるでしょ?ここに鼻水がたまってて、それが原因の頭痛です。」どひぇ~~~、それってつまり鼻づまりってこと?私ったら鼻づまりで脳神経外科を受診してCTスキャンまで撮ってもらったの????みるみる顔が真っ赤になっていくのが分かりました。誤解の無いように申し開きをしますが、私は本来滅多なことで病院に行くようなタマではありません。風邪引いたって咳止めで対症療法をして治してしまう人です。それがなんで今回受診する気になったかというと1年前にかっちゃんが右半分の顔面の麻痺を訴え脳神経科を受診しても異常が発見できずその10日後に亡くなっているからなのです。(まあ死因は結局はっきりしてないんですが)それ以来私は自分の健康が心配でならなくなることがあり、今回はその不安の波が大きくなってナーバスになってるときだったんですね。だって死ねないじゃないですか。今はもう。欲を言えばあと20年は絶対に生きたいんですよ。マナタンが成人して、就職するまで、なんとしても見届けたい。そのためには健康でありたい。働いて子供たちを守りたい。……大げさだっつうの。ともあれ、鼻水は膿んでるタイプの洟で、眉間まで溜まっていたのだから確かにひどく頭が痛むのにも理由があったのでした。たいしたことないっていえばそれまでですが。そ、それにしても、鼻づまりで、たかが鼻づまりで、CTスキャン………赤っ恥の歴史がまた1ページ………(銀河英雄伝説ナレーション風に)
2006.06.18
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これは何の画像かと言いますと、器械体操の審判ノートです。今をさかのぼること17年前、大卒の初任者で赴任した中学校でだまされて持たされた部活が器械体操でした。部活動担当の体育教師Aが「あ~さん、器械体操部の顧問やれる?」「??どんなことをやる部活ですか?」 「………ラジオ体操をやるようなモンだよ。」 この悪魔と大馬鹿者のやりとりが全ての始まりでした。体育館に行ってみてびっくり。回るは踊るは跳ぶは飛ぶは ………だましたな~~~~っ!? (↑だまされる方が大馬鹿)それ以来17年。専門でもないのに何の因果か異動する先で必ず体操部があり現在に至るまで体操部の末席を汚しています。学生時代ずっと文化部で青春を謳歌していた典型的文化系の私、器械体操なんて出来る訳がありません。周りの顧問はみんな経験者か専門家か体育の先生。何度泣いたことか。それでも「自分で出来ないなら補助と理論と面倒見でカバーだ。」と、その時々に出来ることをやってきました。……で、いつしか大会で審判をやらされるようになりました。体操の審判は中学生の大会レベルなら普通主審と1審2審3審の4人体制で審判をします。でも最近は体操部自体が減ってきてそれに伴って顧問の数も減り審判の資格を持っている先生(つまり専門家)も体操部のない学校に異動になったりもして審判できる先生の数を揃えるのが困難になってきています。結果、私のようにきちんとした審判の資格講習を受けていない人が泣く泣く審判に入る訳です。しかも審判の数は主審と1審の二人だけ。もちろん私は1審の方です。上の写真は審査をするときに使う自分のノートで、普通の大学ノートです。今回は平均台の審判をやったのですがどの種目でもそれぞれの技毎に記入する記号が決まっています。音楽のフェルマータみたいな記号は後方ブリッジ、豚のしっぽみたいな記号の下にアンダーバーがかかれているのは首倒立、大文字のTは開脚倒立、などなど、基本的な記号から何種類も覚え、それぞれの技の難易度で失敗した場合の減点数も決まっているのでそれも覚え………演技が終了してから30秒くらいで点数を出さなくてはなりません。足したり引いたり、10点満点から計算するので国語科の私は目を白黒させてやっています。基本的にはどの技も得点は同じですが、そこは中学生の地区大会、上手に演技できれば9.00とかも出ます。もちろんそれと同じ演技を全日本で行っても4.00くらいだったりするんですが、そこはそれ教育的配慮で、その大会のレベルで審査する訳です。(みんながみんなオリンピック選手になる訳ではないので演技をした達成感を味わわせるのは教育的に必要という訳です)まあもちろん、最低点1.00とかいうのもありますが。器械体操は克服競技だと言われます。陸上のようにより速くより遠くへ、を追求する訳ではなく、球技のように得点を取る技術やチームワークを追求する訳でもない。格闘系のように相手を倒す強さを求めるものでもない。器械体操は新しい技を覚えるときに、ただひたすら自分の中の恐怖と戦う競技です。幅わずか10センチ程度の平均台で、後方ブリッジをすることがいかに怖いか、跳馬に手をついて高く体をとばすことがいかに恐ろしいか、床でバク転をするときに頭から落ちたらどうしようという思いを振り払うために選手たちが最初に乗り越える壁がどれほど大きいことか。だからこそ、顧問としてそれを乗り越える手助けが出来たときは泣くほど嬉しいんです。(ちなみに補助も怖いです。宙返りとかの補助、失敗したらどうしようって内心の恐怖が顔に出ないようにどれだけ突っ張ってるか)(専門家の先生たちはきっとそうでもないのかな?senbeiさん?)そんな私も、現任校では体操部の副顧問として全く部活に出ない日々を過ごしています。大会だけは審判の数あわせに出かけますが………目下の心配は主顧問のI先生(←専門家。通称体操のお姉さん)が異動しないかどうかということ。やっぱり気の弱い私です。
2006.06.16
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金曜の晩から寝まくっていた気がする………日曜の夜になってやっと夜更かしをする気になりました。(明日に備えて寝るというのは今考えにない)週末のうちにどうにかかっちゃんパパの一周忌の手配が終了しました。30人いないだろうと思っていたら、子供も入れて参列者は39人。会場は霊園墓地の事務所を二間借りて、先月胃ガンで胃を切除した義父があまり移動せずに済むよう手配。参列者へのお返しにカタログと、手みやげ用に和菓子。それも家の数だけ手配。霊園墓地でやることにしたから、いろんな手配はずいぶん楽だし安上がりなんだけど、それでもそれなりの金額になります。………お金のことより、あちこちへの気配りがね………疲れるよね。普通一周忌に呼ぶ人って、四十九日に来た人なんだって、この辺では。だからそのときの名簿ではがき出したら、義母から3軒ほど抜けてるっていわれてさあ。四十九日には来てないけどっておもったけど、あとからはがき出しました。義母に言われちゃ出さない訳にも行かないから。そしたら、わざわざ丁重に書留でご仏前と欠席のお詫びとが届いてさあ。なんか余計な気を遣わせてしまったんじゃないかと返って恐縮しちゃって。もちろんお返しは郵送でしなくちゃいけないし。私が。私の方の大叔母も欠席。これには実家の母がかんかん。(ホントによく怒る人だ)大叔母という人は自分の実家(私の実家でもある家)が自分の婚家に対してちょっとでも義理を欠くとぎゃ~ぎゃ~うるさい人なのだが、自分が義理を欠く分にはいっこうに気にしない人。これまでいろいろあっただけに、母はここぞとばかりに文句を言う。(私に)私、「まあまあ。これで今後何か大叔母が言ってきたら、あ~さんのところの一周忌には欠席でしたよね?って言ってやれるネタが出来たと思えばいいジャン。」となだめに回る始末。まあ、この大叔母、かっちゃんの通夜の席でつつつと私に寄ってきて「あ~さん、こういうときはね、香典泥棒が出るからネ、集まった香典、凄い額でしょう?早くどこかに預けた方が良いわよ?」と涙顔で耳打ちして、私を一気に正気に返してくれた女性です。血がつながってるかと思うと、笑えますねえ。(祖父の妹だ)(金に細かい人で………)(その点、私とは血がつながってないかもしれない。私は丼勘定の人だ)25日が一周忌。納骨もする日……。……今日は霊園墓地での打ち合わせの帰り、できあがっているお墓を雨の中見に行ったのですが墓石を見ているウチに堰を切ったように泣けてしまって。なんでこんなに早く私がこんな手配をしなくてはならないのか、なんでこんなに早くこんな墓石を見なくてはならないのか、なんでこんなに早くあなたは私をおいていってしまったのか………まだまだ乗り越えなくてはならない山はあるようです。おばおばさんよりのバトンです。受け取ってからだいぶ時間がたってしまった。冷蔵庫の片隅で良い匂いがしてるかもしれない……あわわ。1.お財布はどんなものを使っていますか? プリマクラッセの「札入れ」!ってかんじのお財布です。 結婚してしばらくした頃から使ってるので多分もう10年くらい愛用中。 皮が良い感じの飴色になってきてマス。 すっかり手になじんでしまって買い換えようと思ったことはないですね…… 2.携帯電話はどんなものを使っていますか? au の WIN(おばおばさんと同じくらいの機種だと思う。) 黄色のボディが気に入っていたんだけど 先日学校に持ってきていたんで担任が没収していた、ある生徒の携帯と 全く同じ機種でちょっとショック。3.使っている携帯ストラップは? テディベアのぬいぐるみとハートモチーフのチェーンのストラップ。 ハートモチーフのストラップの方はかっちゃんが亡くなったあと 解約したクレジットカードのポイントで、子供たちの手提げと一緒に自分にも交換したもの。 子供たちには「パパからのプレゼントだよ。」と言って、あげた。 私もパパからもらったものだと思って使うことにしている。4.手帳は持っていますか? 月の予定が書き込める程度のごく薄いものを持っています。 これに職場の予定と息子たちの小学校の予定と娘の保育園の予定と家の予定を書き込み、 見比べて、そこにレジャーを組み込みます。 レジャーの予定はもちろん赤文字です。 5.バッグはどんなのを使っていますか? 今は友人小野香夏子が先日くれたピンクのトートバッグ。 それに限らず基本的に赤とかピンクとか暖色系のバッグが多い。 または汚れの目立たない黒かな? 育休中は黒の大きなヒップバックがご愛用でした。 おむつやお尻ふき、おやつやジュースなど何でも入る大きさでした。 6.バッグの主な中身は? 携帯電話。手帳。ボールペン。お財布。ハンカチ。ポケットティッシュ。 化粧ポーチ(がらくたばっかり入っているけど) おむつ、お尻ふき。 ガムやラムネ、おしゃぶり昆布に干し梅、のど飴。 かっちゃんの写真。 7.持ち歩いていないとダメというのを3つあげましょう! 1. 財布(免許証から床屋のポイントカードまで私の生命線がほとんど入っている) 2. 携帯電話(でも無ければ無いで結構どうとでもなるかな?) 3. ボールペン(無くても良いんだけど無いと困るって場面が多いですよね?) 8.これをまわす5人は? 強奪してってください。(もっちりけさん風)今週は、月曜日が授業ですが、火・水と体操部の大会で生徒引率と審判要員で出張、木・金が中間テストという予定のため、授業でかすれた喉には福音のような週です。涙のポリープ持ち、喉を労れるときに労らなくては……
2006.06.11
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我が家では毎晩寝る前に家族で揃って仏間に赴きます。んで、お線香を一本ずつ、みんなでパパにお休みなさいを言うのが就寝前のセレモニーです。(最近、マナタンが眠くなってしまって、私が先にベッドに連れて行くため、4人揃うことはちょっと減ってるけど)そんなある日、8時過ぎると眠くてぐずるマナタン、この日も私とマナタンだけ先に仏壇の前にいました。そこで私何気なく、「マナタン、パパどこ?」「いな~い」絶句する母に振り向いてにっこりし、仏壇の中の遺骨を指さし、「ここ~」1日の疲れもぶっ飛ぶショックでした。2歳2ヶ月の娘が1歳3ヶ月の時に亡くなったパパを「パパ」と理解していたこと、そして、もう「いない」ときちんと理解していたこと、さらに、間髪をおかずに遺骨を指さして「ここ」と言ったこと……………うまく言えませんが、もう二度とこの質問を娘にするまいと思いました。こんな残酷な質問はなかったですね。泣いて懺悔です。心から反省です。でも、これからもかっちゃんパパがマナタンをどんなにかわいがっていたかマナタンが生まれたときどんなふうに喜んでいたか、は、語り続けようと思います。「あ~あ、マナタン、あと十年もしたら、パパと一緒のお洗濯にしないで!とかパパ嫌い!とか言うようになっちゃうんだろうなあ。」そんなことを言いながら、ちょっぴり淋しそうにまだ小さいあなたを抱いていたのよ、とかね………今日は月命日。来月の1日であなたが私たちの元から姿を消して1年………話題は変わりますが、おかげさまで無事図書の注文第一陣を終えました。全予算の9割を注文し、残りの1割はまた様子を見て秋頃に追加注文です。学級文庫用の本立ても27クラス分購入したし、委員会の広報班が作った図書館通信第1号も完成しました。図書室に来る生徒もぽつぽつ増えてきたし。のんびりいきますわ。 2年前植えた芍薬が今年ようやく花を咲かせました。添え木をしたけれど、花の重さでうつむきがち。でもいい。美しいから………
2006.05.31
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やっと咲きました。夫の思い出のバラ・チャールストン。この後オレンジの花びらがどんどん深紅になり、次に咲くつぼみが黄色く色づいて何ともにぎやかな花の色合いになっていきます。さて、やっぱり、予想通り、ブログの更新は「週刊」化してきました。週1の更新…………あうあう。パソコンを立ち上げることさえ、夜出来ない……ねむうてねむうてのう……しょぼしょぼ。あ゛あ゛あ゛あ゛~~~あちこちにおじゃましたい、おしゃべりがしたい、自分もあれこれ書き散らしたい……フラストレーションたまるたまる。さて、そんな私ですが、目下のところ授業は順調に平家物語を仕上げ、「扇の的」で群読をやり、それをビデオに撮ったりして生徒たちと盛り上がったり盛り下がったり、「敦盛の最期」では農家のおっさんが武士をやる悲哀をしっとりと語ったりしてるウチに今週は硬筆展の練習に入ります。今私が取り組んでいるのは1年でもっとも楽しい仕事、今年度の図書購入のリスト作りです。これが面倒でだいっ嫌いだという先生もいらっしゃるようですが私はこの地道な作業が大好き!だって、他人の金で、もとい、市の予算で大量の本が買えるんですよ!何を入れたら生徒が食いついてくるか、あれやこれや考えてると楽しくって楽しくって。エクセルで本の値段・数量を打ち込めば今いくら予算を消化したか分かるようにした表を作って出版社の送ってきたカタログとにらめっこしながらウハウハしながら注文票を作っています。私が着任した中学校の図書室は、生徒が利用してません。……でした。なにしろカウンターに個人の貸し出し用カードがあることさえ知らない図書委員がいたくらい。(信じがたい)(嘆かわしい)理由はいくつかあります。図書室が生徒のいるホームルーム棟から遠いこと。行事や部活に忙しくて開館時間に来られないこと。でもでもなによりこれまで貸し出し・利用指導をほとんどやってなかったらしいことが原因だと思うんです。だって、「図書カレンダー」なんてものがあって「開館日」が月に数日決まってる状態だったんですもの。図書室なんて毎日開いてるものじゃないんですかっ?! 怒り狂った私、早速毎日開館してる状態にしました。次はギュウギュウに詰まった書架。まともに廃棄されてない様子の古い蔵書、うずたかく積もったほこり、閲覧しにくい配架………これにもキレた私、目に付いた古い本、生徒が利用しそうにもない本を片っ端から捨てて捨てて、廃棄作業に取りかかっています。で、配架のやり直し。これをやらないと新しい本が入らないじゃないですか。全蔵書の5分の1は捨てたかもしれません。(そのうちきれいな本はゴミにせず学級文庫として再利用決定)そんな訳で開館を始めて1ヶ月弱。現在、1年生を中心に昼の貸出時間は50名ほどの利用客。なかなかのにぎわいです。(2・3年生はやっぱりあまり来ません。多分利用できることを知らないのでしょう。)(そういう習慣もないんだろうなあ……もっと宣伝しなくちゃ)当たり前に図書室が利用されるまでは多分今年度いっぱいはかかるだろうなあ。長いスタンスで物事を見るのは慣れてる私だけど、さすがに……ふっ。本好きの皆様!中学校図書館に「これはお勧め!」って本があったら是非是非情報を!
2006.05.21
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土曜日に義母に母の日の胡蝶蘭の鉢植えを送りました。GW中に義父は胃ガンの宣告を受け胃の全摘出手術を受けています。経過は順調らしいですが、土曜日お見舞いに行ったんです、子供たちを連れて。義母もきっと病院にいるだろうからついでに渡せば1回ですむや、位の考えで選んだ鉢植えなんだけど、義母、涙声で喜んじゃってね………(行き違いになって直接は渡せなかったので、あとで電話で話したんですが)私正直もう今年は母の日のプレゼントはいいやって考えてました。毎年服や小物、花束やアレンジなど実母と義母の両方に欠かさず送っていたけど、今年、実母には手作りのカーネーションプードルをあげて、義母には「めんどくさいな」くらいにしか考えてなかったんです。でも、実母がうるさいし、弟夫婦が義父のお見舞いに行くとかいうし、それじゃ私も行かない訳にはいかないし、母の日の前日に行くのに手ぶらじゃあ様にならないし、仕方なく送った鉢植えだったんだよね。でもさあ、泣いて喜んでるんだよ………「かっちゃんがいなくなったのに、○○ちゃん(←私のこと)が母の日に贈り物をくれるなんて思いもしなかった……嬉しい……」って。私これまで意地張ってたじゃない?かたくなに。私が渋々贈った花を、こんなに喜んでさあ。義父もね、孫たちの顔見て大喜びで幸せそうなんだよね。私なんかのやる、こんな半端な行為がこんなにも嬉しいんだなって考えたらなんだか泣けて来ちゃって。ただただ泣けて来ちゃって。これまで「オール オア ナッシング」で「ナッシング」の方を選ぼうとしていた私なんだけどそれは「オール」を選べないなら、半端なことをするよりは、なんてあほな考えからだったんだよね。かっちゃんが生前あまりにも「オール」なお世話をしていたから私はそれに対して反発していたのかも。反動でナッシングな道を選ぼうとしていたんだ。ちょうど義姉のように、姑と舅には関わらないようにする生き方。(義姉はもういっそ小気味良いほど旦那の実家に不干渉無関心。)でも、私にはそのどっちも出来なかった。かっちゃんほどの優しさを持てず、義姉ほどの割り切りも出来ない、結局いつもの半端な自分に向き合うだけだったんだ。でも。半端なことしかできないけど、でも、それでいいのなら………もう、義母を許す時期が来てるのかもしれない。だって、私がそうしなかったら他の誰にもそれは出来ないんだもの。長いトンネルをようやく抜けられそうです。私なりに夫の実家とどう関わっていくか。私のやり方は、半端。でもそれで良いの…かな?来月はかっちゃんぱぱの一周忌…………
2006.05.14
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(なんかたいそうなお題だなあ。うまくまとまるのかよ、をい)。公立の中学校は私立のエリート校のようにお金持ちでおきれいな子供ばっかりではない。良いのも悪いのも強いのも弱いのもごっちゃまぜだ。良い子ばっかりだったらその中の生徒も教師も楽だけど、そんな社会は将来あり得ない以上、ごった煮の環境で揉まれることは絶対必要だと思う。そうやっていろんなトラブルを乗り越えて強くならなかったら長い人生泳ぎきれっこないじゃないか。私も親なので、最近ふと「うちの子たちも私立の中学校とかに入れた方が良いのかなあ。」なんてふと考えたりしたんだな。自分自身が公立中学校の教師なので現場がどんなか分かっているから。でも、純粋培養した我が子より、泥んこになって足掻いてその中でもまれまくって強くなった我が子の方が絶対かっこいいよな、と思ったのである。そういう強さを持っていて欲しいと思ったのである。(所詮うちの子だから、ネ~~(笑))がんばれよ、うちの子。がんばれよ、ウチのガッコの生徒たち。がんばれよ、日本の中学生。がんばれ、ぢぶん。
2006.05.13
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……また妙なものを………(どうせ私だからさ。いいんだもん。)最初にしなくてもいい言い訳をしますが、私は今年38歳、間違いなくガンダム世代です。(と同時にヤマト世代で999世代ですが)だからファーストガンダムのキャラデザインの安彦良和氏が「機動戦士ガンダム ジ・オリジン」を連載し始めたときもちゃんとチェックし、単行本も買いました。えっへん!(実は私、安彦良和のファン。「虹色のトロツキー」も「ジャンヌ」などもあります。さすがに全作品はありませんが)(安彦氏の画力と物語の構成力は桁違いです。歴史物を書いて、最近更に磨きがかかったみたい)で、当然の成り行きでこの「トニーたけざきのガンダム漫画」にも手が出てしまいまして……まあ簡単に言えば、安彦版のガンダムのパロディなんですが、これがまた安彦氏本人も「どっちが自分の原稿か分からなくなる」と言うほどの激似ぶり。難を言えば女性キャラが今ひとつではありますが、男性キャラとモビルスーツはホントにそっくりだし、コマ割りや書き文字まで似せてるんだから驚きます。学園ネタで赤い優等生シャアとか黒い三年生(留年続きで三十路過ぎ)とか、キシリア様の前でおびえて「ガンダムの『ダム』はふくらはぎのくびれです」と叫んで墓穴を掘るシャアとか、「ぶったね、おやじにもぶたれたことないのに!」とアムロが叫んだ後、ブライトさんに蹴られたりねじられたりして折檻を受けてしまったり、もうめちゃくちゃ。でも大笑い。電車の中で読んだら不審者になれること請け合いのばかばかしさです。(絶対笑うって!)新学期ストレスでへとへとの脳みそには格好のリフレッシュ。ガンダム世代にはお勧めの1冊です。……ふう。息抜き終わり。さて、仕事しよっと。明日の授業は「平家物語」よ。
2006.05.09
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モッコウバラが咲きました。かっちゃんぱぱの大好きな花木。亡くなる前にブログにも写真をアップしてたっけ。私もこのバラが大好きです。まったく手がかからないバラだからです。(伸びすぎた枝を剪定する必要はあるけれど)かっちゃんが亡くなって4週間後、キアシナガバチの大群におそわれたのもその剪定をやっていた最中でした。まあ、おかげで正気に返ったんですけれども……ふ。GWはお出かけにももってこいですが普段庭に全く手をかけられない私にとってはまとめて庭仕事の出来る格好の連休です。外にいても暑からず寒からず蚊もいないし緑は瑞々しいしビバGW!です。 左はギボウシとリシマキアの緑のコントラストに青いわすれな草の花がかわいい。真ん中はセラスチウムの白い花と奥にひっそり咲くクリスマスローズ。もっちりさんに教わって2年前の冬に植えたものが今年初めて咲きました。種って採れるんでしたっけ?もっちりさん?右は玄関前の有様。花はきれいだけど奥の園芸用具が丸見えで見苦しい。そのうち何とかしよう。そのうちな。(いつかな?)他にも3年目にしてようやくつぼみを付けてまもなく咲きそうなシャクヤクや。昨年かっちゃんが亡くなった後神代植物園で買い直したチャールストンというバラもまもなく咲きそう。チャールストンはこの家に来て初めて買ったバラで思い出の品種なんだけど管理下手で昨年の春に枯らしていたんです。「買い直そうか?」とかっちゃんも言っていた思い出のバラ。黄色からオレンジ、赤へと色がどんどん変わっていく品種です。早く咲かないかな?今度は大事にして枯らさないようにするからね。緑の指だったらいいんだけど、バラに関してはどうやら炎の指かもしれないなあ。
2006.05.07
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4月に入ってしばらくした頃。「アンタ、お姑さんを怒鳴りつけたの?」実家の母が尋ねる。 「は?」 全く身に覚えがない。義母、前の晩に私の実家に電話してきて、私(あ~さんままだ)が自分(義母だ)のことを怒っている、怒鳴りつけられたのだが何で怒ってるか見当が付かない、聞いてみてはくれないだろうか?………と。なんですかそれは?その数日前に「元気でやってる~?」と電話はかかってきた記憶はあるけど、いつものようにアイスエイジな冷たい応対をしただけで感情もあらわに怒鳴った記憶なんてない。はて?「アンタ、かわいそうだから電話してやりなさいよ。」「やだよ。」またいつもの母と娘の不毛な会話に突入しつつも、一応考え直し、「仕方ない、義兄から誤解を解いておいてもらえばいいか」と義兄の携帯に電話。何度かけても出ないので、自宅にかけたら義姉が電話に出た。義姉に義母の誤解のことを話すと 「ほっとけばいいのよ!どうせもう忘れてるから!」 (豪快に爆笑)………そうだろうな~~。これまでの発言をいろいろ考えてもきっと私の実家に電話かけたことも忘れてるだろうな。……いいよな。私みたいに小さいことも忘れられなくていつもグジグジ悩んでるなんてことないんだろうな。とか卑屈になっていたら、更に数日後、義母からまたも「元気してる?」電話が。……やっぱり忘れてるみたいでした。私たち家族の様子だけ聞いたら1分くらいで終了。(私がまた「ハイ」「ええ」くらいしか言わないものだから話題が全く弾まないのにも電話が短い原因がある)私が怒っている、と気が付いたのはえらいよ。義母さん。でも、昨日今日怒ったんじゃないよ、かっちゃんが亡くなってからずっとわだかまってるんだよ。怒鳴ったりなんかしませんよ、静かにじとっと怒ってるんだよ、あなたの前で感情を爆発させたりもしませんよ、心の内をさらけ出す相手は誰でもいいって訳じゃないの、分かる?義父は今年に入って2回目の入院中です。すでにもう1ヶ月。多分これからこんなふうに入退院を繰り返すのでしょう。かっちゃんの実家は義母一人だけ。淋しいんでしょうね。一人でいると悪いことばかり考えてしまうんでしょう……。それは分かるけど、何かのドラマを頭の中で作り上げて私を勝手に出さないでください。その後始末をするのはいやですからね。私はあなた達の生活に目も耳もふさいでいくと決めたんです。それが私の意地なんです。それに何で実家に電話するんですか?私が怒ってることを気にしてるなら自分で自分の始末をすればいいでしょうが!(チョクで聞け!と言いたい訳だ、私は)………分かってます。それが出来るくらいならかっちゃんが福島に看護に行くようなことにはなりませんでしたヨネ。……それにしても、義母、大丈夫かなあ。まじめに認知症の心配をした方がいいんじゃないかなあ。義兄は「忘れっぽいだけだから」って気にしてないふうだけど、でも……だああああっ!………………だから!こういう心配なんか絶対にしないからね!義母の忘れてるネタの例。1.かっちゃんのお墓のこと。あれほど方角がどう墓相がどうとか言っていたのに6月の一周忌が近づいている現在全く何も言ってこない。拍子抜け。喧嘩覚悟で昨年のウチに契約し、もう建立済みだというのに。(そのことを話題にしない私も私だが)2.一周忌のこと。一番肝心なことなのだろうけど(義母はとても信心深い)これにも一切何も言ってこない。私に任せきりという姿勢は葬儀の頃から一貫している。よほど信頼しているのか、私の物腰がきついから怖がっているのか。この分では「お客さん」としてのポジションで参列か?まあ、あれこれ言われるよりはいいのだろうけど。(お釣り来るくらい実家の母がうるさいしナ)かっちゃんがいたら、こういう私をなじっただろうな……根暗
2006.05.01
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復帰して、夫のことを知っている人たちに出会う。狭い社会が教師の世界。当たり前だけど夫のことを思ったより多くの人が知っていた。私と出会う前の臨採時代のかっちゃんぱぱを知っていた人がいた。私の知らない、でも懐かしさを覚えるかっちゃんぱぱの若い頃の話。かっちゃんぱぱが副担任をしていたクラスの担任の先生もいた。「引率で行った修学旅行でおいしい漬物屋を教えてもらったのよ、かっちゃんぱぱ先生に。」私「あ、それ、私がかっちゃんぱぱに教えたお店ですよ、おみやげにしこたま買って来てって。」「どうりでクール宅急便で買い込んでると思った。(笑)」懐かしい昔話。まるで今あの人が生きているかのように。誰もが「いい人だった」というかっちゃんぱぱ。私から見ても教師らしい教師だった。暖かくてまっすぐで弱い立場の人の目線で物事を見られる人だった。私は学校で悩んでることは何でもかっちゃんぱぱに相談していた。生徒指導のこと、クラスのこと、同僚のこと。かっちゃんぱぱはいいことはいい、悪いことは悪いときちんと意見した上でちゃんと私を励ましてくれた。かっちゃんにとっては家に帰っても年を喰った生徒が一人いるようなものだったかもしれないな。家で安らげてた?かっちゃん?復帰して、私が決めてること。職場の敷地内では泣かないこと。実は一番泣きそうになるのが集会などで生徒が並んでいる体育館なのだ。1000人近い生徒が並んでいる体育館。周囲の壁に沿うようにして居並ぶ職員。「かっちゃんのいるはずだった空間」が人いきれと共に迫ってくる。「かっちゃんはココにいるべきだったのに。」「K先生が亡くなられました。」夫の学校で急遽開かれた全校集会。突然の訃報に起こる悲鳴、泣き声、過呼吸を起こして倒れる生徒。職員に後から聞いたそのときの様子が、集会をしている今目の前の生徒たちに重なって気が遠くなる。涙があふれそうになって、慌てて上を向いて他のことを考える。時間がたてば、きっとこういう錯覚も少なくなり、今の場所を自分の居場所としてとらえられるようになるのだろう。夫の勤務校と自分の勤務校が重なるのはまだ「自分の学校」という意識が少ないからだ。涙は一人の時にだけ。そう決めたんだから。それは貫く。でも、私のとって心の師だったかっちゃん。あなたを失っての復帰は、やっぱりとても心細いです…。
2006.04.30
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すっかりご無沙汰してしまいました。えっと………約2週間?いやあ~~。言い訳していいですか?毎晩、寝てたんです。はい。子供と一緒に9時半には。だって、眠いんですもの、もう、それはもうとっても。職場を出るのがだいたい5時前後、保育園まで15分、マナタンを引き取って、次は学童まで5分、お兄ちゃんたちがまたすぐに帰れる状況ではなく(一人は学童の本を読みふけり一人は校庭で泥だらけ、声をかけてもすぐには帰宅モードになれない)家に着くのはだいたい5:45から6:00。家にはいるとカツヤザウルスとユウヤノドンが交代で風呂掃除と雨戸締め、その間に私は夕飯の準備と子供たち3人の荷物の始末、入浴、風呂上がりの休憩、洗濯、夕食、片づけ、洗濯物の始末、となんだかんだやってると気が付いたら寝る時間。我が家はだいたい9時過ぎには布団に入るようにしていますが仕事に私が戻ってからと言うものそれさえちょっとずつ遅くなってるような気がします。で、子供たちの寝息を聞きながら、私も失神し、気が付くと朝が来てるんですよ。「…ああ。またブログの更新が出来なかった…」どっと落ち込むまもなく、怒濤の朝がやってくる………この繰り返しでした。予想できたことでしたけど、やっぱりこうなりましたね……まさか仕事中の空き時間に更新する訳にも行かないし、(やろうかと魔が差したことはあったけど、よく考えたらそんなゆとりはなかった)夜は寝とかないと翌日仕事でポカをやりそうだし、 (寝てたってポカはやってるが)第一起きてられません。つか、布団に入ったらもう出られませんて。疲労は日々利率の高いバブル期の預金のように加速度を付けて蓄積、復帰してすぐの頃は こりゃ一体どうなるだ?おいらの体?と思ったけれど、夜寝てる分、朝は結構しっかり起きられて、仕事も生活も緊張してるせいか体調も悪くないです。という訳で元気です。生徒を楽しくからかってかわいがって、授業の展開に悩みながらも、どうにかやっています。私は私のままです。
2006.04.30
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仕事に戻って何が嬉しいってやっぱり週末。かっちゃんパパが「休みの次の日は休みという法律を作るべきだ。」と言っていたのがよく分かる。(こういうことを公務員が言うか。)さて、週末の過ごし方。土曜日。疲れのたまった体と脳みそのために朝寝を決め込みたい母なのに、なぜ子供は休みの日に早く起きるのでしょう?3人の大騒ぎに起こされる形でいつも通り起床。でも、平日は前夜にやってしまう洗濯をのんびり朝やり、朝食後布団やバスマットやトイレマットも洗って干す。家中に掃除機をかけ、ついでに雑巾がけ、1週間ほっといたトイレも2カ所掃除しておや?と思うともう11時。お兄ちゃんたちは友達と泥遊び。マナタンを連れて近所を散歩、帰宅後昼食。メニューはタケノコ入りのチャーハン。(←子供たちには不評だった)午後は学童の保護者会、同時並行でお兄ちゃんたちのスイミング。保護者会を抜けて、バス停留場所に送っていく。終わってから、ちょっと買い物。壊れた腕時計を交換に行ったり細々とした雑用をする。夕方になり、のんびり夕食の支度をして、……洗濯してから就寝。日曜日は外でユウヤノドンのサッカーにつきあい、いつの間にかスポ根。ボールを一緒に追いかけるマナタンが危険。カツヤザウルスは家の中で読書。偉いなあと思ったら「ポケモンゲーム攻略本」だった………マナタンの靴と保育園で使う昼寝布団を入れるバックを作るために生地を買いに行きながらカレーハウスで昼食。午後はマナタンと一緒についうとうとし、夕方はバッグをミシンで作っていました。ああ。貴重な時間だなあ。前任校ではこれらのどこかに部活が入って半日学校だった。部活がないだけで、このゆとり。ただ生活をしているだけなんですが、そんな何気ない生活が幸せなんだと思うこのごろ。かっちゃん、子供をくれてありがとね………
2006.04.17
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母である私の、4月から中学校の現場復帰に伴い、小3のカツヤザウルスと小2のユウヤノドンは学童に、2歳になったばかりのマナタンは保育園に、それぞれ新しい生活を踏み出しました。まずはちびのマナタンから。現在慣らし保育中。9時から12時過ぎくらいで保育園から帰ってきます。送り迎えは実家の母。今日10日が始業式なので、今朝は兄たちが通学班で登校した後、実家に連れて行かれました。私はその後出勤です。13日からは慣らし保育を終えて、早朝保育と延長保育を組み合わせて私が送迎をします。そんなマナタンは、保育園に預けられるときは今生の別れのようにおいおいと泣きますが、すぐにけろっと泣きやみ、おもちゃに向かって走っていくそうです。給食も気まぐれに食べるので、早速保母さんに叱られたそうな。兄たちよりも気が強いだけのことはある。そんな訳で、彼女は全然心配いらないようです。私が帰ってきてからはべったり甘えていますが。(笑)次男ユウヤノドン。春休み中学童通学が始まるやいなや一輪車に夢中になり、必死で練習しています。飽きっぽい彼がいつまで集中できるか、励ましながら様子を見ています。学童の指導員さんたちは子供たちが飽きないよういろいろな遊びを仕掛けてくれるので家にいるより楽しいみたい。二人そろって弁当を持って意気揚々と出かけていきます。さて、長男カツヤザウルス。表面上はユウヤノドンと同じ。明るくて元気でお調子者で本が大好き……でも先日とても哀しいことがありました。数日前の晩、恒例の寝る前の仏壇への挨拶(家族そろってお線香を上げ、「パパお休みなさい。」と言う)をした後、カツヤザウルスがぼそっと一言。「パパ、いつ福島から帰ってくるのかなあ。」……固まりましたね。その場では問いただすことが出来ず、翌日勇気を出して言葉の意味を聞きました。そしたら、この子はいつかパパが帰ってくると本気で思っていたのですよ。亡くなった直後、「パパは天国から僕たちを見てるんだよね。」なんて妙に綺麗事を言い、それからもパパは天国説を何度か唱えていたカツヤザウルス。普段は聞き分けが良すぎて、小2の精神年齢ではないと担任に言われていたカツヤザウルス。明るくて、優しくて、おちゃらけで、弟や妹の面倒を見てくれて、だから私はつい、父親の死を彼は乗り越えているのだと思いこみそうになっていた。でも違ったんですね。マナタンは父親の思い出を持たないままだろう。ユウヤノドンはひょうひょうと割り切ることを知っている子だ。でもカツヤザウルスは、かっちゃんぱぱの秘蔵っ子だった。兄弟のだれよりもパパとの思い出を覚えている子。でも、パパはもう帰ってこないんだよ、って、彼の思いこみを修正することは出来ませんでした。いつかカツヤザウルスは自然に気が付く。パパがもう帰ってこないことに。分かっていて認めたくなかった事実と向き合う日が彼には必ず来る。そのときにこの子は本気で泣くだろう。私はカツヤザウルスが本気で泣いたときに受け止めてあげるしかできない。今のこの子がパパが帰ってくると信じていることで心の平衡を保っているのならあえてそれをねじ曲げることは出来ないじゃないですか。カツヤザウルスが、珍しく泣きながらパパがいつか帰ってくると信じてる、とつぶやいたときこの子にはこの思いが、支えが必要なんだと思ったのよ。だから、抱きながら「そうだね、いつか会える日が来るかもね。今だってきっとカツヤザウルスのことを見てるよ。あなたやお母さんからは見えないだけで、近くにいるんだよ。でも、カツヤザウルスが淋しくて泣きたいときにはお母さんも一緒にいてあげるから、いつでも泣いて良いんだよ。」何だかな………一緒に泣きながらそんなことしか言えなかった。パパはもう帰ってこないんだよ、と死の意味を伝えるべきだったのでしょうか?前途多難だ。私だけでこの子たちを育てていけるんだろうかね。
2006.04.10
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さ~~~いよいよ来てしまいました。明日から新しい職場に異動しての復帰です。11年いたT中学校にお別れして、明日からはK中学校の教諭。育休ぼけの自分に9クラス平行の大規模校の仕事が勤まるか?不安だけど、もう踏み出すしかない。ないったらない。考えてみたら、前任校11年間のウチ、産休育休でいなかった年が5年。異動してきた年1年が3年生の副担で、残りの5年間はずっと担任していた…………なんてタフなんだ私。育児真っ最中のお母さん先生が担任させてもらえる(担任させられる?)恵まれた職場だったということだろうな。教科の授業時数の関係や担任の男女のバランスなどで担任したくても出来ない先生もいる。担任したくないのにやむなく立ち上がる先生もいる。担任だけはやらせられない、と話さえ来ない先生もいる。本人が担任したくても、やめとけ、と遠回しに外される先生もいる。(↑新任4年目の頃の私)実に様々な中学校担任事情。私の今年はどうだろう?部活正顧問は泣いてでも断るつもりなので(特に運動部。土日出勤が強要される部活!)(休日は家庭にいたいよ、今は)担任の話まで断るのは大人げないだろう。でも、元々そんなに力量のない自分、周りの先生たちに助けてもらってばかりの自分。まして今は育休でぼけぼけだ。よぼよぼだ。こんな状態で担任なんかしたら生徒がかわいそうだ。(話が来た訳ではない、まだ)(来るかどうかも怪しいし)(…多分来ないよ)きっと保護者は我が子の担任がどんな人かじっと観察してるんだろうな。期待と不安を込めて。今の私と同じ。4月新年度。親だって子供だって、そして、教師だって。みんな期待と不安でいっぱいなんだよね。だから、気力と体力を振り絞って、少しでも良い出会いが出来るように頑張る。良い出会いが出来るんだって信じる。私の4月はいつもそんな風だ。悲しくったって、夫のことなんか何?って顔して頑張ってやる。生徒への自己紹介では「子供3人と猫一匹、永遠に愛する夫が一人」って言ってやる。(嘘は付いてないのよ、自分の中では)明日着任式。久しぶりに化粧して、出動だ~~~~い! 追記:気合いを入れるあまり、3/31、生まれて初めてピアスホールを開けてしまいました。せっかくだから、異動のたびに1個ずつ開けて、退職する頃に何個になってるか自分の体に刻みましょうか。(←こいつホントに大馬鹿)
2006.04.02
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なんて攻撃的なタイトル。(冷や汗・脂汗)「あんた、義父母さんとこに復帰前に顔くらい出してきなさいよ、忙しくなるからもうあんまり顔出せなくなりますがすみませんって。」母がまた言い出す。身内故の甘えで私も言い返す。「やだよ。」母はあんなにかっちゃんのことで義母のことを怒っていたのに冬に義父母の様子を私から聞いて以来ひどく同情している。そして、私にあっちに顔を出せ出せとうるさいのだ。母は鉄火だが、器用だ。だから、嫌いな相手ともいやな相手とも軽蔑してる相手ともそつなくつきあうすべを持っている。そして、後で悪口を言う。私は不器用だ。本気で誰かを嫌いになったら上手になんてつきあえない。だから「本気で嫌う」「本気で憎む」相手を作らないようにしている。社会をわたっていく上で十年以上かけてやっとこの境地に達した。そつなくつきあっていくには、私はこうするしかなかった。そして、表面上うまくつきあい後で悪口を言う母に物凄く反発した。思春期は、この母とのぶつかり合いだったと言ってもいい。なまじ鉄火なところが似てるから母のそういうところが許せなかった。でも同時に、そういう母にどこかで甘えていて自立できない自分がいやだった。そんなわけで私の反抗期は十代に入るやいなや始まり、結婚して母親から離れた20代半ばまで続いたのである。母を嫌いな訳ではない。念のため。ただ、ホラ、身内だと、どうしても点が辛くなるじゃないですか?母を好きだという気持ちといつも二律背反だったんですよ。今?今は、「別人格」としてお互い大人として尊重してると思います。親は親だし、母には一生かなわないと分かりましたので。ただ、義父母にいろいろ優しくしろ、と言われるのはちょっと困るのだ。私の中ではかっちゃんが一人で亡くなったことや葬儀前後のいろいろな発言で、まだ義母に対してわだかまりが消えていない。だから、会ってもどうしても他人行儀に冷たくしか接することができないのだ。できたらもう私たちの生活に一切関わりを持って欲しくない、とさえ思うことがある。義父母はいい人間なのだ。これは間違いない。かっちゃんという息子を育てた心優しい人たちである。信心深く、善良で、…………そして、いっちゃ悪いが世話が焼ける。私はその「世話」の部分を焼きたくないのだ。何かの世話をすることを「犠牲」としか考えられない時点ですでに私は義父母と一線を引いている。私たち家族はかっちゃんぱぱを失った。もう充分犠牲を払ったでしょう?世話を焼きたくない、すなわちあちらにも私たちの世話など気にかけて頂かなくて結構!が本音なのだ。いい子ぶって、義父母に優しくするなんて、そんな真似はできない。心からの笑顔を向けられない以上、そんな作り笑顔を見せるなんて偽善はしたくないのだ。つまらない意地である。くだらない意地である。分かっている。でも、義父母に対して意地を張ることで私はどこか自分のバランスを保っている。おかしな理屈だが、義父母に対して良い子ぶる態度をとり続けたら私はストレスでおかしくなるだろう。(ストレスへの耐性がとても低い私なので)年始とお盆に子供たちを連れて顔を出す。それが精一杯なのだ、今はまだ。義父母の状況に同情してない訳じゃない。体の弱った年寄りに優しくできない自分がいけないのも分かってる。でも、義母の「かわいそうに」って言葉が私に向けられるのはだけは我慢できない。私はかわいそうじゃない!子供たちとこれから生きて行かなくちゃいけない私に必要な言葉はかわいそうなんていう言葉じゃない!私をそういう目で見る義父母とは今は関わりたくないって言ってるんだよ、お母さん。分かってよ。今日もこの話題になり、あれこれと言い返していたら、母、ため息と共に一言。「あんたをこんな冷たい娘に育てたつもりはなかったんだけどねえ。」うっ。言われてしまった。返す言葉もございません。
2006.03.30
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ばあやが欲しい。と、実家の母に言ったら叱られた。どういう経緯かというと。4月から自分が復帰するに当たって、小3になる長男と小2になる次男を小学校内に併設の放課後児童クラブに入れ、2歳になった長女をその近所の保育園に入れることにした。勤務地は保育園から車で20分程度。来年度はどうにかなるだろう。とにかく職場を5時半から6時に出れば保育園と小学校を回っても帰宅は6時半までにはできる。でも、再来年はどうしよう。子供たちの学童は小3まで。再来年は長男が小4だからもうお願いできない。次男だけ預けるよりは、二人そろって家に帰っていてもらった方が帰路が安心。でも、家に帰ってから……は?3時前後の帰宅後私が帰るまでの約3時間半、お兄ちゃんたちは2人でお留守番をするのだ。これが不安で(物騒だから、最近)どうしたものだろうと思い悩んで、ふとひらめいた。「そうだ、夕方のその時間だけ誰かに来てもらえば良いんじゃないか?」近所でもシルバー人材派遣でも、夕方の時間帯に都合着く人、できれば、私の一番好きな年代60代くらいの元気で明るいおばあちゃん。子供が好きで、破けた靴下を繕ってくれたり、(←ソレチガウダロウ?)おやつにお芋をふかしてくれたりしてくれる人。(←ソレモチガウダロウ)ばあやですよね。つまりは。あのオスカル様にもいた。あの方。言葉は悪いが、需要と供給である。「私」という需要があって、「時間があるから働いて役に立ちたい。お小遣いも欲しい。」という供給があればそこにお金がやりとりされて、経済が動く。(←大げさ)で、先日半年ぶりに美容院に行ったときに世間話でそういう人いませんかねえと話していたら、美容師さん、さすがに顔広く、心当たりがある、と。そこで、その方が来たら私に紹介してくれないか、という話になったんだよ。と、実家の母に話したら、叱られたのである。曰く「子供の下校に合わせて、おまえのウチに様子を見に来るくらいばあちゃんにもできるわい」である。そうは言うけど、気持ちはありがたいけど、でもほとんど毎日ですよ?月・水は習い事があるから帰ってきてすぐに二人そろって出かけてしまうから良いとしても、火・木・金とずっと毎回やってくれなんてそんな図々しいこと母に言えない。こういうことを身内に甘えるとずるずるになるのが目に見えてるんですよね。他人の方が、きちんとお礼をお支払いする方が、ずっときちんとした関係でいられる。だから、ばあやが欲しい。と思ったんですが………考えすぎでしょうか?小4と小3なら家で2人でどうにかなるものでしょうか?鍵っ子だった幼なじみは「俺は低学年からそうしてきたぞ」と言っていましたが。心配のしすぎなんでしょうか?はて。まあ、もっとも、再来年度の話ですけどね。鬼も笑い過ぎちゃうような。
2006.03.26
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昨日24日はマナタンの2回目のお誕生日。今回のバースデーケーキはアンパンマン。一目見たマナタンは「わ~~~~…おいちそね~~」と一声。ろうそくを2本灯す前に待ちきれず手を出して生クリームがべったり。右側の写真は手に付いた生クリームをなめなめしてる現場です。 仏壇にも一つお供えしてから「頂きま~~す」カツヤザウルスやユウヤノドンの時は手作りでケーキを作っていましたがここ数年はおいしいケーキ屋さんでキャラクターのケーキを作って頂いてます。誕生日のプレゼントは私とパパから、「キキとララのおうち」。持ち運びの出来るバッグになるタイプで、先日槻の森フリマにて500円でゲットしてきたもの。お古でも十分楽しそうに遊べます。実家の弟夫婦からままごとのティーセットとフライパンセット。(↑こっちの方がはるかに高価)せっせと紅茶を入れて「どうじょ」と渡してくれます。色も彼女が大好きなピンク。2歳を目の前にして最近トイレトレーニングを始める兆しが見え始めました。先日、そろそろお風呂だから1枚重ねでいいや、と高をくくって布おむつをあてておいたところ、(尿量が増えてきて2枚重ねにしないと漏れることがある)「おちっこ、でてましゅ~~」え?見ると足元に見事な水溜まりが。ありゃりゃ~~~。やっぱり1枚じゃだめかいな。ウンチも気持ち悪いとたまに教えてくれます。でもトレーニングはやりません。出る前に教えてくれる訳じゃないし、トイレの便器がまだ怖いようで試しに座らせようとしたら、絶叫されてやめました。それに、10日後には保育園入園。今プレッシャーをかけたってそれ以上のプレッシャーがかかる4月、あまりにも過重なことはしたくない。(………保母さんに全面的にお願いしようなんて魂胆ではない!ないったらない!多分………ないと思う……けど、どうだろう?)マナタンへのプレッシャーというよりはトイレトレーニングをするにあたっての自分へのプレッシャーを避けようとしてるんでしょうねえ。やっぱり。それでなくても、2年ぶりの現場でドキがムネムネしてるんだから、自分にだって過重なプレッシャーはかけたくない。デス。そのうち、おむつは取れる。上の2人でそれは証明済みだ。のんびりかまえましょう。わっはっは。ともかくマナタンお誕生日おめでとう。
2006.03.25
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今年もお庭に春が来ました。少し前から福寿草が咲いて、いよいよだなと思って秋に植え付けたチューリップなどの鉢植えを暖かい南側から北向きのアプローチ側に移動させていたのですが、強風がやんだ今日、お庭でこれらの花を見つけました。水仙もハナニラもクロッカスも手のかからない植えっぱなしでも良い球根ですがこれらが咲くと順々にチューリップの気の早い娘たちが咲き始め、4月から5月にかけてチューリップを中心に花が咲き乱れる季節が来ます。かっちゃんは私がチューリップの球根を毎年買い足しては初冬に植え付けるのを「良くやるなあ……」という目で見ていました。寒がりのかっちゃんは出てきて手伝うということはしませんでしたが、(車の手入れならどんなに寒くてもやるくせに)花が咲くと大好きなカメラでどんどん嬉しそうに撮影してくれました。「きれいだね」って褒めてくれながら。(←私の容姿に対してではもちろんない)休みの日の園芸店巡りも良くつきあってくれました。亡くなるちょっと前に、咲き終わったチューリップの球根を掘り上げているのを、やっぱり「良くやるなあ」と見ていましたね。10月頃、ぼんやりしびれた頭で、その球根を植え付けたのを思い出します。(やらずにいられない性分がにくい)「来年、これが咲いても写真を撮ってくれる人はいないのに。」そんなことをぼんやり考えながらの植え付けでした。鉢の土に球根を入れながら涙が出てきたことも。季節が変わっていく。当たり前のことだけど、それがいちいちこんなに悲しいことだとは思いませんでした。8月の終わりに洗濯物を取り込みながら、ふと涼しくなった風に秋を感じたとき、かっちゃんの逝った夏が終わるのだと思って泣いたこと。11月クリスマスの電飾を止めようと思ったときも、雪が降ったときも、風が吹いたときも、秋の彼岸にかっちゃんの大好きなおはぎを作ったときも、出されることのない冬物のトレーナーをタンスの奥に見つけたときも、……今日のように春の花が咲いたときも。あなたのいない季節の思い出を重ねていく、これからの長い年月を思う。もう仕方がないんだと頭では分かっていても、普段はこんなに元気に振る舞う性格でも、時折泣けて泣けて仕方ないことがある。毎日仏壇に供える陰膳。食べてくれる人はもういないのだ。上げるときには「今日はあなたの大好きな回鍋肉だよ。冷めないウチに食べてね」とか言って、下げるときには「おいしかった?」なんてついつい聞いてしまう。そんなことを毎日繰り返す自分の愚かさに、やっぱり泣く。これからを思うとやっぱり淋しい。淋しいという字は木が寄り添って涙を流しているという字なんだと「ダイアモンド」という詩で書いたのは何という詩人だったか。寄り添う木さえなくなったら、木は一本で立ち続けるしかないんですか?………あ~~あ、真っ暗になってしまった、今日はお彼岸の中日。そんな日もあるさね!
2006.03.21
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栃木をこよなく愛するふぁみりー・Kは、お出かけというとついつい久喜インターから東北道を北に向かってしまいます。この道もあの道も夫が運転する車で出かけたんだよなあ。とかこの道路の先に夫が亡くなった福島があるんだなあ。とか、しんみり考えて立ち止まるのは、だから自分で自分を縛るようなものだ。東北道だけじゃなくどこもかしこも夫とドライブした思いでばかりなんだからいちいち動けなくなっていたら何も出来なくなってしまう。行けない場所は夫の亡くなった福島のレオパレスと亡くなった日に子どもたちと行っていたカラオケボックスだけでいい。と、いうわけで、昨日出かけたのは栃木は宇都宮にある宇都宮動物園。ここのポイントは【鄙】です。都会的なセンスなどどこにもない(失礼)、昔ながらの遊園地付きの動物園です。園内のそこかしこにある100円乗り物は今時ミラーマン。あの、昔よく見た反っくり返った背中に乗るタイプです。駐車場に車を止めるとお出迎えしてくれるのは手作りの味わいのある5メートルくらいのロボット。(もちろん動かない)施設も正直言えば古くて遊園地の遊具も「懐かしい」テイストにあふれている。でも、そんなことが気にならないほど、私たちはここが大好きなんです。まず、動物に餌を上げられるんですよ。え?めずらしくない?いやいや、キリンや象に間近で直に上げられるってのはないと思いますよ。時間も特に決まっていなくて、 いつでもこんなふうに餌付けできます。ユウヤノドンが体全体を伸ばしてキリンに向かって餌をあげるとキリンの大きな顔がヌ~~~っと寄ってきて、長~~~い舌をベロ~~ンと出して餌をなめ取る。象にだって、精一杯手を伸ばして餌を差し出すと象が際まで身を乗り出して長~~~い鼻を上手に使って餌を持っていく。この近接感は素晴らしいですよ。動物に安易に餌をあげることが良いか悪いかは素人にはよく分かりませんが子どもにも大人にもとってもエキサイティング。そのほかにも仲良し広場ではウサギやモルモット、子犬にふれあえるコーナーもあり、やっぱりきれいな施設じゃないけど、かえってそれが親身な感じでいいです。遊園地では子ども3人が豆自動車に夢中。100円入れて、足元のボタンを押すと走るという電池式の車ですね。あんまり楽しかったので結構つぎ込んでしまいました。最後は釣り堀。ニジマスが結構いたけどお兄ちゃんたちは一匹も釣れませんでした。はっはっは。帰りの車は「ニモ」のDVDを見ながらのんびり帰ってきました。とっても楽しかったのですが、昨日の関東地方は電車が止まるほどの強風。宇都宮、寒かったです。
2006.03.20
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春らしくなってきましたねえ。私の勤務している市では昨日が異動対象者の内示解禁でした。(解禁されるまで校長も本人にどこそこと異動先を教えられないんです。解禁されても、本人がおおっぴらに触れ回るのはぜったいNG)校長先生に電話でお伺いしたところ、同じ市内の中学校でした。(senbeiさん、体操部がある、あの中心校ですよ!またあるんだよ、体操部。)本来一つの市教委しか経験していない私のような教師は同一市教委は避けられるのですが、(同じ県内でも市町村が違えばいろいろとしきたり(笑)が違うのです。「異動は最大の研修」とはよく言いますが、まさにその通りです)夫との死別や子供がまだ小さいことなどをどうやら考慮してくれたらしく、同じ市内で、現任校よりやや近めのところが嫁ぎ先として決まった模様。嫁ぎ先が決まってほっとした気分ですね。と同時に「もう逃げられないぞ」という引き締まった気持ちでもあります。(体もこうやって引き締まれば申し分ないんですがねえ)今日はお兄ちゃんたちがお世話になる放課後児童クラブ(いわゆる学童ですね)の入所説明会もあり、先ほど終わって帰ってきました。復帰に向けて今できることを全てやっておこう、と思い、大工さんに頼んで子供部屋12畳を壁で仕切って二部屋にしてもらう工事、おととい終わりました。私の車で遠出をすることが多くなるので、去年のウチにカーナビ(DVDも見られる)をとりつけ、先週ETCと音量5倍のスピーカーを付けました。このカーナビとETCは夫の車についていた機械を移植しました。夫の車自体は…………まだ処分できてません。まだ当分出来ないような気がしてます。これからやるのは、マナタンの入園準備で昼寝布団や下着などを買うことでしょうか?グッズもまだいくつか作るし。新しい学校に持ち込む私物も整理しなくちゃ。(←半分がらくた)気ぜわしいけど、そのほうがいい。余計なことを考えて立ち止まって動けなくなるなんてそんな自分は嫌い。ふとした拍子に胸が塞がれて泣いてしまうことも多いけど、ちゃんとできるか不安でたまらないけど、でも、やる。そう決めたんだから。
2006.03.18
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なんでやねん。ここ一ヶ月くらい声がかすれるなあと思って昨日耳鼻咽喉科に行ったらやっぱり声帯ポリープが再発していました。なんでやねん! 次男ユウヤノドンの育児休暇が明けた6年前、復帰した頃から週末声がかれるようになりました。そのままだましながら使っていたら1年後がらがら声に。声帯ポリープと診断。当時3年を担任していたので、その子たちの卒業を待って2泊3日の手術入院。「教師ですかあ………またやりそうですね。」との主治医の診断は思いがけず復帰を目前にドカンと大当たり。もう職業病なんですよね。同僚も何人か手術してるし、合唱部の先生なんか、3回切ったわ、あっはっは、と笑ってたし。でもなんで?育休中で声使ってないジャン?! 医者が言うには現段階ではまだとても小さいため、手術できないそうです。私「あの、合唱団とかに入ってボイストレーニングとかすれば鍛えられて良くなりますか?」医者「いえ。悪化します。念のため気休め程度ですが薬出しますね。」私「飲めば良くなるんですか?」医者「う~~ん、肝臓病の患者に薬を出しても、酒飲んじゃったら意味無いでしょう?それと同じですねえ。とにかくしゃべらないことですね。わっはっは。」私「あの~~、4月から復帰するんですが」医者「……わっはっは。」私「……ははは…… 」あ~あ。基本的に風邪も滅多にひかない健康体のくせに何で喉が弱いかなあ。妙な病気ばっかりやるかなあ。医者が言うには、解決は二つ。とにかくしゃべらないこと。もう一つは、いっそ諦めてしゃべりまくり、ポリープを大きくして潔く手術に臨むことだそうです。だからあ。子供3人いるんだってばよ!(NARUTO風)もう一般の教諭としては限界なんですかねえ。やっぱり司書教諭としての道を本気で考えるべき時に来たのでしょう。復帰を前に頭痛いです。追記:声帯ポリープは喉にできたペンだこみたいなものです。痛くも何ともありません。喉をいたわれば急激に悪化もしませんし、どうしても手術をしなくちゃいけないという深刻な病気ではありません。ですから今日の記事は半分以上ぼやきです。とほほ。
2006.03.16
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以前MISUZUさんとこで話題になっていた「風に吹かれて豆腐屋ジョニー」 春○部のイ○ーヨーカドーである日見つけて思わず 「これかっ!」 と購入。厚揚げ番長は見つかりませんでしたが、ジョニー、おいしかったですよ。ネーミングで侮れないお味でした。お豆腐の甘みが、豆の甘みがぎゅっと……。隣に写っているのは「こどもののみもの」という炭酸飲料。装丁がレトロなビール瓶、って感じでウケて思わず衝動買い。その晩の夕食で「君たちも晩酌したまえ」と飲ませました。メーカーはサンガリア。サンガリアという社名の由来は杜甫の「春望」、「国破れて山河あり」……え?国破れてサンガリア? そりゃないでしょう。(号泣)
2006.03.15
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港にこだまする大漁節……ココは大間の漁港。2メートル級の大マグロを3匹釣り上げて意気揚々と漁港へ帰る漁師のおじちゃん。それが私。ア・バオア・クーの爆発から辛くも逃れ、真っ暗な宇宙空間でホワイトベースの仲間の灯りを見つけて涙する気分?それが私?地球か、何もかも懐かしい。ふ。 今日やっと司書教諭のレポートが終わりました。終わったと言っても、文書ソフトに打ち込んだところまでで、まだこれから大学指定のレポート用紙に手書きするという作業が10単位中8単位残っているんですが、それは1単位につき約2000字程度、ヒマをみて書いていればそれほど集中力を必要としない機械的な作業なのですぐに終わります。とにかく、慣れない頭脳労働が一番面倒だったので、それが終わったことが一番嬉しい。せっかくですので、ここでどんなレポートだったのか紹介します。aozora♪さんが同じような手順で免許を取ろうとしてらっしゃるので参考になればと思います。 右の2冊がテキストです。明星大学通信教育部の司書教諭資格の講座ではこのような本が5冊あります。私は表紙にレポートの課題を書いて、中身には付箋を貼ったり下線を引いたりして読み込みました。左は課題報告集。この本にレポートを書くときの視点と注意点が事細かに書いてあります。なかなか指定通りの論点で書けなくて頭を抱えました。なまじ現実をみてきている分、きれい事の課題にはかみつきたくなっちゃって。 大学指定のレポート用紙です。今年用紙が改訂になり、課題や学籍番号のバーコードのシールを貼って提出になりました。手書きする分が減ってちょっと楽? 私は実際に原稿用紙に向かってペンを走らすより、キーボードで打ち込みながらああでもないこうでもないと推敲する方が楽。普段の字も汚いので、一発で用紙に書くなんて絶対無理デス。だもんで、まず文書作成ソフト「一太郎」(←教員御用達。ワードよりもテキスト上に罫線を引きやすいので、学習プリントを作るのに向いている)で書式設定をして字数の見当を付けた後、テキストと課題報告集にかじりつきながら、うなってうなってレポートを打ち込む。左の紙はできあがった文書をプリントアウトしたものです。これを読み返しながら赤鉛筆で推敲して、右のレポート用紙に悪筆を踊らせる。この手順で進めました。先日仕上がった分を大学に送りました。面白いのが通信教育の課題を郵送するためにかかる切手代って片道15円なんですね。15円分の切手なんて初めて見ました。レポートをやりながら、全国SLA(全国図書館協議会)や司書教諭課程のある大学のHP、新聞記事やどこかの教授の論文、どこかの高校の情報科の実践報告なんかをたくさん読みました。そうすると自分がこれからやりたいと思っている司書教諭という職種には物凄くたくさんのスキルが必要で、でもやりがいはある仕事なんだなと思って、レポートを書く作業自体はしんどかったけれど、とても面白かった…。あわせて、レポートに集中している間は夫のことで泣かずにすんだこと。これも救われました。(その分、他の時間に反動が来ていたけれど)とにかく、一段落です。わっはっは。高笑い。先週はレポートの合間に初めての確定申告にも行ったし、マナタンの保育園の説明会にも行った。これで明日からはカキカキ作業をしながら、マナタンの入園グッズ作りと「鋼の錬金術師」のDVDをレンタルしてきて楽しめるぞ。「風光る」の大人買いもしちゃおうかな。残り少ない育休を楽しむぞ~~。
2006.03.12
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3月。それは教師の師走。いよいよ私の復帰へのカウントダウンが始まりました。4月からはこんな私もどこかの中学校でお世話になるわけです。育休ボケの身には不安がいっぱい。2年休むと「勘働き」が鈍るんですよ。生徒の悪さをかぎ分ける嗅覚が鈍るというか、本音を忖度する聴覚が鈍るというか。これが戻るには半年以上かかります。不安でいっぱいです。不安もさることながら、焦っているのは、マナタンの保育園入園の準備じゃなく、お兄ちゃんズの学童入所の準備でもなく、司書教諭資格取得のためのレポートがまだ終わっていないということ。 これはまずい。ええ、まずいですとも。一応ここのところの頑張りで10単位中6単位は終わりましたが、終わったといっても一太郎に打ち込んだってだけで、学校指定のレポート用紙に書き込むのはまだそこまでいってません。残る4単位は「学校図書館の情報アプローチ」。だいたい1000字程度の量で8つ書かなくてはなりません。ここの一つ目のお題は「学校図書館に備えておくべき学校図書館メディアとは何か、それらのメディアをどのような構成で構築していくべきか論じなさい。」ふふ~~ん。つまり、「♪こうだったらいいのになっ」ってのを書けばいいのね。理想論なら任せなさい。いくらでも夢を語れますよ。現実の壮絶さは山のように見てますからね。本が全部段ボールに入った状態の図書室や廃棄を10年以上やってない図書室を立て直したオンナだよ、私は。(だったらさっさと書き上げろっての)というわけで、またもレポート作成強化週間です。背水の陣作戦、または崖っぷち作戦、追い込み漁(?)作戦です。しばらく楽天休業に入ります。頑張ります。楽天といえば、現任校で4年間一緒の学年で仕事をしていた男のセンセイが楽天でブログを始めていたのを偶然見つけました。HNが仕事で呼ばれていた通称のままだったので、丸バレでした。勇気あるなあ。卒業生・在校生にどんな書き込みをされるか分かったもんじゃない。(いろんな子がいますからねえ)私なんて名前の一文字も入ってないよ、HN。
2006.03.06
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先日小学校の授業参観で、一緒にPTAの役員をしているAさんと立ち話をしました。フラワーアレンジメント講習会の話から、そのできた作品をご自分のお姉さんの家に持っていったという話になりました。「あのね、私の姉は、J中の2年生に娘がいるの。」「えっ……!」J中というのは亡くなった夫の学校、2年生というのは担任していた学年。……そうか。こんなところにもご縁があったのね。「姉の娘はね、K先生が大好きだったって。それから、奥さんが合唱祭に来てくれたことが嬉しかったって。」私が夫の中学校の合唱祭に歌を聞きに行ったことを生徒がどう思っているか聞いたのはこれが初めてでした。自分で言うのもなんですが、目立つことは大の苦手で人の先頭に立つ人を二番手でサポートする位置が一番居心地の良い性格です。だから、実は夫の学校に出向く時も生徒に見つからないように目立たないように細心の注意を払ってこっそり行っていました。合唱祭に私が来ることは生徒たちは知っていました。校長や職員にも了解を得ての見学でした。でも、当日は夫の写真を持っている私の姿が生徒にどういう動揺を与えるか分からないから後ろからこっそり見学させてもらっていたのです。そんなわけで、私が来ることを生徒がどう受け止めているか皆目見当が付いていませんでした。もしかしたら迷惑かも。余計なお世話かも。そう考えもしていました。そうか…………そうか。少なくとも不愉快に感じている子ばかりではなかったんだな。そうか。良かった。なにかの慰めにはなったんだな。良かった。かな?うん。で、考えました。彼らの卒業式にかっちゃんを連れて行ってあげられるだろうか?もちろん、今年の4月から現場復帰する私が同じ日に卒業式をやる他の中学校の卒業式に公に参列するわけにはいきません。でも、自分が今度配属になる学年が3年生でなければ、卒業式当日はいなくても勤務上はそれほど問題にはならないので年次休暇を取って、J中の卒業式の後ろで参列することはできると思うのです。かっちゃんが見たかった生徒の晴れ姿を、そして、私自身がけじめを付けるために。もちろん、できることなら生徒には内緒で。かっちゃんにとっては、異動希望を思いとどまるほど愛着のあった生徒たち。私にとっては、通夜や告別式で泣いてくれて、出棺の時には合唱をしてくれるほど夫を愛してくれた生徒たち。自分が担任した生徒と同じように大切な大切な子どもたちだから。迷惑かな?迷惑かな?お邪魔じゃないかな????どきどき。 先日久しぶりにへこむ夢を見ました。何かの用事で私は子連れで出先からタクシーで帰ってきました。家に入るとかっちゃんがいて、自分は不治の病にかかってしまった、これから入院しなくてはならない、というのです。びっくりしてうろたえていたら、タクシーの運転手が法外な運賃をよこせと言い、バッグをひったくって逃げようとします。それを夫が怒鳴って取り返して…というところで、はっと目が覚めました。「ああ、よかった、夢だった。病気にならなくて良かったぁ。。。。 ………あ。 」病気どころじゃないだろ。ず~~~~ん↓ ……これは久しぶりにどん底まで落ち込む夢でした。滅多に夢にも出てこない癖に、たまに出てくればコレ。これはないでしょう、かっちゃん。久々に仏壇の前でひんひんと夫を責めて泣きました。やっとひどい泣き方をしなくなってきていたのに、なぁ……かっちゃんのバカ。
2006.03.02
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ダイエット最終日の日曜日の午後、マナタンが激しくもどし、ぐったりしてしまいました。(だから実は玄米どころではなかった)数日前に実家の甥っ子たちがウイルス性胃腸炎になっていたので、「これはうつされたな………」深夜には、パソコンをやるんで夜更かしをしようとしてベッドを離れていた私に「まま~~~」「ちっこ~~、ちっこよ~~~」の声が。慌ててだっこしたら水下痢(白っぽいの)と8.5℃の高熱。翌日月曜日もゲリゲリが続いて、ようやく火曜日の今日元通りになりました。ほっとしたら、今度はカツヤザウルスがお腹が痛いといいだし、今日は念のため休ませましたが、結局軽い風邪で済んだ様子で、明日は登校できそう。問題は、「たいしたこと無いなら、この機会に皮膚科に行こうカ?」と連れて行った皮膚科での診察。以前から足の裏にできていたいぼはウイルス性のいぼだそうで速攻液化窒素で焼くことになりました。これが痛いんだ!そんなこんなでウイルスに振り回された週明けでした。うちで今のところウイルス関係に無事なのはユウヤノドンだけ。このままウイルスの嵐に巻き込まれずに乗り切れるか?私もマナタンに遅れて半日後ゲリゲリになりました。こっちの方がよほどダイエットだったりして。ハハハ…………
2006.02.28
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